伊牟ちゃんの筆箱

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「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 アトランティスの外壁は、三重構造だ。
 最外郭は、主としてスペースデブリの衝突に耐える事である。穴が開く事は、最初から想定されている。そのため、交換や継ぎ接ぎが容易なように、主として金属で作られている。また、その内側の中央壁と隙間は、真空になっているので、穴が開いても、無駄に空気を失う事はないが、気密構造にもなっていて、内壁に穴が開いても、ここで空気が漏れる事を防ぐ。
 中央壁は、主として気密を保つ役目を持っている。そのため、最内郭との隙間は、居住区と同じ気圧の空気で満たされている。外の真空と一気圧の圧力差に耐え、最内郭と協調して構造重量にも耐える。炭素系の複合材を多用し、非常に高い引っ張り強度を持つ。
 最内郭は、主として内部の構造物の重量を支える。複合材も使用しているが、曲げ剛性に優れた材料や構造を持つ。もちろん、単体でも気密を持っていて、三層の中でも、最も構造が複雑で高い強度を持つ。ただし、最内郭も、地中部分は非常に頑丈な構造になっているが、地上から出ている部分は、気圧以外の力は僅かしか掛からないので、地中部分に比較すると、単純で強度も低い構造になっている。
 三層の壁構造に挟まれた二層の隙間は、細かな部屋に仕切られている。部屋の数は、オリエントリングだけでも五万を越えるが、一つの部屋は、五十メートル四方にもなり、その容積は、八千立方メートルを軽く越える。
 もし、中央壁と内壁に同時に穴を開ければ、外壁と中央壁の間の空隙に、一気に吸い出されるだろう。だが、世界制覇が目的なら、勅使河原は最後の砦であるアトランティスを破壊したくない筈だ。修理が非常に面倒な中央壁を破壊しようとは考えないだろう。
「そうか。内壁と中央壁の間を、気密試験と称して真空にしておけばいいんだ」
 内壁は、気密状態を確認するため、定期的に気密試験を行う。気密試験は、内壁と中央壁の間を真空にし、空気漏れの有無と量を測定する。居住区で、内壁に直接接するのは、この辺りでは由布森林公園と反対側の標茶自然公園だが、この部分の気密試験を行う際には、内壁周辺は安全確保のために立ち入り禁止となる。
 隼人は、由布森林公園側の立ち入り禁止の指定があるか調べたが、何もなかった。
 勅使河原は、コンピュータにも強い。技術者の信望も厚いので、IDも、最高レベルのものを付与されているだろう。隼人のIDではできなくても、彼のIDなら、色々な事が可能な筈だ。
 森林公園のモニュメント周辺の壁内部の空気を抜き取り、張り巡らされた配管が爆発したように見せ掛けて、爆弾を爆発させる。そうすれば、大気圧から真空へと、猛烈な勢いで空気が流れ、周辺の総てを一瞬にして壁の中に吸い込むだろう。生身の人間は、急減圧と衝撃で、即死する危険もある。
 隼人は、スペースコロニー管理センターの公式サイトから、該当箇所の壁内気圧を読み取ろうとした。しかし、壁内気圧を公開していなかった。
 時間がなかった。
 大地達は、森林公園のモニュメントに着く頃だ。電話からの声でも、それが分かる。
「よし、侵入してみよう」
 隼人は、管理センターの制御コンピュータに侵入しようと思った。そこなら、総ての情報が得られるだろう。
 隼人は、まず、中学校の教育用サイトのコンピュータに接続した。ここのコンピュータは、セキュリティが弱い事は、学校の教育の中で気付いていた。ここから侵入し、管理センターの制御コンピュータに繋ごう。
 隼人は、パスワード破りとキー破りのツールの準備を始めた。
「隼人く~ん」
 芙美子が、下で呼んでいた。
「は~い。何ですか?」
「すぐ、降りてきて」
 隼人は、侵入の準備を一時中止し、下に降りた。
「何か用ですか?」
「隼人君、大地君と宙美は、仁科さんの所へ行ったんでしょう」
「そうですよ」
「でも、さっき、仁科さんから電話があったのよ。まだ、来ていないけどって。随分前に出掛けましたよって言ったら、もう少し待ちますって」
 はっとした。入れ違いになる筈が無いのに、今、そうなっている。
「おばさん。仁科さんの電話番号を教えて下さい」
「ええ、いいわよ」
 彼女は、携帯端末で、仁科の電話番号を検索し、隼人に示した。
 隼人は、その番号を、自分の携帯端末に転送し、そのまま仁科に電話した。
 電話は、直ぐに出た。
「はい、仁科です」
 隼人は、その受け答えに疑問を感じた。
 普通、携帯電話は、当人しか出ないから、苗字より名前を名乗る事が多い。なのに、仁科は、苗字だけを名乗った。
「もしもし、征矢野隼人です。さっき、大地君に、メールを送りましたか?」
「え? メール?」
「仁科さん、この電話は、携帯ですか?」
「いや、携帯は無くしたので、これは、家の携帯端末を使ってるんだ。君こそ、この番号に電話していながら、そんな事も知らないのかい?」
 無くした携帯電話は、誰かが悪用している。
「宙美ちゃん、大地君、逃げろ!! 壁から離れるんだ。仁科さんに電話するんじゃない。電話したら危ない!! 壁が爆発する!」
「えっ? 何?」
「走って、壁から逃げるんだ。壁が爆発するぞ! 大地君に、仁科さんに電話するなと言って! 走って、壁から逃げるんだ」
「大地君、隼人君が電話するなって。そして、壁から離れてって」
「宙美ちゃん、急いで!」
「どうしたんだい? 隼人君」
「大地君、何も聞かずに逃げて! 壁から離れるんだ」
「大丈夫、壁からは離れるよ。仁科さんに電話するなって、どういう事? もうすぐ繋がりそうなんだけど」
「だめだ。直ぐに切って! 詳しくは後で話すから、走って壁から逃げて!」
「宙美! 走れ!」
 大地が、宙美に命じる声が聞こえた。
「早く!」
 隼人は、尚も叫んだ。
 次の瞬間、地響きのような音が電話の向こうでした。直後に、宙美の悲鳴が聞こえた。
「おばさん。警察に電話して。由布森林公園で爆発事故があったから、直ぐに救急車と事故調査をして欲しいって。僕も、今から行ってみます」
 芙美子の返事は、聞かなかった。彼女が、警察に電話してくれる事も、期待はしなかった。電話しなくても、壁面で発生した爆発事故で、自動的に警察が出動している筈だからだ。
 玄関で靴を履いている時、ズンと地響きのような空震を感じた。由布森林公園での爆発事故の衝撃波が、今届いたのだろう。
 隼人は、地下道に飛び出した。

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  - 3 -

「何?」
「行き先が変更になったの。さっき、大地君の携帯に、仁科のおじさんからメールが届いて、由布森林公園に場所が変更になったの。私達は、そっちに向かってるから」
 厭な予感がした。
「気を付けてよ。それから、大地君に伝えてくれないかな。共犯者は、もしかすると、勅使河原大善かもしれないって」
「え?」
「勅使河原大善。大統領候補の勅使河原大善」
「まさか」
「そのまさかかもしれないんだ。スペースプレーンを手配させたのは、彼らしいんだ」
「うん。信じられないけど、大地君に伝えるわ」
 電話の向こうで、宙美が大地に説明する声が聞こえた。
「電話は、このままにしておくよ。僕は、勅使河原大善を調べてみるよ。何か分かったら、その都度、知らせるよ」
 隼人は、勅使河原大善を調べるため、パソコンに向かった。
 勅使河原大善は、科学省に入省後、通信事業部、化学部、宇宙移民事業団を経て、二年前に退官した。その年のアトランティス議会議員選挙に立候補し、圧倒的な票差で当選したが、今年五月に任期途中で自ら辞職し、大統領選挙に立候補した。宇宙移民事業団に所属していただけに、アトランティスでも、L51でも、支持基盤は厚く、選挙前の予想でも、優位と目されている。
 アトランティスとパシフィックの両議会の上には、統一議会があり、大統領制を敷いている。政治評論家の間では、統一議会内にも派閥を持っているとも言われ、当選と同時に、大きな影響力を及ぼすものと考えられている。マスコミ各社も、彼に番記者を密着させ、彼の一挙手一投足を伝える体勢を整えている。
 政治家にしては珍しく、勅使河原大善は科学技術全般に明るく、宇宙移民事業団や企業の技術者とも、直接渡り合う事で知られる。工学博士の称号も持ち、特に、アトランティスや飛鳥の構造に詳しく、設計者もメンテナンス技術者も、彼の知識には舌を巻くという。このため、技術者の信望が厚く、この点でも票を集めるものと思われる。
 議員の間では、野心家、あるいは辣腕として知られる。今回の大統領選挙も、小惑星墜落事故により、事実上の世界統一の大統領となった事は、野心家の勅使河原大善にとって、願ってもない状況と言えよう。
 これらの記事を見て、勅使河原が主犯であると、隼人は確信した。
 勅使河原は、現在は、選挙活動中だ。仮に、仁科から連絡を受けていたとしても、彼自身が手を下す事はないだろう。
 問題は、二つある。
 一つ目は、仁科をどう脅迫したかだ。
 二つ目は、動機は何かだ。
 動機については、まさかと思うが、世界制覇が目標なのではないだろうか。荒唐無稽と言えば、返す言葉もないが、今の状況を見れば、強ち大袈裟でもない。統一議会を押さえ、大統領になれば、事実上、世界を手中に納めたともいえる。
 本人に聞けば、それもはっきりするのだが……
 しかし、大地達の呼び出しを由布森林公園に変えた理由は、一体なんだろう。
 仁科の家なら、大地達を殺すにしても殺害現場が特定し易く、しかも、犯人が特定され易い。森林公園なら、通り魔犯罪の可能性も生れるので、犯人が特定しにくくなる。
 でも、それだけで、会う場所を急に変えるだろうか。
 犯人を特定し難いといっても、最有力容疑者は、仁科だけなのだ。取り調べられる事は必至だ。仁科が自白すれば、勅使河原も立場が一気に苦しくなる。
「宙美ちゃん、やっぱり、君達は、命を狙われているよ」
「隼人君、僕だ。命を狙われる危険性は、覚悟してる。大丈夫だ。油断無く、二人で行動してるから、心配しないでいいよ」
「大地君が言うから、大丈夫だと思うけど、僕は、引き返した方がいいと思うんだ。場所を変えたのは、君達を殺すのに都合の良い場所にしたかっただけなんじゃないかな」
「それも、考えてる。でも、仁科のおじさんに会わなきゃ、一歩も進めないんだ。覚悟して行くしかないよ」
「………」
「隼人君が、そこまで心配してくれるんで、場所を正確に行っておくよ。いいかい。由布森林公園の奥にあるモニュメントの裏側だ」
 スペースコロニー建造時の殉職者を奉った慰霊モニュメントは、公園の最も奥にあり、最も壁際でもある。その裏側だから、人目にも付き難いが、それだけが理由なのだろうか。それとも、モニュメントと殺人方法と、何か関係があるのだろうか。
 どちらも、どこか引っ掛かる。
 場所が肝心なのは、間違いないだろう。だからこそ、場所を変えたんだ。
「まさか」
 隼人は、首を振って否定した。
 外壁に、大きな穴を開け、コロニー内の空気が流れ出る勢いで二人を宇宙空間に吸い出す殺害方法がある。
 だが、リスクが大きく、最悪は、アトランティスのオリエントリングが全滅するかもしれない。これでは、大統領への夢も瓦解しかねない。それなら、どんな手段があるというだろう。 

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