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 ふと、隼人の目に、係員が真っ直ぐこちらに向かってくる姿が見えた。慌ててパソコンをシャットダウンさせ、素知らぬ振りでトランクの蓋を閉めた。
(パソコンを取り上げられるかもしれない)
 不安が隼人の脳裏を過ぎったが、係員の視線は隼人の頭上を越え、更に後ろへと注がれていた。係員は、隼人の脇を通り過ぎ、後ろで必死に電話を掛けている初老の男性の所へ向かった。しばらくの間、何事かで揉めていたが、係員に付き添われて照会センターへと歩いていった。
 エントランスホールには、数人を残して、避難民の姿は消えた。隼人も、照会センターへと重い歩を進めた。それしか、母とも連絡が取れない今、他に方法はなかった。
 突然、ホール全体に、館内放送のチャイムが響き渡った。
「業務放送。ただ今、第三ポートに、内之浦からの便が到着しました。各担当は、直ちに、受入態勢を整えて下さい」
(内之浦からの便! 宇宙移民事業団の管制センターからだ)
 人々は、色めきたった。
「行ってみよう」
 一人、二人と、人々は重い腰を上げた。隼人も、エレベータに向かった。
 エントランスホールのエレベータ前は、群衆に囲まれていた。
「隼人君も、行ってみるの?」
 エレベータ前の混雑の中で、宙美に声を掛けられた。
「神戸さんも?」
 宙美は、小さく頷いた。
「でも、この人集りだと、しばらくエレベータに乗れそうにないわ。ここで待つしかなさそうね」
 隼人は、肯かなかった。近くに居た係員を捕まえ、質問をぶつけた。
「到着した人は、ここと反対側のエントランスホールに案内されるんですか?」
「そうだよ」
 予想通りの回答だった。
「ありがとうございます」
 隼人は、丁寧に礼を言った後、宙美に手招きして、人気の少なくなったエントランスホールに呼び寄せた。
「エントランスホールは、反対側にもあるんだ。ここに居たら、半分にしか会えないよ」
「どうするの?」
「別のエレベータを使うんだ。ホテルエリアのエレベータなら、早いと思うんだ」
 隼人は、エントランスホールの端に来た。その先には、ホテルエリアへの通路が続いていた。だが、その手前には、係員が居て、受け入れ完了の札のチェックをしていた。
 隼人は、大胆にも係員に近付いていった。
「すみません。さっき、説明は聞いたんですが、母は反対側のエントランスに降りたんで、姉とそこに行きたいんです」
 隼人の姉にされてしまった宙美は、面食らっていた。
 係員は、隼人が持っている二つの荷物を見て、二人分の荷物と勘違いしたらしく、納得したようだ。
「四百メートル近くあるから、ちょっと遠いが、一本道だから迷う事はないよ。ここを真っ直ぐに行きなさい」
 係員は、道を開けた。隼人は、素早く通り抜け、宙美を招き寄せた。
「四百メートルもあるんだって」
「エントランスまで行けばね。でも、僕達は次のホールのエレベータで上に行くから、百メートルくらいしかないよ」
「そうなの?」
 隼人は、ほとんど背丈の変わらない宙美の手を引いた。
「行こう!」
(姉にしたのは、正解だった。妹だと言ったら、疑われていたかも)
 少しほくそ笑みながら、延々と続く坂道のような通路を急ぎ足で歩いた。次のホールに着くと、エレベータに乗ってシャフトに上がった。
 隼人達がシャフトに着いた時には、ちょうど最初のハーフパイプが着いたところだった。ほとんどは不慣れらしく、自転エリアへの移動に手間取っていた。それを、係員が補助していたが、手が不足している感じだった。
 隼人は、先に来ていた高校生か大学生くらいの男を捕まえて聞いてみた。
「どこから来た便ですか?」
「日本からに決まってるだろう」
「だから、日本のどこからですか?」
「うるさいな。日本のどこだろうが、坊やには関係無いだろう」
 その男性は、隼人の手を振り解いた。
 日本のどこから来たのか関係無いとは、無責任な話である。
 憤慨しながらも、この男からは、今以上の情報は聞き出せまいと、諦めた。事情に詳しい者は居ないかと、周囲を見回した。手隙の係員を探したが、誰も接合部に集まっていて、聞ける雰囲気ではなかった。
 振り返り、宙美の顔を見た。大きな瞳が、潤んでいた。彼女も、父親の安否が気になっているのだ。父親が、ハーフパイプから出てくるのを待っているのだ。その気持ちは、隼人も全く同じだった。
(直接、聞くしかないな)
 隼人は、小さな子供を空中に浮かせたまま、要領よく自転エリアに乗り移る婦人を見付けた。彼女は、ぐるっと一周した所で見事に子供をキャッチし、慣れた足取りでエレベータホールの床に降り立った。
「すみません!」
 隼人は、その婦人を捕まえた。
「どこから来たのですか?」
 その婦人は、子供を抱えたまま隼人の顔を見て、目を剥いた。
「隼人君? 隼人君でしょう」
 やつれた婦人の顔を、まじまじと見詰めた。
「あっ、おばさん!」
 結婚した後も、長い間、父の元で仕事をしていた女性である事を思い出した。家にも、夫婦で何度か来ている。昨年、子供を出産してからは、仕事を辞めて子育てに専念していたが、父はキャリア制度での職場復帰を期待していた。
「やっぱり、隼人君ね。お父様は脱出された?」
 隼人は、首を振った。そして、総てを理解した。
「お父様は、一緒じゃなかったのね。それじゃあ、うちの人も……」
 彼女は、子供をしっかりと胸に抱き、その場で泣き崩れた。二歳にもならない子供は、母親の表情から何かを察知し、健気にも母親を宥めようとしていた。父を亡くした事を理解できないその子を見ていて、隼人も、もらい泣きした。
 彼女が乗っていた便は、隼人達より先に飛び立っていた。ただ、飛鳥との会合のタイミングが合わず、地球を一周余分に飛ぶ事になり、隼人達より後になった。だから、最終便となった隼人の便に夫が乗っていない事を知り、彼女は絶望したのだ。
 隼人達は、地球を最後に脱出した日本人だった。
 十数分で、エレベータホールは空になった。宙美は、まだ、奥に誰か居ないかと、シャフトの向こうを見詰めていた。隼人は、この便が自分達より先に飛び立った便だとは、どうしても宙美に伝えられなかった。
 彼女の背中が、小刻みに震えていた。彼女も、気付いているのだ。ゲートを通過した人の中に、何人かの同級生や、顔見知りの大人が居た。彼女は、それを見て、期待を膨らませると同時に、絶望的である事を認識していたのだ。ただ、どうしても、父親が死んだ事を認めたくなかったのだ。
「神戸さん、行こう」
「隼人君?」
「下に戻ろう。別の軌道ステーションに行ってるかもしれない。でも、その前に、下に戻ろう。お母さんが心配しているよ」
 宙美は、小さく頷いた。
 隼人は、下で管理官についた嘘がばれないように、上ってきたエレベータとは別のエレベータを利用した。そして、出ていったホテルエリア方向とは反対側の通路から、照会センターの設置されているホールへ戻った。
 宙美の母は、直ぐに二人を見付けて駆け寄った。
「シャフトに上がっていたの?」
「隼人君が、連れていってくれたの」
 宙美の母は、頷いた。
 彼女は、総てを見抜いていたようだ。到着した便が、自分達より早くに地球を飛びたっていた事も、隼人の父も、宙美の父も、それに乗っていなかった事も。
「辛いでしょうけど、お父様は、どんなに待っても、ここにはいらっしゃらないわ」
 優しい言葉だった。諭すようにも聞こえた。でも、内容は、二人にとって悪夢そのものだった。
「もし、スペースコロニーに身を寄せるところが無いなら、私達と一緒にいらしたら。私の兄が、L4のスペースコロニーに居ますの。兄の息子は、宙美と同い年だから、隼人君とも上手くいくと思うわ」
 父の死を認める気にはなれなかったが、認めざるを得ないのも事実だった。それに、身を寄せる先が無くて途方に暮れていた隼人にとって、これ以上ない有り難い申し出でもあった。
「岐阜に、母方の伯母が住んでいるので、連絡を取ってみます。岐阜は、内陸なので、津波の被害は無いと思います」
 宙美の母は、首を振った。
「私は、大学で気象学を学んだので、これから先の地上の気象は、大体想像が付きます。地上に戻る事は、死にに行くようなもの。第一、地上に向かう便は、全便、欠航しているのよ」
 言われなくても、地上がどうなってしまうのか、隼人だって知っていた。ただ、宙美に付いていく理由が欲しかった。それを、宙美の母に言わせたかっただけだ。
「私達は、明日朝の便で、L4に向かいます。今晩一晩考えて、結論はそれからにしても、構わないわよ」
「御厚意、ありがとうございます。少し考えさせて下さい」
 隼人は、宙美と一緒に行きたかった。だから、本音では、結論は出ていた。少しもったいぶりたかった。自分を軽く見せたくなかった。
 ちょうど良いタイミングで、館内放送のチャイムが鳴った。
「ただ今から、夜食を配給します。避難民の皆様は、第二レストランにいらして下さい。お部屋の割り振りも、そこで発表いたします」
 放送は、もう一度、繰り返した。
 レストランは、黒山の人だかりとなっていた。隼人は、トレイに載った食事を受け取り、宙美達の横に戻った。テーブルは、老人や幼児に優先的に与えられ、若い者が先に食事を始めていても、老人や子供連れが現れると、係員の指示で席を譲ったし、指示が無くても譲り合った。
 三人は、他の人々と同じように、直接床に座って、食事を始めた。部屋割りの決まった人達の中には、部屋に戻って食事をしている人も居た。
 飛鳥では日本時間を採用している。今は午前二時前で、食事の時間ではなかったが、四時間近い緊張を強いられた体には、思いの外、有り難いものだった。その証拠に、三人共、直ぐに食べ終わってしまった。
 食事が終わると、何となく気持ちにゆとりが出てきた。その勢いで、宙美の母に申し出た。
「よろしくお願いします。一緒に連れて行って下さい」
 二人のほっとした表情が見えた。
「大丈夫。もう、心配しなくても、いいのよ。直ぐに、手続きをしてきますからね」
 宙美の母は、宙美を残して、移民受け付けに向かった。
「良かったわ」
 この事故が始まって以来、初めての笑顔が、彼女の顔に浮かんだ。
「伯父様は、優しい方だし、従兄弟の大地君も、頼もしい子だから、何も心配いらないわ。直ぐに慣れるわ」
 宙美は、従兄弟の大地を「頼もしい子」と表現した。まだ見た事も無い大地に、隼人は少しばかり、嫉妬を感じた。

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