伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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「船長! よく御無事で」
 紳士は、この事態にも動じる様子も無く、部屋に入ってきた。彼が部屋の中程まで進んだところで、会議室のドアは閉じられた。
 部屋に居た全員が、船長の周りに幾重もの輪を作った。
「全員、怪我はないか?」
 誰よりも早く、船長はその言葉を口にした。顔はタッカ達に向けられていたが、実際には、船長は部下に向かって言っていた。その毅然とした面持ちは、経験した事も無いこの局面に立ち向かおうとする気概と、部下を思い遣る優しさが滲み出ていた。
「全員、全くの無傷です」
 タッカは、他の三人と顔を見合わせ、微笑んだ。
「私達も、ユカリが抵抗しないように指示を出したので、誰も怪我をしないで済んだ。連中も、抵抗しないと紳士的に振る舞うんだ」
 紳士は言い過ぎだが、直ぐに暴力に訴えるような事はなく、身の危険はほとんど感じなかった。
「妙な連中だな」
 ぼそりと、船長はこぼした。
 タッカも、頷いた。
 環境保護団体P.A.E.だと名乗っているが、武装していること自体、環境保護団体らしくない。かといって、海賊にしては統率が取れている。訓練が行き届いている感じなのだ。その点では軍隊的だが、軍であれ、海賊であれ、この船を制圧する理由が見当たらない。
「連中は、いったい何が目的で、この船を押さえたんでしょうか?」
 何か気付いた事があるんじゃないかと、船長に疑問をぶつけてみた。
「それが、妙な事を言ってるんだよ。なんでも、この近くに船が沈んでいるので、サルベージしろと言うだ」
 意味が分からなかった。
「その何処が妙なんですか?」
 船長も、困惑した表情を浮かべた。
「連中は、その船を私達がサルベージしていたと、思っているようだ。海底基地で事故があってその救出作業中だと言ったが、納得しない」
 連中は、何かを勘違いしているのだろう。でも、いったい何を勘違いしているのだろう。それに、船とはどんな船の事なんだろう。
「その船については、何か言っていましたか?」
 船長は、小さく首を振った。
「何も。それに、この船ではサルベージできないと船の装備を説明したら、あっさり引き下がった。いや。むしろ、サルベージできない事に満足したようだった。そこが妙なんだ」
 サルベージしろと言っておいて、できないと知ると満足そうな表情を見せるとは、いったいどういう事なんだろう。
 さっぱり訳が分からない。
「ところで、下はどんな様子なんですか?」
 具体的な状況は、何も知らされていなかった。
「かなり厳しい状況だな。電源と酸素は大丈夫らしいが、水酸化リチウムのタンクが損傷しているのか、二酸化炭素濃度が上がり始めているらしい。ただ、それ以上の詳細な情報は、奴等が乗り込んできたので途絶してしまった」
 水酸化リチウムは、二酸化炭素を吸い取るために使う物質だ。それが被害を受けたのなら、酸素欠乏になる前に二酸化炭素中毒の危険性が高まるだろう。
「で、どうやって救助する予定ですか? 方法はありますか?」
 冷静さを維持する事に努めながら、船長に聞いた。
「なんとか緊急浮上してくれれば、前甲板のクレーンで釣り上げる事が出来るが、今もって緊急浮上してこないところをみると、緊急浮上システムにも障害が発生しているのだろう。こちらが切断したアンビリカルケーブルが海底基地に二次被害をもたらしてしまったのが、影響しているらしい。兎に角、下と連絡を取りたいのだが」
 船長の眉間の皺が、深くなった。
 彼が命じて切断したアンビリカルケーブルが二次被害をもたらした事を、彼は後悔しているのだろう。だが、クレーンの破壊されようを見ると、ケーブルを切った判断は間違っていなかったと思う。
「大型クレーンで、水中エレベータは下ろせないのですか?」
 素人考えだと思いながらも、聞いてみた。
「水中エレベータのアンビリカルケーブルの始末が出来ないので、無理だ。何せ、千メートル以上もあるからな」
「そうなると、海底基地に留まり、少しでも延命してもらうしかないですね」
 船長が、顔をしかめた。彼の手は、胃の辺りに行った。
「そのためには、なんとしてでも、この船の指揮権を取り戻さなければならない」
「でも、ユカリが抵抗するなと言った理由も、考えないと。彼等は、相当に訓練を積んでいます。安易に抵抗すれば、大きな人的被害が出ると思います。そうなったら、下の救出作戦どころではありません」
「わかっている。だから、何もできない。何もできない事が歯痒いんだ」
 船長は、自らの焦燥を吐露した。その気持ちが、タッカにも痛いほど分かった。
 この船を奪還する方法を考えなければならない。
 まずは、連中の人数と携行武器、配置を知る必要がある。出来る事なら、この部屋を抜け出して、状況を把握した上で、全員で一気に行動を起こしたい。統制の取れた相手には、しっかりした作戦と彼等以上の統制で対処する必要がある。
 タッカは、入り口の扉まで行き、耳を澄ませて外の様子を探ろうとした。直ぐに、扉の脇に監視が二人以上居る事を、彼等の会話から知った。
 扉は鍵が無いので、監視をぶちのめしてここを出る事は出来るだろう。だが、一度しか使えない手だ。一度使えば、後戻りはできない。船を奪還するまで、突き進むしかない。しかし、彼等の武装や配置を知らずに丸腰の人間が事を起こしても、飛んで火に煎る夏の虫となってしまう。
 確実に勝てる作戦を立て、全員でここを出る時まで、その手は使いたくない。
 タッカは、他の脱出場所を探す事にした。出入り口はそこしかないし、窓も無い。床にも、メンテナンスハッチは無い。空調ダクトは利用できないだろうかと、天井の通気口を見上げた。
 通気口を見る限り、狭くて入れるかどうか、難しいところだ。しかも、中は暗く、中が広いかどうか等、何もわからなかった。天井が低いのが幸いし、手が届く。網を外したら、脱出口として使えるかどうか、わかるだろう。
 そう思って、通気口に手を伸ばしかけた時、そこに「にぃっ」と笑う人の顔が出てきた。全身の毛穴が、きゅっと締まる感じがした。きっと、鳥肌が立っていただろう。体が凍り付き、視線を外す事さえ出来ずに通気口を凝視し続けた。
 すると、通気口の網が音も無く開き、ユカリの笑う顔が出てきた。
 ユカリは、クノイチのような軽い身のこなしで、天井の通気口から下りてきた。
「逃げてきたのかい」と、声を潜めて聞いた。
「これから逃げるのよ。鉄腕達を助けるには、このままじゃどうしようもないでしょう。取り敢えず、S-2Rまで行って、下と連絡を取ってみましょう。S-2Rは、大丈夫なんでしょう?」
 機体から降ろされた時、連中も一緒に離れた。誰も機体には残らなかったし、爆破する様子もなかった。
「大丈夫だと思うよ。でも、どうやって?」
「あれを使うのよ」と、ユカリは通気口を指差した。
「ユカリは細いから大丈夫だろうが、俺には苦しそうだな」
 体型は細い方だが、百八十五センチの身長があるから、肩幅は狭くない。
「大丈夫よ。隣の部屋まで行ければいいだけから。ただ、私と一緒に行くのは、貴方だけよ。一人くらい居なくなっても気付かれないけど、二人、三人になったら危ないわ」
「ちょっと待ちなさい」と、船長が割って入った。
「ここより二つ上のデッキに、舷門がある。そこから海に飛び込めば、S-2R泳いで行けるだろう」
「舷門を開けっ放しにしたら、誰かが逃げた事がバレてしまうわ。後部甲板の下から海に入りたいから、見つからずに行く方法は無いかしら」
「かなり遠いが、いいのか?」と言いながら、船長は指で床に絵を書き始めた。
「この船は、船橋のBデッキから船底のIデッキまである。船首から船尾までは、水密横隔壁で一ブロックから九ブロックに分かれている。更に、三ブロックから八ブロックまでは、水密縦隔壁で左右に分かれている。船橋は、三ブロックのBデッキだ。今いる所は、ここ。H三R、つまり船底の一つ上、船橋の真下で右舷側だ。
 ユカリの言う場所はF九だから、二デッキ上の六ブロック後ろ。かなり離れているぞ。水密隔壁はFデッキまで届いているが、Fデッキは水密ハッチで通り抜けられる。一般商船じゃないから、機関室のハッチも施錠していない。水密縦隔壁を通り抜けるハッチは、Iデッキにある」
 彼女は、頷いた。
「じゃあ、Fデッキまで上がって、機関室を抜けていけばいいのですね」
 船長は、指先を左右に振って、彼女が思っているほど簡単ではない事を示した。
「F三からF四は、船員の居室になっている。F五は食品庫、F六は機関室の最上部だ。F七は高圧タンク室で、水素と酸素の高圧タンクが並んでいる。F八は、倉庫と資料保管庫になっている。機関室まで行くにもかなりあるし、一直線の廊下だから見通しが良すぎる」
 かなりの距離だ。この間を見付からずに通り抜けるのは、簡単ではなさそうだ。
「機関室から、シャフトトンネルを通って、F9へ行けませんか?」
「本船はディーゼルエレクトリック船で、ダクトスクリュー内にモーターが組み込まれているから、機関室からスクリューまでのシャフトトンネルは無い。残念だが、抜け道は無いよ。表通りを行くしかない」
 彼女は、沈黙した。
「Fデッキを駆け抜けるしかないわね」と言うと、すくっと立ち上がった。
「さあ、行きましょう」
 タッカが肯くのを確認すると、ユカリは通気口に飛び付き、ぶら下がった。軽く体を前後に揺すると、蹴上がりの要領であっさりと通気口に姿を消した。タッカは、長身を利して直接通気口に手を掛け、ジャンプして潜り込んだ。

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 奴等は、ライトで合図を送り二隻目のゾディアックを呼び寄せると、タッカ達四人を分乗させて支援船に連れ込んだ。その間も、一言も口を利かず、無線も使わなかった。まるで、機械のように正確で、つけいる隙はなかった。
 自動小銃で背中を小突かれながら、支援船内の階段を降りた。用心深い奴等は、四人にそれぞれ一人ずつが付き、十分に離れて移動した。タッカはしんがりで、仮に何かを仕出かせば、前からも後ろからも蜂の巣にされそうだった。
 他の三人が通り過ぎた階段を、どうされるのか考えながらゆっくりと降りていった。床に「H」と掛かれた所で、横の廊下に出た。そこで、やはり自動小銃を背中に突き付けられてエレベータを降りててきたユカリと会った。
 彼女は何か考えているなと、直感した。自動小銃を突き付けられているとは言え、武道の達人の彼女なら、自動小銃くらい簡単に奪い取れるだろう。それでも逆らわずにいるのは、何かを狙って自らの爪を隠しているのだ。だが、タッカには彼女の考えが読めなかった。
 俺がS-2Rに残っている事を前提にして彼女が何かを考えているなら、現状を伝えておく必要があると、タッカは感じた。
「おい、あっちはエレベータで俺は階段かよ」
 タッカは、後ろで銃を突き付けてる男に言った。男は、返事の代りに銃口で背中を小突いた。
 銃口を突き付けられている割には、恐怖感は薄かった。
 奴等は、訓練を積んでいる。自制心も強い。こちらが逃亡か反撃を試みない限り、絶対に撃たない。そう確信ができるような鍛えられ方なのだ。
 だから、こんな軽口が叩ける。
 男が動揺しない事が確認できたので、今度はずっと大きな声で言った。
「わかったよ。俺にエレベータは勿体無いよな」
 タッカの声で、彼女が後ろを振り返った。そして、驚いた表情で言った。
「タッカ!」
 振り返った彼女は、小銃を持った男に静止されるのを無視し、タッカの方に歩いてきた。男は、やむを得ず彼女の背後に回り込んで、銃口だけは向け続けた。
「あなた、何でここに居るのよ。信じらんない!」
 彼女の声が非難めいている。
「こいつらに招待されたんだよ。御丁寧に、銃まで突き付けられてな」と答えた。
「そう言うユカリこそ、何でそこに居るんだよ」
「か弱い女性に何をしろって言うの」と膨れっ面を作った。
 先程の行動といい、今の表情といい、とても銃口を突き付けられた女性とは思えない。
「何が、か弱いだぁ」
 彼女は、返事の代りにアカンベェをした。
 日本語で話していたので、二人で無駄口をたたいていると思ったのだろう。背中を銃口で強く小突かれた。これが、男の我慢の限度らしい。タッカも、素直に従う事にした。男は、タッカを彼女とは違う部屋へ押し込んだ。
 部屋は、本来は会議室らしい。広さは十メートル×八メートルくらいだが、天井は高くなく、圧迫感を感じた。どこにも窓はなく、机や椅子は片隅に寄せてあった。そこに、支援船の全男性スタッフが押し込まれていた。七十人近い男達の人息れで、空調が効いていないのかと思うほど蒸し暑くなっていた。
 その中で、男達は憔悴した顔で膝を抱えて床に座っていた。
 女性スタッフは、向かい側の小会議室に集められているらしい。ユカリが入っていく時に、中の様子がちらっと見えた。
 その様子も、直ぐに断ち切られた。
 タッカを部屋の中に突き飛ばすと、男は大きな声を出した。
「一人で英雄ぶろうなんか、思うんじゃねぇぞ。一人の英雄のせいで、死体がごろごろ転がる事になんぞ。さっきも言ったが、下手な真似をしたら、誰彼構わずぶっ放すからな。妙な真似をしたやつだけを撃つような器用な事は、俺様は得意じゃないんでね」
 そう言うと、気味の悪い笑いを口元に浮かべた。
 だが、彼の言動とは違い、出鱈目に撃つ事はないだろう。正確に、狙った奴だけを確実に死に追いやるだろう。その証拠に、その男の言い方は、三文役者の台詞のようにわざとらしかった。
「大人しくしてな」
 奴は、鼻先で扉を勢い良く閉めた。これが締めの演技らしい。
 タッカがみんなの方を振り返ると、一人の士官が立ち上がった。
「船長は、一緒ではなかったのですか?」
 制服の袖口の線の数で、一等航海士だと分かった。
「いや、ユカリとはそこで会ったが、他に見かけなかった」
 他の三人も、同様に肯いた。
「船長は、ユカリと一緒に船橋に残ったのです。ユカリが降りてきたなら、船長も降りてきても良い筈です」
 航海士は、落着かない様子だった。何をどうすれば良いのか自分では決断できず、船長の助言を求めているのだ。
 突然、最後の判断を委ねていた船長が居なくなり、過去に経験の無い事態に晒されて、そのプレッシャーに潰されそうになっていた。どうリーダーシップを取ればよいのか、彼は分からずにいるようだった。
 気持ちは理解できる。責任が重くなればなるほど、決断する勇気が必要になる。人命に直結する状況では、最大限の勇気が無ければ決断する事はできない。
 勇気を奮い立たせる最も簡単な方法は、今の状況が船長にも経験の無い事態である事を、自分に言い聞かせる事だ。船長だって決断する事が苦しい事なのだと、理解すればいいのだ。
 彼がリーダーに成長するための貴重なチャンスなのだが、それを活かす前にチャンスは逃げていった。
 会議室のドアが開き、袖に四本線を付けた紳士が入ってきた。

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