伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 タッカは、減圧室から出る直前に、鉄腕から打ち明けられていた。
 鉄腕は、タッカを食堂から呼び出した。
「実は、今回の潜水に出る前に、ユカリに告白したんだ」
「告白? プロポーズしたのか?」
「いや、結婚を前提として、付き合って欲しいと言ったんだ。駄目元で言ったんだが……」
 思わず、生唾を飲み込んだ。
「見事に振られたよ」
 彼女は、例の素敵な背中の話をしたのだろうか。
 自分が女なら、鉄腕のプロポーズなら受けるだろうなと、タッカは思った。奴の背中は、男の目から見ても、頼もしく映る。シャングリラで見た奴の背中は、頼れる背中だった。
「彼女は、背中の話をしなかった。俺の背中は、合格点を取っていたらしい。でも、振られた。どうやら、正真正銘、振られたらしい」
 親友の失恋を打ち明けられたのだから、何とか慰めなきゃいけないところだが、ほっとした気持ちと、意外な気持ちが交錯し、言葉に詰まった。
「結婚を前提のお付き合いはできません。彼女は、はっきり、そう言ったんだ。だからこそ、俺は、今回の潜水で死ぬ訳にはいかなかったんだ。これが、死んだら、彼女は、一生責任を感じ続けたと思うんだ。だから、絶対に生きて帰るんだと、心に誓ったんだ。そしたら、お前が飛び込んできただろう。こりゃ、二人して生きて帰らなきゃって、責任重大になったよ」
「そうか。お前に負担を掛けたな。でも、全員が無事に帰還できてよかった。上も、酷い事になっていたらしいが、シージャック以降は、誰一人、怪我もしなかったんだから……」
 そこまで言って、はたと気付いた。
 救出作戦の建て直しにアクアシティへ戻る機上で、彼女があれほどまで取り乱した原因は、鉄腕の言う通り、責任を感じていたからなのだ。
 タッカは、自分の優しくない自己中心的な性格が、恥ずかしくなった。同時に、責任感の強いユカリと、その責任まで受け止めてしまう心優しい鉄腕が、自分の親友である事が誇らしかった。
 タッカは、ユカリほどの天賦には恵まれなかったけれど、こんなに素晴らしい二人を身近に感じ、お互いに切磋琢磨していける事を、神に感謝した。
 アクアシティに着くと、彼女は、急ぎ足で船舶管制部に向かった。
「間に合ったかしら?」
 部屋に入ると同時に、彼女は、そう言った。何やら、予め準備していたらしい。
「ヘイ、ユカリ。放射線漏れは、無いようだ。回収の指示は、出した。これで、いいんだろう?」
「OKよ。で、準備の方は、どうかしら?」
 男は、OKサインを出した。
 ユカリは、手近の電話を取ると、電話を掛けた。耳を欹てて聞いていると、どうやら、ペンタゴンに掛けているらしい事が分かった。
「そうなの。核廃棄物運搬船は、存在しないのね。沈没したから、存在しなくなったのじゃないのね。分かったわ。…………そう。私達の海底基地の近くを、原潜が居たかどうかも、教えてもらえないのね。…………今回で、二度目の事故よ。私達も、原潜の位置を正確に把握する必要があるわ。あなた方が秘密主義を通すなら、自力で知るしかないわ。いいわね?」
 彼女は、タッカにウィンクした。
「私からの最後通牒よ。良くって。…………そう。さよなら」
 電話を切った彼女は、大きな声で号令を掛けた。
「実施してちょうだい」
 彼女は、タッカを大きなスクリーンの前に招き寄せた。
 スクリーンには、メルカトル図法の世界地図が表示されていた。海を表す濃い青が、あちこちで小さな水色の円に置き換わっていく。水色の円は、ゆっくりと広がり、隣り合う円同士が重なっていく。その水色の中に、次々と赤い光点が増えていった。彼女は、カーソルを操作して、サンディエゴの沖を拡大した。およそ二百km四方の海域が、拡大表示された。その中には、二つの光点があり、艦名と艦籍、深度、速度、方向が、表示された。
 誰が見たって、原潜の位置だと分かる。
「まさか、世界中で、アクティブ・ソナーを同時に使ったんじゃ……」
「その、まさかよ。それを、ここで編集して、インターネットに公開したのよ」
「インターネット!!」
 思わず、声が裏返った。
「こんな事して、いいのかよ!」
「さっきの電話を聞いたでしょう。今回みたいな事故を防ぐには、これが一番効果的なのよ。私達だけが知っていても、それを軍部が認識していなきゃ、作戦を強行されてしまうでしょ」
 政府が「鉄の女」と言って彼女を恐れる理由が、はっきり分かった。
 サイレント・サービスと呼ばれる潜水艦隊が、彼女の一声で丸裸にされてしまった。潜水艦の最大の武器である隠密性が、これによって完全に失われた。何せ、世界中のどこでも、潜水艦の位置を確認できるのだ。
「これを利用して、先制攻撃を掛けたら、大変な事になるんじゃないのか?」
「大丈夫よ。どこが、原潜に攻撃しようと、攻撃する方も原潜を持っているから、逆襲を受ける可能性があるわ。だから、攻撃を掛けるには、それなりに覚悟がいるわ」
 呆れた。
 でも、胸の支えが取れた気分だ。
「じゃあ、今から記者会見に行ってくるわね」
 彼女は、スクリーンに食い入っているタッカの傍から、音も無く離れて行った。
「頑張れよ!」
 スタッフの誰かが、一声かけた。彼女は、親指を突き立てて、微笑んだ。
 二時間後に行われた記者会見で、彼女は二つの事を公にした。
 まず、核廃棄物運搬船と思われる沈没船を発見した事。
 この件に関して、無人探査船の映像を公開すると共に、これをマスコミ公開の下、引き上げる事も追加した。マスコミ公開としたのは、海軍の妨害を避けるための措置だろう。
 もう一つは、世界中の原潜の位置を、インターネット上で公開した事だ。
 こちらは、核抑止力が無くなる事を懸念する声が上がったが、総ての原潜の位置が分かると、ミサイル原潜に攻撃型原潜が近付いていく過程が見えるから、危機が近付いているかどうかが分かり、抑止力が働く時間が長くなると言って、それ以上は取り合わなかった。
「鉄の女」の面目躍如。
 彼女の華奢な背中が、大きく感じられた。

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 クストー内の与えられた士官用の個室に入り、シャワーを浴びて着替えた。ユカリに「臭い」と言われた後だけに、念入りにシャワーを浴びた。
 シャワー室を出ると、誰かが、扉をノックしていた。
 返事をすると、
「十分後に、記者会見がありますので、食堂まで御出でください」と扉の外から言われた。
 やはり、記者会見があるらしい。憂鬱だった。
 素人の記者が、訳知り顔で質問し、こちらの回答にズレた解釈を付けて報道する。上院や下院の議員が、シャングリラのメンバーを英雄に奉り上げ、同時に自分達の顔を有権者に売り込む。
 タッカにとって、下の脱出を助けたという自負はなく、邪魔してしまった事の方が、心の中の大きなウェートを占めていた。だから、英雄扱いされるのは、大いに迷惑だったし、耐えられない程、恥ずかしい事でもあった。
「分かった。準備しとくよ」
 タッカは、用意された航空部の制服に手を通した。
 また、誰かが、扉をノックした。
「今から、行くよ」と答える。
「早くしてね」とユカリの声が返ってきた。
 なんで、彼女が来たのか、顔を出すと、制服姿の彼女は、廊下の向こうで手招きした。彼女は、廊下の壁を背に、先の様子を伺っていた。何事かと、タッカが歩いていくと、彼女は、盛んに隅に寄れと、手で合図してきた。
「どうしたんだよ?」
 彼女は、振り返らなかった。
「ここを抜け出すのよ」
 タッカが返事をしないでいると、彼女は振り返った。
「それとも、記者会見に出て、有名人になりたい?」
 なんと、記者会見に出たくなかった事まで、見抜かれていた。
 返事をする代りに、彼女を自分の後ろに下げ、廊下の先の様子を伺った。
「船を抜け出すのは、得意なんだぜ」
 タッカが親指を立てると、彼女も、同じサインを返してきた。
 クストーは、姉妹船のダーウィンと全く同じ構造になっている。ダーウィンで脱走劇を演じたタッカ達は、手慣れたもので、あっさりと舷門に辿り着いた。
 そこからは、航空部の制服を活かして、堂々と胸を張ってタラップを降りた。うろうろしていたマスコミ関係者は、中の様子を聞いてきたが、航空部の制服だから、「知らされていない」と一言だけ言えば、すんなり引いた。
 彼女が用意した車に乗ると、空港に向かわせた。
 一時間後、タッカ達は、アクアシティへ向かうS-2Cに便乗していた。
「タッカ。あの事故、どうして起こったと思う?」
 コクピットの後ろにある予備乗員のシートで、話し掛けてきた。
「ケーブル切断か?」
「そうよ。あっ、その前に、環境保護団体の船だけど、十日前に救命筏で漂流中の保護団体を発見して、私が救助したの」
 やはり、どこかの海軍が、彼等の船を乗っ取り、それを使ってダーウィンを急襲したのだ。そう考えれば、訓練が行き届き、命令系統もしっかりしていた理由が説明できる。
「彼等は、海賊に襲われたと言ってるけど、それは勘違い。この辺りでは、海賊の報告を聞いた事はないわ。それに、あんな船を乗っ取っても、金目の物は何も無いでしょ。海賊に狙われる訳ないわ」
「ケーブルを切断したのも、監視船を乗っ取った連中のせいなのか?」
「違うわ。彼等は、船の引き上げを中止しろって、船長に言ったのよ。ケーブルを切断した連中が、切断した後で、態々に船を乗っ取るかしら。それも、近付くために、別の船まで用意して」
 有り得ない。一隻目を乗っ取った後で、ケーブルを切断した。その後で、ダーウィンを乗っ取っている。一隻目の乗っ取りとダーウィン急襲は、一つの作戦だ。その途中に、もう一つの作戦が挟まるのは、矛盾を感じる。
「じゃあ、ケーブルを切断したのは、誰なんだ?」
 彼女は、意味ありげに、微笑んだ。
「環境保護団体は、アメリカ軍の核廃棄物運搬船を追ってたそうよ。それも、核兵器の弾頭を解体した際に出たプルトニウムよ。でも、ハリケーン・インディアナで、見失ったらしいの。その場所が、あの海域だったの」
「じゃあ、運搬船は、あの海域で沈没したって事か?」
「たぶんね。で、ペンタゴンに問い合わせたけど、そんな事実は無いって、そっけなかったわ」
 予想した回答だ。こんな事実は、公文書の公開でも、永久に公開対象にはならないだろう。真相は、千メートルの海底よりも暗い闇の中だ。
 予想された回答とは言え、腹の虫が治まらない。
「それで、調査船を差し向けて、海底の状況を音波探査してみたら、該当の船を見つけたの。詳しく調べるために、無人の自立型探査艇を降ろしたら、大当たりだったわ」
「それが、事件の切っ掛けだな。マスコミに公開するのか?」
 ふふと、含み笑いをした。
「その前に、やって置く事があるわ」
「なんだよ。その笑いは?」
「そんな事より、ケーブルを切断した犯人を知りたくないの?」
 核廃棄物運搬船が沈んだのなら、それを隠したいアメリカ海軍が、目と鼻の先で海底をうろうろしている鉄腕達の作業を妨害したと考えるべきだろう。
「アメリカ海軍だろ? でも、どうやって切ったんだい?」
「知りたい?」
 悪戯っぽく微笑む。この顔をされると、「鉄の女」と呼ばれる彼女でも、憎めなくなる。
彼女は、ちょっと肩を竦めてから、話を続けた。
「原潜で、フックのついたワイヤを一海里くらい伸ばしておいて、支援船の周りを一周するのよ。支援船は、直ぐ近くは、常時監視しているけど、周辺は監視していないし、ワイヤみたいな細い物は、コンピュータが魚と間違って表示から消してしまうの」
「それで、見付からないようにフックをケーブルに引っかけられたんだな」
「そうよ。貴方がケーブル撤去中に見たケーブル表面の引っ掻いたみたいな傷は、フックか、ワイヤーが付けたんでしょう」
 暗闇の中を昇っていくケーブルの情景が、瞼に浮かんだ。あの直後に、緊急脱出球にケーブルが絡まって、あんな引っ掻き傷なんか、すっかり忘れていた。
「フックを引っかければ、後は、潜水艦で目一杯引っ張るだけ。排水量では、ダーウィンも負けてないけど、推力じゃ敵わないわ。おまけに、潜水艦は耐圧船殻をもってるから、ダーウィンにしてみれば、堪ったものじゃないわ。船長は、船を守るために、ワイヤを切断するしかなかったのよ」
 深呼吸したつもりが、大きな溜息になった。
 ワイヤを切断したために、鉄腕達は生命の危機に晒され、多くの人と資材が投入された。運搬船の沈没を隠すために、いかなる犠牲も厭わない軍の行動が、タッカには納得ができなかった。
「おい、ユカリの力で、これを公にする事は、できないのか?」
 ユカリは、クスッと笑っただけで、答えなかった。
「その事は、後で説明するわ。それより、報告書と始末書を書いてよ。何せ、五千万ドルもするS-2Rの水中エレベータを捨てたんですからね」
「おい……」
「おまけに、緊急脱出球も駄目にして、最後には、海底基地の半分を捨ててきたでしょう。これは、とんでもない損害額になるわよ。しっかり、言い訳を書かないと、全額弁償になっちゃうかも」
 タッカは、必死に弁明したが、彼女は、「言い訳は、報告書に書きなさい」と言うだけで、笑って取り合ってくれなかった。

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