伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  8

 部屋の外に、人の気配を感じた。時刻から見て、朝食を持ってきたのだろう。
 外の状況を掴んでからでも遅くないと、早まった行動は慎んだ。
 外から鍵を開ける音がし、「食事を御用意しました」と声が掛かった。どういうことだろうといぶかしんでいると、「ドアの前においておきます」と声は続いた。
 村岡は、昨夜から部屋に置きっぱなしになっていた夕食の器を持って、そっとドアを開けた。
 ドアの前の床に、お盆に朝食が載っているが、人影は見えなかった。
 開放されたのかなと思いつつ、廊下の様子を見ると、ドアの左方向、三メートルほど先の廊下が交差する場所に、二人の衛兵が立っていた。なんと、手には小銃を構え、こちらを見据えている。
 廊下の右方向には誰も立っていなかったが、数メートル先のハッチまで隠れられそうな場所は無く、逃げてもハッチを開ける前に蜂の巣にされそうだった。おそらく、思い切り撃てるように、反対側には誰も立たせていないのだろう。
 行動を起こさなかったのは、間違いなく正解だった。
 昨夜の器を床に置き、朝食を持って部屋の中に後ずさった。
 朝食も、夕食同様、美味しかった。量も充分で、こんな狭い部屋に閉じ込められたままなら、確実にメタボリック症候群に罹ると思われた。
「護衛艦? そんなはずはない」
 廊下の床は、昨夜歩いた時の感触の通り、カーペット敷きだった。難燃化の難しさや、建造コスト、武器搭載量への影響を考えれば、護衛艦にカーペット敷きをするはずがない。
 だが、廊下に立っていた二人は、自動小銃を構えていた。こんな銃器は、警察だって持っていない。
 航海中の『わだつみ』には、警備員も乗船していない。自衛隊から、見張りを兼ねて自衛官が数名乗り込んでいるのだろうか。
 素人の村岡が考える脱出案は、自衛官が相手では通用しないだろう。大人しく、出番を待つしかなさそうだ。いずれ、『うりゅう』と合流し、それに乗り込むことになるだろう。
 今は、成り行きを見守るしかない。
 昼食も、朝食と同じ要領で行われた。彼らは、全く油断を見せなかった。
 そして、夕食も、同様だった。
 昨夜と同様に、シャワーを浴びてベッドに入った。

 翌朝、ベッドは、ゆっくりと揺れていた。ゆりかごのような優しい揺れ方ではなく、少々荒々しさを感じる。窓が無いので、海象は分からないが、台風のうねりが残っているようだ。ローリングだけでなく、波を乗り越える際のピッチングも、顕著だった。
 ピッチングは大きいが、その割には上下動は少ない。船体中央より少し船尾寄りに居るのだろう。ローリングも、角度の割に上下動が少ないので、喫水線より上だが、ボートデッキより下じゃないだろうか。それも船体中央に近く、正確には左舷よりだと思われた。
 ドア側が左舷、廊下を出て右に行けば船首、左に行けば船尾だ。
 船の揺れ具合からここまでの情報を得ても、これを利用する方法を思いつかなかった。第一、外の様子が分からない。『わだつみ』だとしても、詳細なデッキプランを記憶しているわけでもない。時間が必要だった。
 ダイバーウォッチを見ると、午前七時を回ったところだった。
 船は動いていたが、それ以外は変化がなかった。朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べた。
 初めて変化が起こったのは、夕食を食べている時だった。
 船が行き足を止めたのだ。
 ディーゼルエンジンの音と振動が弱まったが、このくらいの大型船になると、速度はなかなか落ちない。
 村岡も、食事を中断して神経を集中したが、減速を感じなかった。
 ただ、神経を集中した甲斐があり、船が取り舵を切ったのが分かった。
 台風は、東に遠ざかっているはずだから、波は西寄りになっているはずだ。船は、特に停船中の船は、横波に弱い。船を止める際には、波に立てる。つまり、波と正対するように、船首を向ける。
 船は、概ね北に向かって航行していたことになる。
 『わだつみ』の航海速度は十五ノットだが、海が荒れていたので、もう少し遅いかもしれない。出港は、台風の状況から考えて、明け方頃だろう。目を覚ました時には激しくローリングしていたから、若狭湾を出ていたと考えると、遅くとも午前六時までに出港している。航行時間は、十一時間から十四時間の範囲の中だ。
 北へ二百十海里。約四百キロ。
「なるほど。『うりゅう』を使いたがるわけだ」
 現在地の見当をつけた村岡には、『わだつみ』と『うりゅう』を必要とした理由に思い当たったのだ。
 ここが『うりゅう』との会合点だ。
 出番は近い。
 村岡は、与えられた夕食をしっかり食べた。そして、仮眠に入った。
 『うりゅう』は、別府湾からここまでのほとんどを、燃料消費の激しい全速力で来ているはずだ。燃料の水素も、燃料と呼吸に使う酸素も、使い果たしているだろう。
 ここまで、完全に閉じ込められていたということは、村岡に情報を与えないこと以上に、『わだつみ』の乗組員に村岡が乗船していることを知らせないことの方が大きいのかもしれない。それなら、『うりゅう』への補給作業にも、村岡が借り出されることはない。
 予想通り、ドアをノックしたのは、それから八時間以上も後だった。
 例によって、ドアの鍵が開けられ、自分のザックを持って外に出てくるように声が届いた。そっとドアを開け、廊下に出ると、目隠しを投げて渡された。自分で目隠しをすると、頭から袋を被せられた。
 エレベータに乗せられ、少し上のデッキに上がった後、ハッチをくぐって露天甲板に出た。船体中央に向かって歩かされながら、ムーンプールに『うりゅう』が浮上しているのではと、考え始めた。
 『わだつみ』は、船体中央にドリル用の開口部、ムーンプールがある。
 単独航行が可能な『うりゅう』は、他の潜水居住基地と異なり、支援船のバックアップがほとんど必要としない。それでも、燃料の水素と酸素の補給は必要で、物資の補給や、収集品の受け渡しや解析等で、支援船無しでは都合が悪い部分も多々ある。
 『わだつみ』は、稀にしか必要とされない支援船としてだけでは、運転効率の面で無駄な船になってしまう。
 そこで、地球深部探査船『ちきゅう』の補助的な役割を果たすべく、『わだつみ』には、ライザー掘削を継承して海洋底の掘削能力を付加している。
 掘削用ドリルを通すために、船体中央にムーンプールと呼ばれる開口部がある。
 風の音が強くなってきた。一定の周期で、まるで怪物の寝息のようだ。まだ、海があれている。ムーンプール内の海水面が上下する時に、中の空気も出入りする。それが大きな音を立てるのだ。
 ぐるりと迂回するような経路で甲板を歩かされる。ムーンプールを避けているように思える。ちょうど、反対側と思われる場所で止まるように命じられた。この状況で逆らうのは意味がないので、言われた通りにする。
「右手を伸ばしなさい」
 手を伸ばして探ると、手摺が触れた。
「それを伝って、梯子を下りてください。足が水面に届いたら、目隠しを外して結構です。あなたの船の入り口がありますので、艇内で次の指示を受けてください」
「つまり、ミサイルの引き上げ命令だね」
 悪戯心が芽生え、反射的にそう言った。
 反応は無かった。
「悪かった。素直に梯子を降りることにするよ」
 冗談ぽく応え、手摺を両手で握った。ゆっくりと足元を確認しながら、梯子を下りていく。直ぐに、船腹を打つ波の音が聞こえなくなった。
 周囲を鉄板で囲まれた筒状の空間に踏み込んだことを意味する。
 ここで落下したのでは、なんとも間抜けな話になる。用心に用心を重ね、手元足元に注意を払いながら、ムーンプールの下層へと進む。ムーンプール内の空気が動く風を感じる。だが、海水面の上下動は、思ったほどではなさそうだ。
 同時に、海面は近いらしい。
 それから二段下りたところで、水面に足が入った。と思った次の瞬間には、膝のあたりまで押し上げてきた。
 村岡は、袋を取り、目隠しも捨て去った。目隠ししていたので、暗闇にも問題は無かった。
 思ったとおり、ムーンプールの中だった。その中央には、『うりゅう』のブリッジが頂上を水面に覗かしていた。見上げると、四角に切り取られた夜空に、大きな掘削用やぐらが聳えていた。真下からの眺めでは、五十メートルに及ぶやぐらの高さは感じないが、言い表せない圧迫感がある。
 このやぐらの複雑な骨組みが邪魔になり、星はほとんど見えない。星座が分からないと、船の向きを特定できない。少し見上げていたが、諦めた。
 海面の変動を見ると、一メートルか、精々一メートル半程度の上下動だった。だが、この上下動に揉まれて壁に激突するのは避けたいところだ。
 二段ほど登ってから、ザックを背負ったまま、思い切って飛び込んだ。『うりゅう』に向かって泳ぐ。ブリッジによじ登ろうとすると、妙にふわふわと不安定な感触がする。どうやら、ブリッジ部分を切り離して浮上させているらしい。
 ブリッジによじ登り、二重のハッチを開いて中に入った。
「村岡さん。待っていたよ」
 浅海だった。
「航海日誌だ。気付いたと思うが、ブリッジは切り離して浮上させている。艇体は、二十メートル下だ。燃料は満載で、二酸化炭素キャニスタは、七パーセントの消費率だ。他は、オールグリーンだ」
 気に入らない。何となく、雰囲気がおかしい。
「命令書か何か、受け渡されるものは無いのか?」
「無い。私が下船し、君が指揮を取る。それだけだ」
 納得がいかない。ただ、浅海の立場を考えると、これ以上は言えなかった。彼は、『うりゅう』をここまで運ぶためだけに利用されたのだ。当然、本人も承知しているだろう。それを知った上で、これ以上の事を言う事はできない。
 浅海が伸ばした手をぐっと握り返す。
 浅海は、一瞬、済まなそうな表情を浮かべた。見せた事が無い表情が気になったが、声を掛ける暇もなく、彼はハッチを出て行った。ハッチから顔を出して彼の姿を追ったが、もうムーンプールに飛び込んでいた。
 諦めて、ブリッジ内に戻り、ハッチの閉鎖を始めた。
 二重ハッチを閉じたところで、ほっと息をついた。自分の家に帰ってきた気分だった。
 海水面の上下動は小さくないが、浅海なら梯子に取り付いた頃だろう。ブリッジのモニタで、水深を確認した。村岡は、制服の通信機が『うりゅう』のネットワークに繋がっていることを確認した。
「村岡だ。深度五十メートルまで潜航開始。ブリッジが没水後、ブリッジ巻取り開始」
「アイアイサー」
 鮎田の声が返ってきた。若い彼の声を聞いて、ほっとする。
 十分後には、ブリッジは『うりゅう』本体との連結が終わっていた。
 ブリッジ下部のハッチから連絡通路に降り立った村岡は、右舷の指揮所に歩を進めた。そこには、鮎田がいるはずで、他のメンバーも居るかもしれなかった。みんなの顔を見たかった。
 ところが・・・
 船内に、大声が響いた。

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  7

 北陸新幹線は、減速運転になっていたが、富山まで走ってくれた。だが、運は、ここで尽きた。
 カミオカンデには、高山線の猪谷駅でバスに乗り換えるか、富山駅からバスで行くかだが、どちらも台風による大雨で運転見合わせになっていた。
 富山駅前でビジネスホテルを探したが、新木と同じように足止めをくらったサラリーマンで溢れているらしく、空室は中々見つからず、富山から離れて探しすことになった。最終的には、北陸本線を滑川まで戻る羽目になった。
 今朝は、陽光で目が覚めた。
 台風一過の快晴で、真夏の光が遮光カーテンの隙間から差し込んでいた。
 これなら、電車かバスか、どちらかが動いているだろうと、レストランで朝食を済ませると、富山に向かった。
 高山線は、昨日に続き、不通が続いていたが、バスは動いているという。早速、神岡行きのバスを探し、それに乗った。
 新木は、このバスに乗ったことはない。初めてのバスは、景色が変わるので、観光気分になって楽しいものだ。
 バスは、鉄道の駅と違い、場所が分かりにくい。乗り場の分類も分かりにくいし、行き先も聞き覚えが無いものが多く、路線図も模式化されているので、実際の地理とは噛み合わず理解が難しい。元々、地元民が使うことが多いので、これで充分なのだろうが、新木のような余所者には、路線バスは使いにくい。
 だから、路線が分かりやすい高山線を利用していたのだが、携帯を使うと、意外に簡単に全国の路線バスの乗り場やダイヤが調べられることが分かり、乗換えが必要なくなるので、今後はバスにしようかとも思うのだった。
 二〇〇六年末に神岡鉄道が廃止された。鉄道は、廃線後も痕跡が残るものだが、茂住駅跡が分かる程度で、飛騨の地下鉄と呼ばれるほどトンネルが多かったために、他に痕跡を見つけることが難しい。
 茂住でバスを降りると、直ぐに研究施設がある。実際のスーパーカミオカンデは、池ノ山の山中にある。文字通りの山中で、昔の神岡鉱山の坑道を利用している。他に、カムランドや重力波望遠鏡のKAGRA等の施設もある。
 過去には、およそ三百キロ離れた筑波の高エネルギー加速器から打ち出した人工ニュートリノを、スーパーカミオカンデで捉える実験が行われ、ニュートリノに質量があることが実験によっても実証されている。
 この時代に、大学院生として参加した新木は、その後も、これを発展させる形で研究を続けている。そのため、筑波とここを何度も往復している。
 神岡鉄道は知らないが、廃止されてからは最寄り駅の猪谷からバスしか交通機関が無くなり、「不便になった」と先輩研究者から聞かされる。
 ひとまず、宿泊施設に入り、荷物を整理した後、研究棟に向かった。本当なら、昨日の内に着いて、今朝からデータ整理を行う予定だったが、随分と出遅れてしまった。
 それに、浅村の話を聞いて以来、以前から気になっていたことが、頭の中で大きくクローズアップされてしまい、それを解決しないことには、先に進めそうになくなっていたのだ。
 1987Aと呼ばれる超新星爆発によるニュートリノを発見したこと、更に小柴氏のノーベル賞受賞で一躍脚光を浴びたカミオカンデは、現在はカムランドと呼ばれる施設に改修されている。
 カミオカンデに変わる設備として、スーパーカミオカンデが建設され、運用されてきたが、二〇〇二年に大事故が発生し、二年間の運用停止期間も経験している。
 現在では、数年前までの改修工事を経て、今後十年間の運用延長が決定している。
 神岡鉱山の跡地を利用して建設された施設は、ニュートリノ検出器であるスーパーカミオカンデやカムランドの他に、重力波検出器もある。
 新木は、大学院から高エネルギー粒子を研究してきた。その関係で、ここにも何度も出入りしている。現在では、自分の専門がニュートリノなのか、高エネルギー粒子なのか、分からないくらいになっている。
 新木は、自分に与えられた部屋に入ると、持ち込んだパソコンを研究棟内のLANに接続した。不在にしていた期間のデータを、パソコンに取り込んだ。
 彼が、この事実に気付いたのは、全くの偶然だった。
 スーパーカミオカンデは、宇宙からのニュートリノを検出するために運用されている。また、多少の解像度があるので、どの方向から飛んできた粒子か、大体のことは分かる。
 解像度があるがゆえ、ニュートリノの入射方向は、赤緯赤経か、銀緯銀経に自動変換される。
 つまり、宇宙空間のどこから飛んできたニュートリノなのか、銀河系のどこから飛んできたニュートリノなのか、研究者に情報を提供する仕組みなのだ。
 だが、新木は違っていた。
 彼は、筑波の高エネルギー加速器からの粒子を捉える必要があったので、スーパーカミオカンデの絶対的な方向が重要だった。
 彼は、スーパーカミオカンデに飛び込んでくる粒子の方向を、地球上のどこから飛んでくるのか、地表面の座標に変換するソフトを組み込み、集計を始めた。
 この目的には、筑波の加速器だけでなく、核実験や原子炉からのニュートリノの検出も兼ねていた。
 これを長年に渡って蓄積してきた結果、驚くべき事実が浮かび上がってきたのだ。
 ニュートリノの受信頻度が、時間変化しているのだ。
 発見は、遊びの中から生まれた。
 新木は、高エネルギー粒子を用いた通信を考えていた。高度に発達した文明は、自身が住む惑星上で、遠距離の交信をどのように成立させるだろうかと考えた時、有線を除くと、電波を用いるのが最も簡単だ。
 だが、電波は、地球のように電離層があれば短波帯で遠距離通信が可能だが、電離層が無ければ、衛星中継をする必要がある。
 もし、高エネルギー粒子を通信手段に使えば、直接、月の裏側とも交信できるので、非常に便利だ。通信装置が小型化されれば、電波を用いる通信手段より遥かに利用価値がある。
 ちょっとした遊び心で、ニュートリノの時間変化を調べたのだ。高エネルギーの粒子として、新木が考えたのがニュートリノだった。
 地球近傍を知る上で都合が良い銀緯銀経で束ねてみた。
 ニュートリノの検出は、スーパーカミオカンデをもってしても、そう簡単ではない。時間で蓄積していく必要がある。だから、時間変化も、繰り返しが無ければ、蓄積が利かないので、全く見えてこない。
 新木の遊び心は、所詮、遊びでしかなかった。多少は、ニュートリノを通信手段に使う知的生命が存在する可能性を考えていたが、当然と言うか、何も特徴的な受信パターンは現れなかった。
 ニュートリノを通信手段に使う知的生命の発見が難しいことを実感したことで、完全に遊びになった。人類がニュートリノ通信を試みているとの仮定に変わったのだ。こんなことは考えられないが、CERNで実験したら検出できるし、蓄積するなら面白いだろうと考えたのだ。
 それぞれの方向毎に、繰り返し時間を変えながら、特徴のあるパターンを探していくのだ。忍耐の要る作業だ。
 元々、遊びで始めたのだから、彼はパソコン上にプログラムを組み、スクリーンセーバーの代わりに動作させるようにした。
 浅村が訪ねてくる一週間ほど前、パソコンが何かを見つけた。
 しかし、新木が解析を始めて間もなく、それは中断した。

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