伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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 通気口の中は、予想以上に狭苦しかった。ぎりぎり肩幅と同じ幅しかなく、高さも頭を上げられない程だった。中を流れる緩い風が、海のにおいを運んでくる。その中で、後退り、通気口の網を元に戻してから、ユカリの残り香を追って這い進んでいった。
 しかし、音を立てないように気を使いながら通気口の中を這い進むのは、思いの外、難しかった。靴が壁面を叩く音がするので足は使えず、引き摺るしかない。腕で進む訳だが、高さに余裕が無いので肘を使って進む事が出来ない。結局、両手を前に伸ばし、右手で左の側面、左手で右の側面を押さえて、芋虫のように体を引き寄せて進んだ。だが、一回に進めるのは十五センチ程度で、その割には両方の肩が疲れた。
 彼女の姿は、とっくに見えなくなっていた。水密隔壁があるので、通気口もそんなに遠くまで続いている筈はない。そう信じて、休まずに進み続けた。
 彼女が先に網を外した所まで来て、もぞもぞしながら床に降り立った。ほんの数メートル進んだだけだが、腕が満足に上がらない程、疲れていた。
 彼女はドアの脇に張り付いていたが、タッカの姿を見て通気口の下まで戻ってきた。
「遅いわよ。見つかったらどうするの」
 肩を揉むタッカに、声を潜めながらも彼女は非難の言葉を浴びせてきた。同時に、甘美な香りが鼻を衝いた。
「隙を見て走り抜けようと思ってたけど、無理みたいね。監視役が二人居るわ。二人がそろって余所見するのを待っていたら、明日になっちゃうわ」
 やれやれ、また通気口に戻るのかと、タッカは思った。
 思った通り、彼女は吸い込まれるように通気口に消えた。タッカも、その後に続いて通気口に体を入れると、元の通りに直すために網を引き寄せた。
 タッカが網のネジの一本目を締め始めた時、がちゃりと音がして扉が開いた。急いで顔を伏せると同時に網に掛けていた左手を引いて、右手の指先だけでネジを摘んで網を支えた。
 監視役の男がこの部屋の様子を見に来た事は、明らかだった。男は、テーブルと椅子しかない部屋を見回していたが、しばらくして鼻をヒクヒクさせ始めた。
 あっ!
 タッカは、心の中で叫んだ。彼女の残り香に、男が気付いたのだ。
 男は、通気口の下まで来ると、銃口で網を突付いた。ガシャンという音と共に、衝撃が、右手の指先に響いた。危うく指が滑りそうになったが、必死に指先に力を込めて、ネジを摘み続ける。
 早く部屋を出て行ってくれ。
 指先が痺れてきた。腕も引き攣りそうで、震えがきていた。そっと左手を右手に乗せ、震えを押さえつけた。
「へへへ、ここか」と言うと、また銃口で網を突き上げた。
 心臓が止まった。男の位置からは姿は一切見えない筈だが、網の異変に気付いて、タッカかユカリの存在に気付いたのかもしれない。手を上げて投降するべきか、このまま隠れて男が乱射する銃弾で蜂の巣になるか、タッカは迷った。だが、男は「ここか」とは言ったが、出てこいとは言っていない。
 じっと我慢して様子を見ていると、男は直ぐに部屋を出て行った。男は、隣室の女性を閉じ込めている部屋から女性の匂いが通気口を通して漂ってきていると、勘違いしたらしい。
 男が部屋を出た隙に網を固定するネジを止めて、ユカリの後を追った。
 暫く進むと、垂直の配管部に突き当たった。
「遅い。下に降りてきなさい」
 T字を横にした形の通気口は、下に降りようにも、体勢を整えるのが難しかった。一旦、通気口の上に向かって体を引き寄せ、体を右に左に捩りながら、苦労して垂直の通気口に体を入れた。今度は、両手両足で壁を突っ張りながら、ゆっくりと下に滑り落りて行った。
 これで、Iデッキの天井裏に出た事になる。
 そこでL字型にダクトは曲がっていたが、五十センチ程先にある網が既に外されていて、そこに足を投げ出すようにして床に降り立った。
 その場所は、廊下の真ん中だった。
 廊下の影でユカリが手招きしていたが、通気口の網が開いたままでは直ぐに居場所を知られてしまうので、急いで網を元に戻した。
「本当に遅いわね。今度遅れたら、置いて行くからね」
 そんな憎まれ口さえ気にしていらない程、腕や指先が痛んでいた。
 現在位置は、I三Rだろう。このデッキには、リフレッシュ用にジムやサウナ等があったが、とてもリフレッシュする気持ちにはなれない。この真上には、自動小銃を持った監視が二人居る。だから、上のデッキに繋がる階段まで来た時に、ユカリはそっと上の様子を伺った。そして、安全を確かめると、左舷側に走り抜けた。タッカも、それに続いた。
 I三Lで階段の下まで来た時に、ふと背後のエレベータに目が行った。その表示板から、エレベータがEデッキからFデッキに下りてくるところだった。タッカは、ぎょっとなった。階段は狭くて急だが、エレベータの真正面を一直線に登っている。
 タッカは、エレベータの表示を凝視し、いつでもHデッキに駆け上がれるように構えた。そして、足音がしないように靴を脱ぎ、靴紐で両方を繋ぎ合わせて首にかけた。
 エレベータの表示は、ゆっくりと進む。Fデッキに止まったのではないかと思うほど、表示は変わらなかったが、やがて表示はGデッキになり、Hデッキに下りた。今度こそ、止まったかと思われた。
 階段の真下に居る二人から、Hデッキを望める。逆に言えば、上からも見下ろせる。Hデッキで誰かが降りたなら、どこか物陰に身を隠さなければならない。身を隠す場所をさっと目で探した。
 一瞬の隙を突くかのように、ユカリが猛然と奪取してHデッキに駆け上がった。その意味を頭より先に体が理解し、エレベータの表示には目もくれずにHデッキに駆け上がった。階段を半分くらい上がった所で、下からエレベータの到着を知らせるチャイムが聞こえた。後ろを確認したい気持ちを押さえ、二段飛ばしで必死で駆け上がっていく。
 こんな時の時間が経つのは遅く、Hデッキも遠かった。段数はわずか十二段しかないのに、最後の一歩が遠くて仕方が無い。Hデッキに片足が届くと同時に、体を横に投げ出して、下の連中の視界から姿を隠すようにした。そして、息を止め気配を消した。
 Iデッキには、二人が下りてきた事が、連中の駄弁りで分かった。
 這うようにその場を離れると、急いでGデッキに駆け上がった。
 ユカリは、Fデッキに上がった所で立ち止まった。
「さっき、ここで誰か降りたみたいだから、気を付けてね」
「連中、ここから乗ってきたんじゃないのか」
「用心に超した事はないわ」
 彼女は、角毎にその先の様子を探りながら、進んでいく。後ろを警戒しながら、彼女のケツを追った。我ながら情けない情景だと、タッカは思った。
 船員の居住区は、長い真っ直ぐな廊下に対して十字に交差する短い廊下があり、その廊下の左右に四室ずつ部屋が並んでいる。それを十字毎に安全を確認しながら、先へ進んでいく。
 F三LブロックからF四Lブロックに入った最初の十字路に身を潜めて、先の様子を伺っている時、次の十字路に人の気配を感じたらしく、彼女は少し体を下げた。ほとんど同時に、背後の船員居室の一つのドアノブが動いた。タッカは、彼女を抱えて別の部屋に飛び込んで隠れた。
「誰か残っていないか、全ての部屋を確認しているのね」
「ここは終わったのかな」
「隙を見て飛び出すわよ」
 彼女は、ほんの少しだけ扉を開け、外の様子を覗っていた。そして、風のように廊下に飛び出し、音も無く走り去った。余りの素早さに、タッカは一緒に飛び出すタイミングを失った。仕方なく、また扉を薄く開け、外の様子を探った。
 男は、タッカの居る部屋の方に近付いてきていた。彼女が出て行った時の気配を感じたのだろうか。それとも、タッカが開けた扉に気付いたのか。
 部屋の中に隠れるところを探した。しかし、畳二枚分程度の狭い居室には、目の高さにあるベッドと、その下の机と収納、そして狭い部屋には似合わない大きな書棚があるだけだった。最後に残った扉の陰に隠れた。運良く、奴が銃を先に見せたら、銃を奪い取ろうと、構えた。
 足音が聞こえてきた。扉の直ぐ前まで来ているのが、足音で分かった。息を殺して、奴が扉を開けるのを待った。心臓の鼓動が、奴に聞こえそうなくらいばくばくと打ち続けた。
 ところが、男は扉の前で立ち止まると、すっと扉を閉めてしまった。そして、大きな足音を立てて立ち去った。暫く様子を見たが、先に出た彼女が心配になり、タッカは中腰になって、そっと扉を開けた。その途端、扉は勢い良く全開になった。
 最初は何が起こったのか、さっぱりわからなかった。扉が勝手に開く筈はない。何事かと見上げると、男が目の前に銃を構えて立っていた。
 手を上げ、恐る恐る立ち上がった。これで、男が銃を降ろしてくれる事を期待したのだが、男は今にも引き金を引きそうな雰囲気のままだった。本気だろうかと訝りながら、タッカはゆっくりと後退った。
 不意に、やつは横を向いた。そして、慌てて銃をそちらに向けようとした。
 チャンスだった。
 銃身を両手で鷲掴みにして、銃口を斜め上に逸らしながら、思いっきり押した。銃尻は、男の右肩に食い込んだ。だが、それよりもずっと早く、ユカリの足刀が男の首を捕らえていた。男は、呆気なく崩れ落ちた。
「部屋に引き入れて、ベッドに寝かせて」
 彼女の指示通りに、男を部屋の中まで引き摺った。態勢を立て直すと、男を肩に担ぎ、二段ベッドの上段と同じくらいの高さのベッドに頭から押し込んだ。
「それを置いていくのか?」
 彼女は、男が持っていた銃を、態々に男の手に握らせていた。
「貴方はダイハードをしたいの? それとも鉄腕を助けたいの?」
 答えられなかった。
「銃を持って行っても、人を殺す事以外に使い道はないのよ。人殺しをしたいの?」
 護身用にと安易に考えていたタッカは、ショックを受けた。
 彼女が言う通り、相手を殺す事しか出来ない道具で護身するという事は、人殺しをして自分だけ助かろうとする事だと、思い知らされた。それ以上に、銃を持っているもの同士が出会えば、威嚇無しに撃ち合う事にもなる。それこそ護身のために。
「急ぎましょ」
 彼女は、男のポケットからトランシーバを抜き取ると、スイッチを切って机の上に丁寧に置いた。そして、さっきと同じ様に、風の如き素早さで部屋を出た。

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「船長! よく御無事で」
 紳士は、この事態にも動じる様子も無く、部屋に入ってきた。彼が部屋の中程まで進んだところで、会議室のドアは閉じられた。
 部屋に居た全員が、船長の周りに幾重もの輪を作った。
「全員、怪我はないか?」
 誰よりも早く、船長はその言葉を口にした。顔はタッカ達に向けられていたが、実際には、船長は部下に向かって言っていた。その毅然とした面持ちは、経験した事も無いこの局面に立ち向かおうとする気概と、部下を思い遣る優しさが滲み出ていた。
「全員、全くの無傷です」
 タッカは、他の三人と顔を見合わせ、微笑んだ。
「私達も、ユカリが抵抗しないように指示を出したので、誰も怪我をしないで済んだ。連中も、抵抗しないと紳士的に振る舞うんだ」
 紳士は言い過ぎだが、直ぐに暴力に訴えるような事はなく、身の危険はほとんど感じなかった。
「妙な連中だな」
 ぼそりと、船長はこぼした。
 タッカも、頷いた。
 環境保護団体P.A.E.だと名乗っているが、武装していること自体、環境保護団体らしくない。かといって、海賊にしては統率が取れている。訓練が行き届いている感じなのだ。その点では軍隊的だが、軍であれ、海賊であれ、この船を制圧する理由が見当たらない。
「連中は、いったい何が目的で、この船を押さえたんでしょうか?」
 何か気付いた事があるんじゃないかと、船長に疑問をぶつけてみた。
「それが、妙な事を言ってるんだよ。なんでも、この近くに船が沈んでいるので、サルベージしろと言うだ」
 意味が分からなかった。
「その何処が妙なんですか?」
 船長も、困惑した表情を浮かべた。
「連中は、その船を私達がサルベージしていたと、思っているようだ。海底基地で事故があってその救出作業中だと言ったが、納得しない」
 連中は、何かを勘違いしているのだろう。でも、いったい何を勘違いしているのだろう。それに、船とはどんな船の事なんだろう。
「その船については、何か言っていましたか?」
 船長は、小さく首を振った。
「何も。それに、この船ではサルベージできないと船の装備を説明したら、あっさり引き下がった。いや。むしろ、サルベージできない事に満足したようだった。そこが妙なんだ」
 サルベージしろと言っておいて、できないと知ると満足そうな表情を見せるとは、いったいどういう事なんだろう。
 さっぱり訳が分からない。
「ところで、下はどんな様子なんですか?」
 具体的な状況は、何も知らされていなかった。
「かなり厳しい状況だな。電源と酸素は大丈夫らしいが、水酸化リチウムのタンクが損傷しているのか、二酸化炭素濃度が上がり始めているらしい。ただ、それ以上の詳細な情報は、奴等が乗り込んできたので途絶してしまった」
 水酸化リチウムは、二酸化炭素を吸い取るために使う物質だ。それが被害を受けたのなら、酸素欠乏になる前に二酸化炭素中毒の危険性が高まるだろう。
「で、どうやって救助する予定ですか? 方法はありますか?」
 冷静さを維持する事に努めながら、船長に聞いた。
「なんとか緊急浮上してくれれば、前甲板のクレーンで釣り上げる事が出来るが、今もって緊急浮上してこないところをみると、緊急浮上システムにも障害が発生しているのだろう。こちらが切断したアンビリカルケーブルが海底基地に二次被害をもたらしてしまったのが、影響しているらしい。兎に角、下と連絡を取りたいのだが」
 船長の眉間の皺が、深くなった。
 彼が命じて切断したアンビリカルケーブルが二次被害をもたらした事を、彼は後悔しているのだろう。だが、クレーンの破壊されようを見ると、ケーブルを切った判断は間違っていなかったと思う。
「大型クレーンで、水中エレベータは下ろせないのですか?」
 素人考えだと思いながらも、聞いてみた。
「水中エレベータのアンビリカルケーブルの始末が出来ないので、無理だ。何せ、千メートル以上もあるからな」
「そうなると、海底基地に留まり、少しでも延命してもらうしかないですね」
 船長が、顔をしかめた。彼の手は、胃の辺りに行った。
「そのためには、なんとしてでも、この船の指揮権を取り戻さなければならない」
「でも、ユカリが抵抗するなと言った理由も、考えないと。彼等は、相当に訓練を積んでいます。安易に抵抗すれば、大きな人的被害が出ると思います。そうなったら、下の救出作戦どころではありません」
「わかっている。だから、何もできない。何もできない事が歯痒いんだ」
 船長は、自らの焦燥を吐露した。その気持ちが、タッカにも痛いほど分かった。
 この船を奪還する方法を考えなければならない。
 まずは、連中の人数と携行武器、配置を知る必要がある。出来る事なら、この部屋を抜け出して、状況を把握した上で、全員で一気に行動を起こしたい。統制の取れた相手には、しっかりした作戦と彼等以上の統制で対処する必要がある。
 タッカは、入り口の扉まで行き、耳を澄ませて外の様子を探ろうとした。直ぐに、扉の脇に監視が二人以上居る事を、彼等の会話から知った。
 扉は鍵が無いので、監視をぶちのめしてここを出る事は出来るだろう。だが、一度しか使えない手だ。一度使えば、後戻りはできない。船を奪還するまで、突き進むしかない。しかし、彼等の武装や配置を知らずに丸腰の人間が事を起こしても、飛んで火に煎る夏の虫となってしまう。
 確実に勝てる作戦を立て、全員でここを出る時まで、その手は使いたくない。
 タッカは、他の脱出場所を探す事にした。出入り口はそこしかないし、窓も無い。床にも、メンテナンスハッチは無い。空調ダクトは利用できないだろうかと、天井の通気口を見上げた。
 通気口を見る限り、狭くて入れるかどうか、難しいところだ。しかも、中は暗く、中が広いかどうか等、何もわからなかった。天井が低いのが幸いし、手が届く。網を外したら、脱出口として使えるかどうか、わかるだろう。
 そう思って、通気口に手を伸ばしかけた時、そこに「にぃっ」と笑う人の顔が出てきた。全身の毛穴が、きゅっと締まる感じがした。きっと、鳥肌が立っていただろう。体が凍り付き、視線を外す事さえ出来ずに通気口を凝視し続けた。
 すると、通気口の網が音も無く開き、ユカリの笑う顔が出てきた。
 ユカリは、クノイチのような軽い身のこなしで、天井の通気口から下りてきた。
「逃げてきたのかい」と、声を潜めて聞いた。
「これから逃げるのよ。鉄腕達を助けるには、このままじゃどうしようもないでしょう。取り敢えず、S-2Rまで行って、下と連絡を取ってみましょう。S-2Rは、大丈夫なんでしょう?」
 機体から降ろされた時、連中も一緒に離れた。誰も機体には残らなかったし、爆破する様子もなかった。
「大丈夫だと思うよ。でも、どうやって?」
「あれを使うのよ」と、ユカリは通気口を指差した。
「ユカリは細いから大丈夫だろうが、俺には苦しそうだな」
 体型は細い方だが、百八十五センチの身長があるから、肩幅は狭くない。
「大丈夫よ。隣の部屋まで行ければいいだけから。ただ、私と一緒に行くのは、貴方だけよ。一人くらい居なくなっても気付かれないけど、二人、三人になったら危ないわ」
「ちょっと待ちなさい」と、船長が割って入った。
「ここより二つ上のデッキに、舷門がある。そこから海に飛び込めば、S-2R泳いで行けるだろう」
「舷門を開けっ放しにしたら、誰かが逃げた事がバレてしまうわ。後部甲板の下から海に入りたいから、見つからずに行く方法は無いかしら」
「かなり遠いが、いいのか?」と言いながら、船長は指で床に絵を書き始めた。
「この船は、船橋のBデッキから船底のIデッキまである。船首から船尾までは、水密横隔壁で一ブロックから九ブロックに分かれている。更に、三ブロックから八ブロックまでは、水密縦隔壁で左右に分かれている。船橋は、三ブロックのBデッキだ。今いる所は、ここ。H三R、つまり船底の一つ上、船橋の真下で右舷側だ。
 ユカリの言う場所はF九だから、二デッキ上の六ブロック後ろ。かなり離れているぞ。水密隔壁はFデッキまで届いているが、Fデッキは水密ハッチで通り抜けられる。一般商船じゃないから、機関室のハッチも施錠していない。水密縦隔壁を通り抜けるハッチは、Iデッキにある」
 彼女は、頷いた。
「じゃあ、Fデッキまで上がって、機関室を抜けていけばいいのですね」
 船長は、指先を左右に振って、彼女が思っているほど簡単ではない事を示した。
「F三からF四は、船員の居室になっている。F五は食品庫、F六は機関室の最上部だ。F七は高圧タンク室で、水素と酸素の高圧タンクが並んでいる。F八は、倉庫と資料保管庫になっている。機関室まで行くにもかなりあるし、一直線の廊下だから見通しが良すぎる」
 かなりの距離だ。この間を見付からずに通り抜けるのは、簡単ではなさそうだ。
「機関室から、シャフトトンネルを通って、F9へ行けませんか?」
「本船はディーゼルエレクトリック船で、ダクトスクリュー内にモーターが組み込まれているから、機関室からスクリューまでのシャフトトンネルは無い。残念だが、抜け道は無いよ。表通りを行くしかない」
 彼女は、沈黙した。
「Fデッキを駆け抜けるしかないわね」と言うと、すくっと立ち上がった。
「さあ、行きましょう」
 タッカが肯くのを確認すると、ユカリは通気口に飛び付き、ぶら下がった。軽く体を前後に揺すると、蹴上がりの要領であっさりと通気口に姿を消した。タッカは、長身を利して直接通気口に手を掛け、ジャンプして潜り込んだ。

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