伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  支援船ダーウィン

 ユカリは、S-2Rを彼等の視界から消えるまで、大陸に向かって飛んだ。
 十五分ほど飛んだ所で、航行灯を消して超低空飛行に移った。海面すれすれの高度百フィートまで降下し、奴等の監視船を大きく迂回するように飛び続けた。一時間近く飛んで、奴等の船からは大陸とは反対側に着水した。
 S-2シリーズは、水上航行用のウォーターポンプ式の推進器を持っている。騒音が小さく、燃費もよい。
 ユカリは、これを使って、風下から支援船ダーウィンに近付いていった。環境保護団体の監視船からはダーウィンの裏側になり、ダーウィンからはコリジョンコースなので、少々近付いても見付かり難い。幸い、曇天で太陽光を反射する心配も無い。それでも、翼長が四十メートルもある機体だから、限度がある。三海里まで近付いた所で、シーアンカーを打ち、S-2Rを停泊させた。APUも停止し、総ての機能を止めた。
 ユカリは、ウェットスーツに身を包むと、先に錘の付いた接舷用のロープとモノフィンを用意した。それを、膨らませたゾディアックに積み込むと、S-2Rを離れた。
 強行着水時の経験から、奴等は、ダーウィンを押さえているだけで、何もしていない。船橋には人を配置しているが、ほとんどが、下に閉じ込めている船員達の監視に回っている。だから、船尾寄りに近付けば、気付き難い筈だ。
 ゾディアックを環境保護団体の船からは見えず、ダーウィンのブリッジからも見え難い位置から、支援船の船尾を目指した。海は荒れ始めていて、隠れるには都合が良かった。だが、一海里くらいまで近付くと、流石に目立つようになった。ユカリは、モノフィンを付けてそっと海に入った。
 ユカリは、モノフィンの扱いに絶対の自信があった。
 子供の頃は、自分の事を間違って陸に産まれてしまった人魚だと思っていた。だから、モノフィンを付ければ本物の人魚にだって負けないくらいに泳げる自信がある。ここから先は逆潮だが、それも苦にならない。モノフィンを付ければ、百メートルは三十秒を切る。一キロを六分で泳いだ事もある。ここからなら、十五分もあれば泳げる。
 二、三度、深呼吸すると、彼女は海面下に消えた。
 彼女は、水面に三度顔を出しただけで、ダーウィンの船尾まで辿り着いた。ここで、ロープを取り出すと、小さな円を描いて回し投げ上げた。先に重りの付いたロープは、上手い具合に船尾のデッキの手摺に絡み付いた。
 モノフィンを脱ぎ捨て、ロープをよじ登り始めた。足をロープに絡め、腕の力を助けた。
 こんな時に、彼女は自分が女である事を思い知らされる。どんなに鍛え上げても、腕力は強くならない。鉄腕なら、腕の力だけですいすい昇っていくだろうが、自分にはできない。海面から体が出て行くのにつれて、浮力が無くなった体が、ずしりと腕に響いた。ここに来るまでは姿を隠すのに都合が良かったうねりが、体を弄ぶ。
 ほんの三メートル程昇るのに、一分近く掛かった。
 後部デッキの端に手を掛け、ゆっくりを顔を出す。予想通り、誰も居ない。萎えた腕の力を振り絞り、デッキによじ登った。
 ロープは、外して海に捨てた。そして、物陰に身を隠し、様子を探った。
 誰も居なかった。
 ユカリは、足音を殺して、駆け出した。素早く、左舷の外階段を駆け上がり、Dデッキに上がった。ここは、予想通り、ボートデッキになっていた。左舷の遠くに、S-2Rが見えた。ゾディアックは、波に持ち上げられた時にだけ見える。
 直ぐ近くに船が見えてるのに、中々気付いてもらえないと、遭難を経験した者は言う。船舶でのウォッチは、意外に甘い。しかも、航空機は、投影面積が最小になる正面からは、見つけ難い。
 誰も、S-2Rに気付きはしないだろう。ただ、彼等は、軍事教練を受けているように見える。そうなら、周辺を哨戒するのは基本中の基本だ。
 レーダーにも映り難いように、ダーウィンを陰にしながら、超低空で近付いた。それにしても、彼等の動きが無さ過ぎるのは、ウォッチしていない証拠。不意打ちは、絶対の条件。だから、慎重かつ大胆に行動しなくちゃ。
 ボートデッキを、ボートの陰に隠れて船橋の下まで駆け抜けた。船橋は、二層上にある。
見上げると、Cデッキは、幅三十センチのデッキ状に張り出している。ただ、Dデッキは、メンテナンス用に天井が高い。Dデッキに壁の手摺の上に立っても、手は届かないだろう。
 ユカリは、ボートのダペットに取り付き、Cデッキの張り出し部に飛び移った。上手く手摺を掴むと、壁に沿って移動した。少し進んだ所で、Aデッキまで昇る梯子があった。これをBデッキの高さまで上がり、船橋の左舷ウィングに飛び移った。
 全員を船室に押し込めているので、重い機関銃は手に持っていない可能性が高い。安全装置も掛けているだろう。その条件で不意打ち出来たとして、何人まで倒せるだろうか。三人。いや四人。五人以上は無理だろう。五人以上居たら、下で乱暴を受けた女性乗組員を装うか。
 ユカリは、ウェットスーツを脱ぎ下着姿になった。
 窓から、中の様子を伺った。
「えっ!!」
 我が目を疑った。
 誰も居なかった。
 そんな筈はない。ここは、船の心臓部だ。ここを明け渡す事は、降伏か、撤退しかない。
「まさか?!」
 船橋に走り抜けると、右舷ウィングに飛び出した。
「おい、急げ!」
 右舷の舷門の辺りで、男達の怒声が聞こえた。見えないように下を覗くと、数隻のゾディアックが横付けされ、網梯子や舷門から二十人くらいの男達が乗り移りつつあった。
 撤退している!
 理由は、分からない。だが、撤退を始めている。
 ユカリは、船橋を飛び出し、階段を駆け降りた。途中で撤退途中の連中とぶつかっても構わない。彼等は、深追いしない筈だ。いや、深追いできない理由がある。
 ユカリは、BデッキからHデッキまでの六層を、飛ぶように駆け下りた。右舷側に出ると、男達が閉じ込められていた会議室の扉を開いた。
「全員、無事ね」
 息を切らして、そう叫んだ。
「その格好は、どうしたんです?」
 船長に言われ、下着姿だった事を思い出した。
「そんな事は後です。この船が危ないんです。船長。この船を沈めるために爆薬を仕掛けるとしたら、どこが効果的ですか?」
「舷側の水面付近に、五箇所は仕掛けないと無理ですね」
「五箇所も?」
「そうです。水密隔壁で浸水範囲が抑えられますから、片舷に集中的に浸水させて横転させるのが、沈没させる一番良い方法です。そんな事より、彼等はどうしてんですか?」
「撤退しました。だから、証人が乗っているこの船を沈めたい筈です」
「分かりました」
 状況を理解した船長は、十人ほどを指名し、調査に当たらせた。ユカリは、左舷は無い筈だから、調査は右舷に集中するように追加した。
 二人は、船橋に上がった。
 ユカリは、左舷のウィングに脱ぎ捨てていたウェットスーツを着た。それまで、船長が目のやり場に困っている様子が、少し可笑しかった。

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「中の海水を、あんた、どうしてくれるんだ。おい」
 そうか!
 緊急脱出球で排水ができなかったのは、電源が無かったからだ。満水状態にした緊急脱出球は、永久に使用不能になってしまったのだ。
 言い訳できなかった。判断材料は、揃っていたのだから。
「ケーブルを完全に取り除ければ本体の緊急浮上の可能性が残るが、それも緊急脱出球を取り除かないと、余剰浮力を食いつぶしてしまう」
「重心もずれるから、浮かんだとしてひっくり返ってしまう」
「そうだな」
「大変な事をしてくれたものだ」
 タッカは、自分が何のために来たのか、また分からなくなった。
「アムス。こいつの分の酸素消費量を入れて、残り何時間だ?」
「三十時間は切っているでしょう。一人、増えてますから」
 鉄腕は、即答した。
「聞いての通りだ」
 ここまで、脱出の可能性を減らした上、生存時間まで縮めてしまった。
「クストーは、いつ頃、回航できるんだ? 聞いてないのか?」
 ユカリの声が、蘇る。
「およそ百二十七時間後だそうだ」
「そんなに早いのか! 潜水用のボンベも使えば、ぎりぎり、一人か二人は、助かったかもしれないな」
「上の連中も、精一杯の事をやってくれているんだ」
 そうだ。
 それを、無に帰そうとしている。視線が落ちた。
「もう一つ、教えてやろう」 
 声の主に視線を移したが、闇で何も見えなかった。
「実は、あんたと同じ事考えてたんだ。あんたも、ここに入ってくる時に見ただろうが、小型の潜水艇がある。あいつを回収するための空気嚢があるんだ。浮力は、水深千メートルでも二トンある。しかも、海上まで出ても破裂しないように、容量に余裕がある。三倍に膨れ、吸収できない分を弁から逃がすようになっている。こいつの浮力で、ケーブルを持ち上げる予定だったんだ」
 それが、鉄腕の言った最後の手段だったのだ。
 でも、どうしてそれをしなかったのだろう。
「上との連絡が取れ次第、実行に移す予定だった。そこへ、あんたからのモールスだ。ダーウィンの水中エレベータが直ったと思った。だから、負傷者の救出方法を考え始めていたんだ。念のため、モールスでA棟から入れと繰返して送ったのに、あんたは緊急脱出球に注水した」
 慌てて、手帳を取り出した。その物音が気になったのか、誰かが懐中電灯を点けた。眩しさで目を背けている間に、素早く手帳を取られた。
「あんた、モールスが読めないんだろう」
 今までの温和な物言いが、一転した。
「読めないくせに、モールスなんか打って、救出に行くから場所を知らせろって偉そうな事を言いやがって。こっちの話は何も聞けないってか!」
「いや、モールス表を持ってきたから、それで訳せば……」
 タッカは、シドロモドロになった。
「だから、パイロットは嫌いなんだ。ここの連中は、みんなモールスを使えるぜ。なんせ、今回みたいな事があれば、モールスが使えなきゃ命取りになり兼ねない」
 激しく叱責したが、手帳は丁寧に返してくれた。
「アムスから、タッカの話は聞かされていたからな。ユカリと張り合うくらいの凄腕らしいじゃないか」
 これ以上ない皮肉だった。
 懐中電灯は消された。再び、何も見えなくなった。
 みんなが立ち上がるのが、音と空気の流れで分かった。みんな、自室に戻るのだろう。遺書をしたためるのかもしれない。
 俺も、母と兄貴には何か書いておいた方がいいのかもしれないと、タッカは観念した。
 二人には、返せないほどの恩があった。でも、何を書いたらいいのだろう。
 いざとなると、思い付かないものだ。
 母には、産んでくれた恩、育ててくれた恩。兄には、経済的に助けてもらった恩がある。
 俺が中三の時、父が交通事故で死んだ。兄は、大学での研究から離れて、病院に勤務するようになった。父に似て、学者肌の兄には患者の相手は辛かっただろうが、収入が少ない研究職を捨て、タッカが私立の高校に進めるようにしてくれた。タッカは、公立校に進路を変更していたが、兄は黙って私立に願書を出し、受験日の前日にタッカに受験票を渡した。
 断れなかった。三年間も兄の収入に頼る事になってしまうが、兄の気持ちを裏切れなかった。
 兄は、大学に進学しなければ、勘当すると言った。タッカは、その言葉に甘えて、アクアシティに来た。鉄腕でもなれなかった特待生になり、兄の負担を減らせた事は、ちょっとだけ鼻が高かった。
 そんな恩のある兄に何を書いていいのか、何も思い付かなかった。
「おい、タッカ! 何をしてるんだ! 早く来い!」
 鉄腕の声だった。
「お前は、二つだけ、いいものを持ってきてくれたんだ。浮力になるものと、人手だ。負傷者が二人いて、人手が足りないんだ。早く来い!」
 また、別の声がした。
「じっとして死にたいか、じたばたして死にたいか、どっちだぁ!」
 返事に困った。
「俺は、じたばたして死にてぇよ。もし、万が一助かったら、めっけものだろう」
 そう言うと、声の主は豪快に笑った。
 彼の言う通りだ。途中で投げ出すのは、自分の主義に反する。ユカリを追い、自分の背中を見せるために来たんだ。途中で止めるんなら、高校を卒業する時に諦めてればよかったんだ。ここまで来た以上、自分の背中をユカリに見せるまで、絶対に諦めない。生き抜いてやる。問題が起こる度に、解決すればいいんだ。天国でも、地獄でも、後悔のない生き抜き方をしてやる。
 タッカは、手帳を仕舞い、立ち上がった。

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