伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  第四章
 
 離れた場所から見ると、バイナリースターは何の損傷もないように見えた。
 近付くと、最初に見えてきた異状は、ブリッジ後ろのハッチが開いたままになっている事だ。
 状況を把握するため、外観の確認に努める。ブリッジのウィンドスクリーン越しに中を見たが、人影は勿論、物が散乱している訳でもなく、整然としている。二百年前の幽霊船メアリーセレスト号を思い起こさせる。
 位置を変え、バイナリースターの正面に回り込む。この時、バイナリースターが受けた事故の重大さがわかった。船首の下側に大きな破孔があった。破孔の周辺の耐熱タイルも、砕け散っていた。
 船体の下側から船尾に回り込む。損傷は、見られない。船尾のエンジン周りも目視で確認したが、燃料漏れを含め、異状はなかった。
 上面に出た。緊急用の太陽電池パネルが開いている。機能しているか確認できないが、問題があるようには見えない。
 外観上の損傷は、船首下部だけのようだ。報告の通りだ。
 幸いな事に、バイナリースターは回転していない。姿勢は制御されている。
 コリンズ船長は、エアロック直上に、船の位置を固定した。
 コリンズの命を受け、ズワイガートとクランツは、船外に出た。50mほど離れたバイナリースターのエアロックまで遊泳し、エアロックの操作パネルに取り付いた。
 電源は生きていた。
 パネルを操作し、エアロックの外扉を開けた。中は、照明が点灯していて、レスキューボールが一つ浮かんでいた。
「レスキューボールを発見した。回収する」
「了解」
 二人は、レスキューボールをエアロックから引き出し、自船に持ち帰った。
 医師のヘイズは、自船のエアロックからキャビンに引き込むと、二重の気密ファスナーを開いた。だが、中をちらりと見ただけで、元通りにファスナーを閉めた。
「こちら、救難隊。遺体を一体、収容した。若干、腐敗している事から、事故発生時に死亡したミライ・ホシデと思われる」
「了解した。引き続き、収容作業を続けてくれ」
「作業は継続している。オーバー」
 辺りに漂う異臭を振り払うと、小窓からバイナリースターに視線を送った。ズワイガートらの姿は見えなかった。船内に入ったようだ。
 クランツは、エアロックとキャビンの圧力差がなくなった事を確認し、内扉を開いた。内部は、0.11気圧だった。全てが酸素でも、生き残る事は無理だろう。
 二つめのレスキューボールは、エアロックの目の前に、マジックテープで固定されていた。
「救助する順番を指示されている気分だ」
「最初は遺体だったらしい。と言うことは、これは乗客の女性が入っているって事か」
 二人は、レスキューボールを救助船へ運んだ。
 ヘイズは、二つめのレスキューボールを恐る恐る開いた。最初のレスキューボールと同じような東洋人女性の顔を中に見つけ、背筋が凍りついた。
 だが、今回は異臭がない。もう一度、しっかり見た。綺麗な顔立ちの女性は、微かに寝息をたてていた。眠っているらしい。
 バイタルチェッカーを装着した。レスキューボールの酸素残量も見たが、半分近い量を残していた。
「ハロー」
 呼び掛けに対する反応は、ほとんどなかった。バイタルチェッカーの指す数値は、眠っているだけだと示していた。
 レスキューボールからシートに移し、ベルトで固定した。その時、女性の手から何かが漂い出るのを見つけた。手に取ると、睡眠薬だった。半分は飲んでいたが、半分は手付かずで残っていた。
 酸素の消費量を少しでも減らすために、睡眠薬を使っていたのだ。
「こちら救難隊。レイコ・アイウラと思われる女性を収容した。意識はないが、生命に別状はない」
 無線の向こうで歓声が上がるのが聞こえた。
 小窓からバイナリースターを見やると、三体目のレスキューボールを運び出しているところだった。
 ヘイズは、受け入れ体勢を整えた。
 三体目のレスキューボールからは、バイナリースターの船長が顔を出した。彼は、意識があった。ファスナーを開くと、真っ青な顔で這い出てきて、深呼吸を始めた。
「キャプテン・ササ?」
 男は、荒い呼吸の中で頷いた。
「私はヘイズ、医師だ。早速で悪いが、君を診察したい」
「彼女は?」
「ミス・アイウラ? 彼女は大丈夫だ。彼女のレスキューボールは、酸素残量が40%以上あった。今は、彼女は睡眠薬で眠っている。だが、君は問題だ。酸素残量はゼロだった」
「俺は、深呼吸すれば元通りになる」
「私は診察したいが、どうかね」
 男は、肩を竦めた。
「Okだ」
 ヘイズは、診察を始めた。バイタルチェッカーの値は、芳しくなかった。二酸化炭素中毒による障害が、懸念された。
 だが、命に関わるほどではない。元気な彼女の姿を見せて、安心させてやるのが良いと判断した。
 彼をキャビンに運び、ミス・アイウラの隣に座らせた。
「彼女の状態は?」
「彼女は、全く心配はない。君とは大違いだ」
 苦笑いしている。
「重病人は寝てろと、あんたの顔に書いてあるぞ」
「さっき、自分で書いたんだ」
 ササは、わかったとばかりに片手を上げた。
 しばらくすると、ズワイガートとクランツが戻ってきた。二人は、ササと握手を交した。
 ミス・アイウラはまだ寝ているが、バイタルチェッカーは眠りが浅くなっている事を示していた。
 ブリッジに行ったクランツが、戻ってきた。
「キャプテン・ササ。地上から君に通信が入っている。カメラは正面にある。悪いが、音声はスピーカーから流れる」
 ちらりと視線を送ると、「モニターは無いのか」と呟いた。
「おい、聞こえてるぞ」
「宇山か」
「そうだ。報告がある。知りたいだろう?」
「ああ、待ってたんだ」
「やってみたら、一挙動だったよ。シャトル側の切り離しは二挙動だが、機械船側の切り離しは一挙動だった」
「監査卓の記録も見たのか?」
 シミュレータの監査卓だろうか。そうなら、シミュレータでの訓練内容を監査するためのモニターだ。
 ヘイズは、拙い日本語力で二人の会話に聞き入っていた。
「もちろんだ。ブリッジ側のシステムは、シミュレータも実機も全く同じものだ。シミュレータは、ブリッジ側のシステムのインプット、アウトプットを提供しているだけだ。シミュレータへのアウトプットの記録を監査卓で確認したから、間違いない」
「そうか。やっぱりな」
「つまり、事故原因がわかったという事か」
 ミス・レイコが動いた。ササも気付いたらしく、会話を中断した。
 彼女は、軽く伸びをした。レスキューボールから解放された事を喜んでいるようだ。
「あ、済まない。彼女が目を覚ましそうだったんだが、まだ睡眠薬が残っているようだ」
「君は飲まなかったのか?」
「船の状態が気になって、睡眠薬が効かなかった。だから、飲むのをやめた」
 だから、酸素残量が無かったのか。
「実は、もう一つ報告がある」
「報告が多いな」
「二つの意味で、これが最後の報告だ。この通信を切ったら、この足で辞表を出しに行く」
 無線の向こうがざわつくのが、ヘイズにもわかった。
「ちょっと待て」
「引き留めてくれるのか?」
「いや。俺の名前も連名で出してくれ。頼むぞ」
「おい!」
 ウヤマは何か言おうとしてようだったが、動き始めたミス・レイコに気を取られたのか、ササは返事をしなかった。
 ゆっくりと目を開けた彼女は、正面のヘイズの顔を見た。一瞬、驚きの表情、次に戸惑い、そして平静を取り戻した。
「ここは救助船かしら」
 頭脳も冴えてきたようだ。
「その通りです。我々は、間もなく、帰還軌道に移ります」
 彼女は、育ちの良さを感じさせる笑みを浮かべ、ヘイズに応えた。
「ミスターササはどこですか?」
 最初は日本語だったが、ヘイズの日本語力を見切ったのか、今度は英語で聞いてきた。
 ヘイズは顎をシャクって教えた。
 彼女は、ササを見付けると、自分を固定していたベルトを外した。
 無重力空間での彼女の身のこなしは、軽やかだった。ふわりと浮き上がると、ササに抱きついた。
「お預けにしていたキスよ」
 レイコに覆い被さられたササが、手で“あっちに行け”と合図した。
「しょうがないなぁ」
 ウヤマの大袈裟な声が、スピーカーから流れた。
「通信終わり」
 ヘイズも、気を利かせて通信を切った。他の三人にも目配せして、揃ってブリッジへと移動した。
「楽しんでくれ」
 ズワイガートがにやけた顔で言った。
 12分後、救助船は、帰還軌道へと移った。

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 救難隊との合流日程が決まったのは、最後の船外活動から命からがら戻ってきた2時間後だった。
 救難隊が到着するのは、一週間後になる。そこまで、バイナリースター内で二人の命を繋がなければならない。
「どう思う?」
 佐々の問いかけに宇山が応えてくれた。
「ギリギリだな。二酸化炭素は問題ないが、酸素残量が厳しい。漏出が完璧に止められれば、足りるが」
「ハッチの補修は、これ以上は無理だ。だから、気温を下げて空気密度を上げ、その分だけ気圧を下げるつもりだ」
 エアロックを使えない事は分かっていた。エアロックには、二酸化炭素除去フィルターが付いていない。換気によって、空気組成をコントロールする。
「漏出する空気密度も高くなるから、効果は疑問だ。寒いと、酸素消費量が増える事も考えろよ」
 苦労してスーツケースを持ってきたのは、このためだったが、無駄だったようだ。
「そこの酸素分圧は、0.25で一定しているが、窒素分圧は、0.06から0.03に下がった。船内空気の半分が漏れ出て、酸素タンクから補充された計算だ」
「船外活動の際に排気しているから、そこまでは漏れていない」
「最悪を想定しておくべきだ。これからも監視する事にしよう。その上で、最終手段をいつ使うか、考えよう」
「最後の手段?」
「レスキューボールだよ。だけど、24時間しかもたないから、睡眠薬でできるだけ寝て過ごす事も、案の一つに入れておくべきだろう」
 睡眠薬か。
 気が重くなる。
 救助不可能な宇宙飛行士を安楽死させるために、致死量の睡眠薬を飲ませる事は、過去に検討された事がある。
「やるべき事は、生き残る事だけだ。それだけを考えるようにしてくれ」
 宇山の言うとおりだ。
 麗子も、傍の空間を漂いながら、聞いていた。
 五日後、酸素タンクが空になった。酸素分圧は下がり始め、今は0.2気圧になっている。
 最後の手段を使う時がきたのだ。
 佐々は、レスキューボールの注意点を説明した。
「酸欠は、一瞬で気を失う。レスキューボールを開けて外の様子を見るなんて、絶対に駄目だ。酸欠に気付く前に気を失う」
「分かったわ。自分で開けたら死んじゃうって事ね。今度は、あたしから。処方は守ってよ。ギリギリの量だから、多く飲めば心肺停止になると思って」
「分かった。じゃあ君からだ。レスキューボールに入るんだ。外から気密を確認する」
 麗子は、逡巡した。そして、意を決したように口を開いた。
「一つだけ、聞いてほしい事があるの」
 助かる見込みは高くない。これが最期の会話になるかもしれなかった。
 救助は、30時間後に来る。救助活動が完了するのは、33時間後になるだろう。レスキューボールの限界を超えている。女性の麗子は代謝が低いので、可能性があるが、佐々は可能性が低い。
「何だ?」
「事故の原因」
「それは、ケーブルが切れたからだ」
「だから、ケーブルが切れた原因よ」
「ん?」
「ケーブルが切れた原因は、あたしがボタンに触れたからだと思うの」
「順に話してくれ」
「ブリッジを見学している時、赤と緑の光るボタンがあったから、何か聞こうと思って、指差しながら星出さんに聞いたの。彼女が『何ですか?』って言いながら振り返ったんだけど、その時、彼女の体があたしの肘にぶつかって」
 やはりそうだったか。
 切り離しボタンは、シャトル側が赤色、ブースター側が緑色だ。麗子が言う赤と緑に光るボタンは、切り離しボタンに違いない。
「すまない」
「え?」
 佐々には、切り離しボタンの設計変更を上層部に求めた苦い記憶があった。
 切り離しボタンは、タッチパネルになっていた。しかも、スイッチカバーがない。
 佐々は、訓練開始時から、切り離しボタンのフールプルーフについて問題にしていた。
 まず、色が問題だった。通常の運用では操作しない機械船側の切り離しが緑色なのが、気に入らなかった。
 次に、スイッチカバーがない事が、納得できなかった。
 他にも見つけた問題点と合わせて、会社に改造を提案した。
 バイナリ・スターは、アメリカのモハベ宇宙空港を拠点にするベンチャー企業によって開発された。佐々が訓練を始めた時には、一連の受け入れ試験を終わり、購入契約が交わされた後だった。だから、佐々のクレームは、会社の上層部によって拒否された。
 会社は、2号機以降を改造する妥協案を示し、佐々に搭乗を迫った。佐々は、これを受け入れた。
 心の角においていた後悔と、改めて対峙させられる事になった。
「君が触れたボタンは、本来なら触れないようになっているべきだった。俺は気付いていながら、この船に乗りたいがために、上層部への進言を取り下げた」
「あたしが不用意に指差してなかったら…」
「ちょっと待て。未来とぶつかった時、一度しか触ってないよな」
「え?」
「おかしい。二挙動のはずなのに」
「どういう事?」
「俺だって、この船に乗りたいだけで納得したわけじゃない。操作が二挙動だと聞いたから、納得した。実際、シミュレータは二挙動だった」
「機械船側の切り離しも、二挙動だったの?」
「いや、訓練項目に無かったから、試していない」
「じゃあ、二挙動かわからないのね」
 佐々は、無線で宇山を呼び出した。
「確認してもらいたい事がある」
「何だ?」
「機械船側の切り離しボタンが二挙動か、シミュレータで動作を確認しておいてくれ」
「いいだろう。ただ、回答は明日だ。救助船に連絡を入れる」
 シミュレータを立ち上げ、試してみるには時間が掛かるが、回答を待てないほどでもない。宇山が「救助船に連絡する」と言ったのは、「生きて帰ってこい」との彼のメッセージなのだろう。
「わかった」
「グッドラック」
 何となくすっきりしないまま、通信を終わった。すっきりするためには、生き残るしかない。
 薄い空気の中で、深呼吸した。
「さあ、レスキューボールへどうぞ」
 麗子は素直に従った。
 気密ファスナーを閉じる時、麗子はもう一度顔をだした。
「救助船に着いたら開けてね。それまでキスはお預けよ」
「わかった」
 麗子は、恥ずかしそうに顔を引っ込めた。
 念入りに気密やサバイバルシステムの動作を確認すると、床に固定した。
 やらなければならない事がまだまだあった。
 未来が入ったレスキューボールを移動させてきた。大した作業ではないが、呼吸が乱れる。辛い呼吸の中で、レスキューボールをエアロックの中に入れた。
 深呼吸しても、すかすかと空振りしているような感じだ。息苦しさは感じないが、こめかみの辺りが痛む。二酸化炭素中毒に似た症状だ。
 レスキューボールの生命維持時間から逆算すると、キャビンの空気で二時間は耐えなければならない。
 時々、宇宙服の空気を吸いながら、徐々に始まった頭痛と闘った。

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