伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 水素潜水試験の現場は、サンディエゴから二時間足らずの場所にあった。
 真っ青に広がる太平洋に、白い船体が見えてきた。
 タッカは、エンジンを絞りながら高度を下げていった。支援船ダーウィンは、視界の中で徐々に大きくなっていく。
「ディセント・チェックリスト・コンプリート」と、ユカリが言う。
 降下は終了。ここからは着水態勢だ。
 アプローチ・チェックリストを要求した。ユカリが次々にこなしていく。タッカは、彼女の手順を一つ一つ確認した。
 BLCをオンにすると、操縦輪を軽く引き、ごく一部の機種でしかできないバックサイド領域に入れた。急激に抗力が増えて一瞬速度が落ちるが、推力自動制御装置が遅れて推力を調整する。
 この遅れが、機長達には不評なのだろう。
 タッカは、支援船の船尾付近を目指した。どうしても事故の状況を見ておきたかった。
 エンジン音に驚いて飛び立つ海鳥に注意しながら、支援船の上空をローパスした。
 最初に目に飛び込んできたのは、船尾の甲板上にある大きく曲がったクレーンだった。クレーンのアームは、箱型に溶接された部分がぱっくりと口を開けていた。
 アームの付け根は、ジョイント部分が引き千切られた様になっている。台座部分の甲板も、引っ張られて膨らんでいる。恐ろしく強い力が掛かったようだ。船自体にも、損傷が出ているのかもしれない。
 このクレーンは、アンビリカルケーブルを釣るためのものなのだろう。事故は、支援船と海底基地を結ぶアンビリカルケーブルで起こったのだ。これでは、アンビリカルケーブルを直す事は不可能だろう。
 ひん曲がったクレーンは、水中エレベータをつり下げた別のクレーンにもたれ掛かっていた。水中エレベータも、降ろせない可能性が高い。
「想像以上ね」
 彼女の暗い声が聞こえた。
 事故の激しさを目の当たりにしたタッカは、彼女の言葉に答える事ができなかった。
 海底基地は、完全に支援船からの支援を絶たれたのだ。電力も、空気も、連絡も。
 海底基地は、電力と空気を海上から供給されるが、緊急時に備え、自力でも一ヶ月の生存ができるだけの電力と空気、二酸化炭素除去物質を貯えている。だが、海上であれだけの被害を受けているのだから、海底の基地でも無事で済んだ筈はない。
 鉄腕の顔が、心に浮かんだ。
 小学校から大学まで、ずっと同じ学校に通った仲だ。親以上に、お互いの事を理解しあう親友だ。そして、勉強から恋まで総てにおいてライバルだった。
 鉄腕が、青く光る海面から千メートル下に閉じ込められている。この深さでは、救出は愚か、遺体の収容でさえ困難を極めるだろう。
 正に、世界最悪の牢獄と言える。
「さあ、そろそろ降りましょう」
 彼女の言葉に促され、タッカは着水予定水面に目をやった。
 そこは僅かなうねりしかなく、波高計測の結果も平均波高で三フィート強でしかなかった。多くの飛行艇では着水限界に近いのだが、世界最高の着水性能を誇るS-2Rには、細波に等しかった。
 S-2の着水性能と比肩し得る唯一の飛行艇は、US-2だ。ところが、US-2は、四基のプロペラが総て同じ向きに回転しているため、エンジンナセルの左側面に揚力を発生し、左傾左旋の悪癖を引き起こす。この悪癖は、限界性能に大きな影響を及ぼしている。主翼の限界が来る前に、左傾左旋による垂直尾翼の失速が先に起こるのだ。S-2は、ジェット化されたため、この悪癖から開放された。
 現行の総ての飛行艇の中で、離着水性能も、航続距離も、最高速度も、上昇限度も、最大離陸重量も、S-2は世界最高の性能を誇る。
 だからこそ、慎重に機体を降ろした。
「流石、No1のファーストオフィサーね」
 機体が停止すると同時に、彼女はそう言った。
 何が、No1の副操縦士だ。
 所詮、俺は副操縦士でしかないと、タッカは面白くなかった。
 機体を支援船の左舷、風下側に寄せると、ゾディアックを出して、彼女とドクターがレスキュースイマーの操船で支援船に向かった。状況の確認と打ち合わせのためである。機は、二人のレスキュースイマーと観測員とタッカの四人となった。彼女達が帰ってくるまで、機を支援船の風下に維持するだけだった。
 タッカは、シーアンカーを降ろした。
 支援船から一海里も離れた所で待機するので、エンジンは四基とも停止し、APUを兼ねる第五エンジンだけ運転を継続する。そして、艇体から小型のウォータージェット推進器を下ろす。必要な時は、これで移動する事ができる。
 タッカがすべき事は、周囲の船舶に注意し衝突を回避するだけで、ぼうっとしていれば良かった。幸い、近くに船影はない。支援船の向こう側はレーダーに映らないが、見えてから行動を起こしても十分に間に合うだろう。
 艇体は、ピッチングもローリングも殆どしていない。
 この真下で、六人の男達が生命の危機に瀕しているとは思えない穏やかな海だった。
 タッカの視線は、吸い寄せられるように後部甲板のクレーンにいった。
 上空から見た情景を思い出すと、支援船の水中エレベータは降ろせそうに無かった。支援船の水中エレベータが駄目なら、下は望みが薄い。水深千メートルまで届く水中エレベータは、支援船ダーウィン以外にはアクアシティで整備中の同型船クストーにしかない。出港できる状態にあるとしても、パナマを通過してここまで来るには相当な日数が掛かるだろう。
 タッカは、アクティブソナーを打ちたくなった。そうしたところで、下の様子が分かるわけでも、救助の手助けになる訳でもない。理屈で分かっていても、無性にソナーを打ちたくなった。
散々に逡巡した後、救助を混乱させる事になるだけだと、思い止まった。
 太陽が太平洋の向こうに沈み、見事な夕焼けが西の空と海面を赤く染めた。赤い空は、やがて紫色に変わり、海も深い藍色になっていった。艇体を叩く波の音が、APUの騒音に混じって微かに聞こえてくる。
 太平洋は、夜の闇に包み込まれようとしていた。
「タッカ? 居る?」
 ユカリが日本語で呼び掛けてきたのは、夕焼けも終わり間近になった頃だった。
「こちらタッカ。どうぞ」と、軽く返した。
 気付くと、タッカの後ろに他の三人が集まってきていた。
「やっぱり相当に厳しそうね。上から見て気付いたでしょう。船尾のクレーンは全滅よ。アンビリカル・ケーブルが急に引っ張られて、クレーンを引き倒したそうよ。その力は、支援船が危なくなったほどらしいわ。でも、原因は潜水艦が引っかけたのか、下の基地自体が動いたのか、下と連絡が取れないから分からないんだって。
 ダーウィン内でも五人が負傷しているけど、一人を除いて軽傷よ。重傷の一人は、私達が搬送すべきかどうか、微妙なところね。ここの医療設備を使って回復を待つ方が、今のところは得策のようよ。
 あっ、ちょっと待って」
 ユカリは、無線の送信ボタンを押したまま、何やら話していた。そして、嬉しそうな声が返ってきた。
「下から、モールス信号を打ってきたそうよ。取り敢えず、六人全員無事よ」
 無線を聞いていた後ろの三人が、奇声を上げた。
「怪我人は二人だって。怪我をしたのは、リーダーのナンスとアロイらしいわ」
 鉄腕は、怪我もしないで済んだらしい。ナンスとアロイには申し訳ないが、ホッとする。
 ユカリは、今度は無線の送信ボタンを切って、何やら話しているようだった。間も無く送信を再開した。
「原因は、下でも分からないそうよ。急に、アンビリカル・ケーブルが引っ張られて、ケーブルスタンドごと引き摺られて、かなりの被害が出てるそうよ」
 後ろの三人が騒がしくなった。原因について、ああでもない、こうでもないと、話しているようだ。彼等も、下の様子が気になっているのだ。
「おまけに、支援船が危険を感じてケーブルを切断したけど、緊急脱出装置がそのケーブルの直撃を受けて、被害が出てるらしいの。もうちょっと待って」
 また、無線の送信ボタンを離したようだ。だが、直ぐに彼女は送信ボタンを押した。
「貴方は誰なの?」
 タッカだよと答えようと思ったが、ただならぬ雰囲気を感じて、沈黙を保った。
 無線の向こうから、きゅっきゅっと軽快な靴音が聞こえてきた。何かが起こっているらしい。タッカは、後ろの三人に静かにするように手で合図を送り、無線に耳を澄ませた。
 靴音は、五、六人分はいただろう。だが、総ての靴音がほとんど同時に止まった。
「この船を占拠した。大人しく、無線を貰おう」という荒々しい男の声が聞こえてきた。同時に無線は切れた。
 暫く無線を開いたまま様子を伺っていたが、それっきり何も聞こえなくなった。後ろの三人も、身動ぎもせず、ヘッドセットからの音に耳を澄ませている。
 このままでは埒が明かない。
 念のため、航空管制所を呼び出し、ダーウィンが何者かに占拠された疑いがある事は連絡した。航空管制所は、救難信号は受信していないが、占拠された事が確認できれば、連絡を寄越すように言った。確認が取れれば、最寄りのコーストガードに通報する事を約束してくれた。
 どんな目的を持っているのか分からないが、何者かが支援船を乗っ取ったらしい。だが、不思議とユカリの事は心配しなかった。彼女を捕まえようと思った連中は、相当苦労するだろう。彼女の武道の腕は、半端じゃない。非力な女性だが、技が恐ろしく切れるのだ。
(俺なら、機関銃を持っていても彼女とは戦わない)
 タッカならそうする。それほどの腕前なのだ。
 タッカは、ウォータジェット推進器を始動した。シーアンカーを引き上げ、機体を支援船の風下三百メートルまで近付けた。ここで様子を見る事にした。この位置なら、重火器でも無い限り、弾は届かないだろう。念のため、機体を支援船に真っ直ぐに向けた。こうする事で、支援船から見えるS-2の大きさを最小にできる。
 発砲もあるかと緊張して監視していたが、支援船は静かだった。
 ユカリは、船橋に居た筈だ。逃げるなら、そこから海に飛び込むだろう。
 誰かが海に飛び込んだら、直ぐにでも救出しよう。
 夕焼けの残光で紫色に浮かんだ支援船の船首から船尾まで目をこらしたが、甲板にも船橋にも人影は無かった。
 いくつかの舷窓からは灯りが漏れてきていた。船橋も、灯りが点いている。
 乗っ取り犯は、風上側から近付いたのだろう。だから、こちら側からは全く見えなかったのだ。同時に、奴等はこちらに気付かなかった。この運の良さを何とか利用しないといけないのだが、現時点では脱出する人を助けよう。それに、彼女なら乗っ取り犯を逆に押さえる可能性も高い。
 もう少し待とうと、タッカは考えた。
「おい、ゾディアックが戻ってくるぞ」と、バブル状に膨らんだ観測窓から監視を続けていた観測員が叫んだ。
 船尾を迂回し、ゾディアックがこちらに向かってくる。
 彼女なら、乗っ取り犯を一人で制圧する事も可能だ。無事、乗っ取り犯を取り押さえたが、無線を壊されていてゾディアックを寄越したのだろうと、タッカは解釈した。
「よし、収容準備だ」
 後ろの三人が、左側面の救難収容扉を全開にした。生温く湿った海風が、大きな開口部からコクピットにまで流れてくる。艇体を叩く波の音に混じって、ゾディアックの船外機の騒音が聞こえてきた。
 コクピットの窓から見ると、船外機を操るレスキュースイマーしか乗っておらず、ほとんどが大きな黒いシートで覆われていた。
 ゾディアックは、左舷側に大きく回り込むと、真っ直ぐに接近してきた。ゾディアックがすぐ脇まで近付いた時、初めてレスキュースイマーの顔が確認できた。だが、顔は蒼ざめていた。そして、何かを表情で伝えようとしていた。
 数秒後、ゾディアックの舳先が機体にコツンと当たった。その瞬間、シートが捲れ上がり、五人の男が機関銃をもって飛び出してきた。
「フリーズ!!」
 機関銃を突き付けられ、全員、言葉通りに凍り付いてしまった。
 タッカは、後の三人に叫んだ。
「逆らうな! 今は言う通りにするんだ!」
 タッカに言われ、ピストルを抜こうとしていたレスキュースイマーは、そっと手を離した。彼は命拾いした。敵は、既に彼に自動小銃を向けていたのだから。
 奴等は、乗り込んでくると、まるで何度も練習していたかのように行動した。
 最初に三人が乗り込むと、一人がタッカ達四人に銃を向け、もう一人が入り口で睨みを利かしながら、残る一人の援護ができる体制を整えた。ゾディアックに残った二人は、一人は舵を握るレスキュースイマーに、もう一人は入り口付近に銃を向けた。
 中に入った三人目は、まずコクピットを、続いて、船上減圧室と、その後ろの水中エレベータまで、素早く家捜しを終えた。最後には、床にあったハッチから床下通路の存在にも気付き、そこも誰かが潜んでいないか、手早く捜索をした。
 一通りの家捜しが終わると、順番に武装解除をしていった。それも、一人ずつ引き離した上で一人が至近距離から後頭部を狙って銃を構え、丸腰の男がボディチェックをするのだ。
 丸腰なのは、ボディチェックの相手に武器を奪われないための用心なのだろう。それに、後ろから狙われていたのでは、反撃のチャンスも捜せない。後頭部に狙いを付けているのは、中腰でボディチェックをしている仲間を楯にされる事無く、確実に打ち殺せるようにするためなのだろう。
「軍隊みたいだ」
 誰かがぼそっと漏らした言葉に、タッカも無言で賛意を示した。

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  救難飛行艇S-2R

「スクランブル! スクランブル!」
 電子的に合成された声は、タッカを眠りから引き戻した。毛布を蹴って立ち上がると、隣室のブリーフィング室に消えるユカリの後ろ姿が見えた。タッカも続いて隣室に入った。
 制服をビシッと着たブリーフィングコンダクターが、タッカらを待っていた。
「水素潜水試験設備で、事故があったそうです」
 タッカは、ユカリと顔を見合わせた。
「事故は、下であったんですか。上であったんですか」
 上、即ち、支援船で事故があったのなら、鉄腕の身に即座に危険が降り掛かる事はない。支援船の支援が無くとも、最大一ヶ月は自力で生存できる。だが……
「下です」
 ブリーフィングコンダクターは、聞きたくなかった言葉をあっさりと吐いた。
「現在、海底基地との連絡は切断されているそうです。下に生存者が居るかどうか不明ですが、救出した場合には直ちに移送できるように、派遣要請が入りました」
「で、現地の気象と海象はどうですか」
 ユカリは、通常の救難飛行と同じ様に、淡々としていた。
「現在のところ、全く問題ありません。風力は1、平均波高3フィート未満です」
「もし救出した場合、アクアシティまで空輸する可能性が高いのですね」
「ええ、高圧医療設備は、あそこが一番整っていますから」
「現地までの気象状況は?」
「これが高層天気図です。特に問題はありません。ただ、行きは三万五千フィートから四万フィートで向かい風になります」
 タッカは、メモを取りながら、高層天気図に見入った。この天気図だと、快適な空の旅になりそうだ。行く目的が観光なら最高なのだが。
「アクアシティの受け入れ準備は、どうなってるの?」
「まだです。下の様子が見えてこないと、準備のしようがありませんから」
「で、事故の内容はどうなんですか」
 タッカは、どうしても聞いておきたかった。が、ユカリに制止された。
「それは機上で聞きましょう。空輸する品はありませんね」
「総て支援船の搭載品で間に合うようです。少なくとも、S-2Rで運ぶものは無いと、言っています」
「では、医療品が必要になった場合には、支援船の備品を借りられますね」
 ドクターの質問に、ブリーフィングコンダクターはしっかりと肯いた。
「分かりました。直ぐに離陸します」
 レスキュースイマー三人、観測員一人、ドクター一人で構成されるS-2Rの乗員達と共に、タッカとユカリは機に乗り込んだ。
 何の因果か、ユカリが機長を務める機の副操縦士として、サンディエゴで勤務する事になった。突然の勤務変更だった。その訳は、ユカリが、機長最初の勤務は最も腕の良い副操縦士と組ませて欲しいと要求したためらしいが、ユカリの口からしか聞いていないので、タッカには真相の程はわからない。
「難しくない飛行だけど、気を抜かないでね」
 彼女は、タッカに操縦のチャンスを与えてくれた。先週の空港の喫茶店での話を、彼女は気にしてくれていたのだ。
 二分後、ジャイロが自立した。直ちに離陸前のチャックリストに移り、間も無くサンディエゴの空港を飛び立った。

 S-2は、新明和工業のUS-2の技術を昇華させた機体と言ってよい。そして、そのUS-2の根底には、新明和工業の前進である川西航空機が作り上げた二式大艇が息づいている。
 日本海軍の飛行艇として、第二次世界大戦中にデビューした。その性能は、総てにおいて当時の飛行艇の水準を遥かに超えており、実用飛行艇では世界で最も速く、最も遠くまで飛べた。どの性能値も、飛行艇では比較できるものは世界のどこにも無く、空の要塞と呼ばれた陸上機のB17にさえ、比肩し得る高性能だった。特に、航続距離の長さは特筆もので、B17を二千キロ近くも上回る七千百五十三キロを誇った。パイロット達は、三食分のおにぎりを持って乗り込む事を自慢し、まる一昼夜に及ぶ作戦行に耐えた。
 事実上の後継機であるUS-1、その改良型のUS-2を除けば、二式大艇を上回る飛行艇は今もって少ない。零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦よりも、この二式大艇を日本の傑作機として揚げる専門家は少なくない。
 二式大艇は、高性能ぶりを示すいくつかの逸話を残している。その一つに、B17との空中戦がある。
 B17と二式大艇が、それぞれ単機で遭遇し、空中戦になった事がある。
 両者共、四発の大型機だったが、陸上機のB17に対し、二式大艇は重い艇体を持っている点で明らかに不利だった。この空中戦の勝敗は、火を見るよりも明らかな筈だった。
 だが、結果は逆だった。鈍重な筈の飛行艇である二式大艇は、中型攻撃機並みと言われた軽快さで飛び回り、B17を上回る重武装と日本軍機には珍しい燃料タンクの防弾装置の甲斐もあり、B17を撃墜したと言うのだ。
 こんな高性能にも関わらず、終戦時には大部分の機体は失われた。
 パイロット達には、機体が失われるのは生爪を剥がされるような心の痛みがあっただろう。機体と共に散った者。目の前で機体を破壊された者。
 同じパイロットながら、平和な空を飛べる俺は幸せだと、タッカは思う。
 戦争さえなければ、空に散った若いパイロット達も、この美しい空と鳥瞰を思う存分楽しむ事が出来ただろう。飛行経路の大部分が海上であるタッカだが、空からの景色が常に心のどこかにあり、たとえパイロットを辞める時が来ても、乗客となって空を飛び続けたいと願っている。
 戦争さえなければ、彼等若いパイロット達も、この美しい空を飛ぶ事が出来ただろう。そして、美しい景色を数え切れないほど心に刻んだであろう。
 戦争さえなければ!
 戦後、僅かに三機だけ残った内の一機を横須賀に回航する際にも、二式大艇は逸話を作った。
 二式大艇をノーフォークに研究保存するため、横須賀に回航する事になった。先導するアメリカ海軍の飛行艇に追従し、二式大艇は横須賀までの最後の飛行を行った。
 横須賀までの空路、アメリカ軍飛行艇のあまりの鈍足ぶりに、二式大艇はフラップを降し、機体を左右にスイープさせながら飛行した。アメリカ軍飛行艇を追い越すと、逃亡と見なして攻撃を受けてしまうため、このような飛行となった。着水も、ポーポイジングを起こしながら着水したアメリカ軍飛行艇を尻目に、かつお節と呼ばれる独特の波消し装置を備えた二式大艇は、見事な着水を決めたという。
 この回航に同行したアメリカ軍パイロットは、「こんな素晴らしい飛行艇を持ちながら、なぜ日本は負けたんだろう?」と漏らしたそうだ。後に、ノーフォークで繰り返された性能調査でも、アメリカ人技術者を一様に唸らせたのは、言うまでもない。
 S-2は、この二式大艇と同じ技術の流れを汲む。
 ただ一つ、S-2が平和目的で製造された点を除いて。

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