伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  エピローグ

「一ヶ月ぶりね。こんなふうに会うのは」
 彼女の声が、空港の喫茶店に心地よく響く。
「そうだな」
 早朝の喫茶店は、前回と同様、数人のビジネスマンが、朝食を口に運びながら、パソコンを睨んでいた。
 ガラス窓の向こうには、南国の海に特有の水色をしたメキシコ湾が、朝日を反射している。
 一ヶ月半の時間が、巻き戻されたように気がした。
 一ヶ月半前と一つだけ違っていた事は、ここにくる途中で偶然出会ったオコーナーが、親しげにタッカの肩を叩いて行った事だ。
「一昨日は、クストーの会議室で、ちょこっと顔を見ただけだったもんな」と鉄腕が言う。
「そうよ。だから、一月半前にここで会って以来よ」
 店内に、煌きが擦り抜けた。外を見ると、S-2Cの垂直尾翼が、朝日を反射していた。これから、どこかの海上まで、貨物を届けるのだろう。
「それはそうと、タッカよ、お前、記者会見をすっぽかしただろ」
 クストーで開かれた記者会見を、ユカリと二人で抜け出した事を思い出した。
「いいじゃないか。ああいうのは、苦手なんだ。それに、救出されたのは、六名だぞ。俺が居たんじゃ、数が合わないだろう」
 タッカが嘯くと、鉄腕は笑った。
「俺が言いたいのは、このメンバーで、記者会見の経験が無いのは、お前だけだって事さ。ユカリは、潜水艦の位置の公開で記者会見しただろ。俺は、潜る前にも簡単な記者会見をしてたし、今回も記者会見に引っ張り出されたけど、お前は記者会見の経験が無かっただろう。折角のチャンスだったのに、それをフイにしてしまったんだよ」
 タッカは、意味も無く、悔しさが込み上げてきた。
 確かに、鉄腕も、ユカリも、記者会見を受けた事がある。
 タッカにとってみれば、今回が一番記者会見に近付いていたのに、それに出なかったから、当分、いや、永久に記者会見のチャンスを失ったのかもしれない。
 たかが記者会見だが、無性に悔しかった。
「タッカ、いい事教えてやろうか」
「何だい?」
「もう一度、事故に遭ってやるから、もう一度、水深千メートルまで助けに来いよ。記者会見間違い無しだぞ」
 タッカは、大笑いした。
「やなこった」
 鉄腕も、ユカリも、声を上げて笑った。
「鉄腕は、俺には、空の方が似合ってると思わないのか」
「海底の方が、似合ってるぞ」
 鉄腕は、そんな事を言ったが、海底は懲り懲りだった。あんなヤバイ救出劇は、二度とするものか。
 でも、誰も亡くならず、負傷者も最小限で済んだ。敵である乗っ取り犯も、彼女が足刀で倒した男以外に、誰も怪我をしなかった筈だ。それは、幸運だったし、彼女が強く願っていた事だった。
「それはそうと、タッカは、鉄腕に報告する事があるんじゃないの」
 何の事だか勘は働いたが、タッカは、知らん振りをした。
 ユカリは、鉄腕を手招きして、頭を突き合わせた。そして、小さな声で囁いた。
「タッカがさ、半年後の機長昇格試験を受ける事になったのよ」
 鉄腕は、何か悪巧みを思い付いたように、にやっとした。
「おめでとう!」
 態とらしく手を出し、握手を求めてきた。
「まだ、めでたくないさ。試験に合格しなきゃ」
 と言いながら、握り返した。
「まあ、いいじゃないか。さぁ、前祝いといこうぜ」
「そうね。いいわね」
「じゃあ決まりだ。おっと、タッカは、救難活動の特別表彰で、報奨金を貰ったんだろ。おごれよ」
 鉄腕は、握った手に力を込めた。握力計を振り切ってしまう彼の手が、タッカの手を締め上げる。握力八十キロ以上のタッカでも、鉄腕には歯が立たない。
 さっき見せた顔は、報奨金と前祝いを結び付ける事を思い付いた笑顔だった。
「あぁぁ、それが目的だろう!」
 タッカは、笑いながら非難した。
 でも、「ばれたか」と舌を出したのは、彼女だった。
 鉄腕が前祝いと言うのを予想し、昇格試験を受ける事をバラしたに違いない。
「OKを言うまで、この手は離さないからな」
 鉄腕は、更に力を込めてきた。
「分かった。分かったから、手を離せ!」
 タッカがOKを出したの聞いて、鉄腕以上に、ユカリが小躍りして喜んだ。
 報奨金は、大した金額じゃなかった。見た目通りの鉄腕に、痩せの大食いのユカリ。大食漢の二人に奢れば、簡単に足が出てしまう額だ。
 でも、そんな小さな事は、どうでも良かった。
 また、三人で、大いに笑う事が出来た事が、今のタッカにとって、最高の幸せだった。

                < 目次へ >

 タッカは、減圧室から出る直前に、鉄腕から打ち明けられていた。
 鉄腕は、タッカを食堂から呼び出した。
「実は、今回の潜水に出る前に、ユカリに告白したんだ」
「告白? プロポーズしたのか?」
「いや、結婚を前提として、付き合って欲しいと言ったんだ。駄目元で言ったんだが……」
 思わず、生唾を飲み込んだ。
「見事に振られたよ」
 彼女は、例の素敵な背中の話をしたのだろうか。
 自分が女なら、鉄腕のプロポーズなら受けるだろうなと、タッカは思った。奴の背中は、男の目から見ても、頼もしく映る。シャングリラで見た奴の背中は、頼れる背中だった。
「彼女は、背中の話をしなかった。俺の背中は、合格点を取っていたらしい。でも、振られた。どうやら、正真正銘、振られたらしい」
 親友の失恋を打ち明けられたのだから、何とか慰めなきゃいけないところだが、ほっとした気持ちと、意外な気持ちが交錯し、言葉に詰まった。
「結婚を前提のお付き合いはできません。彼女は、はっきり、そう言ったんだ。だからこそ、俺は、今回の潜水で死ぬ訳にはいかなかったんだ。これが、死んだら、彼女は、一生責任を感じ続けたと思うんだ。だから、絶対に生きて帰るんだと、心に誓ったんだ。そしたら、お前が飛び込んできただろう。こりゃ、二人して生きて帰らなきゃって、責任重大になったよ」
「そうか。お前に負担を掛けたな。でも、全員が無事に帰還できてよかった。上も、酷い事になっていたらしいが、シージャック以降は、誰一人、怪我もしなかったんだから……」
 そこまで言って、はたと気付いた。
 救出作戦の建て直しにアクアシティへ戻る機上で、彼女があれほどまで取り乱した原因は、鉄腕の言う通り、責任を感じていたからなのだ。
 タッカは、自分の優しくない自己中心的な性格が、恥ずかしくなった。同時に、責任感の強いユカリと、その責任まで受け止めてしまう心優しい鉄腕が、自分の親友である事が誇らしかった。
 タッカは、ユカリほどの天賦には恵まれなかったけれど、こんなに素晴らしい二人を身近に感じ、お互いに切磋琢磨していける事を、神に感謝した。
 アクアシティに着くと、彼女は、急ぎ足で船舶管制部に向かった。
「間に合ったかしら?」
 部屋に入ると同時に、彼女は、そう言った。何やら、予め準備していたらしい。
「ヘイ、ユカリ。放射線漏れは、無いようだ。回収の指示は、出した。これで、いいんだろう?」
「OKよ。で、準備の方は、どうかしら?」
 男は、OKサインを出した。
 ユカリは、手近の電話を取ると、電話を掛けた。耳を欹てて聞いていると、どうやら、ペンタゴンに掛けているらしい事が分かった。
「そうなの。核廃棄物運搬船は、存在しないのね。沈没したから、存在しなくなったのじゃないのね。分かったわ。…………そう。私達の海底基地の近くを、原潜が居たかどうかも、教えてもらえないのね。…………今回で、二度目の事故よ。私達も、原潜の位置を正確に把握する必要があるわ。あなた方が秘密主義を通すなら、自力で知るしかないわ。いいわね?」
 彼女は、タッカにウィンクした。
「私からの最後通牒よ。良くって。…………そう。さよなら」
 電話を切った彼女は、大きな声で号令を掛けた。
「実施してちょうだい」
 彼女は、タッカを大きなスクリーンの前に招き寄せた。
 スクリーンには、メルカトル図法の世界地図が表示されていた。海を表す濃い青が、あちこちで小さな水色の円に置き換わっていく。水色の円は、ゆっくりと広がり、隣り合う円同士が重なっていく。その水色の中に、次々と赤い光点が増えていった。彼女は、カーソルを操作して、サンディエゴの沖を拡大した。およそ二百km四方の海域が、拡大表示された。その中には、二つの光点があり、艦名と艦籍、深度、速度、方向が、表示された。
 誰が見たって、原潜の位置だと分かる。
「まさか、世界中で、アクティブ・ソナーを同時に使ったんじゃ……」
「その、まさかよ。それを、ここで編集して、インターネットに公開したのよ」
「インターネット!!」
 思わず、声が裏返った。
「こんな事して、いいのかよ!」
「さっきの電話を聞いたでしょう。今回みたいな事故を防ぐには、これが一番効果的なのよ。私達だけが知っていても、それを軍部が認識していなきゃ、作戦を強行されてしまうでしょ」
 政府が「鉄の女」と言って彼女を恐れる理由が、はっきり分かった。
 サイレント・サービスと呼ばれる潜水艦隊が、彼女の一声で丸裸にされてしまった。潜水艦の最大の武器である隠密性が、これによって完全に失われた。何せ、世界中のどこでも、潜水艦の位置を確認できるのだ。
「これを利用して、先制攻撃を掛けたら、大変な事になるんじゃないのか?」
「大丈夫よ。どこが、原潜に攻撃しようと、攻撃する方も原潜を持っているから、逆襲を受ける可能性があるわ。だから、攻撃を掛けるには、それなりに覚悟がいるわ」
 呆れた。
 でも、胸の支えが取れた気分だ。
「じゃあ、今から記者会見に行ってくるわね」
 彼女は、スクリーンに食い入っているタッカの傍から、音も無く離れて行った。
「頑張れよ!」
 スタッフの誰かが、一声かけた。彼女は、親指を突き立てて、微笑んだ。
 二時間後に行われた記者会見で、彼女は二つの事を公にした。
 まず、核廃棄物運搬船と思われる沈没船を発見した事。
 この件に関して、無人探査船の映像を公開すると共に、これをマスコミ公開の下、引き上げる事も追加した。マスコミ公開としたのは、海軍の妨害を避けるための措置だろう。
 もう一つは、世界中の原潜の位置を、インターネット上で公開した事だ。
 こちらは、核抑止力が無くなる事を懸念する声が上がったが、総ての原潜の位置が分かると、ミサイル原潜に攻撃型原潜が近付いていく過程が見えるから、危機が近付いているかどうかが分かり、抑止力が働く時間が長くなると言って、それ以上は取り合わなかった。
「鉄の女」の面目躍如。
 彼女の華奢な背中が、大きく感じられた。

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