エピローグ

 由布森林公園の現場は、随分と整理され、突貫工事で壁面の補修工事が進められていた。周辺の植栽も、奇麗に植え替えられ、事件の痕跡は、『工事中』の立て札だけになっていた。
 辺りが元の静けさを取り戻すのも、時間の問題だろう。
 その由布森林公園に、三人は足を運んでいた。
「僕が、電話した時、二人はどの辺に居たの?」
 大地と宙美は、周りの風景と足元を見比べながら、位置を確認しあっていた。
 二人は、警察の現場検証に立ち会い、ここで状況を説明したのだから、大体の状況は思い出しているようだ。
「ここら辺だよ」と、大地が場所を示した。
「宙美は、その辺で電話を受けたんだったよね」
 宙美は、電話に出る真似をした。
「ここで、隼人君が『壁から逃げろ! 仁科さんに電話するな』って言ったのよ」
「僕は、意味が分からずに、ここに戻って、電話を取ったんだ」
 大地は、宙美の所まで、歩いた。
「これが、利いたんだよ。隼人君が切羽詰まった声で『壁から逃げろ』言ったから、ここから走ったんだ。あそこからここまでの分だけ、僕は助かったんだ」
「大地君が、私の背中を守って走ってくれたから、私も速く走れたの。でも、びっくりしたわ。物凄い音だったもの」
 電話から聞こえた音は、今も隼人の耳に残っている。
「まだ、耳がおかしい気がするわ」
「でも、恐かったのは、爆発より、その後の吸い込みだったな。爆発の衝撃は大した事はなかったのに、吸い込みが強くて後ろに引っくり返ったもんな」
 思った通り、吸い込みは激しかったのだ。それは、勅使河原が狙った事でもあった。
「私は、大地君が捕まえてくれなかったら、あの穴に吸い込まれてたかもしれないわ」
「僕も、実は危なかったんだ。モニュメントの台座に手が掛かったから、吸い込まれないで済んだけど、ぎりぎりだった」
「そうよ。もっと早く隼人君が教えてくれたら、楽勝で逃げれたのに。私を恐い目に合わせたかったんでしょう」
「そんな筈無いだろう」
「だったら、もっと早く教えてよ」
「宙美。そんなに苛めてやるなよ。隼人君だって、必死に伝えようとしたんだし、僕らも、隼人君の言ってる事が直ぐには分からないで、逃げるのが遅れたんだもの。でも、どうして気付いたんだい?」
 隼人は、仁科からの電話で気付いた経緯を説明した。
「隼人君、やっぱり君は刑事向きだね」
「僕も、そう思うよ」
「隼人君たら、直ぐに調子に乗るのね」
「二人の御陰で、最近は調子が良くって」
「大地君は、今も検事になりたいのかい?」
「いや、少し考えが変った。農学や、農業土木を学んで、地上に降りようと思ってる。小惑星の冬で壊滅した地上の農業を、僕の力で取り戻したいんだ」
「全然、方向が違うじゃないか」
「そうでもないよ。僕は、基本的に弱者の味方になりたいんだ。今回の件は、父も関係している事だし、少しでも父の罪滅ぼしになればと思ってるんだ」
「ところで、大地君。勅使河原は、どうなるの?」
 元大統領候補も、呼び捨てにされる立場になっていた。
「そうだね。当然の事だけど、きちんと裁判を受けて、有罪になれば、投獄される事になるね」
「そうじゃなくて、どれくらいの罪になるのか、聞いてるの!」
「それが、微妙なんだ。今、アトランティス議会で、刑法の見直しを検討しているんだけど、これが、勅使河原の事件に適用されるか、微妙なんだ。しかも、証拠の隠滅が酷くて、彼の犯罪を証明する事自体が難しいらしいんだ」
「でも、大地君達に対する殺人未遂は、証明できるんじゃないかな。犯人の特定が早かったから、証拠隠滅の時間は、ほとんど無かった筈だよ」
「ああ、だから、刑事さんの話だと、明日にも送検されそうだよ」
「大地君、さっき言い掛けてた刑法の見直しが間に合わなかったら、勅使河原はどうなるの?」
「見直しをしているのは、死刑の廃止と、刑の加算なんだ。死刑は、事実上廃止されているようなものだから、実質的な部分は刑の加算だけなんだ。勅使河原の罪状は殺人罪と殺人未遂罪だけど、死刑判決が無い今、最大の量刑でも無期懲役なんだ」
 彼の言う通り、死刑制度は、事実上、消滅していた。検察側が死刑の求刑をする事はあるが、裁判所が判決で死刑を言い渡す事は、三十年以上もなかった。法務大臣が、最後に死刑執行に調印したのは、五十年近く前に溯ってしまう。
「無期なら、一生出てこれないんでしょう」
「それが違うんだ。服役中の態度次第では、七、八年で出てこれる事もあるんだ」
「そんなぁ!」
「でも、これが事実なんだ。だから、アトランティス議会も、刑の加算の議案を通そうと急いでるんだ」
 宙美は、死刑が当然と思っていたのに、無期懲役が最大の量刑で、しかも、服役態度次第で十年も経たずに出てくる事を知り、持って行き場のない怒りで憮然としていた。
「僕達には、関係無いよ。勅使河原がどうなろうと、死んだ人達が戻ってくる訳じゃないのだから。僕達は、僕達で、生きていくしかないんだ」
 隼人は、自分に言い聞かせるように言った。
「そうよね。いつも大地君が言ってるように、私達は、一人一人、独立した存在だもの」
(独立した命なんだ。そうさ、一人一人が生きてるんだ)
 彼女は、いきなり駆け出すと、少し先の地面に落ちていた小枝を、思いっきり蹴飛ばした。反動で、彼女の長い髪が、ぱっと広がった。
 くるくる回転しながら飛んでいった小枝が林の中に消えたのを見届けると、くるりと隼人達の方に振り返り、首を竦めて舌を出した。
「やっぱり、大地君は検事になるべきだよ」
「珍しく、大地君に逆らうのね」と、悪戯っぽい笑みを隼人に向けた。
「僕は、僕の意見を言ってるだけだよ。決めるのは、大地君だ。でもね、地上の農業の建て直しに貢献するのも大切な仕事だと思うけど、大地君は、自分が一番やりたい仕事を選ぶべきだと思うんだ。だって、大地君は、誰からも独立した一人の人間なんだから」
 大地は、黙って歩いていた。彼なりに、思うところがあるのだろう。
 その彼が、不意に顔を上げた。
「そうだね。隼人君の言う通りだ。でも、今、決めてしまう事はないね。僕達には、いっぱい時間が残されてるんだから」
 三人は、真っ直ぐ前を向いて歩き始めた。
 遠くに、ここに来た日の湖が、あの日と同じ輝きを放っていた。

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