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 隼人は、自室でパソコンに向かった。
 インターネットから、墜落した小惑星の軌道を取り込んだ。それには、予定の軌道と、実際の軌道の両方が入っていた。
「うわぁ、大胆!」
 隼人が一目見て思った感想は、この一言に凝縮されていた。
 小惑星は、軌道ステーション飛鳥のリプレースの材料を得る目的で、地球軌道に投入する計画だった。
 飛鳥は、欧米の軌道ステーションに比べると、手狭で、現行のスペースプレーンの乗客数の二倍の収容力しかなかった。しかも、欧米の軌道ステーションがリプレースされて、機能的にも、容量的にも、刷新されたのと比較すると、老朽化が目立ち、機能的にも見劣りした。
 そこで、小惑星を飛鳥と同じ高度に投入し、内部を刳り貫いて、軌道ステーションの機能と、無重力工場、太陽光発電所、天文台などの多機能を盛り込んだ世界最大の多目的軌道ステーションにする計画が持ち上がった。
 その資源となるべく白羽の矢が当たった小惑星は、火星軌道と木星軌道との間にあった。これを一回目の噴射で軌道を変え、火星の引力を利用して地球軌道に向かわせる。地球に近付いた小惑星は、月の引力を利用して減速し、地球軌道の内側に入る。一年後、再び地球に近付いた小惑星は、一気に地球の周回軌道に向かう。この時、二度目の噴射を行って減速し、目的の軌道に投入する。
 そう、一気に地球周回軌道に、それも低軌道に、投入しようとしていた。一旦、高軌道に投入し、その後で低軌道に移すのではなく、一気に低軌道に持ってくる予定だった。
「これじゃ、失敗すれば、一巻の終わりだ」
 事実、そうなってしまった。大地の父が反対する理由も、良く分かる。軌道修正に失敗した際の事を考慮すると、選択すべきではない事が分かる。
 なぜ、こんな無茶な軌道を利用しようとしたのだろう。
 その理由は、直ぐに分かった。軌道修正時に使う噴射剤の量だ。
 噴射剤には、有用な資源を採取した後の残りを使用していた。これをマスドライバーで加速し、その反動で軌道修正をするのだが、マスドライバーでの加速には、限界がある。だから、大きな推力を得るには、大量の噴射剤が必要になる。だから、使用する噴射剤の量を抑える事は、プロジェクトの正否にも関わってくる重大事だった。
 そういった諸条件をクリアするために考案された今回の軌道は、実に巧妙なものだった。そして、その軌道の発案者が、意外にも梅原翔貴氏、つまり大地の父だった。彼は、自分で発案し、自分で反対していたことになる。でも、その理由も、分からないでもなかった。
 発案されたのは、実に二十二年も前の事だった。隼人も、大地も、宙美も、産まれていなかった。翔貴氏自身、まだ二十代だった。恐らく、この二十年余りの間に、考えが変わったのだろう。
 問題の軌道は、地球と月の引力を利用し、巧妙に減速と軌道修正を行っていた。噴射に必要な資源量は、小惑星の全質量の十五パーセントにも満たなかった。文句無しの省エネルギー軌道変更だった。
 隼人は、この軌道の検証作業に入った。
 まずは、正常な軌道の検証に入った。
 この計算では、太陽、地球、月に加え、木星の引力も計算に入れた。ただ、他の惑星の引力は、影響が少ないので、計算を容易にするために割愛した。
 必要な推力をみる概略の軌道計算だけでも、想像以上に大変だった。それに、宙美の母が貸してくれたパソコンは、軌道計算のツールが全く入っていなかった。宇宙移民事業団の公式サイトから、必要な軌道計算ツールを入手しようとしたが、一連の事件に伴い、閉鎖したままだった。
 大地の前では、大見得を切ったが、正直、自分のパソコンが無い事が、少々荷を重くする事になった。
 しばらく、ネット上をさまよって、他のサイトからいくつかのツールを入手することに成功した。これで、計算ができると思ったが、使い慣れないツールは、コツを飲み込むまで、時間を要した。
 コンコン
 部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
 ちょうど、集中力が切れ掛かっていた時だったので、一息いれるには好都合だった。
 入ってきたのは、宙美だった。そして、後ろから、大地も続いた。コーヒーの芳香が、緊張をほぐしていった。
「はい、コーヒーをどうぞ」
 宙美は、一つだけのカップを、机の角に置いた。そして、大地の方に振り返ると、一言言った。
「ほらね。隼人君は、私の声しか聞こえないのよ」
 取りようによっては、意味深長な言葉だった。カップに伸ばし掛けていた手が、思わず止まった。
「おい、隼人君。僕の声が聞こえないのかい?」
「え、どうして?」
 意味が分からず、思わず聞き返した。
「一時間くらい前に、僕もノックしたんだけど、返事が無かったんだ。それで、部屋の外から声を掛けたんだけど、やっぱり返事が無かったんだ」
「うそ」
 ノックにも、大地の声にも、覚えが無かった。
「ほら、私じゃなきゃ駄目なのよ」
 宙美は、追い討ちを掛けた。
 それで、はたと思い当たり、時計を見た。
 部屋に篭って、三時間が過ぎていた。もうすぐ、夕飯の時間だった。
「こんな時間になってたんだ」
 集中すると、こんな事はよくある。一時間くらいのつもりが、二時間、三時間と過ぎていた事は、隼人にとって珍しい事ではない。ただ、学校の勉強で、ここまで集中した事は、今もって一度もなかった。
「呆れた。時間も分からないくらい、必死に計算してたの。それくらい、学校の勉強もすればいいのに」
 宙美は、まるで母親のような口振りだ。
「でも、流石に、天才征矢野勝史の息子だ。呆れるほどの集中力だ。で、どうだい。計算はできたかい?」
 隼人は、俯き加減に首を振った。
「ふう。呆れるほどの凡才ぶりだわ」
 宙美の毒舌は、毒を増したようだ。やっぱり、どこかでちゃんと謝ろう。隼人は、そう思ったが、謝るチャンスは中々見付かりそうになかった。
「それで、やめちゃうの?」
「いや、最後までやるよ」
「そう、その粋よ。凡才は、そうでなくっちゃ」
 励まされてるのか、馬鹿にされているのか、彼女の心は、さっぱり読めない。
「食事の時は、ノックしても、声を掛けても駄目だったら、テーブルまで担いで行ってあげるから、目一杯集中していいよ」
「そうよ。それでも集中してたら、私が代わりに御飯を食べてあげるね」
 彼女の毒舌は、全開ばりばりのようだ。
 二人は、「バイバイ」と言って、仲良く部屋を出ていった。
 部屋には、彼女のいい匂いが残った。隼人の頭の中には、彼女の笑顔が浮かんでは消えた。何とか振り払って集中しようとしたが、頭の片隅にこびり付いて離れなかった。
 隼人は、一気にコーヒーを飲み干した。空き腹には、ちょっと重かったが、嬉しい苦さだった。
 結局、一時間後、大地に肩を叩かれた。
 夕食だった。

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