伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 海と空が描く三角   (目次)  <全編公開中>
    友人を救出するために、事故が起きた水素潜水施設へ向かうが・・・

 アイソスタシー    (目次)  <全編公開中>
    父から電話が入り、着の身着のまま宇宙に避難する。小惑星が地球に墜ちたのだ。

 軌道上のタイトロープ (目次)  <全編公開中>
    世界初の月周回飛行中に事故が発生し、地球への帰還不能に!

 沈んだ過去 溺れる未来 (目次)  <毎週金曜日公開>
    移動式潜水調査船に極秘指令が下る。同じ頃、極地研と神岡で異常が起きていた。

  13

 頬に床の冷たさを感じたのも一瞬だった。
 跳ね起きると、反射的に緊急事態の発令スイッチを押して部屋を飛び出した。既に閉まりかけている防水ハッチを躱すようにすり抜け、指揮所に飛び込んだ。
 最初に目にしたのは、瓜生が鮎田を平手打ちにしているシーンだった。
「瓜生、抑えろ! 両舷後進、船足を止めろ! ギアをエマージェンシーポジションまでおろせ! ハッチの閉鎖確認後に点呼! 左舷指揮所の起動を確認しろ!」
 瓜生は、端末に戻り、確認を始めた。鮎田も立ち上がり、よろよろと端末の一つに取り付いた。村岡自身も、手近な端末を起動し、航行状態を確認した。鮎田か瓜生か分からないが、村岡が命ずるより先に、ギアを下ろしていたし、船足は止まっていた。
「左舷指揮所、浦橋さん。聞こえますか?」
 船内無線機で呼び出す。
「こちら、浦橋。左舷指揮所には、私と江坂さん、松井君が居ます」
「右舷指揮所は、私と鮎田、瓜生、魚塚の四名だ」
「おいらも、数に入れてほしいな」
 背後から声を掛けてきたのは、小和田だった。
「五名だ。井本さんが居ない!」
「私なら、自室に居ます」と無線機が鳴った。
「OK。負傷者は居ないか?」
「左舷指揮所は大丈夫です」
「私も打ち身程度ね」と、井本が付け加えた。
 村岡は、右舷指揮所内を見回した。
「右舷もOKだ。浸水状況を確認しろ。左舷は、浸水が無ければ、ハッチを開いて井本さんと合流してください。合流後は、ハッチは再閉鎖です」
「了解」
「海底までの距離は?」
「六.六メートルです」
 十メートルを維持させていたはずだが、やや低い。浸水している可能性がある。
 背筋に寒いものを感じた。
「鮎田。深度計を注視しろ。変化があれば、報告! トリムを確認!」
「トリム、右舷へ〇.五度、船尾へ〇.二度」
 問題になる傾斜ではない。運用上は、トリムを一度以内に保つことになっている。航行中のトリムは容易ではないが、『うりゅう』の実力は高く、海象の影響を受けないこの深さでは、〇.一度から〇.二度の範囲で治まっていた。
「トリムは、変化しているか?」
「ロールは〇.四度に戻っています。事故直後は、〇.七度になっていましたから、回復しています」
 傾斜の状況から、何が起きているのか、おぼろげながら見えてきた。運の良い事に、大事には至っていないようだ。
 左舷の井本の状況だけが、気になっていた。
 二分後、左舷指揮所から、井本と合流し、全員が左舷指揮所に集合した旨の連絡が入った。
「損傷状況の確認をする。火災、ガスクロマトグラフの確認。生命維持装置、酸素タンク、水素タンク、燃料電池は、特に注意してくれ」
「火災はありません。船内の全ガスセンサーの値は、正常です」
「水素タンク、酸素タンク、異常なし」
「空調装置、異常なし。電気系統異常なし」
 主なライフラインは、無事なようだ。
「ビルジ水位、変化無し。漏水センサーに異状はありません」
「トリムバランスは、どうなった? 浮力は?」
「トリムは正常値に戻りました。問題ありません。キール下から海底までの距離は、六.七メートルです。浮力も、平衡状態のままです」
 浸水は、無いらしい。僅かに、余剰浮力も存在しているらしい。
「左舷。船内の損傷を詳細に調査し、報告をくれ。特に、酸素、水素、二酸化炭素に注意してほしい」
「了解。調査を開始します」
「右舷側は、事故原因の調査だ。鮎田。事故直前からの報告をしてくれ」
 そうは言ったが、気の重い役割だ。瓜生が、鮎田を平手打ちしたということは、鮎田に重大な落ち度があったはずだ。瓜生は、無闇に手を上げたりはしない。
 この件は、どうやら大事には至らなかった。だからこそ、鮎田には、しっかり反省してもらいたいのだ。
 事実は、瓜生に聞けば全容が見えることは、最初から分かっていた。瓜生も、拳を振り回したのではなく、平手打ちだった。瓜生としては、鮎田に状況を認識してほしかったのではなかろうか。
 そう思ったから、瓜生ではなく、鮎田に語らせることにした。
「事故の直前、大量のエコーが同時に映りました。でも、ミサイルの残骸にしては、大きさも形も量も、余りに違いすぎました。それで、これを無視することに決めました。その直後に、C1のケーブルが岩に引っ掛かったんだと思います」
「瓜生は、どうしていたんだ。何か、言われていなかったか?」
「瓜生さんは、停船しろと言いました」
「なぜ、彼の言うとおりにしなかった?」
「なぜって、あのときの責任者は、僕です。僕に決定権があります。瓜生さんの命令を聞く必要はありません」
「勘違いをしているぞ。瓜生は、経験豊富な潜水士だ。海の中では、彼の経験は重要だ。それを有効に使うのが、お前の役目だ。今回の件で、最大の問題は、瓜生が危険を感じて停船を要求したのに、お前は危険な方向に、その要求を無視したことだ。彼の意見を無視するなら、彼の判断より安全な方向に導くことだ」
 鮎田は、理解してくれたようだ。しゅんとなっている。
「これから二十四時間は、当直から外す。今から、事故に至る経緯と、事故後の安全確認状況、被害詳細をレポートにまとめろ」
 鮎田は、右舷指揮所の端に移動した。
 村岡は、事故直前の深度と水深のデータを調べ始めた。
「スキッパー。緩い傾斜地を登りかけてる」
 隣に来た瓜生が、耳元で囁いた。
 彼の指摘は、数字で表されていた。C1のソナーのデータを見ると、C1と『うりゅう』の間に、起伏の盛り上がりがあるらしい。ケーブルは、斜面と盛り上がりで海底とのクリアランスが保てなくなったケーブルが、途中の岩か何かに引っかかったことが原因らしい。
「各員、被害報告は、私と鮎田に入れてくれ。鮎田の方で被害状況をまとめる」
 これで、全員に対して、事故時の責任者が鮎田であったことが明確になったはずだ。
 鮎田には、辛い状況が生まれたわけだ。
 彼には成長してほしい。彼は、頭が良い。状況判断も悪くない。この経験を糧として、大きく成長してほしいのだ。
 被害報告は、次々と集まってきた。どの報告も、被害無しか、資料棚が散乱しているといった極軽微なものばかりだった。
「本船は危急の状態に無いことを確認した。水密ハッチを開け。総員、右舷食堂に集まってくれ」
 全員が食堂に集まるのに、一分と掛からなかった。
「みんな聞いてくれ。取り敢えずの安全は確認できた。だが、緊急浮上を免れたという程度だ。今から、周辺の確認を行う」
「確認は結構だが、無線封鎖は継続だ」
「松井さん。状況を理解してくれ。今から、D1で、浦橋さんと江坂君で、『うりゅう』からC1までの状況の確認を行ってくれ。艇体に重大な損傷がない限り、無線封鎖を継続する。通信の要否は、浦橋さんの判断に従う。瓜生。G1で、『うりゅう』の進行方向の安全確認を行ってくれ。危険な任務なので、気をつけて任務に当たってほしい。僅かでも危険を感じたら、遠慮することは無い。無線封鎖を解除してよい。判断は、君に一任する」
「勝手な判断は、止めてもらいたい。指揮権は、我々にあるということを忘れてもらっては困る」
「最初に確認したはずだ。操船上の指揮権は、私にある。そちらの意に沿うように、最大限の協力をしている。事故発生時は、潜水病などの危険がない限り、緊急浮上が運用規定に記述されているのに、それを曲げて協力している。それでも指揮権云々を言うなら、こちらも操船上の指揮権を行使し、運用規定どおりに浮上して緊急信号を発信する。今が最大限の譲歩の状態だ。この条件で納得がいかないなら、この場で私を解任することだ」
「そこまで言うなら、解任し、自室で謹慎していてもらおうか」
「悪いが、自室に篭るつもりはない。あんたが操船するなら、命がいくつあっても足りない。とっととこの船から脱出する。嵐の前のネズミのようにね」
「スキッパーが船を下りるなら、この船に残るのは三人だよ」
 魚塚が、尻馬に乗ってきた。
「三人に私を入れているなら、計算違いだ。この船に残るのは、二人になるだろう」
 浦橋は、魚塚を一睨みしてそう言った。
「松井さん。私たちの連敗のようね。脱出する時は、私達も仲間に入れ下さらない?」
「話はついたようだ。さあ、みんな、作業に取り掛かってくれ。魚塚は、俺と一緒に、艇内の再チェックだ。小和田は、瓜生のバックアップを頼む」
 それぞれに、担当部署に散っていった。それを見て、村岡も行動を起こした。
 一時間近くも掛けて、船内をくまなく調べて回った。その結果は、歓迎すべきものだった。あれほどの衝撃を感じたにもかかわらず、浸水はもちろん、耐圧構造に歪はなかった。
 船内のチェックを終えて指揮所に戻ってくるところで、浦橋たちと合流した。
「スキッパー、C1の損傷は、軽微です。ケーブルの巻き取り装置は、かなり変形していますが、あそこで衝撃を逃がしてくれたようです。そのかわり、ケーブルの巻き取りはお勧めしません。修理の必要は無いのですが、正確に言うなら、『うりゅう』単独での修理は不可能です」
「映像を見よう。解説してくれますね」
 浦橋の言うとおり、C1用のケーブルの巻き取り装置がひどく変形していた。これで巻き取り装置を稼動させれば、新たな問題が起きる危険性が高い。
 D1で撮影した画像は、一通り、確認を終わった。タイミングよく、瓜生が戻ってきた。彼も、二時間に及ぶ潜水の記録を、映像に収めていた。
「浦橋さんと魚塚は、左舷指揮所でC1のケーブルの処理方法と、今後の探査方法の検討をしてくれ。江坂さんは、記録映像を使って、鮎田のレポートを手伝ってくれ」
 三人は、それぞれに散っていった。
 瓜生は、自らが撮ってきたG1の映像データを『うりゅう』のデータベースにコピーしていた。
「何も言わない。映像を見ないと、誰も信じない」
 瓜生にしては、意味深長な言葉を口にした。
 瓜生がそう言うのだから、有り得ない状況が、この先に存在するのだろう。彼が撮影してきた映像に移っているのは、ミサイルではない。ミサイルなら、こんな言い方をしない。ミサイルの正確な位置と状態を、最小限度の言葉で表すだろう。
「勿体ぶるね」と、小和田。
 瓜生が、指揮所の端末で再生を始めた。
 一体、何があるのだろうか。
 大規模な地滑り痕だろうか。それなら、彼は地滑り痕があることと、その範囲と状況を言うだろう。
 熱水鉱床だろうか。この辺りで、熱水の噴出を確認されたことはない。大和堆の形成からみても、考えにくい。瓜生は無学だ。地質上の知識は必要最小限だ。単に熱水鉱床があるとだけ報告するだろう。
 ノアの箱舟を発見したのだろうか。全長が百メートルを超える巨大木造船だ。タールを塗って水漏れを防いだとも伝えられている。詳細に調べれば、中世以降の帆船との違いは、直ぐに明確になる。二千年以上も前から語り継がれてきた伝説だ。そんなに古い船が、一目で分かるような痕跡を留めているだろうか。
 瓜生がノアの箱舟を見つけたら、絶対的な証拠がない限り「全長約百メートルの木造沈船を発見」とだけ言うだろう。
 映像は、『うりゅう』の下を通り抜け、前方の傾斜を登っていく。瓜生は、真正面ではなく、少し左寄りに登った。その方向が、斜面の向きだったからだ。
 カメラは、G1の頭部の右側にある。ライトは、頭頂部にある。左側は、ソナーが備えられているが、今回は止められている。カメラの映像には、時刻と位置、方向が、一緒に録画されている。本来なら、これにソナー映像も重ねることができるのだが。
 ライトが照らす短い距離の先は、どこまでも続く暗闇だ。千メートル以上と言われる日本海の堆積物だが、この辺りは、それほどではないだろう。それでも、マリンスノーが降り積もった海底は、白砂のようだ。周囲の暗闇との関係で、モノクロ映像を見ているようだ。時々、瓜生の息遣いが入るが、無音の時間が過ぎていく。海底に転々と見える岩の頭が、何かが潜んでいることを予感させる。
 村岡は、瓜生が見たものを想像した。
 彼が見たのは、空飛ぶ円盤だろうかと、突飛もないことを思いついた。これなら、間違いなく「映像を見ないと誰も信じない」と瓜生が言うだろう。
 ただ、有り得ないという意味では、映像を見ても信じられないかもしれない。
「岩ばっかりじゃないか」
 不満気な小和田とは違い、村岡は気になっていた。
 やけに、岩が多い。それも、似たような大きさの岩だ。海底噴火で見られる枕状溶岩なら、大きさは似てくるが、折り重なるように積み上がるのが普通だ。マリンスノーで覆われているが、積み重なっていないことはわかる。古城の石垣が崩れてたような感じなのだ。
 不思議な場所だ。
 急に傾斜が強まった。壁のように、眼前に立ちはだかる。
「どういうことだ?」
 思わず口を突いて出た。
 カメラは、舐めるように壁を上昇していく。直ぐに壁は途切れた。そこで、カメラは動きを止めた。
「おぅ」
 初めて、瓜生の声が録音されていた。
 その声の表す意味は、誰にも分かった。有り得ない光景が、そこに広がっていた。
「周りを見せろ!」
 録画だということを忘れて、小和田が叫ぶ。
 瓜生は、ここで立ち止まったらしく、ゆっくりと左右にカメラを、体を振った。
 ライトが届く範囲は、精々二十メートルだ。半径二十メートルには入りきらないが、その先を想像させる正確な連続性を備えている。
 カメラは、また前進を始めた。
「ここまでで充分だ。時間がない」
 瓜生は、映像を止めた。
「先を見せろ!」
 小和田は興奮している。饒舌で、本気か冗談か分からない男だが、興奮しているところは見たのは、初めてだ。
「小和田、この映像のコピーを作り、『うりゅう』のデータベース以外の場所に隠せ。今回のミッションが終わったら、浅海さんに初期化されてしまうぞ」
 戦場を回ってきた男は、感情のコントロールが上手い。一、二度、深呼吸をすると、にやっと笑って姿を消した。
「瓜生。鮎田に、この先の海底の形状を教え、航路選定をさせろ。お前の顔を見て、あいつは興奮するかもしれないが、上手くやってくれ」
 江坂を呼び寄せると、左舷の指揮所に向かった。
 頭が痛い問題があった。
 浦橋がどんな行動に出るか分からないことだ。しかし、年長で思慮深い浦橋を信頼することが、『うりゅう』乗組員全員の利益に繋がると、村岡は信じることにした。

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