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 昼間に比べれば、気温は下がっているが、じっとりと湿気を帯びた夜気が体を包んだ。梅雨の終わりから続いている熱帯夜は、今夜も終わらないようだ。蒸せるような草の臭いが、鼻孔をくすぐる。室内の冷房に慣れた体は、あっと言う間に汗ばんだ。
 草むらの虫の鳴き声が、やたらと耳につき、暑さを増幅する。
 官舎のある丘陵地帯の一キロほど東に、管制センターの灯りが見えた。その向こうには、スペースプレーンの飛行場が有り、更にその先には、夜の太平洋が広がる。
 天頂から水平線まで雲一つ無い快晴の空に、数え切れない程の星がきらきらと瞬いていた。その星屑が無くなる所が、水平線だ。今夜は、その境界線がくっきりと見える。
 空気が澄んでいる証拠だ。
 ふいに、ジェット機の爆音が、遠雷のように聞こえてきた。東の海岸線近くにある飛行場から、親子型のスペースプレーンが離陸するところだった。
 この時間帯にスペースプレーンが離陸する事は、特段、珍しい事ではない。大量の貨物と、時には管制センターの職員をその隙間に乗せて、スペースプレーンは飛鳥に向かうのだ。今夜も、荷物と同類の扱いで、職員が押し込められているのだろう。
 隼人は、二人分の荷物を電動カートに積み込んだ。
 電動カートは、音声で行き先を入力すれば、宇宙移民事業団の管制センターの敷地内なら、どこへでも自動運転で走っていく。自動運転モードでは、免許証も要らない。
 スペースプレーンの爆音が遠ざかるのを待って、隼人は行き先を電動カートに命じた。
 電動カートは、ゆるゆると走り始めた。
 やたら、虫の声が煩い。広大な敷地に点在する官舎の間を縫って電動カートが走る間、虫の声が気になって仕方がなかった。夜間に外出する事は滅多にないが、こんなに虫の声が煩いものだとは、思ってもみなかった。人間にとって、蒸し暑くて堪らないこの季節が、虫達には最高の恋の季節なのだろう。
 地球温暖化で、住む所を奪われた動植物も多いが、この辺りは、それほどでもないようだ。その中で、気を付けなくてはいけないのが、マラリアだ。最近は、この辺りでもマラリア蚊が越冬できるくらいに、冬の気温が高くなった。だから、マラリアの予防注射は欠かせない。
 そんな訳だから、政府も重い腰を上げ、遅れ馳せながら、二酸化炭素やメタンガス等の温室効果ガスの排出を本格的に削減するようになった。
 ここでは、二酸化炭素の排出を最小限に絞るため、化石燃料で走る車は一台もない。車は、充電方式の電動カートだけだ。燃料電池で動くZEVは、その名(ゼロ・エミッション・ビークル)に反して、温室効果ガスの水蒸気を排出する。だから、敷地内では、ZEVさえ、見掛ける事は少ない。
 隼人は、何気なく目をやったある官舎に、普通は二、三台有る筈の電動カートが、一台も無い事に気付いた。
(あれぇ、みんなで旅行かな)
 最初は、そんな風に気軽に考えていたが、次の官舎も、電動カートが一台も無かった事で、隼人の気持ちが落着かなくなった。
 次の官舎では、家族総出で大きな荷物を電動カートに積み込んでいた。幼稚園児らしい子供も、泣きながら手伝いをしていた。その子の母親らしい女性も、子供を叱り付けながら、片手に赤ん坊を抱えて、必死の形相で荷物の積み込みをしている。
(何かあったんだ!)
 とんでもない事が起こっていると、生来鈍感な隼人も感じ始めた。
 電動カートが、管制センターへの広い道路に出た時、それが確信に変わった。道路は、電動カートで埋め尽くされていた。
(どこかの国が、日本を攻撃してきたのかな?)
 宇宙に移民する時代に、地上で小さな領土争いをしても、何の得にもならない。日本が侵略されるなんて、馬鹿馬鹿しい発想だ。だが、領土を巡る小競り合いが、いまだに世界のあちこちで起こっているのも、確かに事実だった。
 自動運転のカートは、その能力の限界まで車間を詰めて走り続けた。それは、長い光の帯となって、管制センターまで続いていた。
 管制センターの前は、大勢の人々で騒然となっていた。電動カートも、駐車場が足りないため、右往左往していた。官舎の総ての電動カートがここに集まっているのではないかと思うくらい、電動カートで埋め尽くされていた。
 渋滞でカートが動かなくなった。しばらく待ったが、一向に動く気配が無い。そのせいか、カートを乗り捨てた人が、隼人のカートの横を歩いていく。ぞろぞろと、長い行列が、遥か後から管制センターに向かって伸びていた。
 隼人も、ほかの人々に習って、カートを乗り捨てた。荷物を降ろすと、電動カートには自宅へ戻るように命じた。
 無人のまま暗闇を走り去るカートをちらりと見やると、荷物を持って立ち上がった。そして、人波に押し流されるようにして、管制センターに向かって歩いた。
 また、ジェット機のエンジン音が聞こえてきた。見ると、管制センターの脇を、スペースプレーンが離陸に向けて誘導路を指導し始めたところだった。ついさっきの離陸から、三十分程度しか経っていない。こんな間隔での離陸は、昼間でも見た事がない。
(宇宙に逃げるんだ)
 状況は掴めていなかったが、漠然とそう思った。
 管制センターの入り口も、人々でごった返し、半ばパニック状態とも言えた。仮設の強力な照明の下で、大きな荷物を持った人々が、急いで中に入ろうと入り口の前で混乱を産み出していた。
 見ると、女性と子供が圧倒的に多く、大人の男性は、大部分が管制センターの警備員や職員だった。その中に父の姿を探したが、ついぞ、見掛ける事はなかった。
「順番に御案内していますので、整列してお待ち下さい!」
 あちこちで、同じ叫びが上がっていた。人々は、ギリギリの線で平静を維持し、手早く誘導されるのに従った。
「IDカードをお持ちですか?」
 隼人は、自分のIDカードを出した。
「征矢野センター長の御子息ですね」
「父はどこですか?」
「飛鳥に着くまで、お会いできません」
「飛鳥? 一体、何が起こっているのですか?」
 飛鳥は、日本が運営する軌道ステーションだ。何の準備も無くそこへ行くとは、ただ事ではない。隼人は、どうしても理由を知りたかった。しかし……
「後ろの方が、お待ちです。先へ、お進み下さい」
 職員は、質問には答えず、隼人の背中を押して先に進ませた。隼人は、人の流れに乗って進むしかなかった。人の流れは、大会議室に入ると、再び滞留した。
 大会議室は、外来の見学者への説明や、宇宙移民事業団に所属する学者や技術者の講演を行う場所だが、展示用のホログラムパネルや模型は、会議室の片隅に追いやられ、少しでも広く使えるように片付けられていた。その大会議室は、今は、手に手に大きな荷物を抱えた人々で、ごった返していた。管制センターの入り口の喧騒が、そのままここに移動してきていた。
 荷物が邪魔にならないように、間隔を充分に空けて置かれた椅子に、焦燥と緊張を胸の内に押し込んだ人々が、一点を見詰めていた。
 人々の視線は、講演用の大型ディスプレィに注がれていた。そこに、IDナンバーと氏名が表示されると、次の部屋に移動する。見ていると、ほんの数分の内に、会議室内に居た人の半数が、次の会議室に移動した。ただ、大会議室を出る人数と同じくらいの人々が新たに入ってくるので、いつまでも同じ喧騒が続いた。
 隼人は、待つ間に、隣の老婦人に聞いてみた。
「一体、何があったのですか?」
 老婦人は、目を丸くして、隼人を見詰めた。
「私も、何も聞いていないのよ。嫁が、急いで管制センターに行かなきゃならないと、私を急かしてね。そう言う坊やも、何も聞いてないのかい?」
 隼人は、頷いた。
「そうかい。坊やのお父さんも、ここで働いてるのかい?」
「ええ。僕も、父から管制センターへ至急来るように言われただけで、何も聞かされてないんです」
 老婦人は、大型ディスプレィを見詰めた。ディスプレィの表示が変わった時、彼女は落ち着き無く周囲を見回した。誰かを探しているようだった。しばらく、きょろきょろしていたが、どうやら探していた人物を見つけたらしく、小さく頷いて合図を送った。
「私の番が来たようよ。悪いけど、先に行くわね。私達は、飛鳥に行くらしいから、向こうで会いましょう」
 老婦人は、呼びに来た中年の婦人に伴われ、大会議室を出ていった。
 目一杯に開放されている入口と、緊張で興奮した人々の人いきれで、冷房が効かない。大会議室が、蒸し風呂のようになっていた。居ても立ってもいられないらしく、初老の男性が席を立ち、入り口付近にいる係員に食って掛かっていた。
 隼人は、周囲を見回したが、ほとんどが子連れの婦人か、老人達で、その人達が今の状況を正確に把握しているようには思えなかった。
 恐らく、ここに居る誰に聞いても、さっきの老婦人の話に優る情報を得られるとは考えられなかった。さりとて、あの初老の男性のように、係員に食って掛かるのは大人げ無いように思えた。
 ここは、黙って待つしかないと、腹を括った。
「そうさ。お父さんに教えてもらえばいいさ」
 管制センター長の父なら、誰よりも正確で詳細な情報を知っているに違いなかった。
 大型ディスプレィの表示が二回も変わると、大会議室も人数がめっきり減った。どうやら、隼人は最後の方だったようだ。残った人々の様子も、興奮より、焦燥と不安が支配し始めていた。
 内容は知らされていないが、非常事態である事も、ここに居るのが危険である事も、人々は敏感に感じ取っていた。隼人も同様で、落ち着き無く周囲を見回した。
 父は、まだ来ない。
 矢も楯も堪らず、じっと座っていられなくなった。係員に事情を聞いてみようかと、入り口に居る係員に視線を走らせたが、自分でパニックを引き起こそうとしているように思え、それを自重した。
 それから何分も経たない内に、大型ディスプレィの表示が変り、隼人の名前とIDが表示された。まだ、父の姿を見ていなかったが、係員の誘導で、別の会議室に連れて行かれた。
 そこでは、荷物のチェックが行われていた。荷物の制限があるのだろう。あちこちで激しい問答が繰返されていた。
 隼人の荷物もチェックを受けた。
「こちらの荷物は、問題ありませんが、このアタッシュケースに入っている物は何か、説明して下さい」
 係員は、隼人のパソコンを不審に思ったらしい。
「自作のパソコンです。起動しても見せてもいいですよ」
 隼人は、係員が見たくらいでは、ハッキングの証拠を掴む事はできまいと考え、アタッシュケースの蓋を開けるそぶりを見せた。
「いえ、起動するには及びません。ただ、重量制限が厳しいので、手荷物は、一つにして頂きたいのです。私の見たところ、着替えが入っている荷物をお持ちになった方が宜しいように思います」
 隼人は、返事に窮した。
 仮に、パソコンを置いていく事になれば、誰かに中身を見られる危険性が増し、ハッキングの証拠を掴まれかねない。何とかして、パソコンを持っていきたい。しかし、着替えを置いてパソコンを持っていくと言えば、それこそ疑われてしまう。
「荷物については、父に相談したいのです。父から、父の着替えも持ってくるように言われてるんです。僕の着替えだけでしたら、パソコンと一緒の鞄に入れられたのですが、父の着替えも用意したので、荷物が二つになってしまいました。どうしてもパソコンを持っていきたいから、荷物を一つにするために、父の着替えは、父に取りに来てもらいたいのですが」
 隼人にしては、一世一代の嘘をついた。その裏には、強かな計算が隠れていた。
「お父さんは、お名前は?」
 予想通り、父の名前を聞いてきた。
「征矢野勝史です」と言って、征矢野姓が書かれた自分のIDカードを見せた。
 思った通り、係員の表情が変った。
 ただ、この先の係員の反応には、二通りが考えられた。一つは、「父に渡すから、パソコンは置いて行け」と言われる事だ。そして、もう一つは……
「管制センター長の征矢野殿の息子さんですか?」
 係員は、隼人のIDカードをちらっと見ると、
「お父様は、遅れて飛鳥に向かわれる筈ですが、ここへ来る時間を割く事はできないでしょう。荷物は、どちらもお持ちになって結構です」と、あっさりと引き下がった。
 ほっとしつつも、それを気取られない内にアタッシュケースをロックすると、会議室から外に通じるドアを通り抜けた。

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