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 二時間後、隼人は、宙美母子と一緒に、連絡船を降りた。
 直前に、大量に飲んだアイソトニック飲料が、お腹の中でタップンタップン音を立てて揺れている。
 無重力空間では、下半身の体液が上がってしまい、尿で体外に排出される。このまま、重力のある世界に戻ると、下半身に体液が落ち、脱水症状となってしまう。だから、重力がある世界に戻る前に、しっかりと水分を摂っておくのだ。ところが、まだ無重力なので、強引に飲んだ水分は、上へ上へと押し上げ、吐き気を催す。
 隼人は、膨張した胃を感じながら、連絡船のハッチを抜けた。
 飛鳥同様、ドッキングポートは、無重力である。連絡船を降り、ハーフパイプの乗り場まで、狭いトンネルを、手摺を頼りに移動する。
 ハーフパイプは、飛鳥のものより小型で、二.五メートル立方のゲージの中に、十二人しか乗れない。しかし、三十ものサテライトがあるドッキングポートから、重力エリアまで、乗り換え無しで移動できるし、数十基のハーフパイプが行き交うので、乗り場で待っていれば、次から次にやってくる。
 隼人と宙美親子の三人は、日本人街があるオリエント管に向かった。
 オリエント管は、三つあるリングの中で最も北側のリングなので、ドッキングポートから約五キロもある。更に、スポークの中を三.五キロも下らなければならないが、ハーフパイプは、その距離を十分余りで連れて行ってくれる。
 アトランティスは、飛鳥と違い、ドッキングポート以外の総てが自転している。ハーフパイプは、ドッキングポートからシャフトに入る際に、一旦停止する。
 更に、オリエントハブで、スポークへの方向転換する際にも、一旦停止する。ここで、それまでの、無重力空間での水平移動に対し、重力空間での垂直移動に変わる。この時、加速を背中で受けるように、ハーフパイプ自体の向きが変わる。
 スポークに入って直ぐ、隼人は、スペースプレーンがオービターから切り離された直後のような、猛烈な加速を背に感じた。加速で、体が鉛のように重くなり、ベッドに沈み込む感触を覚えた。経験が無ければ、ハーフパイプが暴走を始めたと勘違いしそうだが、これで通常の重力とほぼ同じだった。丸一日の無重力空間での航行が、感覚を狂わせてしまったのだ。
 この加速は、僅か十秒余りで終わり、ベッドが半回転する。それから、約二分、同じ加速が続く。この加速は、本当は減速で、最初の加速で得た速度を利して、三.五キロのスポークを、一気に下るのだ。
 ハーフパイプが停止した時、本当に静止したのか、初めての者には分からないだろう。それまでの加速と変わらない加速感が続いているからだ。ハーフパイプ自体が九十度回転しベッドが垂直になって、漸く重力エリアに到着した事を知るのだ。
 隼人は、すっかり楽を覚えた筋肉に鞭打つように、ハーフパイプを降りた。体は、プールから上がった直後のような重さで、滑り止めの小さな突起にも躓いた。
 降りた場所は、税関の入り口だった。三人は、税関で荷物の検査を受けた。
「隼人君、こちらにいらっしゃい」
 宙美の母の優しい声が、隼人を呼んだ。
 できれば、別々に税関を通りたかった。だが、宙美の母が身元引受人となっている以上、一緒に行動するしかなかった。
「これは、パソコンですか?」
 税関の職員は、業務的な声で、隼人のアタッシュケースの中を見た。
「自作のパソコンです」と小さな声で答えた。
 ひた隠しにしてきたパソコンを、二人には見られたくなかったが、隠しようがなかった。できれば、起動したくなかった。事業団のコンピュータにハッキング紛いの手段で侵入し、しかも総てのパソコンを一時的にロックさせてしまった事がばれないかと、隼人は冷や冷やしたが、税関の職員は、平然と業務を遂行していった。彼は、避難民が、それも特大サイズのパソコンを持ち歩く不自然さなど、一向に気にしていなかった。
 ただ、宙美親子は、怪訝な表情の中に、少しばかり不快感も滲ませていた。税関のチェックが終わったところで、宙美がすたすたと近寄ってきた。隼人は、逃げ場を探したが、そんなものはなかった。
「隼人君、パソコンなんか持ってきたの? それも何十台分もありそうな大きなのを」
 隼人は、頷くしかなかった。
「荷物も二つだし、どうして、二つも荷物を持ってこれたのよ」
「あ、いや、あのね、お父さんの着替えも入ってたから」
 ほとんど、シドロモドロになった。
 管制センターでスペースプレーンに乗る際、重量制限で一人に一つの荷物しか許されなかった。実際、宙美親子は、それぞれ中くらいの大きさのバッグを一つずつしか持っていなかった。
 宙美が、隼人の言葉を信じたかどうかは分からないが、それ以上の詮索はなかった。
 三人は、税関を抜けると、最寄りの周回鉄道の駅に向かった。
「隼人君、兄の家は、Cブロックにあるの」
 アトランティスのリングは、それぞれ六個ブロックがある。そられのブロックは、森林地帯、または住宅地となっていて、交互に配置されている。入出国税関は、森林地帯であるFブロックの地下にあり、その中央からハブに向かってスポークが伸びている。
「周回鉄道で行くんですね」
「良く知ってるわね。そうよ。今から、駅に行くのよ」
 周回鉄道は、リングの最下部を走る高速鉄道で、主としてブロック間の移動手段として用いられる。
 税関を出ると、地下とは思えない巨大な円筒形の空間が待っていた。Fブロックの地下公園である。地下にも関わらず、数基の強い照明によって、驚くほど明るく照らされている。
 ドーム状の天井の高さは、五十メートル以上はあるだろう。直径も、二百メートルを軽く越える。中央には、巨大な柱のように、スポークが貫く。その周囲に、官庁の窓口が並んでいる。
(スポークって、こんなに太かったんだ)
 スポークの直径は、七、八十メートルあるだろうか。天井の高さに比べて幅があるので、特に太さを感じるが、本当の長さが三千五百メートルもある事を考えると、糸のように細いと言うべきかもしれない。
 リングは、スポークで支えているわけではない。スポークは、自重に耐える以上の強度は持たない。リングは、それ自体の強度で形状を維持している。リングには、自転による遠心力が働いているが、張力に強い素材で、それにも1気圧の内圧にも耐える構造になっている。一種の柔構造で、構造的には軟式飛行船に近い。
 スポークを中心にした地下公園は、イギリス庭園のように、幾何学状に通路と植栽、花壇等が配されている。全体が円形なので、中の模様も円が基調になっている。少し高い所に上がれば、ミステリーサークルのように見える筈だ。
 三人は、回廊となっている官庁前の通路を歩き、周回鉄道の駅に降りるエレベータホールを探した。
 隼人達の前にも、そして後ろにも、重い足を引き摺る避難民の姿があった。彼等は、薄汚れており、目も空ろで、足取りも重い。誰が見ても、普通ではないと感じるのではないだろうか。
(僕も、彼等と同じ様に見えるんだろうな)
 隼人は、恥ずかしくなった。
 三人は、エレベータで、地下の周回鉄道の駅に着いた。
 隼人は、避難民に配られたクレジットカードを手に、切符を買おうとした。
「待ちなさい、隼人君。あなたのクレジットは、これから必要な事がある筈だから、今は仕舞っておきなさい。ここは、私が買うわ」
「でも……」
「そんなに気になるんなら、社会人になった時に、あなたの稼ぎの中から返してくれればいいわ。そう、出世払いよ。だから、私が傍に居る間は、あなたは、そのクレジットを使わないようにしなさい」
 隼人は、深々と頭を下げた。
 周回鉄道は、六十人乗りの車両一両のみのリニアモーターカーで、自転と逆方向にのみ走っている。
 リング内には、九箇所の駅があり、並行に八路線が走る。路線毎に、各駅に停まる列車、一駅置きに停まる列車、二駅置きに停まる列車といった具合に、通過する駅の数が決まっている。このため、路線毎に、事実上の行き先が決まる。乗り間違いを除けば、停車駅毎に全乗客が入れ替わる。だから、片面に十箇所のドアが並び、乗降性を確保すると共に、三分間の停車時間がある。
 各路線毎に九両の列車が同一線路上にあり、全駅で同時に発車し、同時に停車する。各駅に停車する路線では、五分足らずの間隔で運転しており、最も通過する駅が多い路線でも、十分足らずの間隔での運転となっている。
 思いの外、便利な交通機関である。
 自転と逆方向に高速で走るので、実質の自転速度が遅くなり、重力が小さくなる。自転速度は、およそ秒速百九十メートルだが、周回鉄道は、秒速四十五メートルまで加速するので、重力は七分の四くらいまで小さくなる。
 三人が乗ると、一分もしない内に最高速に達し、体も軽くなった。
『御乗車ありがとうございます。目的地のCブロック第二駅までは、四分足らずの御案内となります』
 合成音声によるアナウンスが流れた。
「地球の重力も、これくらいだったらいいのに」
 ハーフパイプを降りて以来、自分の体の重さに辟易としていた隼人は、弱音を吐いた。
「こんなに弱かったら、体も弱くなっちゃうわよ」
「でも、これくらいなら、走れるし、ちょうどいいと思うんだけど」
「無重力よりは、マシね。無重力だと、下手に浮いちゃうと、誰かに助けてもらうまで、空中を漂ってしまうものね」
 飛鳥の欠点である静止エリアから自転エリアへの乗り移りも、地上と同じ重力があれば、エスカレータの乗り降り程度にしか感じないだろう。だが、無重力だと、手で移動せざるを得ないので、ああいった乗り移りも、充分な慣れを必要とする事になる。
『……グゥー……』
「今のは、何の音?」
 隼人は、恥ずかしくて、自分のお腹の音だとは言えなかった。
「お腹がすいたでしょう。日本も、飛鳥も、日本時間を使っているし、今はサマータイムだから、こことの時差は二時間になるものね。もう、十二時を回っている事になるわ」
 隼人は、素直に頷いた。
 彼女は十二時と言ったが、腕時計は十時を指していた。電波時計の信号を受信し、その土地の標準時に自動的に合わせる機能があるからだ。
 三連のドーナツ管は、それぞれ八時間の時差がある。これは、太陽光を有効に利用し、かつ、役所や工場等の設備を有効に機能させるためである。オリエント管は、日本に近い東経百二十度の子午線に合わせた標準時を採用している。ユーロ管は、ズールー時(グリニッジ標準時)、アメリゴ管は、アメリカ西海岸の標準時を採用している。
 オリエント管は、日本や飛鳥とは一時間の時差がある。特に、サマータイムを採用している現在は、二時間の時差になる。でも、これくらいの時差なら、ほとんど意識しないで済む。ただ、腹時計は正確で、お腹がすいてたまらなかった。
 列車が、Cブロック第二駅に着くと、三人は、エレベータで地上に出た。
 アトランティスに来て初めて、地上の空気に触れた。出た場所は、湖畔の公園だった。気象スケジュールは見ていなかったが、真夏の日差しが照りつける快晴だった。見上げると、真上に太陽が輝き、湖面はそれをきらきらと反射していた。
 直ぐ脇には、大きな電子掲示板があり、人物の顔と名前、略歴と公約が表示されていた。どうやら、選挙の真っ最中らしい。
「思ったほど、暑くないのね。助かるわ」
 宙美の母は、眩しそうに空を見上げた。
「ほんと。涼しいくらいだわ。高原に居るみたい」
「緑が多いからだよ」
 一周が二十キロメートルに及ぶアトランティスの内部は、濃い緑に覆われている。高層建築は全く無い。住宅や病院、学校等を除くと、大部分の建物は、地下に存在する。道路も、鉄道も、地下に押し込められている。そのせいで、家々の間も、総てが緑の林で覆われている。
 さわやかな空気と、木々の中にぽつんぽつんとしか見えない住宅は、高原の別荘地に着いたような気分にさせる。
「折角だから、湖畔で、食べましょうか」
 宙美の母は、地下のハンバーガー店で三人分のハンバーガーとジュースを買うと、また、地上に出てきた。三人は、湖畔のベンチに座り、ハンバーガーに齧り付いた。
 ここの湖水は、リングの重量バランスを適正化するため、常に水位を調整している。また、二酸化炭素を吸収する役目も担っている。
 その水面を、風が細波を作りながら吹き抜けていった。
「あっ、魚が跳ねた!」
 宙美が叫んだ。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ。今の見た? 大きな魚が、跳ねたのよ!」
「見逃しちゃったよ。本当に、大きかった?」
「本当よ。なんで、見てなかったのよ。見てたら、大きかったのが分かったのに」
 彼女は、手振り身振りで、魚の大きさを説明した。
「宙美。早く食べなさい。大地君を待たせてるのよ。それに、魚の大きさなんかどうでもいいじゃないの」
 宙美は、文句を言いたそうだったが、手に持ったハンバーガーを口にした。
 その時、三人の目の前で、魚が跳ねた。小さな魚だったが、尾が水面を叩き、大きな水飛沫が上がった。
「小さいね」と、隼人は皮肉たっぷりに言った。
 宙美は、膨れっ面のまま、残りのハンバーガーにかぶり付いた。

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