伊牟ちゃんの筆箱

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「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 海と空が描く三角   (目次)  <全編公開中>
    友人を救出するために、事故が起きた水素潜水施設へ向かうが・・・

 アイソスタシー    (目次)  <全編公開中>
    父から電話が入り、着の身着のまま宇宙に避難する。小惑星が地球に墜ちたのだ。

 軌道上のタイトロープ (目次)  <連載開始>
    世界初の月周回飛行中に事故が発生し、地球への帰還不能に!

 沈む過去 溺れる未来 (目次)  (準備中)

 空気が漏れる音は止まっていたが、ハッチとフランジの接触部に補修剤を塗っていく。それが済むと、倉庫へと急いだ。樹脂製ボードを全てと補修剤を手に、ハッチに戻った。
 ハッチは、ブリッジ側からの圧力に耐えるように、ブリッジ側に膨らませてあるので、ハッチのハンドルは、床面より引っ込んでいる。
 ハッチを覆うように、フランジからフランジへと樹脂製ボードを差し渡す。
「手伝うわ」
 すぐ脇まで来ていた麗子が言ったが、「うるさい!」と怒鳴った。
 3枚でハッチを覆うと、ボードの周囲を補修剤で埋めていった。更に、3枚のボードの境を塞ぐように、2枚の樹脂製ボードを乗せ、同じように周囲を補修剤で埋めていった。
 また倉庫まで行き、レスキューボールを持ってサロンに戻った。
「何しているの?」
 佐々は、麗子を押し退けて、サロンに入った。
 レスキューボールは、シャトルの気密に問題が生じた場合の一時避難用の気密袋だ。これに、未来の遺体を納め、サロンの隅にマジックテープで固定した。
 レスキューボールを使う理由は、減圧だ。代謝が止まった遺体を減圧すれば、内圧で損傷する。酸素が無い方が腐敗も進まない。
 佐々は、レスキューボールに窒素ガスを充填した。膨らんだところで、循環装置を停止した。
 宇宙で未来と組むのは初めてだが、地上では訓練だけでなく、地上バックアップの際にもチームを組んだことがある。宇宙に賭ける想いを語り合ったこともある。
 それが、初めて宇宙に出て4時間も経たない内にこんな事になろうとは、本人も考えもしなかっただろう。
 まだ、やるべきことがある。
 ガンガン響く頭痛に堪え、倉庫の脇にあるエアロックのハッチを開いた。
「私を置いていくのね」
 佐々は振り返り、溜め息をついた。
「俺がどこに行けるのか、教えてもらおう」
「外に出るんでしょう?」
「外に出るなら、ハッチの気密なんか気にしないさ。時間の無駄だ」
 納得したのか、麗子は何も言わなくなった。
「まあいい。何も触らないと約束するなら、付いてきな」
 佐々は、エアロックの中に入り、麗子が来るのを待った。彼女は来なかったが、わざわざに呼び入れる気はなかった。
 エアロックの中にある端末を起動した。端末は、すぐに立ち上がった。直ちに、ブリッジから切り離した制御権をエアロックの端末に引っ張った。
 制御権を獲得して最初に見たのは、新しい軌道要素だった。正直な感想が、口から漏れた。
「運が良いのか、悪いのか」
「どういう意味?」
 麗子の声で、びくっとなった。エアロックの外から、微妙な距離をとりながら佐々を見ていた。その顔を見た時、仕返しをしたくなった。
「当初の予定から変更になりましたところを、御連絡致します」
 わざと営業スマイルを作った。
「月へは、予定通り三日後の到着ですが、通過の際の高度は、予定より低い17kmをフライバイ致します。間近に月をお楽しみください。なお、地球到着は、2時間半早くなります」
「地球に戻れるってことね。良かった」
「ちょっと違うな」
 非常灯の下で、彼女は、怪訝な表情を浮かべた。
「地球に戻ると言っても、15000km以上も離れたところを通過する。まあ、仮に大気圏に入れても、この損傷だと、燃え尽きるか、バラバラに空中分解するかの、どちらかだ」
 言い終わると麗子を相手にせず、エアロックの端末に視線を戻した。
 電源が問題だった。主要な電源は、機械船の太陽電池だ。機械船を失ったので、佐々は、非常用の太陽電池パネルを開いた。
 太陽電池パネルがバッテリーを充電し始めたのを確認できたところで、食品庫の電源を復電した。でも、節電を考え、暖房は入れず、照明も非常灯のままにした。
 各計測場所の気圧を見た。ブリッジの気圧は、0.79気圧まで下がっていたが、サロンやエアロックの気圧は0.95気圧ある。
 このままでは、ハッチがもたない。客室の破孔が一気に裂けたら、ハッチも一緒に吹き飛ぶだろう。
「何か問題があるの?」
「ああ、問題だらけだ」
「火急の問題がありそうに見えるけど」
 無視するつもりだったが、薄明かりの中で辛そうな表情を浮かべる麗子を見て、気が変わった。
「ここの気圧を下げる必要がある。だが、減圧の機能がない」
「私の部屋みたいに、穴を開ければいいじゃない」
 溜め息が出た。
「あそこは、元々が耐圧壁じゃなかったから、穴が簡単に開いた」
「エアロックは? 中の空気を抜くことができるんでしょ?」
 膝を打った。
「いけるかも」
 エアロックは、緊急減圧時に内部の空気を外部に捨てる。注気では、酸素タンクから注入するが、配管図を見ると、酸素タンクからは、エアロックと室内空調機の両方に繋がっている。室内から酸素タンクの手前まで逆送し、エアロックに送ることができそうだ。
 佐々は、エアロックを出た。
 エアロックの外側にある操作パネルから、エアロックの空気を排気した。続いて、空調機側のバルブを開いた。そして、強制制御でエアロックの注気バルブを開こうとしたが、インターロックで強制制御も拒否された。
 一気に空気を抜こうと考えていたが、できなかった。仕方がないので、排気バルブを閉じ、エアロックの注気バルブを開いた。エアロック内の気圧が上がっていく。室内の気圧が下がっている証拠に、耳の奥が圧される感じがする。
 エアロックの内容積は、サロン等の容積の15分の1だ。20回くらい排気すれば、0.3気圧まで下がり、ブリッジ側が真空になっても持ち堪えるだろう。
 エアロックの気圧が室内と同じになった。室内の気圧も、0.91気圧に下がったが、ブリッジの気圧も0.76気圧まで下がっていた。
 佐々は、同じ手順を始めた。これを繰り返していくしかない。
 エアロックの圧力の下がり方の遅さが、苛つかせる。
 12分後、2回目が終わり、気圧は0.86になった。3回、4回と繰り返し、10目が終わった時、船首からドンと鈍い振動が伝わってきた。
 シャトルの姿勢が急激に変わる。
 エアロックは重心に近いので、回転の影響は小さいが、麗子は慌てて壁を突っ張ったし、船首側に引っ張られる加速を感じた。
 気圧を見ると、客室はほとんど真空になっていた。例の壁が、破断したのだ。サロンの気圧は、0.52だった。
 シャトルの姿勢は少しずつ安定してきた。自動姿勢制御装置が働いているのだ。
 見に行きたい気持ちを抑え、エアロックの排気を始めた。
「なぜ、ハッチを確認しないの? 壊れてるかもしれないんでしょ?」
「風を感じないから、ハッチに大きな被害はない」
「そんなの見ないと分からないでしょ。あなたが行かないなら、私が行きます!」
 止める暇も与えず、麗子は補修剤を手にサロンへと向かった。
 多少の空気の漏れは、むしろありがたい。優先すべきは、減圧作業だ。
 佐々は、麗子を無視した。
 1時間余りかかったが、室内は0.35気圧まで下がった。減圧で、気温も氷点下まで下がっている。息が白く曇る。
 佐々は、ハッチの状態を見るため、サロンに入った。麗子は、佐々の顔を見るなり、「寒いわ。何とかならないのかしら」と、両肩を抱いていた。
「節電で暖房を切ってある」
 ハッチに近付く佐々に、彼女は言葉を浴びせた。
「エアロックで遊ぶくらいなら、暖かくする方が先じゃないの」
「部屋を暖かくして、本人が冷たくなりたければな。俺は、優先度が高い方から処理しているだけだ」
 ハッチは、補修剤でベトベトになっていた。気密に関係ないところにも、まんべんなく塗り付けてあった。
「うるさいくらいに、漏れてたわ。ちゃんと塞いでおいたから」
 やり方は下手だが、目的は達したようだ。目に止まった補修剤のスプレー缶を振ってみたが、中身は無さそうだった。
「祈ってくれるか。ぼろぼろの船で漏気の補修が必要にならないことを」
 彼女は、キッと睨み付けてきた。やはり、機嫌を損ねたようだ。
「エアロックに戻る」と言って、その場から逃げた。
 当面の危機は、回避できた。だが、助かる見込みは、未だに0%のままだ。これからは、助かるための第二ステージだ。

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