- 2 -

 翔貴だったのだ。
「証言しなければならない事があります」
 彼は、傍聴席の間を抜け、前に出ようとした。
「席に座りなさい。従わない場合は、退廷を命ずる事になりますよ」
「私は、被告人の父親です。今回の事件の背景にある小惑星墜落について、どうしても発言しなければならない事があるのです。どうか、私に発言させて下さい」
「被告人。あなたの父に間違いありませんか」
 判事の問いに、「間違いありません」と、しっかりした声で、大地は答えた。
 判事は、その回答に頷き、今度は弁護士に視線を送った。
「今回の事件の背景には、小惑星墜落が色濃く影響しています。彼が、その事について証言したいと言っているので、私としては、聞いてみたいのですが、被告側はどうでしょうか?」
 弁護士は、暫く考えていた。証言を拒否するのかと隼人が考え始めた時、おもむろに、「被告側の証言として、要求したいと思います」と答えた。
「検察側はどうですか」
「問題ありません」
 大地の父は、傍聴席から証言席へと歩を進めた。
 お決まりの人定尋問から始まった。
「梅原翔貴。被告人の父です」
「では」と言って、弁護士は、証言席に近付いた。
「まずは、今回の事件の背景にある小惑星墜落について、証人はどのような事を知っているのですか?」
 傍聴席は、ざわついていた。それも束の間。間も無く、全員の耳が、大地の父の発言に集中する事になった。
「小惑星の墜落には、私が直接関与しました」
 大きなどよめきが、廷内を包んだ。判事でさえ、この予想もしなかった発言に、我を失ったようだ。長い間が開いた後、やおら「静粛に!」と大きな声を張り上げた。
 その言葉で、弁護士は続く質問を思い出した。
「それは、仕事の上での関与ですか?」
「いいえ。私の個人的な関与です。小惑星の軌道を乱したのは、私が軌道計算プログラムに細工をしたためです」
 傍聴席が、再びざわめき始めた。それは、次第に大きなうねりとなって、廷内を飲み込んだ。「静粛に!」と喚く判事を尻目に、傍聴席は私語で盛り上がり、確認と、口論と、怒りとで、満たされていった。
 隼人は、なぜか冷静な目を失わずに済んだ。その目で、大地の顔を見た。大地は、父親を注視していた。その表情には、深刻さは感じられなかったが、強い大地の事だから、総てを心の中に押し込めて耐えているのだろう。
「今回の事件の被害者の一人である征矢野隼人君の御尊父、征矢野勝史氏とは、資源用小惑星を地球を周回する低高度の軌道に投入する事の是非について、私は、何度も衝突しました。詳しくは、私自身の裁判で明らかにしたいと思いますが、この件が切っ掛けになり、私は、低軌道への小惑星の誘導の危険性を、彼に知らしめるために……」
「小惑星を墜落させたのですか!」
 冷静を保っていた弁護士が、急に大声で追求した。しかし、判事は、弁護士に注意を与え、大地の父に続けさせた。
「墜落させたかとの問いですが、結果的には、おっしゃる通りです」
「結果的に?」と、判事は彼に説明を求めた。
「本当の狙いは、危険性を示す事にあり、墜落させる必要は、全くありませんでした」
「そうだ。落とす必要はなかった筈だ!」
 今度は、傍聴席からの怒りに満ちた声だった。これも、判事が制した。
「私の計算では、小惑星が大気圏の最上部を掠めるだけの筈でした。……いいえ、言い訳はしますまい。結果的には、私が軌道計算を誤り、計画より深く大気圏に入りました。そのため、大気の抵抗を受けて速度が鈍り、そのまま地上に落下してしまいました」
 真摯な態度で話し続けた。
「私は、数億の人々を殺しました。小惑星墜落の危険性を唱えていた私が、その軌道計算に細工しようと思った時点で、犯罪でした。しかも、逸脱させる軌道も、危険性を強調しようと、低軌道、それも大気圏を掠めるような危険極まりない軌道を選択した事自体、私自身の軌道計算能力に奢りがあったのは、間違いありません。ほんの僅かな計算間違いも許されない危険な軌道でした。これを、もし、地球引力圏を遠く脱出する軌道を選択していれば、このような最悪の結果を免れる事になったでしょう」
 後悔とそれに続く苦悩が、彼の顔を実年齢よりも多く老けさせていた。
「ちょっと、疑問点があるので、確認させて下さい。あなたは、軌道計算にタッチしていましたね」
 弁護士の顔が、この時、検事の顔になったような気がした。
「いいえ。私は、低軌道への小惑星の導入には、反対の立場を貫いていました。そのため、軌道計算のプロジェクトからは、私の意志で外れました」
「そうなると、軌道計算に不審な点があれば、真っ先にあなたが疑われますね」
 彼は、少し考えてから答えた。否定しようか、肯定しようか、迷っているような様子だった。
「そうなります」
「おかしいですね。あなたが軌道計算に手を入れている事が公になれば、小惑星の軌道逸脱は、単に犯罪となるだけで、警鐘とはならないではありませんか」
 飛び込みの証人に対しても、弁護士は鋭く切り込んだ。
「いいえ、犯罪であっても、地球への墜落の可能性が公になれば良いと考えていました」
「証人。あなたの息子さんは、被告人席に居ますが、恐らく、この法廷内にいる誰よりも正義感の強い大人です。こんな弁護のし甲斐のある被告人は、私の弁護士生活の中で初めてです。私は、この裁判で完全無罪を勝ち取り、彼の経歴に傷を付けないようにしたいと考えています。そして、将来は、私と同じ職業を選択してもらいたいと、真剣に考えています。彼の正義感は、法廷で発揮されるべきだと、私は真剣にそう思っているのです。あなたは、その息子さんに恥ずかしくない証言をして下さい」
 大地の父は、逡巡した。間も無く、意を決した表情で、話し始めた。
「隼人君。君の事を話さなければならないが、それが、君にとっても良い事だと思うので、決断した。しっかり聞いて欲しい」
 彼は、隼人を振り返って、そう言った。そして、判事に向き直り、隼人が驚く内容を話し始めた。
「征矢野さんが決して私を追求しないだろうと、私は確信を持っていました。それは、息子さんの隼人君が、宇宙移民事業団の管制センターのコンピュータを、無断使用している事実を知っていたからです」
 隼人は、蒼ざめた。
 知られていたのだ。
「ここで、お断りしておきますが、不法侵入ではありません。官舎のネットワークを通じて、彼自身に与えられた正規のIDで管制センターのコンピュータに繋いでいたので、不法侵入には当たりません。
 しかし、無断使用である事は確かでした。彼の無断使用に気付いたのは、全くの偶然でした。彼は、自分のパソコンでは処理しきれない大量の情報を、管制センターのコンピュータで処理し、それを再び自分のパソコンに戻す事を繰り返していました。その際の優先度は、最下位に設定してあったので、管制センターに悪影響を及ぼすほどではありませんでしたし、彼は、夜間しか使用していなかったので、無断使用には気付き難い条件が揃っていました。逆に言えば、管制センターの業務に支障が出る可能性はありませんでした」
 隼人は、俯いた。
 完全に、知られていたのだ。
「私は、ある日の夜、終夜処理である種のシミュレーションを試みたのですが、その際に、メモリの使用量が極端に大きい事に気付きました。私のシミュレーションは、彼のメモリの待避時間分だけ、予定より処理が遅れていきました。だから、気付いたのです。興味を惹かれ、詳細に調べていきました。その結果、隼人君が、宇宙大規模構造のシミュレーションを行っている事に気付きました。正直言って、驚きました。とても、中学生のプログラミングだとは思えない、優れたものだったのです」
 誉めてもらっているのだろうか。
 恥ずかしくて、顔が上げられなかった。
「私は、内密に征矢野さんに事の次第を伝え、もうしばらく様子を見るように進言しました。征矢野さんも、頃合いを見計らってきつく叱る事で、納得してくれました。後日、小惑星の軌道逸脱を考えた際に、これを利用しようと考えたのです。小惑星の軌道修正を行う際に、隼人君のプログラムの優先度を最高レベルに上げ、管制センターの機能を一時的に麻痺させようと考えたのです。そして、同時に、軌道修正プログラムに細工し、小惑星の軌道を逸脱させたのです」
「征矢野さんは、管制センターの麻痺が、息子さんの仕業だと考えたと思いますか?」
「思います。征矢野さんへの進言は、お話しした細工への伏線ではなく、あくまでも隼人君の処理の結果を見てみたいと考えたからですし、だからこそ、征矢野さんは隼人君の仕業だと考えるだろうと、確信していました。結果として、小惑星の墜落を防ぐ手立てが遅れる事にもなり、大惨事に繋がりました。
 もし、私の軌道計算に誤りがなく、思い描いた通りに小惑星が地球の大気圏を掠めていた場合、征矢野さんは、隼人君の将来を考え、一言も言えなかったのではないかと思います。それを思うと、心が痛みます」
 弁護士は、自身の質問に予想以上の結果が得られ、満足そうに頷いた。
「私の犯した罪は、断罪されるべき重罪です。私は、実の母を殺し、隼人君の両親を殺し、隼人君や宙美に暴行を振るった少年達の親族を殺し、数億の人々を殺しました。今回の事件の総ては、私個人にあり、隼人君達に暴行を働いた少年も、大地にも、誰にも、罪はないのです。総てを狂わせたのは、私の独り善がりの主張と奢りなのです。私が言いたい事は、これで総てです」
 判事の溜息が聞こえた。
「分かりました。証人は、席に戻って下さい。後で、出頭を求められる事になるでしょう。それまで、その席で待ちなさい。警察には、あなたが自首である事を説明します。
 あなたの裁判でも、今のように正直に答弁するのですよ。残される者が恥ずかしくないよう、今のような答弁をする事を私は進言します」
 法廷は、重く沈んだ空気で満たされていた。肉親や親族を殺された怒りさえ、重い空気の中で沈んでいった。
 法廷の時計は、開廷以後、最も静かな時を刻んでいた。
 宙美が、隼人に何と声を掛けようか迷っているのが、隼人にも分かった。そして、大地が、目で隼人に謝罪しているのが見えた。
(君と、君のお父さんは、独立した人間なんだよ)
 近くに居たなら、そう言ってあげられたのに、大地は、被告人席という遠い所に居た。
 隼人は、もどかしかった。
「神戸さん、攻守が入れ替わったね。これからは、僕が神戸さんや大地君を励ます番だ」
 隼人は、そう言って、宙美の心の乱れを落ち着かせてやろうとした。
「ありがとう、隼人君」
 宙美が、隼人の手を握った。隼人は、その手をしっかりと握り返した。

       < 次章へ >              < 目次へ >