伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  11

 潜水艇で行う深海の探査は、通常なら観測窓から行うものだ。『うりゅう』にも、窓はたくさん付いている。観測窓としての機能を考えて設けられた窓は多くないが、各船室には一つずつ窓があり、船外灯が照らす海底を楽しむことができる。これは、船外の状況を確認しやすいという実用性と、長期の探査において、閉鎖空間のストレスを和らげる事も、目的に含まれている。
 だが、今回の探査は、ミサイルなので、磁気探査を行うことにした。だから、磁気反応が出なければ、観測窓を使うことはない。ずっと、観測モニターに映し出される数値を睨んでいるだけの退屈で変化の無い航海が続くのだ。
 浦橋に言わせれば、潜水艦の作戦行動はこんなものだと言う。潜水艦は、ソナーだけを頼りに航海する。それも、パッシブソナーで見えない相手を探すのだ。暗闇の中で物音を立てる獣が居ないか、探し回るようなものだ。相手より大きな物音を立てれば、負けに繋がる。息を潜ませ、耳を欹て、気配を何ヶ月も探し続ける。神経をすり減らす割には変化に乏しい。
 浦橋には、この探査作戦は、慣れ親しんだやり方に似ているのだ。
 村岡にしてみれば、浦橋の経験は、今回ほど頼もしく思えることはないだろう。
 今回の件で、裏取引の嫌疑が掛かる浦橋だが、今は普段通りの任務を淡々とこなしている。最もきつい時間帯の四時から八時の時間帯を担当している。
 その彼が担当する時間帯で、呼び出し音が鳴った。
 ミサイルの可能性がある磁気反応が見つかったのだ。
 自室でベッドに入ったばかりの村岡は、枕元のインターフォンに飛び付いた。
「浦橋さん、ミサイルか?」
「いえ、磁気反応があっただけです。今から、探査コースを外し、問題の場所に直行しまます」
「分かった。直ぐに行く」
 運が良いなと、村岡は思った。
 ミサイル捜索は、昨日の午前に始まったばかりだった。まだ、一日も経っていない。こんなに早く結果が出るとは思ってもいなかった。
 右舷の指揮所に入ると、江坂が待っていた。浦橋は、江坂に目配せした。
「磁気エコーです。見ての通り、期待薄です」と首を竦めた。
 村岡にも、それが分かった。ミサイルにしては、強すぎるのだ。
「やっと見つかったか! 全員に招集を掛けろ!」
 飛び込んでくるなり、松井は頭ごなしに命じた。怪しい物体を見つけたら、村岡と江坂、それに井本と松井に連絡を入れる約束事になっていた。物体がミサイルであることが確認されると、井本と松井の指揮で、引き上げ作業を行うことになっていた。
 少し遅れて、井本も入ってきた。
「村岡さん、全員に招集を掛けましたか? これから、不休で引き揚げ作業に入ります」
「確認が取れたら、招集を掛ける」
「ぬるい。全て事前に準備しておくべきだ。私の方で招集を掛けさせてもらう」
 松井は、制服のインカムの機能を使い、招集を掛けてしまった。
「松井さん。勝手な行動は謹んでください。これは、ミサイルじゃなさそうだ。おそらく沈船。ミサイルにしては、エコーが大きすぎる」
 ほとんど同時に、残る四人も飛び込んできた。
 真っ先に飛び込んできた瓜生は、まず磁気レーダーに飛び付いた。それに一瞥を加えると、無言のまま指揮所を出て行った。
「スキッパー、発見は何分前ですか?」と小和田が問う。
「三分以上前だ」
 小和田は、首を竦めた。
「素人さんのお付き合いは、大変ですね、スキッパー」
 これには、無言で頷くしかなかった。
 ミサイル程度の物体なら、直ぐ近くでないと磁気を検出できない。三分以上も掛けて接近しなければならないほど遠い位置で見つけたのなら、よほど大きな物体だから、ミサイルではない。小和田は、そう推測したのだろう。
「井本さん。お部屋に戻りましょう。体力は温存するべきです。あの二人は、これから三十分くらいやりあうことになるでしょうから、付き合っていたら体が持ちませんよ」
 小和田は、井本の肩を抱くように、促した。
 小和田が言う二人とは、鮎田と松井のことだろう。
 井本は、毅然とした表情のまま、その場に居た。彼女にしてみれば、磁気エコーの正体を確認するまでは、松井と鮎田がやり合おうと、その場で待つつもりなのだろう。
 瓜生が去った後の磁気レーダーを見ていた魚塚と鮎田だが、顔を上げた時には、怒りが浮かんでいた。
「スキッパー、召集を掛けたのはこいつでしょう」
 鮎田は、松井の鼻先に指先を向けた。
 どう答えようか、考えあぐねている時、『うりゅう』が減速するのを感じた。
「浦橋さん、画像を出せますか?」
「メインスクリーンを見てください」
 浦橋は、船外灯を点け、スクリーンが明るくなった。
 船外灯で照らし出せるのは、精々三十メートルだ。その先は、靄がかかったような闇がある。その中から、ぼんやりと何かが現れた。
 『うりゅう』は、ほとんど船足を止めていたが、手探りで闇を歩く人のように、慣性でゆっくりと進んでいた。
 スクリーンにぼんやりと映っていた物体は、『うりゅう』の左舷下に移動していた。やがて、その物体の輪郭がはっきりしてきた。
 スクリーンに映し出されたのは、朽ち果てた漁船だった。
「さてと、松井さん。乗組員の消耗を考えると、これが繰り返されれば、浮上して乗組員に休息を与える必要が生じます。御承知おきを」
 村岡は、松井に警告を発した。
「それで、我々を脅迫したつもりか」
「どうやら、素人さんのようなので、今後起こり得る事態を説明しておいた方が良いかと思いまして」
 村岡は、鮎田らに向かって「召集解除だ。各自、休息を取りなさい」と言った。
「スキッパー。何で、鮎田を焚き付けないんですか。見ものだったのに」
 小和田は、不遜なことを言った。
「あなたも、休息を取りなさい」
 井本は、小和田をかわして、指揮所を出て行った。
 浦橋は、何事も無かったように、『うりゅう』を元の探査ルートに戻す作業に入っていた。
 ただ、魚塚は指揮所に残っていた。
「スキッパー。探査方法で試してみたいことがあるんですが」
 彼は、有能なエンジニアだ。本来の専門はロック・エンジニアで、岩盤の有効利用を考えるのだが、地質調査の能力と、土木関連機材の操作と保守もこなす。『うりゅう』においては、機関長に相当する職務の責任者で、本体の機関や補機のみならず、付属する調査用機材にも精通している。
「話を聞こう。何だ?」
「C1を使って、音響探査を行おうと思うのです」
「C1で何をするつもりなのかな? それ以前に、音響探査は、あの二人のお気に召さないと思うが」
「あの二人が気にしているのは、アクティブソナーです。僕のは、『うりゅう』の機関騒音を利用したパッシブソナーです」
「つまり、『うりゅう』のスクリュー音や艇体から出る騒音をC1でキャッチし、騒音波形の乱れから、『うりゅう』とC1の間にある物体を見つけようというのだな。でも、解析用のプログラムが必要だろう」
「物体があるかどうかの解析ができるソフトは、夜の内に作りました。単体での動作に問題はありませんが、実際の捜索での試験が必要です」
「どうしたい?」
「先程、発見した沈船を使って、検出できるか、試してみたいと思います」
「つまり、同じ場所を通れというのだな」
「一度で良いので、あの場所を通過してほしいのです」
「あれじゃ駄目だ。対象が大きすぎる。俺たちが探しているミサイルの残骸は、バラバラになっているはずだ。海底の石ころを調べるようなものだ。過去のデータを調べて、海底の岩でミサイルの残骸に見立てられそうなものを探し、それを検出できるかの確認を行った上で、君の意見を採用することにしよう」
「分かりました」
 魚塚は、左舷の指揮所に向かっていった。目視データのチェックは、左舷で行っている。右舷を操船に専念させるためだ。
 朝食後、三時間ほどの仮眠を取った村岡の元に、魚塚が戻ってきた。
 次の担当時間に備え、早昼を食べながら、魚塚の話を聞いた。
「二箇所に、適当な大きさの岩と船具がありました。これで、『うりゅう』に近い位置にある場合と、C1に近い位置にある場合の二種類の試験が行えます」
「分かった。試験方法を明文化しなさい。君のプログラムの内部データを採取しながら、試験をしてみようじゃないか。次の四直で試験を行う。時間が無い。大至急、準備をしてくれ」
 岩の位置を魚塚から確認して、転進の位置とC1の進出位置を検討した。
 ミサイルの捜索パターンは、推定位置を中心に陸上競技場のトラックのような直線と曲線を組み合わせた形を取っている。これを、徐々に外側へと右回りの渦巻状に広げていく。
 魚塚が言う岩の位置は、既に通過している。
 この先で『うりゅう』は、渦巻きを一段外側へと進路を取るが、C1は、『うりゅう』の右舷側へ進出させ、捜索済みの海域をスキャンする。
 この方法でよい結果が得られれば、捜索の経路を右回りから左回りに変えるつもりだ。
 渦巻きの線と線の幅は、僅かに十メートル。早朝の漁船のような巨大なものなら、かなり離れた位置からでも検出できるが、ミサイル部品の中の磁性体や鉄の使用量から考えれば、真上を通過しても検出できるかどうか、怪しいところだ。
 当然、外部のカメラを用いて、目視で監視している。
 そのまま監視するのでは、非常に厳しいので、ライトの角度と陰影から、自動的に物の大きさと凡その形状を検出するソフトを用いている。撮影済みの画像データを処理し、海底から不自然に盛り上がっているものを見つけたら、それが映像上に示される。
 遺物が浅く埋もれている場合、海底に痕跡が残る場合が多い。これを見つけるのが、本来の機能だ。
 カメラのチェックは、非常に疲れる作業だ。これを、不眠不休で行っている。
 勤務は、三交代になっている。これは、二十四時間航行時の勤務形態だ。操船は、村岡、浦橋、鮎田が四時間交代であたる。それぞれ、魚塚、小和田、瓜生が、バックアップする。
 江坂は、客員の扱いなので、この勤務形態から外れ、八時から十七時までの勤務となる。
 カメラをチェックするのは、バックアップの三人だが、昼間の時間帯には、江坂と井本と松井で、録画されている画像を再確認している。
 これらの作業は、非常にきつい。特に、バックアップの三人は、リアルタイムにチェックするので、気の休まる間が無い。
 もう一つの問題は、このペースで調査海域を調査しきれないということだ。
 調査海域は、北西から南東に九十キロ余り、北東から南東に四十五キロ余りだ。調査時の速力は五ノット。時速にすれば、九キロ余りだ。長軸方向に十時間航行し、折り返す。一日で調査できるのは、幅二十メートル分に過ぎない。
 このペースでは、調査海域の捜索に掛かる時間は、六年だ。現実的ではない。
 別府湾での調査に戻るのは、浮上当日となるだろう。
 魚塚のアイデアは、実現の可能性が高く、効率も桁外れに向上する。彼のアイデア通りであれば、三十倍に効率が向上する。それでも、調査に必要な期間は二ヵ月半だが、海自から提供された座標の精度から見て、もっと早く見つけることができるだろう。
 実際の航行パターンは、四十五キロ航行し、右旋回で百八十度の回頭を行う。再び、右旋回で百八十度の回頭を行う。回頭時の半径は、毎回五メートルずつ大きくする。
 『わだつみ』との会合点から四十二キロ北上した地点を基点とし、北西に向けて五時間の捜索を行った。そこで回頭し、今度は南東に向けて五時間。更に、北東方向に五時間の捜索活動を行った。
 沈船が見つかったのは、四レーン目の終わりごろだった。
 トータルで三十分近いロスがあったので、今は五レーン目の終盤だった。
 村岡の当直時間帯の早いタイミングで、五レーン目が終わり、六レーンに向けてのターンを行う。この少し前に、C1を切り離したい。三百メートルのケーブル一杯に離し、三百メートルの幅で捜索を行えば、三十倍も早くなる。
 ターン開始前にC1を切り離した。所定の位置まで展開するためには、時間が掛かる。ターン前に切り離しておけば、ターンの直径分だけ、C1の展開距離が短くて済む。
「さあ、始めるぞ。画像データは、俺が見るから、C1の位置とソナーは頼むぞ」
「OKだ。C1も所定の位置だ。問題ない」
 ミサイルの残骸に見立てた岩は、二箇所だ。どちらも、一時間以上も先の位置だ。C1は、掃海が終わっている海域はもちろん、その六倍の幅をサーチしている。
 C1は、最大で千メートルまで、ケーブルを延ばすことができる。しかし、水平には、三百メートルが限界だ。
 C1と『うりゅう』を結ぶアンビリカル・ケーブルは、浮力調整機能が付いている。ケーブル内に、浮力調整用のフレキシブルパイプが、同軸に配されている。ここに入れるエアの圧力で、浮力を調整する。パイプは、往路と復路の二本構成で、途中に、調圧用の小さな弁が仕込まれているので、この弁の開閉で、パイプ内に滞留するエアの圧力を調整する。弁は、膨張率が高いゴムを用いている。この弁の中に通された電熱線で温度を管理し、弁の開閉を行う。
 フレキシブルパイプの内圧を下げると、水圧でパイプ断面が変形し、浮力を失う。逆に、内圧を上げることで、浮力を増すこともできる。
 このフレキシブルパイプは、本来の目的が、余剰浮力が少ないC1への荷重を減らすことにあるので、C1に近い部分から二百メートル分にしか、フレキシブルパイプは配置されていない。弁は、二十メートルに一箇所の割合になっているので、十のセクションで区切られていることになる。残る二百メートルは、ほぼ海水と浮力が一致するように調整されているが、水深や温度で比重が変わるので、必ずしもバランスが取れるとは限らない。
 村岡は、主に画像表示画面を見ながら、航海計器からも目を離さない。予想していたより、ハードな作業だった。
 魚塚は、C1のソナーデータに見入っている。
「スキッパー。上手くいっています。鯨の骨でも検出できそうですし、小さな石ころでも、ちゃんと拾っているようです」
「まだ、結論は早い。例の岩を、大きさまでキチンと検出できてから、この手法の検討をしよう」
 単調な作業が続く。
 本来の調査は、手が抜けない。この探査方法が失敗した場合でも、このレーンの調査は完了させる必要がある。
 二時間余り後、問題の岩に近付いた。
「残り三十メートルだぞ。検出できないか?」
「まだです。この方法だと、C1との間に入らないと駄目なんです」
「残り十メートル」
「検出しました。エコーの大きさと、実際のサイズとの比率を調整をします」
「次の岩までの間に、エコー強度と実際の物体との関係を見極めておけ」
 数分後、二箇所目の岩の上を通過した。
「どうです」
 自信たっぷりに、魚塚が言う。文句なしの成績だ。
「残る問題は、材質を区別できるかだ」
「無理だって、スキッパーも分かっているでしょう。岩とミサイルだと、硬さが近いから、音波の反射率が似てきてしまいます。泥との区別はできても、そんなの意味が無いですよね」
「分かったよ。言うとおりだ。形状を見分ける精度を上げることだ。どの程度、正確に見つけられるかで、あの二人を説得できるかが、決まる。まあ、次を取り舵で旋回するつもりだけど、それに気付いたら、言い訳を考えよう」
 浦橋が担当する五直になっても、魚塚と共に指揮所に残った。そして、六レーン目が終わった時、それまでの面舵とは反対に、取り舵を切らせた。
「何をやってるんですか!」

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  10

 研究と言うと、知的で格好いいイメージがあるが、実態は、まるで違う。根気がいる事はもちろんだが、必要な忍耐は半端ではない。
 著名な研究者には、次男が多いといわれている。
 一般に、長男は政治家にむいていると言われ、事実、日本の総理大臣には長男が多い。長男は、下の兄弟の面倒を見るので、政治家にむくのだそうだ。
 末っ子は、芸術・芸能関係で活躍する人に多い。家業を継ぐ必要がなく、兄弟から面倒を見てもらう立場にある。そのため、年上の人間の顔色を読んで要領良く生きる術を学び、浮き沈みの激しい芸能関係にも対応できるらしい。
 研究者は、人一倍の忍耐が要求される。次男が多いというのは、上からは兄に押さえつけられ、下からは親の庇護を受ける弟から突き上げられ、忍耐を覚えるのだそうだ。
 新木も、三人兄弟の真ん中だ。下は妹だが、二つ違いの兄には力では敵わず、口達者な妹に手を出せば、母に言いつけられて怒られる経験を、幾度となく繰り返してきた。親友でもある浅村は、今時珍しい男ばかりの四兄弟の三番目で、似たような家庭環境に育っている。
 確かに、研究には忍耐が必須だ。特に、宇宙を相手にする時は、飛び切りの忍耐が必要だ。
 だが、研究者にもっとも必要な資質は、研究テーマを見つけ出す嗅覚だと思う。
 彼の主たる研究テーマは、粒子加速器を用いたニュートリノ研究にあるが、それが切っ掛けとなって、ニュートリノ通信の可能性を考えるようになった。
 ニュートリノの性質は、透過力の強さにある。ごく稀に、原子核にぶつかって、チェレンコフ光を発することがある。スーパーカミオカンデを代表とするニュートリノ検出器は、この特性を利用したものだ。
 透過力の強いニュートリノは、太陽の中心を見ることができる。熱の形では、太陽中心から表面に伝わるまで十万年以上も掛かると言われるが、ニュートリノは光の速さで通り抜ける。太陽の中心で起こったことは、八分二十秒後には地上で観測できる。
 この性質を用いれば、惑星や衛星等の裏側からでも、地球と交信することができる。
 現在、月面では国際基地の建設計画が進められているが、建設場所の制約として、月の表側にしか建設できない。
 よく知られているように、月は常に同じ面を地球に向けている。地球の方が直径が大きく、月自体も多少の揺れがあるが、地上から見える月面は、月全体のおよそ六割にしかならない。
 この性質は、月の裏側に利用価値を生む。
 月の裏側は、地球からの電波が届かない。地球が反射した太陽光も届かない。地球から出る赤外線も届かない。
 人類の活動も、地球の存在さえも、消し去ることができる場所なのだ。
 この利点が、主に宇宙の観測拠点としての価値を生み出している。特に、電波望遠鏡での観測では、人類活動による電波ノイズが皆無であり、重力が小さく、風も吹かないので、巨大な光学望遠鏡や電波望遠鏡の設置が可能である点で、観測成果が大いに期待できる。
 また、赤外線の観測も、電波望遠鏡と同様、成果が期待できる。地球上では大気による減衰が大きく、大気自体も赤外線を発していて、人類活動による赤外線も加わり、地上での観測は非常に難しい。大気圏外に出ても、地球周回軌道では、地球の表面からの赤外線ノイズが大きく、観測の制約が少なくない。
 その点、月の裏側では、これらの問題が全て解消する。
 観測拠点としては、利点が多い月の裏側だが、地上との通信では、絶望的な場所である。特に、高緯度地域は、月周回軌道に通信衛星を投入したとしても、通信衛星とも電波が届きにくく、電離層がない月では、短波のDX通信も出来ない。まさに、通信の離島となってしまう。
 この対策として、新木はニュートリノ通信を考え始めた。
 筑波からスーパーカミオカンデへのニュートリノの照射は、形を変えながら数回にわたって行われてきた。新木は、大学院時代からこれらに関わってきた。ニュートリノ通信に可能性を見つけたのは、そのせいだろう。人工的に作られたニュートリノを、離れた場所で受信する。これに情報を乗せれば、通信そのものだ。
 彼は、発想を切り替えた。
 宇宙の色々な場所からやってくるニュートリノの中には、知性体が人工的に作り出し、情報を乗せているものがあるのではないかと、考え始めたのだ。
 一九六〇年に行われたオズマ計画では、二十一センチ波の電波を対象に、知的生命からの電波を観測した。これを、新木はニュートリノで行おうと考えたのだ。
 彼が用意できる受信機は、スーパーカミオカンデしかない。これで受信した内容の中から情報を取り出すには、変調方式を考える必要がある。情報を乗せる変調方式は、実に多種多様である。だが、今のカミオカンデの感度では、複雑な変調方式は検出できない。
 彼が選んだ変調方式は、時間軸に対して強度が変化する最も単純なAM方式だった。それも、短文を繰り返し送信していると仮定した。
 この仮定の下、過去のスーパーカミオカンデの全ての受信データについて、特定の時間毎に区切って集積し、一定時間内で特徴のあるピークが存在するか、区切る時間幅を変化させながら調査してきた。
 その結果、明確なパターンの繰り返しを発見したのだ。
 ある時期から通信が始まったらしく、信号量も全体の中では極僅かだったため、有意の信号をノイズの中から選り分ける事自体が難しかった。
 そこで、有意と思われる信号を分かっている範囲で抽出し、宇宙のどこから来たのか、飛来元を調べた。スーパーカミオカンデは、一.六度と解像度が低いものの、どこから飛んできたのか、目安にはなる。
 ところが、方位に相関を見出すことはできなかった。
 ここで、この研究は中断してしまった。ニュートリノ通信が実際に行われているとしても、スーパーカミオカンデで検出できるニュートリノは、通信全体から見れば、ほんの一部でしかない。だからこそ、一定周期で繰り返される通信に絞って、検出を試みたのだ。繰り返される通信なら、受信データを蓄積でき、本当の情報を読み取ることができるからだ。
 新木の心のどこかに、宇宙空間では、ニュートリノ通信が一般的になっているのではないか、知的生命を探査するには、ニュートリノを調べるべきではないのかと、繰り返し響いていたのだった。
 そんな折も折、浅村が訪ねてきた。そして、マイクロマシンだという微小物体を見せられた。
 その時、ニュートリノ通信で見落としていた点があることに気付かされたのだ。
 浅村が発見したマイクロマシンが示したのは、かなり前から地球外の知的生命が地球を直接的に調査していることである。
 これを踏まえて考えると、ニュートリノ通信は、マイクロマシン間の通信手段として、非常に優れていることがわかる。地表面のあちこちにばら撒かれたであろうマイクロマシンは、電波による通信が非常に難しい。もちろん、短波帯は、一部の不感帯を除けば、地球全体をカバーできないことはない。でも、地表面より下、例えば海中や地中を調査する場合には、通信手段として使うことができない。
 ニュートリノ通信では、この問題は、一切関係ない。
 考えてみると、ニュートリノ通信は、惑星探査に最適の通信手段なのだ。
 新木は、以前に発見した特長あるニュートリノの受信パターンが、ニュートリノ通信であると確信した。
「他の恒星系の探査をする際に、どんな探査システムを作るか、考えてみる必要があるな」
 問題を考える上で、マイクロマシンを用いて探査を行う事は、確定事項として考えておく必要がある。
「やっぱり、中継基地が必用だよな」
 そう。マイクロマシンが、それぞれに母星と交信するのは無理がある。地球上か、少なくとも太陽系内に中継基地が必要だろう。
 ニュートリノの飛来方向は、通常、宇宙空間から来ることを前提としている。そのため、地球の自転や公転を考慮して、赤緯・赤経に変換されている。また、観測対象として太陽も重要な対象なので、太陽を基準とした座標系も計算できるようになっているし、地上の原子炉も対象となるので、地上の座標系も持っている。
 最も可能性が高いところから押さえていく必要がある。まずは、地球上に中継基地があるものとして調べてみた。
 結果は、黒だった。
 スーパーカミオカンデから見ると、およそ北西方向で、ほぼ水平方向だった。
「中継基地は、地表面付近にあるはずだ。この角度なら、ウラジオストックの辺りで地表に出てしまう。ちょっと変だな」
 方向を延長していっても、黒龍江省か、中ロ国境線のアムール川沿いの地域となる。こちらは、厳しい気候が災いして、未開発地域が多い。あるとすれば、この地域かもしれないが、いくら誤差があると言っても、こんなに離れた場所になるほどの精度は低くない。
 新木は、地球上に中継基地があるとしたら、極地のような場所を想定していた。それが、ユーラシア大陸の極東地域とは、思っても見なかった。
 新木は、中継基地の推定位置を月、火星、フォボス、ダイモス、ガリレオ衛星等、可能性がある場所について、座標を変換して調査できるように、プログラムを作り始めた。
 地球の周回軌道については、可能性があるのだが、既にスペースデブリの観測が長く続けられているのに、中継基地らしい物体が見つかっていないこと、八十一万年も月の影響を受け続けても維持できる軌道は考えにくいことから、無視することにした。
「一度、浅村と話し合ってみるか。何か、浮かぶかもしれないし」
 彼から預かったUSBを返す口実がある。
 自分の予定表をめくり始めた。

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