伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  15

 頭上には、厚さ二百メートル以上もの水塊が乗っている。その重みを、『うりゅう』はまともに受け止めている。
 『うりゅう』は、内圧を水圧と同等になるまで昇圧して使用するのが基本だ。別府湾に残っていれば、今頃は、ヘリウム分圧四.八の酸素、窒素、ヘリウム混合気で、飽和潜水状態になっていたはずだ。
 『うりゅう』は、内臓タンクにヘリウムを搭載している。これで加圧できるのは、五気圧までだ。最大では、五百メートルでの活動まで想定される『うりゅう』だが、その際に使用するヘリウム分圧五十一.五気圧分のヘリウムは、外部から供給する必要がある。
 ここなら、二十二気圧分くらいのヘリウムが必要になる。必要量の二十三パーセントしか、持ち合わせがない。
 こんな制約が無ければ、村岡は、この場所で飽和潜水への移行を命じていたかもしれない。
 瓜生が撮影してきた映像に映っていたのは、遺跡以外の何物でもなかった。
 水中の透明度は、それほど高くはない。視程は、二十メートル余りでしかない。しかし、俯瞰する位置から撮影された映像は極めて鮮明で、目にしているものが疑いようのない事実であることを教えてくれる。
 水深二百メートル余りの海底に、石造りの街の遺構が横たわっているなんて、予想もしなかった。
 海底に没して遺跡となってしまった後、この存在を知り、実物を初めて目にする人類が我々であるは間違いない。同時に、歴史に残る大発見であることに疑いを挟む余地はない。
 『うりゅう』の前方にある海底遺構は、それだけの意味がある。
 全体の広さは、まだ分からない。D1で出掛けた鮎田と小和田が戻ってくるまで、概要さえ見えてこない。
 魚塚は、F1を独占し、なにやら調査を始めている。
 F1は、完全に自立作業もできるが、通常は有線で使用する。水中での通信手段は音波だが、作業機械であるF1は、自らの騒音で、通信に外乱を与える。だから、有線での使用が多くなると予想されている。念のため、魚塚には、有線で使用するように釘を刺しておいた。
 ロックエンジニアの魚塚のことだから、地質や地下の構造を調べようとしている可能性がある。
 江坂は、A1の使用許可を求めてきた。F1とは異なり、有線での運用が一切できない。基本は、当初のプログラムに従い、自律制御で運用する。但し、帰還時のドッキングでは、『うりゅう』とA1の位置あわせのために、相互にソナーで位置確認を行う。それに、A1は、『うりゅう』が発するトランスポンダーの信号を受け取れなくなった時点で、帰還モードに入る。だから、A1を運用する際は、最初から最後までソナーとトランスポンダーが海中に鳴り響くことになる。
 A1の使用は、流石に許可することはできなかった。
 江坂は、瓜生のサポートでG1を使用することで納得した。限られた時間の中で、彼がどんな仕事をしてくるのか、楽しみだし、期待もできる。彼は、D1に乗り込む直前の小和田を捕まえ、何やら相談をしていた。役割分担を明確にしたかったのだろう。
 彼らの連携作業の結果が待ち遠しい。
 唯一の心配事は、彼らがいつ『うりゅう』に戻ってくる気になるかだ。
 瓜生は、江坂のバックアップが一段落したので、磁気計や重力計のデータを集めたり、一つ前のレーンを航行した際のデータから、海底遺構の兆候を探したりと、彼が苦手とする分野だが、時間を惜しんで作業している。
 海底遺構の調査に奔走する中、浦橋には、鮎田がまとめかけていた事故調査資料の仕上げを命じた。
 村岡は、事故を起こした『うりゅう』の安全確認と、今後の調査方法の検討に、頭を悩ました。


 三十分後、井本がやってきた。
 まだ、鮎田達も、江坂も、戻ってきていない。
 鮎田には、航路の安全確認と言う口実がある。だが、江坂には無い。
 井本にせよ、松井にせよ、江坂が居ないことに気付いたら、色々と言ってくるだろう。その際の言い訳と時間稼ぎには、苦労させられそうだ。
 右舷の指揮所に指揮所に入ってきた井本は、辺りを見回した。
「みんな出払ってるのね」
 嫌味にも取れるが、真っ当に受けることにした。
「それぞれに点検と安全確保に出ている」
 D1とG1が、『うりゅう』を離れていることは、装置管理サーバーに接続さえすれば、艇内のどこからでも確認できる。井本も、D1とG1が出ていることを知っている可能性があるので、無理に隠さなかった。
 右舷の指揮所の中には、村岡以外には魚塚しか居ない。左舷の指揮所がテリトリーの浦橋は、そこにいるはずだった。瓜生は、G1用ハッチの脇で、タブレットを開いているはずだ。
「なぜ、この事故が起こったのか、浦橋さんから見せていただいたわ」
 上手いな。
 浦橋が、井本に通じているなら、上手いタイミングだ。村岡たちにとっては早過ぎず、井本にとっても遅過ぎることはない。
 鮎田のレポートを引き継いで仕上げるためには、一時間くらいかかると思っていたが、浦橋は無駄な部分を思い切り捨ててまとめたのだろう。まとめたレポートを手に、井本に海底神殿の調査を行っていることをちくったのだろう。
 浦橋が、レポートを持って行かずに、かつ、井本ではなく松井に告げていたら、調査に出かける前にストップが掛かっていただろう。
 浦橋は、どちらの側についているのか、村岡にも判断がつかない。三十分という時間は、村岡が最低目標として掲げたものだ。その時間を、浦橋は確保したとも言える。井本にとって、浦橋が内通者だと知られないためには、村岡に会いに来るための口実が必要だ。それが、事故レポートだとすると、どうしても事故レポートを完成させる必要がある。
 こう考えると、驚くべき短時間で事故レポートをまとめた浦橋の行動は、一刻も早く井本にこのことを伝え、ミサイル探査に戻るように促すためとも思える。
 逆に、浦橋が村岡側についているなら、井本を裏切っていないと思わせるための事故レポートであり、ぎりぎりの三十分だ。
「鮎田さんは、航路確認出ているそうね」
「それも、レポートに書いてありましたか?」
「サーバーに保存してあったので、あなたも見たと思っていたわ」
 秒オーダーだが、時間稼ぎになる。そう思って、手近の端末についた。頭の切れる彼女なら、ここで釘を刺すだろうとわかっていたが、慌てずにゆっくり目に座った。
 彼女が一言も発しないのに違和感を感じながら、端末を操作し、レポートのファイルを開いた。
 三十分でまとめたとは思えないほど、ボリュームのあるレポートだった。目を通すだけでも、二、三分かかった。その間も、彼女は黙って待っていた。
 内容的には、事故の直接の原因が、未知の海底遺跡の石垣の崩壊部分にケーブルを引っ掛けたためであることを軸に、物理的要因と心的要因が書かれていた。
 更に、今後の方策では、海底遺跡が今後のミサイル探査に与える影響を推定し、航路選定に時間を取る必要があることと、ミサイル探査そのものも時間的な余裕を確保する必要性を説いていた。
 けちの付け所が無い内容だ。村岡の本音も書き込まれている。
 ここが海底遺構であることは、井本らに伏せてきたが、このレポートを読めば、誰でも明確に理解できる。この点では、浦田に文句を言いたいところだ。
「このレポートには、驚いたわ。まさか、こんな場所に遺跡が眠っているなんて、思いもしなかったわ」
「鮎田と小和田には、航路確認に出てもらっている。この遺跡の規模が分からないので、航路の確認にどれくらいの時間がかかるか分からない」
「その間に、江坂さんを遺跡調査に出したのでしょ」
 逆らっても逆効果だと考え、沈黙で肯定した。
「いつ、再開できるのかしら」
「鮎田が帰還し、その報告を受けて判断する」
「随分、無計画なのね」
「それが、僕の取り柄なのでね」
「直ぐに呼び戻せ」と松井が切れた。
「いいよ。水中電話の許可が出るなら」
 松井が、言い返せなくて、やり場の無い怒りに顔を赤らめた。
「レポートの内容を、もっと正確に読み取ってほしいね。あと、鮎田が戻ってきたら報告するよ。ミサイル探査計画の修正が必要になるだろうからね」
「タイムスケジュールを出しなさい。D1は兎も角、G1の航続時間は、精々四時間よね。まさか、ぎりぎりまで出歩かないでしょ。二時間後には、出発します。それまでに、捜索手法を含めた捜索計画と、発見時の引き上げ計画を策定しなさい」
「井本さん、ここまでは黙って聞いていましたが、二時間も待つなんてできませんよ。直ちに、捜索に戻るべきです」
 三名の乗組員を見捨てて行けと言うのか。
 怒りより、呆れてしまう。こんな無計画無鉄砲だから、過去のミサイル捜索は失敗したのかもと、村岡は思った。
 同時に、こんな考え方しかできない奴は、どうにでも扱えると考えた。
「松井さん、よく言った。鮎田たちを置いていくと、彼らは電力や酸素がなくなる前に浮上して、救難信号を出す。そうすれば、『うりゅう』がここでミサイル捜索をしていることが公になる。その覚悟ができているから、当然、今までのようなパッシブソナー的な捜索をする必要は無くなり、アクティブソナーで大々的に捜索することになる。
 君がそこまでの決断をしてくれたのなら、捜索計画を見直し、あっと言う間にミサイルを見つけることができて、全ては丸く収まる。
 よく決断してくれた」
 アクティブソナーに話が及び、松井は慌てた。助けを求めるように、井本を見た。
「松井さん。直ぐに出発するか、それとも二時間待つか、あなたの決断に従うわ。隠密捜索は、防衛省の要求ですもの。あたしには、決定権の無い部分よ」
 井本は、冷たいことを言う。松井の困った顔は、見物だった。
「分かった。二時間後に出発する。二時間経過後、D1とG1が未帰還の場合、置いて行く。村岡スキッパーは、隠密行動を害さない範囲で、いかなる手段を用いてでも、二時間後の出発を堅守すること。以上だ」
 二時間の時間を確保できたが、逆に、松井の決意を固めさせた。
 二人が立ち去った後の指揮所で頭を抱え込んだのは、村岡だった。
 松井は、二時間後までに鮎田たちが戻らなかったら、そのままミサイル捜索を再開させる覚悟でいる。
 村岡は、瓜生の所に足を運んだ。
「江坂さんは、出て行く時に、小和田と相談していたみたいだが、何の話をしていたんだ?」
「江坂は、小和田にできるだけ時間を稼げと言っていた」
 小和田と鮎田が戻らなければ、『うりゅう』は動けない。時間稼ぎを、小和田に依頼したのだ。
 小和田は、ここまでの探査方法は、遺跡の上ではできないことを口実に、『うりゅう』の航路の左舷側を中心に、ミサイル捜索を口実にした時間稼ぎと写真撮影をしているはずだ。
「G1の残存酸素量は、どれくらいだ?」
「今から、二時間十八分だ」
 瓜生が、先行調査でG1を使っているので、その分は酸素量が少なくなっているのだ。
「出発時の残存酸素量は、江坂さんに伝えてあるな?」
「当たり前だ」
「分かった。江坂さんが戻った際のバックアップを頼むぞ」
 一抹の不安があった。江坂が、瓜生の言葉をちゃんと聞いていたか、怪しいところがある。
 江坂は、自分の調査時間を少しでも長く取りたくて、小和田を巻き込んでいる。江坂の頭の中には、G1の最大潜水時間の四時間しか、頭に無かった可能性がある。
 G1のフード内のディスプレイには、潜水可能時間が表示される。江坂が、その数値を無視して行動する筈がない。ただ、これほどの大発見だ。興奮して、訓練どおりの行動をしない可能性も、捨てきれない。
 右舷指揮所に戻りながら、考えを巡らせた。
「スキッパー、お願いがあるんですが」
 魚塚が、珍しく神妙な物言いをした。
「また、無理難題か。まあいい。言ってみろ」
「地中の音響探査を行いたいんですが」
「君の事だから、地中レーダー探査は終わってるんだよね」
「やりましたが、ここはちょっと変なんだ。海底だから、探査可能深度が浅いのは当然だけど、浅すぎるんだ」
 村岡は、魚塚の言い分は聞いていなかった。ただ、地質の音響探査を、別の目的に利用できないかと、そんな考えが過ぎったのだ。
「今は許可できないが、いつでもできるように、準備をしておけ。炸薬の量は、ぎりぎりと思っている量の半分にしろ」
「え?」
「ここの遺跡を一切傷付けたくないんだ。それと、松井さんを怒らせたくないから」
 首を捻った魚塚だったが、すぐに端末に戻り、準備を始めた。村岡の気が変わらない間に準備を済ませようと、思ったのだろう。
 一段落したところで、一つ前のレーンを航行した際の重力マップをチェックしてみた。その結果、僅かだが、この遺跡の周辺で、重力異常が見られた。誤差と精度の境目くらいの僅かな差だが、この遺跡と関係がありそうな気がした。
 地磁気についても、調べてみた。こちらにも、異状が見られた。この異状は、なぜ見落とされたのか、ちょっと問題になるところだが、変化自体は非常に緩やかなので、引継ぎ時間帯とも関連して、見落とされたのかもしれない。
 二時間近く経過した。
 まだ、鮎田達も、江坂も、戻ってきていない。

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  14

 今日は、日本中で気温が上昇していて、午前十時には三十度を越す地域が続出した。東北北部でも、熱帯夜が続き、関東や近畿の大都市部、特に海岸が近い地域では、最低気温が三十度を下回らない地域さえ、現れた。
 朝から、新聞やニュースで、各地の猛暑ぶりが紹介されている。
 台風が北に抜けて、南から暖かい空気が日本列島に流れ込んだ四日前には、日本海側でフェーン現象が発生し、山形から新潟にかけての各地で、観測史上最高気温を更新した。四十度を超える猛暑で、熱中症や水の事故が相次いだ。
 その日から、最低気温も上昇し、酷暑が戻ってきた。
 今日は、特に暑い。
 電力会社は、夏季対策期間と呼ばれる強化期間に入っている。発電所や変電所の点検や整備、改造等は、この時期を外して行われる。
 日本は、西日本の六十Hzと東日本の五十Hzに分けられる。周波数が異なるため、三箇所に周波数変換所があり、五十Hzと六十Hzの橋渡しを行っているが、これらで東西間を融通できる電力は、原子力発電所一基分でしかない。
 東西の発電電力量は、日本の電力の大消費地が二分されているので大きな差はないが、両者の間での電力融通は、消費量に比べると意外に少ない。


 中部地区は、今夏の最高気温を記録する勢いで、気温の上昇が続いていた。
 空調のための電力使用量は、天井知らずに増えていた。昨日までは、週末だったので、電力消費は低目に推移していたが、平日の今日の電力需要予測は、今夏の最大と過去最大の両方を超える値を想定していた。
 想定値は、供給力ぎりぎりの状態で、全国各地で気温が上昇しているために、他の電力会社からの融通も、絶望的な状況にあった。
 幸いなことに、雷雲の発生は無く、気象台の予報でも、終日、晴天が続くと報じられていた。
 落雷で、送電が切れると、需給が逼迫しているだけに、重大な事態に繋がりかねない。
 現在の気象状況なら、心配は要らない。
 中央給電指令所では、需要の伸びに注意を払っていた。
 昼休み時間帯をすぎ、管内の各企業の操業が再開されると、電力需要は午前を越えて増え続けた。気温も上昇し、午前中で三十五度を超えていたが、午後になっても上昇を続けている。
 東日本大震災以降は原子力発電所は少数しか稼働が認可されていないが、全基が稼働している。もちろん、火力、水力の各発電所でも既にフル運転に入っていた。更に、揚水発電所も稼動し、正に全力運転になっている。
 余剰電力は、どんどん減っていく。
 それでも、午後二時頃には、中央給電指令所の運転員たちは、今日も乗り切れると確信した。
 電力需要は、史上最大を更新したが、まだ若干の余力を残している。各企業でも、冷房需要を抑える協力をしてくれているので、電力需要の伸びも僅かだが抑えることができている。気温のピークも過ぎつつある。
 電力消費のピークは、午後二時から三時の間にある事が多いが、現時点の余力を考えれば、適正と言えないとしても、余力を残したまま、本日のピークを超えることができそうだ。
 気象状況でも、雷監視表示パネルをみても管内に雷雲は見当たらない。風も弱く、落雷や強風による送電障害が発生する危険性もない。
 まだまだ、緊張した時間は続くが、目処は立った。
 関係者は、緊張を保ちながらも、ほっとしつつあった。


 三重県北部、愛知県との県境に近いこの町には、世界最大級の火力発電所がある。
 四台の発電機を持ち、高い熱効率と大出力を誇る。発電所の廃熱を利用した温水プールも備え、発生する熱をできる限り有効利用する設計となっている。
 その発電機に異常が発生したのは、十四時過ぎのことだった。
 最初の異変は、三号系列のガスタービン三号機の燃焼室だった。気化したLNGを燃焼室に送り込むのだが、燃料流量が急激に落ち始めたのだ。
 異変は止まらなかった。
 同じ三号系列のガスタービン二号機も、まったく同じ現象となり、続いて残る五台のガスタービンが、同じ現象で出力が落ちていった。
 この発電所の総出力は、管内の十四%に及ぶ。三号系列だけでも、五%を超える。ただ、これだけなら、まだ余力を使い果たしただけで納まっていた。出力も落ち続けていたが、このペースで落ちていくなら、完全停止は一時間以上先になる。電力需要も下がり始めるので、際どいところで切り抜けられる。
 中央給電指令所でも、連携可能な国内電力会社に、緊急融通の調整を始めていた。各地で今夏の最高気温を更新する中、融通可能な電力は僅かだったが、なんとか融通も始まった。
 ところが、四号系列のガスタービンでも、全く同じ現象が始まった。症状は、七台のガスタービンでほぼ同時に始まり、症状の進行も早かった。
 発電所では、ガスタービンの構造上の欠陥が顕在化したものだと考え、タービンメーカーと連絡を取った。メーカーでも、最寄のサービスステーションから技術者を飛ばしてくれた。
 三号系列と四号系列の発電機の出力は、加速度的に低下し、発電機の回転数の維持が難しくなってきた。
 発電機の回転数は、電力系統の周波数と完全に同期している。しかし、発電機の出力が減ると、発電の負荷に負けて回転数が落ちる。タービンの出力が急激に落ちたため、発電機の回転数が低下し始め、発電機は電力系統から自動的に切り離され、ついに停止した。このトラブルで、三百四十万キロワットが失われ、緊急融通電力を加えても、電力が不足した。
 三十年前なら、この状況でも何とかなった。だが、エアコンがインバーター化した現在においては、電力不足は致命的だった。
 電力が不足すると、電力系統に繋がる全ての発電機が負荷に耐えられずに回転数が落ちる。回転数が落ちると、周波数も落ちるので、交流モーターは回転数が落ちる。モーターの消費電力は、回転数に比例するので、周波数が落ちると消費電力が減り、バランスが取れる。
 これが、昔の姿だ。
 ところが、電力需要に大きな割合を占める冷房需要は、インバーターを備えるのが一般的になった。インバーターでは、内部で周波数を制御するので、受電した電力の周波数が落ちても、消費電力が減らない。
 このため、周波数の低下は中々止まらない。こうなると、次の問題は、脱調である。
 タービンは、繊細な装置である。定常運転時は、タービンの各羽根は、共振することはない。しかし、色々な長さがある羽根が全て共振しない回転数は、狭い範囲にしか存在しない。
 周波数が低下すると、共振の危険性が増す。タービンの回転数が許容範囲を外れると、共振による破損を防ぐために、発電機は自動的に止められてしまう。
 発電機の脱調を防ぐためには、需要を減らす以外に手はない。つまり、大消費地への送電を止めるのだ。
 本来なら、名古屋などの大都市部への送電を止めたいのだが、信号機が止まったり、地下街が暗闇に変わったりと、社会不安を招くことになる。
 そこで、管内の企業との間で、緊急時には送電停止することを、予め調整してある。
 この時も、速やかに処置が行われたので、大停電を免れることができた。

 浅村は、この事件を夜のニュースで聞いた。
 ニュースの中では、三重と兵庫の火力発電所で、フル運転中に発電機が停止する事故があったと報じている。
 どちらの火力発電所も、国内最大級の規模を誇るが、それを除くと、メーカーも発電方式も、共通点はないという。それぞれ個別の原因により、発電機が停止したものと推定された。経済産業省は、それぞれの電力会社に、原因解明と再発防止策を命じた。
 テロの可能性も論じられた。
 七月二十日頃、K国の漁船が普段より多く出漁していたと、日本海側のあちこちの漁港で漁民が話しているという。この時期に、これだけの数の漁船が出るはずがなく、多くは漁船に偽装した工作船の可能性もあると、解説者は言った。
 兵庫や鳥取の漁民の中には、赤い火柱が見えたと言う者もいた。
 キャスターが、赤い火柱はK国のミサイルではと、解説者に振った。解説者は、K国のミサイルの可能性は低いと言う。ミサイルは、発射直後はブーストと呼ばれる行程に当たり、エンジンから出る炎が夕暮れ時なら赤い火柱に見える可能性はある。しかし、ブースト行程が見える場所は、K国の領海深く入った場所しか考えられず、日本の漁船が入り込める場所ではないらしい。
 それに、今回の発電所は、伊勢湾の奥と、瀬戸内海に立地している。しかも、爆発物での破壊ではなく、外観的には異状が見られないような破壊工作は、時間的にも技術的にも難しい。何より、破壊工作に掛ける労力が大きい割には、効果は薄い。こんな余力がK国にあるとは思えない。
 解説者の弁は、一理あると、浅村は思った。
 続いて、電力会社の広報の記者会見の様子が流された。
 その中で、浅村の気を引く事柄が述べられた。
「原因は、分かったでしょうか?」
「現在は、調査中です。直接の原因は、ガスタービンへ燃料を吹き込む前に行う集塵装置で、黒いゴミが目詰まりを起こしていたことがわかっています」
 黒いゴミ?
「ゴミの量は多くないですが、少量で集塵装置の機能を止めてしまいました」
 集塵装置が、少量のごみで目詰まりを起こすものだろうか。そんなことはないはずだ。もし、ゴミに意識があり、意図的に自爆テロのごとく集塵装置を襲撃したなら、少量のゴミでも、効果的に集塵装置の機能を麻痺させることができるかもしれない。
 たかがゴミに意識があるとは、誰も考えないだろう。
 キャスターも、解説者も、そんなことを考えるはずもない。
「少量のゴミで発電所が止まってしまうような作りでは困りますね」
「設計上の欠陥の可能性もありますね。これが、原子力発電所で起こったなら、大変なことになりますから、外部の調査機関を入れて、徹底的に調べるべきだと思いますね」
 解説者は、発電所に関しては素人らしい。原子力発電所には、燃料の集塵装置はない。同種の事故は、起こりえないのだが、世論を喚起するのに都合が良い原子力発電所に話を振ってしまった。
 この件は、浅村に知識があるので間違いと分かるが、浅村が知らない分野も、TV報道を鵜呑みにしない方がいいと思っている。
 クレームが入れば、番組の終わり間際に訂正を入れるだろう。
 それより、黒いゴミ。
 発電所を止めた黒いゴミのサンプルがほしくなった。それを、南極の氷の中から見つけ出した例の物と比較してみたい。
 黒いゴミは、南極の黒いマイクロマシンと同じものではないのだろうか。
 その考えが、頭にこびり付いて消えようとはしなかった。
 分からないことも多かった。
 南極のマイクロマシンは、ひとつしか見つからなかった。発電所の集塵装置を麻痺させるには、数千、数万のマイクロマシンが必要だ。その差は、何か。
 マイクロマシンは、最初から燃料の中に入っていたとは考えにくい。
 三重の発電所は、LNGを使用する。兵庫の発電所は、C重油だ。産出地も異なる。それが、同じ日のほぼ同時刻に、集塵装置の目詰まりを起こすとは考えにくい。
 いや、あり得ない。
 そうなると、発電所を止めたマイクロマシンは、どこからか移動してきたことになる。そして、何らかの手段を用いて、燃料の中に紛れ込んだのだ。
 マイクロマシンを作れるほどの技術を持った知性体だったら、燃料に紛れ込んで発電所を止めることも可能だろう。情報を集め、計画を練り、マイクロマシンに対して指令を出し、実行に移す。
「それでも」
 それでもと、思うのだった。
 こんな事が可能なのだろうか。八十万年も前に作られた機械が、これほど大規模な仕事をすることができるのだろうか。
 LNGは、液相に保つために、高圧かつ超低温のタンクに保管されている。だから、燃料は、しっかり密閉されている。マイクロマシンと言えど、通り抜けるだけの穴があれば、ガス漏れは始まるはずだ。
 問題のゴミが混入する可能性がある場所や工程については、放送では触れられることは無かった。
 所詮、視聴率のプロであって、ニュース報道のプロではないのだと、浅村は諦めた。
 放送の最後で、予想通り、訂正が入った。訂正はしたものの、そのときのコメントには呆れてしまった。
「発電所事故の放送の中で、原子力発電所で集塵装置の事故が起こる可能性について言及しましたが、原子力発電所には燃料集塵装置は無いので、同種の事故が起こる可能性はありません。お詫びし、訂正します」
 キャスターは、デスクに額をつくほど、大袈裟に頭を下げた。
「ただですね」と、解説者が補足を始めた。
「どちらの発電所も、発電機を作ったメーカーは、原子力発電所も建設しているメーカーなのです。同じ装置は無くても、同種の事故が原発で発生する可能性は否定できません。今後のために、事故原因の徹底的な調査を期待します」
 筋の通った意見と言えなくも無いが、「同種」が指す範囲はとてつもなく広いようだ。それ以前に、「同種」が指す範囲を広げてでも、原子力発電所に話を広げようとする魂胆が見えてしまう。
 火力発電所の事故と原子力発電所の事故では、ニュースバリューがまるで違う。当然、視聴率にも影響する。底の浅い知識で原子力発電所をネタに視聴率を狙うのは、やめにしてもらいたい。
 浅村の知人には、原子力発電所の設計に携わっている者もいる。その人や、それ以外の原発関係者の努力を考えると、身勝手な手段に思えてならない。
 無性に誰かと話したくなった。
 豊富な知識を持ち、大胆に思考の組み立てられ、良識的な判断ができ、ある種の思考実験を行える人物が良い。
 最初に浮かんだのは、村岡の父だ。
 流石に作家だけあって、知識は豊富だ。おまけに、長く技術者として働いてきただけあって、物事の捉え方や解決への道筋が論理的なのだ。
 だが、自宅の電話番号は知らないし、無沙汰をしているところへいきなりの電話は気が引けた。
 次に浮かんだのは、村岡自身だった。あの親にしてこの子あり。まさに、そんな感じなのだ。ただ、こちらは、別府湾の藻屑となりかけている。
 最後は、やはり新木だ。神岡の中に入り込んでいなければいいが、宿舎に居るなら携帯も繋がるだろう。
 新木の携帯をダイヤルした。
 彼の研究室と同じように、宿舎の中でも、書類が散らかっている様子が、目に浮かぶ。彼は、携帯をマナーモードにすることはない。マナーモードにしたが最後、書類に埋もれて見つからなくなってしまうのだそうだ。映画館やコンサートホールには行かないので、マナーモードにする必用がないのだ。
 しばらく待つ覚悟でダイヤルしたのだが、ワンコールで出たので、驚いてしまった。
「新木さんでしょうか?」と、少々間抜けな声を出してしまった。
「自分で、掛けておいて、新木さんでしょうかじゃあるまい」
「いや、いきなり出たから、面食らってしまったんだよ」
「そうそう、こっちもびっくりしたんだ。こっちから掛けようと思っていたら、逆に掛かってきたからな」
「何か、用があったのか?」
「まあね。そっちこそ、用事は何だ? この間の続きか?」
 勘は良い奴だ。
「そうだ。詳しい話は、そっちの話を聞いてからにしたいが、どうだ」
 即答は無かった。
 僅かに間があって、「会って話をしたい」と言った。
「戻ってくるのは、二週間後じゃなかったっけ。僕に来いと言うのかい?」
「立山連峰に登山に来る予定はないのか?」
 蓮華、槍、穂高、ちょっと離れるが、乗鞍。飛騨山脈には、心が揺れる。浅村が山好きなことは、新木にはバレバレだ。
「上手いところを突いたつもりだろうが、そんな暇はない」
 正直なところ、久しぶりに、あの辺りの夏山に上りたい気持ちはある。混雑が酷い事も分かっているが、人口密度が低い南極に一年も居たのだ。人恋しいくらいだ。
「そうか。君が来るまでに、解析を終わらせようと思ったが」
「時間稼ぎのための電話だったのか?」
「まあな」
 時間稼ぎをしてでも見せたい物に、浅村は心が揺れた。
「いくらなんでも、明日は無理だ。明後日なら、行けるかもしれない」
 休めるかどうか、難しいところだった。でも、新木にしては、最大級の話題の提供だ。無理をする価値は、絶対にある。
「明後日なら、僕が行くよ。無理はしない方がいい」
 捉えどころの無い人間だ。以前、村岡が言っていた。「新木は天才だ」と。
 何を考えているか分からないところは、天才の特徴かもしれない。
「分かった。明後日は、何時にこっちに着くんだい?」
「明後日にならないと分からないよ」

 明日までに解析を終わらせるような口ぶりだったのに、やはり何を考えているのか分からない。
「連絡を待つよ」
 この夜の電話は、これで終わったが・・・

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