伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  23

「どうして、ここなのですか!」
 井本は、ヒステリックに叫んだ。
「直ぐに、引渡し地点を変更しなさい。これは命令だ!」と松井。
 防衛省経由で『わだつみ』に打電する数分前、『うりゅう』では、井本と松井が顔を赤くしていた。
 二人が、怒るのも無理はない。
 村岡が『わだつみ』との合流点に選んだのは、例の海底遺跡の真上だった。
「理由は簡単さ。ここが一番水深が浅いからだ」
「それだけの理由ですか!」
「それで充分だ。日本海で、ここが一番浅い。『わだつみ』がミサイルを引き上げる際に、水深は成否を決める重要なファクターだ。今回のミッションを成功させたければ、誰でもここを選ぶさ」
 江坂は、到着前にD1を発進させていた。名目は、ミサイルを置く場所を探すことだが、実際には、海底遺構の詳細な地図を作るためだった。
 そうせいで、江坂が戻るまで、村岡は針のムシロに座っている気分だった。
 ここ二日間は、江坂はほとんど寝ていない。前回の調査で、海底遺構の概略の地図は出来ている。今回は、精度の高い水深測定を行い、遺跡を取り囲む堤防の高さと構造を調べることにある。ただ、通常の音波測深は使えないから、3Dカメラによる撮影だ。同時に、多くの画像データが手に入る。その中に、江坂が知りたいことが写っているはずだ。
 遺跡を取り囲むものが、本当に堤防なら、日本海の真ん中で、海面より低い土地に住んでいたことになる。どんなに優れた堤防を築こうと、堤防内に浸入した海水や雨水は、どこにも逃げることなく溜まっていく。
 このような土地に住むためには、必ず排水装置が必要になる。
 オランダの風車は、干拓地から水を汲み上げて、堤防外に排水するポンプの動力として使われている。海面より低い土地に住むオランダ人の知恵なのだ。
 ここでも、同じようなことが行われていたはずなのだ。
 江坂は、それを見付けたいのだ。
 もし、見つけることが出来れば、人類史は大きく書き換えられる。もちろん、江坂の名まえと一緒に、科学史の一頁を飾るだろう。
 遺跡の真上で、村岡が操る『うりゅう』は、江坂を二時間も待った。
 同行の鮎田がD1をドッキングさせると、江坂は右舷の指令所にやってきた。
「堤防の上に、比較的平坦な場所があります。そこが、最も作業しやすいと思います。座標は、ここです」
「そんなことより、ここから移動しなさい」
 松井は、場所に拘っていた。
「移動先を決めて、移動目的を説明してもらえるのかな。ここが嫌だという理由だけで、どこでもいいから他の場所に移動しろとは、賢い松井さんは言わないよね」
 江坂は、挑発的でさえある。
「時間が無い。江坂さんは、『うりゅう』を目的の場所に誘導してください。左舷を使ってください」
 村岡は、江坂に退席願い、松井の言い分を聞いてやることにした。
「松井さん、なぜここでは駄目なんですか?」
 彼の言いたいことは分かっているが、彼の口から言わせてあげないと、治まらないだろうと、村岡は思っていた。
「こんな場所じゃあ、大事なミサイルの引き上げを疎かにして、遺跡調査に明け暮れるだろう。遺跡調査に心を奪われない場所で、引き揚げ作業に専念するのがいいとは思わないのだろうね」
 村岡は、反論を用意していたわけじゃないが、感情論には対抗できると考えていた。
「成功の鍵を握るのは、全員の意思と方向性の一致です。そして、何より士気の高さです。士気を高く保つのは、全員が納得できる計画にあります。そして、士気を乱すのは、感情論です。松井さん、感情論を、あなたはどう定義しますか」
 松井は、黙っていた。自分の意見を感情論だと言おうとしている村岡の意図には気付いているようだった。
「感情論を振りかざす人物がいると、作戦は失敗するものです。そうは思いませんか」
 松井は、表情を変えなかった。
 正直なところ、怒って立ち去ってくれればよかったのだが、今回は井本バリのポーカーフェイスだ。村岡としては、それでも構わなかった。どっちにしろ、彼の目の前でバースト通信を行うことになるのだから。
 村岡は、人選に苦慮した。正規乗組員ではない江坂には、この作業をさせられない。魚塚は、地中の構造を精査させたいし、その前に引き上げ準備をさせる必要がある。小和田は、遺跡の撮影で忙しくなるだろう。瓜生は、ミサイルを乗せたネットの取り外し作業がある。鮎田は、事実上の謹慎中だが、瓜生のバックアップをさせようと考えている。
「浦橋さん」
 左舷にいる浦橋を呼び出した。
「『わだつみ』への打電を行います。間もなく、情報収集衛星が通信エリア内に入ってくるはずです。半径十五海里以内の船舶を確認してください」
「十五海里以内に漁船が十二隻いますが、十海里以内には二隻だけです」
「ブイを海面下三十メートルまで上げてください」
「了解」
 モニターで、浦橋の作業状況を確認する。
「引き上げ場所を打電します。いいですね」
 松井は、渋々頷いた。
「バースト通信で、漏洩を防げ!」
 村岡は、親指を立てた。
 松井が大人しい間に、既成事実化しておかなければならない。
「鮎田」
 鮎田は、立ち上がり、村岡を見た。
「瓜生のところに行って、バックアップをしろ。ネットの取り外し作業だ。手順は、魚塚が考えているはずだ。二人で説明を聞いて来い」
 鮎田は、立ち上がったままだった。
「鮎田よ。瓜生の命をお前に預けるという意味だ。分かったな」
「はい」
 鮎田の目に、力が戻ってきた。覚悟を決めた目だ。
「すぐに行け」
 鮎田は、右舷制御室を飛び出していった。
「小和田さん。魚塚をバックアップしてくれ。引き上げ準備を完了させておく」
「わかったよ。D1は、いつ使わせてもらえるんだ?」
「今は、許可できない」
「しょうがねえな。魚塚と仲良しになってくるよ」
「スキッパー、ブイが所定の水深になりました」
 浦橋がインカムで割り込んできた。
「周辺の船はどうですか?」
「十五海里以内に漁船も、九隻に減っています。すべて遠ざかりつつあります。十海里以内はありません」
「電文をセットしてあります。最低条件は、十海里以内に船舶がいないことのみとします。後は、浦橋さんの判断で送信してください」
「了解しました。ブイを海面に出します」
 再び、ブイが浮上を始めた。海面すれすれまで浮上した後、波の影響で一瞬だけ海面に飛び出した時に、浦橋は送信ボタンを押した。
「送信完了。ブイを収納します」
 ブイは、どんどん巻き取られていく。
 バースト通信なので、送信は、一瞬で完了する。自衛隊の潜水艦部隊用の通信装置だ。潜水艦の隠密性を維持するために、送信時間が極端に短い。今回は、最小限の電文長にまとめたので、バースト通信の効果は最大限に生かされただろう。
 送信先も、情報収集衛星という名の軍事衛星に向けて送信される。送信経路内にバースト通信の受信機を備えた航空機が無い限り、受信することは出来ない。そんな偶然は、まず有り得ない。
 情報収集衛星の軌道が分かっていて、電子偵察機を飛ばしていたとしても、発信地点が分かっていない限り、傍受は不可能だ。
 但し、問題もある。
 偶然にも電子偵察機がいたとしても、それに気付くことができない。
 ブイには、レーダーが備え付けられているが、これを使うことが出来ない。レーダーは、電波を発射し、その反射波で存在を知る装置だ。しかし、レーダーを使用すれば、電子偵察機にレーダー波を受信され、発信地点を割り出されてしまう。
 隠密行動では、アクティブソナー同様、レーダーは使用できない。
 バースト通信自体も、同様の要因で、通信の成否を確認できない。
 こちらからの送信は、発信地点が分からない限り、傍受される可能性は無いが、情報収集衛星は、軌道が分かっている。そのため、情報収集衛星から電波を発すれば、どの地域に潜水艦が居るのか、大まかな位置の推定が出来るし、通信内容も推察できる可能性がある。
 だから、潜水艦からの発信は出来ても、潜水艦との間で通信回線をリンクさせて使用することは稀である。
 今回も、一方向通信で、情報収集衛星が受信できたかどうかは不明だ。
 G1で作業を始めていた瓜生から、F1経由で通信が入った。
「スキッパー。瓜生」
 瓜生は、最小限のことしか言わない。
「どうした?」
「ネット取り外し完了。引き揚げ用フックを取り付ける」
「了解。『うりゅう』を浮上させる。誘導をしてくれ。浦橋さん、瓜生の誘導で『うりゅう』を浮上させてください。ギアが海底から二メートル浮上したところでホバーリングです」
「了解。瓜生君、準備完了だ。誘導を頼む」
「潮流に注意」
 こんな場所で、潮流があるのは意外だ。
「浦橋さん。潮流確認後に浮上です」
「了解」
 浦橋がキーボードを叩く音が聞こえる。村岡も、艇外の状況確認を始めた。
 三次元操船を行う関係で、『うりゅう』には、船首に二基と船尾に一基の三基の三軸速度計が付いている。これに慣性航法装置の情報を加え、『うりゅう』の姿勢変化を捉えることができる。
 現在は、着底しているので、速度計はそのまま流速計に変わる。その数値に、村岡は見入っていた。
「浦橋さん、瓜生の報告通り、意外に流れがありますね」
「無視できない速さです。ホバリングを長く続けるのは、得策ではないが、流れを利用して移動することも出来ます」
「任せます。瓜生との連携には、細心の注意をお願いします」
「了解」
 浦橋は、瓜生と通話しながら、『うりゅう』をゆっくりと浮上させた。浮上すると同時に、『うりゅう』が流されるのを感じた。
 『うりゅう』がミサイルの上から退いた所で、浦橋は着底させた。
 瓜生が、次の作業に移る許可を取ってきた。
「ミサイルを固定する」
「了解。充分気をつけてくれ」
「了解」
 ここでも、二百メートル以上の水深がある。引き揚げる途中でミサイルがネットから落ちてしまう危険性がある。
 ネットにミサイルを完全に固定するのは、危険を伴う作業だ。幸いにも、弾頭が無いので、起爆装置の取り外しという危険な作業は行わなくて済むが、燃料の一部が残っていれば、海水で温められて爆発的に膨張する危険は残る。
 慎重な作業が要求される。
 現在の『うりゅう』の位置からは、直接、瓜生の作業を見ることはできないが、G1の搭載カメラの映像は、光ファイバーを通して『うりゅう』に送られてきている。その映像を見ながら、瓜生の作業内容を監視する。
 魚塚も、F1で支援を始めている。
 F1からも、映像が届いている。両方の画像を見ながら、事故が起こらないように注意を払う。
 水流があるのは、作業を行う上で、プラスに働いている。
 どんな静かに作業を行っても、海底の沈殿物が舞い上がり、視界を奪ってしまう。しかし、ここは水流があるので、舞い上がった沈殿物は、流れに乗って作業場所から離れていく。
 お陰で、手元は常にクリーンな状態で見ることが出来る。
 瓜生の作業は、実にスムーズだ。手順は、簡単に打ち合わせてあった。その際にも、瓜生の意見は参考になった。
 今の手順は、瓜生が提案した通りだ。村岡は、異常時のバックアップ方法に意見を入れた程度だ。
「ミサイルの固定を完了した。フックの取り付けに入る」
「了解」
 事故が起きるのは、こんなタイミングだ。フックの取り付け自体は、簡単な作業だ。だからこそ油断をしてしまい、考えられないミスをしてしまうものだ。
 しかし、瓜生は心得たものだ。作業スピードを落とし、確認の回数を増やして確実に作業を終わらせていった。
 村岡は、G1から届くバイタルデータにも、注意を払った。瓜生の心拍数、呼吸数、酸素濃度、二酸化炭素濃度の全てが、正常値の範囲内に入っていた。
「完了した。これより、帰還する。通信終わり」
 F1に接続していた光ケーブルを、瓜生は外した。ここから先は、彼の単独行動になる。
「鮎田。瓜生が帰還する。頼むぞ」
「了解しました」
「帰還したら、報告の上、整備に入れ」
「了解」
 G1は、酷使している。整備は重要だ。
 江坂が居れば、飛んでいって整備を手伝うだろう。彼は、遺跡調査に出たくて焦っている。そんな人間に整備をさせれば、ミスをしかねない。瓜生や小和田は、経験から来る用心深さを備えているが、江坂には無い。
 今の鮎田なら、汚名挽回のために必死に整備をするだろう。命令にも忠実に行動するはずだ。
「G1帰還しました。固定に成功。漏水確認、完了。ハッチ内排水、完了。ハッチ開きます」
 G1用のハッチ状況を、モニターした。
「ハッチ開いて良し」
「了解」
 G1用ハッチが開いたことは、右舷の制御室でも確認できた。
 これで、一安心だ。
 各装備の状態を確認する。
 この時、F1の異常に気付いた。

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  22

 予想していない回答だった。
 予想外と言うより、奇想天外な話だ。
 UFO研究家なら「当然だ!」というかもしれないが、まじめな宇宙人探しをしている人たちからすれば、有り得ない位の驚天動地だ。
 宇宙は広い。とてつもなく広い。広さは桁はずれだ。
 歩く速度は、時速四キロ。不眠不休で地球一周を試みれば、四百日かかる。自動車は、一般道で時速六十キロだ。歩く早さの十五倍だ。地球一周は、一ヶ月足らずでできる。飛行機は時速千キロだ。車の十五倍以上。地球一周に二日かからなくなる。
 ISSは、飛行機の二十倍以上早い。地球一周は、一時間半余りだ。地球周回軌道脱出時のアポロ宇宙船は、更に一.五倍早い。仮に、その速度で地球を周回すれば、一時間余りで一周してしまう。
 アポロ宇宙船は、人を乗せて飛んだ最も早い乗り物だった。それでも、月までは、三日かかった。実際のアポロは、地球の引力の影響を受けて飛んだので時間がかかっているが、それを無視した単純計算でも、地球から月までは十時間かかる。
 この速度で、地球から太陽まで行くと、なんと五ヶ月もかかる。海王星までなら十六年だ。隣の恒星系までは、十万年余りかかる。
 人類が作った最も早い無人宇宙船のスイングバイを繰り返して得た最終の速度でも、アポロとの差は一桁だ。十万年単位が一万年単位になるだけだ。人類の技術力を基準にしていては、隣の恒星に行くだけでも万単位の年数がかかるとの結果にしかならない。
 ユーリ・ミルナー氏や故・ホーキング博士らが発表した『ブレイクスルー・スターショット』でさえ、隣の恒星系まで二十年だ。
 知的生命が生きている星は、どのくらいの密度で存在するのか、誰にも分からないが、隣の恒星系に居ることはないだろう。仮に、銀河系内に一万の知的生命が同時に存在しているとしても、平均の距離は、二千光年くらいだ。アポロの速さなら、五千万年も掛かる。一万倍早い宇宙船を作れたとしても、五千年も掛かる。
 文字通りの天文学的な数字だ。
 この数字を知っていれば、知的生命は、生身の体で他の知的生命に会いに行くことは考え難いことを、簡単に理解できる。
 これを浅村に教えてくれた新木が、それを否定するような回答をしたのだ。
 頭が整理されるまで、呆然としていた。
 どれくらいの沈黙が続いたのか、先に口を開いたのは、浅村だった。
「地球上に送信相手がいる根拠は?」
 早く核心を知りたかった。
「推測の域を出ない」
「そんなことはどうでもいい。状況証拠は掴んでいるはずだ。それを聞かせてくれ」
 新木は、黙ってしまった。
 この期に及んで、話すべきか、迷い始めたのだろう。浅村にしてみれば、面白くない。ここまで時間を使って、しかも帰路を絶たれる状況に追い込まれているのだ。全てを聞かずに帰れる気はない。
「こんな山奥まで呼びつけておいて、だんまりはないぞ」
 新木は、視線を合わせてきた。
「そうだな」
 ぽつりと言った。
「スーパーカミオカンデの分解能は知っているか?」
「いや」
「馬鹿みたいに低いが、おおむね、どの方角から来たかは分かる。今回は、目的となるニュートリノが決まるから、そのニュートリノだけ、来た方角を調べていったんだ。当然、赤緯、赤経に変換して方角を調べたんだが、全然ばらばらで、方角を特定できなかったんだ」
 回り持った言い方に辟易としながらも、新木の機嫌を損ねないように、浅村は黙って聞いていた。
「それで、まさかと思ったが、念のためにカミオカンデに対しての絶対的な方向を調べてみたんだが、それがある特定の方向を指していることがわかったんだ」
「それが、地上の仲間への通信だとする根拠なんだな」
「そうだ」
「その場所は、特定できたのか?」
「ああ、それが妙なんだ」
「何が妙なんだよ」
「場所に決まってるだろう」
「だから、どこか教えろよ」
「シベリアだ」
「どこが変なんだ?」
「正確じゃない。ここから北北西に下反角がほとんど無しだ。該当する全てのデータから、統計的に方角を決定した」
「標準偏差は、どれくらい?」
「約〇.〇五ラジアンだ」
「三度弱だな」
「ああ」
「地図はあるか?」
「ちょっと待ってろ」
 新木は、例によって、書類の山を移動させ始めた。
 彼の頭の中には、正確な書類の索引があるらしい。最初に除けた書類の下から、世界地図が出てきた。
 二人は、直ぐに日本周辺の地図を広げた。
「北北西と言ったが、ほとんど真北に近い」
 新木は、指で神岡から北北西に辿っていく。
 日本海の真ん中を横断し、ウラジオストクを通り、中ロ国境線の黒竜江を辿っていく。やがて、中ロ国境を離れ、スタノボイ山脈の辺りで、新木の指は止まった。
「この辺りで、地上に出る」
「つまり、この辺りが発信源と考えられるのか」
 浅村の脳裏を、旧ソビエトの秘密基地という発想が通り抜けた。
 有り得ない。
 当時のソビエトに、ニュートリノ通信の技術があったとは思えない。
「マイクロマシンが動き始めたのは、いつ頃だったんだ?」
 思いがけない質問だったので、浅村は、答を捜して思考を彷徨わせた。
 随分古い話のように感じてしまう。
 一昨日の発電所の事故の時には、マイクロマシンは動いていた。
「思い出した。二日前だ。でも、それは君も知っていただろう」
「僕が求めているのは、もう少し正確な時間だ」
「難しいな」
「ケースに穴を開けたと言っていたな。穴を開けるのに、どれくらい掛かったと思う?」
「実験していないから、分からないな。ただ、気付いたのは、一昨日の九時頃だ。それ以前に穴を開けていたはずだし、前々日の夜には異状が無かったから、その間の一日半の幅の中だ」
 まるで、アリバイ調査か、死亡推定時刻を狭めていく作業のようだ。
「実験すれば、九時より前に遡ることができそうだな」
「実験するのか?」
「もちろんだ」
「反対はしないが、目的を聞かせろ」
「ニュートリノ通信の電文の切り替わった時刻と比較するんだよ」
 思ったよりも単純な話だった。
「分かった。じゃあ、プラスチックケースを探してくれ。厚さは、一ミリ程度だ。概算の時間でいいだろう?」
「データが無いよりマシだ。大まかに、どれくらいの能力があるか、知りたい」
 二人は、乱雑な部屋の中で、目的の品を捜して回った。
 浅村は、大量の書類の下に何があるのか分からず、右往左往したが、新木は次々と目的の品を発掘していく。彼の部屋だからと言えば、確かにその通りなのだが、それにしても、これほど散らかっている部屋の中で、何がどこにあるのかを正確に記憶している新木の頭脳が、不思議でならなかった。
「これで、できるな」
「大丈夫だろう。マイクロマシンをプラスチックケースに入れるから、どれくらいで穴が開くか、時間を計ってくれ」
 時間を計ると言っても、最短でも分オーダーだから、携帯電話の時計表示程度でも十分だった。
 浅村は、慎重にマイクロマシンをプラスチックケースに移し替えた。
 結果は、予想以上だった。
 二分掛かっただろうか。
 マイクロマシンは、あっさりとプラスチックケースを貫通した。
「これじゃあ、時間を遡れないな」
「それより、意外に固くないんだな」
 新木は、鋭い視点で指摘した。
 プラスチックなら簡単に穴が開くのに、ガラスは二日掛けても穴が開かなかった。マイクロマシンは、ガラスより柔らかい物質でできているらしい。
 そう考えるしかないのだ。
「そんなはずは無いだろう。各地で起きている発電所や製鉄所の事故は、金属製のパイプを貫通しているはずだ。相当な硬さがあるはずだ」
「実験結果を踏まえて考えろよ。発電所の事故を踏まえても、金属より硬く、ガラスより柔らかいと考えるだけだ」
 新木に言われるとは思わなかったが、彼の意見は尤もだった。それでも、納得したくなかった。だから、思いついたことを言ってみた。
「他の考えは、回転することが目的ではなく、何かの問題で回転するしかなくなっているって考えもありかな」
「ありだな」
 あっさりと認めてくれた。
 この辺りが、新木の掴みどころの無さだ。
「ただ、この実験からは、ニュートリノ通信が切り替わった時刻、つまり、四日前の夜の十時半頃から動き始めたのか、それとも、たまたま近い時間帯でマイクロマシンが別の要因で暴走を始めたのか、決め手に欠く結果にしかならなかったって事だ」
 あの日の夜は、十時頃までマイクロマシンを見ていた。最後に見てから三十分後には、プラスチックケースを突き破っていたことになる。
「本題に戻ろう。マイクロマシンは、八十万年前の氷床の中にあった。ニュートリノ通信と関係があると思われる。これから推測できるのは、旧ソビエトを含め、人類が関与している可能性は薄いってことだ」
「何が言いたいのか、はっきりしてくれ」
「一言で言えば、地上に拘る必要はないってことだ」
「日本海の下でも、話は通じるはずだ。そう言いたいのか?」
「まあ、そんなところだ」
「いい線だ」
 やはり、掴みどころが無い。
「ただ、日本海の底に届くほど、下の方から出ていない」
「ニュートリノ通信がか?」
「そうだ」
 水平に近い角度から、ニュートリノ通信が届くことになる。
 ふと、新木が言っていたことを思い出した。
「もしかすると、ニュートリノ通信が送られてくる方向に対して、マイクロマシンの回転軸の角度が決まる?」
 新木は、にやりと笑った。
「計ってみるか?」
 わざとマイクロマシンに穴を開けさせ、その穴の向きを測定する方法でやってみた。
「どうやら、重力に垂直な軸らしいな」
 浅村が言うと、新木も渋々認めた。
「そうなると、何のために、垂直軸で回転しているんだろう?」
「簡単だよ」
 新木の天才性なのか。大胆なことを言うが、こんな時は、彼の法螺なのだ。
「考える筋道は、反力だよ」
 いつもと違うのかな。
 答を予想させる「反力」という単語が出てくるとは思ってもいなかった。浅村は、新木の次の言葉を期待した。
「プラスチックを削るには、鋭い歯だけじゃ無理だ。それよりも、切羽から受ける反力を打ち消す方法の方が難しいし、どんな手法を採るかが大事だ」
「反力を打ち消すだけだったら、反動トルクを利用する方法や、どこかに張り付いてもいい。反力を超える摩擦抵抗を作ればいい」
「じゃあ、このマイクロマシンは、どんな方法を採っていると言えるんだい?」
 やはり、答を持っていないのだ。だから、浅村に切り替えしてきたのだろう。
 でも、浅村も答を持ち合わせていなかった。
 答を捜すために空いた間が、乱雑な研究室に静粛をもたらした。
「二重反転方式のヘリコプターって知ってるか?」
 ヘリには、何度も乗った。『しらせ』と昭和基地の間は、ヘリが唯一の交通機関だった。浅村が越冬隊員として南極に行った年は、氷象が悪く、『しらせ』は接岸できなかった。
 機材の全てを、ヘリで空輸したが、浅村もヘリで昭和基地に入った。
 翌年は、『しらせ』が接岸できたので、機材の搬出も搬入も、陸路も使うことができた。接岸できるとこんなに楽なのかと、感心もした。
「ヘリがどうした?」
「ヘリと言っても、一般的なヘリじゃない。二重反転方式だ。おもちゃの電動ラジコンヘリには、二重反転方式を使っているものもあるけど、実用機だとロシアくらいしかないんじゃないかな」
「普通のヘリとどこか違うのか?」
「ヘリのローターを回せが、ローターの空気抵抗で反力が起きるのはわかるな」
「ああ」
「だから、ヘリはタンデム方式か、テールローター方式で、この反力を打ち消していることも知ってるな」
「まあな」
「反力を打ち消す方法は他にもあるが、二重反転方式もある。構造が複雑になるので、採用例が少ないが、ピッチコントロールを省略すれば構造も単純化できるので、おもちゃに採用しているようだね」
 浅村にも、新木が見つけた答が、おぼろげながら見えてきた。
「小さすぎて、しかも高速回転しているから、はっきり見えないけど、マイクロマシンは上下に二分割になっているじゃないかな。そして、上下でプロペラを広げ、逆回転させて飛ぶ仕組みじゃないかな」
 浅村も、同じ答に到達していた。
 問題は、底面で穴を開ける理由だ。それを聞きたい。
「そこまでは分かった。じゃあ、なぜ飛ばないで穴を置けてしまうんだ?」
「飛ばないって事は、故障しているからだ。でも、回転はしているから、故障は動力装置じゃなく、プロペラだろう」
「つまり、下側のプロペラが故障していて、飛ぶ力は出せないけど、下側を削ってしまうのか」
 そこまでは、納得できた。でも新たな疑問が湧いてきた。それがそのまま、口を衝いて出た。
「このマイクロマシンは、地球専用だと言ってるようなものじゃないか」
「そんなことも気付かずに、これを大事にもっていたのか」
 新木は、呆れ顔をした。

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