救難飛行艇S-2R

「スクランブル! スクランブル!」
 電子的に合成された声は、タッカを眠りから引き戻した。毛布を蹴って立ち上がると、隣室のブリーフィング室に消えるユカリの後ろ姿が見えた。タッカも続いて隣室に入った。
 制服をビシッと着たブリーフィングコンダクターが、タッカらを待っていた。
「水素潜水試験設備で、事故があったそうです」
 タッカは、ユカリと顔を見合わせた。
「事故は、下であったんですか。上であったんですか」
 上、即ち、支援船で事故があったのなら、鉄腕の身に即座に危険が降り掛かる事はない。支援船の支援が無くとも、最大一ヶ月は自力で生存できる。だが……
「下です」
 ブリーフィングコンダクターは、聞きたくなかった言葉をあっさりと吐いた。
「現在、海底基地との連絡は切断されているそうです。下に生存者が居るかどうか不明ですが、救出した場合には直ちに移送できるように、派遣要請が入りました」
「で、現地の気象と海象はどうですか」
 ユカリは、通常の救難飛行と同じ様に、淡々としていた。
「現在のところ、全く問題ありません。風力は1、平均波高3フィート未満です」
「もし救出した場合、アクアシティまで空輸する可能性が高いのですね」
「ええ、高圧医療設備は、あそこが一番整っていますから」
「現地までの気象状況は?」
「これが高層天気図です。特に問題はありません。ただ、行きは三万五千フィートから四万フィートで向かい風になります」
 タッカは、メモを取りながら、高層天気図に見入った。この天気図だと、快適な空の旅になりそうだ。行く目的が観光なら最高なのだが。
「アクアシティの受け入れ準備は、どうなってるの?」
「まだです。下の様子が見えてこないと、準備のしようがありませんから」
「で、事故の内容はどうなんですか」
 タッカは、どうしても聞いておきたかった。が、ユカリに制止された。
「それは機上で聞きましょう。空輸する品はありませんね」
「総て支援船の搭載品で間に合うようです。少なくとも、S-2Rで運ぶものは無いと、言っています」
「では、医療品が必要になった場合には、支援船の備品を借りられますね」
 ドクターの質問に、ブリーフィングコンダクターはしっかりと肯いた。
「分かりました。直ぐに離陸します」
 レスキュースイマー三人、観測員一人、ドクター一人で構成されるS-2Rの乗員達と共に、タッカとユカリは機に乗り込んだ。
 何の因果か、ユカリが機長を務める機の副操縦士として、サンディエゴで勤務する事になった。突然の勤務変更だった。その訳は、ユカリが、機長最初の勤務は最も腕の良い副操縦士と組ませて欲しいと要求したためらしいが、ユカリの口からしか聞いていないので、タッカには真相の程はわからない。
「難しくない飛行だけど、気を抜かないでね」
 彼女は、タッカに操縦のチャンスを与えてくれた。先週の空港の喫茶店での話を、彼女は気にしてくれていたのだ。
 二分後、ジャイロが自立した。直ちに離陸前のチャックリストに移り、間も無くサンディエゴの空港を飛び立った。

 S-2は、新明和工業のUS-2の技術を昇華させた機体と言ってよい。そして、そのUS-2の根底には、新明和工業の前進である川西航空機が作り上げた二式大艇が息づいている。
 日本海軍の飛行艇として、第二次世界大戦中にデビューした。その性能は、総てにおいて当時の飛行艇の水準を遥かに超えており、実用飛行艇では世界で最も速く、最も遠くまで飛べた。どの性能値も、飛行艇では比較できるものは世界のどこにも無く、空の要塞と呼ばれた陸上機のB17にさえ、比肩し得る高性能だった。特に、航続距離の長さは特筆もので、B17を二千キロ近くも上回る七千百五十三キロを誇った。パイロット達は、三食分のおにぎりを持って乗り込む事を自慢し、まる一昼夜に及ぶ作戦行に耐えた。
 事実上の後継機であるUS-1、その改良型のUS-2を除けば、二式大艇を上回る飛行艇は今もって少ない。零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦よりも、この二式大艇を日本の傑作機として揚げる専門家は少なくない。
 二式大艇は、高性能ぶりを示すいくつかの逸話を残している。その一つに、B17との空中戦がある。
 B17と二式大艇が、それぞれ単機で遭遇し、空中戦になった事がある。
 両者共、四発の大型機だったが、陸上機のB17に対し、二式大艇は重い艇体を持っている点で明らかに不利だった。この空中戦の勝敗は、火を見るよりも明らかな筈だった。
 だが、結果は逆だった。鈍重な筈の飛行艇である二式大艇は、中型攻撃機並みと言われた軽快さで飛び回り、B17を上回る重武装と日本軍機には珍しい燃料タンクの防弾装置の甲斐もあり、B17を撃墜したと言うのだ。
 こんな高性能にも関わらず、終戦時には大部分の機体は失われた。
 パイロット達には、機体が失われるのは生爪を剥がされるような心の痛みがあっただろう。機体と共に散った者。目の前で機体を破壊された者。
 同じパイロットながら、平和な空を飛べる俺は幸せだと、タッカは思う。
 戦争さえなければ、空に散った若いパイロット達も、この美しい空と鳥瞰を思う存分楽しむ事が出来ただろう。飛行経路の大部分が海上であるタッカだが、空からの景色が常に心のどこかにあり、たとえパイロットを辞める時が来ても、乗客となって空を飛び続けたいと願っている。
 戦争さえなければ、彼等若いパイロット達も、この美しい空を飛ぶ事が出来ただろう。そして、美しい景色を数え切れないほど心に刻んだであろう。
 戦争さえなければ!
 戦後、僅かに三機だけ残った内の一機を横須賀に回航する際にも、二式大艇は逸話を作った。
 二式大艇をノーフォークに研究保存するため、横須賀に回航する事になった。先導するアメリカ海軍の飛行艇に追従し、二式大艇は横須賀までの最後の飛行を行った。
 横須賀までの空路、アメリカ軍飛行艇のあまりの鈍足ぶりに、二式大艇はフラップを降し、機体を左右にスイープさせながら飛行した。アメリカ軍飛行艇を追い越すと、逃亡と見なして攻撃を受けてしまうため、このような飛行となった。着水も、ポーポイジングを起こしながら着水したアメリカ軍飛行艇を尻目に、かつお節と呼ばれる独特の波消し装置を備えた二式大艇は、見事な着水を決めたという。
 この回航に同行したアメリカ軍パイロットは、「こんな素晴らしい飛行艇を持ちながら、なぜ日本は負けたんだろう?」と漏らしたそうだ。後に、ノーフォークで繰り返された性能調査でも、アメリカ人技術者を一様に唸らせたのは、言うまでもない。
 S-2は、この二式大艇と同じ技術の流れを汲む。
 ただ一つ、S-2が平和目的で製造された点を除いて。

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