17
『うりゅう』は、海底遺跡を跨ぎ越し、通常のミサイル捜索体制に戻っていた。艇内の勤務体制も、通常の態勢に戻し、村岡は自室に引いた。
後ろ手でドアを閉めた時、村岡は海上の様子を思い描いた。
水深二百メートルを超える大和堆では、波浪は全く分からない。海上の天候はもちろん、昼なのか、夜なのかさえ、時計を見ない限り分からない。四時間毎の三交替勤務を続けていると、今が午前だろうが、午後だろうが、どうでもよくなってくる。
余りの仕事量に忙殺され、海上のことまで気が回らない。
でも、一つだけ希望がかなうなら、日の光を浴びられる広い場所に出て、思い切り体を動かしたい。
そうだな。キャッチボールができれば、充分だ。
『わだつみ』なら、日本海の真ん中で、上手い空気を吸いながら、甲板に設けられたジョギング用周回路を走ることもできる。
今回のミサイル捜索を『わだつみ』の船長として実行しなくてはならなくなったら、どんな感じだろう。
じれったいだろうか。
『わだつみ』なら、ミサイルを生で見ることはできない。アクティブソナーで広域を探査するにしても、メインは、無人の探査装置を海底まで降ろして、それを引きずり回しながらの捜索になる。
乗組員の数には余裕があるが、ミサイルの引き上げが始まらない限り、手が空いている者が多いはずだ。
昼間は海鳥と戯れ、夜は星空を楽しむ。
そんな優雅な生活をしている連中が居ると思うと、羨ましくてたまらない。
こちらは、僅か六名の乗組員と、一名の研究員で航海を続けている。たった七名を苛めるために、二名も煩いのが乗り込んできているからたまらない。
別府湾に戻っても、帳尻を合わせるべく、徹夜同然で調査を行う羽目になるだろう。無事に浮上した際には、全員に充分な休息を与えられるようにしてやろう。
その前に、今の状況の中で、みんなの負荷状態を僅かずつでも軽減してやらなければならない。
ミサイル捜索を再開した時、交代勤務は村岡の担当時間だったが、直ぐに浦橋の担当時間に切り替わった。この時間が短すぎたので、自分の担当時間を三十分延長し、浦橋に食事ができる時間を与えた。
この航海は、浦橋にとって非情な時間の連続になっているのかなと、同情してしまう。
『うりゅう』に乗りたい気持ちは、村岡に負けないほど強かった。だから、確実に乗れる副官の地位を選んだのだ。
そこに、古巣の防衛省からミサイル捜索を依頼されたのだ。
重心が防衛省へ偏っている浅海が乗り込んでいた二日間に、浦橋は散々吹き込まれていたことは、想像に難くない。浅海が秘密を打ち明けられる『うりゅう』内の唯一の乗組員が、浦橋だ。井本や松井が乗り込んできた時、おそらく松井からも念押しされただろう。
井本は、手土産を用意している可能性がある。彼への唯一の手土産は、『うりゅう』のスキッパーの地位しかありえない。
「どうやら、俺の首は、風前の灯らしい」
浦橋がどんな気持ちでいるのか、考えてやらないといけない。
誰かがドアをノックした。
「どうぞ」
「失礼します」と言って入ってきたのは、魚塚だった。
「どうしたんだ?」
「もう一度、あの遺跡を調査してみたいんです」
やはり、そのことかと、村岡は思った。
「これを見てください」と言って、USBメモリを差し出した。
「サーバーに入れておくと、ミサイル捜索が終わったときに消される心配があるので、これに入れています」
受け取ったUSBをタブレットに挿した。
「あの遺跡は、表面を調査しても、何も分からないと思います」
「どうしてだ?」
「地下空洞があるからです」
遺跡の地下に色々なものが隠されていることは多い。遺跡の多くは、古代の権力者の墓だし、その墓室は、遺跡の地下にある場合も少なくない。
エジプトのピラミッドは、正八面体ではないかと言われている。地表に見えているのは、上半分だけだというのだ。近年の研究では、未知の空洞も発見されている。
「地下に空洞が見つかったのか?」
この成果は期待できた。
元々、ロックエンジニアである魚塚は、最初から遺跡の地下に目を向けていた。だから、F1を持ち出した目的は、F1の底に付いている起震器を使って海底の構造を調べることにあった。
それが思うような成果を上げられなかったから、岩崩しのような荒業を使うことになったのだ。魚塚にしてみれば、振動の発信源と強さが数値化できる炸薬での起震が望みだっただろうが、窮余の策として岩崩しで代用とした。
「空洞です。それも規模が大きく、おまけに水没していません」
「水没していない?!」
「ええ、水没していません。念のため、データの再確認は行いました」
村岡は唸った。
「本当に水没していないのか?」
「スキッパーなら、音波が伝わる速さで、空洞が水没しているかどうかが調べられることくらい分かると思っていました」
水は、空気の五倍近い速さで音を伝える。減衰も小さく、データを見れば見間違う心配は皆無だ。
にもかかわらず、魚塚に二度も水没していないか確認したのは、何万年のオーダーで空気を維持することの難しさが頭にあったからだ。
氷河期に、ここが水面に出ていたか、確たる証拠は無いが、遺跡が作られている以上、海面に出ていたと考えるべきだ。周囲を取り巻く堤防が、その証拠と言えなくもない。
地下空洞の空気は、その時に閉じ込められたものかもしれない。
「空洞空気の成分は、分からないよな」
「残念ながら。ただ、データから読み取れる気圧は高くないようです」
村岡は、ため息をついた。
「こんなに信じられないことの連続は、生まれて初めてだよ」
「僕もです。日本海の真ん中に海底遺跡があることも、その遺跡の下に空洞があることも、空洞が常圧と思われる空気で満たされていることも、全て夢の中のことのようです。でも、データは真実しか語りません」
また、誰かがノックした。今度は、魚塚と異なり、ノックが終わると同時に、扉が開いた。
「スキッパー、話があるんだ」
江坂の声だった。
「先客ですか?」
先客が誰なのか、顔を覗き込むように入ってきた。そして、魚塚だと分かると、ほっとしたように緊張を解いた。
「用件は?」
「魚塚さんと同じですよ」
「つまり、遺跡の再調査か?」
江坂は、微笑を浮かべた。
「やっぱり」
「カマを掛けたのか?」と、魚塚は噛み付いた。
「まあいいじゃないですか。あれだけの遺跡を見て、再調査させろと言わない人は、いませんよ」
「一人だけ居るだろ。再調査を言わない奴が」
魚塚も、納得している。
「浦橋さんのことか。お前たちは気付いていないのか? 彼は、ぎりぎりのところで、俺たちと井本さんたちの間を取り持ったのさ。井本さんらと俺たちが断裂してしまったら、全てが上手く行かなくなる。それを恐れて、憎まれ役になることを覚悟で、両方の間に入ってるんだよ。それも、誰にも言わずにね」
「まさか」
「信じなくても、彼は恨まないよ」
「言い切れるのですか?」
江坂の突っ込みに、村岡は首をすくめた。
「さあ、江坂さん。本題に入ろうじゃないですか」
「聞いてほしい話は、ちょっと信じがたい内容なんだけど、遺跡内を調査している時に、潮流を感じたんだ」
「こんな深海でか?」
「不思議だろう。G1の足元で舞い上がったマリンスノーが、僕の進行方向について来るんだ」
「後引き流じゃないのか?」
「違うな。後引き流なら、背中側で舞い上がる。僕が経験したのは、足元から前向きに舞い上がるんだ」
「立ち止まったら、どうなったんだ?」
「前側に流れて行ったよ」
流れがあったことは、確からしい。
「小和田さんも、妙なことに言っていてね。鮎田と一緒に乗っている時に、D1が揺られたんだそうだ」
D1は、揺れやすい。乗員の体重で浮力を調整するような艇だから、乗員の体重移動が効くのだ。艇体を傾けたいときには、乗組員自身が艇内で体を動かすほどだ。
「鮎田が、ダンスでもしてたんだろ」と魚塚が冗談を言う。
「鮎田と一緒にD1に乗ればわかるが、彼は動かないよ。怖いらしい。わざと揺らすと、血相を変えて怒り出すんだ」
「じゃあ、どうしてD1は揺れたんだよ」
江坂は、神妙な顔になった。
「熱水源があるらしい」
村岡は、大和堆の形成を思い出そうとしていたが、魚塚が先に答えた。
「火山性の熱水源は、大和堆にはない。いや、有り得ないんだ」
「水温計の記録は、確認したんだろうな」
「当然ですよ」
村岡は、サーバーに繋ぎ、D1のデータを集めた。その中には、慣性航法装置の位置情報、時刻、水圧、水温が含まれていた。
表示された表の上を、視線を滑らせる。
「少し、水温が変化している場所があるな。揺れた場所と一致しているのか?」
「小和田さんの話だと、神殿がありましたよね。あそこの裏辺りだと言っていました」
「だいたい一致するな。何か、目立ったものはあったか?」
「そいつは、浦橋さんに聞いてもらうんですね」
浦橋は、遺跡上をジグザグに探査しているから、問題の場所にも近付いているはずだ。
今度は、浦橋が乗った時のデータをかき集めた。
鮎田たちが乗っていた際に揺れた場所に近い場所で、やはり水温の上昇が見られた。
普通じゃない。
大和堆は、海底火山ではない。日本列島がユーラシアプレートと繋がっていた時代の名残なのだ。大陸塊の一部なのだ。
海底火山のはずがない。
「魚塚。大和堆で、熱源で考えられることは何かあるか?」
「無いです」
「あっさり言ってくれるな」
「スキッパーなら、大和堆の生成過程くらい御存知でしょう。今の時代に、大和堆に熱が残っていたら、修正しないいけない物理定数が、いくつか出てきますよ」
彼の言うとおりだろう。
だが、放熱を続けていることも、また事実だ。
「だいたい、あそこの地下は、空洞なんですよ。どうして、熱源になりうるんですか」
「なに、空洞なのか? あの下は!」
「そうさ。完璧に空洞さ」
「どれくらい下に、その空洞は見つかったんだい?」
「直下だ」
「天井の厚さは?」
「まだ、空洞があることしか捕まえていないが、遺跡の直ぐ下に精々、十メートルくらいだろう」
「たったの十メートル?! そんなに薄いのか?」
村岡も、仰天した。
世界最長の青函トンネルも、トンネルが走るのは、海底から百メートルも下なのだ。そんな位置にもかかわらず、繰り返し異常出水に見舞われ、建設が長期に渡って中断を余儀なくされたこともあった。
この海底遺跡は、青函トンネルよりも八十メートルも低い水深二百二十メートルの深さにあるのに、海底の十メートル下には、空洞があるのだ。
おまけに、海底から熱が立ち上っている。
どう理解すれば良いのか、村岡にはさっぱりである。
「もう一つ、面白いものを見せよう。これだ」
江坂は、碑のような石板を見せた。かなりの大きさがあり、ビッシリと文字らしき模様が彫り込まれている。模様がはっきり見えるように、ライティングを調整して複数枚に分けて撮影してあった。
「碑文か? 解読できれば、面白いだろうなれ
魚塚の言葉に、江坂も頷いた。
「ここで、議論しても、何も解決しない。魚塚は、地下空洞の構造を解析してみてほしい。江坂さんは、熱源を辿ってくれ。それから、石碑の画像を一枚に編集して、送ってくれ。今日のところは、ここで御開きだ。勤務に影響しないように、自室に戻りなさい」
「遺跡の中身は、僕たちが考えますから、スキッパーは、遺跡の調査に戻る口実を考えてください」
「わかったから、出て行きなさい」
村岡の強い口調に押し出されるように、二人は部屋を出て行った。
ドアが閉まった時、村岡は呟いた。
「無茶言いやがる」
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『うりゅう』は、海底遺跡を跨ぎ越し、通常のミサイル捜索体制に戻っていた。艇内の勤務体制も、通常の態勢に戻し、村岡は自室に引いた。
後ろ手でドアを閉めた時、村岡は海上の様子を思い描いた。
水深二百メートルを超える大和堆では、波浪は全く分からない。海上の天候はもちろん、昼なのか、夜なのかさえ、時計を見ない限り分からない。四時間毎の三交替勤務を続けていると、今が午前だろうが、午後だろうが、どうでもよくなってくる。
余りの仕事量に忙殺され、海上のことまで気が回らない。
でも、一つだけ希望がかなうなら、日の光を浴びられる広い場所に出て、思い切り体を動かしたい。
そうだな。キャッチボールができれば、充分だ。
『わだつみ』なら、日本海の真ん中で、上手い空気を吸いながら、甲板に設けられたジョギング用周回路を走ることもできる。
今回のミサイル捜索を『わだつみ』の船長として実行しなくてはならなくなったら、どんな感じだろう。
じれったいだろうか。
『わだつみ』なら、ミサイルを生で見ることはできない。アクティブソナーで広域を探査するにしても、メインは、無人の探査装置を海底まで降ろして、それを引きずり回しながらの捜索になる。
乗組員の数には余裕があるが、ミサイルの引き上げが始まらない限り、手が空いている者が多いはずだ。
昼間は海鳥と戯れ、夜は星空を楽しむ。
そんな優雅な生活をしている連中が居ると思うと、羨ましくてたまらない。
こちらは、僅か六名の乗組員と、一名の研究員で航海を続けている。たった七名を苛めるために、二名も煩いのが乗り込んできているからたまらない。
別府湾に戻っても、帳尻を合わせるべく、徹夜同然で調査を行う羽目になるだろう。無事に浮上した際には、全員に充分な休息を与えられるようにしてやろう。
その前に、今の状況の中で、みんなの負荷状態を僅かずつでも軽減してやらなければならない。
ミサイル捜索を再開した時、交代勤務は村岡の担当時間だったが、直ぐに浦橋の担当時間に切り替わった。この時間が短すぎたので、自分の担当時間を三十分延長し、浦橋に食事ができる時間を与えた。
この航海は、浦橋にとって非情な時間の連続になっているのかなと、同情してしまう。
『うりゅう』に乗りたい気持ちは、村岡に負けないほど強かった。だから、確実に乗れる副官の地位を選んだのだ。
そこに、古巣の防衛省からミサイル捜索を依頼されたのだ。
重心が防衛省へ偏っている浅海が乗り込んでいた二日間に、浦橋は散々吹き込まれていたことは、想像に難くない。浅海が秘密を打ち明けられる『うりゅう』内の唯一の乗組員が、浦橋だ。井本や松井が乗り込んできた時、おそらく松井からも念押しされただろう。
井本は、手土産を用意している可能性がある。彼への唯一の手土産は、『うりゅう』のスキッパーの地位しかありえない。
「どうやら、俺の首は、風前の灯らしい」
浦橋がどんな気持ちでいるのか、考えてやらないといけない。
誰かがドアをノックした。
「どうぞ」
「失礼します」と言って入ってきたのは、魚塚だった。
「どうしたんだ?」
「もう一度、あの遺跡を調査してみたいんです」
やはり、そのことかと、村岡は思った。
「これを見てください」と言って、USBメモリを差し出した。
「サーバーに入れておくと、ミサイル捜索が終わったときに消される心配があるので、これに入れています」
受け取ったUSBをタブレットに挿した。
「あの遺跡は、表面を調査しても、何も分からないと思います」
「どうしてだ?」
「地下空洞があるからです」
遺跡の地下に色々なものが隠されていることは多い。遺跡の多くは、古代の権力者の墓だし、その墓室は、遺跡の地下にある場合も少なくない。
エジプトのピラミッドは、正八面体ではないかと言われている。地表に見えているのは、上半分だけだというのだ。近年の研究では、未知の空洞も発見されている。
「地下に空洞が見つかったのか?」
この成果は期待できた。
元々、ロックエンジニアである魚塚は、最初から遺跡の地下に目を向けていた。だから、F1を持ち出した目的は、F1の底に付いている起震器を使って海底の構造を調べることにあった。
それが思うような成果を上げられなかったから、岩崩しのような荒業を使うことになったのだ。魚塚にしてみれば、振動の発信源と強さが数値化できる炸薬での起震が望みだっただろうが、窮余の策として岩崩しで代用とした。
「空洞です。それも規模が大きく、おまけに水没していません」
「水没していない?!」
「ええ、水没していません。念のため、データの再確認は行いました」
村岡は唸った。
「本当に水没していないのか?」
「スキッパーなら、音波が伝わる速さで、空洞が水没しているかどうかが調べられることくらい分かると思っていました」
水は、空気の五倍近い速さで音を伝える。減衰も小さく、データを見れば見間違う心配は皆無だ。
にもかかわらず、魚塚に二度も水没していないか確認したのは、何万年のオーダーで空気を維持することの難しさが頭にあったからだ。
氷河期に、ここが水面に出ていたか、確たる証拠は無いが、遺跡が作られている以上、海面に出ていたと考えるべきだ。周囲を取り巻く堤防が、その証拠と言えなくもない。
地下空洞の空気は、その時に閉じ込められたものかもしれない。
「空洞空気の成分は、分からないよな」
「残念ながら。ただ、データから読み取れる気圧は高くないようです」
村岡は、ため息をついた。
「こんなに信じられないことの連続は、生まれて初めてだよ」
「僕もです。日本海の真ん中に海底遺跡があることも、その遺跡の下に空洞があることも、空洞が常圧と思われる空気で満たされていることも、全て夢の中のことのようです。でも、データは真実しか語りません」
また、誰かがノックした。今度は、魚塚と異なり、ノックが終わると同時に、扉が開いた。
「スキッパー、話があるんだ」
江坂の声だった。
「先客ですか?」
先客が誰なのか、顔を覗き込むように入ってきた。そして、魚塚だと分かると、ほっとしたように緊張を解いた。
「用件は?」
「魚塚さんと同じですよ」
「つまり、遺跡の再調査か?」
江坂は、微笑を浮かべた。
「やっぱり」
「カマを掛けたのか?」と、魚塚は噛み付いた。
「まあいいじゃないですか。あれだけの遺跡を見て、再調査させろと言わない人は、いませんよ」
「一人だけ居るだろ。再調査を言わない奴が」
魚塚も、納得している。
「浦橋さんのことか。お前たちは気付いていないのか? 彼は、ぎりぎりのところで、俺たちと井本さんたちの間を取り持ったのさ。井本さんらと俺たちが断裂してしまったら、全てが上手く行かなくなる。それを恐れて、憎まれ役になることを覚悟で、両方の間に入ってるんだよ。それも、誰にも言わずにね」
「まさか」
「信じなくても、彼は恨まないよ」
「言い切れるのですか?」
江坂の突っ込みに、村岡は首をすくめた。
「さあ、江坂さん。本題に入ろうじゃないですか」
「聞いてほしい話は、ちょっと信じがたい内容なんだけど、遺跡内を調査している時に、潮流を感じたんだ」
「こんな深海でか?」
「不思議だろう。G1の足元で舞い上がったマリンスノーが、僕の進行方向について来るんだ」
「後引き流じゃないのか?」
「違うな。後引き流なら、背中側で舞い上がる。僕が経験したのは、足元から前向きに舞い上がるんだ」
「立ち止まったら、どうなったんだ?」
「前側に流れて行ったよ」
流れがあったことは、確からしい。
「小和田さんも、妙なことに言っていてね。鮎田と一緒に乗っている時に、D1が揺られたんだそうだ」
D1は、揺れやすい。乗員の体重で浮力を調整するような艇だから、乗員の体重移動が効くのだ。艇体を傾けたいときには、乗組員自身が艇内で体を動かすほどだ。
「鮎田が、ダンスでもしてたんだろ」と魚塚が冗談を言う。
「鮎田と一緒にD1に乗ればわかるが、彼は動かないよ。怖いらしい。わざと揺らすと、血相を変えて怒り出すんだ」
「じゃあ、どうしてD1は揺れたんだよ」
江坂は、神妙な顔になった。
「熱水源があるらしい」
村岡は、大和堆の形成を思い出そうとしていたが、魚塚が先に答えた。
「火山性の熱水源は、大和堆にはない。いや、有り得ないんだ」
「水温計の記録は、確認したんだろうな」
「当然ですよ」
村岡は、サーバーに繋ぎ、D1のデータを集めた。その中には、慣性航法装置の位置情報、時刻、水圧、水温が含まれていた。
表示された表の上を、視線を滑らせる。
「少し、水温が変化している場所があるな。揺れた場所と一致しているのか?」
「小和田さんの話だと、神殿がありましたよね。あそこの裏辺りだと言っていました」
「だいたい一致するな。何か、目立ったものはあったか?」
「そいつは、浦橋さんに聞いてもらうんですね」
浦橋は、遺跡上をジグザグに探査しているから、問題の場所にも近付いているはずだ。
今度は、浦橋が乗った時のデータをかき集めた。
鮎田たちが乗っていた際に揺れた場所に近い場所で、やはり水温の上昇が見られた。
普通じゃない。
大和堆は、海底火山ではない。日本列島がユーラシアプレートと繋がっていた時代の名残なのだ。大陸塊の一部なのだ。
海底火山のはずがない。
「魚塚。大和堆で、熱源で考えられることは何かあるか?」
「無いです」
「あっさり言ってくれるな」
「スキッパーなら、大和堆の生成過程くらい御存知でしょう。今の時代に、大和堆に熱が残っていたら、修正しないいけない物理定数が、いくつか出てきますよ」
彼の言うとおりだろう。
だが、放熱を続けていることも、また事実だ。
「だいたい、あそこの地下は、空洞なんですよ。どうして、熱源になりうるんですか」
「なに、空洞なのか? あの下は!」
「そうさ。完璧に空洞さ」
「どれくらい下に、その空洞は見つかったんだい?」
「直下だ」
「天井の厚さは?」
「まだ、空洞があることしか捕まえていないが、遺跡の直ぐ下に精々、十メートルくらいだろう」
「たったの十メートル?! そんなに薄いのか?」
村岡も、仰天した。
世界最長の青函トンネルも、トンネルが走るのは、海底から百メートルも下なのだ。そんな位置にもかかわらず、繰り返し異常出水に見舞われ、建設が長期に渡って中断を余儀なくされたこともあった。
この海底遺跡は、青函トンネルよりも八十メートルも低い水深二百二十メートルの深さにあるのに、海底の十メートル下には、空洞があるのだ。
おまけに、海底から熱が立ち上っている。
どう理解すれば良いのか、村岡にはさっぱりである。
「もう一つ、面白いものを見せよう。これだ」
江坂は、碑のような石板を見せた。かなりの大きさがあり、ビッシリと文字らしき模様が彫り込まれている。模様がはっきり見えるように、ライティングを調整して複数枚に分けて撮影してあった。
「碑文か? 解読できれば、面白いだろうなれ
魚塚の言葉に、江坂も頷いた。
「ここで、議論しても、何も解決しない。魚塚は、地下空洞の構造を解析してみてほしい。江坂さんは、熱源を辿ってくれ。それから、石碑の画像を一枚に編集して、送ってくれ。今日のところは、ここで御開きだ。勤務に影響しないように、自室に戻りなさい」
「遺跡の中身は、僕たちが考えますから、スキッパーは、遺跡の調査に戻る口実を考えてください」
「わかったから、出て行きなさい」
村岡の強い口調に押し出されるように、二人は部屋を出て行った。
ドアが閉まった時、村岡は呟いた。
「無茶言いやがる」
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