伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  19

 ミサイル探査は、海底遺跡から遠ざかるにつれ、何も引っかからなくなった。
 沈黙が支配する海底を、『うりゅう』は存在を消したまま、ゆるゆると航行する。左舷三百メートル先には、C1が同じ方向に航行している。
 緊張の日々が続く。進路を一定に保ち、同じ画像を映し続けるモニターを睨む、単調で、変化がない作業だ。探査範囲が外側に広がっていくに連れ、進路変更の回数が減り、進路変更自体が大きな旋回半径となるため、旋回中を意識する事が無くなってきた。
 一日二回の勤務は、昼夜の区別を曖昧にし、今日が何日かさえ、思い出すのに時間が掛かるようになってきた。
 軍用の潜水艦とは異なり、『うりゅう』には窓が備えられている。だが、日本海の形成の特徴から、深海性の魚介類が少ない。だから、窓に生き物を見つけることも稀だ。二百メートルを超える水深では、海上の光は全く届かない。キールから海底まで二十メートルの余裕を確保して航行しているので、外側の照明を消している状態では、海底を見ることもできない。
 暗黒星雲の中を漂う宇宙船のようなものだ。
「公的機関によるシージャック」
 井本が『うりゅう』に乗り込んできた時、村岡は彼女らの行為をそう表現した。
 シージャックを受難し、命じられるままに操船するのは、同じ操船でも通常より疲れるものだ。
 銃を向けられているわけではないが、強いられる行動は、疲れを倍化させる。
 そんな中での海底遺跡の発見は、シージャックからの脱出のチャンスに見えた。乗組員たちに精気が戻り、短時間の内に高い密度の調査を消化した。それを武器に変えられると、大いに期待した。
 しかし、現実は違った。
 スキッパーである村岡が、反逆の狼煙を上げなかったのだ。
 乗組員たちを、失望と諦めが支配してしまった。
 村岡は、責任を感じていた。
 この捜索行は、『うりゅう』乗組員共通の利益に繋がる。
 実は、シージャック犯から逃れるのは簡単なのだ。浮上しても良し。アクティブソナーを発信しても良し。ただ、自分たちの今後の経歴を考えると、これらは自殺行為なのだ。
 乗組員たちにも、それは理解できている。
 だから、彼らも文句を言わずに従ってくれている。
 でも、自分の意思、自分の感情とは違うことを、自分自身に強いることは、容易ではない。
 海上とは違い、高い水圧がかかる環境下での潜水航行は、常に命の危険に晒されている。一瞬の油断や判断ミスが、即、命を奪う。
 海底遺跡の発見に繋がったあの事故も、九名の命が失われていた可能性があり、その事を全ての乗組員が分かっていた。彼らは、必死にモチベーションを維持しようと努力はしている。
 一方で、大見得切って別府湾調査を始めた。取材にも答えた。それだけに、手ぶらでは浮上できない。一日でも早く別府湾に戻り、調査の実績を残したい。
 そんな焦りも、村岡を含めた七名は抱えていた。
 公式の航海日誌には記載できないが、個人的な日誌には、この状況を記録し、暗号化していた。
 時計を見ると、午後十一時五十五分だった。
 村岡は、スキッパー室を出ると、右舷指揮所に向かった。
 鮎田から引き継ぎ、ミサイル捜索を継続した。
 捜索が長引くという事は、推定着水地点から離れていく事を意味する。それだけ、発見の可能性が低くなるということだ。
 今の捜索方法は、精度が高いとは言えない。一回の探査範囲は、当初の方法に比べれば十倍以上もあるが、見落とす危険性もある。
 村岡自身も、その不安に苛まれていた。
 何も起きない四時間が、不安を増大させた。
「スキッパーはネンネの時間だよ」
 交代のため、小和田が来ていた。左舷の指揮所には、浦橋が待機しているはずだ。
 制御権を左舷の浦橋に譲り、早速ソナーを見つめる小和田の脇から覗き込む。その映像には、何も映っていない。
 左上には、時刻と経緯度が表示されている。画面は、ゆっくりと上から下に流れている。ただ、画面の全てがホワイトノイズに覆われているので、流れは見えにくい。僅かな凹凸で、ノイズのような画像にも乱れがあるが、それを見分けるのは難しい。
 魚塚は、一定以上のエコーにマークを付ける改良をしたのだが、見落としを防ぐために、小さめのエコーにもマークを付けたために、大量にマークが付いてしまい、ほとんど進めなくなった。その上、細長いエコーにはマークが付かない問題も見つかり、このマークは、魚塚の当直時間帯だけでやめることになった。
 原始的とも言えるこのやり方は、個人の能力に左右される。それだけに、小和田一人に責任を押し付けたくなかった。
 進路とキール下の水深をチェックしながら、できる限りソナーの映像を覗き込んだ。
「スキッパー」
 急に、顔を上げた小和田と、唇が触れそうになった。
「おいら、そんな趣味はないぜ」
 村岡も、慌てて顔を引いた。
「心配するな。俺にその趣味があったとしても、お前は願い下げだ。それよりどうかしたのか?」
「女なら、おいらをほっとかないぜ。まあ、おいらに興味がないなら、そんな趣味はないってことだな」
「軽口ばかり叩いてないで、何が言いたいのか、早くしろ」
 ソナー画面に向き直った。
「このエコーが気にならないですか?」
「ちょっと待ってろ」
 村岡は、両舷停止と、C1の減速を端末から入力した。『うりゅう』は質量が大きいので直ぐには停止しないが、C1は簡単に速度が落ちる。C1は何段階かに分けて停止させる必要がある。
 見落としを防ぐための時間的余裕を得るために、この処置をした。
 一通りの処置を行い、『うりゅう』がほぼ停船したところで、改めてソナー画面に見入った。
 小和田が指差す場所は、左舷側の一番端にあった。
「動いていないから分かりにくいけど、この部分に『く』の字のエコーがあるでしょう」
 言われてみれば、それらしきエコーがある。しかし、分かりにくい。
「『く』の字のエコーは、不自然ですよね。確認してみる必要は、あると思いませんか?」
 少し考え込んだ。エコーの大きさから、それほど大きな物体ではなさそうなのだ。小和田が主張する不自然さは気になるが、微妙な大きさのエコーだった。
 考えあぐねていると、松井がやってきた。
「停船したようだが、理由は?」
 例によって高圧的だ。
 深夜の四時過ぎなのに、停船には敏感に反応する。海自の潜水艦で、高い地位での経験が長いのかもしてない。
 ただ、彼の出現によって、村岡の迷いは飛んだ。
「不自然なエコーを発見した。これから、D1を出す」
 位置的には、C1の直下で検出したのだが、慣性で通り過ぎている。D1で確認する方が、早いと感じた。
 深夜なので気が引けたが、全員の招集を掛けた。
「浦橋さん、私が当直を変わるので、D1で対象物の確認をしてもらいたいのですが」
「位置を教えてください」
 経緯度を浦橋に伝え、松井と一緒にD1に乗せた。
 浦橋たちが戻ってくるまでの三十分間は、言い訳を考える時間になった。井本は、小和田に詳しい説明を求めた。それが、村岡にはプレッシャーになった。
 三十分後、浦橋より早く、松井が指揮所に戻ってきた。
「発見しました。ミサイルのエンジン部分です」
 一瞬にして、指揮所は色めきたった。
「間違いないの?」
「間違いありません。浦橋さんが、映像を転送したはずです」
「映像を出してちょうだい」
 井本は、鮎田に命じた。
 鮎田は、浦橋が転送した画像を呼び出し、再生を始めた。
 松井の指示で早送りをして、問題の映像になった。
 映像が始まると同時に、金属製の物体が見えてきた。極最近、この場所に落ちてきたことは、金属が輝きを失っていないこと、貝等の生物が全く付着していないこと、マリンスノーを一切被っていない事などで分かる。
 カメラは、この物体に興味を持っていることが、常にフレームの中央に捉えていることで分かる。
 カメラアングルの変化で、エコーに『く』の字に映った理由も明らかになった。
 ミサイルの残骸は、エンジン部分の内、ノズル部分の直ぐ上で、胴体が激しく凹んで折れ曲がっていた。
 固体燃料エンジンと思われる部分の上部は、引きちぎられたようになっていて、迎撃ミサイルとの衝突の激しさが生々しく感じられた。
「ミサイルの回収を行う」
 ミサイルを『わだつみ』に渡す場所は、発見地点から離れた海域とされていた。おそらく、『わだつみ』の行動からミサイルの発見地点を推測できないようにするためなのだろう。
「これより、『うりゅう』はミサイルに近付く。回収作業は、D1、F1、G1の連携で行う。対象物が大きいので、通常のバスケットは使わない。カーゴネットをギアに取り付けて、それに対象物を移す」
 村岡は、運搬準備を命じた。
 松井が、それに被せてきた。
「周辺海域の探査が必要だ。D1で螺旋探査を行う。探査範囲は、半径一海里、螺旋の間隔は十メートルだ」
 松井の独断専行の命令は、思い付きだ。『うりゅう』に慣れていない。
「馬鹿馬鹿しい。D1での実質探査期間が五日になってしまう。充電時間を含めれば、二週間以上もかかる。現実的じゃない。議論しても、時間の無駄だ。鮎田、『うりゅう』をミサイル発見地点に移動させろ。C1との距離には注意しろ」
 C1は、事故以来、収納不可能になっていた。
「村岡さん、あなたの越権行為には辟易しているんですよ。作戦指揮権は、我々にあるんです。ミサイルの一部が見つかった以上、周辺を隈なく捜索するのが常道だということも分からないのですか」
「迎撃ミサイルによる撃墜の場合、単独の墜落と違い、大気圏外で破壊される。当然、破片は広範囲に飛散する。ミサイルの後部がここにあるからといって、他の部分も直ぐ近くにあると考えるのは、素人考えだ」
「あなたは、私の命令に従えばいいんです」
「こちらのアドバイスにも耳を傾けないなら、こちらも協力はしない。最大限の協力をしてきたが、それを評価しないなら、この瞬間から協力関係は破棄する。防衛省の命令は聞かない。本来の文科省の指揮下に戻る。以上だ」
「つまり、私に命令しろというのね」
 それまでは、指揮所の隅でミサイルの映像に見入っていたはずの井本が立ち上がった。
「命令します。第一に、このミサイル残骸の回収をしなさい。第二に、周辺海域についてミサイルの残骸が他にないか、調査を命じます」
 松井は、ざま見ろとでも言いたい顔をしている。
「交渉相手が、こちらに移ったわけだ。さてと、ミサイルの回収は、OKだ。こちらに任せてほしい。周辺の調査方法だが、ミサイルの胴体が引きちぎられているが、ミサイル上部は、弾道軌道上で引きちぎられた可能性が高い。おそらく、推定着水地点とはかなり離れたところに落ちているだろう。捜索地点は、出直して考えることを勧める」
「ミサイルの制御部分が近くに落ちている可能性があります。それも、小さな部品になって。それは、通常の捜索では見つかりにくいわ。だから、目視で探すべきと思うのですが、いかが?」
「そこまで、周辺海域に拘るなら、無駄を承知で承諾しよう。ただし、回収作業に影響が出ないように、探査範囲は、半径四百メートルに限定したい。これなら、D1の一回の出動で探査できる」
「納得できる理由ね。お任せするわ」
 松井は、目を剥いた。
「我々との事前協議を思い出していただきたい。この作戦では、弾頭の発見を第一に、第二に制御部の発見を目的としていたはずです。見つかったのは、ミサイルの後ろ半分、つまりエンジン部分です。作戦の目的は、達せられていない」
「事前協議では、隠密行動と秘密保持についても、話題に上がっていたわ。その時、わたしは、『うりゅう』と『わだつみ』の両船乗組員に秘密保持をさせるのは困難だと言った事を、覚えているかしら。あなたが、当初の目的だけを追求していると、『うりゅう』乗組員の反感を買い、それだけ秘密保持が難しくなるのよ」
「『わだつみ』乗組員の内、海自からの出向組以外は、本件に触れられないようにしてある。秘密保持は、問題ない。『うりゅう』は当初の予定とは違ってしまったが、幸い人数が少ないので、守秘義務を監視すればいい」
「松井さん、分かってないね。瓜生と小和田は公務員じゃないよ。公務員の守秘義務は、関係が無い。それに、ぎりぎりまでミサイル捜索をさせられたら、俺たちの面目は丸つぶれさ。別府湾に潜っていながら、手ぶらで浮上したんじゃあ、格好がつかないよ。報道陣に叩かれたとき、自分たちの責任じゃないことを背負わされることに納得できなくなるかもね」
「心配するな。別府湾では、自衛隊のスキューバチームが、遺物集めをしている。手ぶらにはさせないよ。それより、守秘義務を守らないと、『うりゅう』には二度と乗れなくなるぞ」
「お生憎様。おいら、『うりゅう』で油田調査をさせられるくらいなら、今回の件を公表して、印税生活を選ぶね。この先も、『うりゅう』で未発見の海底遺跡が見られるなら、流石にそっちを選ぶけどね。今回の件の暴露は、金にはなるけど、後世においらの名前が残らない。だけど、未発見の海底遺跡の写真を取れば、少なくとも撮影者の欄には、おいらの名前が残る」
「言い忘れてたわ。文科省は、『うりゅう』の運用費用を国交省に分担してもらう予定だったけど、それができなくなりそうなの。理由は、想像にお任せするけど」
 井本は、皮肉たっぷりに言った。大分での村岡の発言を責めているのだ。だが、ここでの重要性は低い。焦点は・・・
「松井さん。権限を振り回すのは、やめようよ。目的を何も果たせなくなるよ」
 松井は、荒い息を繰り返していた。徐々に呼吸が落ち着いてくると、一言言った。
「発見部分に制御装置が含まれている場合、当初目標を達成したものとみなす」
 村岡は、松井を少し見直した。これまで、一度も譲歩しなかった松井が、初めて譲歩した。
 松井は、井本に声を掛け、連れ立って部屋に戻っていった。
「G1で、破片を精査する。目的は、放射線の計測と制御部分の有無だ。制御部分が見つかった場合、分離し、バスケットに保管する」
 バスケットとは、海底で採取したものを一時的に保管する網状の入れ物だ。カーゴネットと違い、網目が細かいので、小さなものも落とす心配がない。
 放射線は、多少強くても海水を一メートルも透過しない。だが、この先には引き揚げ作業もある。充分に防護できる間に調べておくべきだ。
 村岡は、瓜生をG1に乗せた。制御装置の発見後は、ミサイル本体の回収作業もある。瓜生は、G1を我が身のように操ることができる。細かな作業も、重量物の運搬もこなす必要があるので、この役割は瓜生以外は考えられない。鮎田には、その瓜生のバックアップを任せた。
 D1には、浦橋と江坂を回した。浦橋は、D1の操縦に長けている。江坂は、マジックハンドの操作に慣れている。二人には、ミサイルを乗せるネットを、『うりゅう』のギアに取り付ける作業をやらせた。
 小和田には、F1を任せた。ミサイルをネットに乗せる役割だ。
 魚塚は、ミサイルの制御装置を見極める役割と、ミサイル全体の回収の指示を担う。
 間もなく、G1がF1との回線を開いた。G1には、F1と接続するための有線の回線を備えている。細い光ファイバーで、本来は、G1からF1を操縦するためのものだが、有線で『うりゅう』と繋がっているF1を介して、G1と『うりゅう』も映像回線を開くこともできる。
 瓜生が乗るG1のカメラが、ミサイルを映し出した。G1は、最短コースで、ミサイルの引きちぎられた部分に近付いていく。
 映像は、ミサイルの引きちぎられた場所を拡大していくが、ミサイル外筒がくの字に折れていて、中が見えにくい。
 瓜生は、F1からファイバースコープを引き出した。その先端を、ミサイルの破断面の隙間から中に差し込んだ。
 魚塚は、F1のファイバースコープの映像を隣の端末に呼び出した。
 平坦な金属板が見えた。
 G1でも、ヘルメット内のモニターを見ながらファイバースコープを操作しているらしく、ゆっくりと周囲を探っている。
「間違いないですね。制御装置です。正面が、アクチュエータの電源ユニット。その横が、リレー関係のユニットだと思います。アクチュエータ自体は、ノズルに近い部分にあるはずです。最初に見えたのが、制御部でしょう。軌道要素とかは、ここに入っているはずです」
「無理矢理、これを取り出さないほうがいいと思う」
 瓜生は、制御部の状況から、そう判断したらしい。
「放射線は検出レベル外」
 弾頭は、大気圏再突入前に切り離せるように、ミサイルの先端に近い部分にあるはずだ。仮に、核弾頭でも、エンジン回りには放射性物質が付着している可能性は低い。それが確認できた。
「OK。そのまま、積み込もう」
 村岡も、瓜生の意見を尊重した。映像を見ていた松井と井本も、納得したようだった。
 判断を伝えると、村岡は、自室に籠った。村岡には、アイデアがあったが、それを井本らに見られたくなかった。
 瓜生、小和田、それに魚塚は、一時間以上も掛けて、ミサイルをネットに、そして『うりゅう』のギアに固定した。

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  18

 昨日は、発電所の停止がニュースに流れる程度で終わっていたが、今朝は、日本中で大変な騒ぎになった。
 『うりゅう』の最後の寄港地だった大分の製鉄所で、二基ある溶鉱炉の内、二号炉が止まったのだ。停止の原因は、溶鉱炉内の酸素の吹き込み口が目詰まりしたためだった。
 溶鉱炉は、一度温度が下がってしまうと、内部の銑鉄が固まってしまい、修理さえ効かなくなる。取り壊すしかないのだが、取り壊すこと自体が非常に難しい。
 やむを得ず、全ての銑鉄を捨てる覚悟、一気に取り出していった。その後も大変で、比重が軽い不純物取り除く際に、できる限り鉄も取り除く一方、トピードカーで溶鉱炉から抜いた銑鉄を転炉に運び出した。
 トピードカーで取り出した鉄は、転炉に持っていくしかなく、その後の工程も、連続鋳造ラインに流して、スラブにするまで、抜け道が無い。溶鉱炉にあった時間が短いため、鉄の還元が進んでいない上に、コークスの残りが大量にあり、転炉から連続鋳造ラインで、通常とは比べ物にならない一酸化炭素が発生した。
 従業員の一人に一酸化炭素中毒が発生したが、大事には至らなかったのは、不幸中の幸いだった。
 昼前になると、福島や川崎で、火力発電所が停止し、一部で停電が発生して、操業中止に追い込まれてる工場も出た。
 午後になると、韓国で一箇所、中国でも数箇所の火力発電所と製鉄所が、日本で起こったのとそっくりの現象で、運転が止まった。
 韓国では、ソウル市内が大規模な停電となった。
 中国は、大規模な停電が引き金になり、暴動が発生した。中国政府は、発電所や溶鉱炉の停止は、テロの疑いがあるとして、最初の発生国である日本に捜査協力を要求してきた。
 社会インフラの強化を手抜きし、産業優先の政策を採ってきたため、停止した発電機の電力は、前日の日本での発電所事故より小さいのに、停電規模は非常に大きく、湖北省の三分の二にも及んだ。
 製鉄所でも、一酸化炭素中毒による死者は多数出たようだが、報道管制なのか、正確な情報は日本に伝わってこなかった。

 それ以上の事件が、浅村の研究室で発生した。
 氷床から取り出していたマイクロマシンが、一時的に行方不明になっていたのだ。
 マイクロマシンは、透明なプラスチックケースの中に敷いた綿の上に置いていた。そのプラスチックケースから、マイクロマシンが消えていたのだ。
 プラスチックケースを保管していた資料棚を取り出してみたら、プラスチックケースの底に穴が開いていた。
 慌てて調べたら、プラスチックケースを重ねて置いていたガラスの資料ビンの蓋を貫通し、資料ビンの底に落ちていた。
 拡大鏡でマイクロマシンの様子を見たところ、回転していることが分かった。どうやら、自分自身を回転させて、ドリルのように動いているらしい。
 マイクロマシンにとって予想外だったのは、思いの外、ガラスが硬かったことだろう。ガラス瓶の底は、傷も入っていなかった。
 マイクロマシンを直接触れるのは、危険だと考えた浅村は、大小様々な大きさのガラス瓶を集めてきた。そして、ガラス瓶の中にガラス瓶を入れて、特製のマイクロマシン収納箱を用意した。
 そして、今のガラス瓶の底で回転しているマイクロマシンを、慎重に新しい収納ビンに移し変えた。
 この作業を終えて、もう一度、新木に電話した。
 今回は、なかなか電話に出てくれなかった。前日は早かっただけに、この遅さにイラつきを覚えた。
「すまない。電話が見つからなかったんだ」
 彼の研究室の様子が目に浮かぶ。
「電話に出てくれる前に、電池切れになるかと思ったよ」
 このくらいの皮肉を言わないと、気が済まなかった。
 この停電が、マイクロマシンによるものだとは、まだ新木には伝えていない。それ以上に、新木が言い掛けた事が気になっていた。
「明日は、こっちに来れそうか?」
「今以上に、発電所が止まらなかったらな」
 不気味な予言をしてくれる。
「大停電で、電車が走らないってことかい?」
「君だって、そう思ったから、こうして電話してきたんだろう?」
 恐ろしい予想が、二人の間で一致した。
「でも、どうして今以上に発電所が止まると、君は思うのかい?」
「僕には、君がそう考える理由の方が、不思議でならないよ」
「説得力に欠けるかい?」
「マイクロマシンが動いていなければね」
 彼の洞察力には、驚かされる。
「その通り。マイクロマシンが動いたんだよ」
「どんな風に動いたんだい?」
「その前に、君の解析結果を聞かせてくれないか」
「すまない。まだ、解析が終わっていないんだ。マイクロマシンがどう動いたかが分かれば、解析が進むんだよ」
「え? 君の方も、マイクロマシンに関係するのかい?」
「一言で言えば、マイクロマシンの親玉の声を聞いた・・・というところだな」
「声? ニュートリノと関係あるのか?」
「いい勘をしているね」
 珍しく、褒めてくれた。
「分かった。マイクロマシンの動きを説明する。マイクロマシンは、自ら回転してプラスチックの資料ケースに穴を開け、移動しようとしていた」
「外観上の変化は? 足が出たとか」
「無い。今は・・・かもしれないが」
 新木は、何も言わなかった。
「これは推論だが、火力発電所の集塵装置の故障は、マイクロマシンが入り込んで、目詰まりを起こさせたんだと思う。今日の製鉄所の溶鉱炉は、原因が分からないが、マイクロマシンが関係しているような気がするんだ」
「先を焦るな」
「何か、知っているのか?」
「知っているのではない。ただ、あることに気付いて解析を試みていたんだけど、結果が出る前に、状況が変化してしまった。その直後に、今回の事件さ。君は、今回の事件を、どう考える?」
「誰かが、マイクロマシンを使って破壊活動を始めた。そう言いたいんだろう?」
「近いかな。でもね、マイクロマシンを誰が操っているにしろ、何を目的にしているか、考える必要がある。君なら、目的をどう考える?」
「破壊活動しか思いつかない。ただ、何のための破壊活動か、君に聞かれるなら、分からないと答えるしかない」
「攻撃目標は、今のところ、火力発電所と溶鉱炉だけだ。この二つの共通点は何か。僕は二酸化炭素だと考えたんだよ」
「CO2?」
「温室効果ガスだ。温室効果ガスの削減を狙った攻撃だと思うんだ」
「荒唐無稽だ」
「八十万年前のマイクロマシンの方が、よほど荒唐無稽だとは思わないかい?」
 何も言い返せなかった。
「後は、証明の方法だけど、二つある。一つは、今やっている解析を完成させることだ」
「もう一つは、次のターゲットが、温室効果ガスを大量に出す施設かどうかだ」
「その通り」
 新木は、他人事のように肯定した。何が標的にされるにしても、社会的な影響は大きいだろう。それも、身近なもののような気がした。とても、他人事では済まされないような・・・
「その前に、今回の事件を引き起こしたのがマイクロマシンなのか、確認する必要がある。もう一つ、マイクロマシンは、どうやって指令を受けているかだ」
「調べる方法が無いかな?」
「前者は、事故調査団に紛れ込むしかないだろう。これは、無理だ。後者は、僕がマイクロマシンの実物を君のところに持っていけば、糸口が見つかるかもしれない」
「今から、何かの口実で、動くことはできないかな?」
「古くからの手段を使うしかないだろう」
「古い手?」
「ああ、俺の親族の誰かに死んでもらうんだよ」
「本当に殺すのか?」
「おいおい、俺は殺人鬼じゃないよ。死んだことにして、忌引きを取るんだよ」
「びっくりさせないでくれよ」
 普通、こんなことで、本当に人殺しをすると思う方が、異常だよ。
 そうは思ったが、口にはしなかった。
「今から来るのか?」
「早い方がいい」
「だったら、飛行機は使うな」
 そうか。
 大量の燃料が使われるのは、飛行機も当てはまる。もし、マイクロマシンが飛行機を標的にしたなら、多くの人命が奪われてしまう。
 でも、現時点でそれを航空会社に伝えても、営業妨害で逮捕される。事故後に言い出したなら、殺人犯だろう。
 歯痒いが、事実と推論を整理した後で、証拠と一緒にぶつけるしかない。
「分かった。新幹線にするよ」
 電話を切った後、誰に死んでもらうか、ちょっと頭を悩ました。結局、母方の祖母が危篤になったことに決めた。彼女は、九十歳を過ぎているが、矍鑠としている。四国で伯父夫婦と同居しているが、古希を迎えたばかりの伯父より元気なくらいだ
 でも、年齢的には、急変してもおかしくない。彼女には悪いが、表向きは危篤になってもらうことにした。
 下手な嘘で強引に取った休暇だから、ばれたかもしれない。
 まあいいさ。
 新木は、何かを掴んでいるようだ。それを知るために、マイクロマシンを隠し持って、極地研究所を出た。

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