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「ここは、目が回るのぉ」
 重力エリアは自転しているので、敏感な人は目眩を感じる。普通は、子供の方が感じ易いのだが、この老人は年齢に似合わず敏感らしく、自転を目が回ると表現した。ただ、隼人は気にならなかった。
「おじいさん、ここがエントランスホールだよ。反対側にも同じものがあるから、もし、おじいさんの家族が向こう側に行ってしまったのなら、僕が探してきてあげるよ」
 飛鳥は、各部屋がシンメトリックに配置されているので、こことは反対側にもエントランスホールがあり、別のエレベータで降りた人達は、そこに集合している筈だった。
「わしの家族は、息子夫婦と孫が一人なんじゃよ。嫁と孫は、最初の便で出ているから、もう着いとるじゃろう。息子は、最後の便で来ると言っていたから、わしは息子を待ってから二人の所へ行くつもりだ」
 目眩が酷いのか、疲れた声だった。だが、身寄りが居ると聞いて、隼人もほっとした。
 エントランスホールには、折り畳み椅子が並べられていた。地球の重力の八割しかないが、疲れた体には、立ちん坊は辛い。隼人は、老人を空いていた椅子に座らせ、自分も他に空いている椅子を探した。
 意外に空いている椅子は少なかった。
 小さな子供たちは、こっくりこっくりと居眠っている。母親に抱かれて、すやすや眠る赤ちゃんも居る。大人も、ほとんどがぐったりしていて、中には居眠っている人もいた。壁際には、気分が悪くなった人が、ストレッチャーの上に横になり、治療を受けていた。そのほとんどは、老人だったが、一人赤ちゃんが治療を受けていた。傍らで、母親が、悲壮感を帯びた声で、子供の名前を呼び続けている。
 隼人は、胸が締め付けられるような気持ちがした。
「隼人君」
 宙美の声だった。隼人は、宙美の姿を探した。彼女は、最後列で手招きして、隣の空いている椅子を示した。隼人は、宙美の母も一緒だったので、どうしようか迷ったが、彼女の隣に座った。
「おい、いつになったら、始まるんだ!」
 どこからか、怒声が響いた。
 重力が戻ってきたせいか、思考力も回復し、それが苛立ちを産み始めたのだろう。
「我々が、ここに連れてこられた理由の説明が無いのか?」
「おい、こら! 時間稼ぎをしてるつもりか!」
 男達の言葉が、徐々に荒さを増してきた。初老の一人は、席を立ち上がり、ホールの入り口付近にいる係員の一人に詰め寄った。
「私達をどうするつもり!」
 疲れて眠っている二、三歳くらいの男の子を抱いた母親も、ヒステリー気味だ。
 誰もが苛ついていた。ホール内も、騒然とした雰囲気に包まれ、一触即発の雰囲気だった。とうとう、避難民同士で、口論が始まった。興奮状態の二人は、それぞれに自分の主張を言い張り、すれ違いの口論を続けた。誰かが、二人の間に割って入り、何とか沈静化しようとしたが、役目を果たせずに、口論の続きを眺めているしかなかった。
 その二人が取っ組み合いを始めてしまう寸前に、一人の男性が壇上に現れた。
「お待たせしました。ただ今から、皆様が避難民となった経緯と、これからについて、御説明します」
 男性は、コホンと咳払いすると、再び、マイクに向かった。
「皆様は、地上を襲った小惑星の冬を逃れてきた避難民でございます。資源採取用に地球周回軌道に固定しようとしていた小惑星が、周回軌道を外れ、地上に落下しました。皆様が、地球を離れる数分前です」
 ざわめきが広がった。
「地上は、小惑星が巻き上げた土砂や海水によって、完全に覆われています」
(それじゃ、小惑星の冬になってしまう!)
 隼人は、恐竜を絶滅させた小惑星を思い出していた。
 北半球は、真夏だ。一気に小惑星の冬に陥れば、農作物が壊滅してしまうだろう。農作物の生産量は、北半球が圧倒的に大きい。地上が未曾有の食糧難に陥る事は、想像に難くない。
 それだけではない。
 野生の動植物まで絶滅する恐れがあるし、地球環境自体が元には戻らないかもしれない。
「小惑星が落下した地点は、パラオ諸島付近の北緯七度、東経百三十三度です。落下時の衝撃と津波によって、フィリピン、インドネシアはもちろんの事、日本の海岸地帯も、ほぼ壊滅しました。津波は、沖縄付近では百メートルを越え、東京湾内でも二十メートルもあったそうです。
 大変申し上げにくいのですが、鹿児島の宇宙移民事業団管制センターは、連絡が取れない状況が続いており、海岸線にあった事から、絶望視されています。東京も、港区、千代田区、中央区、江戸川区等の低地帯は壊滅状態で、その前に襲った地震の被害と合わせて、これらの地区での生存は、絶望的かと……」
 男性は、声を詰まらせた。
 鳴咽が、ホールに響いた。
「被害状況を、正確に聞かせてくれ!」
 一人の男が、怒りに満ちた声で要求した。
「そうよ。長野はどうだったの? 祖父が一人暮らしをしてるのよ」
「山間部は、大丈夫なんでしょう? うちは、新潟に妹夫婦が居るの。日本海側はどうなの?」
 みんな、親族や知人の安否が気になっていた。
(お父さん、お母さん、お姉さん。脱出できたよね)
 隼人は、昨日の朝に出掛けていった父の後ろ姿が、瞼に浮かんで仕方なかった。
「皆様のお気持ちは分かりますが、地上との連絡は、ほとんど取れていません。分かった事は、情報センターに集約して提供しますので、そちらを見て頂けますよう、お願いいたします」
「ここで、教えてくれ。地上がどうなっているか。我々は、地上に大勢の親族や知り合いが居るんだ。彼等が、今どんな目にあっているのか、全体的な状況だけでいいので、教えろ!」
 語気が荒くなっていた。
「お気持ちは分かりますが、もっと重要な事があるのです。お願いですから、私の話を聞いて下さい。
 今、飛鳥は、オーバーユースの状態にあります。新しい避難民を、受け入れる事ができないばかりか、このままでは、四十八時間以内に、二酸化炭素中毒の濃度に達してしまいます。皆様が、ここに留まれば、皆様を含めて、全員が極めて危険な状況に陥ってしまいます」
「おい、こら! 体の良い追い出しかよ」
「どうおっしゃっても構いません。皆様には、L4かL5の国際スペースコロニーに移動して頂きます。飛鳥に、収容力を残して置く事が、非常に大切なのです」
「ふざけるな。わしは、息子の無事が確認できるまで、ここを動く気はないぞ」
「そうよ。そうよ。私だって、主人がここに来るまで、動く気はありませんからね」
 ホール内が、殺気立ち、騒然となった。周辺部では、立ち上がり、壇上に向かおうとする人と警備員とのもみ合いも、始まっていた。
「皆様だけが、被害者ではありません。皆様だけが、被害者だと考えないで頂きたいのです。この世に生き残った総ての人が、被害者なのです。実は、私の家族は、全員、東京に居ました。もちろん、連絡は取れていません」
 どよめきと、恥ずかしさが、避難民の殺気を消した。
「地球は、これから、冬のような状態になる事が予想されます。上手く、難を逃れた人達は、これからも、ここを始めとする五箇所の軌道ステーションに、続々と脱出してくるでしょう。その時に、一人でも多くここに収容し、人命を救いたいのです。その中には、皆様方の親族、知人も、含まれるかもしれません。かく言う私も、家族が脱出してこないかと……」
 男性は、泣き崩れた。
「あなたの家族は、東京のどちらにいらしたのですか?」
 女性の一人が、彼を気遣って聞いた。
「…港区です…」
 力の無い声で、そう言った。
 彼自身が「壊滅」と言った港区に、彼の家族は住んでいた。
「みんな被害者」
 隼人は、そう呟いた。
 地球は、急速に寒冷化し始めている。地上での被災民は、これから増え始めるのだ。その中で、軌道ステーションに逃げてこられる人は、運が良く、金と権力を持ち合わせている人達だ。僅かな人々。いわゆる選民だ。
 隼人達は、その選民の第一号とも言えない事もない。
「国際スペースコロニーに身寄りのある方は、できるだけ早く、名乗り出て下さい。名乗り出て頂いた方から順番に、移住手続きをさせて頂きます。身寄りのない方は、こちらで照会をして、受け入れ準備が整ったところで、移住をして頂く事になりますので、それだけ、ここでの不自由な生活が長くなります。
 それから、飛鳥の収容力は低いので、一時的に、アメリカの軌道ステーション・リンカーンに移動して頂く場合も有り得ます。あちらは、飛鳥の十倍以上の収容力がありますし、現時点では、収容余力も、十分に残っているそうです」
 隼人には、国際スペースコロニーの住人には、心当たりはなかった。
 父は、管制センターに居た。母と姉は、沖縄に居た。父方の祖父は、既に他界している。祖母は地上に居た。父は、一人っ子なので、伯父伯母は居ない。母方の祖父母も、伯父伯母も、地上に住んでいた。身近な親族には、国際スペースコロニーに住んでいる者は居ない。
 もしかすると、母は、嘉手納宇宙空港で働いていたので、姉と共に脱出に成功したかもしれない。母なら、誰か、身を寄せる事ができる人を知っているかもしれない。
(何とか、母と連絡を取りたい) 
 隼人は、母の安否の確認方法を考えた。
「電話は、衛星携帯電話は使用できます。衛星携帯端末も使用可能です。しかし、飛鳥が中継できる回線数は少ないので、繋がり難くなると思います。公衆電話は、電話コーナーにあります。ですが、地上との連絡は、制限されています。連絡は、国際スペースコロニーか、軌道ステーションのみとなります」
(関係無いや。地上に居たなら、助かりっこない)
 隼人は、地上との連絡を諦めていた。
「私共からの連絡とお願いは、以上です。早速ですが、移民先のある方は、エレベータの反対側に設けました移民受け付けに申し出て下さい。また、移民先がない方は、移民受け付けの隣の照会センターで、IDカード等の身分を証明するものをお見せの上、お名前と多少の情報を登録して頂く事になります。これらの手続きが済んだ方から、ホテルへと案内させて頂きます。その際、移住先での当座の資金として、クレジットカードを支給致します。再発行はできませんので、無くさないようにお願いします」
(クレジットカード? 時代物だけど、随分と対応が早いなぁ)
 疑問に感じたが、深く考える余裕は無かった。早くも、人々は立ち上がり、移動を始めていた。
 それを押し止めるように、大きな声が続いた。
「但し、ここには、ベッド数の三倍近い方が居られるので、御老人、お子様、病気の方、怪我をされている方、こういった方から先にベッドに案内させて頂きます。ベッドの無い方には、毛布を支給しますが、これも不足すると思われます。従いまして、毛布は女性の方に優先させて頂きます。各部屋には、シャワーがございますが、これは止めさせて頂いています。生活水が不足するためです。
 不自由は承知していますが、飛鳥は、これほど多くの人を受け入れるようには設計されていません。これから先も、必要に応じて、本来の旅行客なら当然受けられるサービスを、緊急に停止する場合もあるかもしれませんが、御了承ください」
 彼が、言うべき事を総て言い終わり、壇上から降りるのを待ちかねていたように、人々は一斉に行動を起こした。
 説明の間に運び込まれた荷物が、各自に渡された。隼人は、父の分と偽って持ち込んだ鞄を含め、荷物を二個とも受け取った。
「隼人君は、荷物を二つも持ち込んだの?」
 宙美は、呆れ顔と不満顔の両方を見せた。
「うん。一つは、お父さんの分だよ」
「で、お父さんは、乗れたの?」
 隼人は、首を振った。
 宙美は、しんみりとした声で、「私もよ」と呟いた。くるっと背を向けると、やはり大きな鞄を二つ抱えて、母親の所へ走り去った。
 隼人は、一人になれる所を探し、エントランスホールの隅でパソコンを開いた。音声インターフェイスは、周囲が騒がしいので使えず、キーボードでの入力に切り替えた。そして、内蔵させてある衛星携帯電話でネットワークに繋いだ。
 まず、嘉手納宇宙空港の乗客名簿に接続を試みた。しかし、既に破壊されているのか、接続はできなかった。
 嘉手納宇宙空港は、軌道ステーションとの宇宙路線の他に、国内線、国際線の通常航空路もある。国内線は、新千歳、仙台、羽田、新名古屋、大阪、福岡の六箇所だ。国際線は、ソウル、北京、上海、ウラジオストク、台北、マニラ、シンガポールの七箇所だ。
 定期便が飛んでいる宇宙空港は、世界に六箇所ある。
 日本の嘉手納、インドのマドラス、アメリカのケープカナベラルとヒロ、ブラジルのベレン、ケニアのモンバサである。嘉手納からは、スペースプレーンの機体移送のために、残る五箇所の宇宙空港への不定期航空路も存在する。
 隼人は、これらの総ての乗客名簿をチェックし始めた。
 定期便が飛んでいる空港の内、新千歳と、北京には、接続ができた。宇宙空港では、ケープカナベラルとベレンは、接続できた。しかし、どこも、サーバーからの応答は非常に悪かった。それでも、一分ほどで、乗客名簿の検索は終わった。そして、母と姉の名前が、どこにも無い事も分かった。
 隼人は、諦めきれなかった。
 飛鳥を始め、アメリカの軌道ステーション・リンカーン、EUの軌道ステーション・モンブラン、ロシアの軌道ステーション・ピヨトル、中国の軌道ステーション・重慶とも、接続してみた。そこの旅客リストを検索してみたが、やはり、母と姉の名前は見付からなかった。
 隼人は、基本に立ち返って、母と姉の携帯に電話してみた。しかし、お決まりの「ただ今、電波の届かないところに居られるか、電源が入っていません」の台詞が返ってくるだけだった。
 スペースプレーンの中で見た夢は、母の体から離れた魂が見せたものだったのだろうか。
 隼人は、天を仰いだ。
(神様、両親と姉をお守り下さい)
 神様を信じた事はなかったが、今は願わずにはいられなかった。
 今、地上に居れば、まず助かるまい。核の冬とは異なり、小惑星の冬は、急速に始まる。二次要因である核爆発による火災によって核の冬に陥るのに対し、小惑星の冬は、一次要因である衝突時に巻き上げた塵が原因である点で、冬に至るまでの期間が短い。墜落地点周辺では、既に気温が下がり始めている筈だ。明日には、津波の直撃から逃れた宇宙空港も、凍結や降雪で閉鎖を余儀なくされるだろう。
 隼人の耳には、「やっぱり繋がらない」と言う囁きが、あちこちから届いた。みんな、考える事は同じなのだ。地上に居る筈の親類縁者に電話し、無事を確認しようとしていた。

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