伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  地球

  - 1 -

 あの日以降、芙美子に対する事情聴取はなかった。だが、大地の父、梅原翔貴に対する事情聴取は、今も続いているらしかった。本来は、大地と同じ様に丸顔の筈の翔貴の頬は、日に日にげっそりしていく気がした。
 一方、隼人は、大地達にすっかり馴染む事ができ、体重も少し増えた。その影には、大地の心配りがある事を、隼人は知っていたし、感謝もしていた。
 新学期に向けて、いくつか買い物をするために、商店街に出てきた。本当は、家庭用高機能端末を使う事で、総ての買い物を済ませる事もできたのだが、大地は、隼人と宙美には気分転換が必要だと考え、外に連れ出してくれたのだ。
「色々買っちゃったぁ」
 宙美の声が弾んでいる。
 商品は、今日の夕方までには自宅に届くのだが、今は手元には何も無く、買い物の実感は乏しかった。それでも、女の子には、ショッピングは楽しいものらしく、商店街ではショーウィンドウを覗き込んでは、嬌声を上げていた。
「これで、来週からの新学期も、無事に迎えられるね」
 隼人は肯いたが、すっきりしない部分もあった。
「元気ないね。疲れたのかい?」
 隼人は、首を軽く振って、否定した。
「大した事じゃないよ」
「そう。それならいいけど」
 大地の賢いところは、深入りしない事だ。隼人の元気の無さが、大きな理由ではない事を、大地は見抜いたのだろう。大地が聞いてこないので、逆に、隼人は自分の心の中に抱えていた疑問を、大地に打ち明けたくなった。
「実はね、ちょっと疑問に思っていた事があるんだ。いや、大した事じゃないんだけどね」
「おいおい、大した事じゃないってのは、かえって気になるんだよ。話してくれよ」
 大地は、隼人が言い出す言葉を期待し、嬉々とした表情で隼人の顔を覗き込んだ。隼人は、言い出し難くなった。宙美を見ると、こちらも何かを期待している様子で、ますます追い込まれた気分になった。
「ねぇ、早く言いなさいよ」
 宙美に催促されて、渋々口を開いた。
「僕は、ちょっと思ったんだけど」
「だから、何を?」
「あのさ、僕の買い物は、おばさんのクレジットカードを使わせてもらってるけど、少し変だと思わない?」
「馬鹿ね。隼人君は、身寄りがいないし、地上があんな風になって、隼人君のお父様の銀行預金も確認できない状態になってしまったから、隼人君の財産は、あのクレジットカードだけなのよ。だから、お母さんが、隼人君の財産が無くならないように、自分のクレジットカードを使わせているのよ」
「うん。その事は知っているし、感謝してるんだ。僕が変だと思っているのは、クレジットカードそのものなんだ」
 二人は、虚を衝かれたらしく、一瞬、言葉が無くなった。
「クレジットカードのどこが変なんだい?」と、思い出したように大地が会話を再開させた。
「僕達が、クレジットカードを受け取ったのは、飛鳥に着いて直ぐだったよね。それが変なんだよ。だって、小惑星が地上に落下してから、たったの二時間かそこらしか経っていなかったんだよ。まるで、小惑星が落ちる事を予知していたみたいじゃないか」
「はっはっはっは。本当に予知していたら、今頃、補正予算で議会が混乱する事もなかったさ」
「どういう事?」
 大地は、まだ笑っていた。見兼ねた宙美が、彼に変わって答えてくれた。
「大地君が言いたいのは、被災民救済と、地上の復興のための補正予算案が、議会で審議されてるって事。補正予算案を提出したのは、内閣機密費を転用してクレジットカードを発行した勅使河原とかいう議員なの」
「勅使河原内閣官房長官。そして、次期大統領候補。技術畑出身の異色の政治家で、強い指導力と行動力でのし上がってきたカリスマ的人物さ。以前、科学省の大臣を務めた事もあって、宇宙移民事業団とは緊密な関係があったそうだ。彼なら、小惑星の墜落が避けられなくなった時点で、事業団から連絡を受けてた可能性があるし、それ以前に、彼の行動力なら、クレジットカードを用意させるくらい、事故発生から一時間もあれば、訳無くできたと思うよ」
「ふう~ん」
 感心してしまった。
 裏事情も、議会での審議も、隼人は全く知らなかった。二人は、当たり前のように知っていたし、だからこそ、クレジットカードの発行に疑問を持つ事は無かった。
「それにしても、クレジットカードとは、時代物を引っ張り出してきたものだよな。時間が無かったから、それしか無かったんだろうけど。そんな事より、隼人君は、時事に疎すぎるんじゃないかい」
 痛いところを衝かれた。
「恥ずかしい限りだよ。勅使河原の名前には、聞き覚えが有ったんだけど、よくよく思い出してみると、ここに来た時に、電子掲示板に大統領選挙の候補者名が有ったんで覚えていただけで、ニュースとかで知ったんじゃないんだよ」
「佐久間副首相と、勅使河原官房長官、それに野党第一党の桃崎党首が、立候補している。他にも、3人くらい名前も役職も聞いたことが無い泡沫候補がいるはずだけど、事実上、3人の三つ巴と言われていたんだ
 でも、今回の小惑星墜落後の行動で、勅使河原のリーダーシップが高く評価された。佐久間副首相は、補正予算を持ち出し、巻き返しに懸命だ。この二人に比べると、行政府とのパイプが細い桃崎党首は、籠の外に追いやられた感がある」
「ということは、大統領選挙右は、この二人の一騎打ちになってきているってことかい?」
「論より証拠。今からニュースを見ようよ。少しは、こちらの政治にも関心を持っておいた方がいいから」
 そう言うと、居間の壁にある立体スクリーンのスイッチを入れた。そして、ニュース専門チャンネルに切り替えた。
「あの日から、今日でちょうど十日経ちました」
 TVの中で、ニュースキャスターは、沈痛な表情をしていた。TV映像は、白っぽい灰色の星に切り替わった。
 地球だった。
 青と白のコントラストが美しかった地球は、今はない。薄汚れた灰色に、一様に染まっている。
「小惑星の冬ね。今がピークかもしれないわ」
 何時の間にか、芙美子が居間に来ていた。彼女は、三人の前を通り過ぎると、端にあったソファに腰掛けた。
「おばさん。資源用の小惑星が落ちただけで、本当にこんな事になるなんて、僕には信じられないよ」
 芙美子は、真っ直ぐにスクリーンに視線を送ったままだった。
「でも、これが現実よ」
「御覧ください」と、ニュースキャスターが言う。
「左は、現在の地球、右は、一週間前の地球です。撮影の時刻や緯度は、同じ条件にしてあります」
 左右の映像は、かなり違っていた。
 一週間前の地球は、南半球の大部分が、あの青と白の美しいコントラストを残していた。北半球は、茶褐色と白が不気味な縞模様を作り、一部は赤道を超えて南半球へも食指を伸ばそうとしていた。それが、今の地球は、南半球も灰色の縞模様が覆い尽くしていた。もう一つの違いは、明らかに白っぽくなっている事だ。
「例えば、偏西風帯で、成層圏に舞い上がった塵は、一週間で地球を一周してしまうのよ。大気の下層でも、十日から二週間で地球を一周するの。TVの撮影位置は、小惑星の落下地点を中心にしているから、塵の広がりが早く見えるけど、南大西洋とか、地球の裏側は、まだ塵に覆われていないところもある筈よ」
 気象学を学んだと言うだけあって、芙美子の指摘は、映像にはないところにまで及んでいる。
「現在の地球は、小惑星の冬のピークになっていると思われます。明日、観測機器を投下し、気象観測を行う事になっていますが、気象学者は、地上の気温を、赤道域から中緯度で氷点下十度以下、北半球の高緯度で零度から氷点下五度程度と予想しています。南半球は、元々冬でしたので、高緯度の気温はむしろ高くなっていると考えられます。
 北半球の穀倉地帯は、花を付け、実を結ぶ大切な時期でしたが、平年より二十度から三十度も下がってしまったので、全滅と考えられます。たとえ、ハウス栽培をしていても、日照が足りない状態が続いていますので、太陽ランプを使わない限り、全滅は免れないでしょう。
 更に、一気に冬になってしまったため、北欧諸国のように冬になれている国でも、道路や港湾の凍結等で、エネルギー供給に支障が出ています」
「TVでは言ってないけど、小惑星は、赤道付近の珊瑚礁に落ちたから、珊瑚礁が衝突の熱で蒸発して、大気中の二酸化炭素量がかなり増えてる筈よ。小惑星の冬のせいで、熱帯雨林は凍死するから、二酸化炭素の温室効果が強まり、小惑星の冬の後には、かなり長い期間の高温期が来るの。厳冬から酷暑。食料生産は、徹底的に痛めつけられるわ。今の内に、環境回復プランを作っておかないと、大変よ」
 地上の地獄絵が、彼女の言葉で補強されてしまった。
「核シェルターが機能し、大国のトップや軍事関係者は生き延びている可能性が高いんじゃないかな。問題は、軍事的緊張が高まる事だけど、最悪は、ここも攻撃対象になるかもしれないな」
 大地は、隼人の不安を煽るような事を言い出した。
「でも、そんな事をしても、何の解決にもならないじゃない」
「それは、我々一般人の考え方だよ。戦略を考える人達は、全く違う考え方をするんだ。彼等は、自分達より強い戦力を敵に持たせないように考えるからね。今の地上の国家は、どこも瀕死の状態だ。その状態よりも良い国家を、決して認めない。ここは、無傷だから、彼等の攻撃対象になり得るんだよ。彼等は、小惑星を意図的に墜落させて、自分達を攻撃したと考えるかもしれない」
「そんな馬鹿な!」
「そんな馬鹿な人達なんだよ」
「私、そんな考え方をする大地君は、嫌いよ」
 宙美が、大地を非難する事は珍しい。
「そうね。私も、大地君には、そんな考え方をしてほしくないわね」
 芙美子も、大地を諭すように言った。
 だけど、隼人は、大地の知識と冷静なものの見方に感心した。ただの中学生とは思えない。一体、何者なんだと思わせるくらいだ。
「でも、歴史を振り返ると、そんな事も考えておく必要があると思うんだ。元々、軍隊は、国民の安全と生活を守るために存在する筈なんだけど、実際に今、地上で生き残っている人々の軍関係者の割合は、元々の人口比とは比較にならないほど多いと思うんだ。それは、軍は、自分自身を守るための設備を充実しているからなんだ。
 貧しい国ほど、軍人の食事と国民の食事には、格差があるよね。国民は餓死する人がいても、軍人は腹一杯食べられる。自分達で食料生産していないんだから、国民が作った食糧を横取りしてるのと同じだよね。こんな事ができるのは、軍と国家が一体になって、自分達の権益を維持する方向に、国家の機能を集約するからなんだ。
 軍は、国家のために存在するのであって、国民のために存在するわけじゃないんだ。軍にとって、国民は、国家と軍を維持するために存在するんだ」
 断定的な言い方だった。だけど、大地の言っている事は、概ね正しかった。
 軍は、国民の食糧を取り上げ、国民の避難場所を取り上げ、国民の医療品を取り上げる。その目的は、総て国家の存続のためだ。
 映像は、次々と変わっていった。
「先程もお伝えしましたが、冬季には氷点下に下がるような国では、住宅の断熱性が優れているので、今も国民の大半が生き残っていると思われます。事実、各地から救援や生存を知らせる連絡が入っています。しかし、これからは食糧が全く手に入らない状況に陥っていき、これまで熱帯地域を中心に多く出ていた凍死者を、人口過密地帯の餓死者数が上回るようになるでしょう。
 一方で、地上を脱出する事は、困難になっています。
 小惑星が巻き上げた煤塵は、ジェットエンジンのタービンにこびり付き、エンジンを停止させてしまう事が、以前から分かっています。このため、煤塵の襲来に合わせ、次々に宇宙空港は閉鎖されました。一部では、搭乗希望者に押されて、飛行を断行した例もありますが、二機が墜落し、それ以外の機体は総て最寄りの空港に緊急着陸しています。つまり、小惑星が墜落して以降、地球脱出に成功した者はいないのです。
 地球に閉じ込められ、これから襲ってくる絶望的な食糧難を考える時、私は胸が痛みます」
 ニュースキャスターは、悲痛な表情を見せた。
 小惑星の冬で最も恐いのは、単純な寒さより、この食糧難だ。一日三食、当たり前のように食べる事ができる事は、感謝しなきゃいけないのだろう。もし、地上に残っていたら、寒さと飢えに苦しみながら、死を待つしかなかった筈だ。
「僕達が、本当に最後の脱出者だったんだね」
「最後に脱出したのは、別に居るよ。ただ、隼人君達は、一般人としては最後だったんだ。大富豪や王族は、金と権力にものを言わせて、スペースプレーンを強引にチャーターして脱出したらしい。ただ、それも、隼人君達が脱出して二十四時間後までで、それ以降は、誰も脱出していないよ」
 宇宙移民事業団職員の家族を一般人と言って良いのか、隼人は考え込んでしまった。雑多な人々が、あのスペースプレーンで脱出していたのなら、一般人と括る事もできただろう。しかし、あのスペースプレーンには、宇宙移民事業団職員の家族しか乗っていなかった。これは、隼人を含めた宇宙移民事業団職員の家族が、事実上の特権階級だったと言えないだろうか。
(でも、どうして宇宙移民事業団職員の家族だけを脱出させたんだろう?)
 考えるための要素は、いくつかあった。
 まず、スペースプレーンは四機あった。なぜ、旅客用のスペースプレーンが四機もあったのかは疑問だが、兎に角、スペースプレーンは四機あった。
 それぞれの定員は、約六十名だ。時間的余裕は、僅かに一時間。その条件下で、できるだけ多くの、それも将来がある若い世代を中心に脱出させるには、どんな方法があるか。
 これらの条件の中で、事業団職員の家族だけを脱出させる事が最善の策だと、父は判断したのだ。確かに、事業団の家族は、その多くが核家族で、同居の老人は少ない。必然的に世代は若年層にシフトする。しかも、敷地内の官舎に住んでいるので、周辺の住民を脱出させるよりも簡単だっただろう。でも、それが、周辺住民を脱出させない理由にはならないのではないか。
 隼人の思考とは別に、映像は、コンピュータグラフィクスに切り替わった。

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  - 2 -

 事情聴取は、三十分程で終わった。隼人と宙美が刑事達を見送る間に、大地はPDAを回収した。
 三人は、もう一度、大地の部屋に集まり、PDAの録音を再生した。
 PDAには、三人が居間に転げ込んだ時の音も、奇麗に録音されていた。
「すみません。はしたない事をしまして」と、芙美子が三人の行為を謝っていた。
「構いません。余程、気になっていたのでしょう。それより、早速、本題に入らせて頂きます」
 録音のサンプリング周波数が高くないのだろう。音質は良くなかった。ただ、声の調子から、刑事が話しているのだろうと、想像する事はできた。
「最初は、小惑星墜落そのものです。小惑星が当初の軌道を逸脱した事に気付いたのは、いつ頃だったのか、教えて下さい」
 芙美子は、一呼吸置いてから、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「私は、小惑星の軌道変更には、タッチしていませんでした。ですから、詳しい時刻はわかりません」
「では、小惑星の墜落が避けられないと分かった時刻は、いつ頃でしたか?」
「征矢野センター長が私に避難誘導を命じたのは、墜落の一時間半くらい前でしたから、少なくとも、その時点では分かっていたと思います」
(僕が侵入したから、小惑星が落ちたのだろうか?)
 隼人が管制センターに侵入したのは、父に呼び出される一、二時間くらい前だった。小惑星墜落は、それから一時間足らずの内に起こっている。小惑星が軌道を逸脱した時刻がいつだったのか、正確なところが知りたくなった。
「本当に、小惑星の軌道について、知らなかったのですか?」
 それまでと、声が変わった。検事が話しているらしかった。厭な雰囲気を持っていたが、隼人は彼を応援したくなった。
「先程も言いましたが、軌道変更には関与していませんから、具体的な状況は知り得ない立場に居ました」
「嘘を言ってもらっては困りますな。貴方は、小惑星の資源化の重要なスタッフだった事を、私達が知らないと思っているのですか」
 高圧的な物言いは、やはり検事の声らしい。芙美子には悪いとは思いつつ、もっと厳しく追及してくれと、隼人は願った。
 その芙美子は、たじろぐ様子も無く、切り返した。
「当然、御存知なのでしょう。でしたら、私の大学での専攻についても、御存知の筈」
「大学の専攻を聞いていません。小惑星の軌道について、質問しているのです」
「大学の専攻を知れば、私が軌道変更のスタッフになれる実力があったかも分かると思いまして」
(おばさんも、負けていないな)
 隼人は、感心してしまった。
「随分、しつこく聞いてるね。おばさんが知る訳が無いから、僕だったら、質問を変えて、別の角度から聞いてみるのにな」
 大地の意見に、隼人も肯いた。隼人も、芙美子が軌道逸脱の正確な時刻を知らない事を認めた。
「もう一度言います。軌道から逸脱した事に気付いたのは、いつ頃でしたか?」
「私は知りませんし、知る事ができる立場にも居ませんでした」
「お兄様からも、お聞きになっていませんか?」
 芙美子が息を飲むのが、雰囲気で伝わってきた。そして、大地と宙美も……
「お兄様は、小惑星を地球周回軌道までの軌道変更計画の立案者だそうですね。当然、軌道変更については最も詳しい訳ですから、その内容を貴方に話していたと考えられるのですが、どうでしょうか?」
 検事は、最初からこちらを確認したかったのだ。
 芙美子は、どう答えるべきか迷っているらしく、しばらく黙っていた。
「私が知る範囲では」と前置きし、慎重に話し始めた。
「兄は、小惑星の軌道変更に反対でした。五ヶ月前、こちらに移ってきたのも、軌道変更のスタッフから外れたためでした。そんな兄から、小惑星の事を聞かされる筈が無いし、地上とこことに別れていましたから、リアルタイムで知る事は難しかったと思います。もちろん、ネットワーク上に一般公開されている情報には、触れる事ができたとは思いますが」
 コホンと咳払いがあった。
「私達には、意外に聞こえるのですが。つまり、軌道変更計画の立案者が、軌道変更には反対していた事が」
 沈黙があった。
「兄は、小惑星の軌道変更で、月や地球を掠めるように飛ばす事に、危険を感じていたようです。ですが、兄が反対意見を唱え始めた時には、小惑星は、地球周回軌道へ向かう軌道に入っていましたから、容易には変更できない状況にありました」
「お兄様は、いつ頃から反対なさるようになったのですか?」
「私の耳に入るようになったのは、一年半くらい前でしょうか。征矢野さんと兄が、激しい口論をしていたと聞いたのが、昨年の正月明け早々だったように記憶しています」
「昨年の正月明けですと、月をフライバイする半年くらい前になりますね」
 芙美子は、記憶を確認するように、僅かに間を取った。
「月のフライバイは、ちょうど一年前ですから、そうなります」
「で、征矢野氏との間に埋められない確執が生れ、お兄様はこちらに転籍された」
「兄の心情は、私には分かりません」
 芙美子は、そう言っただけだった。
「さて、これからが本題です」
(えっ、これから本題? 一体、何が聞きたいのだろう)
 隼人と同じ事を、芙美子も思ったらしい。
「まだ、お聞きになりたい事があるのですか?」
「申し訳ありませんが、もうしばらく、お付き合い下さい」と刑事の声がした。
 芙美子の不満そうな雰囲気が、椅子に掛け直す音からも伝わってくる。しかし、あの検事には伝わっていないらしい。気分を害さないように心配りをする刑事とは違い、言葉だけが丁寧な高圧的態度が続いた。
「お兄様は、軌道計算上の誤りに気付いていたのではないでしょうか。それを、征矢野氏に伝えたが、一蹴されてしまった。違いますか?」
「何をおっしゃりたいのですか?」
 芙美子は、冷静さを失っていなかったが、動揺を隠せないでもいた。
「征矢野氏は、既にスタートを切った計画を、途中で頓挫させる訳にはいかなかった。そもそも、この計画は、征矢野氏とあなたのお兄様が立案し、政府に強く働き掛けたものでした。ところが、あなたのお兄様は、突然、計画の反対を唱え始めました。その理由を、妹さんのあなたに話したのではないかと、私は睨んでいるのですが、どうですか?」
 検事の言い方は、誘導尋問のようになってきた。
「お兄様が反対される理由は、二つしかありません。一つは、征矢野氏を失脚させる事が目的だったとする説です。征矢野氏は、計画の最高責任者で、しかも、推進派の最右翼でした。計画の断念は、征矢野氏の管制センター長辞任に直結します。もし、あなたが聞いたお兄様と征矢野氏の口論が小惑星軌道変更計画以外の問題についてだったとするなら、お兄様は征矢野氏の怨みを持ったと考えられなくもありません。それなら、征矢野氏を失脚させるために、計画反対を主張したと推理できるのです。実は、庁内では、この説が有力視されています」
(誘導しようとしている。おばさん、騙されるな)
 隼人は、三十分以上も前に録音された事を忘れ、拳に力を込めた。
「兄は、他人の失脚を画策するような人間ではありません。そんな器用な事ができる人間ではありません。それに、センター長も真面目で優秀な方で、兄は尊敬もしていました」
(おばさん、騙されちゃ駄目だよ。検事の奴、二番目の説を認めさせるのが目的なんだ)
「そうなりますと、もう一つの説が、俄然有力になりますな」
(やっぱり)
「私は、お兄様の軌道変更計画の計算結果に、重大な誤りがあったのではないかと考えています。お兄様は、このままでは地球が危ないと感じ、計画に反対をなさるようになった。私は、そう考えています」
 恐らく、検事はあの鋭い目付きで芙美子を見詰めているのだろう。長い間が開いた。
「お兄様から、何か伺ってはいませんか。小惑星の軌道計算に誤りがあった事を仄めかすような言動とか」
「身内の私がいうのも変ですが、兄は、優秀な技術者であり、学者でもあります。軌道計算に誤りがあったとは考えられません。ただ、技術に完璧はないが口癖でしたから、その辺りでセンター長と衝突したのではと、私は思っています」
「それを聞いて安心しました」
 検事の声は、打って変わって和らいだ。
「えっ?」
 芙美子だけでなく、隼人達三人も、声に出そうなくらいに驚いた。
「これで、業務上重過失致死について、ある程度の確信を持てました」
「確信?」
「ええ。他人を疑る事が仕事のようなものです。ですから、お兄様についても、殺人罪を視野に入れて捜査しています。つまり、お兄様の技術と知識を持ってすれば、小惑星の軌道を意図的に狂わす事も可能だっただろうと」
 大地も、宙美も、凍りついた。
「御心配なく。私は、その可能性はほとんどないと考えています。それを確認したくて、ここに来たのです。あなたがおっしゃった通り、お兄様とセンター長が衝突したのは、技術の過信が原因でした。これは、お兄様から事情を聞いた際に、御本人がおっしゃってました。だから、こちらへ転籍された後は、反対意見をほとんど言われなくなったのです。逆に言えば、それほど危険性が高い訳ではなかったという事です」
(おじさんが殺人犯にされずに済んだ)
 安堵の溜息が漏れた。
「ただ、残念な事は、お兄様が考えていた技術に対する過信が、現実のものとなってしまった事です。私達は、この事故の捜査をしなければなりません。被疑者は、既に死亡したと思われますが、それでもやめる訳にはいかないのです。なぜなら、九十億人を越える被害者が出たのですから」
 検事の最後の言葉は、隼人に重く圧し掛かった。
 それは、父への宣告のようなものだった。

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