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 会議室の前には、大型のバスが待機していて、それに乗り込むと、満員の乗客共々、駐機場に運ばれた。
(無茶だ)
 隼人は、心の中で、そう思った。
 バスを降りると、全員がそのままスペースプレーンに誘導されたからだ。
 スペースプレーンは、最大加速度でも二G弱程度と小さくなっているが、宇宙に出ると無重力環境になる点では、昔の宇宙船と何ら変わりがない。当然、無重力環境での活動に慣れていなければならない。少なくとも、身体検査を充分に行い、無重力環境に耐えられる事を確認しておくべきだ。だが、それらを何も実施していない。それどころか、年端のいかない幼児や母親に抱かれた乳児まで居る。
「無重力下に出たら、吐く奴が大勢出るぞ」
 口の中で、小さく呟いた。常識的な危惧だった。
(一体、何が起こってるんだろう?)
 これほどの無茶をしてまで、飛鳥にこれだけ大勢の人々、それも事業団の家族を移動させるのだから、その理由も緊急、かつ深刻な筈だ。
(まるで天変地異の直前じゃないか)
 困惑と混乱の頭を抱えたまま、隼人はスペースプレーンのタラップを上った。
 機内に入り、隼人は更に困惑させられた。なぜなら、どう見ても、定員以上の乗客が、客室内で蠢いていたからだ。そして、もう一つ。転落防止ネットにベルトが巻かれているのが、目に留まったのだ。使用目的は、一目で想像が付いた。
「体重が十五キロ未満のお子様は、膝にお抱き下さい。最大加速は二G近いのですが、お子様は仰向けに抱いていただければ、何の心配もございません」
 機内放送で、嘘のような事を言っている。
 確かに、体重が軽いほど、耐G能力は高くなる。航空機事故で、乳幼児だけが助かる例があるが、まさにそれだ。とは言え、通常なら二歳未満の子供は、原則としてスペースプレーンへの乗機は認められていない。二歳以上でも、きちんと一人分の座席が与えられ、体格に応じたチャイルドシートが用意される。それが、今日は、膝の上だという。
 母親達が、素直にそれに従うだろうかと危惧したが、その程度の事は予測していたらしく、特に混乱はなかった。キャビンアテンダントが、乗り込んできた乗客を、奥から順番にシートに座らせていった。
 隼人にあてがわれた席には、やや遅れて、母と同じくらいの年齢の婦人が、娘らしい少女を伴ってやってきた。
「隼人君?」
 聞き覚えのある可愛い少女の声だった。隼人は、声の主を確かめるため、隣の婦人の向こう側を覗き見た。その少女は、長い真っ直ぐな髪を両サイドに結わえ、無理矢理作った笑顔を見せていた。
「神戸さん?!」
 神戸宙美。隼人の同級生だった。
 明るい性格と、誰にでも平等に見せる笑顔で、クラスのアイドル的存在だった。その宙美の笑顔が、今は曇っている。
「あたしの母よ」と彼女が、隣の婦人を紹介した。
 言われてみると、婦人は、宙美に良く似た知的な美人だった。
「おかあさん、征矢野隼人君よ」
 彼女は、隼人の名前を聞いた瞬間、ほんの一瞬だったが、動揺を見せた。
 征矢野姓は珍しい。管制センター長の親族だと考えてるのも無理はない。彼女が見せた動揺は、そのせいだろう。
「宙美が、いつも御世話になっています」
 婦人は、軽く会釈したが、緊張は隠せず、笑顔は見せなかった。
(御世話になってるなんて、まるで逆なのに)
「いいえ、僕の方こそ」
 どぎまぎしながら、それだけ答えるのが精一杯だった。
 隼人が、シートベルトで身体を固定した後も、ぞくぞくと人が乗り込んできた。ほとんどが成人男性だが、みんな還暦をとうに超えているようだった。中には、白寿が近そうな老人さえ居た。
 彼等は、足元の転落防止ネットを手に取ると、天井と床のフックに引っ掻け、ハンモックを垂直にしたような形にした。ベルトを使って、これに身体を固定するのだろう。こんな方法は、尋常ではない。
 隼人の隣には、八十歳を超えていそうな老人が、ネットを準備していた。
「おじいさん、ここに座って」
 隼人は、大忙しでベルトを外した。見ていられなかったのだ。
「坊や、私は大丈夫だ。君は、そこに座っていなさい」
「駄目だよ。僕の方が、おじいさんよりずっと元気だし、身体が柔らかいから怪我し難いよ。それに、僕は今度で五回目のフライトだから、慣れてるし」
 ベルトを外し終わると、老人をシートに引っ張った。
「隼人君……」
 宙美が、心配そうに声を掛けた。
 老人は、宙美の顔をちらっと見ると、「ガールフレンドかい?」と、隼人にだけ聞こえる小さな声で言った。
「違うよ」
 隼人は否定したが、老人は「ありがとう。シートに座らせてもらうよ」と言うと、宙美達を窓側へ一つ席をずらさせ、隼人と場所を入れ替えた。
 何だか、彼女の前で格好良い所を見せようとしているように思われたのではないかと、心外だったが、急いでネットの準備をし、身体をそれに固定した。
 このネットは、本来は、転落防止用だ。宇宙空間で加速している時は、機首が天井、機尾が床になっているのと同じだ。こんな時に、シートから離れたら、機首から機尾まで、真っ逆様に転落してしまう事になる。物を落とした場合も、同じだ。それを防止するのが、このネットの本来の役目だが、今日は、そのネットまで使って、乗客を乗せようとしている。
 無茶苦茶だった。いや、無茶苦茶な事をしなければならない何かが起こっているのだ。
 隼人は、得体の知れぬ恐怖に、身の竦む思いだった。
 スペースプレーンは、ドアを閉めるなり、誘導路を走り始めた。
 客室内では、まだ転落防止ネットに体の固定が終わっていない者が居た。キャビンアテンダントは、悲鳴に近い声で指示を出していた。
 パイロットも、管制塔も、何かを恐れて焦っているのが、隼人にも伝わってきた。
 機内放送が、機内の設備、事故時の対処方法や脱出器具、無重力状態での注意事項など、法律で定められている文を読み上げていく。客室の総てのディスプレイが、映像でそれを補強する。だが、この状況では、どこか空々しい気がした。
 誘導路端まで来た機体は、滑走路の方へ向きを変えた。そして、停止したまま動かなくなった。
 通常なら、ここでリニアカタパルトの接続をするが、その作業には1分も掛からない。それが、2分を過ぎても動かなかった。
「こちら、機長です」
 本来の手順を知っている乗客が異常に気付き、ざわつき始めていたが、スピーカーから流れ始めた機長の声に、みんなが傾聴した。
「ただ今、管制塔からの連絡で、間も無く、大きな地震の揺れがここに到達する事が分かりました。本機は、地震の揺れが収まるまで、ここで待機し、揺れが収まった後、直ちに離陸する予定でございます」
 隼人は、驚いた。
(地震の発生を予知できるようになったのか?)
 大きな地震の発生確率は、かなり精度が上がってきたとは言え、発生時期の予測は不可能と言われている。それが、今は、数分後に発生する事を、管制塔が断言している。
 P波で、本震のS波の到着時刻を予測するシステムは、ずいぶん昔からある。それなら、秒単位の予測もできている。それを使ったのだろうか。それにしては、地震の予測から揺れまでの時間が開きすぎている。
 他の乗客も、不審に思っているらしく、機内は再びざわつき始めた。
 そのざわめきを突き破って、激しい揺れが機体を襲った。
「キャー!!」
 機内のあちこちで、悲鳴が上がった。
 今までに経験した事が無い、激しい揺れだった。オーバーヘッドコンソールの中の手荷物が、激しい音を立てながら蓋に激突し、今にも飛び出して来そうだ。乱気流には慣れている筈のキャビンアテンダントでさえ、あまりに激しい揺れに悲鳴を上げた。
 隼人も、ネットに身体を固定していても、とても立っていられないほど、上下、左右に身体を揺さぶられた。最後には、足を取られて転倒し、ベルトに支えられてネットにしがみついている有り様だった。それでも、揺れは収まらず、ネットから振り解かれそうに、左右のシートに叩き付けられた。
 地球の最後を主題にした映画の主人公にでもなったような状況で、これでもかと揺れ続いた。映画の主人公なら、何かの名案を閃き、こんな状況さえも潜り抜けるところだが、今の隼人は、成されるがままに振り回され続けた。
 数分間も続いて、ようやく揺れが納まった時、隼人は、捩じれたネットに絡め取られ、蜘蛛の巣に掛かった蝶さながらになっていた。
「坊や、大丈夫かい?」
 老人は、隼人を気遣った。
「平気です」
 急いでネットの捩じれを戻しながら、四肢の自由を取り戻そうとあがいた。何とか、両足で立ち上がる事ができた時、平然とした顔を作り、老人に微笑んだ。老人の向こうには、宙美の心配そうな顔があった。
「大きな地震だったね」
 確かに、今までに経験した事が無い激しい揺れだった。
「マグニチュードは、揺れの継続時間の平方根に近い値になるんですよ」
 ちょっと、自慢気に隼人は言った。
「と言う事は、マグニチュードは九か十ぐらいって事かな。一分半くらい、揺れていたから」
 隼人は、答えられなかった。
 地震のマグニチュードは、史上最悪の地震でもマグニチュードが十を越えた事はない。
(何か、おかしい)
 隼人の疑問を、更に混迷の底に陥れるような機内放送が始まった。
「ただ今の地震は、縦揺れです。次の横揺れが襲ってくる前に離陸するよう、管制塔から指示がありましたので、直ちに離陸します」
 縦揺れ? 横揺れ?
 確かに、縦揺れ、即ち圧縮派であるP波は、横揺れのS波のほぼ倍の速さで伝わる。だが、P波は、もう少し軽く、継続時間も半分程度になる筈だ。そうなると、概算のマグニチュードは、ルート二倍のマグニチュード十三か十四?
 仮に、そんなマグニチュードがあるとしたら、この程度の揺れで済む筈が無い。機体の脚を圧し折るくらいの揺れになってもおかしくない。
 それに、P波とS波の間隔が、スペースプレーンが離陸するのに十分なだけ空いている事も、不思議だ。震源地との概算の距離は、おおよそ、P波とS波の秒単位の時間差を八倍したところだ。仮に、離陸に必要な時間が三分だとすると、震源地は千四百キロメートルも離れている事になる。
 揺れの激しさとのバランスは取れそうだが、過去の最大規模の地震を考えると、とても納得できない。
 隼人の困惑を余所に、機内放送で言った通り、機体は滑走を始めた。
「怪我をされている方は、離陸後、水平飛行に移りました際に、客室乗務員がお薬をお持ちします。それまでの間、席を立ったり、ベルトを外さないようにお願いします。ただ今から、本機は、離陸いたします」
 キャビンアテンダントが、なんとか平静を装い、繰り返し注意を呼び掛けている。
 揺れが収まっても、直ぐには離陸できない筈だ。滑走路の路面状態を確認しないで良い筈がない。それでも離陸を強行するのは、次の揺れで、滑走路を破壊される事を警戒しているのだろう。
「おとうさん……」
 隼人は、呟いた。
 父は、今も管制センターに残っている。滑走路でさえ破壊するような地震が襲ってくるとなると、管制センターもタダではすまないだろう。それに、隼人達を脱出させなければならない何かから逃れようにも、滑走路は使えなくなっている可能性があるのだ。
 機体は、重々しく加速を開始した。
 大型輸送機の背中に超音速機に似た宇宙船を載せたスペースプレーンは、満載の燃料に加え、定員を超える乗客を乗せているので、加速にも時間が掛かっている。しかし、強力なリニアカタパルトの力を借りて、戦闘機のような加速を続けた。
 もう誰もが異常事態に気付いていた。心臓を締め付けるような緊張と不安が漂う中、機体は確実に速度を上げていった。
 宙美の母は、手を合わせて祈りを捧げている。席を譲ったおじいさんも、手を合わせていた。どこからか、お経さえ聞こえてくる。隼人も、だんだん不安になり、神様でも、仏様でも、キリスト様でもいいから、拝みたい気持ちになった。
 五十秒は滑走しただろうか。滑走路の末端が気になり始めた頃、ようやく、機首を持ち上げた。やがて、スペースプレーンは地上を離れ、南へと進路を取った。
 約一時間、南下を続け、ラムエアジェットを全開にして加速を続けたスペースプレーンは、長い持続旋回に移った。四十分を越える持続旋回によって進路を東に変えたスペースプレーンは、赤道上空で、予定の高度八万フィート、マッハ六に達した。ここで、スペースプレーンのオービターがマザーベッド(母機)から切り離され、地球周回軌道へと、更に高度と速度を上げていった。

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