伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  17

 『うりゅう』は、海底遺跡を跨ぎ越し、通常のミサイル捜索体制に戻っていた。艇内の勤務体制も、通常の態勢に戻し、村岡は自室に引いた。
 後ろ手でドアを閉めた時、村岡は海上の様子を思い描いた。
 水深二百メートルを超える大和堆では、波浪は全く分からない。海上の天候はもちろん、昼なのか、夜なのかさえ、時計を見ない限り分からない。四時間毎の三交替勤務を続けていると、今が午前だろうが、午後だろうが、どうでもよくなってくる。
 余りの仕事量に忙殺され、海上のことまで気が回らない。
 でも、一つだけ希望がかなうなら、日の光を浴びられる広い場所に出て、思い切り体を動かしたい。
 そうだな。キャッチボールができれば、充分だ。
 『わだつみ』なら、日本海の真ん中で、上手い空気を吸いながら、甲板に設けられたジョギング用周回路を走ることもできる。
 今回のミサイル捜索を『わだつみ』の船長として実行しなくてはならなくなったら、どんな感じだろう。
 じれったいだろうか。
 『わだつみ』なら、ミサイルを生で見ることはできない。アクティブソナーで広域を探査するにしても、メインは、無人の探査装置を海底まで降ろして、それを引きずり回しながらの捜索になる。
 乗組員の数には余裕があるが、ミサイルの引き上げが始まらない限り、手が空いている者が多いはずだ。
 昼間は海鳥と戯れ、夜は星空を楽しむ。
 そんな優雅な生活をしている連中が居ると思うと、羨ましくてたまらない。
 こちらは、僅か六名の乗組員と、一名の研究員で航海を続けている。たった七名を苛めるために、二名も煩いのが乗り込んできているからたまらない。
 別府湾に戻っても、帳尻を合わせるべく、徹夜同然で調査を行う羽目になるだろう。無事に浮上した際には、全員に充分な休息を与えられるようにしてやろう。
 その前に、今の状況の中で、みんなの負荷状態を僅かずつでも軽減してやらなければならない。
 ミサイル捜索を再開した時、交代勤務は村岡の担当時間だったが、直ぐに浦橋の担当時間に切り替わった。この時間が短すぎたので、自分の担当時間を三十分延長し、浦橋に食事ができる時間を与えた。
 この航海は、浦橋にとって非情な時間の連続になっているのかなと、同情してしまう。
 『うりゅう』に乗りたい気持ちは、村岡に負けないほど強かった。だから、確実に乗れる副官の地位を選んだのだ。
 そこに、古巣の防衛省からミサイル捜索を依頼されたのだ。
 重心が防衛省へ偏っている浅海が乗り込んでいた二日間に、浦橋は散々吹き込まれていたことは、想像に難くない。浅海が秘密を打ち明けられる『うりゅう』内の唯一の乗組員が、浦橋だ。井本や松井が乗り込んできた時、おそらく松井からも念押しされただろう。
 井本は、手土産を用意している可能性がある。彼への唯一の手土産は、『うりゅう』のスキッパーの地位しかありえない。
「どうやら、俺の首は、風前の灯らしい」
 浦橋がどんな気持ちでいるのか、考えてやらないといけない。
 誰かがドアをノックした。
「どうぞ」
「失礼します」と言って入ってきたのは、魚塚だった。
「どうしたんだ?」
「もう一度、あの遺跡を調査してみたいんです」
 やはり、そのことかと、村岡は思った。
「これを見てください」と言って、USBメモリを差し出した。
「サーバーに入れておくと、ミサイル捜索が終わったときに消される心配があるので、これに入れています」
 受け取ったUSBをタブレットに挿した。
「あの遺跡は、表面を調査しても、何も分からないと思います」
「どうしてだ?」
「地下空洞があるからです」
 遺跡の地下に色々なものが隠されていることは多い。遺跡の多くは、古代の権力者の墓だし、その墓室は、遺跡の地下にある場合も少なくない。
 エジプトのピラミッドは、正八面体ではないかと言われている。地表に見えているのは、上半分だけだというのだ。近年の研究では、未知の空洞も発見されている。
「地下に空洞が見つかったのか?」
 この成果は期待できた。
 元々、ロックエンジニアである魚塚は、最初から遺跡の地下に目を向けていた。だから、F1を持ち出した目的は、F1の底に付いている起震器を使って海底の構造を調べることにあった。
 それが思うような成果を上げられなかったから、岩崩しのような荒業を使うことになったのだ。魚塚にしてみれば、振動の発信源と強さが数値化できる炸薬での起震が望みだっただろうが、窮余の策として岩崩しで代用とした。
「空洞です。それも規模が大きく、おまけに水没していません」
「水没していない?!」
「ええ、水没していません。念のため、データの再確認は行いました」
 村岡は唸った。
「本当に水没していないのか?」
「スキッパーなら、音波が伝わる速さで、空洞が水没しているかどうかが調べられることくらい分かると思っていました」
 水は、空気の五倍近い速さで音を伝える。減衰も小さく、データを見れば見間違う心配は皆無だ。
 にもかかわらず、魚塚に二度も水没していないか確認したのは、何万年のオーダーで空気を維持することの難しさが頭にあったからだ。
 氷河期に、ここが水面に出ていたか、確たる証拠は無いが、遺跡が作られている以上、海面に出ていたと考えるべきだ。周囲を取り巻く堤防が、その証拠と言えなくもない。
 地下空洞の空気は、その時に閉じ込められたものかもしれない。
「空洞空気の成分は、分からないよな」
「残念ながら。ただ、データから読み取れる気圧は高くないようです」
 村岡は、ため息をついた。
「こんなに信じられないことの連続は、生まれて初めてだよ」
「僕もです。日本海の真ん中に海底遺跡があることも、その遺跡の下に空洞があることも、空洞が常圧と思われる空気で満たされていることも、全て夢の中のことのようです。でも、データは真実しか語りません」
 また、誰かがノックした。今度は、魚塚と異なり、ノックが終わると同時に、扉が開いた。
「スキッパー、話があるんだ」
 江坂の声だった。
「先客ですか?」
 先客が誰なのか、顔を覗き込むように入ってきた。そして、魚塚だと分かると、ほっとしたように緊張を解いた。
「用件は?」
「魚塚さんと同じですよ」
「つまり、遺跡の再調査か?」
 江坂は、微笑を浮かべた。
「やっぱり」
「カマを掛けたのか?」と、魚塚は噛み付いた。
「まあいいじゃないですか。あれだけの遺跡を見て、再調査させろと言わない人は、いませんよ」
「一人だけ居るだろ。再調査を言わない奴が」
 魚塚も、納得している。
「浦橋さんのことか。お前たちは気付いていないのか? 彼は、ぎりぎりのところで、俺たちと井本さんたちの間を取り持ったのさ。井本さんらと俺たちが断裂してしまったら、全てが上手く行かなくなる。それを恐れて、憎まれ役になることを覚悟で、両方の間に入ってるんだよ。それも、誰にも言わずにね」
「まさか」
「信じなくても、彼は恨まないよ」
「言い切れるのですか?」
 江坂の突っ込みに、村岡は首をすくめた。
「さあ、江坂さん。本題に入ろうじゃないですか」
「聞いてほしい話は、ちょっと信じがたい内容なんだけど、遺跡内を調査している時に、潮流を感じたんだ」
「こんな深海でか?」
「不思議だろう。G1の足元で舞い上がったマリンスノーが、僕の進行方向について来るんだ」
「後引き流じゃないのか?」
「違うな。後引き流なら、背中側で舞い上がる。僕が経験したのは、足元から前向きに舞い上がるんだ」
「立ち止まったら、どうなったんだ?」
「前側に流れて行ったよ」
 流れがあったことは、確からしい。
「小和田さんも、妙なことに言っていてね。鮎田と一緒に乗っている時に、D1が揺られたんだそうだ」
 D1は、揺れやすい。乗員の体重で浮力を調整するような艇だから、乗員の体重移動が効くのだ。艇体を傾けたいときには、乗組員自身が艇内で体を動かすほどだ。
「鮎田が、ダンスでもしてたんだろ」と魚塚が冗談を言う。
「鮎田と一緒にD1に乗ればわかるが、彼は動かないよ。怖いらしい。わざと揺らすと、血相を変えて怒り出すんだ」
「じゃあ、どうしてD1は揺れたんだよ」
 江坂は、神妙な顔になった。
「熱水源があるらしい」
 村岡は、大和堆の形成を思い出そうとしていたが、魚塚が先に答えた。
「火山性の熱水源は、大和堆にはない。いや、有り得ないんだ」
「水温計の記録は、確認したんだろうな」
「当然ですよ」
 村岡は、サーバーに繋ぎ、D1のデータを集めた。その中には、慣性航法装置の位置情報、時刻、水圧、水温が含まれていた。
 表示された表の上を、視線を滑らせる。
「少し、水温が変化している場所があるな。揺れた場所と一致しているのか?」
「小和田さんの話だと、神殿がありましたよね。あそこの裏辺りだと言っていました」
「だいたい一致するな。何か、目立ったものはあったか?」
「そいつは、浦橋さんに聞いてもらうんですね」
 浦橋は、遺跡上をジグザグに探査しているから、問題の場所にも近付いているはずだ。
 今度は、浦橋が乗った時のデータをかき集めた。
 鮎田たちが乗っていた際に揺れた場所に近い場所で、やはり水温の上昇が見られた。
 普通じゃない。
 大和堆は、海底火山ではない。日本列島がユーラシアプレートと繋がっていた時代の名残なのだ。大陸塊の一部なのだ。
 海底火山のはずがない。
「魚塚。大和堆で、熱源で考えられることは何かあるか?」
「無いです」
「あっさり言ってくれるな」
「スキッパーなら、大和堆の生成過程くらい御存知でしょう。今の時代に、大和堆に熱が残っていたら、修正しないいけない物理定数が、いくつか出てきますよ」
 彼の言うとおりだろう。
 だが、放熱を続けていることも、また事実だ。
「だいたい、あそこの地下は、空洞なんですよ。どうして、熱源になりうるんですか」
「なに、空洞なのか? あの下は!」
「そうさ。完璧に空洞さ」
「どれくらい下に、その空洞は見つかったんだい?」
「直下だ」
「天井の厚さは?」
「まだ、空洞があることしか捕まえていないが、遺跡の直ぐ下に精々、十メートルくらいだろう」
「たったの十メートル?! そんなに薄いのか?」
 村岡も、仰天した。
 世界最長の青函トンネルも、トンネルが走るのは、海底から百メートルも下なのだ。そんな位置にもかかわらず、繰り返し異常出水に見舞われ、建設が長期に渡って中断を余儀なくされたこともあった。
 この海底遺跡は、青函トンネルよりも八十メートルも低い水深二百二十メートルの深さにあるのに、海底の十メートル下には、空洞があるのだ。
 おまけに、海底から熱が立ち上っている。
 どう理解すれば良いのか、村岡にはさっぱりである。
「もう一つ、面白いものを見せよう。これだ」
 江坂は、碑のような石板を見せた。かなりの大きさがあり、ビッシリと文字らしき模様が彫り込まれている。模様がはっきり見えるように、ライティングを調整して複数枚に分けて撮影してあった。
「碑文か? 解読できれば、面白いだろうなれ
 魚塚の言葉に、江坂も頷いた。
「ここで、議論しても、何も解決しない。魚塚は、地下空洞の構造を解析してみてほしい。江坂さんは、熱源を辿ってくれ。それから、石碑の画像を一枚に編集して、送ってくれ。今日のところは、ここで御開きだ。勤務に影響しないように、自室に戻りなさい」
「遺跡の中身は、僕たちが考えますから、スキッパーは、遺跡の調査に戻る口実を考えてください」
「わかったから、出て行きなさい」
 村岡の強い口調に押し出されるように、二人は部屋を出て行った。
 ドアが閉まった時、村岡は呟いた。
「無茶言いやがる」

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  16

 村岡は、不安になった。
 D1の航続時間は、最大で八時間だ。今回の場合、浦橋たちがケーブル調査で使用した後の補給は行っていないし、航路調査のために距離を走っている可能性がある。実質の航続時間は、三時間かそこらだろう。
 確認するため、浦橋をインカムで呼び出した。
「スキッパーの言うとおり、残り三十分から一時間程度の航続距離だと思います」
 浦橋は、村岡の予想を裏打ちした。
 改めて、腕時計に目を落とした。
「D1が、帰還しました」
 端末で外装機器のモニターをしていた魚塚が、報告した。反射的にモニターに目をやった。
 光学式の測位装置が稼動したらしい。この装置で、『うりゅう』とD1の位置決めをして、ハッチを連結する。
 間もなく、コンと音が響き、ハッチが連結されたことが分かった。
 すぐさま、D1用のハッチに向かった。
 村岡が着いた時には、小和田は『うりゅう』の艇内に戻っていた。続いて、鮎田がハッチに顔を出した。
「小和田。江坂さんとどんな相談をしていったか、聞かせろ」
「本人から聞けばいいじゃねえか」
「まだ、戻っていない」
 小和田は、鮎田と目を合わせた。
「何だと! もう酸素の残圧が無いだろう!」
「その通りさ。だから、救出をする必要がある。そのために、どんな計画を立てていたか、君の口から聞きたいんだ」
 肩を竦めた。
「しょうがねえな。計画は簡単さ。俺たちは、遺跡の端まで行った後、遺跡の縁を回って帰ってくるように、江坂の兄ちゃんに言われたのさ。俺にとっても、悪くない提案だ。鮎田にしてみれば、ケーブルを引っ掛ける危険があるか調べられるから、失点を取り返すチャンスになっただろう」
「江坂さんは、周辺を探しているってことだな」
「たぶんな。だけど、分かんないぜ。奴のことだから、ターゲットを見つけたら、ホーミングミサイルみたいにすっ飛んでいくからな」
 確かに、そんな性格だ。だからこそ、危険なのだ。
 極端に興奮状態でなければ、G1の酸素残圧は、残り十五分ほどだ。それを使い果たしても、緊急用ボンベを使えば、十五分だけ呼吸できる。
 G1は、内部の空間は僅かしかない。精々、二、三分で使い果たす。それが尽きれば、命も消える。
 捜索のための時間は、ほとんど残っていない。
「G1の捜索を行う。総員準備に入ってくれ。浦橋さん、聞こえていたら、前部ハッチでD1の整備をやってくれ」
 鮎田は、血相を変えて駆け出した。行き先は、右舷指揮所だ。
 例の事故に端を発しているので、江坂の独断先行であっても、自分の中で許せないのだろう。少しでも、役に立とうと必死なのだ。
 鮎田と入れ替わりに、涼しい顔で浦橋が来た。左舷の指揮所からここまで結構距離があるはずだが、浦橋は歩くのが早い。どうすればこんなに早く移動できるのか教えてほしいくらいだ。
 浦橋は、手順通りに手早く整備を済ませていく。これなら、手順書にある基本整備時間の二時間より遥かに短い時間で整備が終了するだろう。
 鮎田の姿が見えなくなった頃、魚塚からのインカムが鳴った。
「G1、帰還しました。ドッキングモードに入りました」
 インカムを聞いて戻ってきた鮎田は、村岡の顔を見ている。小和田も、ニヤついている。
「聞いての通りだ。G1の捜索は中止」
 ホッとすると同時に、怒りが込み上げてきた。感情を抑えつつ、善後策を考え始めた。
「打ち合わせを行うので、鮎田と小和田は、食堂に来てくれ。魚塚、聞こえてるか?」
「聞こえています」
 インカムから、魚塚の声が跳ね返ってきた。
「江坂さんに、直ぐに食堂に来るように伝えてくれ。直ぐに来ないと、『うりゅう』から降ろすと伝えてくれ」
「了解しました」
 G1がドッキングを完了すると、G1内にもインカムが通じるようになる。ただ、ドッキングが終わったことを知るには、『うりゅう』の監視システムを端末に呼び出す必要がある。この状況では、魚塚か、浦橋が適任だが、浦橋は端末を離れることになるので、魚塚に依頼した。
 鮎田も、小和田も、自室に戻ってパソコンを持ってきた。村岡は、江坂の部屋にも寄って、彼のパソコンを持ってきた。
 江坂が、不満そうな顔で入ってきたところで、打ち合わせを始めた。
「江坂さん、資料を整理したいでしょうが、我慢してください」
 納得いかない様子だったが、魚塚から伝言を聞いたのだろう。『うりゅう』を降ろされたくないのは当然で、しぶしぶ席に着いた。
 テーブルには、付近の海図を広げた。
「まず、鮎田から、この遺跡の全体の大きさを聞かせてもらおう」
「分かりました。この遺跡は、自然にできたものではなく、人工のものでした。『うりゅう』の進行方向には、およそ百メートルほどの距離です。それが、遺跡の北東縁にあたります」
 海図の上に、フリーハンドで遺跡の縁を書き始めた。
「実は、遺跡の境界線は、はっきりしています。この遺跡は、周囲を堤防で囲まれていました。そこが、境界線と見て言いと思います」
「私の立場では、境界線は、もっと外側になる。周囲を堤防で囲まれているのなら、堤防の材料をどこから調達し、そうやって運んだかは、周囲数キロに渡って調査すべきだ」
「江坂さん、遺跡調査の会議ではありません。ミサイル捜索を如何に早く終わらせるかを相談する場です。その点を念頭に置いてください」
「これほどの遺跡だ。しかも、こんな深さに見つかった例は、世界中探したって、ありはしない。こんなところでミサイル探しをして、人殺し予備軍がドンパチの材料にするより、知識と過去の経験を学び取ることの方が、人類全体の利益になる。ミサイル調査は即刻中止して、遺跡調査をするくらいの勇気がほしいね」
「言わんとすることは分かったが、ここはミサイルに専念するんだ」
「ミサイルなんか、公然と探したって、なんの問題もありませんよ。どうせ、どこかで公表するんだから、大っぴらに捜索しても、何が問題になるんですか」
「江坂さん。聞いてください。今回のミサイル捜索は、最後まで『うりゅう』を使ったことは隠されます。ミサイルを発見したことを公表することがあっても、それは、掃海艇か『わだつみ』が発見したことにして、『うりゅう』は別府湾の底に居たことで押し通します。文科省の船を国民まで欺いて軍事目的に使用したことになれば、文科省の大臣や事務次官の首が飛ぶほどの問題に発展するからです。
 今回のミサイル捜索は、我々にとって、大臣の首を押さえるほどの大きな貸しを手に入れることになるのです。だからこそ、ここまで逆らわずに捜索に協力してきたのです。
 今後の『うりゅう』の運用が不透明になっているのに、こんな大きな貸しを作る機会が得られたのは、ラッキーですよ。おまけに、こんな遺跡を見つけたのですから。ミサイル探しをしていなくても、この遺跡を発見できたと、江坂さんは言い切れますか?」
「発見の切っ掛けが問題じゃない。遺跡の調査が必要だということが問題なんだ」
「今以外に調査ができないわけじゃない」
「今しかない。今、ここの調査をしておかないと、文科省は、防衛省の手前、ここに戻ってくることを許さないさ」
「ここで、この遺跡の調査をして、誰が得をして、誰が損をするか、考えてみましょう。まず、ミサイル捜索をしないので、防衛省が損をする。防衛省に貸しを作れない文科省も、予算取りなどで防衛省との調整で不利になるので、損。『うりゅう』乗組員も、文科省や防衛省に貸しを作れないどころか借りを作ってしまうので、損。
 『うりゅう』本来の使用目的で活動できるのは得だが、準備を整えて臨んだ瓜生島調査より場当たり的になるので、得とは言えない。唯一、得するのは、新発見の海底遺跡の調査結果を学会に発表できる江坂さんだが、得と言えるかどうか。
 ミサイル捜索をやめれば、全員が『うりゅう』から降ろされるだろう。江坂さん。『うりゅう』正規乗組員全員まで敵に回し、一回限りの場当たり的な調査を選ぶのか、それとも、文科省に対する貸しを行使して『わだつみ』も用意し、大規模な調査を行うのを選ぶのか、考えるまでもないでしょう」
 江坂は、感情を理性で押さえ込もうとしていた。彼の心は、この海底遺跡で興奮している。その感情を、彼は損得勘定という理性で押さえ込もうとしているのだ。
「それでも、僕が調査をすると言ったら、スキッパーは妨害だってするんでしょう」
「そのつもりだ。そして、二度と『うりゅう』には乗せないと、捨て台詞を吐くことになる」
 江坂は、苦笑いした。
「ソロバンの結果に従いますよ。さ、何から話せばいいですか?」
 彼が納得してくれたので、ほっとした。実は、小和田も得をする人物だ。それも、江坂以上にだ。江坂が納得してくれたので、小和田も落ち着くだろう。
 みんなの顔を見た後、話を本題に戻した。
「まず、遺跡の大きさと形状だ。鮎田。外周を回ったんだろう?」
「『うりゅう』の進行方向は、遺跡の外縁に当たります。直進しても遺跡の上には出ませんが、左舷側に堤防のような構造物を見ながら進むことになります。僕たちは、一旦、堤防の上に出て、堤防の真上を反時計回りに一周しました。D1の慣性航法装置から得た航路を、海図上にプロットしました」
 各自が、自分のタブレットを覗き込んだ。
「水深は、気付いていると思いますが、今まで知られていた二百三十六メートルよりも浅く。堤防の高いところで、約二百二十メートルです。つまり、ここは誰も知らなかった場所といえます」
 航路が描く線は、南西方向に長い綺麗な楕円だ。長軸半径で三百メートルくらいか。短軸半径は百五十メートルくらいだ。C1を使ったパッシブソナーでは、一度で通り過ぎる程度の幅だが、これを学術調査するとなると、何年もかかるだろう。もちろん、それだけの価値はあるわけだが。
「まず、遺跡には高さのある構造物が存在するかだが」
「ありません。航路の続きを表示します。・・・このように、遺跡の上と遺跡の南西側を探査し、海底の状況や障害物を確認しました」
「つまり、障害物は無かったということだね」
「そうです」
 生真面目な態度を取る鮎田が、おかしかった。
 今回の事故は、鮎田を成長させることになりそうだ。
「スキッパー。ここの遺跡は、興味深い。こんな遺跡は、他に知らない」
「江坂さん、ここでの話題に関係あることですか?」
「大有りだ。スキッパーは、今まで通りの調査をこの遺跡でもできるか、心配しているんだろう。その答えです。この遺跡の最も低い位置に、神殿の跡と思われる地盤の盛り上がりがありました。つまり、この遺跡では、低いほど場所ほど神聖らしいのです。言い換えると、高い構造物より、低い構造物を好む民族だったらしいということです」
「遺跡の上をぎりぎりの高さで通しても、問題なさそうだということですね」
「ぎりぎりが好きなら」
「もう一つ問題があるが、この遺跡の中にミサイルが落ちていた場合、ここまで使ってきたパッシブソナーの遣り方で見つけられるのか。構造物の残骸の陰にあれば、ほとんど気付かないだろうということ」
「それは、魚塚君に聞いてもらうしかないでしょう」
「こたえはもちろん、不可能だ」と、指揮所から魚塚の声がした。
 少し前から聞き耳を立ていたようだ。
「アクティブソナーを使っても、そんなに効率は上がらない場所だ。パッシブソナーだと何もできないのに等しいさ」
「分かった。それじゃ、どうやってミサイル探しをするかだ。案は無いか?」
「無い。つまり、地道に目で見て探すって事だ」
「磁力計も持参して」
「もちろん」
「浦橋さんを呼んで、遺跡内のみのミサイル探査計画を立てよう」
 打ち合わせをお開きにし、浦橋の居るD1ハッチに向かった。
 浦橋との打ち合わせは、無駄の全てをそぎ落とした会話になる。
「遺跡の調査を後回しにして、他の調査で見つからなかった時に遺跡内を調査しろ」と言うかと思ったが、素直に受け入れてくれた。お陰で、井本と松井への説明もスムーズに進んだ。二人は渋々承認し、ものの一、二分で遺跡内の調査が始まった。
 『うりゅう』は、C1を左舷三十メートルに出し、堤防を挟むように一周する探査を始めた。同時に、小回りの利くD1は遺跡内を十メートルの幅でジグザグに捜索していく。
 精力的に動き回るD1を他所に、『うりゅう』本体は、F1の回収に手間取った。G1の再整備を急ぎ、C1のマニュピレータも駆使して、ようやく回収が終わった。
 実は、魚塚の提案を受け、遺跡調査のための計画を実行に移したのだ。
 F1を回収するために『うりゅう』を移動させた際に、不安定になるように積み上げた岩を、下げたままにした『うりゅう』のギアで引っ掛けて崩した。この後でF1の回収を始めたのだが、F1と数ヶ所に置いた地震計とのLANケーブルを切り離せず、手間取ったのだ。
 浦橋と松井が乗ったD1を合流点に待たせたまま、堤防を一周し、遺跡内のミサイル捜索は終了した。
 ミサイルは、見つからなかった。
 江坂だけでなく、『うりゅう』の乗組員も後ろ髪を引かれる思いで、遺跡を離れた。

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