ユカリが復唱して返す。
 四基のエンジンが轟音を轟かせ、燃料を満載した機体を僅か七秒強で空中へ持ち上げた。何度体験しても、感心する離水性能だ。
 離水後は、直ちに左へ旋回し、上昇を続けた。
 外気圧の減少分を調整するため、加圧のペースを少し落とした。
 目的地までの所用時間は、およそ五時間。東の空は、紫色に変わり始めていた。
 操縦は彼女に任せるしかないので、到着までは、急激な加圧による窒素酔いに備え、体内の窒素分を体外に排出するための体操を繰り返した。左手に持った非常食に齧り付きながら、右手で水素潜水具の確認をする。
 加圧による酔いと、既に三十時間以上も寝ていない事で、睡魔に襲われた。だが、初めての水素潜水でいきなり千メートルの海底に直行するのだから、マニュアルはしっかり頭に叩き込んでおく必要がある。睡魔と闘いつつ、マニュアル読みを続けた。
 がくっとなって、タッカは目が覚めた。慌てて時計を見ると、三十分も居眠っていた事が分かった。慌てる事はなかった。マニュアルは読み切っていたし、着水まで、する事が無くなっていた。ぼんやりチェックリストを見ていたら、居眠ってしまったようだ。
 気圧計を見た。
 四十九気圧を越えるところだった。
「これから、着水態勢に入るわよ」
 インカムを通じて、彼女の声が飛び出してきた。
「了解した」
 ドナルドダック効果で、思い切り高い声になっている。聞き取り難い声だが、彼女なら、ドナルドダック効果にも慣れているので、問題は無い筈だ。
 タッカは、またベッドに体を固定した。
 間も無く、APUのエンジン音が高まり、BLCがオンになった。いよいよ着水だ。
 既に、夜の帳も明け、着水には何の問題も無いだろう。ただ、この減圧室には、前部キャビンとのハッチに小窓があるだけで、外の様子を見る事ができない。感覚を鋭敏にして、機体の傾斜や加速度から外の状況を読むしかない。
 突然、エンジンが全開になった。明らかに、ゴーアラウンドだ。同時に、インカムが鳴った。
「攻撃を受けたの。様子を見て強行着水して、水中エレベータを懸下装置ごと切り離すから、水中エレベータで待機して」
 奴等は、タッカ達が戻ってきた事を、快く思っていないのだろう。
「了解した。水中エレベータに乗り移るから、それまで上空待機をしてくれ」
「了解」
 タッカは、全裸になり、全身に水素潜水用のスキンクリームを塗った。こうしておかないと、長い時間、水素ガスに触れている事で、皮膚がただれてくるのだそうだ。続いて、パンツを履き、防寒用の毛織りの下着を着て、温水循環ジャケットを身に付ける。その上に、ドライスーツを着込み、一通りの確認をチェックリストに従って行う。
「これから、水中エレベータに移る。一時的にインカムが不通になる」
 ヘッドセットを外し、減圧室内の総ての電源をOFFにした。水素ガスが減圧室内に大量に侵入した場合に、電源部のスパークで爆発しないための配慮である。S-2R側での最大の危険要素である。
 電源OFFで減圧室内は真っ暗になり、前部キャビン側のハッチの小窓から一筋の光が差し込むだけとなった。FE式携帯光源のスイッチを入れた。周辺が、仄かに明るくなった。
 続いて、水中エレベータとの連絡通路の接続状況と圧力差である。元々、こことの圧力調整弁は、加圧の第一段階終了時に開放状態にしておいたので、何ら問題はなかった。 
 連絡通路との圧力差が無い事を確認して、減圧室側のハッチを開いた。そして、圧力調整弁を閉じた。
 直径五十センチ、長さも五十センチの連絡通路の先に、水中エレベータ側のハッチが見えた。ハッチに付いている圧力差計は、二十七ヘクトパスカルだけ、水中エレベータ側の圧力が低い事を示していた。これなら、圧力調整弁を開いても、減圧室側から水中エレベータ側へと空気が流れるので、水素ガスが減圧室に吹き込む事はない。
 圧力調整弁を開くと、ぴーという高周波音を伴い、空気が水中エレベータに流れ込んだ。
 俺は、圧力差が無くなるのを待ってハッチを開くと、体毎滑り込んだ。水中エレベータ内は、水素ガスが詰まったボンベで、体を入れる隙間を探すのさえ、難しい状況だったが、無理矢理、体を捻り、減圧室側のハッチを閉じた。再度、ハッチの圧力調整弁が閉じている事を確認し、今度は水中エレベータ側のハッチを閉じた。そして、こちらも圧力調整弁を閉じた。
 水中エレベータ内は、FE式光源の白い光で満たされていた。タッカは、ボンベの上に丸くなり、エレベータ内を見回した。
 ヘッドセットは、直ぐに見付かった。
「水中エレベータへの乗り移りは完了した。これからチェックリストを始める」
「了解。連絡トンネルは、こちらで遠隔切り離しをします。チェックリストが終わったら、連絡して下さい」
 事務的な喋り方が、緊張感を高める。
 チェックリストが終わると、彼女に連絡した。だが、連絡トンネルは切り離されないまま、着水した。下部ハッチを開くモーター音が聞こえる。
「おい、まだ連絡トンネルが切り離されていないぞ!」
「慌てないで! もう一度着水したら、今度こそ切り離すから、そちらは、切り離し時の衝撃に対処できるように、準備をしておいて!」
 直ぐに、下部ハッチは閉じられた。通常なら、重量を減らすために、ハッチ内の水をポンプで排出する。ところが、彼女はそのまま機を離水させた。

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