伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
カテゴリーから「海と空が描く三角」をクリックすると目次が表示されます。

  1

 ウィングで受ける風は心地良い。
 双眼鏡を手にしているが、ウィングに出る口実のために持っているようなものだ。彼にとってのこの場所は、一人になれる艦長室よりも居心地が良い。
 「数日後には台風が接近する可能性がある」と気象庁から予報が出ている事が信じられないくらい、日本海は穏やかだった。陸は、夏休み最初の週末で、猫も杓子も行楽地へと押し寄せているはずだが、日本海は細波しかなかった。遠くに鳥山が立ち、それを目指して漁船が集まりつつあるのが唯一の賑わいと言えた。
 その漁船群とも十分な距離があり、かつ右舷後方に遠ざかりつつある。それ以外に船影は無く、気分の良い航海だ。だからこそ、乗組員の緊張感が緩まないようにしなければならない。
 もう一度、双眼鏡で周辺を確認する。
 左舷十時の方向から前方へ、更に右舷へと、ゆっくりと双眼鏡を向けていく。右舷二時の方向まで見渡し、双眼鏡を下ろした。
 やはり何も無い。
 水兵の肩をポンと叩き、艦橋に入った。双眼鏡をキャプテンシートの横に固定すると、そこには座らず、階下のCICに下りていった。
 彼が指揮するイージス護衛艦は、十二ノットで舞鶴港に向けて航海を続けた。
 艦橋の左右のウィングにそれぞれ一人の水兵の姿が見えるだけで、二百名を超える自衛官が乗り組んでいるとは思えない。のんびりとしているように見えても、イージス艦の中は、戦時体制と言ってもよかった。
 平時の第三配備から一段上がった第二配備に切り替わっていたのだ。通常の三交代勤務と違い、二交代制となっているせいで艦内はごった返している。
 海上自衛隊の護衛艦もイージス艦への転換が進んできたが、この『さかなみ』は最新鋭である。舞鶴に配備されたのは、今年の初めである。
 『さかなみ』は、建造計画が決まった時点から舞鶴への配備が決定していた。その最大の理由が、単独の弾道ミサイル迎撃能力である。
 これまでのミサイル迎撃システムは、イージス艦の高度なデータリンク能力を生かし、早い段階での迎撃を可能にした。だが、現実には、迎撃ミサイルの性能にも、レーダー追跡と軌道計算能力にも、問題があった。そのどちらもアメリカ側で開発しており、日本は共同開発と言いつつ、システムの中身を見る事はおろか、口出しさえもできなかった。
 これに業を煮やした防衛庁と国内メーカーは、独自の迎撃システムの開発に着手した。ただ、アメリカの手前、大げさな開発はできず、表向きは、対艦ミサイルの迎撃システムという事になっていた。システムの骨子は、遠距離発射の対艦ミサイルを発射時点の軌道から接近経路を予測し、艦の遥か手前で迎撃ミサイルを用いて迎撃する事を目的としていた。
 長距離の対艦ミサイルは、航空機から発射された直後に海面付近までダイブして、艦載レーダーの探知から逃れる。その後、発射時に航空機から得た情報で敵艦の位置を予測し、高速で接近する。敵艦に接近すると、少し上昇して搭載のレーダーで敵艦を索敵する。上昇する事で敵艦のレーダーに見つかってしまうが、充分に接近しているので、迎撃は間に合わない。最後には敵艦の喫水線付近に突っ込んでいく。
 現在では、超水平線レーダーが開発されたが、艦船は発見できても、小さなミサイルは、長波長のレーダー波から漏れてしまい、発見が難しい。だから、長距離の対艦ミサイルは、今でも効率的な対艦攻撃手段なのである。
 防衛庁が開発を進めてきた迎撃システムは、敵の航空機が対艦ミサイルを発射した直後に、迎撃ミサイルを発射する。このミサイルは、自らのレーダーで敵ミサイルを索敵し、その情報をイージス艦に送る。イージス艦では、このミサイルが送ってくる情報を基に、時には複数の標的を追尾し、同時にミサイルを誘導する。ミサイルは、標的を指示されると、高空からほぼ垂直に降下して敵の別のミサイルをピンポイントで撃墜する。
 この技術は、高速で移動するミサイルに直交する軌道から攻撃をするため、精度の高い軌道予測が必要になる。この技術は、弾道ミサイルの迎撃技術にも転用できる。
 防衛庁は、国内メーカー数社と共同開発を行った。索敵能力が高く、かつ高速で迎撃コースを指示する能力を持つレーダーシステム。高い姿勢制御能力と、高度なレーダーホーミング能力を持つミサイル。両者を結ぶ高速で耐ジャミング能力に優れたデータリンク装置。
 最終的には、政情不安が続く朝鮮半島を鑑み、ミサイルの迎撃可能高度を大幅に増大させる事で、第二の弾道ミサイル迎撃システムとしての開発を急いだのである。
 表向きには、対艦ミサイル迎撃システムだが、実際にはほぼ全ての種類のミサイルの迎撃能力を備えていた。
 しかし、同時期に、K国はICBMをロフテッド軌道で打ち上げる実験を始めた。このため、誘導システムを流用し、ロケットモータを大幅に強化してロフテッド軌道に対応できるミサイルシステムを追加開発した。
 ロケットモータが大型化したため、従来のイージス艦に搭載する事は難しく、イージス艦自体も再設計されることになった。『さかなみ』は、このシステムを初めて装備した護衛艦になった。
 艦橋以上の緊張感が支配するCIC室(戦闘指揮所)は、艦橋の斜め下、艦長室の真下にあった。レーダー監視、攻撃管制、防空指揮所等が同室にまとめられ、ソナー室と通信室が隣接していた。ただ、機器の保護と、戦闘時の損傷を防ぐために、窓は全く無く、分厚い防弾壁に囲まれていた。
「どこかの国が、本艦の性能をチェックするために、何か軍事行動を起こさないといいのだが・・・」
 艦長が、ぼそっと防空司令官に漏らした。
 司令室にいた他の兵達に聞かれないように、防空司令官を引き寄せて小さな声でささやいた。司令官も、頭を寄せてきた。
「F35がスクランブル配備になった時も、ロシアも中国も意図的な領空侵犯をやりましたね」
「そうなんだよ。空自からの報告だと、電子警戒機が少し離れた場所に滞空し、後続の編隊が領空を掠めて飛んだらしい。当然、スクランブルが掛かって、F35が全力で現地に向かう事になるから、およその性能が見えてくるのさ」
 副官は、眉間に皺を寄せた。
「そうすると、本艦にもちょっかいを出してくる可能性がありますな。そのための第二配備ですか?」
 艦長は、小さく頷いた。
「問題は、対艦ミサイルの迎撃性能を見ようとするのか、弾道ミサイルの迎撃性能を見ようとするのか」
 渋面を崩さず、副官の顔を見た。
「対艦ミサイルだと見せてやらないでもないが、弾道ミサイルとなると・・・」
「でも、我々が迎撃体制に入るような餌をまかないと」
「違うな。我々が手を出すまで、やる事を段々えげつなくしてくるさ。迎撃せざるを得ない状況を探ってくるさ」
「そうでしょうか。私が、あちらさんの立場なら、いきなり危機的状況を演出して、こちらの指揮命令系統がどの程度機能するかを見ますがね」
「おいおい、そんな事は冗談でもやめてほしいな。特に、ミサイル迎撃は政治家が絡んでしまうから、実際にあった場合には、責任問題とも絡んで対応は不可能だろうな」
「つまり、艦長が乗艦している間には、そんな事は起こってほしくないと」
「当然だね。もちろん、国民のためには、私が乗艦していない時でも決して起きてほしくは無いがね」
「同感です」
 CIC室を副官に任せ、艦長は艦橋に上った。
 『さかなみ』は、十二ノットで日本海中央部から母港の舞鶴港を目指して航海を続けていた。辺りは、夕闇に包まれようとしていた。遠く、西の空の雲の切れ間には夕焼けが残っていたが、雲の流れは速く、台風の接近を予感させた。梅雨明けが遅れているせいか、『さかなみ』の周囲は雲が厚かった。
 台風は、小笠原諸島の西方海上で迷走していて、梅雨前線を刺激して各地で局地的な雷雨が伝えられていた。幸い、『さかなみ』までは距離があるので、風と波は影響を受けていなかった。作戦司令室で見たレーダーには漁船のエコーが数多く映っていたが、まだ漁には支障が無いのだろう。
「私は、艦長室に戻る。舞鶴湾に近付いたら、呼びに来てくれ」
 副官に言い残すと、右舷側のすぐ後ろにある艦長室に戻った。
 艦長は、艦長室で唯一の小窓を覗いた。
 夕闇の中で、漁船は集魚灯を煌々と照らしていた。
「あれでは底にいても目が眩みそうだ」
 窓を離れ、帽子をフックに掛けた。デスクにつくと、航海日誌を取り出した。幸いなことに、今日も何も書くことがなさそうだ。
 そう思った時に、インターフォンが鳴り始めた。
 CIC室からだった。
「どうした?」
 ロシアあたりの国籍不明機だろうと、高をくくっていた。ところが・・・
「弾道ミサイルを補足しました」
「弾道ミサイル? 何だ、それ?」
 予想もしない内容に、面食らっていた。
「だから、弾道ミサイルです!」
 防空訓練の話は聞いていない。
 これは実戦か?
 一気に緊張が高まった。
「発射地点は特定できてるのか?」
「K国の東海岸です」
「ロケットじゃないのか?」
「事前通告はありません。方向も東ではなく、南東を向いています」
 通常のロケットは、地球の自転を利用するために、自転方向である東に向かって打ち上げられる。軍事衛星や測地衛星は、極軌道と呼ばれる南北方向に打ち上げる場合もある。しかし、ロケットを南東方向に打ち上げることは無い。
 艦長は、ミサイルだと確信した。
「すぐに行く。着弾予想地点と時刻を割り出せ。迎撃プログラムをスタートする。プログラム通りに行動するんだ。大丈夫だ。訓練の通りにやればいい」
 インターフォンを切り替え、艦橋を呼び出して停船を命じた。
 掛けたばかりの帽子を再び手に取ると、艦長室から駆け出した。
 つい先程まで居た時とは、CIC室の雰囲気はまるで変わっていた。
「着弾予想地点はまだですが、進路は東京の上を通過します。それも、ど真ん中です」
「ミサイルの準備は?」
「三発が準備できています。いつでもOKです」
「防衛省とは連絡はついているのか?」
「回線は繋がっていますが、応答はありません」
 緊急対処要綱では、首相の承認を得られない場合に、防衛大臣の判断が許されている。ただ、最終判断は、現場の指揮官、つまり艦長に委ねられる。
 仮に、ミサイルだとしても、東京を通過するだけのミサイルであってほしい。通過するだけなら、房総沖に落ちるミサイルなら、迎撃をしなくてもすむ。
 でも、目標が本土となれば、大臣の命令が無くとも迎撃を命じなければならなくなる。迎撃に成功しようが、失敗しようが、艦を降りることになるかもしれない。そんな事態には遭遇したくない。
 マイクを取るなり、「全艦放送に切り替えろ」と命じた。隣に居た水兵が、切り替え操作を行った。それを目で確認し、艦長は話し始めた。
「艦長の久我山である。これより弾道ミサイルの迎撃体制に入る。これは訓練ではない。繰り返す。これより弾道ミサイルの迎撃態勢に入る。これは訓練ではない。諸君らの実力を見せてほしい。以上」
 マイクを置くと同時に、「第一配備に切り替えろ」と命じた。
「今、着弾予想地点が分かりました。東京です。北緯三十五度四十分、東経百三十九度四十分を中心にして、北西から南東へ長い楕円の長径が百キロメートル、短径が二十キロメートルの範囲内に着弾します。予想時刻は、今から八分です」
 艦長の淡い期待は、打ち砕かれた。本土に着弾する。弾頭が付いていなくても、死傷者が出ることは必至だ。
「中心はどこだ?」
「杉並付近ですが、標的が東京の都心であることは、疑う余地がありません」
「私見は慎め!」
「アイ・サー・・・」
 だが、彼の緊張と危機感は分かった。七十五年ぶりに東京が空襲を受けようとしているのだ。黙ってはいられなかったのだろう。ミサイルの着弾予想範囲には、皇居も霞ヶ関も新宿も渋谷も入っているのだから。
「迎撃に残されている時間は?」
「一分十八秒、十六、十五」
 何とかして、大臣の命令が欲しかった。
「大臣とは、連絡はつかないのか?」
「まだです」
 K国軍に試されているような気がした。それならば……
「迎撃を行う。警報を鳴らせ。甲板とウィングの兵に艦内への退避命令を出せ。艦橋にミサイル発射時の防護装備をさせろ」
 けたたましいサイレンが艦内に鳴り響いた。
 艦橋も、ミサイル発射時の音と光に対応すべく、バイザー付きのヘルメットを大慌てで取り出していることだろう。
「迎撃可能時間が、一分を切りました」
「連絡はまだか?」
「まだです!」
 オカのエライサン達は、現場を知らない。
 迎撃の命令は、勇気がいる。自分の進退を賭けて判断することになる。己の保身と野心だけで行動を決める政治家達が、この重大な決断を行うことの危うさは、どう表現すれば良いのだろう。
 K国が、弾道ミサイルに搭載可能な核弾頭の開発に成功したとの話は聞いていない。
 しかし、これが核弾頭を装備していたら、たった一発で政府の指揮命令系統を粉砕し、その後の戦闘は、相手の計画通りに進行することになるだろう。相手が本気なら、この数分で勝負が決まるのだ。保身も野心も関係なく、物事は進む事だってあるのだ。それも、国民を犠牲にしつつ。
 なんだか、無性に腹が立ってきた。
 単独で決断するしかない。自分は、何のために自衛隊に入隊したのか。今こそ、思い出すべき時だ。
「直ちに第一弾を発射しろ」
「データリンク切り離し。発射します」
 ドンと衝撃を感じ、CIC室にまで、ロケットモータの爆音が響いてきた。
「残り何秒だ?」
「四十五秒を切りました」
「第一弾の三十秒遅れで、第二弾を発射しろ」
「第三弾は?」
「残り時間が無い。迎撃コースに乗せられない。この二発のどちらかが命中することを信じよう」
 二発目のミサイルが発射されたのが、軽いショックと爆音で分かった。
 過去の迎撃実験では、1回だけ発射し、成功している。
 今回は、ロフッテッド軌道ではないので、従来のSM3システムでも対応できる。SM3の命中精度は八割程度だから、二弾でも九十六パーセントの確率で撃墜できる。残る四パーセントが気になるが、もう打つ手がない。
「第一弾の命中予想時間まで、一分を切りました。第二弾は一分九秒」
 第二段は、発射が遅い分だけ、より接近した位置で命中する。ほとんど真上だ。だから、発射間隔より命中予想時間は差が少ない。万が一、弾道ミサイルが核弾頭だったなら、二発目では打ち落としたくない。ミサイルの破片は、日本の沿岸に落ちてくるだろう。核ミサイルだったなら、その中には、核物質も含まれることになる。
「第一弾の命中まで十秒、八、七、六、五・・・」
 命中しようが、すまいが、これから忙しくなる。
 久我山は覚悟を決めた。

       < 次章へ >              < 目次へ >

別府湾で潜水調査中の移動式潜水基地『うりゅう』に政府の極秘命令が下る。
『うりゅう』が海底で見つけたもの・・・
同じ頃、新木は氷床コアの最下層であるものを発見した。
浅村も、地の底で不思議なものを捉えていた。
      

↑このページのトップヘ