海と空が描く三角

  プロローグ

 艦長は、エジプト軍になったような気がしていた。
 艦首が切り裂いた波飛沫が、艦橋の窓を激しく叩いた。窓枠が曲がるのではないかと思うほどの衝撃が、艦橋を揺さぶる。飛沫の水煙が晴れる頃には、艦首が次の波に突っ込み、新しい飛沫を上げている。飛沫は、再び強い風に煽られ、加速しながら艦橋に向かって飛んできた。
 艦は、波と波の谷間に落ち込み、見通しが利かなくなるかと思えば、次の瞬間には、波頭に乗り上げ、高い塔の上にいるような気分にもなる。
 艦首が波に突っ込むのは、波頭を乗り越えた直後だ。艦全体を震わせて、モーゼの如く海を切り裂く。艦長がエジプト軍になったような気持ちになるのは、艦首が切り裂いた波飛沫が、自分の立つ艦橋に弾丸のように降り注ぐこの時だった。
「艦長。このまま、ハリケーン・インディアナと進みますか?」
 艦長は、両足をしっかり踏ん張り、前方を見据えて立っていた。
「そうしよう。どうしても、P・A・Eをまく必要がある」
 艦長の苦々しそうな顔が、環境保護団体P・A・Eのしつこさを物語っている。
「この艦が、未処理の廃棄核弾頭を満載している事を知られないためには、港に入る前に振り切らねばならない。で、奴等は、付いて来てるのか?」
 艦体に強い動揺が伝わり、大きく横に傾いたが、直ぐに復原した。二人は、手近な手摺に掴り、体を支えた。
「いえ、間も無く、レーダー圏外に離脱します。流石に、この大嵐では、付いて来れないようです」
 この嵐の中では、艦体は、直立する事はない。常にピッチングとローリングを繰返し、時には、横波に煽られてヨーイングも起こした。これでも、波に立てる操艦をしているので、いくらか揺れを押さえる事に成功している筈だ。
「ハリケーン・インディアナだったか。天の恵みというべきかもしれんな」
 どうしても振り切る事ができなかったP・A・Eの監視船は、ハリケーン接近と同時に離れていった。これを、「天の恵み」を言わず、何と言おうか。
 しかし、この荒天では、乗組員の中にも、船酔いでベッドから出られない者が、少なからず居た。軍務に就いている水兵が、この有り様ではと思う気持ちもあるが、ハリケーンの真っ只中で、船に酔うなという方が、酷なのかもしれない。
 ただ、乗組員がこの調子では、この艦の本来の性能を引き出す事は難しいかもしれないと、艦長は危惧していた。
 艦長は、目の前の海象に一瞬躊躇したが、新たな決断を下した。
「よし、レーダー圏外に離脱すると同時に、進路を二時に変える。奴等が追いつく前に、港に入るぞ」
 再び、大きな横揺れが、艦を襲った。艦は、身震いしながら、元の姿勢に復元していく。軍艦は、一般商船に比べて、復元力が大きく設計されている。この艦も、輸送艦とはいえ、復元力は大きく設計されていた。しかし、復元力の大きな船の類に漏れず、揺れが酷く、特に、この荒天では、木の葉のように波に揉まれるのだった。
「ですが、ハリケーンの中心付近を通り抜ける事になりますが」
「大丈夫だ。この程度の嵐なら、過去にも経験がある」
 艦長は、不敵な笑みを浮かべた。
「奴等は、我々がこの嵐を利用して、北へ遁走したと思うだろう。まさか、中心を突っ切って、ハリケーンの東側に抜けたとは思うまい。だから、奴等が、我々を発見する頃には、我々は、荷物を降ろして、再び出港しているってわけだ。どこで、荷物を降ろしたのか、誰にも分からないさ」
 艦長は、この艦での航海は、初めてだった。それでも、新造艦である、この艦の中では、もっとも経験が豊富だった。
 二人は、大きくピッチングとローリングを繰り返す艦を、頼もしそうに見詰めた。
 この艦は、廃棄核弾頭や、処理済みの核弾頭を輸送するために、海軍が造った新造輸送艦だった。外観には、一般商船との違いはほとんど無いが、各所に武器を装備し、テロリストに対峙できるようになっていた。
 原子力潜水艦のサブロックから取り外した廃棄核弾頭を、パールハーバーから本土の書く処理施設へ輸送するのが、今回の任務だ。だが、どこで機密が漏れたのか、軍港出港の翌日から、環境保護団体P・A・Eの監視船の追跡を受け始めた。おまけに、太平洋上では、振り切る事ができなかった。
 帰港した際には、報告書にこの旨を詳細に記載し、漏洩ルートの徹底的な捜査を要求しなければならない。
 だが、今回は、ハリケーン・インディアナを利用して、振り切れそうだ。ハリケーンに遭遇したのは、ラッキーだったと言うべきだろう。
 四十分後、艦は、二時の方角へ、転進を始めた。
 二十四時間後、海軍の哨戒機は、この海域を繰り返し低空で通過した。そして、連絡を絶った核燃料輸送艦と、その乗組員を、必死に捜索した。

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