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 十五分後、宙美の母は、二人を連れて、循環軌道バスに乗り継いだ。
 循環軌道バスは、周回鉄道の駅を基点に、四路線を持つ。路線の一周が三キロ前後で、十箇所のバス停を十分で回る。それぞれ、内回りと外回りがあるので、最大五分の所要時間で駅に着ける。時間帯にもよるが、五分から十分おきに走っているので、それを加味しても、十五分以内に駅に着き、エレベータかエスカレータで下りるだけで周回鉄道に乗り換えられる。
 三人は、四つ目のバス停で降りると、今度は動く歩道に乗り移った。
 歩道の起点と終点が六十度横に曲がった高速型で、乗り降りする部分は時速四キロ程度だが、中間部分は時速八キロに加速する。五十メートル毎に乗り継がなければならないが、この上を歩くと、自転車並の速さになるので、風を斬って歩く感覚が楽しい。
 壁面の所々には、明かり取りと換気を兼ねた横穴が穿たれているが、これが不要くらいに十分な照明が施されている。
 この動く歩道を四本も乗り継ぐと、住宅街のどこからでも、バス停まで出てこれる。
 周回鉄道、循環軌道バス、高速型動く歩道の組み合わせで、リング内なら、どこへ行くにも四十五分以内で行ける。十八平方キロメールに近い広さがある事を考えると、早いと言えなくもない。
 動く歩道を三回乗り継ぎ、最後の動く歩道が終わった所で、三人は動く歩道から逸れた。そこから何歩も歩かない内に、宙美の母は立ち止まった。地下道の最も奥、リングの内壁が直ぐ目の前にある所だった。
 彼女は、地下道から二、三歩引っ込んだ扉の前に立った。扉の右横には、「UMEHARA」の表札が掛かっていた。
「隼人君」
 隼人は、名を呼ばれて、彼女の脇に近付いた。
「ここが、これからあなたが住む事になる家よ。私の兄は、外見的にはむっつりとした、取っ付きにくそうな研究者然としているけど、中身はそんな事はないから、心配しないで。どうしても困った事があったら、私に相談してね」
 隼人は、こんなに優しくしてもらえる事が、心底、嬉しかった。
 チャイムを鳴らすと、待ち兼ねていたように、一人の少年が飛び出してきた。
「おばさん、宙美、それに隼人君だったね。お待ちしていました」
 少年は、隼人と同い年の「梅原大地」のようだ。
「征矢野隼人です。よろしくお願いします」
 少年は、優しい微笑みを浮かべた。頬にエクボができる笑顔は、丸顔に似合う。背が高く、隼人は見上げなければならなかった。肩幅もあり、小柄な隼人よりも二回りは大きかった。
「僕は梅原大地」
 彼は、右手を差し出した。隼人は、その手を握り返した。暖かく、優しく、力強い手だった。頼れる兄貴の雰囲気があった。
「父は、仕事に出てるので、今は僕一人。だから、隼人君も肩の力を抜いて、気楽にしてよ」
 宙美に良く似た屈託の無い笑顔で、隼人達三人を家に迎えいれた。
 家は、地下一階、地上二階の三階建てで、玄関は地下にあった。大地の案内で、エレベータで二階の個室に通された。
 大きな家だった。二階には、バストイレが付いたゲストルームが二室と、同じ様にバストイレがある寝室が二室あった。隼人は、ゲストルームの一つに案内された。
「おばさんと宙美は、そっちの部屋を二人で使って。隼人君は、こっちだ」
 通された部屋は、鹿児島の自宅の部屋の二倍はある大きな部屋だった。
「大地君。僕一人に、こんな大きな部屋は要らないよ」
「じゃあ、宙美と同室がいいかい? それは、ちょっと問題だよな。じゃあ、おばさんと同室になりたいのかい? それも、問題だよな」と、大地は澄ました顔で言った。
 隼人は、自分の言葉が、そんな風に解釈できるのかと驚き、どう弁解すれば誤解を解けるだろうかと、思案を巡らせた。
「ははは。悪かった。ほんの冗談だよ。でも、これ以外に、部屋割りの上手い案が無いんだ。その内、いい案が浮かんだら、みんなで部屋の引越しをすればいいさ」
 大地は、頬にエクボを作って笑った。がっちりした身体つきだが、丸顔の童顔は、宙美同様、憎めない笑顔を作る。
「さあ、旅の疲れを取って、ゆっくりしてよ。僕は、下に居るから、用事があったら、インターフォンのリビングを押して呼び出してくれればいいよ」
 彼は、軽やかに階段を降りていった。
 一人になって、部屋を見渡した。花や絵などの飾り気が無いところが、男所帯を思わせるが、奇麗に片付けられていて、どこにも隙を感じさせない。
 部屋には大きな窓があり、外の景色を借景している。絵の様な明るい緑の木立は、緩やかな下り傾斜になっていて、昼食を摂った湖まで続いていている。湖面で反射する陽光が、木々の間を通して、部屋の中まで射し込んでくるようである。湖の向こうも、丘になっていて、豊かな緑の間に、様々な色の屋根を持った住宅が続いていた。
 入り口の右側には、大型クローゼットが続き、右奥の壁に沿って、セミダブルのベッドが置かれていた。ベッドの窓側には、木目の美しい大きな机が置かれていた。机の上には、何も置かれておらず、日頃から使っている様子はなかった。
 入り口の左には、トイレがあり、その隣がバスルームになっていた。
 早速、隼人は裸になり、二晩も浴びる事ができなかったシャワーを、ゆっくりと浴びた。バスルームから出てきた隼人は、裸のまま、大きく伸びをした。この二日間で、初めて、人の目から逃れる事ができた事が、心底、嬉しかった。
 荷物の簡単な整理が終わったところで、隼人は、服をきちんと着て、身だしなみを整えて、部屋を出た。
 今は、大地の父も居ないが、間も無く帰ってくるだろう。その時に、少しでも良い印象を与えたかった。これから、どれくらいの期間になるか分からないが、この家に居候させてもらうのだ。色々と迷惑を掛ける事になるだろう。財政的にも、負担が増えるだろう。だからといって、一旦預かった隼人に対し、「出ていけ」とは言い難いだろう。
 できるだけ負担にならないように、また、不快感を与えないように注意していこうと、隼人は心に誓った。
 下に降りると、宙美の母が、大地と楽しそうに笑っていた。隼人は、宙美の母が笑う顔を、初めて見た。これまでの苦難が嘘のような、明るい声を上げて、彼女は笑った。
 彼女の視線が逸れた瞬間に大地が見せた真顔を、隼人は見てしまった。それは、全くの偶然だったが、大地という少年の大きさを知る事ができた。大地は、宙美達の苦境を理解し、少しでもそれから解放してやろうと、心を砕いてくれていたのだ。
「あら、隼人君、疲れてないの? 宙美は、疲れが出たらしく、寝ちゃったわよ」
「そうなんですか。僕は、元気ですから、大丈夫ですよ」
 そう言った端から、欠伸が出た。
「ははは、身体は、正直だ。隼人君、しばらく寝ておいた方がいいよ。夕食時には、僕が起こしてあげるから」
「いや、おじさんが帰ってくるまでは、起きていようと思うんだ。だって、初対面なのに、寝ていたら失礼だろうと思って……」
「わっはっはっは……」
 一頻り笑った後、大地は、穏やかな表情で、隼人をじっと見た。落ち着いた表情といい、叔母の心情を察して、話題に細やかな神経を使う心配りといい、とても同級生とは思えなかった。
「そんな事は、気にしなくてもいいよ。……でも、ちょっと取っ付き難い雰囲気を持っているかもしれないな。ジギル博士みたいに」
 映画のジギル博士の顔を思い出し、思わず吹き出した。
「すみません。ジギル博士を東洋系の顔にしたらどうなるかと考えてたら、とんでもない顔になってしまって……」
 大地と宙美の母は、きょとんとしていたが、突然笑い出した。二人とも、東洋系のジギル博士の顔を考えたらしい。
「ちょっと違うような気もするけど、そうね、外見的には、そうかもしれないわね。だけど、隼人君、心配要らないわ。人見知りの激しかった宙美が、お兄さんに抱かれても、全然平気だったもの。赤ちゃんって、凄く敏感なの。恐い人かどうか、一目で見破ってしまうの。実の伯父って事もあるけど、宙美は、赤ちゃんの時から、ずっとお兄さんに可愛がってもらってきたわ」
 動物は、特に、犬は、人を見る目が鋭い。犬好きの人には尻尾を振るが、犬嫌いの人には吠え立てる。
 たぶん、赤ちゃんも、無垢な分だけ、人を見る目が鋭いのだろう。
 隼人は、宙美の目を信じたいと思った。
「僕の父は、定規が服を着て歩いているみたいなものだったから、東洋系ジギル博士とは、イメージが違うんだ」
「そうかしら。隼人君のお父様とは、仕事でご一緒させて頂いたけど、優しいお顔で、定規みたいに角張ってなかったわよ」
「いいえ、性格が定規なんです。何でもかんでも、定規で測ったように、きちんとしなければ気が済まないんです」
 大地は、また笑った。彼に吊られて、隼人も笑った。考えてみると、笑ったのは、一体、いつ以来だろうかと、悩んでしまった。でも、久しぶりに笑えた事は、ここの居心地が、自宅よりも良いくらいだという事だろう。すっかり、肩の力も抜け、リラックスする事ができた。 
「定規で測ったようなってのは、ちょっと言い過ぎだと思うけど、いつ御会いしても、きちんとした身なりでいらしたのは、私も感心していたのよ」
 宙美の母も管制センターで働いていたので、隼人の父とも何度も会っている。その中で、父の性格の片鱗を見抜いたようだ。
「ここは、リングの内壁の近くだよね」
「そうだよ。直ぐ裏に崖があって、その少し上は、リングの壁になってるよ。壁の外側は、宇宙空間だ」
「壁に穴が開いたら、大変な事になりそうだね」
「大丈夫だよ。壁は、三層構造になってるし、最外層の強度は高いから、スペースデブリくらいじゃ、穴は開かないよ」
 彼の説明では、最外層に太陽電池パネルがあるが、これを含めず、三層構造になっていると言う。太陽電池パネル自体も、表面を透明な被覆があって、小石程度のデブリでは、太陽電池パネルに被害が出ないようになっているそうだ。
 太陽電池パネルを除いた三層の構造は、概ね、次のようになっているそうだ。
 最外層は、積層の金属パネルになっていて、かなり大きなデブリにも耐えられるようになっている。どうしても、デブリとの衝突を避けられないので、定期的に交換できるようにもなっている。そのために、補修が容易な金属製になっている。
 二層目は、主として気密を保つようになっている。三層総てが気密構造だが、この層の気密性能は、他の層とは桁が違う。内側に、液状の高分子膜を用意し、小さな隙間も完全に塞ぐようになっている。極めて高い引っ張り強度も持っていて、三層目と強調して、内部の過重を支える。
 三層目は、内部の建造物や土砂の重さに耐えるようになっている。金属の骨格と複合材の膜で作られていて、垂直方向の過重も、主に引っ張り強度で支えている。
 大地は、堅苦しい話を避けるためか、話題を変えた。
「隼人君は、スポーツは何かするのかい? 実は、僕のバスケットチームは、人数がたりないんんだよ。君が入ってくれると、ちょうど五人になって、試合にも出られるようになるだけど」
 細やかな神経を遣う大地だけに、彼は何か意図があって言ってくれているような気がした。でも、自慢になるほどの運動音痴の隼人は、彼の足手纏いならないように、辞退する事にした。
「僕は、スポーツは苦手なんだ。大地君は、バスケットボールが好きなのかい?」
 背の高い大地だから、答えは分かっているような気がした。
「好きだよ」
 予想通りの答が返ってきた。
「じゃあ、NBAなんかも、見るんだ」
「そうでもないよ。プロのプレーは、レベルがまるで違うから、僕達には参考にならないんだ。だって、どうすればダンクシュートを打てると思う? それに、僕の場合、バスケットは同好会で、参加する事に意義があるって感じかな」
「大地君は、野球の方が好きだと思ってたけど、今はバスケットなのね。でも、野球は辞めちゃったの?」
 宙美の母は、少し残念そうに聞いた。
「うん。ここは、地上と違って、コレオリフォースが強いんだ。フライが上がると、不自然な流れ方をするから、中学生レベルだと危険なんだ」
 コリオリフォース。
 自転に伴う架空の力だ。フーコーの振り子の実験で、振り子の振れる方角が変わるのも、この力の影響だし、北半球で、高気圧が右回り、低気圧が左回りの空気の流れとなるのも、そうだ。ここは、自転周期が二分で非常に短い事と、自転の半径も三キロ程しかない事から、この力が強く現れる。
 前回、ここに来た時、父から教えられた。数学的には、高校レベルだそうで、かなり難しかった。
「ここは、高校からしか野球ができないんだ。だから、こっちに来た時、野球は諦めたんだ」
 大地は、最近になって、ここに来たような話し振りだった。隼人は、少し気になった。
「大地君は、いつ、こっちに来たんだい」
「君に、ちょっとばかり先んじただけさ」
 大地は、謎めいた言い方をした。「ふふふ」と笑う宙美の母が笑った。
「具体的に教えてよ」
 隼人を押し戻すように、大地は手を上げた。
「なに、四月に来たばかりだよ。父が、こっちの高校を受験するなら、中三の内に来た方がいいって」
 たかが、それだけの事だった。それだけの事で、彼は謎めいた言い方をした。
「一学期分だけ、僕が先輩さ」
「そんな事で、威張るなよ」
 隼人は、大地の肩を、ポンと突いた。
 リビングの扉が開いた。宙美が目を覚ましたのだろうと、隼人は、扉に目をやった。
「お、おじさま……ですね」
 隼人は、飛び上がって言った。扉の横には、気難しそうな顔の長身の男が立っていた。
 大地には、「東洋系のジギル博士」とは言ったものの、全然、イメージが違っていた。白いものが混じっているが、ふさふさしている髪は、やや長く、ぼさぼさ頭と言っても過言ではない。本来は、大地同様、丸顔だと思うが、頬はこけていて、実年齢よりも老けて見えそうである。身体も、頬と同様に痩身で、神経質さを物語っている。
 その彼は、部屋に入った所で立ち尽くし、隼人をじっと見据えていた。隼人も、気を付けの姿勢のまま、硬直していた。
「僕、征矢野隼人といいます。今日から、こちらで御世話にならして頂きます」
 隼人は、最敬礼した。
 隼人が頭を上げた時、彼は、まだ立ち竦んでいた。やつれた顔の中で、唯一、光を放つ瞳で、隼人の姿をじっと見ていた。
(どうして、何も言ってくれないんだろう)
 隼人は、不安になり始めた。
「出て行け!」と言われれば、それも仕方が無い。ここに置いてもらえないなら、他を当たるしかない。それ自体、そんなに大きな問題ではない。今なら、避難民の受入態勢も整っているだろう。何とかなるか筈だ。
 だが、受け入れてもらえるのか、それとも追い出されるのか、どちらとも判断がつかないのは、彼の家、彼の親族に囲まれている現状では、とても居心地が悪い。
 隼人は、彼からの返答を引き出そうと、身を乗り出した。
「君が、征矢野さんの息子さんか。道理で、良く似ている訳だ」と、彼は、独特の低音を喉で反響させて言った。
 あの鋭い眼光で、父との比較をしていた事を、初めて知った。
「安心しなさい。取って食おうなどとは思っていない」
 大地が、彼の声色を真似て、馬鹿な事を言ったので、隼人は、手首だけで、大地の言葉を払い除けるしぐさをした。
「どうやら、大地とも打ち解けたようだね。安心しなさい。私は、君を取って食おうってほど大食漢じゃないよ。でも、夜食が無い時は、君の腿が細くなってしまうかもしれないな」
 冗談も言うのか。
 外見とは違う気さくさに、隼人はほっとした。
「芙美子」
 宙美の母の名前は、芙美子というらしい。
「宙美の転校手続きをしておいたから、二学期から通わせなさい」
 宙美の母が、隼人の顔を見て、次に彼の顔を見た。
「大丈夫だ。隼人君の転校手続きも、一緒に済ませてある。隼人君の保護者は、芙美子の名前にしてあるから、頼んだぞ」
 彼は、また隼人を見据えた。
「来月から、大地と一緒に、学校に行きなさい。何も心配する事はないし、何も遠慮をする事はない。特に、勉学については遠慮しては駄目だ。行きたい高校があれば、どこへでも進学させて上げる。大学もそうだ。博士課程まで行きたいなら、必ず希望を叶えて上げよう。
 君のお父さんは、優秀な方だった。教育に関しては、私に遠慮する事は許さない。君を預かった以上、お父さんに恥ずかしくない教育を受けさせないと、彼に叱られてしまうからね。だから、私を父親だと思って、甘えてきなさい。その代わり、間違った事をしていたら、大地と同じ様に、厳しく接するつもりだ。それでいいね?」
 隼人は、涙を拭った。
「はい! よろしくお願いします」
 彼は、大きく肯くと、リビングを出ていった。
「なあに、寝ている間に取って食ってしまえば……」
 大地は、また、彼の声音を真似して言いだした。実の親子だから、声の質が似ている。
「大地君こそ、寝首を掻かれないように、気を付けた方がいいよ。何てったって、この家には、今晩からは僕が居るからね」
 大地は、隼人を何度も小突きながら、声を立てて笑った。

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