F四Lブロックの中央寄りに、上下を結ぶ階段があった。それを通して、直ぐ下のデッキでも、各部屋のチェックを行っているのか、時々、扉を開閉する音が聞こえてきた。
 階段を通して、こちらが見えないように注意して走り抜ける。
 一体、何人の男達が押し入ってきたのだろう。それに、さっきの自動小銃も気になる。全員が自動小銃で武装しているらしい。自称環境保護団体なのに。武器の準備が良すぎる。
 ユカリが目の前で立ち止まった。彼女の前には、水密ハッチが閉じていた。
「まずいわ。防水指揮所にいれば、水密ハッチの開閉は一目で分かるから、ここを開けられない」
「やつらは、誰かが動いたら直ぐに分かるようにしているのか?」
「そうね。あまり人数がいないのかもしれないわね」
 賛成はできなかった。
 Hデッキの二人の監視に、合流した二人。Fデッキで倒した一人と、気配があったもう一人。更に、Gデッキでも家捜しをしていた二人か三人。防水指揮所でハッチを監視している筈の一人。いや、もっと居るだろう。ハッチが開いた時に、その場に急行するための要因が二人は居る筈だ。合計すると、少なくとも九人。おそらく倍!
「どうする?」
「上に上がるしか、ないわね」
 上にも、奴等がうろついているだろう。ついさっきの事もあって、そんな中を通り抜けたくなかった。だが、ここはユカリに付いて行くしかないと、タッカも諦めた。
 階段まで戻り、上下の様子を探った。物音は、下のデッキからしか聞こえなかった。彼女は、するするっと上のデッキに上り、その先へ姿を消した。タッカも、それに続いた。
 E四のブロックは、E五と繋がる大きな食堂だった。左右も両舷側まで届いている。多目的に使えるようにパーティションで区分けできるようになっていたが、今はだだっ広い一つの部屋になっていた。
 こんな所で奴等に出くわしたら、逃げも隠れも出来ない。だから、彼女ももう姿を消している。タッカも、船尾を目指して広い食堂を駆け抜けた。
 食堂の先の整備場を通り抜けると、開放甲板に出た。目の前には、鉄腕の帰還を待つ船上減圧室が鎮座していた。
(こいつに鉄腕を連れ帰るために、俺はここに居るんだ)
 船上減圧室を見て、タッカはその思いを強くした。
 二人は、舷側に沿ってU字形に張り出しているDデッキの開放甲板の下を慎重に進んだ。そして、Dデッキ下のハッチから、再び船内に入った。
 ハッチの中は直ぐに下り階段になっていて、タンク室に繋がっていた。タンク室は、ヘリウム、水素、酸素の大きな高圧タンクが並び、複雑な配管が巡らされていた。驚かされたのは、タンク室内に充満する轟音と室内とは思えない強い風である。もし水素が漏れた時にも、タンク室内で爆発しないように大容量の換気装置が取り付けられているらしい。
 タンク室は、Fデッキの床を打ち抜いた二層分の高さがあり、Fデッキの高さには、申し訳程度の手摺が付いたキャットウォークが、タンクの隙間を縫うように繋がっていた。
 キャットウォークは、歩き辛かった。靴を脱いでいる足に、キャットウォークの網目が食い込んだ。網目には足の指も挟まりそうで、足元に注意しながら歩いた。靴を履く事も考えたが、盛大な足音が換気装置の轟音を貫いて響きそうで、やめた。
 彼女は、足が痛くないのかと、ふと目を上げると、彼女は、靴を手にしたまま涼しい顔で走り去って行った。慌てて走り出そうとした瞬間、下りてきたハッチが、再び開く音がした。神経が轟音の中に聞こえたその音に集中し、足元への気配りが不足した。
 あっと思った時には、遅かった。爪先が網目に食い込み、大きくバランスを崩した。もう倒れる事は避けられなかった。辛うじて手摺を掴んだ左手と床をついた右手で膝をつく前に体重を支え、最小限の音で転んだ。だが、首に掛けていた靴は、キャットウォークでワンバウンドしてGデッキまで落ちていった。背筋が凍り付いた。靴が床に落ちる音を聞かれたなら、万事休すだ。
 重力が弱くなったのではないかと思うほどゆっくりとGデッキの床に落ちて行く靴を、目で追った。靴紐でお互いに結ばれた靴は、縦に回転しながら落ちて行く。キャットウォークの網目から見える靴が、突然、その運動方向を変えた。床でバウンドしたのだ。今度は、横に回転しながら床を滑るように跳ね、やがて止まった。だが、音は最後まで聞こえなかった。
 換気装置の騒音が、靴が落ちた音を掻き消したのだ。
 靴を取りに行くべきか判断に迷ったが、靴を諦め、大急ぎで彼女の後を追った。靴を取りに行けば、後ろからやってくる奴に見つかる可能性が高いが、靴だけなら見付かる心配は少ない。それに、靴を見つけたところで、誰の物か分かる筈もない。
 無事にタンク室を抜けられた事で、タッカが下した判断に誤りが無かった事を確認した。
 タンク室の次は、大きな倉庫になっていた。ここも吹き抜けで、キャットウォークは壁面に張り付くように配置されていた。
 ユカリは、倉庫の反対側に見える最後のハッチに取り付いていた。タッカは、今し方、通り抜けたハッチをそっと閉め、彼女の所へ急いだ。倉庫には何も無く、タンク室側のハッチを開けば、反対側まで遮る物は何も無いのだ。タンク室に下りてきた奴が、倉庫までくれば隠れるところも無く、最悪は蜂の巣にされてしまう。
 彼女が開けた最後のハッチを走り抜けると、大慌てで閉めた。
「これで、防水指揮所でも、ここに誰かが来た事が分かったでしょう。急ぎましょ。誰かがここに来る前に脱出するのよ」
「心配するな。直ぐ後ろまで来てたさ」
 タッカは、タンク室に降りてきた奴が居る事を伝えた。
 彼女は、にっこり笑うと、太いロープが山積みされた部屋の先にあるハッチを開いて、外に出た。
「S-2Rは左舷側だったわね。何処にあるの」
 彼女は、左舷の舷側から身を乗り出しながら、タッカに言った。
 左舷の薄暗くなり始めた海上を、タッカもS-2Rを捜した。最後にS-2Rを離れた時、その距離は二百メートル以内だった。ただ、風に押されて、もう少し離れているだろう。そう思っていたタッカも、我が目を疑った。同時に、視力の良い彼女が、「何処にあるの」と言った意味を理解した。
 S-4Rは、少なくとも三千メートル以上も離れていた。
「シーアンカーを上げてたでしょう」
 彼女の指摘通りだった。支援船に近付く際に、シーアンカーは巻き上げてあった。そのまま拉致されたから、シーアンカー無しにS-2Rは漂流していた事になる。
 彼女は、付近の海域をさっと眺めた。
 目に見えたのは、右舷三百メートル付近に停泊する環境保護団体の監視船だけだった。乗り込んできた連中が、ここに来る前に乗っていた船だ。
「あっちへ行きましょ」
 彼女は、事も無げにそう言った。
 言い終わった時には、彼女は海に向かって身を躍らせていた。タンク室に入ってきた奴がここに現れそうで、タッカも後れを取るまいと海に入った。
 飛び込んだタッカは、いきなり何か強い流れに捕まった。最初は、支援船を回り込む風潮かと思い、深く潜って船から離れようとしたが、益々強い流れに捕まり、支援船に引き寄せられて行った。この時になって、初めてスクリューに引き寄せられている事に気付いた。
 支援船は、風や潮を受けても海底基地との位置関係を保つように、常にスクリューとスラスターを動かしている。船尾は、モーター内臓の二基のリングスクリューを三百六十度向きを変えながら、船の位置を制御している。そのリングスクリューが、大きな口を開いて待ち構えていた。
 真っ直ぐ逃げても、到底逃げ切れるものではない。真横、それも、風下の左舷に必死に泳いだ。だが、吸い寄せる力が強く、直ぐにリングのエッジに足が当たった。タッカは、体勢を変え、リングの外側のしがみつき、吸い込まれそうになる下半身を必死に支えた。
 リングスクリューは、本来なら左舷斜め前方を向いている筈だった。海に入る前の波の向きは、その方角だった。恐らく、一時的な潮の流れを感知して、ほとんど逆方向に回ってしまったのだろう。だから、ほんの少しの時間を頑張れば、吸い込もうとしているスクリューが次は押し出してくれる筈だった。
 だが、肺にはあまり空気が入っていなかった。飛び込んだら直ぐに浮上するつもりだったから、目いっぱいに空気を吸っていなかった。
 目の前が暗くなり始めた。酸欠の症状だった。飛び込んでから一分も経っていなかった。
(俺の実力なら二分は持ち堪えられる筈なのに、早くも酸欠になり、息苦しさよりも先にブラックアウトが始まるとは)
 情けない気持ちになりながら、タッカは必死に耐えた。だが、命の危機に体が大量の酸素を消費してしまっていた。
 スクリューが反転するが早いか、肺がダウンするのが早いか、最後の勝負だと思った。それでも、スクリューはタッカを吸い続けた。悔しいが、力が尽きかけ、靴を脱いだ爪先をスクリューの羽根が掠めるのを感じた。
 指先の力が抜け、体がずれ始め、強い力で流され始めた。タッカは、覚悟を決め、下半身の何処にスクリューが食い込むのか、最後の瞬間を待ったが、なぜか、体の何処にも衝撃を感じなかった。
 直ぐには、何が起こったのか、理解できなかった。なぜか体は浮き上がり、水面に押し上げられた。潮の流れが変わり、スクリューが反転したのだ。
 タッカは、水面に顔を出し、思い切り呼吸をした。同時に、大慌てで船尾から離れた。

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