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「現在の地球は、灰色の雲に完全に覆われ、直接地上を見る事ができません。この映像は、レーダー観測の結果からコンピュータで合成したものです。分かり易くするため、垂直方向は、水平方向の百倍に拡大されています。
 小惑星が墜落した場所は、円形に海山が連なっている事が分かります。部分的に、海面に達している場所もありますが、大部分は海面下の深い場所にあります。このクレーターの底では、今、アイソスタシー的釣り合いを取り戻すため、大きな地殻変動が続いています。そのため、繰り返し地震が発生し、その度に、大きな津波となって広範囲の海岸に被害を与えています」
 画面は、クレーターの推定断面に切り替わった。
「アイソスタシーとは、地殻平衡の事です。地球の地殻の厚さは、大陸の地下では厚く、海洋底では薄くなっています。地殻は、マントルの海に浮いているようなものです。大陸では、山塊の重みで、地殻の底は深くなります。逆に、海洋底では、海水の重さは地殻の三分の一程度で、しかも高度が低いので、地殻の底は浅くなります。
 この浮力のバランスを、アイソスタシー的釣り合いと呼びます。
 小惑星は、地殻が薄い海洋に落ちたため、海洋底の地殻を突き破り、マントルに到達しました。このため、海水が熱いマントルに直接触れ、繰り返し激しい水蒸気爆発を起こして、大気中に大量の塵と水蒸気を吹き上げました。これが、小惑星の冬を補強してしまいました。
 今は、海洋底とマントルの間には、海水によって冷やされた溶岩、多くは枕状溶岩になっていると思われますが、溶岩が蓋をし、水蒸気爆発は一段落しています。しかし、小惑星によってアイソスタシー的釣り合いが破壊されたため、この釣り合いを取り戻そうと、海洋底で大規模な地殻変動を産んでいるのです」
 隼人は、芙美子に目をやった。
「アイソスタシーの地震は、いつまで続くのですか?」
「私は専門じゃないから分からないけど、数年は続くと思うわ」
 地震の発生場所が海洋底になるので、近隣の沿岸部では繰り返し津波が押し寄せるだろう。
「それじゃあ、海岸に人が住めるようになるのは、何年も先になってしまうんですね」
「そんなレベルの問題じゃないのよ。地上に人類がどれくらい生き残れるのか、どうか。その方が重大な問題なのよ」
 そうだったと、隼人も思った。
「問題は、色々あるね。最も恐ろしい事は、地上で最も失われなかった物だ」
 また、大地が物騒な話を持ち出した。
「それは……?」
「軍事力だよ。海軍力は、水上兵力が壊滅したと思うけど、サイレントサービスは、無傷に近いじゃないかな」
「サイレントサービス?」
「戦略潜水艦部隊の事だよ。潜水艦発射の戦略ミサイル群は、被害を受けていない筈さ。しかも、その指令を出すホワイトハウスやクレムリンも、核シェルターに避難しているので、事実上の無傷だと保証できるよ。戦略ミサイル群は、古典的な武器だから、地上に居る時には恐いけど、ここは大丈夫だ。問題は、サテライト部隊だ」
 サテライト部隊とは、地球の衛星軌道上に配置されているビーム戦闘部隊だ。この部隊は、戦略ミサイルの迎撃を主任務としている事は、隼人も知っている。
「サテライト部隊の装備の中に、小惑星迎撃用の核兵器がある事は知ってるかい?」
 知っていた。
 地球軌道と交差するアポロ群小惑星が、何度も地球を掠めた。これに危機感を抱いたIAUは、国連と共同で小惑星迎撃システムの開発に着手した。そして、二十一世紀中頃には、実戦配備を完了したのだった。
 隼人は、首を振った。
「地球に落ちてくる可能性が高い小惑星に、核兵器を打ち込み、破壊するか、軌道変更をするシステムだよね。でも、役に立たないみたいだね。役に立つなら、今回の小惑星墜落は、起こらなかった筈だもの」
「そんな事はないよ。今回の小惑星墜落は、低軌道まで、事業団で誘導してたから、標的にはならなかっただけだよ。小惑星の迎撃は、月軌道よりも遠くにいる間に行うように作られてるから、今度みたいな低軌道だと、軌道変更も破壊も間に合わないんだよ。
 まあ、確かに、隼人君が言う通り、過去に一度も役に立った事も無いけどね」
「それで、問題は、その核兵器で、ここを攻撃できる事だって言いたいんだろう」
「そうなんだ。ただ、直ぐに危険になるという事はないと思ってるけどね。小惑星迎撃システムは、IAUから小惑星の軌道情報と迎撃ポイントのアドバイスを受ける事と、国際条約の制約で、IAUがスイッチの一つを握っている事から、軍の暴走で発射する事はできないからね」
 TVは、地球上の人類の生存状況の予想を始めていた。
「この世界地図は、現時点の人口分布です。地上からの通信の状況から作成しました。
 御覧のように、東アジアから南アジアにかけての海岸線は、ほぼ壊滅状態です。内陸部は、かなりの人達が生存できているようですが、墜落地点に近い東南アジア地域は、地震のために、内陸であっても甚大な被害が出ているようです。更に、年間の最低気温よりも遥かに低い気温で、多くの人々が凍死したものと思われます。
 低温の影響は、熱帯、亜熱帯で大きく、アジアだけでなく、アフリカや南アメリカ、あるいはオーストラリア北部で顕著で、人類のみならず、生態系をほぼ全滅状態に陥れているようです。
 世界で、最も被害が少なかったのは、ニュージーランドやチリの内陸部、アルゼンチン南部等です。これらの地域は、元々冬でしたので、日射が減った事以外に、重大な影響が無く、無傷に近いと思われます。しかし、小惑星の冬が終わった後に来る一時的な高温期や、地球規模で起こっている植物プランクトンの激減は、これらの地域にも襲い掛かるでしょう。
 この地域の人類には、わずかばかりの時間的な余裕が与えられただけです。この時間的余裕を有効に利用し、最善を尽くしてもらいたいと、切に願うばかりです」
 画面は、更に変った。
 TVに映し出されたのは、小惑星だった。それも、墜落した小惑星そのものだった。
 キャスターは、小惑星の起原に溯り、話し続けていた。
「この小惑星は、元々は、火星軌道と木星軌道の間にある、ごく一般的な小惑星の一つで、二十一年前に発見されました。その後の軌道要素の確認の過程で、この小惑星は、十八年後、つまり今から三年前に火星の近くを通過する事が分かりました。
 これに目を付けたのが、日本の宇宙移民事業団でした。
 彼等は、小惑星の軌道をほんの少しばかり火星に近付けるだけで、地球軌道まで近付くだけでなく、地球を掠める事も可能だと気付いたのです。これを利用すれば、僅かな投資で、大量の資源が手に入る事ができるのです。
 老朽化が進んでいた軌道ステーション飛鳥のリプレースは、日本国内の財政が思わしくない事に加え、既に中国が軌道ステーション重慶を建設していたので、国際協力が得られず、一向に計画が進まない状況に陥っていました。
 しかし、小惑星を地球周回軌道に投入し、小惑星から採取した資源を使って小惑星内に軌道ステーションを建造する事で、一気に解決できると目論んだのです。この方法なら、当初予定とほぼ同額の予算で、十倍近い大容量のものが建造できるのです。遥かに大きくなったスペースに、研究所や特殊合金、医薬品等の工場を誘致する事で、企業から資金を得られると考えたのです。事実、世界中から企業が進出の名乗りを上げ、立待ちの内に資金の問題がクリアになったのです。
 さて、問題の小惑星の軌道変更は、十年前に溯ります。
 最初の無人探査機が、小惑星の資源状況を調査し、予想を超える資源量を確認しました。マンガン、ニッケル、ボーキサイト。炭素や窒素、リン、水素、酸素、これらは酸化物の形ですが、大量に見付かったのです。そこで、資源採取用の機材に加え、マスドライバーの部品が小惑星に送り込まれ、軌道変更計画が本格化しました。五年前には資源採取が始まり、四年前、最初の軌道変更が行われました。
 この計画のユニークなところは、軌道変更をマスドライバーで行っている事です。
 資源採取を行うと、精錬後の廃棄物が出ます。これをマスドライバーで宇宙空間に射出し、その反動で軌道修正を行うのです。マスドライバーの電源は、太陽電池で賄われるので、一切の燃料を必要としないメリットがありました。画期的な方法だとして、世界から絶賛を浴びました」
 キャスターは、声のトーンを下げた。
「しかし、安全性については、完全に無視されていました。
 私達は、カミカゼの国が計画した事を、もっと深く考えるべきだったのかもしれません。そうすれば、このような安全性を無視した計画を阻止する事ができたのです」
 カミカゼ。
 神風特別攻撃隊、いわゆるカミカゼは、二世紀近くも昔の事なのに、世界では未だに心理的なダメージとして残っているらしい。
「多くの国は、このプロジェクトをモデルケースとして見ていました。ですので、小惑星を丸ごと一国が使ってしまう事にも、若干の条件を付けただけで認めたのです。それを認めなければ、この災厄は発生しなかったかもしれません。
 元々、この計画には危険性がある事が分かっていました。プロジェクトの発案者の一人が、その危険性を唱え……」
 突然、TVが消えた。突然の事に驚いている四人の頭上から、苛立ちを隠せない翔貴の声が降ってきた。
「家に帰ってまで、プロジェクトの話を聞かされたくなかったんだ!」
 大地を含め、全員が黙りこくっていた。
「悪いが、私の前で、プロジェクトの話は、しないでくれないか」
 大地は、納得がいかないらしく、腰を上げる素振りを見せたが、機先を制して芙美子が立ち上がった。そして、すまなそうな目で翔貴を見詰めた。
「ごめんなさいね、お兄さん」
 はっと、我に帰ったような表情で、翔貴は「そんなつもりで言ったんじゃないだ」とだけ言うと、居間を抜けていった。今日も、警察に呼ばれて、色々と取り調べを受けたのだろう。その心労が、言動と表情にも表れていた。四人の誰もが、翔貴に声も掛けられずに見送った。
「ごめんよ。お父さんも悪気があって言ってないと思うんだ。もし、気分を害したなら、僕が謝るよ」
 隼人は、首を振った。
「大丈夫。気にしてないよ」
 大地は、にっこり微笑んだ。
「さぁ、夕食の時間だ。お父さんを呼んできて、みんなでワイワイ食べよう」
 ついさっきの翔貴の表情を思い出し、そんな事ができるのかと隼人は訝ったが、三十分後には、大地の言った通りになっていた。

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