伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 夕食後も、計算を続けた。
 ツールを組み立て終わり、荒い計算をさせてみたところ、当初の計画案の軌道に近い値が出た。これは、大いに自信になった。隼人は、計算に必要な時間を概算で求め、精密な計算を始めた。
 また、部屋をノックする音が聞こえた。
 たぶん、大地か、宙美が、御風呂に入るように言ってきたのだろう。
「どうぞ」とノックに答えた。
 入ってきたのは、宙美だった。彼女は、湯上がりのいい匂いをさせていた。風呂上がりの上気した顔は、仄かな色気を感じさせた。
「御風呂に入ったら。いい御湯加減よ」
 自分の気持ちを悟られまいと、わざとつっけんどんに言った。
「今日は、シャワーだけでいいよ」
 この家は、各部屋にシャワールームがあったが、湯船は一階の浴室にしかなかった。閉鎖空間であるスペースコロニーでは、水は貴重品だ。通常の生活では、全く不足はないが、湯船を二つ作るような贅沢はできない。
「湯船で手足を伸ばすと、リラックスできて、いい案が浮かぶわよ」
 昼間の刺のある言い方は消え失せ、声に優しい響きがあった。
「そうだね。でも、もう少しの間は、やっつけ仕事なんだ。もう少ししたら、下に降りるよ。だから、おばさんや大地君に入ってもらってて」 
「その方がいいんだったら。じゃあ、お母さんに先に入ってもらうわ」
 彼女は、部屋を出た。そして、扉を閉める直前に。
「今日は、ありがとう。とっても嬉しかった」
 隼人は、慌てて謝ろうと「僕の方こそ……」と言い掛けたが、扉は既に閉まっていた。
 残った言葉を飲み込んだ隼人は、面映ゆい気持ちになった。
(怒っていなかったんだ)
 ほっとする気持ちと、彼女を守り切れなかった歯痒さが、相半ばした。
 当初計画の軌道の計算は、ほんの数秒で終わった。
 次は、ちょっと面倒だった。実際の小惑星が描いた軌道を計算するのだが、どのタイミングで、どの程度の推力を与えたのか、色々な仮定をした上で、計算する必要があった。
 隼人は、連続的に条件を変えて計算するプログラムを組み、実際の軌道に最も近付く軌道修正方法を探した。予想では、計算結果を得るまでに数千通りの計算をしなければならない。少なくとも、一時間は掛かるだろう。
 この空き時間を利用して、御風呂を頂く事にした。
 風呂上がりに、何か飲もうと食堂へ行くと、宙美だけが居た。
「牛乳でも、飲む?」
「う、うん」
 彼女は、隣の台所に消えたが、直ぐに、コップに入れた牛乳を持ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 彼女は、自分のコップを持つと、「乾杯しよっか」と言った。
「何に乾杯するんだい?」
 彼女は、頬杖をついて、考えた。
「そうね。大地君が学校に行くと言った事に」
「うん。乾杯」
「カンパーイ」
 彼女は、コップを傾け、隼人のコップにカチンと当てた。
 静かな食堂に、乾杯の音が、さわやかに響いた。
「おばさんは、寝たの?」
「うん。明日の朝、伯父様に着替えとかを持って行くんだって」
「ふうん。それで、会えるのかな?」
「この前は会えなかったらしいけど、明日は、会えるみたいよ。検察に送検されたから」
 送検されたという事は、一通りの取り調べが終わったのだろう。
「おじさんに会ってみたい気もするな」
「会ってどうするの?」
 返事に窮した。
「会って、何か聞きたいの?」
「まだ、そこまではいってないよ。もう少し調べてみたら、何か、聞かなきゃならない事も出てきそうな気がするけど」
「そうね。でも、聞きに行くんだったら、一回で終わらせた方がいいわ。何回も聞きに行ったら、拘置所だっていい顔しないと思うの」
 そんな事は、考えていなかったが、宙美の言う通りかもしれない。
「でもね、私、何かすっきりしないの。何か分からないけど、忘れてるような気がして」
「実は、僕もそうなんだ。何か、忘れてるんだよ。僕も、宙美ちゃんも知ってる事を」
 宙美は、はっとして、今度は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「隼人君。今日は、神戸さんて呼ばないのね」
 指摘されて、初めて「宙美ちゃん」と呼んだ事に気付いた。隼人は、頬が赤らむの感じた。
「いいの。宙美ちゃんて呼ばれる方が、私、好きなの。でもね、呼び捨ては、まだ駄目よ」
(まだ……駄目?!)
 意味深長。
 今日の彼女は、どこか変だと、隼人は思った。
 取りようによっては、全然意味が変わってしまう。隼人は、自分の変化を棚に上げて、宙美の変化を見詰めた。
「隼人君。軌道計算は、終わった?」
「いや、まだ、当初計画の軌道しか、検証できていないんだ。今は、実際の事故の軌道を計算してるけど、どこでどれだけの加速度を与えたか、事業団のコンピュータにアクセスできないから、記録を取り寄せられないだよ。だから、色々やってみて、加速の与え方を探し当てようと思うんだ」
「事業団のコンピュータに侵入しようとしたの?」
「まさか。公式サイトだよ。だけど、公式サイトも、今は閉鎖されてんだ。普通だったら、軌道データも公開されてるんだけど。通過点のデータだけは、新聞社のサイトから取り込めたんだけど」
 隼人は、パソコンに計算させている事を、宙美に説明した。
 事業団のコンピュータが使えれば、簡単に答が出るし、それ以前に、軌道データや経過の記録が残っている筈だ。それが、使えない。使わない訳にはいかない。
「隼人君て、凄いのね。軌道計算の鬼が編み出した軌道を割り出せるんだから」
「違うよ。僕がやってるのは、軌道を計算しているだけで、実際の軌道修正は、こんなに簡単じゃないんだ」
 隼人は、牛乳を飲み干した。
「小惑星の軌道修正は、小惑星上のマスドライバーで、小惑星の岩石を加速する時の反力で加速させるんだよ。でもね、マスドライバーは、装置が大きいから、岩石を打ち出せる角度は、ほとんど変えられないし、地面とほとんど平行にしか打ち出せないんだ。だからね、連続して打ち出すと、回転し始めるんだ。回転が早くなると、マスドライバーが使えなくなるから、回転は無視できない。だから、時々、反対方向にも打ち出したいけど、できない。じゃあ、どうすればいいと思う?」
 今日は、随分、彼女に苛められたので、ここで、ちょっとばかり苛めかえそうと、解けそうも無い問題を出した。
「うーん。わかんない」
 彼女は、あっさりと降参した。
「答えは、打ち出し方向を重心からずらすんだよ」
 隼人は、びっくりして振り返った。直ぐ後ろには、大地が居た。
「合ってたかな?」
 大地は、悪戯っぽい笑みを見せた。
 軌道計算の鬼が産んだ子供は、飛び切り正義感の強い軌道計算の神様かもしれない。
「うん、大正解。重心からずらして打ち出すと、回転の軸がずれるから、回転していく内に向きが変わるんだ。ちょうど反対になったところで、回転を止める方向に打ち出せば、回転が止まるし、回転力の分だけ推力も大きくなるんだ。だけど、いびつな形の小惑星で、正確に重心を決める事は、凄く難しいって事、直感的に分かるよね」
 宙美は、頷いた。
「僕は、マスドライバーが重心を背に、真っ直ぐ打てると仮定してるんだ。軌道だけを計算するなら、これでも正確に計算できるんだけど、小惑星墜落の原因解明には、程遠い事も確かなんだ」
「それじゃ、意味無いって事なの?」
 隼人は、渋々認めた。
「そうでもないんじゃないかな」
「どういう事なの? 大地君」
「つまりね、犯人が、どこでどれだけ軌道修正を掛けたかが分かれば、捜査の手掛かりになるかもしれないよ」
「そうね。そうなるといいわね。でも、大地君も無理しないでね。隼人君もそうよ」
 隼人は、大地を見やった。彼なら、守るべき者のためなら、どんな危険も顧ないだろう。それは、既に証明されてもいる。彼女は、それを心配しているのだろう。
「僕は、部屋に戻るよ。そろそろ、結果が出てる頃だろうから」
「明日、学校がある事を忘れるなよ」
「ああ、分かってるよ。結果が出れば、最後の軌道計算を仕掛けて寝るだけさ」
「おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 三人は、それぞれに自室に下がった。

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  - 3 -

 隼人は、自室でパソコンに向かった。
 インターネットから、墜落した小惑星の軌道を取り込んだ。それには、予定の軌道と、実際の軌道の両方が入っていた。
「うわぁ、大胆!」
 隼人が一目見て思った感想は、この一言に凝縮されていた。
 小惑星は、軌道ステーション飛鳥のリプレースの材料を得る目的で、地球軌道に投入する計画だった。
 飛鳥は、欧米の軌道ステーションに比べると、手狭で、現行のスペースプレーンの乗客数の二倍の収容力しかなかった。しかも、欧米の軌道ステーションがリプレースされて、機能的にも、容量的にも、刷新されたのと比較すると、老朽化が目立ち、機能的にも見劣りした。
 そこで、小惑星を飛鳥と同じ高度に投入し、内部を刳り貫いて、軌道ステーションの機能と、無重力工場、太陽光発電所、天文台などの多機能を盛り込んだ世界最大の多目的軌道ステーションにする計画が持ち上がった。
 その資源となるべく白羽の矢が当たった小惑星は、火星軌道と木星軌道との間にあった。これを一回目の噴射で軌道を変え、火星の引力を利用して地球軌道に向かわせる。地球に近付いた小惑星は、月の引力を利用して減速し、地球軌道の内側に入る。一年後、再び地球に近付いた小惑星は、一気に地球の周回軌道に向かう。この時、二度目の噴射を行って減速し、目的の軌道に投入する。
 そう、一気に地球周回軌道に、それも低軌道に、投入しようとしていた。一旦、高軌道に投入し、その後で低軌道に移すのではなく、一気に低軌道に持ってくる予定だった。
「これじゃ、失敗すれば、一巻の終わりだ」
 事実、そうなってしまった。大地の父が反対する理由も、良く分かる。軌道修正に失敗した際の事を考慮すると、選択すべきではない事が分かる。
 なぜ、こんな無茶な軌道を利用しようとしたのだろう。
 その理由は、直ぐに分かった。軌道修正時に使う噴射剤の量だ。
 噴射剤には、有用な資源を採取した後の残りを使用していた。これをマスドライバーで加速し、その反動で軌道修正をするのだが、マスドライバーでの加速には、限界がある。だから、大きな推力を得るには、大量の噴射剤が必要になる。だから、使用する噴射剤の量を抑える事は、プロジェクトの正否にも関わってくる重大事だった。
 そういった諸条件をクリアするために考案された今回の軌道は、実に巧妙なものだった。そして、その軌道の発案者が、意外にも梅原翔貴氏、つまり大地の父だった。彼は、自分で発案し、自分で反対していたことになる。でも、その理由も、分からないでもなかった。
 発案されたのは、実に二十二年も前の事だった。隼人も、大地も、宙美も、産まれていなかった。翔貴氏自身、まだ二十代だった。恐らく、この二十年余りの間に、考えが変わったのだろう。
 問題の軌道は、地球と月の引力を利用し、巧妙に減速と軌道修正を行っていた。噴射に必要な資源量は、小惑星の全質量の十五パーセントにも満たなかった。文句無しの省エネルギー軌道変更だった。
 隼人は、この軌道の検証作業に入った。
 まずは、正常な軌道の検証に入った。
 この計算では、太陽、地球、月に加え、木星の引力も計算に入れた。ただ、他の惑星の引力は、影響が少ないので、計算を容易にするために割愛した。
 必要な推力をみる概略の軌道計算だけでも、想像以上に大変だった。それに、宙美の母が貸してくれたパソコンは、軌道計算のツールが全く入っていなかった。宇宙移民事業団の公式サイトから、必要な軌道計算ツールを入手しようとしたが、一連の事件に伴い、閉鎖したままだった。
 大地の前では、大見得を切ったが、正直、自分のパソコンが無い事が、少々荷を重くする事になった。
 しばらく、ネット上をさまよって、他のサイトからいくつかのツールを入手することに成功した。これで、計算ができると思ったが、使い慣れないツールは、コツを飲み込むまで、時間を要した。
 コンコン
 部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
 ちょうど、集中力が切れ掛かっていた時だったので、一息いれるには好都合だった。
 入ってきたのは、宙美だった。そして、後ろから、大地も続いた。コーヒーの芳香が、緊張をほぐしていった。
「はい、コーヒーをどうぞ」
 宙美は、一つだけのカップを、机の角に置いた。そして、大地の方に振り返ると、一言言った。
「ほらね。隼人君は、私の声しか聞こえないのよ」
 取りようによっては、意味深長な言葉だった。カップに伸ばし掛けていた手が、思わず止まった。
「おい、隼人君。僕の声が聞こえないのかい?」
「え、どうして?」
 意味が分からず、思わず聞き返した。
「一時間くらい前に、僕もノックしたんだけど、返事が無かったんだ。それで、部屋の外から声を掛けたんだけど、やっぱり返事が無かったんだ」
「うそ」
 ノックにも、大地の声にも、覚えが無かった。
「ほら、私じゃなきゃ駄目なのよ」
 宙美は、追い討ちを掛けた。
 それで、はたと思い当たり、時計を見た。
 部屋に篭って、三時間が過ぎていた。もうすぐ、夕飯の時間だった。
「こんな時間になってたんだ」
 集中すると、こんな事はよくある。一時間くらいのつもりが、二時間、三時間と過ぎていた事は、隼人にとって珍しい事ではない。ただ、学校の勉強で、ここまで集中した事は、今もって一度もなかった。
「呆れた。時間も分からないくらい、必死に計算してたの。それくらい、学校の勉強もすればいいのに」
 宙美は、まるで母親のような口振りだ。
「でも、流石に、天才征矢野勝史の息子だ。呆れるほどの集中力だ。で、どうだい。計算はできたかい?」
 隼人は、俯き加減に首を振った。
「ふう。呆れるほどの凡才ぶりだわ」
 宙美の毒舌は、毒を増したようだ。やっぱり、どこかでちゃんと謝ろう。隼人は、そう思ったが、謝るチャンスは中々見付かりそうになかった。
「それで、やめちゃうの?」
「いや、最後までやるよ」
「そう、その粋よ。凡才は、そうでなくっちゃ」
 励まされてるのか、馬鹿にされているのか、彼女の心は、さっぱり読めない。
「食事の時は、ノックしても、声を掛けても駄目だったら、テーブルまで担いで行ってあげるから、目一杯集中していいよ」
「そうよ。それでも集中してたら、私が代わりに御飯を食べてあげるね」
 彼女の毒舌は、全開ばりばりのようだ。
 二人は、「バイバイ」と言って、仲良く部屋を出ていった。
 部屋には、彼女のいい匂いが残った。隼人の頭の中には、彼女の笑顔が浮かんでは消えた。何とか振り払って集中しようとしたが、頭の片隅にこびり付いて離れなかった。
 隼人は、一気にコーヒーを飲み干した。空き腹には、ちょっと重かったが、嬉しい苦さだった。
 結局、一時間後、大地に肩を叩かれた。
 夕食だった。

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