バイナリースターは、2人の乗組員で運航される。シャトルは、前からブリッジと客室が2室、ダイニングにも使うサロン、シャワーとキッチン、エアロックと倉庫等になっていて、ここまで与圧される。
 与圧隔壁の後ろは、空調装置やタンク類があり、最後尾には軌道修正用ロケットエンジンと大気圏内用ジェットエンジンを備えている。
 ただ、自転している今は、前が上に、後ろが下になっている。
 佐々が居るのは、ブリッジの下、いや横にある二人用客室の一つだ。
 元々、この客室は麗子一人で使うことにはなっていたが、もう一室は彼女の祖父が乗る予定だった。それが、メディカルチェックでNGとなり、記念すべきバイナリースターの第一便は、彼女が独占することになった。
 客室を出た佐々は、サロンに降りた。
 ここには、八つの丸窓がある。その一つから、下弦の薄い月が見えた。
 もっと月を見ようと、足を踏み出したが、なぜか踏み出したはずの足は床に届かず、体が宙を舞った。
「無重力?」
 そんなはずはない。
 混乱する頭を、サロンの天井にぶつけた。バイナリースターの船内は、床も天井も壁も、緩衝材で覆われているので、怪我はなかったが、反動で天井から離れた。
 直後、鈍い衝撃音が響き、背中から天井に叩きつけられた。
「ウグッ!!」
 激しい痛みで、息が詰まり、目の前が暗くなった。照明が消えたのだ。
 非常灯の薄明かりと、陽光が射していた窓が、回転している。一回転して、胸から床に落ちた。
 今度は、手で受け身をとることができたが、衝撃は痛めた背中に突き抜け、体が仰け反った。体は強張り、息も詰まったままだ。
 受け身で回転は止まったが、足を前にして、漂っていく。
 佐々は、気持ちを落ち着かせながら、強張る体の力を抜いていく。体の力が抜けていくのにつれて、浅いながらも呼吸できるようになった。
 足が壁に付いた時、足裏のマジックテープで壁に安定させた。
 何回も深呼吸し、ブリッジに向かった。
 ブリッジに入ると、麗子は、ぐったりした未来の胸をはだけ、AEDで蘇生を行っていた。
「駄目みたい」
 潤んだ目で佐々を見つめる。
 パッドの位置を確かめてみたが、問題はなかった。本体の表示で、既に作動させたことがわかった。
「肋骨が折れているわ」
「外見だけでわかるはずないだろう」
 納得がいかない佐々は、AEDを最初からやり直した。
 未来は、蘇生しなかった。AEDは、脈拍も呼吸も停止したままであることを示している。
 自動診断装置を引っ張り出し、未来の体をスキャンする。表示された診断結果は、肋骨3本が折れ、内臓に損傷の疑い。蘇生可能性の表示も、0%になっている。
 諦めるしかなかった。
「何があったんだ!」
 振り返ったが、麗子の姿はなかった。
「クソッ!」
 麗子を追うつもりはなかった。今は、何があったのか、データから読み取るだけだ。
 メインモニターには、警告表示が並んでいた。その先頭は、「軌道逸脱」だった。
 佐々は、緊急事態宣言を発信した。救出は期待できない。救出を求めるには、新しい軌道要素が必要だった。
 軌道要素の計算をコンピュータに指令し、次の警告を開いた。
 長々と続く警告リストを流し読んでいく。機械船の全機能が失われている。
 佐々は、顔を上げた。
 ウィンドスクリーン越しに見えるはずの機械船の赤い標識灯は、どこにも見当たらなかった。どんなに探しても、ウィンドスクリーンの広い視野のどこにも、機械船は無かった。代わりに、船首の辺りでトグロを巻くケーブルがあった。
 機械船とのケーブルが、何かの理由で切断したのだ。
 佐々は、原因を探るような人間ではなかった。それより、生き残るために何が問題になるのかを、彼は優先する。
 見終わった警告リストの中には、通信途絶、電源不足、気密低下等がある。
 シャトル内の精密気圧を表示させた。最も気圧が低い場所が、空気が漏れている場所だ。
 表示を見た佐々は、反射的に身を翻すと、ブリッジを飛び出した。

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