軌道上のタイトロープ


  第一章

「目が回ると思ってたけど、意外に平気なものね」
 佐々が客室を覗いた時の、相浦麗子の第一声だった。
 ほっとした表情を浮かべている。
 打ち上げ前のようにガチガチに緊張していてくれれば、こっちもやりやすいのに、寛ぐ様子が忌々しい。佐々にとっては大事なお客だが、金持ちのお嬢様に特有の自己中心的な感覚が鼻につく。
 佐々を見つめる麗子に本音を見破られないように、会話の相手をする。
「意外に平気でしょ。このバイナリースターの自転周期は、60秒ですから」
 連星を意味するバイナリースターは、民間の月往還宇宙船である。乗客4名を乗せ、地球から月までを自由帰還軌道で往復する。一般人の1週間の宇宙旅行を可能にするため、バイナリースターは、機械船とシャトルを250mのケーブルで結び、連星のようにお互いの共有重心を自転することで、疑似重力を得ている。
「でも、体が重いわ」
「相浦様は無重力に慣れるが早かったですから。これでも月面と同じくらいの重力ですよ」
「ここで慣れてれば、月に着いた時も平気なのね」
 彼女が言った意味をどう捕らえれば良いのか悩んだ末、生真面目に答えた。
「申し訳ありません。バイナリースターは、月面には降りません」
 麗子は、微笑みを返した。
 おちょくったのか。
 このお嬢様の相手を1週間も続けなければならないかと思うと、辟易とした。
「宇宙エレベータのステーションも見えるのかしら?」
 彼女は、1時間余りで最接近する事も、肉眼では難しい事も、きっとわかった上で聞いているのだろう。
 腹立たしさで、言葉が出なかった。
「まだ、小さなステーションとパイロットケーブルが届いただけです。肉眼では無理だと思います」
 もう一人の乗組員の星出未来が、佐々の背中越しに声をかけた。
「代わりに、ブリッジを御覧になりませんか?」
 佐々の前に進み出ると、麗子を誘った。
「見せて頂くわ」
 未来は、麗子を客室から誘い出した後、狭い入口から頭だけ客室に突っ込み、「顔に出てるわよ」と囁いた。
 余計な御世話だと、佐々は苦笑いした。

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