伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  - 3 -

 会議室の前には、大型のバスが待機していて、それに乗り込むと、満員の乗客共々、駐機場に運ばれた。
(無茶だ)
 隼人は、心の中で、そう思った。
 バスを降りると、全員がそのままスペースプレーンに誘導されたからだ。
 スペースプレーンは、最大加速度でも二G弱程度と小さくなっているが、宇宙に出ると無重力環境になる点では、昔の宇宙船と何ら変わりがない。当然、無重力環境での活動に慣れていなければならない。少なくとも、身体検査を充分に行い、無重力環境に耐えられる事を確認しておくべきだ。だが、それらを何も実施していない。それどころか、年端のいかない幼児や母親に抱かれた乳児まで居る。
「無重力下に出たら、吐く奴が大勢出るぞ」
 口の中で、小さく呟いた。常識的な危惧だった。
(一体、何が起こってるんだろう?)
 これほどの無茶をしてまで、飛鳥にこれだけ大勢の人々、それも事業団の家族を移動させるのだから、その理由も緊急、かつ深刻な筈だ。
(まるで天変地異の直前じゃないか)
 困惑と混乱の頭を抱えたまま、隼人はスペースプレーンのタラップを上った。
 機内に入り、隼人は更に困惑させられた。なぜなら、どう見ても、定員以上の乗客が、客室内で蠢いていたからだ。そして、もう一つ。転落防止ネットにベルトが巻かれているのが、目に留まったのだ。使用目的は、一目で想像が付いた。
「体重が十五キロ未満のお子様は、膝にお抱き下さい。最大加速は二G近いのですが、お子様は仰向けに抱いていただければ、何の心配もございません」
 機内放送で、嘘のような事を言っている。
 確かに、体重が軽いほど、耐G能力は高くなる。航空機事故で、乳幼児だけが助かる例があるが、まさにそれだ。とは言え、通常なら二歳未満の子供は、原則としてスペースプレーンへの乗機は認められていない。二歳以上でも、きちんと一人分の座席が与えられ、体格に応じたチャイルドシートが用意される。それが、今日は、膝の上だという。
 母親達が、素直にそれに従うだろうかと危惧したが、その程度の事は予測していたらしく、特に混乱はなかった。キャビンアテンダントが、乗り込んできた乗客を、奥から順番にシートに座らせていった。
 隼人にあてがわれた席には、やや遅れて、母と同じくらいの年齢の婦人が、娘らしい少女を伴ってやってきた。
「隼人君?」
 聞き覚えのある可愛い少女の声だった。隼人は、声の主を確かめるため、隣の婦人の向こう側を覗き見た。その少女は、長い真っ直ぐな髪を両サイドに結わえ、無理矢理作った笑顔を見せていた。
「神戸さん?!」
 神戸宙美。隼人の同級生だった。
 明るい性格と、誰にでも平等に見せる笑顔で、クラスのアイドル的存在だった。その宙美の笑顔が、今は曇っている。
「あたしの母よ」と彼女が、隣の婦人を紹介した。
 言われてみると、婦人は、宙美に良く似た知的な美人だった。
「おかあさん、征矢野隼人君よ」
 彼女は、隼人の名前を聞いた瞬間、ほんの一瞬だったが、動揺を見せた。
 征矢野姓は珍しい。管制センター長の親族だと考えてるのも無理はない。彼女が見せた動揺は、そのせいだろう。
「宙美が、いつも御世話になっています」
 婦人は、軽く会釈したが、緊張は隠せず、笑顔は見せなかった。
(御世話になってるなんて、まるで逆なのに)
「いいえ、僕の方こそ」
 どぎまぎしながら、それだけ答えるのが精一杯だった。
 隼人が、シートベルトで身体を固定した後も、ぞくぞくと人が乗り込んできた。ほとんどが成人男性だが、みんな還暦をとうに超えているようだった。中には、白寿が近そうな老人さえ居た。
 彼等は、足元の転落防止ネットを手に取ると、天井と床のフックに引っ掻け、ハンモックを垂直にしたような形にした。ベルトを使って、これに身体を固定するのだろう。こんな方法は、尋常ではない。
 隼人の隣には、八十歳を超えていそうな老人が、ネットを準備していた。
「おじいさん、ここに座って」
 隼人は、大忙しでベルトを外した。見ていられなかったのだ。
「坊や、私は大丈夫だ。君は、そこに座っていなさい」
「駄目だよ。僕の方が、おじいさんよりずっと元気だし、身体が柔らかいから怪我し難いよ。それに、僕は今度で五回目のフライトだから、慣れてるし」
 ベルトを外し終わると、老人をシートに引っ張った。
「隼人君……」
 宙美が、心配そうに声を掛けた。
 老人は、宙美の顔をちらっと見ると、「ガールフレンドかい?」と、隼人にだけ聞こえる小さな声で言った。
「違うよ」
 隼人は否定したが、老人は「ありがとう。シートに座らせてもらうよ」と言うと、宙美達を窓側へ一つ席をずらさせ、隼人と場所を入れ替えた。
 何だか、彼女の前で格好良い所を見せようとしているように思われたのではないかと、心外だったが、急いでネットの準備をし、身体をそれに固定した。
 このネットは、本来は、転落防止用だ。宇宙空間で加速している時は、機首が天井、機尾が床になっているのと同じだ。こんな時に、シートから離れたら、機首から機尾まで、真っ逆様に転落してしまう事になる。物を落とした場合も、同じだ。それを防止するのが、このネットの本来の役目だが、今日は、そのネットまで使って、乗客を乗せようとしている。
 無茶苦茶だった。いや、無茶苦茶な事をしなければならない何かが起こっているのだ。
 隼人は、得体の知れぬ恐怖に、身の竦む思いだった。
 スペースプレーンは、ドアを閉めるなり、誘導路を走り始めた。
 客室内では、まだ転落防止ネットに体の固定が終わっていない者が居た。キャビンアテンダントは、悲鳴に近い声で指示を出していた。
 パイロットも、管制塔も、何かを恐れて焦っているのが、隼人にも伝わってきた。
 機内放送が、機内の設備、事故時の対処方法や脱出器具、無重力状態での注意事項など、法律で定められている文を読み上げていく。客室の総てのディスプレイが、映像でそれを補強する。だが、この状況では、どこか空々しい気がした。
 誘導路端まで来た機体は、滑走路の方へ向きを変えた。そして、停止したまま動かなくなった。
 通常なら、ここでリニアカタパルトの接続をするが、その作業には1分も掛からない。それが、2分を過ぎても動かなかった。
「こちら、機長です」
 本来の手順を知っている乗客が異常に気付き、ざわつき始めていたが、スピーカーから流れ始めた機長の声に、みんなが傾聴した。
「ただ今、管制塔からの連絡で、間も無く、大きな地震の揺れがここに到達する事が分かりました。本機は、地震の揺れが収まるまで、ここで待機し、揺れが収まった後、直ちに離陸する予定でございます」
 隼人は、驚いた。
(地震の発生を予知できるようになったのか?)
 大きな地震の発生確率は、かなり精度が上がってきたとは言え、発生時期の予測は不可能と言われている。それが、今は、数分後に発生する事を、管制塔が断言している。
 P波で、本震のS波の到着時刻を予測するシステムは、ずいぶん昔からある。それなら、秒単位の予測もできている。それを使ったのだろうか。それにしては、地震の予測から揺れまでの時間が開きすぎている。
 他の乗客も、不審に思っているらしく、機内は再びざわつき始めた。
 そのざわめきを突き破って、激しい揺れが機体を襲った。
「キャー!!」
 機内のあちこちで、悲鳴が上がった。
 今までに経験した事が無い、激しい揺れだった。オーバーヘッドコンソールの中の手荷物が、激しい音を立てながら蓋に激突し、今にも飛び出して来そうだ。乱気流には慣れている筈のキャビンアテンダントでさえ、あまりに激しい揺れに悲鳴を上げた。
 隼人も、ネットに身体を固定していても、とても立っていられないほど、上下、左右に身体を揺さぶられた。最後には、足を取られて転倒し、ベルトに支えられてネットにしがみついている有り様だった。それでも、揺れは収まらず、ネットから振り解かれそうに、左右のシートに叩き付けられた。
 地球の最後を主題にした映画の主人公にでもなったような状況で、これでもかと揺れ続いた。映画の主人公なら、何かの名案を閃き、こんな状況さえも潜り抜けるところだが、今の隼人は、成されるがままに振り回され続けた。
 数分間も続いて、ようやく揺れが納まった時、隼人は、捩じれたネットに絡め取られ、蜘蛛の巣に掛かった蝶さながらになっていた。
「坊や、大丈夫かい?」
 老人は、隼人を気遣った。
「平気です」
 急いでネットの捩じれを戻しながら、四肢の自由を取り戻そうとあがいた。何とか、両足で立ち上がる事ができた時、平然とした顔を作り、老人に微笑んだ。老人の向こうには、宙美の心配そうな顔があった。
「大きな地震だったね」
 確かに、今までに経験した事が無い激しい揺れだった。
「マグニチュードは、揺れの継続時間の平方根に近い値になるんですよ」
 ちょっと、自慢気に隼人は言った。
「と言う事は、マグニチュードは九か十ぐらいって事かな。一分半くらい、揺れていたから」
 隼人は、答えられなかった。
 地震のマグニチュードは、史上最悪の地震でもマグニチュードが十を越えた事はない。
(何か、おかしい)
 隼人の疑問を、更に混迷の底に陥れるような機内放送が始まった。
「ただ今の地震は、縦揺れです。次の横揺れが襲ってくる前に離陸するよう、管制塔から指示がありましたので、直ちに離陸します」
 縦揺れ? 横揺れ?
 確かに、縦揺れ、即ち圧縮派であるP波は、横揺れのS波のほぼ倍の速さで伝わる。だが、P波は、もう少し軽く、継続時間も半分程度になる筈だ。そうなると、概算のマグニチュードは、ルート二倍のマグニチュード十三か十四?
 仮に、そんなマグニチュードがあるとしたら、この程度の揺れで済む筈が無い。機体の脚を圧し折るくらいの揺れになってもおかしくない。
 それに、P波とS波の間隔が、スペースプレーンが離陸するのに十分なだけ空いている事も、不思議だ。震源地との概算の距離は、おおよそ、P波とS波の秒単位の時間差を八倍したところだ。仮に、離陸に必要な時間が三分だとすると、震源地は千四百キロメートルも離れている事になる。
 揺れの激しさとのバランスは取れそうだが、過去の最大規模の地震を考えると、とても納得できない。
 隼人の困惑を余所に、機内放送で言った通り、機体は滑走を始めた。
「怪我をされている方は、離陸後、水平飛行に移りました際に、客室乗務員がお薬をお持ちします。それまでの間、席を立ったり、ベルトを外さないようにお願いします。ただ今から、本機は、離陸いたします」
 キャビンアテンダントが、なんとか平静を装い、繰り返し注意を呼び掛けている。
 揺れが収まっても、直ぐには離陸できない筈だ。滑走路の路面状態を確認しないで良い筈がない。それでも離陸を強行するのは、次の揺れで、滑走路を破壊される事を警戒しているのだろう。
「おとうさん……」
 隼人は、呟いた。
 父は、今も管制センターに残っている。滑走路でさえ破壊するような地震が襲ってくるとなると、管制センターもタダではすまないだろう。それに、隼人達を脱出させなければならない何かから逃れようにも、滑走路は使えなくなっている可能性があるのだ。
 機体は、重々しく加速を開始した。
 大型輸送機の背中に超音速機に似た宇宙船を載せたスペースプレーンは、満載の燃料に加え、定員を超える乗客を乗せているので、加速にも時間が掛かっている。しかし、強力なリニアカタパルトの力を借りて、戦闘機のような加速を続けた。
 もう誰もが異常事態に気付いていた。心臓を締め付けるような緊張と不安が漂う中、機体は確実に速度を上げていった。
 宙美の母は、手を合わせて祈りを捧げている。席を譲ったおじいさんも、手を合わせていた。どこからか、お経さえ聞こえてくる。隼人も、だんだん不安になり、神様でも、仏様でも、キリスト様でもいいから、拝みたい気持ちになった。
 五十秒は滑走しただろうか。滑走路の末端が気になり始めた頃、ようやく、機首を持ち上げた。やがて、スペースプレーンは地上を離れ、南へと進路を取った。
 約一時間、南下を続け、ラムエアジェットを全開にして加速を続けたスペースプレーンは、長い持続旋回に移った。四十分を越える持続旋回によって進路を東に変えたスペースプレーンは、赤道上空で、予定の高度八万フィート、マッハ六に達した。ここで、スペースプレーンのオービターがマザーベッド(母機)から切り離され、地球周回軌道へと、更に高度と速度を上げていった。

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  ー 2 -

 昼間に比べれば、気温は下がっているが、じっとりと湿気を帯びた夜気が体を包んだ。梅雨の終わりから続いている熱帯夜は、今夜も終わらないようだ。蒸せるような草の臭いが、鼻孔をくすぐる。室内の冷房に慣れた体は、あっと言う間に汗ばんだ。
 草むらの虫の鳴き声が、やたらと耳につき、暑さを増幅する。
 官舎のある丘陵地帯の一キロほど東に、管制センターの灯りが見えた。その向こうには、スペースプレーンの飛行場が有り、更にその先には、夜の太平洋が広がる。
 天頂から水平線まで雲一つ無い快晴の空に、数え切れない程の星がきらきらと瞬いていた。その星屑が無くなる所が、水平線だ。今夜は、その境界線がくっきりと見える。
 空気が澄んでいる証拠だ。
 ふいに、ジェット機の爆音が、遠雷のように聞こえてきた。東の海岸線近くにある飛行場から、親子型のスペースプレーンが離陸するところだった。
 この時間帯にスペースプレーンが離陸する事は、特段、珍しい事ではない。大量の貨物と、時には管制センターの職員をその隙間に乗せて、スペースプレーンは飛鳥に向かうのだ。今夜も、荷物と同類の扱いで、職員が押し込められているのだろう。
 隼人は、二人分の荷物を電動カートに積み込んだ。
 電動カートは、音声で行き先を入力すれば、宇宙移民事業団の管制センターの敷地内なら、どこへでも自動運転で走っていく。自動運転モードでは、免許証も要らない。
 スペースプレーンの爆音が遠ざかるのを待って、隼人は行き先を電動カートに命じた。
 電動カートは、ゆるゆると走り始めた。
 やたら、虫の声が煩い。広大な敷地に点在する官舎の間を縫って電動カートが走る間、虫の声が気になって仕方がなかった。夜間に外出する事は滅多にないが、こんなに虫の声が煩いものだとは、思ってもみなかった。人間にとって、蒸し暑くて堪らないこの季節が、虫達には最高の恋の季節なのだろう。
 地球温暖化で、住む所を奪われた動植物も多いが、この辺りは、それほどでもないようだ。その中で、気を付けなくてはいけないのが、マラリアだ。最近は、この辺りでもマラリア蚊が越冬できるくらいに、冬の気温が高くなった。だから、マラリアの予防注射は欠かせない。
 そんな訳だから、政府も重い腰を上げ、遅れ馳せながら、二酸化炭素やメタンガス等の温室効果ガスの排出を本格的に削減するようになった。
 ここでは、二酸化炭素の排出を最小限に絞るため、化石燃料で走る車は一台もない。車は、充電方式の電動カートだけだ。燃料電池で動くZEVは、その名(ゼロ・エミッション・ビークル)に反して、温室効果ガスの水蒸気を排出する。だから、敷地内では、ZEVさえ、見掛ける事は少ない。
 隼人は、何気なく目をやったある官舎に、普通は二、三台有る筈の電動カートが、一台も無い事に気付いた。
(あれぇ、みんなで旅行かな)
 最初は、そんな風に気軽に考えていたが、次の官舎も、電動カートが一台も無かった事で、隼人の気持ちが落着かなくなった。
 次の官舎では、家族総出で大きな荷物を電動カートに積み込んでいた。幼稚園児らしい子供も、泣きながら手伝いをしていた。その子の母親らしい女性も、子供を叱り付けながら、片手に赤ん坊を抱えて、必死の形相で荷物の積み込みをしている。
(何かあったんだ!)
 とんでもない事が起こっていると、生来鈍感な隼人も感じ始めた。
 電動カートが、管制センターへの広い道路に出た時、それが確信に変わった。道路は、電動カートで埋め尽くされていた。
(どこかの国が、日本を攻撃してきたのかな?)
 宇宙に移民する時代に、地上で小さな領土争いをしても、何の得にもならない。日本が侵略されるなんて、馬鹿馬鹿しい発想だ。だが、領土を巡る小競り合いが、いまだに世界のあちこちで起こっているのも、確かに事実だった。
 自動運転のカートは、その能力の限界まで車間を詰めて走り続けた。それは、長い光の帯となって、管制センターまで続いていた。
 管制センターの前は、大勢の人々で騒然となっていた。電動カートも、駐車場が足りないため、右往左往していた。官舎の総ての電動カートがここに集まっているのではないかと思うくらい、電動カートで埋め尽くされていた。
 渋滞でカートが動かなくなった。しばらく待ったが、一向に動く気配が無い。そのせいか、カートを乗り捨てた人が、隼人のカートの横を歩いていく。ぞろぞろと、長い行列が、遥か後から管制センターに向かって伸びていた。
 隼人も、ほかの人々に習って、カートを乗り捨てた。荷物を降ろすと、電動カートには自宅へ戻るように命じた。
 無人のまま暗闇を走り去るカートをちらりと見やると、荷物を持って立ち上がった。そして、人波に押し流されるようにして、管制センターに向かって歩いた。
 また、ジェット機のエンジン音が聞こえてきた。見ると、管制センターの脇を、スペースプレーンが離陸に向けて誘導路を指導し始めたところだった。ついさっきの離陸から、三十分程度しか経っていない。こんな間隔での離陸は、昼間でも見た事がない。
(宇宙に逃げるんだ)
 状況は掴めていなかったが、漠然とそう思った。
 管制センターの入り口も、人々でごった返し、半ばパニック状態とも言えた。仮設の強力な照明の下で、大きな荷物を持った人々が、急いで中に入ろうと入り口の前で混乱を産み出していた。
 見ると、女性と子供が圧倒的に多く、大人の男性は、大部分が管制センターの警備員や職員だった。その中に父の姿を探したが、ついぞ、見掛ける事はなかった。
「順番に御案内していますので、整列してお待ち下さい!」
 あちこちで、同じ叫びが上がっていた。人々は、ギリギリの線で平静を維持し、手早く誘導されるのに従った。
「IDカードをお持ちですか?」
 隼人は、自分のIDカードを出した。
「征矢野センター長の御子息ですね」
「父はどこですか?」
「飛鳥に着くまで、お会いできません」
「飛鳥? 一体、何が起こっているのですか?」
 飛鳥は、日本が運営する軌道ステーションだ。何の準備も無くそこへ行くとは、ただ事ではない。隼人は、どうしても理由を知りたかった。しかし……
「後ろの方が、お待ちです。先へ、お進み下さい」
 職員は、質問には答えず、隼人の背中を押して先に進ませた。隼人は、人の流れに乗って進むしかなかった。人の流れは、大会議室に入ると、再び滞留した。
 大会議室は、外来の見学者への説明や、宇宙移民事業団に所属する学者や技術者の講演を行う場所だが、展示用のホログラムパネルや模型は、会議室の片隅に追いやられ、少しでも広く使えるように片付けられていた。その大会議室は、今は、手に手に大きな荷物を抱えた人々で、ごった返していた。管制センターの入り口の喧騒が、そのままここに移動してきていた。
 荷物が邪魔にならないように、間隔を充分に空けて置かれた椅子に、焦燥と緊張を胸の内に押し込んだ人々が、一点を見詰めていた。
 人々の視線は、講演用の大型ディスプレィに注がれていた。そこに、IDナンバーと氏名が表示されると、次の部屋に移動する。見ていると、ほんの数分の内に、会議室内に居た人の半数が、次の会議室に移動した。ただ、大会議室を出る人数と同じくらいの人々が新たに入ってくるので、いつまでも同じ喧騒が続いた。
 隼人は、待つ間に、隣の老婦人に聞いてみた。
「一体、何があったのですか?」
 老婦人は、目を丸くして、隼人を見詰めた。
「私も、何も聞いていないのよ。嫁が、急いで管制センターに行かなきゃならないと、私を急かしてね。そう言う坊やも、何も聞いてないのかい?」
 隼人は、頷いた。
「そうかい。坊やのお父さんも、ここで働いてるのかい?」
「ええ。僕も、父から管制センターへ至急来るように言われただけで、何も聞かされてないんです」
 老婦人は、大型ディスプレィを見詰めた。ディスプレィの表示が変わった時、彼女は落ち着き無く周囲を見回した。誰かを探しているようだった。しばらく、きょろきょろしていたが、どうやら探していた人物を見つけたらしく、小さく頷いて合図を送った。
「私の番が来たようよ。悪いけど、先に行くわね。私達は、飛鳥に行くらしいから、向こうで会いましょう」
 老婦人は、呼びに来た中年の婦人に伴われ、大会議室を出ていった。
 目一杯に開放されている入口と、緊張で興奮した人々の人いきれで、冷房が効かない。大会議室が、蒸し風呂のようになっていた。居ても立ってもいられないらしく、初老の男性が席を立ち、入り口付近にいる係員に食って掛かっていた。
 隼人は、周囲を見回したが、ほとんどが子連れの婦人か、老人達で、その人達が今の状況を正確に把握しているようには思えなかった。
 恐らく、ここに居る誰に聞いても、さっきの老婦人の話に優る情報を得られるとは考えられなかった。さりとて、あの初老の男性のように、係員に食って掛かるのは大人げ無いように思えた。
 ここは、黙って待つしかないと、腹を括った。
「そうさ。お父さんに教えてもらえばいいさ」
 管制センター長の父なら、誰よりも正確で詳細な情報を知っているに違いなかった。
 大型ディスプレィの表示が二回も変わると、大会議室も人数がめっきり減った。どうやら、隼人は最後の方だったようだ。残った人々の様子も、興奮より、焦燥と不安が支配し始めていた。
 内容は知らされていないが、非常事態である事も、ここに居るのが危険である事も、人々は敏感に感じ取っていた。隼人も同様で、落ち着き無く周囲を見回した。
 父は、まだ来ない。
 矢も楯も堪らず、じっと座っていられなくなった。係員に事情を聞いてみようかと、入り口に居る係員に視線を走らせたが、自分でパニックを引き起こそうとしているように思え、それを自重した。
 それから何分も経たない内に、大型ディスプレィの表示が変り、隼人の名前とIDが表示された。まだ、父の姿を見ていなかったが、係員の誘導で、別の会議室に連れて行かれた。
 そこでは、荷物のチェックが行われていた。荷物の制限があるのだろう。あちこちで激しい問答が繰返されていた。
 隼人の荷物もチェックを受けた。
「こちらの荷物は、問題ありませんが、このアタッシュケースに入っている物は何か、説明して下さい」
 係員は、隼人のパソコンを不審に思ったらしい。
「自作のパソコンです。起動しても見せてもいいですよ」
 隼人は、係員が見たくらいでは、ハッキングの証拠を掴む事はできまいと考え、アタッシュケースの蓋を開けるそぶりを見せた。
「いえ、起動するには及びません。ただ、重量制限が厳しいので、手荷物は、一つにして頂きたいのです。私の見たところ、着替えが入っている荷物をお持ちになった方が宜しいように思います」
 隼人は、返事に窮した。
 仮に、パソコンを置いていく事になれば、誰かに中身を見られる危険性が増し、ハッキングの証拠を掴まれかねない。何とかして、パソコンを持っていきたい。しかし、着替えを置いてパソコンを持っていくと言えば、それこそ疑われてしまう。
「荷物については、父に相談したいのです。父から、父の着替えも持ってくるように言われてるんです。僕の着替えだけでしたら、パソコンと一緒の鞄に入れられたのですが、父の着替えも用意したので、荷物が二つになってしまいました。どうしてもパソコンを持っていきたいから、荷物を一つにするために、父の着替えは、父に取りに来てもらいたいのですが」
 隼人にしては、一世一代の嘘をついた。その裏には、強かな計算が隠れていた。
「お父さんは、お名前は?」
 予想通り、父の名前を聞いてきた。
「征矢野勝史です」と言って、征矢野姓が書かれた自分のIDカードを見せた。
 思った通り、係員の表情が変った。
 ただ、この先の係員の反応には、二通りが考えられた。一つは、「父に渡すから、パソコンは置いて行け」と言われる事だ。そして、もう一つは……
「管制センター長の征矢野殿の息子さんですか?」
 係員は、隼人のIDカードをちらっと見ると、
「お父様は、遅れて飛鳥に向かわれる筈ですが、ここへ来る時間を割く事はできないでしょう。荷物は、どちらもお持ちになって結構です」と、あっさりと引き下がった。
 ほっとしつつも、それを気取られない内にアタッシュケースをロックすると、会議室から外に通じるドアを通り抜けた。

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