伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  公開審判

  - 1 -

 隼人は、搬送ロボットに乗せられ、救急搬送された。
 病院には、久し振りに来た。
 色々な検査ロボットの間を、搬送ロボットで移動してまわった。散々、検査ロボットに検査された後、搬送ロボットは、隼人を医師の前に連れて来た。
 隼人は、病院に入って初めて、人間の前に来たと思った。
「征矢野隼人君だね」
 医師に声を掛けられ、隼人は、肯いた。隣に居た宙美とその母も、一緒に肯いた。
「検査結果が出たよ。大丈夫。問題はない。胃壁は、少し痛んでいたけど、薬で直ぐに治るよ。但し、今日は、水も食事もなしだ。明日から流動食を摂りながら、様子を見よう。普通の食事を食べられるようになるまで、そうだな、一週間くらい入院しなさい。胃の方は、それくらいだ」
 医師は、端末を叩いて表示を変えた。
「ちょっと殴られたようだね。念のため、脳波と断層撮影もしたけど、こっちは全く心配無い。念には念を入れて、退院の前にも、再検査をする事にしよう。
 今、少し吐き気がある筈だが、それは脳の障害の症状じゃないよ。君は、脳波測定中にも、吐きそうになったよね。その時の脳波が取れたんだ。脳波の乱れはなく、胃からの反射だと突き止める事ができた。だから、何も心配する事は無い。私が保証する」
 医師は、にこやかに話した後、看護婦に何かの指示を出した。一度、病室を出た看護婦は、何かの機械を持って戻ってきた。
「今から、点滴をしますからね」と言うと、隼人の右手を円筒形の機械の中に入れた。
 右手に、ちくりと痛みが走った。点滴の針を入れたらしい。
「でも、良かったわ。宙美は、大地君が守ってくれたから、ちょっと口を切ったくらいで済んだし。大地君は、あちこちに打ち身があったみたいだけど、小さい頃の悪戯小僧だった時を思い出させるくらいで、大丈夫みたい。隼人君が一番心配だったけど、直ぐに直ると聞いて、安心したわ」
 芙美子は、薄っすらと涙を浮かべていた。
 隼人は、病室に搬送され、なんとか自力で病室のベッドに移った。それを見ていた芙美子は、少し安心したらしく、「看護婦さんの言う事を良く聞くのよ」と、母親が小さな子供に言うような事を言った。
 点滴で体が少し楽になった。隼人は、眠気を感じ始めていた。気分は悪くなかった。芙美子は、まだ隼人の様子を見ていたが、隼人がうとうとし始めた時、そっと立ち上がった。でも、彼女が病室を出る直前に、入口の所で立ち止まった。
「やあ、隼人君」
 元気の良い声と一緒に、大地が病室に入ってきた。芙美子も、彼を伴って、隼人の横に戻った。
「四、五日、入院する事になったよ」
 大地に恥ずかしい姿は見せられないと、隼人は、目一杯の力を込めて声を出したが、か細く掠れてしまった。
「入院? 大丈夫なのかい?」
 大地は、隼人の顔を覗き込んだ。そして、全身の包帯を確認した。
「うん。食事が普通にできるようになるまでだけだよ。胃を、思い切り蹴られたからね」
「まあ、食事制限だけで直るなら、心配は要らないな。宙美も、思ったほど酷くないみたいだ。精密検査の結果もおばさんと一緒に聞いたけど、全く異常ないって。怪我は、口の中を切っただけだったらしい」
「さっき、僕もおばさんから聞いたよ」
 大地は、微笑んで頷いた。そして、引き締まった表情に変えた。
「僕は、しばらく帰って来ないから、その間は、宙美は君が守るんだ。頼んだよ」
「しばらく帰ってこない?」
 隼人と芙美子は、揃って聞き直した。
「警察に自首する」
 二人は、大地の言っている事を理解できずにいた。
「僕が殴り倒した人の一人が、今、集中治療室で治療中なんだ。脳内に出血があるらしく、安心できない状況らしいんだ」
「えっ! だって、あれは、どう見たって正当防衛じゃないか」
 大地は、首を振った。
「過剰防衛だ。傷害致傷かもしれない。万が一の事があれば、傷害致死だ。僕は、その責任を取らなければならない」
「責任て、奴らが取るべきだろう。大地君じゃないよ」
「それは、判事が判断する事だ。僕は、その場所に立たないといけない」
 大地は、くるっと身を翻すと、病室を出て行った。
「大地君、待って」
 芙美子は、慌てて大地の後を追った。
 隼人は、呆然と見送った。
 大地は、彼の父に心配をかけない事だけが、今できる事だと言っていたのに、こんな事態になってしまった。しかも、その原因を作ったのは、自分であり、父であった。
 彼は、何一つとして、間違った事はしていなかった。
 隼人は、居たたまれなかった。一日でも早く怪我を治し、彼の弁護をしなくてはいけないとも思った。

 四日後、隼人は、予定より三日も早く退院した。隼人は、退院が遅くならないように、生涯で一番の努力を続けた。それに気付かない医師は、「若いと回復も早いな」と笑った。
 宙美はと言うと、一晩だけ検査入院したが、翌日には退院した。ただ、大地の事が気になるらしく、本人は酷く落ち込み、元気無く病院を後にした。
 ある意味、隼人が最も心配していた大地が殴り倒した高校生は、生命の危機を脱して、二日前には一般病棟へ移っていた。もちろん、元気とはいかないが、心配された後遺症も免れそうだった。
 加害者の大地は、事件の翌日には、送検されていた。少年鑑別所に居たが、本人が素直に事情聴取に応じ、早い審判を望んだために、早くも第一回の審判が行われようとしていた。
 十数年前、少年法が改正され、傷害、殺人等の凶悪犯罪で、本人と弁護士が望む場合に限り、審判を公開できるようになった。大地は、弁護士の勧めで、この公開審判を選択した。弁護士は、大地の弁護をする上で、事件の全体像を世間に見せる事が大事だと判断したのだ。大地の正当性を傍聴人にも見てもらい、彼の社会復帰を容易にしようという配慮だった。
 第一回の審判は、三日後と決まっていた。隼人は、これに間に合うように退院したいと頑張ったのである。
 大地に会えるのは、この公開審判までない。
 隼人は、会って大地に謝りたかった。
 今回の事件の総ての責任は、隼人自身にあると思っていた。高校生の標的は、最初から最後まで、隼人だった。大地が怒りを爆発させる原因となった宙美の怪我も、隼人を大地が守ろうとしてくれたためだった。そして、事件自体の発端となったのも、父の業務上重過失致死だった。
 思い起こせば、転校初日に、「宇宙移民事業団の家族は、みんな助かった」と口走ってしまった事も、今回の事件の伏線だった。あの時、大地の表情は険しかった。彼は、あの時点で、事件の発生を危惧していたのではないだろうか。
 隼人は、大地と宙美を巻き込んでしまった事を、本当にすまなく思っていた。だから、弁護士から、証人を頼まれた際、二つ返事で引き受けた。

 審判の当日、隼人は傍聴席の最前列端に用意された証人用の席に、宙美と並んで座った。そして、直前に打ち合わせた弁護士の指示を、何度も反芻しながら、審判の開始を待った。
 やがて、傍聴席に、一般傍聴人が入廷してきた。その中には、知った顔もいくつかあった。そのほとんどは、中学校の先生か、同級生だった。最後の方に入廷してきた人物を見て、隼人も、宙美も、「あっ」と声を出した。
 大地の父、翔貴だった。
 来る事は、予想できないものではなかったが、朝食を一緒に摂った際も、傍聴する事は、おくびにも出さなかったので、不意を衝かれたようなものだった。
 息子、大地の審判が気になるらしく、彼は、ほとんど食事には手を付けなかった。芙美子が、彼のやつれようの酷さを心配して声を掛けたが、妹の言葉にも生返事を返すだけで、直ぐに席を立ってしまった。
 以前、大地が、「父の心労を増やさないように」と言っていた事を思い出し、隼人が原因でこのようになった事を、心の中で何度も詫びた。そして、この審判が良い結果に繋がる事を願った。
「大地君」
 隣で、宙美が小さく呟いた。
 入廷してきた大地が、被告席に座らされるところだった。
 彼は、堂々とした態度で現れたが、刑務官の指示には素直に従っていた。いつもと変わらない中学生離れした落ち着きのある彼の態度は、隼人達を安心させた。
 間も無く、判事が入廷し、公開審判が始まった。
 最初に、大地が発言席に立たされ、人定尋問と罪状、罰状の読み上げが行われた。罪状認否では、しっかりした声で、それを認めた。
「被告人は、何か言う事がありますか?」
 判事は、大地に語り掛けた。
「ありません」
 明快な回答だった。
 判事は、頷くと、大地を被告人席に戻した。
 公開であろうと、なかろうと、審判は、淡々と進んでいく。特に、少年審判は、結審までの期間に制約が設けられているので、進捗は驚くほど早い。
 検察側の罪状、罰状に対する弁護側の反論が始まった。
 大地の弁護士は、隼人が背後から襲われた事から始まった事を説明した。そして、大地は、隼人と宙美を守りつつ、ただひたすら耐え続けた事を、悲劇のように語った。
「このような状況の中、被告人は、二人の友人の危機を回避できなくなるまで、必死に耐え続けたのです。事実、彼の体には無数の傷が残っていました。彼が、もし、反撃に転じなければ、二人の友人の生命は、極めて危険な状況に陥っていたでしょう。彼には、反撃以外に手段が残されていなかったのです。
 もし、彼の反撃に罰を与えるのなら、私達は、彼に対して、同じ状況において、法に照らして正しい対処方法と、それが可能である事を示してあげなくてはなりません。しかし、それができる方は、この法廷内に居られるでしょうか。この冷静にじっくりと考えられる環境下にあってさえ、これが非常に難しい問題である事は、傍聴人の方々も感じられていると思います。
 今回の事件は、被告人が緊急避難として行った行為であり、被害者に怪我を負わせた事を真摯に反省して自首しています。この事実から、彼は十分に反省しており、同種の状況を他者が引き起こさない限り、再発の可能性は全く無いと断言できます。
 従いまして、私は無罪を主張します」
 傍聴席の人々が、大地に同情している事を、隼人は肌で感じ取れた。同時に、隼人は、事件の発端が自分と自分の父にある事を、判事や傍聴人に説明したかった。
 続いて、証人喚問が始まった。
 最初の証人は、隼人達を診察した医師で、三人共、怪我を負わされていた事、内、二人は入院が必要であった事が、明らかにされた。負傷箇所を図で示し、いかに残虐な攻撃を受けていたかを示した。特に、隼人の拳には怪我が認められず、最後まで反撃をしていなった事を証言した。
「被告人は、空手の経験があり、彼の師範の話では、相当な腕前であったと言います。その被告人が、これほど怪我をした理由は、ただ一つ。被告人が、反撃をせずに、体のあちこちが傷付くまで、耐えていた事を示しています」
 弁護士は、続けた。
「被告人は、二人の友人を守りつつ耐えていたが、躱すだけでは友人を守り切れなくなり、やむを得ず、排除する強硬手段を選択せざるを得なかった事は、明らかです。更に、被告人とその友人に怪我を与えた者にとっても、被告人が強硬手段を選択した事は、幸運だった可能性もあります。彼が反撃に転じた事で、彼等は殺人者になる事を免れた可能性さえあるのです」
 隼人は、死んでいたかもしれないと、弁護士は間接的に述べた。
 次に、宙美が証人台に立った。
 彼女は、ほとんど大地の背中に隠れていたから、大地が手出ししていなかった事を明確にした。彼女が見ていないのは、大地が隼人に駆け寄った時だけで、その時は、隼人が既に証言できるので、全体として、大地は最後の瞬間まで、手出しをせずに耐えていた事が証明される筈である。
 彼女は、弁護士の指示に忠実に証言した。
 最後に、隼人が、証言する番になった。
 証言は、人定尋問から始まった。続いて、弁護士が打ち合わせ通りの質問をし、隼人も打ち合わせ通りの回答をした。
 弁護士が求めた証言は、大地が常に躱すだけで、決して反撃に出なかった事だ。どんなに殴られても、大地から手を出す事はなかった。その事を、公にしたかったのだ。
 続いて、検察からの質問が始まった。
「証人は、被告人が手を出さなかったと言ったが、最初からずっと見ていたのですか」
 弁護士は、この質問を予想していたので、隼人には、答え方を教えてくれていた。
「いいえ、最初と最後の方だけです」
「それでも、ずっと被告人が手を出さなかったというのですか」
「いいえ、僕が見ている範囲では、僕がお腹を蹴られて動けなくなる前には、一度も大地君が手を出したところは見ていません。逆に、その間に何度も繰り返し殴られているところは見ました」
「証人は、質問にだけ答えて下さい」
 ぴしゃりと判事に釘を刺された。
 検察の質問は続いた。
「被害者は、被告人が先に手を出したと言っているが、証人はそれを見ていなかったのですか?」
 隼人は、検察官の顔を呆然と見た。そして、怒りの篭った声で切り出した。
「被害者とは、僕達三人の事を指しているのですか?」
「君は、本法廷においては証人だ」
「では、被害者は誰を指すのですか? まさか、僕を入院させた奴の事ですか? 暴力を振るった奴が被害者ですか?」
「証人は、質問に答えなさい!」
 判事に諭されたが、隼人は判事を睨み返した。
「隼人君!」
 大地の大きな声が聞こえた。隼人が振り向くと、彼は小さく首を振り、隼人を制した。隼人は、大地の法廷をぶち壊し掛けていた事を悟った。そして、怒りを生唾と一緒に飲み込んだ。
「検察官が言う被害者は、最初に僕を背後から殴ったのです。それは、最初から僕が標的だったからです。被告人席に居る僕の大事な友人は、単に巻き込まれただけなのです」
「被告人は、質問にだけ答えて下さい」
 判事は、隼人を遮ろうとしたが、隼人は続けた。
「僕は、小惑星を地球に落とした征矢野勝史の息子です」
 隼人は、傍聴席を振り返り、「誰もが、一度は石を投げつけたいと思った征矢野勝史の息子です」と繰り返した。
「最初から、僕が標的だったのです」
 隼人の目から、涙が溢れ出した。
「僕は、大地君に、謝らなくてはいけないのです。僕が居なければ、彼は、そんな場所に座っている筈の無い人なんです。僕が居なければ、僕が地球に残っていれば、彼は、こんな目に遭わなかったんです。僕さえ……」
「証人は、席に戻りなさい」
 判事は、優しく声を掛けた。隼人は、うな垂れたまま、宙美の隣に戻った。彼女も、優しい言葉を掛けてくれたが、隼人には聞こえなかった。
 突然、傍聴席が騒がしくなった。その中で、一人の男性が立ち上がった。
「静粛に!」
 立ち上がった男性の顔を見て、宙美は、顔色が変わった。それを見て、隼人も驚いて振り向いた。

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  - 5 -

 三人は、固まって下校した。
 学校の校門も、地下にある。そこから、一般の地下道へと出て行く。地下道は、地下とは思えない程、照明で明るく照らされていた。所々で、壁が横穴のように外に向かって開いている。そこから、傾いた陽の光が降り注いでくる。横穴から覗くと、谷に向かう傾斜の中に、家々の屋根が見えた。
 総てが人工的に作られているのに、なぜか、清々しい気持ちになれた。担任が、真剣に取り組もうとしてくれている姿が、頼もしく思い出された。
 明日は無理でも、来週には改善されるだろう。
 隣を歩く大地の横顔が、頼もしく見えた。
「大地君は、弁護士になるべきだよ。大地君が弁護士なら、被告人も安心できるよ」
 大地は、首を振りながら笑った。
 帰るのが遅くなっていた。だから、周囲には、学生の姿はなく、希に人が通り過ぎるだけだった。
「大地君は、検事になりたいんだよね。以前、そう言ってたもの」
 彼は、いつもと変わらない足取りで、歩き続けた。
「へぇ、そうなんだ。大地君は、検事になりたいんだ。でも、どうして検事なんだい?」
 横穴の日溜まりを、また通り抜けていく。暑さは残るものの、初秋の日差しは、肌を優しく照らした。
「僕が検事になりたい理由は、弁護士よりも検事の方が、裁判をリードしやすいからなんだ。一言で言えば、弁護士は求刑できないからなんだ」
「どういう事?」
「裁判は、被害者側に検事が、加害者側に弁護士が立つ。実際の裁判だと、弁護士が加害者の人権を守るんだが、被害者の人権はおざなりになりがちなんだ。僕は、被害者の立場に立って、加害者を断罪し、情状を酌量した上で求刑したいんだ。最終判断は、判事が行うけど、裁判をリードしていくには、加害者からも被害者からも話が聞け、被害者の人権を守る事ができ、求刑もできる検事の立場が、僕には向いていると思うんだ」
 感心するしかなかった。彼は、もう将来の事を決めているんだ。そして、彼なら実現できるだろう。色々な困難や疑問も出てくるだろうが、彼なら、真正面から立ち向かいつつ、乗り越えていくだろう。
 隼人は、大地を羨ましく思った。
「隼人君は、警察官になれよ」
「えっ?」と、言ったのは宙美が先だった。
「君には、警察官が向いている。僕が言うんだから、間違い無いよ」
 大地が言うんだから、確かに間違いはないかもしれない。彼は、どんな場面でも、嘘は言わないし、深く考えて言葉にする。いい加減な成り行きで、警察官という言葉は出していないだろう。
「でも、僕なんか、警察官から一番遠い所に居るよ。体は小さいし、弱いし、大地君のような正義感も無いし」
「大丈夫。君には、君の得意分野で頑張ればいいんだ。君は、コンピュータが得意だよね。それも、ネットワークの中を渡っていく事が」
「知ってたの?」
 隼人は、大地と宙美の顔を交互に見た。
「ああ、宙美から聞いていたんだ」
 宙美は、地上に居る時から、ネットサーフィン……と言うより、ハッキング紛いをしている事を、薄々感づいていた筈だ。そこへ、地球脱出時にも後生大事にパソコンを抱えていたのを見たのだから、勘の良い彼女は、確信したに違いあるまい。
 だが、事業団のコンピュータの不正使用までは、正直に答える気持ちにはなれなかった。
「お父さんが、隼人君の成績を見て、驚いていたよ」
「?」
 あまり自慢できる成績ではない筈だが。
「何に驚いたか、不思議なんだろう?」
「うん」
「隼人君の成績が、極端に片寄っているんで、驚いたらしいんだよ。お父さんは、隼人君を天才かもしれないって、驚いていたよ」
「僕が天才? 僕が天才なら、大地君は神様だよ。お父さんは、きっと、僕の成績が目茶苦茶に悪かったから、驚いたんだよ」
「ははは。語学と社会は全然駄目だとも、言ってたな」
 その通りだった。
「それから、音楽と体育もだ」
 それも、間違い無かった。運動音痴に、本物の音痴。音楽と体育が、学校の授業から無くなれば、どんなにいいだろうか。隼人は、いつもそう思っていた。
 しかし、大地に成績を知られていたとは、穴があったら逃げ込みたいくらい恥ずかしい。
「そうなのよ。隼人君は、地上に居た時から、理数系だけが得意だったのよ。他は、見てる方が恥ずかしくなるくらい、全然、全く、どうしようもないくらい、できなかったわ」
 彼女は、これでもかと、成績が悪い事を強調して言った。
「でも、死んだお父さんも言ってたけど、語学や社会は、記憶の科目だから、努力次第で成績が決まるって。努力の度合いを測るのにいいけど、才能を測るなら、下手な知能テストより、理数系の成績を見た方がいいって言ってたわ。理数系は、努力より、才能が出易いって」
「うちのお父さんも、同じ事を言ってた。努力の科目と、理数系の科目の成績の差があればあるほど、才能を持っているんだって。だから、隼人君には頑張って欲しいって言ってたよ」
 隼人は、少し面映ゆい気持ちになった。
「二十世紀前半に活躍した天才物理学者のアインシュタインも、実はね、チューリッヒ連邦工科大学の入試で失敗するような、落ちこぼれだったんだ。後年、この大学に入学できたんだけど、物理研究室の成績は、なんと最低レベルの一だったそうだ。でも、この年の電気技術の成績は、最高レベルの六だったというから、興味が有るか無いかで、成績が大きく変ったようだね。そして、彼は、電磁気学の研究から、あの有名な相対性理論を導き出したんだ」
 確かに、隼人も、興味のある科目は成績が良く、興味の無い科目は成績が悪い。でも、二十世紀最高の天才と言われるアインシュタインと同じだとは、どんなに己惚れても言えそうに無い。
「さっきは、僕の希望を言ったけど、隼人君は、将来は何になりたいんだい?」
 隼人は、言ったものかどうか、逡巡した。
 彼には、一つの夢があった。それは、恒星間旅行だ。できれば、自分で設計した宇宙船に乗って、恒星間旅行をしたかった。目標の恒星系は、エリダヌス座のε星か、クジラ座のτ星だ。
 でも、余りにも壮大なので、笑われそうに思った。
「あのぉー」
 隼人は、思い切って言ってしまおうと、二人に恐る恐る声を掛けた。
 その瞬間、隼人の身体は、勢い良くつんのめった。
 最初のは、何が起こったのか、さっぱりわからなかった。隼人は、大地と宙美の間を擦り抜け、その先の地面に頭から突っ込んで行った。辛うじて手を着いたが、膝は、したたか地面に打ち付けた。
 打ち付けたのは膝なのに、なぜか、背中に鈍痛がある。
「何をするんだぁ!」
 大地の大きな声が聞こえた。続けて、鈍い音がして、大地のうめきが聞こえた。
 隼人は、立ち上がろうとしたが、横から脇腹を蹴り上げられ、仰向けに転がった。息が詰まった。苦しくて、身を捩っている所に、今度は、お腹を踏みつけられた。二、三度、踏まれた後に、胸座を掴まれて引き立てられた。よろめきながら立ち上がったところを、左の頬を思い切り殴られた。
 目の前を、星が飛んだ。
 また、胸座をぐっと持ち上げられたので、また殴られると思って、思わず両手で顔を庇った。すると、今度は、執拗に胸や腹を下から打ち上げるように殴られた。胸を殴られると息が詰まり、腹を殴られた時には、吐きそうになった。
 相手は、殴り疲れたのか、横に居た別の男に、胸座を掴んだまま引き渡した。隼人は、引き摺られるようにして、その男の前に立たされた。そして、両手で胸座を掴んで引き上げると、小柄な隼人が爪先立ちになるほど引き寄せた。
 目の前に、高校生くらいの男の顔があった。
 隼人は、ぷいと横を向いた。その視線の先では、大地が、数人の男に囲まれながらも、宙美の前に立ち塞がり、彼女を守ろうとしていた。
「宙美! 僕の後ろに隠れて!」
 大地の鋭い声が飛ぶ。宙美は、悲鳴を上げてながら、大地に振り切られまいと、必死に背中に隠れようとしていた。
 大地は、男達の拳や蹴りを躱し、時には体で受け止め、彼女を守ろうとしていた。大地の身のこなしは滑らかで、殴り掛かった男達の方がバランスを崩す場面が多かった。ただ、大地は、躱す事はするが、決して反撃には出なかった。
「おい、連れの様子を見物するとは、余裕があるじゃねぇか」
 男は、もう一度、隼人を引き寄せると、右手をぐっと引いた。
 隼人は、また殴られると思い、両手で顔を庇った。
「そっちじゃねぇよ」
 そう言うと、男は、鳩尾の当たりを膝で蹴り上げた。息が全くできなくなり、目の前が暗くなった。顔を庇っていた手は、無意識の内に腹を押さえていた。
「今度は、こっちだぁ!」
 男は、体重を乗せたパンチで、隼人の顔を殴り降ろした。
 隼人は、一瞬、意識が飛んだような気がした。気が付くと、右膝を地面についていた。
「まだ、ねんねは、早ぇんだよぉ」
 胸座を掴み直し、隼人は立たされた。膝は、がくがくし、思うように踏ん張れない。頭はふらふらし、焦点も定まらなかった。
(脳震盪だ。これ以上殴られたらヤバイ!)
 隼人は、必死で頭を庇った。
 男は、それを見ると、膝で何度も腹を蹴り上げた。隼人は、目一杯の力をお腹に入れて、それに耐えた。そして、頭を庇っている両手を、耳の位置から下げないように頑張った。
「くそぉ!」
 男が苛つき始めているのが、隼人にも分かった。
 今度は、何されるんだろう? 背中を殴られるんだろうか? それとも、棍棒か何かで殴られるんだろうか?
 不安と恐怖が、隼人の心をかき乱していた。
「おめぇがその気なら」
 男は、隼人を軽く突き放した。
 もしかしたら、諦めたのだろうか?
 隼人は、ほんの一瞬、気を緩め、両手で顔を庇ったまま、顔を上げた。
 男は、諦めていなかった。左足を大きく踏み込むと、サッカーボールを蹴るような勢いで、右足を振り切り、爪先で隼人の腹を蹴り上げた。
 隼人の体は、小さく宙を舞って、そのまま頭から地面に落ちた。
「オゲェー!!!」
 声じゃなかった。胃から突き上げられた物が、そのまま喉を震わせながら、口から吹き出した。酸っぱい匂いの中に、血の匂いが微かに混じっていた。
「隼人君!」
 大地は、回りの男を跳ね除け、隼人に駆け寄った。
「大丈夫かい?」
 覗き込む大地に、隼人は、苦しさで肯く事さえできなかった。それどころか、また、臭いゲップと一緒に、胃液が込み上げてきた。隼人は、ゲェゲェ言いながら、血の混じった胃液を吐いた。
 大地は、隼人の背中を摩りながら、顔を覗き込んだ。
「きゃっ!」
 宙美の悲鳴が、背後で聞こえた。同時に、ボコンと言う音がした。ついさっきまで、大地が守っていた彼女が、誰かに殴られたらしい。
 大地は、慌てて振り向いて、宙美の様子を確認した。
「きっさっまっらー!」
 大地の顔色が、瞬時に変わった。まるで、大魔人のように、見た事も無い恐ろしい形相で、すっくと立ち上がった。
 余りの凄まじい形相に、男達の動きが止まった。
 大地は、一番近くに居た男を捕まえると、有無を言わさず、拳を振り下ろした。男は、すっ飛んだ。殴られた本人が、事態が掴めず、驚いた顔をして立ち上がろうとしたが、脳震盪を起こしているらしく、酔っ払いのような千鳥足になり、そのまま座り込んだ。
 大地は、それには見向きもせず、二人目を男を捕まえた。その男は、反撃に出たが、大地は、それを軽く躱すと、右の拳を男の腹部に叩き込んだ。隼人には、男の体が浮かび上がったように見えた。男は、隼人と同様に、ゲェゲェ言って、胃液を吐いた。
 大地は、早くも三人目を捕まえていた。男達は、四、五人で囲んで、袋叩きにしようとしたが、大地は、いくら殴られようと意に介さず、一人ずつ確実に殴り倒した。あっと言う間に、五、六人の男が、大地の足元に転がった。
 残った男達は、棍棒やナイフを手に、再び大地を囲んだ。大地は、軽くステップを踏むと、さっと身を沈めて、ナイフを持っている男の足を払った。男は、スローモーションのように、ゆっくり空中で半回転し、上半身から落ちた。大地は、さっと近付くと、ナイフを蹴り飛ばして馬乗りになり、左の拳を男の右頬に叩き込んだ。男は、一発で意識を失った。
 大地は、残った男達に振り向いた。
「いいか、覚えとけ。今度、彼女に手を出したら、今日みたいな手加減はしない。命は無いと思え!」
(これでも、まだ手加減しているなんて)
 隼人は、頼もしさよりも、怖さを感じた。
 大地の迫力に、男達も気圧されていた。素手の大地が一歩近付くと、ナイフや棍棒の武器を持った男達は、二、三歩下がった。やがて、「覚えとけ」の決まり文句と共に、走って逃げた。数人の仲間を残したまま。
 大地は、宙美に駆け寄り、怪我の状態を確認しながら、抱き起こした。

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