伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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「ここは、目が回るのぉ」
 重力エリアは自転しているので、敏感な人は目眩を感じる。普通は、子供の方が感じ易いのだが、この老人は年齢に似合わず敏感らしく、自転を目が回ると表現した。ただ、隼人は気にならなかった。
「おじいさん、ここがエントランスホールだよ。反対側にも同じものがあるから、もし、おじいさんの家族が向こう側に行ってしまったのなら、僕が探してきてあげるよ」
 飛鳥は、各部屋がシンメトリックに配置されているので、こことは反対側にもエントランスホールがあり、別のエレベータで降りた人達は、そこに集合している筈だった。
「わしの家族は、息子夫婦と孫が一人なんじゃよ。嫁と孫は、最初の便で出ているから、もう着いとるじゃろう。息子は、最後の便で来ると言っていたから、わしは息子を待ってから二人の所へ行くつもりだ」
 目眩が酷いのか、疲れた声だった。だが、身寄りが居ると聞いて、隼人もほっとした。
 エントランスホールには、折り畳み椅子が並べられていた。地球の重力の八割しかないが、疲れた体には、立ちん坊は辛い。隼人は、老人を空いていた椅子に座らせ、自分も他に空いている椅子を探した。
 意外に空いている椅子は少なかった。
 小さな子供たちは、こっくりこっくりと居眠っている。母親に抱かれて、すやすや眠る赤ちゃんも居る。大人も、ほとんどがぐったりしていて、中には居眠っている人もいた。壁際には、気分が悪くなった人が、ストレッチャーの上に横になり、治療を受けていた。そのほとんどは、老人だったが、一人赤ちゃんが治療を受けていた。傍らで、母親が、悲壮感を帯びた声で、子供の名前を呼び続けている。
 隼人は、胸が締め付けられるような気持ちがした。
「隼人君」
 宙美の声だった。隼人は、宙美の姿を探した。彼女は、最後列で手招きして、隣の空いている椅子を示した。隼人は、宙美の母も一緒だったので、どうしようか迷ったが、彼女の隣に座った。
「おい、いつになったら、始まるんだ!」
 どこからか、怒声が響いた。
 重力が戻ってきたせいか、思考力も回復し、それが苛立ちを産み始めたのだろう。
「我々が、ここに連れてこられた理由の説明が無いのか?」
「おい、こら! 時間稼ぎをしてるつもりか!」
 男達の言葉が、徐々に荒さを増してきた。初老の一人は、席を立ち上がり、ホールの入り口付近にいる係員の一人に詰め寄った。
「私達をどうするつもり!」
 疲れて眠っている二、三歳くらいの男の子を抱いた母親も、ヒステリー気味だ。
 誰もが苛ついていた。ホール内も、騒然とした雰囲気に包まれ、一触即発の雰囲気だった。とうとう、避難民同士で、口論が始まった。興奮状態の二人は、それぞれに自分の主張を言い張り、すれ違いの口論を続けた。誰かが、二人の間に割って入り、何とか沈静化しようとしたが、役目を果たせずに、口論の続きを眺めているしかなかった。
 その二人が取っ組み合いを始めてしまう寸前に、一人の男性が壇上に現れた。
「お待たせしました。ただ今から、皆様が避難民となった経緯と、これからについて、御説明します」
 男性は、コホンと咳払いすると、再び、マイクに向かった。
「皆様は、地上を襲った小惑星の冬を逃れてきた避難民でございます。資源採取用に地球周回軌道に固定しようとしていた小惑星が、周回軌道を外れ、地上に落下しました。皆様が、地球を離れる数分前です」
 ざわめきが広がった。
「地上は、小惑星が巻き上げた土砂や海水によって、完全に覆われています」
(それじゃ、小惑星の冬になってしまう!)
 隼人は、恐竜を絶滅させた小惑星を思い出していた。
 北半球は、真夏だ。一気に小惑星の冬に陥れば、農作物が壊滅してしまうだろう。農作物の生産量は、北半球が圧倒的に大きい。地上が未曾有の食糧難に陥る事は、想像に難くない。
 それだけではない。
 野生の動植物まで絶滅する恐れがあるし、地球環境自体が元には戻らないかもしれない。
「小惑星が落下した地点は、パラオ諸島付近の北緯七度、東経百三十三度です。落下時の衝撃と津波によって、フィリピン、インドネシアはもちろんの事、日本の海岸地帯も、ほぼ壊滅しました。津波は、沖縄付近では百メートルを越え、東京湾内でも二十メートルもあったそうです。
 大変申し上げにくいのですが、鹿児島の宇宙移民事業団管制センターは、連絡が取れない状況が続いており、海岸線にあった事から、絶望視されています。東京も、港区、千代田区、中央区、江戸川区等の低地帯は壊滅状態で、その前に襲った地震の被害と合わせて、これらの地区での生存は、絶望的かと……」
 男性は、声を詰まらせた。
 鳴咽が、ホールに響いた。
「被害状況を、正確に聞かせてくれ!」
 一人の男が、怒りに満ちた声で要求した。
「そうよ。長野はどうだったの? 祖父が一人暮らしをしてるのよ」
「山間部は、大丈夫なんでしょう? うちは、新潟に妹夫婦が居るの。日本海側はどうなの?」
 みんな、親族や知人の安否が気になっていた。
(お父さん、お母さん、お姉さん。脱出できたよね)
 隼人は、昨日の朝に出掛けていった父の後ろ姿が、瞼に浮かんで仕方なかった。
「皆様のお気持ちは分かりますが、地上との連絡は、ほとんど取れていません。分かった事は、情報センターに集約して提供しますので、そちらを見て頂けますよう、お願いいたします」
「ここで、教えてくれ。地上がどうなっているか。我々は、地上に大勢の親族や知り合いが居るんだ。彼等が、今どんな目にあっているのか、全体的な状況だけでいいので、教えろ!」
 語気が荒くなっていた。
「お気持ちは分かりますが、もっと重要な事があるのです。お願いですから、私の話を聞いて下さい。
 今、飛鳥は、オーバーユースの状態にあります。新しい避難民を、受け入れる事ができないばかりか、このままでは、四十八時間以内に、二酸化炭素中毒の濃度に達してしまいます。皆様が、ここに留まれば、皆様を含めて、全員が極めて危険な状況に陥ってしまいます」
「おい、こら! 体の良い追い出しかよ」
「どうおっしゃっても構いません。皆様には、L4かL5の国際スペースコロニーに移動して頂きます。飛鳥に、収容力を残して置く事が、非常に大切なのです」
「ふざけるな。わしは、息子の無事が確認できるまで、ここを動く気はないぞ」
「そうよ。そうよ。私だって、主人がここに来るまで、動く気はありませんからね」
 ホール内が、殺気立ち、騒然となった。周辺部では、立ち上がり、壇上に向かおうとする人と警備員とのもみ合いも、始まっていた。
「皆様だけが、被害者ではありません。皆様だけが、被害者だと考えないで頂きたいのです。この世に生き残った総ての人が、被害者なのです。実は、私の家族は、全員、東京に居ました。もちろん、連絡は取れていません」
 どよめきと、恥ずかしさが、避難民の殺気を消した。
「地球は、これから、冬のような状態になる事が予想されます。上手く、難を逃れた人達は、これからも、ここを始めとする五箇所の軌道ステーションに、続々と脱出してくるでしょう。その時に、一人でも多くここに収容し、人命を救いたいのです。その中には、皆様方の親族、知人も、含まれるかもしれません。かく言う私も、家族が脱出してこないかと……」
 男性は、泣き崩れた。
「あなたの家族は、東京のどちらにいらしたのですか?」
 女性の一人が、彼を気遣って聞いた。
「…港区です…」
 力の無い声で、そう言った。
 彼自身が「壊滅」と言った港区に、彼の家族は住んでいた。
「みんな被害者」
 隼人は、そう呟いた。
 地球は、急速に寒冷化し始めている。地上での被災民は、これから増え始めるのだ。その中で、軌道ステーションに逃げてこられる人は、運が良く、金と権力を持ち合わせている人達だ。僅かな人々。いわゆる選民だ。
 隼人達は、その選民の第一号とも言えない事もない。
「国際スペースコロニーに身寄りのある方は、できるだけ早く、名乗り出て下さい。名乗り出て頂いた方から順番に、移住手続きをさせて頂きます。身寄りのない方は、こちらで照会をして、受け入れ準備が整ったところで、移住をして頂く事になりますので、それだけ、ここでの不自由な生活が長くなります。
 それから、飛鳥の収容力は低いので、一時的に、アメリカの軌道ステーション・リンカーンに移動して頂く場合も有り得ます。あちらは、飛鳥の十倍以上の収容力がありますし、現時点では、収容余力も、十分に残っているそうです」
 隼人には、国際スペースコロニーの住人には、心当たりはなかった。
 父は、管制センターに居た。母と姉は、沖縄に居た。父方の祖父は、既に他界している。祖母は地上に居た。父は、一人っ子なので、伯父伯母は居ない。母方の祖父母も、伯父伯母も、地上に住んでいた。身近な親族には、国際スペースコロニーに住んでいる者は居ない。
 もしかすると、母は、嘉手納宇宙空港で働いていたので、姉と共に脱出に成功したかもしれない。母なら、誰か、身を寄せる事ができる人を知っているかもしれない。
(何とか、母と連絡を取りたい) 
 隼人は、母の安否の確認方法を考えた。
「電話は、衛星携帯電話は使用できます。衛星携帯端末も使用可能です。しかし、飛鳥が中継できる回線数は少ないので、繋がり難くなると思います。公衆電話は、電話コーナーにあります。ですが、地上との連絡は、制限されています。連絡は、国際スペースコロニーか、軌道ステーションのみとなります」
(関係無いや。地上に居たなら、助かりっこない)
 隼人は、地上との連絡を諦めていた。
「私共からの連絡とお願いは、以上です。早速ですが、移民先のある方は、エレベータの反対側に設けました移民受け付けに申し出て下さい。また、移民先がない方は、移民受け付けの隣の照会センターで、IDカード等の身分を証明するものをお見せの上、お名前と多少の情報を登録して頂く事になります。これらの手続きが済んだ方から、ホテルへと案内させて頂きます。その際、移住先での当座の資金として、クレジットカードを支給致します。再発行はできませんので、無くさないようにお願いします」
(クレジットカード? 時代物だけど、随分と対応が早いなぁ)
 疑問に感じたが、深く考える余裕は無かった。早くも、人々は立ち上がり、移動を始めていた。
 それを押し止めるように、大きな声が続いた。
「但し、ここには、ベッド数の三倍近い方が居られるので、御老人、お子様、病気の方、怪我をされている方、こういった方から先にベッドに案内させて頂きます。ベッドの無い方には、毛布を支給しますが、これも不足すると思われます。従いまして、毛布は女性の方に優先させて頂きます。各部屋には、シャワーがございますが、これは止めさせて頂いています。生活水が不足するためです。
 不自由は承知していますが、飛鳥は、これほど多くの人を受け入れるようには設計されていません。これから先も、必要に応じて、本来の旅行客なら当然受けられるサービスを、緊急に停止する場合もあるかもしれませんが、御了承ください」
 彼が、言うべき事を総て言い終わり、壇上から降りるのを待ちかねていたように、人々は一斉に行動を起こした。
 説明の間に運び込まれた荷物が、各自に渡された。隼人は、父の分と偽って持ち込んだ鞄を含め、荷物を二個とも受け取った。
「隼人君は、荷物を二つも持ち込んだの?」
 宙美は、呆れ顔と不満顔の両方を見せた。
「うん。一つは、お父さんの分だよ」
「で、お父さんは、乗れたの?」
 隼人は、首を振った。
 宙美は、しんみりとした声で、「私もよ」と呟いた。くるっと背を向けると、やはり大きな鞄を二つ抱えて、母親の所へ走り去った。
 隼人は、一人になれる所を探し、エントランスホールの隅でパソコンを開いた。音声インターフェイスは、周囲が騒がしいので使えず、キーボードでの入力に切り替えた。そして、内蔵させてある衛星携帯電話でネットワークに繋いだ。
 まず、嘉手納宇宙空港の乗客名簿に接続を試みた。しかし、既に破壊されているのか、接続はできなかった。
 嘉手納宇宙空港は、軌道ステーションとの宇宙路線の他に、国内線、国際線の通常航空路もある。国内線は、新千歳、仙台、羽田、新名古屋、大阪、福岡の六箇所だ。国際線は、ソウル、北京、上海、ウラジオストク、台北、マニラ、シンガポールの七箇所だ。
 定期便が飛んでいる宇宙空港は、世界に六箇所ある。
 日本の嘉手納、インドのマドラス、アメリカのケープカナベラルとヒロ、ブラジルのベレン、ケニアのモンバサである。嘉手納からは、スペースプレーンの機体移送のために、残る五箇所の宇宙空港への不定期航空路も存在する。
 隼人は、これらの総ての乗客名簿をチェックし始めた。
 定期便が飛んでいる空港の内、新千歳と、北京には、接続ができた。宇宙空港では、ケープカナベラルとベレンは、接続できた。しかし、どこも、サーバーからの応答は非常に悪かった。それでも、一分ほどで、乗客名簿の検索は終わった。そして、母と姉の名前が、どこにも無い事も分かった。
 隼人は、諦めきれなかった。
 飛鳥を始め、アメリカの軌道ステーション・リンカーン、EUの軌道ステーション・モンブラン、ロシアの軌道ステーション・ピヨトル、中国の軌道ステーション・重慶とも、接続してみた。そこの旅客リストを検索してみたが、やはり、母と姉の名前は見付からなかった。
 隼人は、基本に立ち返って、母と姉の携帯に電話してみた。しかし、お決まりの「ただ今、電波の届かないところに居られるか、電源が入っていません」の台詞が返ってくるだけだった。
 スペースプレーンの中で見た夢は、母の体から離れた魂が見せたものだったのだろうか。
 隼人は、天を仰いだ。
(神様、両親と姉をお守り下さい)
 神様を信じた事はなかったが、今は願わずにはいられなかった。
 今、地上に居れば、まず助かるまい。核の冬とは異なり、小惑星の冬は、急速に始まる。二次要因である核爆発による火災によって核の冬に陥るのに対し、小惑星の冬は、一次要因である衝突時に巻き上げた塵が原因である点で、冬に至るまでの期間が短い。墜落地点周辺では、既に気温が下がり始めている筈だ。明日には、津波の直撃から逃れた宇宙空港も、凍結や降雪で閉鎖を余儀なくされるだろう。
 隼人の耳には、「やっぱり繋がらない」と言う囁きが、あちこちから届いた。みんな、考える事は同じなのだ。地上に居る筈の親類縁者に電話し、無事を確認しようとしていた。

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  飛鳥

  - 1 -

「あっ、飛鳥だわ」
 宙美が、軌道ステーション飛鳥を指差し、母親に示した。
 浅い眠りから覚めた隼人も、身を屈めるようにして、宙美が示す方向を見た。
 高度千六百キロの宇宙空間に、純白の軌道ステーション飛鳥は、悠然と浮かんでいた。
 距離が近付くにつれ、白いドーナツ状リングの中心を細長いシャフトが貫く飛鳥の外観が見えるようになってきた。
 気がつくと、窓に張り付くように、目的地である飛鳥に見入っている乗客は他にもいた。ただ、それは少数で、多くは顔色が悪く、中には土色をしている者もいた。宙には、黄色い液体が所々に浮かんでいて、スペースプレーンの姿勢制御が行われる度に、あちこちに移動していく。
 言うまでもなく、黄色い液体は、乗客の吐瀉物である。シートバックのポケットには、いわゆる下袋があるのだが、それが間に合わなかった人や、ネットに体を固定していた人の吐瀉物が、処理するものが居ないために漂っているのだ。
 他人の吐瀉物が近付いてくることもあり、それを手持ちのハンカチや下袋で避ける人も居るが、動く気力も無いほど宇宙酔いに罹った者は、体に付くのも避けようとしない。ただ、強烈な異臭と見た目の気持ち悪さで、本人も下袋に顔を突っ込み、胃からこみ上げてくる悲鳴のような声と共に、胃液を吐いている。
 そういう光景を見ると、宇宙酔いにはなっていない隼人も、気持ち悪くなってくる。周りの惨状から目を逸らしたい気持ちも働いて、飛鳥に神経を集中させた。
 飛鳥の外見は、他の軌道ステーションを少し異なるが、概ね類似点は多い。
 飛鳥のシャフトには、二箇所の太い部分がある。一つは、シャフトの下端、四本のドッキングポートとの接合部だ。もう一つは、シャフトの中間付近、ドーナツ状のリングとを結ぶ六本のスポークとのハブ部分だ。打ち上げ用ロケットの最終段の燃料タンクを切り離さずに軌道に上げ、それを流用して内部を居住用に改装して作られた。
 シャフトのドッキングベイとの逆サイドには、研究用モジュールと大型の太陽電池パネルがある筈なのだが、隼人の位置からは窓枠に隠れて見えなかった。
 六箇所あるリング側のスポークとの接合部分も、ロケットの燃料タンクを流用している。燃料タンク間は、細いパイプで結ばれていて、パイプからカプセル状の円筒を左右に三個ずつ突き出した形状になっている。
 飛鳥は、ペイロードの小さな旧式のロケットによって建造された。シャフトやリング、カプセル等の外観上の細い部分は、ロケットのペイロードベイに積載して打ち上げられた。しかし、ペイロードベイの搭載力は、容量的にも、重量的にも、小さいため、総てをここに搭載していったのでは、打上げ回数が増え、費用が嵩んでしまう。そのため、燃料タンクも流用し、建設コストを押さえつつ、八箇所の大容量ゾーンを造ったのだ。
 各国の軌道ステーションも、以前は似たような形状をしていたが、アメリカ、EU、ロシア、中国等の軌道ステーションは、新造の二重リング、あるいは三重リングのものとの入れ替えを既に完了しており、このような古い形状の軌道ステーションは、地球周回軌道上には飛鳥しか残っていなかった。
(古いなぁ)
 飛鳥の表面のあちこちに、補修や機器を追加した跡が見られる。老朽化は、歴然としている。それでも、日本の低重力研究のメッカとして、今も第一線の研究者が、ここで研究を続けている。
「隼人君、まだ眠そうな目をしてるわよ」
 この状況下で居眠っていた隼人に対し、宙美は刺のある言い方をした。
「なるほど、坊やは慣れてるんだね。ところで、この宇宙船は、墜落途中って事はないじゃろうな」
 無重力は、ちょうどジェットコースターで急降下する感じに似ている。老人には、墜落しているように感じたのだろう。
「僕は平気だよ。おじいさんは?」
「流石だね。わしゃ、胃が持ち上げられているようで、気持ちが悪くて堪らんよ」
 老人は、フォローのつもりで言ったのだろうが、隼人には皮肉に聞こえた。
 隼人自身、なぜ、母の夢を見たのか、不思議だった。胸には、母が抱きついてきた時の感触が、残っていた。こんなにリアルな母の夢を見たのは、初めてだった。
 ぼうっと舷窓を見ていると、オービターが右へ旋回しているらしく、飛鳥は、窓の後ろへと消えていった。
「わしらは、飛鳥に行くんじゃなかったかいな」
 飛鳥を通り過ぎたように見えたので、不安になったようだ。
「ええ。だから、逆噴射するために、後ろ向きに変えているところです」
 手をオービターに見たてて説明すると、老人は感心したように頷いた。
 隼人の言葉を裏付けるように、軽い加速が数秒間続いた。オービターは、飛鳥の下側に潜り込むように接近していき、間も無く、シャフトの先端にあるポートの一つ、第四ポートにドッキングした。
 ドッキングの衝撃は、全く感じられなかった。オービター側のハッチとポート側のハッチとが接続された際の、コクンというロック音だけが、微かに聞こえてきた。
「ただ今、軌道ステーション飛鳥に、到着致しました。これから、皆様には、飛鳥に乗り移って頂きます。飛鳥での行動は、軌道ステーション管理官の指示に従って下さい」
 機内放送が終わったのを合図に、ネットに身体を固定していた男達は、慣れない無重力空間でベルトの拘束を解き、ネットを外していった。
 隼人もそれに習った。
 機内は、乗客が戻した吐しゃ物が、黄色い球体となって強い酸性臭を撒き散らしながら、ところどころに浮かんでいた。
 多少とも元気が残っている者は、それを避けて出口に向かったが、多くは、疲労が顔に浮かんでおり、吐しゃ物が衣服に付くのも厭わずに、ふらふらと出口に向かって漂うように移動した。
 隼人は、地震と大気圏脱出時の揺れで、何箇所かに小さな打ち身があった。それでも、宇宙空間に出るのも、飛鳥も、初めてではない事による気持ちの余裕で、席を譲った老人を介護しつつ、出口へと彼を誘導した。
「胃が持ち上げられるような気がする。胃が口から出てきそうじゃ」
 老人は、慣れない無重力に、不快感を隠せなかった。
「重力エリアに着くまでの辛抱ですよ」と、老人を励ました。
 オービターは、コクピット直後の機体上部を、ドッキングポートに接舷する。
 隼人は、一人ずつしか通れないハッチの下に来ると、先に、老人にハッチをくぐらせ、その後を追った。
 ハッチから到着ロビーへと続く、細く長い通路を、手摺に掴りながら、人々は慣性力で重く感じる体を引き摺って行く。
 通路を抜け、四つのドッキングポートからの通路が集中する到着ロビーに出た時、隼人は、汗臭さに似た異臭を感じた。それでも、定員オーバーと、胃酸の臭いが淀んでいたオービター内に比べると、ここの空気に清廉さを感じた。
「避難民の皆様は、ハーフパイプでシャフトを上がって頂いて、エレベータホールへお越し下さい」
 場内アナウンスが、隼人達を誘導した。
(やっぱり、避難民なんだ、僕達は!)
 避難民という単語が、嫌に耳に残った。
 定員を遥かに越える乗客が、疲労に歪んだ顔でハーフパイプの順番を待つ様は、被災地から命からがら逃げてきた被災民さながらだった。
「ハーフパイプって、何だね?」
 隼人の手を握り締めたまま、老人は口を開いた。
「ハーフパイプは、シャフト内の到着ロビーとエレベータホールを繋ぐ交通機関なんです。ハーフパイプの名前は、人が乗るベッドの形状から来てるんですよ。人一人分の大きさのパイプを半分に縦割りした形なんです」
 ハーフパイプは、一基がシャフト内を往復する。百人近い人々が一度に集まったせいで、中々、順番が回ってこなかった。五回目に戻ってきた時、漸く、隼人達の順番になった。
「おじいさん、こっちこっち」 
 隼人は、慣性が付き過ぎないように注意しながら、老人の体をハーフパイプに引き寄せた。
 ハーフパイプは、横に三列、前後方向に五列の十五人乗りだ。天井と床はあるが、横壁は無い。ハーフパイプとシャフト本体の内壁との隙間は、左右とも一メートルあり、全線に渡って手摺が設けられている。飛鳥の職員の多くは、ハーフパイプを使用せず、この手摺に掴って移動する。左右の隙間は、そのための通路であると同時に、ハーフパイプが途中で動かなくなった際の避難通路も兼ねている。
 乗客は、壁の無い横から乗り降りし、半円筒に立った姿勢のまま乗る。隼人も、老人を引き摺るようにしながら、ハーフパイプの側面から中に入った。
 隼人は、老人を半円筒形の中に押し込み、手早くベルトを締めた。そして、自身も、隣に潜り込んだ。
「おじいさん。気を付けて下さいね。加速が終わると、向きが変りますから」
 老人は、頷いた。
(分かってないかも)
 表情の変化に乏しい老人の顔を見て、隼人はいつでも手助けできるように、心の準備をした。
 ハーフパイプは、重力の二十分の一で加速する。バランスを取るため、ハーフパイプと同じ質量のマスバランサーが、ハーフパイプと逆方向に動くようになっているが、ハーフパイプの天井裏と床下を通るので、目で見る事はできない。
『発車します』
 合成音のアナウンスが流れると、ハーフパイプは、ゆっくりと動き出した。それにつれ、隼人は、体が半円筒のベッドに軽く沈んだ。加速は、六秒間続き、秒速三メートルに達した。
 エレベータホールまで、およそ四十秒の乗車である。
「おじいさん、回転するから注意してね」
 ほとんど同時に、『ベッドが回転し、進行方向と逆向きになりますので御注意下さい』のアナウンスも流れた。半円筒のベッドは、その軸を中心に右回りに回転して、逆向きになった。
 危惧したとおり、老人は、ベッドの回転に驚いて、飛び出しそうになったが、隼人が声を掛けたので、辛うじて落ち着きを取り戻した。ベッドの回転が終わり、再び、お互いの顔が覗けるようになった時、二人で微笑んだ。
 エレベータホール前に到着したハーフパイプから、隼人は、老人を伴って降りた。
「ここが、最大の難関ですから。でも、大した事はないけど」
 隼人は、ハーフパイプの目の前にある手摺を、指し示した。
 飛鳥のリングは、二十五秒に一回の割合で自転し、向心加速度による重力を得ている。その自転は、リングとスポーク、エレベータホールに限られる。つまり、静止しているハーフパイプの駅から自転しているエレベータホールへと移動しなければならない。
 自転エリアとの境には、リング状の手摺がついている。その直径は三メートル程なので、自転側と静止側では毎秒四十センチくらいの速度差がある。この速度差を小さくするために、自転側と静止側の間に、中間の速度で動く幅五十センチのゾーンがある。
(エレベータホールの自転とハーフパイプを同調させないのは、今時、飛鳥くらいのものだよなぁ)
 こんな所にも、飛鳥の古さを感じる。特に、不慣れな老人には、この乗り移りは大変なのに、飛鳥にはこれを改善できる余地が残っていなかった。
「いいですか。エレベータホールは、弱いと言っても、重力があるから、頭を下にしないように」
 老人に注意を与えた後、見本を見せる意味で、先頭に立って乗り移って見せた。
 慣れたもので、スムーズに、中間ゾーン、自転エリアへと乗り移った。渡り終わったところで、彼は老人に合図を送った。老人も、見様見真似で、何とか自転エリアへ乗り移ったが、頭を下にしたままに、ホールを下ろうとしたため、ゆっくりと滑り落ちてしまった。重力は、地上の四十分の一しかないので、大した怪我にはならなかったが、額と肘に小さな擦り傷は作ってしまったようだった。
「坊やの言った通りになってしまったよ」と、老人は頭を掻いた。
 エレベータホールでは、人々は壁面に立っていた。ただ、歩こうとすると体が浮いてしまい、上手く歩けない。本来なら、磁石付きの靴を用意するのだが、避難民には用意が間に合わず、移動する際には四つん這いとなって、床面に穿たれた凹面状の手掛かりを使った。
 人々は、六基の内の二基のシート式エレベータに分乗し、重力エリアへ移動した。

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