国際スペースコロニー

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 地球と月の重力が産み出す五つの安定な点、ラグランジュポイント。その一つ、L4と呼ばれる宙域に、国際スペースコロニー・アトランティスは、浮かんでいる。
 アトランティスと飛鳥を結ぶ連絡船の八人部屋に押し込められた隼人は、カイコ棚のようなベッドから抜け出し、減速のために生じた僅かな重力を感じながら、船室から廊下へと出た。
 飛鳥では、他の大勢の男達と同様、廊下に雑魚寝をした。マットも、毛布も無く、宙美の母が、不憫に思ってかけてくれた上着に、母の匂いと温もりを感じながら、小さく丸まって寝た。
 目覚めは、最悪と言ってもよかった。
 硬く冷たい廊下で寝たから、体重が掛かっていた腰や肩や脇腹が痛み、節々は硬くなってしまっていた。枕が無かったせいで、首も寝違えた。それに加えて、頭痛がした。体を起こすと、軽い吐き気も感じた。
「二酸化炭素の濃度が上がってるんだ」
 吐き気を堪えながら、ポツリと呟いた。
 二酸化炭素が、空気より比重が重い事を思い出し、床付近の空気より高い場所の空気の方が濃度が低いのではと、ふらつく足を踏ん張った。
 ほとんどの人は、まだ寝ていた。時計の針は、午前六時半を指していた。三時間ほどしか寝ていなかったが、もう一寝入りする気にはなれなかった。
 立ち上がって見ると、廊下の中央付近に、細い道ができていた。廊下は狭いので、通路と直交すると、人が通るスペースが無くなってしまう。人々は、管状の廊下の両側の壁にもたれ掛かるように、あるいは寄り添うように寝ていた。だから、廊下の中央は、細い道として残されていた。
 廊下は、飛鳥の自転による風が流れていた。隼人の記憶では、空調装置は、エレベータホールの地下部分にある筈で、そこに新鮮な空気を放出している。そこまで行けば、ここより少しはおいしい空気が吸えるのではと、人々の枕元をそろそろと歩いた。
 広いエレベータホールに入っても、床には人々が転がっていた。廊下よりも広いせいで、思い思いの方向に寝ているものだから、廊下以上に歩きにくい状況だった。
 ただ、廊下に近いところを通り抜けると、人が立ち入らないように整理していたのだろう。昨日のままに、整然と椅子が並べられていた。その片隅で、昨日と同様に、受付の女性係員が居て、パソコンを開いて、今日の仕事の準備をしているようだった。
 飛鳥に非難してきた被災民の全員が、宇宙移民センターの関係者だ。必然的に、スペースコロニーに親類縁者が居る場合いが多い。中には、自宅を持つっていて、内之浦に転勤できていた者も居るくらいだ。
 既に、紹介センタの職務は終わっている。受付の仕事と言うより、昨日の残務と言うべきか、それとも移動のための臨時便の調整等、職務外の作業なのか。とにかく、こんな早朝から仕事を始めているのは、彼女にとっても初めての経験だろう。
 隼人は、彼女に向かって、一歩、二歩、歩み寄った。
 宙美たちの申し出を断り、一人で生きていける場所を紹介センタに相談しようかとも思った。
 自分からお願いしたわけではなく、神戸家から一緒に申し出があったのだが、策略を巡らし、もったいぶった上で受けた背信が、隼人の心にわだかまりを作っていた。
 しかし、隼人の気配に気付いて係員がパソコンから目を上げた時、彼は視線を外した。
 そのまま、自然体を装って、彼女に近付いた。
「アトランティスに向かう臨時便の搭乗時刻は、何時ですか?」
「11時10分に出航しますから、30分前の10時40分までに、こことは反対側のエントランスホールにお越しください」
 彼女は、事務的に答えた。
「ありがとうございます」と言って、その場を立ち去った。
 早朝にも関わらず、妙に冴えた目で、彼女を見つめ返した後、隼人はその場を去った。
 飛鳥での一晩と同様に、昨夜も、ゆっくりと寝られなかった。地球を脱出してからの二晩は、途切れる事の無い悪夢のように、隼人から安眠を奪った。
 定期連絡船内のベッドはカプセル状になっていて、浮遊防止のスライドドアを締めれば、最低限のプライバシーは確保できた。しかし、見知らぬ年老いた男達と同室になり、落ち着けなかった事に加え、これからの事を考えると、気が重くなった。
 その要因の大部分を、宙美の従兄弟の家に居候する事と、決断に至る身勝手さに対する後悔や、影に下心が潜む後ろめたさが占めていた。
 会った事も無い宙美の伯父と従兄弟。
 父と同じ宇宙移民事業団で働いているらしい。「梅原」と言う姓は、父から聞いた事があるが、父がどんな風に言っていたのか、思い出す事もできないでいた。
 そんな人達の前に、どんな顔で行けば良いのか、どんな風に挨拶をすれば良いのか、どんな風に居候をお願いすれば良いのか、見当も付かなかった。
 船室では、同室の老人達が、不安を酒で紛らわそうと、酒宴を開いていた。最初は、静かに飲んでいた男達だが、酔いが回ってくると段々と声が大きくなり、やがて怒声と歓声と入り交じる宴となった。
 そんな船室のベッドの中で、色々と考えを巡らせながら、中々寝付けずに悶々としていた。
 父の生存は、絶望的と理解していた。母と姉の安否は、確認の術さえない。この世に、唯一人だけ取り残された不安は、拭い切れなかった。幸い、状況を理解できない年齢ではない。一人で生き抜けない年齢でもない。だが、身元引受人となってくれた梅原氏の厚意に、どこまで甘えれば良いのか、迷いがあった。
(中学を卒業したら、夜学に通おう)
 体力には自信がないが、頑張れば、昼の仕事と夜の勉強を両立させられるだろう。
(できなきゃ、夜学は辞めればいいし……)
 そうは考えるのだが、父のような技術者になりたいと考えていた隼人には、進学を諦める事は決心し兼ねる問題だった。
 何度かまどろんだが、時計の針が朝の六時をまわった時、男達の人いきれで空気が淀む船室を抜け出し、廊下に出た。そして、短い廊下の先のロビーに向かった。
 アトランティスに向けて、減速を始めているらしく、極弱い重力を感じた。だから、足で床を蹴って進む。ただ、軽く蹴っただけでも、脚力に比べれば無いに等しい重力なので、体は宙を舞う。
 船内は、どこに行っても、換気のためのファンが騒々しく、神経を逆撫でる。無重力下では、空気は対流を起こさないので、それを補う目的でファンが稼動している。
 ロビーも、その点では、船室と同じだが、ここだけは、微かに芳香が流されていて、逆立った神経を沈めてくれた。
 そのロビーには、早朝にも関わらず、数人の男女が、大スクリーンに映し出される国際スペースコロニー・アトランティスに見入っていた。その中に、宙美の姿を見付けた隼人は、宙美の母も居ないかと探しながら、宙美に近付いた。
「神戸さん、おはよう」
「あら、隼人君。おはよう」
「今朝は、お母さんと一緒じゃないんだね」
「まだ、寝てたわ。疲れが出たんだと思うの。だから、起こさないように、そっと出てきたの」
 宙美親子は、同じ様に母娘の二人連れと同室だった。
 宙美は、長い黒髪を三編みにしていた。三編みにしても胸まで届くほどの長い髪は、無重力に近いロビーの空気の中で、柔らかく宙に揺れていた。
「この髪、気になる?」
 彼女は、隼人の視線に気付いたらしく、三編みの先を指先で弄んだ。
「無重力だと、髪の毛が縺れ易いの。だから、こうして三編みにするのよ」
「女の子には、無重力も大変なんだね」
「そうでもないわ。慣れれば、簡単よ」
(無重力だと、スカートの裾も捲れて、大変なんだろうな)
 隼人の視線が、彼女の足元に流れた。それを敏感に感じ取った彼女は、「残念でした。ジーンズよ」と、ウィンクした。
 彼女に下心を見抜かれたような気がして、顔を赤らめた。
 彼女とこんなふうに話す事は、地上に居る時にもなかった事だ。彼女と話す事で、隼人は、家族を失った事実から、一瞬でも遠ざかる事ができた。
 大スクリーンの中で、アトランティスは徐々に大きくなっていた。特徴的な三連のリングと、それを突き刺すシャフトから構成されるアトランティスは、大気の散乱の無い宇宙空間では、細部に至るまでシャープに見え、その巨大さを感じさせない。
 宙美の視線は、そのアトランティスに釘付けになっていた。
「神戸さんは、アトランティスに行った事はあるの?」
「七年くらい前、まだ、リングが一つしかなかった頃に、一度だけ来た事があるの。隼人君は?」
「今度で四回目だよ。二年に一回くらいの割合かな。最初に来た時は、二つ目のリングが建設中だった。二度目は、三つ目が建設中で、全体が完成してからは、一度しか来たことがないよ」
 数学者ラグランジュが、三体問題の解として見つけ出したラグランジュ・ポイント。
 ここは、地球と月の重力が産み出すラグランジュの第四ポイント、通称L4だ。
 この空間に浮かぶのは、世界最初のスペースコロニー、アトランティス国際スペースコロニーだ。現時点では、三連のドーナツ型コロニーが一基あるだけだが、百年後には、更に巨大なコロニー十数基が、この空間に浮かぶ事になる。総人口は、現在の六百倍以上の一億人にも膨れ上がる。
 L5でも、並行してコロニーの建設が進んでいる。現在は、アトランティスと同型のパシフィックがあるだけだが、L4と同様、十数基のコロニーが列を成す事になる。月や火星表面に建設されるコロニーも合わせると、一世紀後の宇宙人口は、十億人を越えると予想されている。来世紀は、文字通り、宇宙の世紀となる。
 大型スクリーンは、アトランティスの三連のドーナツ型スペースコロニーを映し出している。
「以前に来た時には、飛鳥に似てるなって思ったけど、随分、雰囲気が変わった気がするわ」
「リングが三つに増えたからね。それに、飛鳥は、太陽光を反射するように白く塗られているけど、ここはリングの外側が太陽電池パネルになっているから、藍色に見えるしね。でも、最大の違いは、大きさだよ。リング外側の直径は七千六百メートルと、飛鳥の六十倍以上もあるし、リング自体の管の直径も九百メートルもあって、飛鳥のリングの一番太い部分と比べても、百倍以上だ。
 三本のリングを繋ぎ止めるシャフトは、全長六千五百メートルもある。三本のリングの内部の有効面積の合計は、五十三平方キロにもなるんだ。それを照らすミラーは、アトランティスの北天に主鏡、リングの内側に副鏡を配置してあり、主鏡の直径は七千九百メートルだ。そして人口は……」
「十五万人ですもの」と、宙美が割り込んだ。
 隼人は、知ったかぶりをしていた自分が、恥ずかしくなった。
「流石、宇宙移民事業団の子弟!」
 恥ずかしさを誤魔化すために、わざと宙美を持ち上げた。
 数字を上げてみても、大型スクリーンの映像からは、相変わらず、その巨大さが伝わってこない。
 このアトランティスのリングを地上に寝かせたなら、リングの両端は、東京駅から新宿駅を越え、立てれば、富士山の二倍に達する。二十世紀末までに地上に建設された総ての建造物は、アトランティスの中で、天井にぶつかる事も無く納まってしまうのだ。そんな比較をしても、アトランティスの巨大さは、俄かに信じ難い。
 真っ暗な宇宙を背景にして浮かぶアトランティスは、人類の理想郷とすべく、生産のリサイクル機構から生態系まで、総てを人工的に作り上げた人類初の構造物である。内に秘めた機能と理想は、神々しいまでの藍色の輝きを帯びていた。
 荘厳さを湛える圧倒的な存在感は、隼人の瞼に鮮明に焼き付いた。
 すうと、体重が抜けるのを感じた。減速度が小さくなり、ほとんど無重力に戻ってしまったのだ。
「隼人君、もうすぐドッキングよ」
 宙美の元気な声が、大型スクリーンをぼうっと見ていた隼人に飛んでくる。
 宙美は、屈託の無い笑顔を見せていた。
 元々、宙美は、この笑顔の魅力で、クラスでも人気者だった。誰もが素直になってしまう笑顔と、明るく闊達な性格、そして愛らしい表情で、男子生徒はもちろん、女生徒や先生にまで人気があった。
 それが、今回の小惑星落下事故で、すっかり変わってしまった。あの笑顔は、スペースプレーンの機内以降、一度も見る事ができなくなっていた。
 今、彼女は、以前に地上で見せていたのと同じ笑顔をしている。少し表情が硬いような気もするが、少し吹っ切れたのだろう。隼人は、くよくよと思い悩んでいる今の自分を反省した。
「見習わないとね……」
「えっ、何を?」
 彼女の笑顔は、怪訝な表情に変わってしまった。
「神戸さんの笑顔だよ」
 自分で言っておきながら、恥ずかしさで顔を赤らめた。
 彼女は、もう一度、あの笑顔を見せた。彼女の笑顔は、隼人の悩みも雲散霧消させた。

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