伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 少しは、明るい希望はないだろうか。
 真っ暗闇の中で、鉄腕は考えていた。
 ついさっき、小さな振動音を感じた。錯覚かもしれないが、基地自体で発した音ではなく、遠くの海底に何かがぶつかった感じだった。
 沈船が海底にぶつかる時、あんな音を立てるのだろうか。
 ダーウィンが沈没した音だろうか。それなら、海面に浮上する事ができても助かる見込みは皆無になる。モールスの返事が無くなった事が、不安を掻き立てる。
 沈船だとすれば、ダーウィン以外に無いだろう。広い太平洋で、ダーウィン以外の船がシャングリラの直ぐ近くで沈没する可能性は、隕石が頭の上に落ちてくるのと同じくらい確率が低い。
 鉄腕は、不安を掻き消すため、空耳だったと、心に言い聞かせた。
 本来なら、寝ていなければならない。と言って、こんな状況下で簡単に寝られるほど、精神はタフにできていない。だが、睡眠導入剤を使う事はできない。緊急時に、素早く行動できない危険性があるからだ。
 でも、こんな錯覚を起こす程に神経過敏になっているようでは、パニックを起こして正しい判断をできないだろう。
 鉄腕は、寝られない自分に対して、居直った。
 起きている事で余分に使う酸素分以上に、長く生き残る方法を考えればよい事だ。
 二酸化炭素濃度を致死量以下に抑える続け、電力を確保すればいい。
 思考をまとめ、本気で考え始めた。
 ある程度まとまった電力は二酸化炭素浄化装置のバックアップ電源だけだが、それ以外には本当にないのだろうか。
「あっ!」
 いくつか、電源はある。ドライスーツの温水循環装置に使うバッテリーや、水中スクータのバッテリー、水中カメラのバッテリー等だ。だが、使うためには、二つの問題がある。一つは、閉鎖したA棟からどうやってバッテリーを持ってくるかだ。もう一つは、どうやって電源を接続するかだ。大事な事は、作業で浪費する分以上の延命ができるかだ。
 第一の問題の運搬は、連絡トンネルのハッチを開ける事と、重量があるバッテリーをどうやって運ぶかだ。
 連絡トンネル内は、浸水で相当量の海水が溜まっているだろう。ハッチを開けた時に、その海水が流れ込んできる。その浸水で新たな被害があったら、それこそ命取りになる。何とかして、浸水を食い止めなければならない。
 バッテリーの運搬は、ある意味では簡単だ。難しいのは、水中スクータから取り外して棟内に運び込む事だ。水中スクータのオーバーホールは、海上で行う事を原則にしている。海底でバラしてバッテリーを濡らさずに取り出す事は、非常に難しい。水中カメラやドライスーツのバッテリーは容量が小さく、運搬自体は問題無いが、浸水のリスクを犯す割には得られるものが小さい。
 いくら考えても、実行する価値はなさそうだ。
 電力が手に入らないなら、二酸化炭素対策は、ほとんど打つ手がない。打てる手として、浄化装置の運転時間を二時間毎の二回に分ける事だ。これで、二時間くらい伸びるだろう。酸素分圧を上げるのも、方法の一つだ。酸素分圧が上がれば、二酸化炭素の致死量も若干だが上がる。これで伸ばせる時間は、分オーダーかもしれない。どちらの方法でも、三十時間後には集中治療機が止まっているだろう。
 やはり、自力脱出を考えないと。
 水中エレベータは、期待できそうに無い。緊急脱出球も、ケーブルが圧し掛かっている。本体ごと浮上しようにも、ケーブルの重さを支えて浮上するほどの余剰浮力はない。仮に浮上できたとしてもA棟の損傷が問題だし、ケーブルで重心が上がっているので本体もバランスを崩す心配がある。
「待てよ」と思った。
 本体を浮上させる上手い手がある。
 恐ろしく荒っぽい方法だが、ケーブルさえ除去できれば脱出できるかもしれない。まあ、ケーブルが除去できれば緊急脱出球で脱出できるから、この方法を使う事はないだろう。一応、選択肢の一つとして記憶には留めておこう。
 頭が少し重い気がする。二酸化炭素濃度が、上がってきたのだろう。これが今から四日間も続くかと思うと、気が滅入った。
 上からの助けは、来ない可能性が高い。四日後、二酸化炭素濃度が致死量に達した時、どんな苦しみ方をして俺は死ぬのだろう。二酸化炭素中毒は、頭痛から始まり、吐き気、嘔吐等があり、最後に昏睡状態になって死に至る。今から三日間は、嘔吐するほどの濃度にはならない。だが、それ以降の一日は、これらの症状で苦しみながら死を迎える事になる。
「くそ!」
 何としてでも、全員で生き残ってやる。
 俺は、無事に戻らなきゃいけないんだ。タッカのためにも、彼女のためにも。
 鉄腕は、心の中で希望の光を探し続けた。
 シャングリラが壊れてもいい。何とかして、浮力を得て海面まで浮上しなければならない。何でもいい。浮力を得られるものを探した。
 空気が溜まるもの。
「そうだ! 潜水艇の回収用気嚢を使う手があるぞ」
 この実験が終わったら、クリスマスツリーも、潜水艇も、そして、この海底基地も、浮上させて回収する。クリスマスツリーは、解体して海底基地内に戻し、海底基地毎、浮上する。潜水艇は、回収用気嚢で包むようにして気嚢の浮力で海上まで運ぶ。
 非常事態だから、潜水艇の回収は考える必要はない。だから、不要になった回収用気嚢でケーブルを引き上げれば、緊急脱出球が使用できるようになるかもしれない。ケーブル全体を引き上げる浮力はないが、ケーブル全体を持ち上げる必要無い。全員で相談し、最良の方法を見つければいい。
 我ながら、上手い方法だと思った。
 今日は、冴えてるな。
 俺は、二酸化炭素で呼吸しているんだろうか、と冗談に思った。
 鉄腕は、全員に招集をかけた。

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 水中エレベータ

 一瞬の無重力感で、S-2Rから切り離された事が分かった。次の瞬間、海面に叩き付けられ、狭い水中エレベータの中で十本のボンベと一緒にシェークされた。
 ボンベの上に寝そべっていたので、ボンベの上に腹から飛び降りたようになった。ボンベの左右の脇腹、鳩尾に食い込み、息が詰まった。頭もしたたか打ち付け、目から火花が飛んだ。ボンベ同士もぶつかり合って、水素ガスだらけの中で火花も飛んだ。だが、爆発はしなかった。
 外も賑やかだった。
 水中エレベータの懸架装置ごと切り離したせいで、水中エレベータの上にそれが圧し掛かるように激突した。
 S-2Rは、航空機だから、限界まで強度を落として軽量化を図っている。だから、水中エレベータは、機体には大きな負担となっている。万が一、水中エレベータに異常が発生した場合、機体にまで影響が及んでしまう。それを防ぐために、水中エレベータを懸架装置ごと切り離す事ができる。逆に、機体側に異常が発生した場合も考慮し、水中エレベータ側でも切り離しができる。ただ、切り離す場所が違う。
 水中エレベータは、釣り下げている側、この場合にはS-2Rの波浪による揺れでケーブルに大きな力が掛かって切断する事を防ぐために、必ず懸架装置が付属する。水中エレベータを切り離す場合、懸架装置から伸びているケーブルも切り離さなければ下部ハッチが閉められない。このため、S-2R側で切り離す場合、懸架装置毎、切り離してしまう。
 逆に、水中エレベータ側で切り離す場合、懸架装置分の余剰浮力を持っていないので、水中エレベータのケーブルスタンド部分で切り離す。
 当初の予定では、水中エレベータを降ろして水中エレベータ側で切り離す予定だった。だが、銃撃を受けた事で、一々水中エレベータを降ろす暇はなくなった。だから、ユカリは、機体側で切り離す大胆な手段を選んだ。
 タッカは、体の痛んでいる所をチェックした。
 心配は無さそうだ。
 そう思っていると、水中エレベータは一気にひっくり返った。懸架装置が水中エレベータより先に沈降し、水中エレベータを引き摺っているのだ。傾くに連れ、一旦は落ち着きを取り戻していたボンベが暴れ始めた。水中エレベータが一気にひっくり返る瞬間、天地が逆になり、体の上にボンベが降ってきた。
 慌てて、水中エレベータ切り離しスイッチをまさぐったが、その腕の上にも容赦無くボンベが降った。
「うっ!!」
 思わずうめきが漏れた。ボンベがぶつかったのが腕だったのに、激しい痛みで息が詰まった。ボンベに押しつぶされながら、ひたすら息を続ける事だけを考えた。
 懸架装置を切り離せば、今度は、水中エレベータが起き上がりこぶしのように、また回転する。その時にも、ボンベが宙を舞うだろう。その時の衝撃を抑えるためには、ボンベの下敷きになったままがいい。もう一度、切り離しスイッチに手を伸ばした。途端に、激痛が走り息が詰まった。
 骨が折れた?!
 痛む右手を引き寄せ、外から触ってみた。ゆっくりと閉じたり開いたりしてみたが、かなり痛みはすれど特に問題はない。ただ、握力が無くなった事と痺れたみたいになっていて、速く動かすのはできない。
 左手に変え、ボンベの隙間から手を伸ばした。ボンベは絡み合うように行き先を阻んだが、何とかカバーを開くと、スイッチを捻って押し込んだ。
 ゴンと音がして、ゆっくりと回転が始まった。懸架装置が切り離されたのだ。
 回転を助けるようにボンベの位置を直しつつ、内部の整理をした。落ち着いたところで、水圧計を見た。
「百二十メートル」
 予定より早い。時計の秒針を睨んで、分速の沈降率を求めた。
「分速九メートルか。下まで二百八分。この間に五十気圧上げるから、毎分0.25気圧ずつ上げていけばOKだ」
 独り言は、狭い水中エレベータ内で反響した。
 本来は、四十時間以上も掛けて加圧する。目安になる加圧速度は、毎分0.1気圧である。既に、五十気圧まで加圧してあるので、残りの五十気圧分、即ち八時間二十分掛けて加圧すべき所を2.5倍の猛スピードで加圧する不安はあった。S-2R内でも、六時間の飛行時間内で五十気圧まで加圧した。その影響も、体のどこかに出てくる可能性もある。だが、時間との闘いだ。
 早速、水中エレベータの外部ボンベから、水素ガスをエレベータ内に導いた。耳の奥が、痛くなる。直ぐに耳抜きをするが、またツーンとなる。だから、また抜く。数秒毎に繰り返す。これが三時間続くと思うと、うんざりする。
 0.25の気圧差は、三千メートルの高山から地上に降りるのに匹敵する。パイロットとして、四万フィートからの一万四千フィートへの緊急降下はシミュレータで何度も経験している。だが、シミュレータでは気圧は一定で、本物と同じなのは急減圧時の大きな音だけだ。0.6気圧の急減圧だけなら、減圧室で二度だけ経験している。ただ、今までに経験した事が無い急加圧である。
「クストーは、百三十時間でここに来るそうよ」
 切り離す直前に彼女が言った言葉が、耳に残っている。
 六日余りで来るとは、クストーの乗組員が徹夜で頑張った事がわかる。それでも、間に合いそうにない。ただ、俺に無理をさせないために、ほんの僅かだがクストーによる救出の可能性も残っている事を伝えてくれたのだろう。
 水圧計と時計を見比べる。
 降下率がかなり早くなっている。この五分間の降下は、七十一メートルにもなっている。最初の一分で九メートルだから、その後の四分で六十二メートルも降下した事になる。毎分十五メートル以上だ。このペースなら、一時間で下に着く。だが、気圧は五十一気圧になっていない。当初の予定より遅い。
 この水中エレベータは、内圧超過では五十気圧に耐えられる。だが、外圧超過では三十気圧が限度になる。もちろん、安全係数を考慮してあるので、この圧力のまま下まで行っても圧壊する事はないだろうが、危険である事には違いない。
 タッカは、バルブを更に開き、水素ガスを増やした。
 時々、軋み音が聞こえてくる。急激に替わる水圧で、エレベータの色々な場所が少しずつ縮み始めている。その時、中空になっている居住球部分やタンクは、他より早く縮む。その差が歪みとなる。時々、歪みが滑って元に戻り、音となって伝わってくる。
 分かっていても、気持ちのいいものではない。
 エレベータの内壁に触れてみた。まだ、少し濡れているだけだ。
 海水温は、もう三度か四度くらいだろう。外壁が冷たい海水に冷やされれば、熱伝導率の高いチタン製のエレベータは、直ぐに冷やされる。替わりに、吹き出し口から水滴が滴り落ちていた。吹き出し口には加熱装置があるが、追いつかないようだ。加熱装置の出力を上げた。
 また、水圧計と時計を見た。やはり、分速十五、六メートルだ。気圧計を見たが、この一分は0.26気圧上昇し、五十一気圧を越えた。
 ユカリは、この空域を無事に脱出しただろうか。かなり無理をして着水したようだが、上手く離水できたのだろうか。彼女の腕前は一流だ。しかし、攻撃を受けている状況で、兵装が無く防弾にも無縁な飛行艇で、無事に逃げ切ったかどうか。
 ユカリも、大きな危険を冒して俺を落としていった。彼女にとって、危険を冒す価値が、この愚行とも言える救出作戦にあるのだろうか。やはり、鉄腕の存在が大きいのか。

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