伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  アクアシティ

 フロリダ半島のセントピーターズバーグから西へ百キロのメキシコ湾、上空四千フィート。
 フロリダ半島の方から昇り始めた太陽が、青空を明るくしていた。快晴の空の色を映し込んだ真っ青な洋上には、こんな早朝にも関わらず、変わった形の数隻の漁船が、自動化された漁獲装置で、操業をしている。
 この辺りの海域は、半径五十海里にわたって、海洋牧場の実証実験場に指定されている。その中央に、海上都市、アクアシティが浮かんでいる。
 アクアシティは、千メートル四方の四角い浮体構造物が、田の字型に四ブロック並んでいる。四ブロック目は、まだ工事中だが、浮体部分は、既に完成しているようだ。これが完成すると、人口五万人の海上都市が生まれる。
(ここが、俺の家だ)
 タッカは、この特徴的な建造物を空から見る度に、そう思うのだった。
 特に、今回のような長距離を飛んできた際には、ここの海は、タッカを和ませた。今回の勤務では、一週間に、四万キロ近い飛行をこなした。そして、昨夜、ホノルル空港を飛び立ち、九時間に及ぶ最後の飛行の末、漸く帰ってきた。
 タッカは、機をアクアシティに向け、最終の着水態勢に向けて、飛ばした。
 アクアシティの白く巨大な構造物が、進入路の右手に見える。近付くにつれ、巨大さを増し、右側面の窓一杯に広がる。数百本の円筒柱で海面上十五メートルの高さに支持された構造物は、さしずめ、巨大なICチップのように見える。
「AAL一一三便。着水を許可する。滑水路は、31を使用の事。波高、二フィート」
 機長が、着水許可を取ったので、このまま俺の操縦で着水させてくれるのだろうと、タッカは思っていた。波高も二フィートしかなく、技術的には、何ら難しいところはなかった。
 だが、機長席から、操縦を替わるように、声が掛かった。
「I have control」
「You have control」
 タッカは、機長が操縦輪を握った事を確認し、そっと手を放した。
 本名は、高木 大。
 だけど、親友の鉄腕が呼び習わした「タッカ」の方が、ここでも通用した。
「着水時のランディングチェック」
 チェックリストを開いた。
「ランディングモードスイッチ」
「モードスイッチ、マリン、OK」
 タッカが乗る機体、S-2は、水陸両用ジェット飛行艇だ。陸上に着陸する事も、海上に着水する事もできる。着陸と着水では、操作が異なる。そのため、それをバックアップし、誤操作時に警報を鳴らして知らせるコンピュータのモードを、着陸時と着水時では切り替える必要がある。モードスイッチは、チェックリストの冒頭にある。
 タッカは、モードスイッチを着水モードに切り替えた。
 機長は、フラップ角を指示し、それを復唱しながら、フラップを下げていく。
「APU、始動」
 これからが、S-2の着水の本番だ。世界に四機種しかない、補助動力を使用する高揚力装置が、仕事を始める。
 タッカが、APUの起動スイッチをオンにした。間も無く、APUの運転ランプがグリーンになった。通常機と異なり、S-2は、滞空中にAPUを起動する。S-2のAPUは、BLC用の高圧空気を作る役割を兼ねるためだ。
「APU始動、OK。出力制御モード、オート」
 機長の指示は続く。
「ASE、オン」
「ASE、オン、OK」
 S-2シリーズは、ASE(自動安定装置)を装備し、超低速時の水平尾翼と垂直尾翼の舵の利きを維持している。これの作動状態は、重要だ。そして、もう一つのアイテムが、推力自動制御装置だ。
「フラップ四〇、BLC、オン」
「推力自動制御装置がオフですが」
 BLC(境界層制御)をオンにした際に、抵抗が急激に大きくなるので、これを自動制御する推力自動制御装置が備えられている。それが、オフなのだ。
「オフの方が、やり易い」
 機長は、皆、そう言うのだ。
 実際には、BLCをオンにすると、抵抗が増えるだけでなく、バックサイドと呼ばれる通常の航空機が使用できない特殊な空力特性域を使って操縦するので、スロットル操作が非常に難しくなる。
 バックサイド領域は、速度が落ちるほど推力を必要とするようになる。この領域では、スロットルを一定にしていると、どんどん加速するか、どんどん減速して失速するかのどちらかである。常にスロットルを調整していないと、真っ当に飛ぶ事さえできない。だから、パイロットの負担を減らすために、推力自動制御装置が備えられている。
 だが、タッカの知る範囲の機長は、装置を信頼できないのか、それとも腕に覚えがあるのか、誰もが、オフのまま着水するのだ。
 通常の固定翼機とは異なり、S-2シリーズのフラップレバーは、四十度の所にクランクゲートがある。零度から四十度まで縦に操作する点は、通常の固定翼機と同じだが、S-2は、四十度で右にクランクが切られていて、更に、そこから下へ八十度まで、フラップを下げられる。
 タッカは、フラップレバーを四十度で右に寄せて、BLCをオンにした。
「BLCオン、OK」
 タッカがそう言うと、機長は軽く操縦輪を引き、バックサイド領域に入れた。直ぐ様、右手がスロットルレバーを押し込み、パワーを入れる。
 機長は、右手で微妙なスロットル操作をしながら、左手一本で、S-2C水陸両用飛行艇を操る。タッカに残された仕事は、フラップを八十度まで順次下ろす事と、対水面平均高度を読み上げるくらいになった。
 慣れたもので、「五十ノット」と速度計を読んだのと、機長が指定された滑水路に着水させたは、ほとんど同時だった。
 この辺りは、エアフェンスが張り巡らされている関係で、波はほとんど立たない。波高三メートル以上でも着水できるS-2の着水性能をもってすれば、ここの波は無いに等しかった。
 機体が滑水路から誘導水路に移ると、機長は、またタッカに操縦を任せた。その理由は気付いていたが、仕方ないと諦めた。
 手が空いた機長は、気楽に話し掛けてきた。
「ユカリは、凄いな。機長への昇格が決まったよ。俺はなぁ、彼女の事を、周りが天才、天才と囃し立ててるだけで、社長令嬢という親の七光りだと思っていた」
 機長は、外に注意を払いながら、タッカを見た。
 S-2の機長になるには、平均で十四年、最短でも十年のキャリアが必要だ。それを、彼女は八年足らずでやってのけた。いくつもの特例をクリアし、彼女の強い立場も利用しての最短記録だった。
「ところが、一緒に飛んでみると、人間的にもジェントルと言うか、レディと言うか、高慢さとは無縁の好人物だった。昇格審査の時に彼女の能力の詳細なデータを見たが、頭脳や運動能力は、タッカよ、お前以外に敵うものは居ないと思ったね」
 鉄腕が付けたタッカのニックネームが、ここアクアシティで通用するようになったのは、ユカリのせいだ。今では、アクアシティ内なら、どこでもタッカで通じる。
 そのアクアシティは、沢木会長が、各国政府に働き掛けていた海洋牧場計画に唯一賛同したアメリカ政府の協力を得て、私財を投じて建設した。ユカリは、沢木会長の孫娘である。彼女の父も、社長として、辣腕をふるっている。
 その彼女とは、パイロットの同期生に当たる。
「腕前なんか、俺以上かもしれん。一度、波高十フィートで着水させてみたが、波の読み方なんかは天才的だった」
 ユカリが天才だなんて、十年前から知っている。
 彼女に出会うまでは、タッカ自身、天才じゃないかと思っていた。
 頭脳明晰、スポーツ万能。
 五十メートル走も、一番早かった。遠投も、一番遠くまで投げた。リトルリーグでは、エースで四番だった。甲子園、甲子園と、周囲に騒がれるのが嫌で、高校ではバレーボールに転向したが、一年からレギュラーで、攻撃の軸に当たるセンタープレーヤーを任された。
 どちらかと言えば理数系を得意にしていたが、中学校までは、苦手な科目を含めて、テストで百点でなかったのは数えるほどだ。通知票は、いつでも最高の評価だった。担任は、「成績が良すぎて、通知票を点けるのに頭を悩まされています」と、母に言ったそうだ。
 何をやっても一番じゃなかった事は無い。唯一、腕相撲だけは鉄腕に一番を譲った。
 ところが、高校一年の九月、ユカリが編入してきた途端、スポーツ以外の総ての一番を彼女に奪われた。いや、男女の体力差を考えると、スポーツも完全に負けていた。
 本物の天才とはこういうものなのだと、彼女に思い知らされた。
「タッカ。同期に先を越されたわけだが、焦るなよ。ユカリは例外だ。ユカリ以外じゃ、俺はお前が一番だと思ってる。もう少し経験を積んだら、俺が機長に推薦してやる。お前は、いいセンスを持っている。頑張れよ」
 誉められたのだから、喜ぶべきなのだろうが、タッカは、素直になれなかった。
「彼女は、潜水艇でも艇長の資格を得たんですよ。もちろん、史上最年少。水上船舶は、とおの昔に船長ですから。そして、今度は俺の専門分野でも先を越していきました」
「お前も、とんでもないのをライバルにしたものだな」
 機長は、カラカラと笑った。
 アクアシティの空港は、四基のブロックの中の西ブロックにある。西ブロックの西角がオープンデッキになっていて、空港として使用されている。駐機スポットは六基しかない小さな空港だが、世界で唯一の飛行艇専用空港だ。また、世界で唯一の浮体構造の空港でもある。
 タッカは、長い長いスロープからデッキへと機体を登らせ、真水のシャワーで機体を洗浄した後、指定の貨物用スポットに停止させた。

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  海と空が描く三角

  プロローグ

 艦長は、エジプト軍になったような気がしていた。
 艦首が切り裂いた波飛沫が、艦橋の窓を激しく叩いた。窓枠が曲がるのではないかと思うほどの衝撃が、艦橋を揺さぶる。飛沫の水煙が晴れる頃には、艦首が次の波に突っ込み、新しい飛沫を上げている。飛沫は、再び強い風に煽られ、加速しながら艦橋に向かって飛んできた。
 艦は、波と波の谷間に落ち込み、見通しが利かなくなるかと思えば、次の瞬間には、波頭に乗り上げ、高い塔の上にいるような気分にもなる。
 艦首が波に突っ込むのは、波頭を乗り越えた直後だ。艦全体を震わせて、モーゼの如く海を切り裂く。艦長がエジプト軍になったような気持ちになるのは、艦首が切り裂いた波飛沫が、自分の立つ艦橋に弾丸のように降り注ぐこの時だった。
「艦長。このまま、ハリケーン・インディアナと進みますか?」
 艦長は、両足をしっかり踏ん張り、前方を見据えて立っていた。
「そうしよう。どうしても、P・A・Eをまく必要がある」
 艦長の苦々しそうな顔が、環境保護団体P・A・Eのしつこさを物語っている。
「この艦が、未処理の廃棄核弾頭を満載している事を知られないためには、港に入る前に振り切らねばならない。で、奴等は、付いて来てるのか?」
 艦体に強い動揺が伝わり、大きく横に傾いたが、直ぐに復原した。二人は、手近な手摺に掴り、体を支えた。
「いえ、間も無く、レーダー圏外に離脱します。流石に、この大嵐では、付いて来れないようです」
 この嵐の中では、艦体は、直立する事はない。常にピッチングとローリングを繰返し、時には、横波に煽られてヨーイングも起こした。これでも、波に立てる操艦をしているので、いくらか揺れを押さえる事に成功している筈だ。
「ハリケーン・インディアナだったか。天の恵みというべきかもしれんな」
 どうしても振り切る事ができなかったP・A・Eの監視船は、ハリケーン接近と同時に離れていった。これを、「天の恵み」を言わず、何と言おうか。
 しかし、この荒天では、乗組員の中にも、船酔いでベッドから出られない者が、少なからず居た。軍務に就いている水兵が、この有り様ではと思う気持ちもあるが、ハリケーンの真っ只中で、船に酔うなという方が、酷なのかもしれない。
 ただ、乗組員がこの調子では、この艦の本来の性能を引き出す事は難しいかもしれないと、艦長は危惧していた。
 艦長は、目の前の海象に一瞬躊躇したが、新たな決断を下した。
「よし、レーダー圏外に離脱すると同時に、進路を二時に変える。奴等が追いつく前に、港に入るぞ」
 再び、大きな横揺れが、艦を襲った。艦は、身震いしながら、元の姿勢に復元していく。軍艦は、一般商船に比べて、復元力が大きく設計されている。この艦も、輸送艦とはいえ、復元力は大きく設計されていた。しかし、復元力の大きな船の類に漏れず、揺れが酷く、特に、この荒天では、木の葉のように波に揉まれるのだった。
「ですが、ハリケーンの中心付近を通り抜ける事になりますが」
「大丈夫だ。この程度の嵐なら、過去にも経験がある」
 艦長は、不敵な笑みを浮かべた。
「奴等は、我々がこの嵐を利用して、北へ遁走したと思うだろう。まさか、中心を突っ切って、ハリケーンの東側に抜けたとは思うまい。だから、奴等が、我々を発見する頃には、我々は、荷物を降ろして、再び出港しているってわけだ。どこで、荷物を降ろしたのか、誰にも分からないさ」
 艦長は、この艦での航海は、初めてだった。それでも、新造艦である、この艦の中では、もっとも経験が豊富だった。
 二人は、大きくピッチングとローリングを繰り返す艦を、頼もしそうに見詰めた。
 この艦は、廃棄核弾頭や、処理済みの核弾頭を輸送するために、海軍が造った新造輸送艦だった。外観には、一般商船との違いはほとんど無いが、各所に武器を装備し、テロリストに対峙できるようになっていた。
 原子力潜水艦のサブロックから取り外した廃棄核弾頭を、パールハーバーから本土の書く処理施設へ輸送するのが、今回の任務だ。だが、どこで機密が漏れたのか、軍港出港の翌日から、環境保護団体P・A・Eの監視船の追跡を受け始めた。おまけに、太平洋上では、振り切る事ができなかった。
 帰港した際には、報告書にこの旨を詳細に記載し、漏洩ルートの徹底的な捜査を要求しなければならない。
 だが、今回は、ハリケーン・インディアナを利用して、振り切れそうだ。ハリケーンに遭遇したのは、ラッキーだったと言うべきだろう。
 四十分後、艦は、二時の方角へ、転進を始めた。
 二十四時間後、海軍の哨戒機は、この海域を繰り返し低空で通過した。そして、連絡を絶った核燃料輸送艦と、その乗組員を、必死に捜索した。

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