脱出作戦

 連絡通路とのハッチを開いた時、思った以上の浸水があった。急いで、A棟側のハッチを開いて、A棟側に海水を逃がした。ドクター以外の四人で、A棟を駆け抜ける。
「おい、交換しときな」と鉄腕が、温水循環装置用のバッテリを投げて寄越した。
 タッカは、指定されたタンクを背負い、バッテリを交換した。予備のタンクは、六本あったが、これで、残るは二本だけとなってしまった。
「よし、行くぞ。アムスとタッカは、水中エレベータの方を頼む。俺達は、浮力嚢を準備する。終わったら、水中電話で呼び出してくれ。ところで、水中エレベータは、どこにあるんだ?」
「ここから、五十メートルくらいです」
「厳しい距離だな。どうするつもりだ?」
「水中エレベータからワイヤーを引っ張って、一番近くのケーブルを持ち上げようと思います」
「分かった。やってくれ。さぁ、行くぞ」
 次々に、開放ハッチに姿を消した。タッカも、それに続いた。
 水中に入ると、鉄腕に合図して、ベルトワイヤと二本の骨材を持って水中エレベータに向かった。今度は、ロープがあったので、呆気なく辿り着いた。
 早速、持ってきた骨材を、水中エレベータのフレームの上端に括り付け始めた。それが終わると、パラシュートを広げた。これは、相当苦労すると思っていたが、空気の八百倍もある海水の抵抗は、少し引っ張っただけでパラシュートを簡単に開かせた。思ったより苦労したのは、パラシュートを骨材に固定する方だった。直ぐにロープが絡まり、思うようにならない。
 ポンと、肩を叩かれた。振り向かなくても、鉄腕だと分かった。鉄腕は、ケーブルと水中エレベータのフレームとの間を、ケプラー系繊維で作られたベルトワイヤで繋ぐ作業をしていた。それが終わり、タッカを手伝いに来てくれたのだ。この環境下では、作業効率の面で、彼には敵わない。
 鉄腕の手を借りて、パラシュートの固定が終わった。
 一旦、水中エレベータに入り、水素ガスボンベを一個だけ持ち出した。バルブを捻り、パラシュートの中に水素ガスを放出した。パラシュートは、準備中の熱気球のように、水素ガスを溜めて膨らんでいった。
 そうかぁ!
 少し膨らんだところで、慌てて水素ガスの放出を止めた。
 パラシュートは、左右に広がるように、中央が持ち上がっている。でも、水素ガスをため込んでいくと、パラシュートの両翼が広がりきらない内に、中央の縁からガスが漏れて行く。これでは、十分な浮力を得られない。パラシュートの浮力を最大にするためには、全体が同じ高さになっていなければならない。
 鉄腕に身振りで示し、ロープの長さを調整した。
「こちらは、準備が完了しました」
 水中無線で、呼び掛けた。
「よし、実行に移してくれ」
 タッカは、水中エレベータに入り、中にある総ての水素ボンベのバルブを開いた。ハッチ付近にあった水面は、徐々に下がり始めた。やがて、水中エレベータから漏れ、外壁に沿って気泡となって昇っていく。気泡は、やがて、パラシュートの中に溜り、大きな空気の固まりを作っていった。
 その様子に満足すると、もう一度、水中エレベータに上体を入れ、バラストの全投下レバーを引いた。
 低周波の振動が、足元から伝わり、もうもうと砂煙が上がった。同時に、タッカを残して、水中エレベータが急浮上を始めた。
 水中エレベータから、シャングリラに向かって、一直線に砂煙が上がった。ベルトワイヤが上げる砂煙だった。
 タッカは、鉄腕と共に、急いでシャングリラに戻った。シャングリラまで戻った所で、酸素の残量を見た。まだ、半分以上ある。
 シャングリラでは、水中エレベータの浮力の程度を見ていた。
 ケーブル・ステーション側からケーブルが持ち上がり始め、大蛇は、鎌首を持ち上げた。これに合わせ、浮力嚢の一つが膨らまされた。同時に、オコーナー達は、もう一つの浮力嚢の位置の変更を始めた。
 ケーブルの大蛇は、やがて龍になり、天の暗闇に頭を消した。
 二つ目の浮力嚢も膨らまされ、天に昇る勢いが増した。
 水中エレベータは、恐らく二百メートルは、浮上しているだろう。水圧は、20%減り、容積は25%増えているだろう。パラシュートも、半分以上に空気が溜まり、浮力は二トン近くなっている筈だ。一つ目の浮力嚢も、百メートル以上、浮上した筈だ。
 暗闇の天井に向かって、垂直に昇っていくケーブルは、良く見ていないと、天井からぶら下がって揺れているだけのように見えてしまう。滑らかな表面が、五人のヘッドライトに照らされて、ぬらぬらと光っている。
 一瞬、ケーブルの表面を黒い影が垂直に走った。ケーブル表面の引っ掻き傷らしい。あっと言う間に、ヘッドライトも届かない暗闇の天井に、吸い込まれていった。
 突然、激しくきしむ音に続いて、水中で大鐘を鳴らすような振動を感じた。
「まずい!」
 水中電話から、悲鳴のような叫びが流れてきた。見ると、ケーブルは垂直に立ったまま、動かなくなっていた。
 ケーブルの下端へと視線を走らすと、緊急脱出球に巻き付き、動かなくなったケーブルがあった。
「全員、戻れ!」
 オコーナーの命令で、タッカと鉄腕は、開放ハッチを目指した。

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