伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  - 3 -

 十五分後、宙美の母は、二人を連れて、循環軌道バスに乗り継いだ。
 循環軌道バスは、周回鉄道の駅を基点に、四路線を持つ。路線の一周が三キロ前後で、十箇所のバス停を十分で回る。それぞれ、内回りと外回りがあるので、最大五分の所要時間で駅に着ける。時間帯にもよるが、五分から十分おきに走っているので、それを加味しても、十五分以内に駅に着き、エレベータかエスカレータで下りるだけで周回鉄道に乗り換えられる。
 三人は、四つ目のバス停で降りると、今度は動く歩道に乗り移った。
 歩道の起点と終点が六十度横に曲がった高速型で、乗り降りする部分は時速四キロ程度だが、中間部分は時速八キロに加速する。五十メートル毎に乗り継がなければならないが、この上を歩くと、自転車並の速さになるので、風を斬って歩く感覚が楽しい。
 壁面の所々には、明かり取りと換気を兼ねた横穴が穿たれているが、これが不要くらいに十分な照明が施されている。
 この動く歩道を四本も乗り継ぐと、住宅街のどこからでも、バス停まで出てこれる。
 周回鉄道、循環軌道バス、高速型動く歩道の組み合わせで、リング内なら、どこへ行くにも四十五分以内で行ける。十八平方キロメールに近い広さがある事を考えると、早いと言えなくもない。
 動く歩道を三回乗り継ぎ、最後の動く歩道が終わった所で、三人は動く歩道から逸れた。そこから何歩も歩かない内に、宙美の母は立ち止まった。地下道の最も奥、リングの内壁が直ぐ目の前にある所だった。
 彼女は、地下道から二、三歩引っ込んだ扉の前に立った。扉の右横には、「UMEHARA」の表札が掛かっていた。
「隼人君」
 隼人は、名を呼ばれて、彼女の脇に近付いた。
「ここが、これからあなたが住む事になる家よ。私の兄は、外見的にはむっつりとした、取っ付きにくそうな研究者然としているけど、中身はそんな事はないから、心配しないで。どうしても困った事があったら、私に相談してね」
 隼人は、こんなに優しくしてもらえる事が、心底、嬉しかった。
 チャイムを鳴らすと、待ち兼ねていたように、一人の少年が飛び出してきた。
「おばさん、宙美、それに隼人君だったね。お待ちしていました」
 少年は、隼人と同い年の「梅原大地」のようだ。
「征矢野隼人です。よろしくお願いします」
 少年は、優しい微笑みを浮かべた。頬にエクボができる笑顔は、丸顔に似合う。背が高く、隼人は見上げなければならなかった。肩幅もあり、小柄な隼人よりも二回りは大きかった。
「僕は梅原大地」
 彼は、右手を差し出した。隼人は、その手を握り返した。暖かく、優しく、力強い手だった。頼れる兄貴の雰囲気があった。
「父は、仕事に出てるので、今は僕一人。だから、隼人君も肩の力を抜いて、気楽にしてよ」
 宙美に良く似た屈託の無い笑顔で、隼人達三人を家に迎えいれた。
 家は、地下一階、地上二階の三階建てで、玄関は地下にあった。大地の案内で、エレベータで二階の個室に通された。
 大きな家だった。二階には、バストイレが付いたゲストルームが二室と、同じ様にバストイレがある寝室が二室あった。隼人は、ゲストルームの一つに案内された。
「おばさんと宙美は、そっちの部屋を二人で使って。隼人君は、こっちだ」
 通された部屋は、鹿児島の自宅の部屋の二倍はある大きな部屋だった。
「大地君。僕一人に、こんな大きな部屋は要らないよ」
「じゃあ、宙美と同室がいいかい? それは、ちょっと問題だよな。じゃあ、おばさんと同室になりたいのかい? それも、問題だよな」と、大地は澄ました顔で言った。
 隼人は、自分の言葉が、そんな風に解釈できるのかと驚き、どう弁解すれば誤解を解けるだろうかと、思案を巡らせた。
「ははは。悪かった。ほんの冗談だよ。でも、これ以外に、部屋割りの上手い案が無いんだ。その内、いい案が浮かんだら、みんなで部屋の引越しをすればいいさ」
 大地は、頬にエクボを作って笑った。がっちりした身体つきだが、丸顔の童顔は、宙美同様、憎めない笑顔を作る。
「さあ、旅の疲れを取って、ゆっくりしてよ。僕は、下に居るから、用事があったら、インターフォンのリビングを押して呼び出してくれればいいよ」
 彼は、軽やかに階段を降りていった。
 一人になって、部屋を見渡した。花や絵などの飾り気が無いところが、男所帯を思わせるが、奇麗に片付けられていて、どこにも隙を感じさせない。
 部屋には大きな窓があり、外の景色を借景している。絵の様な明るい緑の木立は、緩やかな下り傾斜になっていて、昼食を摂った湖まで続いていている。湖面で反射する陽光が、木々の間を通して、部屋の中まで射し込んでくるようである。湖の向こうも、丘になっていて、豊かな緑の間に、様々な色の屋根を持った住宅が続いていた。
 入り口の右側には、大型クローゼットが続き、右奥の壁に沿って、セミダブルのベッドが置かれていた。ベッドの窓側には、木目の美しい大きな机が置かれていた。机の上には、何も置かれておらず、日頃から使っている様子はなかった。
 入り口の左には、トイレがあり、その隣がバスルームになっていた。
 早速、隼人は裸になり、二晩も浴びる事ができなかったシャワーを、ゆっくりと浴びた。バスルームから出てきた隼人は、裸のまま、大きく伸びをした。この二日間で、初めて、人の目から逃れる事ができた事が、心底、嬉しかった。
 荷物の簡単な整理が終わったところで、隼人は、服をきちんと着て、身だしなみを整えて、部屋を出た。
 今は、大地の父も居ないが、間も無く帰ってくるだろう。その時に、少しでも良い印象を与えたかった。これから、どれくらいの期間になるか分からないが、この家に居候させてもらうのだ。色々と迷惑を掛ける事になるだろう。財政的にも、負担が増えるだろう。だからといって、一旦預かった隼人に対し、「出ていけ」とは言い難いだろう。
 できるだけ負担にならないように、また、不快感を与えないように注意していこうと、隼人は心に誓った。
 下に降りると、宙美の母が、大地と楽しそうに笑っていた。隼人は、宙美の母が笑う顔を、初めて見た。これまでの苦難が嘘のような、明るい声を上げて、彼女は笑った。
 彼女の視線が逸れた瞬間に大地が見せた真顔を、隼人は見てしまった。それは、全くの偶然だったが、大地という少年の大きさを知る事ができた。大地は、宙美達の苦境を理解し、少しでもそれから解放してやろうと、心を砕いてくれていたのだ。
「あら、隼人君、疲れてないの? 宙美は、疲れが出たらしく、寝ちゃったわよ」
「そうなんですか。僕は、元気ですから、大丈夫ですよ」
 そう言った端から、欠伸が出た。
「ははは、身体は、正直だ。隼人君、しばらく寝ておいた方がいいよ。夕食時には、僕が起こしてあげるから」
「いや、おじさんが帰ってくるまでは、起きていようと思うんだ。だって、初対面なのに、寝ていたら失礼だろうと思って……」
「わっはっはっは……」
 一頻り笑った後、大地は、穏やかな表情で、隼人をじっと見た。落ち着いた表情といい、叔母の心情を察して、話題に細やかな神経を使う心配りといい、とても同級生とは思えなかった。
「そんな事は、気にしなくてもいいよ。……でも、ちょっと取っ付き難い雰囲気を持っているかもしれないな。ジギル博士みたいに」
 映画のジギル博士の顔を思い出し、思わず吹き出した。
「すみません。ジギル博士を東洋系の顔にしたらどうなるかと考えてたら、とんでもない顔になってしまって……」
 大地と宙美の母は、きょとんとしていたが、突然笑い出した。二人とも、東洋系のジギル博士の顔を考えたらしい。
「ちょっと違うような気もするけど、そうね、外見的には、そうかもしれないわね。だけど、隼人君、心配要らないわ。人見知りの激しかった宙美が、お兄さんに抱かれても、全然平気だったもの。赤ちゃんって、凄く敏感なの。恐い人かどうか、一目で見破ってしまうの。実の伯父って事もあるけど、宙美は、赤ちゃんの時から、ずっとお兄さんに可愛がってもらってきたわ」
 動物は、特に、犬は、人を見る目が鋭い。犬好きの人には尻尾を振るが、犬嫌いの人には吠え立てる。
 たぶん、赤ちゃんも、無垢な分だけ、人を見る目が鋭いのだろう。
 隼人は、宙美の目を信じたいと思った。
「僕の父は、定規が服を着て歩いているみたいなものだったから、東洋系ジギル博士とは、イメージが違うんだ」
「そうかしら。隼人君のお父様とは、仕事でご一緒させて頂いたけど、優しいお顔で、定規みたいに角張ってなかったわよ」
「いいえ、性格が定規なんです。何でもかんでも、定規で測ったように、きちんとしなければ気が済まないんです」
 大地は、また笑った。彼に吊られて、隼人も笑った。考えてみると、笑ったのは、一体、いつ以来だろうかと、悩んでしまった。でも、久しぶりに笑えた事は、ここの居心地が、自宅よりも良いくらいだという事だろう。すっかり、肩の力も抜け、リラックスする事ができた。 
「定規で測ったようなってのは、ちょっと言い過ぎだと思うけど、いつ御会いしても、きちんとした身なりでいらしたのは、私も感心していたのよ」
 宙美の母も管制センターで働いていたので、隼人の父とも何度も会っている。その中で、父の性格の片鱗を見抜いたようだ。
「ここは、リングの内壁の近くだよね」
「そうだよ。直ぐ裏に崖があって、その少し上は、リングの壁になってるよ。壁の外側は、宇宙空間だ」
「壁に穴が開いたら、大変な事になりそうだね」
「大丈夫だよ。壁は、三層構造になってるし、最外層の強度は高いから、スペースデブリくらいじゃ、穴は開かないよ」
 彼の説明では、最外層に太陽電池パネルがあるが、これを含めず、三層構造になっていると言う。太陽電池パネル自体も、表面を透明な被覆があって、小石程度のデブリでは、太陽電池パネルに被害が出ないようになっているそうだ。
 太陽電池パネルを除いた三層の構造は、概ね、次のようになっているそうだ。
 最外層は、積層の金属パネルになっていて、かなり大きなデブリにも耐えられるようになっている。どうしても、デブリとの衝突を避けられないので、定期的に交換できるようにもなっている。そのために、補修が容易な金属製になっている。
 二層目は、主として気密を保つようになっている。三層総てが気密構造だが、この層の気密性能は、他の層とは桁が違う。内側に、液状の高分子膜を用意し、小さな隙間も完全に塞ぐようになっている。極めて高い引っ張り強度も持っていて、三層目と強調して、内部の過重を支える。
 三層目は、内部の建造物や土砂の重さに耐えるようになっている。金属の骨格と複合材の膜で作られていて、垂直方向の過重も、主に引っ張り強度で支えている。
 大地は、堅苦しい話を避けるためか、話題を変えた。
「隼人君は、スポーツは何かするのかい? 実は、僕のバスケットチームは、人数がたりないんんだよ。君が入ってくれると、ちょうど五人になって、試合にも出られるようになるだけど」
 細やかな神経を遣う大地だけに、彼は何か意図があって言ってくれているような気がした。でも、自慢になるほどの運動音痴の隼人は、彼の足手纏いならないように、辞退する事にした。
「僕は、スポーツは苦手なんだ。大地君は、バスケットボールが好きなのかい?」
 背の高い大地だから、答えは分かっているような気がした。
「好きだよ」
 予想通りの答が返ってきた。
「じゃあ、NBAなんかも、見るんだ」
「そうでもないよ。プロのプレーは、レベルがまるで違うから、僕達には参考にならないんだ。だって、どうすればダンクシュートを打てると思う? それに、僕の場合、バスケットは同好会で、参加する事に意義があるって感じかな」
「大地君は、野球の方が好きだと思ってたけど、今はバスケットなのね。でも、野球は辞めちゃったの?」
 宙美の母は、少し残念そうに聞いた。
「うん。ここは、地上と違って、コレオリフォースが強いんだ。フライが上がると、不自然な流れ方をするから、中学生レベルだと危険なんだ」
 コリオリフォース。
 自転に伴う架空の力だ。フーコーの振り子の実験で、振り子の振れる方角が変わるのも、この力の影響だし、北半球で、高気圧が右回り、低気圧が左回りの空気の流れとなるのも、そうだ。ここは、自転周期が二分で非常に短い事と、自転の半径も三キロ程しかない事から、この力が強く現れる。
 前回、ここに来た時、父から教えられた。数学的には、高校レベルだそうで、かなり難しかった。
「ここは、高校からしか野球ができないんだ。だから、こっちに来た時、野球は諦めたんだ」
 大地は、最近になって、ここに来たような話し振りだった。隼人は、少し気になった。
「大地君は、いつ、こっちに来たんだい」
「君に、ちょっとばかり先んじただけさ」
 大地は、謎めいた言い方をした。「ふふふ」と笑う宙美の母が笑った。
「具体的に教えてよ」
 隼人を押し戻すように、大地は手を上げた。
「なに、四月に来たばかりだよ。父が、こっちの高校を受験するなら、中三の内に来た方がいいって」
 たかが、それだけの事だった。それだけの事で、彼は謎めいた言い方をした。
「一学期分だけ、僕が先輩さ」
「そんな事で、威張るなよ」
 隼人は、大地の肩を、ポンと突いた。
 リビングの扉が開いた。宙美が目を覚ましたのだろうと、隼人は、扉に目をやった。
「お、おじさま……ですね」
 隼人は、飛び上がって言った。扉の横には、気難しそうな顔の長身の男が立っていた。
 大地には、「東洋系のジギル博士」とは言ったものの、全然、イメージが違っていた。白いものが混じっているが、ふさふさしている髪は、やや長く、ぼさぼさ頭と言っても過言ではない。本来は、大地同様、丸顔だと思うが、頬はこけていて、実年齢よりも老けて見えそうである。身体も、頬と同様に痩身で、神経質さを物語っている。
 その彼は、部屋に入った所で立ち尽くし、隼人をじっと見据えていた。隼人も、気を付けの姿勢のまま、硬直していた。
「僕、征矢野隼人といいます。今日から、こちらで御世話にならして頂きます」
 隼人は、最敬礼した。
 隼人が頭を上げた時、彼は、まだ立ち竦んでいた。やつれた顔の中で、唯一、光を放つ瞳で、隼人の姿をじっと見ていた。
(どうして、何も言ってくれないんだろう)
 隼人は、不安になり始めた。
「出て行け!」と言われれば、それも仕方が無い。ここに置いてもらえないなら、他を当たるしかない。それ自体、そんなに大きな問題ではない。今なら、避難民の受入態勢も整っているだろう。何とかなるか筈だ。
 だが、受け入れてもらえるのか、それとも追い出されるのか、どちらとも判断がつかないのは、彼の家、彼の親族に囲まれている現状では、とても居心地が悪い。
 隼人は、彼からの返答を引き出そうと、身を乗り出した。
「君が、征矢野さんの息子さんか。道理で、良く似ている訳だ」と、彼は、独特の低音を喉で反響させて言った。
 あの鋭い眼光で、父との比較をしていた事を、初めて知った。
「安心しなさい。取って食おうなどとは思っていない」
 大地が、彼の声色を真似て、馬鹿な事を言ったので、隼人は、手首だけで、大地の言葉を払い除けるしぐさをした。
「どうやら、大地とも打ち解けたようだね。安心しなさい。私は、君を取って食おうってほど大食漢じゃないよ。でも、夜食が無い時は、君の腿が細くなってしまうかもしれないな」
 冗談も言うのか。
 外見とは違う気さくさに、隼人はほっとした。
「芙美子」
 宙美の母の名前は、芙美子というらしい。
「宙美の転校手続きをしておいたから、二学期から通わせなさい」
 宙美の母が、隼人の顔を見て、次に彼の顔を見た。
「大丈夫だ。隼人君の転校手続きも、一緒に済ませてある。隼人君の保護者は、芙美子の名前にしてあるから、頼んだぞ」
 彼は、また隼人を見据えた。
「来月から、大地と一緒に、学校に行きなさい。何も心配する事はないし、何も遠慮をする事はない。特に、勉学については遠慮しては駄目だ。行きたい高校があれば、どこへでも進学させて上げる。大学もそうだ。博士課程まで行きたいなら、必ず希望を叶えて上げよう。
 君のお父さんは、優秀な方だった。教育に関しては、私に遠慮する事は許さない。君を預かった以上、お父さんに恥ずかしくない教育を受けさせないと、彼に叱られてしまうからね。だから、私を父親だと思って、甘えてきなさい。その代わり、間違った事をしていたら、大地と同じ様に、厳しく接するつもりだ。それでいいね?」
 隼人は、涙を拭った。
「はい! よろしくお願いします」
 彼は、大きく肯くと、リビングを出ていった。
「なあに、寝ている間に取って食ってしまえば……」
 大地は、また、彼の声音を真似して言いだした。実の親子だから、声の質が似ている。
「大地君こそ、寝首を掻かれないように、気を付けた方がいいよ。何てったって、この家には、今晩からは僕が居るからね」
 大地は、隼人を何度も小突きながら、声を立てて笑った。

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  - 2 -

 二時間後、隼人は、宙美母子と一緒に、連絡船を降りた。
 直前に、大量に飲んだアイソトニック飲料が、お腹の中でタップンタップン音を立てて揺れている。
 無重力空間では、下半身の体液が上がってしまい、尿で体外に排出される。このまま、重力のある世界に戻ると、下半身に体液が落ち、脱水症状となってしまう。だから、重力がある世界に戻る前に、しっかりと水分を摂っておくのだ。ところが、まだ無重力なので、強引に飲んだ水分は、上へ上へと押し上げ、吐き気を催す。
 隼人は、膨張した胃を感じながら、連絡船のハッチを抜けた。
 飛鳥同様、ドッキングポートは、無重力である。連絡船を降り、ハーフパイプの乗り場まで、狭いトンネルを、手摺を頼りに移動する。
 ハーフパイプは、飛鳥のものより小型で、二.五メートル立方のゲージの中に、十二人しか乗れない。しかし、三十ものサテライトがあるドッキングポートから、重力エリアまで、乗り換え無しで移動できるし、数十基のハーフパイプが行き交うので、乗り場で待っていれば、次から次にやってくる。
 隼人と宙美親子の三人は、日本人街があるオリエント管に向かった。
 オリエント管は、三つあるリングの中で最も北側のリングなので、ドッキングポートから約五キロもある。更に、スポークの中を三.五キロも下らなければならないが、ハーフパイプは、その距離を十分余りで連れて行ってくれる。
 アトランティスは、飛鳥と違い、ドッキングポート以外の総てが自転している。ハーフパイプは、ドッキングポートからシャフトに入る際に、一旦停止する。
 更に、オリエントハブで、スポークへの方向転換する際にも、一旦停止する。ここで、それまでの、無重力空間での水平移動に対し、重力空間での垂直移動に変わる。この時、加速を背中で受けるように、ハーフパイプ自体の向きが変わる。
 スポークに入って直ぐ、隼人は、スペースプレーンがオービターから切り離された直後のような、猛烈な加速を背に感じた。加速で、体が鉛のように重くなり、ベッドに沈み込む感触を覚えた。経験が無ければ、ハーフパイプが暴走を始めたと勘違いしそうだが、これで通常の重力とほぼ同じだった。丸一日の無重力空間での航行が、感覚を狂わせてしまったのだ。
 この加速は、僅か十秒余りで終わり、ベッドが半回転する。それから、約二分、同じ加速が続く。この加速は、本当は減速で、最初の加速で得た速度を利して、三.五キロのスポークを、一気に下るのだ。
 ハーフパイプが停止した時、本当に静止したのか、初めての者には分からないだろう。それまでの加速と変わらない加速感が続いているからだ。ハーフパイプ自体が九十度回転しベッドが垂直になって、漸く重力エリアに到着した事を知るのだ。
 隼人は、すっかり楽を覚えた筋肉に鞭打つように、ハーフパイプを降りた。体は、プールから上がった直後のような重さで、滑り止めの小さな突起にも躓いた。
 降りた場所は、税関の入り口だった。三人は、税関で荷物の検査を受けた。
「隼人君、こちらにいらっしゃい」
 宙美の母の優しい声が、隼人を呼んだ。
 できれば、別々に税関を通りたかった。だが、宙美の母が身元引受人となっている以上、一緒に行動するしかなかった。
「これは、パソコンですか?」
 税関の職員は、業務的な声で、隼人のアタッシュケースの中を見た。
「自作のパソコンです」と小さな声で答えた。
 ひた隠しにしてきたパソコンを、二人には見られたくなかったが、隠しようがなかった。できれば、起動したくなかった。事業団のコンピュータにハッキング紛いの手段で侵入し、しかも総てのパソコンを一時的にロックさせてしまった事がばれないかと、隼人は冷や冷やしたが、税関の職員は、平然と業務を遂行していった。彼は、避難民が、それも特大サイズのパソコンを持ち歩く不自然さなど、一向に気にしていなかった。
 ただ、宙美親子は、怪訝な表情の中に、少しばかり不快感も滲ませていた。税関のチェックが終わったところで、宙美がすたすたと近寄ってきた。隼人は、逃げ場を探したが、そんなものはなかった。
「隼人君、パソコンなんか持ってきたの? それも何十台分もありそうな大きなのを」
 隼人は、頷くしかなかった。
「荷物も二つだし、どうして、二つも荷物を持ってこれたのよ」
「あ、いや、あのね、お父さんの着替えも入ってたから」
 ほとんど、シドロモドロになった。
 管制センターでスペースプレーンに乗る際、重量制限で一人に一つの荷物しか許されなかった。実際、宙美親子は、それぞれ中くらいの大きさのバッグを一つずつしか持っていなかった。
 宙美が、隼人の言葉を信じたかどうかは分からないが、それ以上の詮索はなかった。
 三人は、税関を抜けると、最寄りの周回鉄道の駅に向かった。
「隼人君、兄の家は、Cブロックにあるの」
 アトランティスのリングは、それぞれ六個ブロックがある。そられのブロックは、森林地帯、または住宅地となっていて、交互に配置されている。入出国税関は、森林地帯であるFブロックの地下にあり、その中央からハブに向かってスポークが伸びている。
「周回鉄道で行くんですね」
「良く知ってるわね。そうよ。今から、駅に行くのよ」
 周回鉄道は、リングの最下部を走る高速鉄道で、主としてブロック間の移動手段として用いられる。
 税関を出ると、地下とは思えない巨大な円筒形の空間が待っていた。Fブロックの地下公園である。地下にも関わらず、数基の強い照明によって、驚くほど明るく照らされている。
 ドーム状の天井の高さは、五十メートル以上はあるだろう。直径も、二百メートルを軽く越える。中央には、巨大な柱のように、スポークが貫く。その周囲に、官庁の窓口が並んでいる。
(スポークって、こんなに太かったんだ)
 スポークの直径は、七、八十メートルあるだろうか。天井の高さに比べて幅があるので、特に太さを感じるが、本当の長さが三千五百メートルもある事を考えると、糸のように細いと言うべきかもしれない。
 リングは、スポークで支えているわけではない。スポークは、自重に耐える以上の強度は持たない。リングは、それ自体の強度で形状を維持している。リングには、自転による遠心力が働いているが、張力に強い素材で、それにも1気圧の内圧にも耐える構造になっている。一種の柔構造で、構造的には軟式飛行船に近い。
 スポークを中心にした地下公園は、イギリス庭園のように、幾何学状に通路と植栽、花壇等が配されている。全体が円形なので、中の模様も円が基調になっている。少し高い所に上がれば、ミステリーサークルのように見える筈だ。
 三人は、回廊となっている官庁前の通路を歩き、周回鉄道の駅に降りるエレベータホールを探した。
 隼人達の前にも、そして後ろにも、重い足を引き摺る避難民の姿があった。彼等は、薄汚れており、目も空ろで、足取りも重い。誰が見ても、普通ではないと感じるのではないだろうか。
(僕も、彼等と同じ様に見えるんだろうな)
 隼人は、恥ずかしくなった。
 三人は、エレベータで、地下の周回鉄道の駅に着いた。
 隼人は、避難民に配られたクレジットカードを手に、切符を買おうとした。
「待ちなさい、隼人君。あなたのクレジットは、これから必要な事がある筈だから、今は仕舞っておきなさい。ここは、私が買うわ」
「でも……」
「そんなに気になるんなら、社会人になった時に、あなたの稼ぎの中から返してくれればいいわ。そう、出世払いよ。だから、私が傍に居る間は、あなたは、そのクレジットを使わないようにしなさい」
 隼人は、深々と頭を下げた。
 周回鉄道は、六十人乗りの車両一両のみのリニアモーターカーで、自転と逆方向にのみ走っている。
 リング内には、九箇所の駅があり、並行に八路線が走る。路線毎に、各駅に停まる列車、一駅置きに停まる列車、二駅置きに停まる列車といった具合に、通過する駅の数が決まっている。このため、路線毎に、事実上の行き先が決まる。乗り間違いを除けば、停車駅毎に全乗客が入れ替わる。だから、片面に十箇所のドアが並び、乗降性を確保すると共に、三分間の停車時間がある。
 各路線毎に九両の列車が同一線路上にあり、全駅で同時に発車し、同時に停車する。各駅に停車する路線では、五分足らずの間隔で運転しており、最も通過する駅が多い路線でも、十分足らずの間隔での運転となっている。
 思いの外、便利な交通機関である。
 自転と逆方向に高速で走るので、実質の自転速度が遅くなり、重力が小さくなる。自転速度は、およそ秒速百九十メートルだが、周回鉄道は、秒速四十五メートルまで加速するので、重力は七分の四くらいまで小さくなる。
 三人が乗ると、一分もしない内に最高速に達し、体も軽くなった。
『御乗車ありがとうございます。目的地のCブロック第二駅までは、四分足らずの御案内となります』
 合成音声によるアナウンスが流れた。
「地球の重力も、これくらいだったらいいのに」
 ハーフパイプを降りて以来、自分の体の重さに辟易としていた隼人は、弱音を吐いた。
「こんなに弱かったら、体も弱くなっちゃうわよ」
「でも、これくらいなら、走れるし、ちょうどいいと思うんだけど」
「無重力よりは、マシね。無重力だと、下手に浮いちゃうと、誰かに助けてもらうまで、空中を漂ってしまうものね」
 飛鳥の欠点である静止エリアから自転エリアへの乗り移りも、地上と同じ重力があれば、エスカレータの乗り降り程度にしか感じないだろう。だが、無重力だと、手で移動せざるを得ないので、ああいった乗り移りも、充分な慣れを必要とする事になる。
『……グゥー……』
「今のは、何の音?」
 隼人は、恥ずかしくて、自分のお腹の音だとは言えなかった。
「お腹がすいたでしょう。日本も、飛鳥も、日本時間を使っているし、今はサマータイムだから、こことの時差は二時間になるものね。もう、十二時を回っている事になるわ」
 隼人は、素直に頷いた。
 彼女は十二時と言ったが、腕時計は十時を指していた。電波時計の信号を受信し、その土地の標準時に自動的に合わせる機能があるからだ。
 三連のドーナツ管は、それぞれ八時間の時差がある。これは、太陽光を有効に利用し、かつ、役所や工場等の設備を有効に機能させるためである。オリエント管は、日本に近い東経百二十度の子午線に合わせた標準時を採用している。ユーロ管は、ズールー時(グリニッジ標準時)、アメリゴ管は、アメリカ西海岸の標準時を採用している。
 オリエント管は、日本や飛鳥とは一時間の時差がある。特に、サマータイムを採用している現在は、二時間の時差になる。でも、これくらいの時差なら、ほとんど意識しないで済む。ただ、腹時計は正確で、お腹がすいてたまらなかった。
 列車が、Cブロック第二駅に着くと、三人は、エレベータで地上に出た。
 アトランティスに来て初めて、地上の空気に触れた。出た場所は、湖畔の公園だった。気象スケジュールは見ていなかったが、真夏の日差しが照りつける快晴だった。見上げると、真上に太陽が輝き、湖面はそれをきらきらと反射していた。
 直ぐ脇には、大きな電子掲示板があり、人物の顔と名前、略歴と公約が表示されていた。どうやら、選挙の真っ最中らしい。
「思ったほど、暑くないのね。助かるわ」
 宙美の母は、眩しそうに空を見上げた。
「ほんと。涼しいくらいだわ。高原に居るみたい」
「緑が多いからだよ」
 一周が二十キロメートルに及ぶアトランティスの内部は、濃い緑に覆われている。高層建築は全く無い。住宅や病院、学校等を除くと、大部分の建物は、地下に存在する。道路も、鉄道も、地下に押し込められている。そのせいで、家々の間も、総てが緑の林で覆われている。
 さわやかな空気と、木々の中にぽつんぽつんとしか見えない住宅は、高原の別荘地に着いたような気分にさせる。
「折角だから、湖畔で、食べましょうか」
 宙美の母は、地下のハンバーガー店で三人分のハンバーガーとジュースを買うと、また、地上に出てきた。三人は、湖畔のベンチに座り、ハンバーガーに齧り付いた。
 ここの湖水は、リングの重量バランスを適正化するため、常に水位を調整している。また、二酸化炭素を吸収する役目も担っている。
 その水面を、風が細波を作りながら吹き抜けていった。
「あっ、魚が跳ねた!」
 宙美が叫んだ。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ。今の見た? 大きな魚が、跳ねたのよ!」
「見逃しちゃったよ。本当に、大きかった?」
「本当よ。なんで、見てなかったのよ。見てたら、大きかったのが分かったのに」
 彼女は、手振り身振りで、魚の大きさを説明した。
「宙美。早く食べなさい。大地君を待たせてるのよ。それに、魚の大きさなんかどうでもいいじゃないの」
 宙美は、文句を言いたそうだったが、手に持ったハンバーガーを口にした。
 その時、三人の目の前で、魚が跳ねた。小さな魚だったが、尾が水面を叩き、大きな水飛沫が上がった。
「小さいね」と、隼人は皮肉たっぷりに言った。
 宙美は、膨れっ面のまま、残りのハンバーガーにかぶり付いた。

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