A棟の開放ハッチを入った所で、暗闇の中で、車座になった。
「まずいな、あれは」
 オコーナーは、緊急脱出球に巻き付いたケーブルの事を言った。
「どのみち、緊急脱出球は、何とかしなきゃならないんだが……」
 と、オハラも声に力がない。
「何か、アイデアは無いか?」
 汗臭さが漂うA棟で、タッカは、頭を働かせるどころか、吐き気を押さえるのが精一杯だった。
 スペース・シャトルが帰還した時に、その内部の異臭に耐え切れず、地上作業員が嘔吐したという話を聞く。ここも、同じ閉鎖空間で、色々な臭気が溜まっているのだろう。出来る事なら、マスクを付けて、新鮮な空気を吸いたい所だが、タンク内の空気は、命に直結する貴重品だ。我慢して、A棟の異臭に耐える。
 誰か、早くアイデアを出してくれ。マスクを付けて、早く外に出たい。
 外と繋がる開放ハッチが、気になって仕方なかった。
 開放ハッチは、内外圧力が釣り合うようになっている。今は、空気が漏れたのか、ハッチの上端から水が溢れそうになっている。このままでは、やがて、ここから海水が浸入し、水没してしまうだろう。
 緊急脱出球に入り、上下のハッチを閉めた時、エアが天井部分に溜まった。あれは、どうしてだろう。海水は、ほとんど圧縮できない。だから、空気が溜まった分だけ、容積が増えてなきゃ可笑しい。
 緊急脱出球が膨らんだ?
 そんな馬鹿な事はない。百気圧の内外圧力差に耐えられるんだ。簡単に膨らむ筈が無い。でも、それなら、海水は、どこに行ったんだろう。海水を逃がしてやる仕組みが無いと説明が付かない。
 海水逃がし弁?!
 もし、それがあるなら……
「あのぉ」
「なんだ?」
 オコーナーの声には、険があった。彼も、苛立っているのだ。それを無視して、続けた。
「緊急脱出球は、海水の逃がし弁がありますか?」
「ああ、あるぞ。内圧が0.4気圧以上高くなったら、弁が開くようになっているが、緊急脱出時に備えて、通常は閉じている。ただ、注水弁と一体になっているから、あんたが入ってきた時に、開いた筈だ」
 やっぱり。
「アイデアなんですが、緊急脱出球のロックを解除して、中にエアを吹き込んでやるのは、どうでしょう。浮力がついて、移動させ易くなるんじゃないでしょうか」
 みんな、沈黙した。暗闇で、顔が見えないのが、もどかしい。
 タッカは、ここに来て以来、鉄腕の顔以外見ていない。オコーナーも、オハラも、リーマンも、タッカは顔を知らなかった。街で出会っても、気付かずに通り過ぎてしまうだろう。
 今、そんな仲間と、生き抜く闘いをしている。
「悪くないな。エアは、貴重だが、どうする?」
 オコーナーの声が、力強くなった。
「緊急脱出球の呼吸用タンクのエアを使います。どうせ、不要ですから」
「もう一つ、無理に動かして、バランスを欠いて、B棟を直撃しても困るぞ」
 そこまでは、考えていなかった。
「もし、緊急脱出球が排除できるなら、いいアイデアがある」
 鉄腕の声だった。
「事故直後から考えてたんだ。B棟だけを台座から切り離し、B棟単独で浮上するんだ。今も、B棟側のタンクやバッテリを使っている。A棟と台座を捨てても、生存時間に変化はない。だから、B棟単体で生き残れる」
 感心しているのか、頷く声が聞こえた。
「緊急脱出球の話は、置いておこう。B棟を切り離すのは、トーチと地質調査用の爆薬を使えば出来るだろう。だが、切り離したが最後、B棟は一気に浮上するぞ。切り離し作業をしていた奴は、乗り遅れる」
「その点は、考えてる。二本のワイヤーでB棟の胴体を繋ぎ止め、連絡通路のところで、切断するんだ。切断と同時に、ハッチを閉め、浮上する」
「ワイヤーより、爆薬の点火装置を置く方がいいだろう。いけそうだな。アムス、ドクターに爆薬の量を計算してもらえ。それ以外の細かい所は、緊急脱出球を排除する方法を考えてからだ。どうだ、アイデアは浮かんだか?」
 ワイヤーがあるなら、何かに使えそうだ。使えそうなものは、何か無いだろうか。A棟も捨てるんだ。B棟以外の全ては、使い捨てていい。
 ここにあるものを、順に思い浮かべた。
 あった!
「潜水艇は、まだ使えますよね。バッテリは、大丈夫ですよね」
「大丈夫だと思う」
 嬉しくなってきた。これなら、緊急脱出球を排除できる。最悪、A棟を破壊する事になるかもしれないが、そんな事、お構い無しだ。
「潜水艇のスクリューにワイヤを絡ませ、そのワイヤで緊急脱出球を、A棟側に一気に引き寄せるんです。A棟が壊れても、どうせ捨てるんだから、構わないでしょう?」
 誰も、返事をしてくれなかった。俺一人で、はしゃいでいるみたいだ。
「潜水艇の固定方法は、どうする?」
 また、考えが浅かった。そこまでは、考えていなかった。
「ははは。冗談だよ。驚かせて悪かった。潜水艇は、アンカーを打てばいいだけさ。アンカーロープを伸ばして、A棟の脚部に括り付ける方がいいかも知れんが。どっちにしても、潜水艇を使うのは、いいアイデアだよ。直ぐに実行に移そう。人手が必要だ。ドクターにも来てもらおう。彼とアムスが、爆薬係だ。他は、緊急脱出球の排除だ。さぁ、いくぞ。おい、アムスとドクターを呼んで来い」
 彼は、まだ笑っていた。
 笑うと空気の使用量が増えてしまうと、タッカは心配になってしまった。
「これで駄目だったら、また、別の方法を考えればいいさ。脳波が止まるまで、みんなでじたばたするぞ」
 そう言うと、オコーナーは真っ先に開放ハッチに消えた。

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