伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

「海と空が描く三角」の連載を始めました。
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  9

「あんたらの命令は聞けない!」
 魚塚だった。声は、食堂から聞こえた。声のトーンで、魚塚の苛立ちがわかる。村岡は、歩を早め、食堂に入った。
 食堂には、魚塚と浦橋、そして意外な人物が居た。
「村岡さん!」
 よく通る女性の声が、食堂に響いた。聞きなれた声だった。
「やっぱり、あんたか」
 村岡の顔見知りだと知って、魚塚も面食らったようだ。
「二年ぶりかな」
「それくらいかしら」
 そっけなく言う。
 元の妻の横顔を見つめる。端正な顔立ちの美人である。隙が無い美しさというべきか。
 隙が無いと言えば、彼女の全てにそれが言える。どれが得意なのか分からないが、どれを取っても一流だった。頭脳明晰で、今も文科省のキャリアとして高みへと駆け上がり続けている。生け花にお茶は当然のようにこなし、ピアノとバイオリンが得意で、書道も有段者。趣味が乗馬とテニスで、村岡の影響を受けて、スキューバもする。
 典型的なお嬢様だ。
 ところが、意外な事に料理が得意で、しかも家庭料理のレパートリーが豊富だとは、結婚して初めて知った。二人で暮らしていた時は、掃除に洗濯もスマートに片付け、正に、男性にとって理想の女性を形にしたような存在だった。
 彼女の欠点は、欠点が無いこと。
 少なくとも、村岡にとっては、それが彼女の致命的な欠点だった。
「スッキパー、この二人が『うりゅう』の指揮権があるといって聞かないんです。何とか言ってやってくださいよ」
 魚塚は、泣きついてきた。
「浦橋さん。状況を説明してください」
「いあや、浅海さんがこの二人を乗せたんですが、状況を説明しないで下船してしまったので、私にも説明のしようが・・・」
 村岡は、元妻の井本を見た。
「あたしが、説明するわ。まず、隣は松井さん。『うりゅう』は、本日〇四〇〇時から、あたし達の指揮下に入りました。これから、ある品物の捜索と引き上げを行うために、秘密裏に作戦行動を行います。作戦完了時、あたし達は下船します。あなた方は、浅海さんの指揮下に戻り、別府湾を目指します。最終的には、村岡さんの指揮下で瓜生島調査に復帰することになります」
「つまり、国家権力によるシージャックを受けたわけだね」と村岡は不満をぶちまけた。
「解釈は自由です。作戦が完了するまで、指揮権は、あたし達にあるということです」
「すごく曖昧な内容だな。指揮権を振りかざしているのに、何も見せないとは気に入らない。指揮権はやろう。だが、精度の高い情報が無い限り、動くつもりはない」
「君らは、こっちの命令で動いてくれれば良い。安全は、こちらで保障する」
「大きく出たな。海自で潜水艦に乗っていたんだろうが、訓練を受けていない船を操るのが、どれほど危険か、骨身にしみて分かっているだろう」
 村岡は、松井の経歴を想像で言った。
 表情を変えなかったが、当たっていたようだ。
「船に精通している君らが、私の指示に正確に応えてくれれば、何の問題もないという意味だ」
「生憎、何百人も乗っている潜水艦と違い、こっちは少数精鋭だ。一人で何役もこなす。それができるのは、情報を共有しているからだ。そっちで情報を隠されると、こっちは動きようがない」
「こちらも、無理を言うつもりはない。必要な情報は、必用となった時に提供する。早速だが、全員を集めてもらおうか。もう一つは、現在地より北西に七十七キロ移動してもらおう」
「無理だ。現在地も分からなくなっているのに!」
 魚塚の言葉が俄かに信じられなかった。
 現在地が分からない?
 そんな馬鹿なことがあるわけがない。潜航中はGPSを使うことはできないが、INS(慣性航法装置)でかなりの精度で位置を特定できるはずだ。その証拠に、『わだつみ』との会合に成功している。
「魚塚、どういうことだ? 現在地が分からないなんて馬鹿なことは無いはずだ」
「スキッパー、浅海さんが、INSをリセットしてしまったんですよ。おそらく、この二人の命令でね」
 村岡は、ザックを下ろし、航海日誌を手に取った。最後のページを開き、浅海の記述を追った。現在地の記述は、どこにもなかった。村岡が築城基地沖の位置を記録して以降、位置の記録だけが欠落していた。
「浅海さんは、俺たち全員を部屋に閉じ込め、右舷の指揮所はシャットダウンして、左舷の指揮所だけで航海してきたんです。だから、誰も、現在位置は分からないんです。スキッパーは、上に居たから、場所は分かりますよね。ここはどこなんですか?」
「生憎だが、こっちも目隠しされて監禁されていたからね」
 浅海のあの表情は、現在位置を隠したことに対する悔恨だったのか。
 これは、異常事態だ。体勢を立て直す必要があると、村岡は感じた。
「魚塚。全員に緊急招集をかけてくれ」
 魚塚は、緊急招集の信号を送信した。
 時刻は、午前五時過ぎだ。きつい時間だ。そんな状況にも関わらず、小和田と鮎田と江坂は、直ぐに飛び込んできた。鮎田はスエット姿で、如何にも寝起きとわかるが、江坂は制服を着ていた。研究熱心な彼のことだから、別府湾で撮影した写真を調べるために、徹夜していたのかもしれない。
 小和田は私服だが、いつもの小洒落た格好ではない。ただ、髪が乱れていないのには、驚かされる。
「こちら瓜生。左舷指揮所は誰も居ない」と、緊急時の瓜生の配置場所である左舷指揮所から連絡を入れてきた。
「緊急事態じゃない。悪いが、右舷の食堂に集合してくれ」
 村岡は、瓜生を呼び寄せた。
 瓜生は、走ってやってきた。やはり、制服姿だ。
「スキッパー。なんで女が居るんだ。どういうことか、説明してくれ」
 瓜生の第一声だ。
「おいらは、女性が居ることは歓迎だぜ。それより、見かけないおっさんが紛れ込んでいる方が気に入らないね」とは、小和田。
「浅海さんと入れ替わりで、スキッパーが戻ってくるとは思ってたが、新メンバーの紹介を兼ねて、事情を説明してもらいたいね」
 江坂も、状況に驚きと戸惑いを感じているようだ。
「スキッパーに聞いても無駄さ。スキッパーは、みんなより五分だけ早く居ただけだから。それより、松井さんとかに聞いた方が早いさ」
 魚塚は、ふてくされていた。
「あたしから説明します」
 井本の声で、みんなが注目した。
 井本は、ホワイトボードの前に立っていた。ホワイトボードには、数行に渡って箇条書きされていた。
「これを見てください。現時点の問題を列記しました。それぞれについて、問題解決を図りたいと思います。まず、第一の問題は、新しいメンバーが増えたことです。そこで、全員で自己紹介をしたいと思います」
「どうして、こいつが話をするのか、納得がいかない」
 鮎田も、井本を「こいつ」呼ばわりだ。
 村岡は、こんな三文劇のような集会を早く終わらせたかった。
「優先度が違う。全員の名前と顔が分かれば充分だ。『うりゅう』のメンバーは、そっちから瓜生、浦橋、魚塚、俺が村岡、江坂、鮎田、小和田だ。新しいメンバーは、井本と松井だったね」
 井本は微笑み、松井は小さく頷いた。
「次の問題では、新メンバーの部屋割りです」
 パパッと決めてしまおうとしたが、ハタと思い当たった。井本は女性だ。トイレが共有の部屋は、割り振れない。
「悪いが、浦橋さん、部屋をP4に替わってくれないか。井本さん、P1を使ってくれ。松井さん、P5だ。トイレは、P4と共有になる。気をつけてくれ」
「レディファーストかしら。ありがとう」
 井本は、三人の名まえと部屋番号を、ホワイトボードに追記した。
「次の問題は、現在位置が分からないこと」
「それは、問題じゃない。大体の位置の見当は付いている」
「村岡さんだったね。いい加減なことを言うんじゃない。直感か、それともハッタリかい」
「それに近いな。現在地は、東大和堆の東の外れ付近だ。水深から見ても、いい線だと思うが、どうだい?」
 松井は、動揺したようだが、ほんの一瞬でそれを隠してしまった。視線を井本に移した時には、彼女は全く表情に見せていなかった。
「どうして分かったか、自己紹介の時に解説するよ」
 井本は、東大和堆東端と追記した。
 これには驚いた。単に動揺していないのか、それとも村岡の予想が外れたのか。
「次の問題は、指揮権と代行順位よ」
 核心に入ってきた。
「スキッパー。右舷の指揮所に居る」
 瓜生は、もう隣の指揮所に歩を進めていた。
「構わんが、どうした?」
「関係ない話ばかりだ」
「分かった。上の船に気をつけてくれ。もう動くだろう」
 聞こえたのか、聞こえていないのか、分からない態度のまま、瓜生は食堂を出ていった。
「操船上の指揮権は、村岡さんをトップに、今まで通りとします。作戦上の指揮権は、私がトップで松井さんが代行になります。松井さんの代行は、いません」
「つまり、俺が操船上の責任を負うことになる。まあいい。この件は、優先度が低い。次に行こう」
「スキッパー、それでいいんですか! こいつらに掻き回されますよ」
「今でも、充分に掻き回されてるよ。それより、重大なことがあるんだよ」
「鮎田よ。スキッパーは、作戦上の指揮権が彼らにあること自体は、今までと大差無いと言ってるんだよ」
 浦橋が余分なことを言ってくれた。
 元々、井本の配下の浦田が、『うりゅう』の責任者だ。浦田の命令で、村岡は『うりゅう』を動かす。浦橋は、そのことを言っているのだが、井本が何者かをよく知らない鮎田には、意味がわかったかどうか。
「次の問題は何だ?」
「最後の問題は、捜索の効率と引き上げ方法よ」
「この件が、一番曖昧な表現だな。俺なら、この件に捜索対象と推定位置の明確化と、期間の設定を追加するね」
「それは、我々の指揮権の範疇だ。問題にならない」
「そうか。曖昧な条件での捜索活動は、乗組員の生命の保証ができなくなる。操船の指揮権者としては、捜索活動を指揮できない」
「君から操船の指揮権を奪うだけだ」
「それは不可能だ。海自で潜水艦に乗っていたんだろうが、『うりゅう』の三次元操船は、通常の潜水艦とまるで違うぞ。まあ、君が操船するなら、僕は『わだつみ』に戻らせてもらう。命が惜しいんでね」
 松井の顔色が変わった。
 『わだつみ』に乗せられたと村岡が気付いていたことに驚いたのだろう。
「こいつ、海自の潜水艦乗りか!」
 鮎田は、松井の胸倉を掴んだ。松井は慌てず、掴まれた手を捻り、体を半回転させて床にねじ伏せてしまった。
「松井さん。凄い腕前の割には、胸倉を掴まれただけで随分と手荒い事をしてくれるね。動揺している証拠かな」
 流石に、挑発には乗らず、ちらりと井本の顔を見ると、鮎田を引き起こした。鮎田は、気分が落ち着かないらしく、今度は浦橋に噛み付いた。
「浦橋さん、あんたはこいつを知っていたんだろ」
 浦橋は、何か言いたそうだったが、自ら飲み込んだ。
 浦橋は、松井を知っていたのだろう。
 浦橋は、海自で潜水艦に乗っていた。艦長も勤めていたが、『うりゅう』計画を知って公募に応じた。浅海も同じだった。他にも六名の応募や推薦があったが、書類審査で二人に絞られた。そこに割って入ったのが、実務経験が無い村岡だった。
 シミュレーション訓練では、企画段階から知っている村岡の健闘が目立ち、二人を差し置いて最高成績を収めた。この結果を受けて、浦橋は態度を一変させ、副官として村岡を支えると申し出た。
 これが現体制を決める切っ掛けとなり、浅海はスキッパーの交代要員となってしまった。
 村岡が下船している間、浅海と浦橋は、一緒に『うりゅう』を操船した。浅海は、全員を締め出したと言うが、関門海峡を潜航したまま突破したことを考えると、浦橋が協力していた可能性が高い。
 浦橋は内なる敵になってしまうのだろうか。村岡にとって、なくてはならない片腕だけに、頭の痛い問題に発展するかもしれない。
「魚塚、静かにしろ。話は先がある」と、浦橋は魚塚を諌めた。
「私も知りたいね。そちらの言っている事は、目隠しをして、言われたとおりに走り回り、手探りで何かを掴み、持って帰ってこいだ。逆の立場になった時、その命令に服従するのかい。まさかね。まずは、目隠しを外してもらいたいし、手探りではなく、目標物を知りたい。今見たように、私の立場が危うくなっているので、それが絶対条件だ」
「目隠しは、外れているでしょう」
 井本は、大和堆東端と書いた部分を示した。逆手に取られた。
「スキッパー、どの程度の精度で掴んでいますか?」
「精々、プラスマイナス十五分だ。正真正銘、目隠しをされていたんでね」
「そんな精度じゃ、話になりませんよ」
 それは、鮎田が言った。GPSが発達し、慣性航法装置も精度が向上している現在、一秒単位の位置精度が常識だ。九百倍もの誤差を言われたら、文句の一つも言いたくなるだろう。
「この問題は、対策がいくつもある。後回しにする。目的と目標物が問題だ」
 ここに来て、最後の持ち札を出すべきか、村岡は迷った。
 彼女の顔は、「あなたの手の内は、お見通しよ」と言っているようだ。
 札を後生大事に持っていても、しようがない。全部の札を開いてから、出方を伺うことにしよう。
「違っていたら言ってくれ。目標物は、K国のミサイルだ。落下地点は、大和堆のどこかだろう。分からないのは、なぜ、今になってK国のミサイルを探すのかだ。考えられるのは、ここ数日の内にK国が日本本土を狙って発射したミサイルだったからか、核の搭載が疑われるかだ。どうだい。違っているところを指摘してくれないか」
「流石ね。どう? 彼に隠し通せる自信はあって?」
 井本は、松井に問うた。
「簡単にはいかないようですな。村岡さん、なぜターゲットがK国のミサイルだと思ったのか、聞かせてもらえないか」
「自衛隊が絡んでいるなら、海底の捜索は、軍事関係の機器の捜索だ。考えられる対象は、最新鋭の戦闘機、潜水艦、ミサイル、無人偵察機等々だ。この中で、潜水艦と戦闘機は、生身の人間が乗っているので、後のことを考えると、隠蔽は無理だ。
 残るは、ミサイルか無人偵察機だ。どちらも、搭載物を考えると、敵に渡したくない。ただ、海に落とした場合、無人偵察機は、直ぐには沈まない。拾い上げるチャンスがある。爆発物じゃないから、多少手荒な扱いをしても、それほど危険はない。その点、ミサイルは、胴体内は火薬と燃料で満載だし、浮力がないので、落とせば直ぐに沈む。回収は、海底を浚うしかない。その役割は、海上自衛隊と言えど、簡単ではない。俺にお鉢が回ってくる可能性はある。
 ミサイルが米軍や自衛隊の物なら、海自か海保が該当の海域を閉鎖して、回収作業も隠さない。特に、米軍は公海であっても我が物顔で行動するだろう。『うりゅう』を使うはずがない。ところが、我々『うりゅう』乗組員にまで位置や対象を隠した。それは、仮想敵国のミサイルだということだ。日本海の真ん中となると、ロシアも考えられないことはないが、可能性が高いのはK国だ。まっ、こんな推理をしたわけだ」
 彼らの当初の計画は、村岡を『うりゅう』から引き離し、口が堅く命令には服従する浅海を使って、『うりゅう』を捜索海域まで移動させる。同時に、村岡は目隠しをして『わだつみ』に乗せ、拘禁状態で調査海域まで移動させる。そして、『うりゅう』の装備品に詳しく、扱いにも長けている村岡に、『わだつみ』からの相対座標だけで指示してミサイルの捜索活動をさせる。
 帰りの移動も、行きと同じ手順と方法で行えば、秘密を保持できる。
 その一方で、『わだつみ』の乗組員に詳細を知らせない方法は、相当に難しいだろう。
 船がどの方向に航行しているか、誰でもわかる。速力は一定なのだから、距離と方向から位置は簡単に見当が付く。GPS携帯を持っていれば、もっと単純だ。しかも、衛星対応の携帯なら、どこからでも誰にでも電話できてしまう。
 海上自衛隊なら、秘密保持はある程度できるだろう。ただ、『うりゅう』を支援できる護衛艦がないので、やむを得ず、『わだつみ』を引っ張り出したのだろう。
 乗組員のほとんどが、海自か海保の出身者が占める『わだつみ』の問題は棚上げにしているのか、『うりゅう』乗組員に対する秘密保持対策は、ドラマチックでさえある。ただ、村岡がイニシアチブを握るためには、彼らに全ての情報を出させる必要がある。
「ミサイルを見つけて、早いこと『うりゅう』に戻り、瓜生島調査を再開したいからね」
「ミサイル捜索に協力してくれるのだね」
「そう決めたわけじゃない。まだ条件が揃っていない」
「いや、決まったも同然だ。私は、ミサイル捜索に協力する。条件付きだが」
「浦橋さん、なぜ、こんなのに協力するんだ」と、鮎田が熱くなった。
「鮎田よ、私はミサイル捜索にスキッパーが協力しないと言ったら、関門海峡を潜航して通過する事に協力をしないつもりだ」
 この一言で決まってしまった。
 村岡は、浦橋の協力無しで関門海峡を通過するつもりはなかった。それは、浮上した状態であってさえだ。
 浮上した状態であれば、一人でも問題はない。潜航した状態でも、潮流に乗って通過するだけだから、自信が無いわけではない。でも、浦橋の経験は貴重だ。混雑する関門海峡を、速力がない『うりゅう』で通過するには、彼のようなベテランの力は、必須といっても良い。
 今回の件は、文科省にも、防衛省にも、大きな貸しになる。浦橋は、それも計算に入れていると思われる。同時に、『うりゅう』乗組員全員が、同じ利益を得る事にもなる。
 今後の『うりゅう』の運用については、不透明になってきているが、この件のお陰で見通しも晴れるだろう。
 だから、村岡としても、相手の態度次第では、協力するつもりになっていた。
 浦橋には、悪者になってもらおう。
「そう言われてしまうと、俺もミサイル捜索の賛成派に回るしかないな」
「そんなぁ」
 不満の声が上がる中、松井には勝利者の笑みがこぼれた。
「だが、問題が残っている。ミサイルの推定位置と状態だ。これが分からなければ、捜索をしても結果は伴わない。こちらも覚悟を決めたんだ。腹を割って話し合おうじゃないか」
 見ている間に、松井が渋面に変わる。こいつは、本当に潜水艦乗りなのだろうか。
「分かったわ。協力を条件に、全部話しましょう」
「井本さん! 約束が違う! 彼らには、必用な情報だけを流すことになっていたのを忘れたのですか!」
 村岡は、松井に歩み寄り、肩を叩いた。
「必用な情報は、彼女が持っている情報だけでは不足するかもしれない。足りない分は、君が提供してくれるんだよね。どうやら、そういう約束らしいじゃないか」
 憮然とする松井の表情を見て、鮎田も魚塚も、溜飲を下げたようだ。
「必用な情報は与える約束になっていたわ。現場裁量も認められていたし。さあ、お話しましょう」
 井本は、驚くべき事実を話し始めた。
 五日前、護衛艦『さかなみ』がK国のミサイルを撃墜した事、そのミサイルのターゲットが東京であった事、同時期に日本海側でK国漁船に不穏な動きが多数あった事、K国の港で艦船の出港準備が慌しく行われていた事、これらの事実からミサイルが核弾頭を装着していた可能性がある事。
 K国は、東京を核で攻撃して政府機能を奪った後で、日本海側に上陸作戦を敢行する作戦だったことが推測される。しかし、ミサイルを撃墜したことで、作戦の続行は不可能になったのだろう。
 日本政府としては、同種の作戦を防ぐために、K国に対して事実を厳しく糾弾したい。その材料として、是非、核弾頭を手に入れたいと考え、秘密裏に『うりゅう』を回航した。更に、米国への貸しにもなる。
「一九九八年にテポドンの回収に失敗しているから、捜索しているところを見せたくないのかな」
 立場を変えた魚塚は、松井を挑発し始めた。
「これで、俺たちがミサイルを見つけたら、そちらさんは立場が無いね」
 そんな気楽さには、村岡さえ付いていけなかった。
「迎撃ミサイルは、炸薬を搭載していないんだろう。炸薬を搭載していたら、核物質が飛び散ってしまっただろうから、海上で放射性物質を探す方が懸命だ。SM-3とかいうミサイルと類似の構造を持っているんだろう?」
 井本は、松井を見た。
「迎撃ミサイルは、炸薬は持っていないのが普通だ」
 そうなのか。
「まあいい。最後の問題だ。正確な現在位置と、ミサイル落下地点の位置を教えてもらおう」
 松井は、答えなかった。
「松井さん。あんたの最後の切り札だ。どうする? こっちは一向に構わんよ。現在位置を教えないなら、浮上してGPSを使うし、落下地点を教えないなら、ミサイルは別府湾に落ちたものと推定して、別府湾で捜索するだけだ。どうする?」
 松井は、ホワイトボードに書かれた「大和堆東端」の文字を見ていた。
「村岡さん、もう一つ教えてもらってもいいかな。どうして、この位置が分かったのかな?」
 背を向けたまま、村岡に質問を投げてきた。
「俺は、築城基地付近で浮上し、すぐさまヘリで運ばれた。目隠しをされた人間を大っぴらに連れ歩けるのは、自衛隊基地か、政府関係のヘリポートだ。その後に船に乗せられたのだから、海自の基地しか有り得ない。ヘリの飛行時間と、今の条件に合うのは、舞鶴港しかなかった。そこからは、波の受け方で船の針路の見当をつけ、舞鶴港からの航行時間から距離の概算を求めたのさ」
「概算の割には、自信たっぷりに場所を書いたな」
「まあね。命令書には、常圧と書かれていた。『うりゅう』の可潜深度は、常圧なら五百メートルだ。日本海は、大部分が千メートル以上の水深がある。平均では三千メートル近い。ただ、大和堆は、五百メートル以内の場所がほとんどだ。あんたも、北西に四十海里移動しろと言った。その方向は、大和堆の中心に近い。『うりゅう』が最も有効に使える場所だ。概算でも、大和堆の東端付近と見積もれたから、裏付けを得たと思えたのさ」
 松井は、村岡に向き直り、しばらく見つめていた。
「大したものだ」
 再び、ホワイトボードに向き直ると、数字を書き始めた。それが経緯度であることは、誰の目にも明らかだった。村岡の推定値とも、東に十一分程度の誤差があったが、緯度は二分程度の誤差だった。西風で、少し流されたのだろう。
 二組の数字を書き終えると、松井は、荷物を持って食堂を出た。井本は、意味有り気に浦橋に視線を送っている。
「浦橋さん。部屋を開けてやってくれないか」
 浦橋は、ようやく井本の視線に気付いたらしく、「こちらで少し待っていてください」と言い残して食堂を出た。
「さてと、自己紹介を省略してしまったが、当番だけは決めておきたい」
「当番?」
「そうさ。この船には厨房員が乗っていないからね」
「何交代なの?」
「三交代だ。これを決めたくて、全員を呼んだけど、バラバラになってしまった。後の楽しみに取っておこう」
「でも、決まったようね。ミサイル捜索に移っていただこうかしら」
 賛同を得るため、鮎田、魚塚、江坂、小和田の顔を見る。
「スッキパーが言うなら・・・」
 鮎田以外は、口には出さなかったが、顔を見れば分かる。
「決まりだな。鮎田、座標を入力してくれ。左の数字を現在地点とするんだぞ」
 ホワイトボードから座標を写し取ると、指揮所に向かった。
「井本さんよ。この決定は、俺達以上に重い決定になるぞ」
「覚悟しているわ」
 連絡通路に浦橋の姿を見つけたらしく、井本は大きな荷物に手を伸ばした。だが、小和田が二つとも手に持った。
「お部屋まで、御案内します」
 小和田が先に立ち、二人は食堂を出て行った。
「悪い病気ですな」
 入れ替わりに食堂に入ってきた浦橋が、苦笑いした。
「手を出さないといいんですが」
「そうですね。それより、操船をお任せしていいですか。その間に捜索パターンを検討したいんです」
 浦橋は、腕時計を見た。
「私の担当時間帯ですから、当然です。推定位置に直行しますが、それでいいですか?」
「お願いします」
 二人で食堂を出た。浦橋は船尾よりの指揮所に向かい、村岡は船首にある自室に向かった。

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  8

 部屋の外に、人の気配を感じた。時刻から見て、朝食を持ってきたのだろう。
 外の状況を掴んでからでも遅くないと、早まった行動は慎んだ。
 外から鍵を開ける音がし、「食事を御用意しました」と声が掛かった。どういうことだろうといぶかしんでいると、「ドアの前においておきます」と声は続いた。
 村岡は、昨夜から部屋に置きっぱなしになっていた夕食の器を持って、そっとドアを開けた。
 ドアの前の床に、お盆に朝食が載っているが、人影は見えなかった。
 開放されたのかなと思いつつ、廊下の様子を見ると、ドアの左方向、三メートルほど先の廊下が交差する場所に、二人の衛兵が立っていた。なんと、手には小銃を構え、こちらを見据えている。
 廊下の右方向には誰も立っていなかったが、数メートル先のハッチまで隠れられそうな場所は無く、逃げてもハッチを開ける前に蜂の巣にされそうだった。おそらく、思い切り撃てるように、反対側には誰も立たせていないのだろう。
 行動を起こさなかったのは、間違いなく正解だった。
 昨夜の器を床に置き、朝食を持って部屋の中に後ずさった。
 朝食も、夕食同様、美味しかった。量も充分で、こんな狭い部屋に閉じ込められたままなら、確実にメタボリック症候群に罹ると思われた。
「護衛艦? そんなはずはない」
 廊下の床は、昨夜歩いた時の感触の通り、カーペット敷きだった。難燃化の難しさや、建造コスト、武器搭載量への影響を考えれば、護衛艦にカーペット敷きをするはずがない。
 だが、廊下に立っていた二人は、自動小銃を構えていた。こんな銃器は、警察だって持っていない。
 航海中の『わだつみ』には、警備員も乗船していない。自衛隊から、見張りを兼ねて自衛官が数名乗り込んでいるのだろうか。
 素人の村岡が考える脱出案は、自衛官が相手では通用しないだろう。大人しく、出番を待つしかなさそうだ。いずれ、『うりゅう』と合流し、それに乗り込むことになるだろう。
 今は、成り行きを見守るしかない。
 昼食も、朝食と同じ要領で行われた。彼らは、全く油断を見せなかった。
 そして、夕食も、同様だった。
 昨夜と同様に、シャワーを浴びてベッドに入った。

 翌朝、ベッドは、ゆっくりと揺れていた。ゆりかごのような優しい揺れ方ではなく、少々荒々しさを感じる。窓が無いので、海象は分からないが、台風のうねりが残っているようだ。ローリングだけでなく、波を乗り越える際のピッチングも、顕著だった。
 ピッチングは大きいが、その割には上下動は少ない。船体中央より少し船尾寄りに居るのだろう。ローリングも、角度の割に上下動が少ないので、喫水線より上だが、ボートデッキより下じゃないだろうか。それも船体中央に近く、正確には左舷よりだと思われた。
 ドア側が左舷、廊下を出て右に行けば船首、左に行けば船尾だ。
 船の揺れ具合からここまでの情報を得ても、これを利用する方法を思いつかなかった。第一、外の様子が分からない。『わだつみ』だとしても、詳細なデッキプランを記憶しているわけでもない。時間が必要だった。
 ダイバーウォッチを見ると、午前七時を回ったところだった。
 船は動いていたが、それ以外は変化がなかった。朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べた。
 初めて変化が起こったのは、夕食を食べている時だった。
 船が行き足を止めたのだ。
 ディーゼルエンジンの音と振動が弱まったが、このくらいの大型船になると、速度はなかなか落ちない。
 村岡も、食事を中断して神経を集中したが、減速を感じなかった。
 ただ、神経を集中した甲斐があり、船が取り舵を切ったのが分かった。
 台風は、東に遠ざかっているはずだから、波は西寄りになっているはずだ。船は、特に停船中の船は、横波に弱い。船を止める際には、波に立てる。つまり、波と正対するように、船首を向ける。
 船は、概ね北に向かって航行していたことになる。
 『わだつみ』の航海速度は十五ノットだが、海が荒れていたので、もう少し遅いかもしれない。出港は、台風の状況から考えて、明け方頃だろう。目を覚ました時には激しくローリングしていたから、若狭湾を出ていたと考えると、遅くとも午前六時までに出港している。航行時間は、十一時間から十四時間の範囲の中だ。
 北へ二百十海里。約四百キロ。
「なるほど。『うりゅう』を使いたがるわけだ」
 現在地の見当をつけた村岡には、『わだつみ』と『うりゅう』を必要とした理由に思い当たったのだ。
 ここが『うりゅう』との会合点だ。
 出番は近い。
 村岡は、与えられた夕食をしっかり食べた。そして、仮眠に入った。
 『うりゅう』は、別府湾からここまでのほとんどを、燃料消費の激しい全速力で来ているはずだ。燃料の水素も、燃料と呼吸に使う酸素も、使い果たしているだろう。
 ここまで、完全に閉じ込められていたということは、村岡に情報を与えないこと以上に、『わだつみ』の乗組員に村岡が乗船していることを知らせないことの方が大きいのかもしれない。それなら、『うりゅう』への補給作業にも、村岡が借り出されることはない。
 予想通り、ドアをノックしたのは、それから八時間以上も後だった。
 例によって、ドアの鍵が開けられ、自分のザックを持って外に出てくるように声が届いた。そっとドアを開け、廊下に出ると、目隠しを投げて渡された。自分で目隠しをすると、頭から袋を被せられた。
 エレベータに乗せられ、少し上のデッキに上がった後、ハッチをくぐって露天甲板に出た。船体中央に向かって歩かされながら、ムーンプールに『うりゅう』が浮上しているのではと、考え始めた。
 『わだつみ』は、船体中央にドリル用の開口部、ムーンプールがある。
 単独航行が可能な『うりゅう』は、他の潜水居住基地と異なり、支援船のバックアップがほとんど必要としない。それでも、燃料の水素と酸素の補給は必要で、物資の補給や、収集品の受け渡しや解析等で、支援船無しでは都合が悪い部分も多々ある。
 『わだつみ』は、稀にしか必要とされない支援船としてだけでは、運転効率の面で無駄な船になってしまう。
 そこで、地球深部探査船『ちきゅう』の補助的な役割を果たすべく、『わだつみ』には、ライザー掘削を継承して海洋底の掘削能力を付加している。
 掘削用ドリルを通すために、船体中央にムーンプールと呼ばれる開口部がある。
 風の音が強くなってきた。一定の周期で、まるで怪物の寝息のようだ。まだ、海があれている。ムーンプール内の海水面が上下する時に、中の空気も出入りする。それが大きな音を立てるのだ。
 ぐるりと迂回するような経路で甲板を歩かされる。ムーンプールを避けているように思える。ちょうど、反対側と思われる場所で止まるように命じられた。この状況で逆らうのは意味がないので、言われた通りにする。
「右手を伸ばしなさい」
 手を伸ばして探ると、手摺が触れた。
「それを伝って、梯子を下りてください。足が水面に届いたら、目隠しを外して結構です。あなたの船の入り口がありますので、艇内で次の指示を受けてください」
「つまり、ミサイルの引き上げ命令だね」
 悪戯心が芽生え、反射的にそう言った。
 反応は無かった。
「悪かった。素直に梯子を降りることにするよ」
 冗談ぽく応え、手摺を両手で握った。ゆっくりと足元を確認しながら、梯子を下りていく。直ぐに、船腹を打つ波の音が聞こえなくなった。
 周囲を鉄板で囲まれた筒状の空間に踏み込んだことを意味する。
 ここで落下したのでは、なんとも間抜けな話になる。用心に用心を重ね、手元足元に注意を払いながら、ムーンプールの下層へと進む。ムーンプール内の空気が動く風を感じる。だが、海水面の上下動は、思ったほどではなさそうだ。
 同時に、海面は近いらしい。
 それから二段下りたところで、水面に足が入った。と思った次の瞬間には、膝のあたりまで押し上げてきた。
 村岡は、袋を取り、目隠しも捨て去った。目隠ししていたので、暗闇にも問題は無かった。
 思ったとおり、ムーンプールの中だった。その中央には、『うりゅう』のブリッジが頂上を水面に覗かしていた。見上げると、四角に切り取られた夜空に、大きな掘削用やぐらが聳えていた。真下からの眺めでは、五十メートルに及ぶやぐらの高さは感じないが、言い表せない圧迫感がある。
 このやぐらの複雑な骨組みが邪魔になり、星はほとんど見えない。星座が分からないと、船の向きを特定できない。少し見上げていたが、諦めた。
 海面の変動を見ると、一メートルか、精々一メートル半程度の上下動だった。だが、この上下動に揉まれて壁に激突するのは避けたいところだ。
 二段ほど登ってから、ザックを背負ったまま、思い切って飛び込んだ。『うりゅう』に向かって泳ぐ。ブリッジによじ登ろうとすると、妙にふわふわと不安定な感触がする。どうやら、ブリッジ部分を切り離して浮上させているらしい。
 ブリッジによじ登り、二重のハッチを開いて中に入った。
「村岡さん。待っていたよ」
 浅海だった。
「航海日誌だ。気付いたと思うが、ブリッジは切り離して浮上させている。艇体は、二十メートル下だ。燃料は満載で、二酸化炭素キャニスタは、七パーセントの消費率だ。他は、オールグリーンだ」
 気に入らない。何となく、雰囲気がおかしい。
「命令書か何か、受け渡されるものは無いのか?」
「無い。私が下船し、君が指揮を取る。それだけだ」
 納得がいかない。ただ、浅海の立場を考えると、これ以上は言えなかった。彼は、『うりゅう』をここまで運ぶためだけに利用されたのだ。当然、本人も承知しているだろう。それを知った上で、これ以上の事を言う事はできない。
 浅海が伸ばした手をぐっと握り返す。
 浅海は、一瞬、済まなそうな表情を浮かべた。見せた事が無い表情が気になったが、声を掛ける暇もなく、彼はハッチを出て行った。ハッチから顔を出して彼の姿を追ったが、もうムーンプールに飛び込んでいた。
 諦めて、ブリッジ内に戻り、ハッチの閉鎖を始めた。
 二重ハッチを閉じたところで、ほっと息をついた。自分の家に帰ってきた気分だった。
 海水面の上下動は小さくないが、浅海なら梯子に取り付いた頃だろう。ブリッジのモニタで、水深を確認した。村岡は、制服の通信機が『うりゅう』のネットワークに繋がっていることを確認した。
「村岡だ。深度五十メートルまで潜航開始。ブリッジが没水後、ブリッジ巻取り開始」
「アイアイサー」
 鮎田の声が返ってきた。若い彼の声を聞いて、ほっとする。
 十分後には、ブリッジは『うりゅう』本体との連結が終わっていた。
 ブリッジ下部のハッチから連絡通路に降り立った村岡は、右舷の指揮所に歩を進めた。そこには、鮎田がいるはずで、他のメンバーも居るかもしれなかった。みんなの顔を見たかった。
 ところが・・・
 船内に、大声が響いた。

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