新学期

 九月一日、隼人は、大地と宙美の三人で、学校に向かった。
 この朝、宙美の母は、傍目にも嬉しそうな顔で、食堂に現れた。
「おばさん、何かいい事があったんですか?」
 明るい彼女を顔を見て、隼人は反射的に訊ねた。
「うふふ」
 宙美の母は、含み笑いを漏らし、うっとりと潤んだ目を漂わせていた。
「また、出たんでしょう?」
 宙美は、母の顔を見ながら、何とも薄気味悪いものを想像させる言葉を口にした。
「そうなの。枕元に、あの人が立ってたのよ」
(あの人?! えっ、ウッソォー!)
「まさか……」
 隼人は、背筋に悪感を覚えた。
「そのまさかなのよ。お母さんの枕元に、お父さんが立ってたの」
 隼人は、宙美の顔を見た。
「見たの?」
 宙美は、首を振った。幽霊を見たのは、宙美の母だけらしい。
 宙美の母を振り返ると、彼女は笑みを湛えていた。
「幽霊が出たんですか?!」
「あの人、また来てくれたのよ」
 宙美の母は、嬉しそうに言う。
「心配事があったり、寂しくなったりすると、必ず会いに来てくれるのよ」
「気持ち悪くないんですか?」
 彼女は、驚いた顔を見せた。
「どうして、気持ち悪いの? あの人は、私を心配してきてくれているのよ。こんな心強い事はないわ」
 隼人は、はっとさせられた。
 幽霊は、彼女の夢か錯覚に間違いあるまい。でも、彼女は、本当に現れたと信じきっている。それも、出てくる事を喜び、感謝さえしている。彼女は、心の底から夫を愛していたのだろう。彼女の愛情は、一点の曇りも無く、夫に向けられていたのだ。だから、そんな気持ちになれるのだろう。
「おじさんは、おばさんと結婚して、幸せだったんだと思います。だって、幽霊になったって会いたい気持ちが変わらないんだもの」
 宙美は、神妙な顔で付け加えた。
「愛してるって、何度も言われるより、幽霊になっても会いに来てって言われる方が、私はずっと嬉しいわ」
 隼人も同感だった。
 だが、宙美が化けて出てきたら、隼人は会ってみたいと思えるかどうか、確信はなかった。
「おはよう。みんなで何の話をしてるの?」
 大地が、明るく力強い声で、三人の前に現れた。
「幽霊の話よ」
「えっ、幽霊?」
「そうよ。化けて出てくる幽霊のお話よ」
 宙美は、最後の「お話よ」を低く震わせた声で言ったので、隼人はぞくっとした。
「朝から、そんな薄気味悪い話は、やめようよ。僕は、幽霊は苦手なんだ」
 この件だけは、大地に一歩リードしたかなと、隼人はほんのちょっとだけ優越感を感じた。
「そうね」と、宙美の母は、笑みを浮かべたまま答え、話題を終えた。

 そんな宙美の母とは対照的に、地上の惨状を知らせるニュースが毎日のように続き、正直、気が滅入った。
 大地達と一緒に見た時よりも、地上の事態は深刻さを増していた。食糧不足から発生した暴動のため、数え切れないほどの死傷者が出ていた。
 特に悲惨だったのは、軍に物乞いをした母子の集団に対し、軍が発砲した事だった。母親の多くは射殺されたが、凶弾は、子供に向けても容赦無く発射された。
 これを切っ掛けに、武器を持った男達が軍施設を襲い、激しい戦闘と累々たる死体の山を築いた後、軍によって鎮圧された。大地が言っていた「軍は国家のためにあり、国民のためには存在しない」という言葉を、軍がその行動で裏打ちしたようなものだった。
 今回の軍と民衆の衝突は、地上の報道機関がアトランティスに直接情報を送ってきたため、詳細を知る事ができたが、これと同じ様な事が世界中で起きている事は、想像に難くなかった。
 だから、新しい学校に馴染めるかどうか不安はあるものの、地上で進行しつつある惨状から目をそむける事ができるチャンスでもあった。
 大地は、動く歩道には乗らず、その横をすたすたと歩いていく。隼人も、宙美も、大地に遅れまいと、足早に後を追った。
「おはよう♪」
 後ろから、女生徒が声を掛けてきた。
「おっはよ」
 大地は、明るく挨拶を交わした。
「オッス!」
 今度は、男子生徒だった。
「ヨォ!」
 大地は、力強い返事を返しながら、男子生徒のお尻を、鞄で叩いた。
 大地を見かけた学生は、誰もが、大地に挨拶をした。ある者は野太い声で、また、ある者は可愛い声で、気楽に挨拶していく。大地も、見かけた者には、必ず挨拶をした。明るく、元気になる声で。
 隼人は、こんな明るい雰囲気の学校は、初めてだった。それも、これも、大地の明るさと、細やかな心配りのお陰だろう。
 大地の案内で、校長室に入った時も、雰囲気は変わらなかった。校長は、にこやかに挨拶すると、大地を先に教室に行かせた。
 始業式が行われている間、二人は事務長から手続きや、授業内容の説明を聞いた。始業式が終わると、校長が戻ってきて、教頭と担任を紹介した。そして、担任に引率される形で、教室に向かった。
 教室に入ると、大地が号令を掛け、全員が挨拶をした。大地は、委員長なのだろう。
 教壇に立った担任は、早速、二人の紹介を始めた。
「今日、征矢野隼人君と、神戸宙美さんが、転校してきました。皆さんは、もう噂を聞いて知っているでしょう。御二人は、小惑星墜落事故の避難民ですが、二週間前から大地君の家に住むようになりました」
 大地の家に住む事が知らされると、女性との間から、嫉妬と羨望の声が上がった。大地は、女生徒の間でも人気が高いらしい。下手をすると、宙美は女生徒から怨まれそうな気配である。
「あの事故で、神戸さんは、お父様を亡くされました。征矢野君は、御両親と、御姉様を亡くされました。御二人の境遇も考え、仲良くしてあげて下さい」
 担任は、二人のために、教卓を開けた。
「はじめまして。征矢野隼人です。以前にも、何回か、ここに来た事があります。いずれ、ここに移り住む事になるのだろうなと、ぼんやりと考えていましたが、本当になってしまいました。まだ、こちらに慣れていないので、戸惑う事が多いのですが、頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします」
 にこやかに話したつもりだったが、内容が悪かったらしく、みんなの反応は悪かった。でも、大地が拍手をすると、みんなも吊られて拍手をした。
「神戸宙美です。地上でも、隼人君と同じクラスでした。こちらに来ても、同じクラスなので、腐れ縁みたいです」
 クラスから、忍び笑いが漏れた。
「ソラミは、「宇宙」の「宙」に「美しい」と書きます。名前で分かるように、隼人君とは違って、ここに来るのが生まれた時から決まっていました」
 宙美の説明に、肯く生徒も少なくなかった。周りが妙に説得されているのが、隼人には可笑しかった。
「ところで、私と大地君とは、従兄弟同士です。ちょっといい奴なので、できれば赤の他人として憧れていたかったのですが、身近過ぎるのが残念です。その代わり、大地君へのラブレターは、私がキューピット役をできます。遠慮無くどうぞ」
 彼女の自己紹介には、男子生徒も、女生徒も、大いに受けていた。彼女は、女生徒の恋の怨みを、上手に味方に付けてしまったようだ。
 彼女は、ここでも、クラスのアイドルになれそうである。
 二人が、それぞれに空いている席に座ると、そのまま授業が始まった。
 休み時間になると、隼人の回りにも、宙美の回りにも、みんなが集まってきた。
「地上じゃ、どこに住んでいたんだ?」とか、
「バスケットは、大地のチームより、俺のチームの方が強いぞ」とか、
「クラスのどの子が可愛いと思う?」とか、他愛の無い話がほとんどだった。
 こんな話をしながら、隼人と宙美の品定めをしているのだろう。
 大地は、隼人の傍にいて、黙ってみんなの話と隼人の受け答えを聞いていた。体格も大きいが、みんなよりもずっと大人の雰囲気を持っているなと、隼人は、大地の落ち着いた態度に感心した。
「宙美ちゃんは、好きな子が居るのかなぁ?」
 この質問は、答えに困った。
「そうだ。前の学校に、好きな子が居たんじゃないのか? 征矢野君なら知ってるだろ?」
 聞いてくる連中は、真剣な眼差しを送ってくる。
「居たみたいだよ。噂は聞いた事がある」
 この時、大地が何かを懸念する表情を見せている事に、隼人は気付かなかった。
「だけど、地上は壊滅状態だから、そいつも死んだんだろう。と言う事は、今は恋敵は居ないんだ。ここに居るみんながイーブンだ」
 男子生徒は、宙美の事で盛り上がった。
 恋敵が死んだなんて、随分、残酷な事を平気で言うものだと、隼人は、カチンときた。
「たぶん、そいつも生きてるよ。もしかしたら、二、三日後には、ここに転校してくるかもしれない。だって、そいつも、宇宙移民事業団の職員の子供だったから、僕らと一緒に地球を脱出できた筈だから」
 一瞬にして、場は静まり返った。大地が険しい表情を見せた。
「なんで、宇宙移民事業団の職員だったら、地球を脱出できたんだ? 何でだよ」
「そうだ。小惑星を落とした連中が、何で、その被害から逃げてこれるんだよ!」
「地上で、何人が死んだと思ってるんだ。オイ!」
 周囲の険悪なムードで、隼人は、恐怖すら感じた。そして、「誰もが被害者」と言った飛鳥の職員の言葉が蘇ってきた。
「僕にも、分からない」と口篭もった。
「何が分からないだ。そうか、分かったぞ。事業団の奴らが、脱出用のスペースプレーンを用意しておいて、小惑星を地球に落としたんだ。そうに決まってる」
 周りで、「そうだ! そうだ!」の大合唱が始まった。
「静かにしろ!」
 騒然と教室の中で、その声は、総てを圧倒する迫力があった。
 声の主は、大地だった。
「地上に居た事業団職員で、助かった者は、誰一人居ないんだ。誰一人、スペースプレーンに乗らなかったんだ。タイタニックでも、ボートを操船するために、一部の乗組員が脱出しているけど、隼人君達を飛鳥に運んだスペースプレーンは、また直ぐに地上に戻り、連絡を絶ってしまったんだ。彼等は、もっと多くの人を助けようと、決死の覚悟で地上に戻ったんだ」
(そうだったのか)
 そんな事は、全然知らなかった。本当に、助かったのは、スペースプレーンの客室に入れた者だけだったのだ。いや、客室にいた若いキャビンアテンダント達も、パイロットと一緒にスペースプレーンで地球に戻って行った筈だ。もっと多くの人々を救うため。そうだとすると……
「全員が死ぬために、小惑星を落とす訳がない。そうじゃないかな」
 諭すような話し振りだ。どう見ても、彼だけ年齢が違うような気がしてしまう。でも、その御陰で、ささくれ立っていた教室の雰囲気も、いくらか冷めてきた。
「納得がいかないなら、納得できるまで、僕が話そう。僕の父も、宇宙移民事業団の職員だ。詳しい情報も、父の元には入ってくるだろう。必要なら、父に掛け合い、情報を聞き出すぞ」
 教室が、静かになった。
「大地がそう言うなら……」
 その一言に、この教室における彼の存在の大きさが現れていた。
「みんな辛いのは、僕も分かる。僕の祖母は、地上で一人暮らしをしていた。四月に僕がここに来る時、父は祖母を連れてこようとした。でも、祖母は来なかった。あの時、首に縄を付けてでも連れてくるんだったと、胸が締め付けられるよう苦しくなる時がある。みんなも、大同小異だろう。親戚全員が無事だった奴なんて、どこにも居ないさ。みんなが被害者なんだ。それは、ここに居る隼人君や宙美も、それは同じなんだ」
 大地も、「みんなが被害者」と言う。正に、その通りなのだ。
「そうだった。俺達は、両親が生きてるけど、征矢野君は、両親とも亡くなったんだよな。それを忘れてたよ。ごめんよ」
 隼人は、その男子生徒に右手を出した。
「よろしくな」
 彼は、隼人の手を握り返してきた。
 誰かが、隼人の肩をポンと叩いた。次々に、握手を求めてきたし、左右の肩を、ポンポンと叩いていった。
 隼人は、クラスのみんなに受け入れられた事を感じた。

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