14

 今日は、日本中で気温が上昇していて、午前十時には三十度を越す地域が続出した。東北北部でも、熱帯夜が続き、関東や近畿の大都市部、特に海岸が近い地域では、最低気温が三十度を下回らない地域さえ、現れた。
 朝から、新聞やニュースで、各地の猛暑ぶりが紹介されている。
 台風が北に抜けて、南から暖かい空気が日本列島に流れ込んだ四日前には、日本海側でフェーン現象が発生し、山形から新潟にかけての各地で、観測史上最高気温を更新した。四十度を超える猛暑で、熱中症や水の事故が相次いだ。
 その日から、最低気温も上昇し、酷暑が戻ってきた。
 今日は、特に暑い。
 電力会社は、夏季対策期間と呼ばれる強化期間に入っている。発電所や変電所の点検や整備、改造等は、この時期を外して行われる。
 日本は、西日本の六十Hzと東日本の五十Hzに分けられる。周波数が異なるため、三箇所に周波数変換所があり、五十Hzと六十Hzの橋渡しを行っているが、これらで東西間を融通できる電力は、原子力発電所一基分でしかない。
 東西の発電電力量は、日本の電力の大消費地が二分されているので大きな差はないが、両者の間での電力融通は、消費量に比べると意外に少ない。


 中部地区は、今夏の最高気温を記録する勢いで、気温の上昇が続いていた。
 空調のための電力使用量は、天井知らずに増えていた。昨日までは、週末だったので、電力消費は低目に推移していたが、平日の今日の電力需要予測は、今夏の最大と過去最大の両方を超える値を想定していた。
 想定値は、供給力ぎりぎりの状態で、全国各地で気温が上昇しているために、他の電力会社からの融通も、絶望的な状況にあった。
 幸いなことに、雷雲の発生は無く、気象台の予報でも、終日、晴天が続くと報じられていた。
 落雷で、送電が切れると、需給が逼迫しているだけに、重大な事態に繋がりかねない。
 現在の気象状況なら、心配は要らない。
 中央給電指令所では、需要の伸びに注意を払っていた。
 昼休み時間帯をすぎ、管内の各企業の操業が再開されると、電力需要は午前を越えて増え続けた。気温も上昇し、午前中で三十五度を超えていたが、午後になっても上昇を続けている。
 東日本大震災以降は原子力発電所は少数しか稼働が認可されていないが、全基が稼働している。もちろん、火力、水力の各発電所でも既にフル運転に入っていた。更に、揚水発電所も稼動し、正に全力運転になっている。
 余剰電力は、どんどん減っていく。
 それでも、午後二時頃には、中央給電指令所の運転員たちは、今日も乗り切れると確信した。
 電力需要は、史上最大を更新したが、まだ若干の余力を残している。各企業でも、冷房需要を抑える協力をしてくれているので、電力需要の伸びも僅かだが抑えることができている。気温のピークも過ぎつつある。
 電力消費のピークは、午後二時から三時の間にある事が多いが、現時点の余力を考えれば、適正と言えないとしても、余力を残したまま、本日のピークを超えることができそうだ。
 気象状況でも、雷監視表示パネルをみても管内に雷雲は見当たらない。風も弱く、落雷や強風による送電障害が発生する危険性もない。
 まだまだ、緊張した時間は続くが、目処は立った。
 関係者は、緊張を保ちながらも、ほっとしつつあった。


 三重県北部、愛知県との県境に近いこの町には、世界最大級の火力発電所がある。
 四台の発電機を持ち、高い熱効率と大出力を誇る。発電所の廃熱を利用した温水プールも備え、発生する熱をできる限り有効利用する設計となっている。
 その発電機に異常が発生したのは、十四時過ぎのことだった。
 最初の異変は、三号系列のガスタービン三号機の燃焼室だった。気化したLNGを燃焼室に送り込むのだが、燃料流量が急激に落ち始めたのだ。
 異変は止まらなかった。
 同じ三号系列のガスタービン二号機も、まったく同じ現象となり、続いて残る五台のガスタービンが、同じ現象で出力が落ちていった。
 この発電所の総出力は、管内の十四%に及ぶ。三号系列だけでも、五%を超える。ただ、これだけなら、まだ余力を使い果たしただけで納まっていた。出力も落ち続けていたが、このペースで落ちていくなら、完全停止は一時間以上先になる。電力需要も下がり始めるので、際どいところで切り抜けられる。
 中央給電指令所でも、連携可能な国内電力会社に、緊急融通の調整を始めていた。各地で今夏の最高気温を更新する中、融通可能な電力は僅かだったが、なんとか融通も始まった。
 ところが、四号系列のガスタービンでも、全く同じ現象が始まった。症状は、七台のガスタービンでほぼ同時に始まり、症状の進行も早かった。
 発電所では、ガスタービンの構造上の欠陥が顕在化したものだと考え、タービンメーカーと連絡を取った。メーカーでも、最寄のサービスステーションから技術者を飛ばしてくれた。
 三号系列と四号系列の発電機の出力は、加速度的に低下し、発電機の回転数の維持が難しくなってきた。
 発電機の回転数は、電力系統の周波数と完全に同期している。しかし、発電機の出力が減ると、発電の負荷に負けて回転数が落ちる。タービンの出力が急激に落ちたため、発電機の回転数が低下し始め、発電機は電力系統から自動的に切り離され、ついに停止した。このトラブルで、三百四十万キロワットが失われ、緊急融通電力を加えても、電力が不足した。
 三十年前なら、この状況でも何とかなった。だが、エアコンがインバーター化した現在においては、電力不足は致命的だった。
 電力が不足すると、電力系統に繋がる全ての発電機が負荷に耐えられずに回転数が落ちる。回転数が落ちると、周波数も落ちるので、交流モーターは回転数が落ちる。モーターの消費電力は、回転数に比例するので、周波数が落ちると消費電力が減り、バランスが取れる。
 これが、昔の姿だ。
 ところが、電力需要に大きな割合を占める冷房需要は、インバーターを備えるのが一般的になった。インバーターでは、内部で周波数を制御するので、受電した電力の周波数が落ちても、消費電力が減らない。
 このため、周波数の低下は中々止まらない。こうなると、次の問題は、脱調である。
 タービンは、繊細な装置である。定常運転時は、タービンの各羽根は、共振することはない。しかし、色々な長さがある羽根が全て共振しない回転数は、狭い範囲にしか存在しない。
 周波数が低下すると、共振の危険性が増す。タービンの回転数が許容範囲を外れると、共振による破損を防ぐために、発電機は自動的に止められてしまう。
 発電機の脱調を防ぐためには、需要を減らす以外に手はない。つまり、大消費地への送電を止めるのだ。
 本来なら、名古屋などの大都市部への送電を止めたいのだが、信号機が止まったり、地下街が暗闇に変わったりと、社会不安を招くことになる。
 そこで、管内の企業との間で、緊急時には送電停止することを、予め調整してある。
 この時も、速やかに処置が行われたので、大停電を免れることができた。

 浅村は、この事件を夜のニュースで聞いた。
 ニュースの中では、三重と兵庫の火力発電所で、フル運転中に発電機が停止する事故があったと報じている。
 どちらの火力発電所も、国内最大級の規模を誇るが、それを除くと、メーカーも発電方式も、共通点はないという。それぞれ個別の原因により、発電機が停止したものと推定された。経済産業省は、それぞれの電力会社に、原因解明と再発防止策を命じた。
 テロの可能性も論じられた。
 七月二十日頃、K国の漁船が普段より多く出漁していたと、日本海側のあちこちの漁港で漁民が話しているという。この時期に、これだけの数の漁船が出るはずがなく、多くは漁船に偽装した工作船の可能性もあると、解説者は言った。
 兵庫や鳥取の漁民の中には、赤い火柱が見えたと言う者もいた。
 キャスターが、赤い火柱はK国のミサイルではと、解説者に振った。解説者は、K国のミサイルの可能性は低いと言う。ミサイルは、発射直後はブーストと呼ばれる行程に当たり、エンジンから出る炎が夕暮れ時なら赤い火柱に見える可能性はある。しかし、ブースト行程が見える場所は、K国の領海深く入った場所しか考えられず、日本の漁船が入り込める場所ではないらしい。
 それに、今回の発電所は、伊勢湾の奥と、瀬戸内海に立地している。しかも、爆発物での破壊ではなく、外観的には異状が見られないような破壊工作は、時間的にも技術的にも難しい。何より、破壊工作に掛ける労力が大きい割には、効果は薄い。こんな余力がK国にあるとは思えない。
 解説者の弁は、一理あると、浅村は思った。
 続いて、電力会社の広報の記者会見の様子が流された。
 その中で、浅村の気を引く事柄が述べられた。
「原因は、分かったでしょうか?」
「現在は、調査中です。直接の原因は、ガスタービンへ燃料を吹き込む前に行う集塵装置で、黒いゴミが目詰まりを起こしていたことがわかっています」
 黒いゴミ?
「ゴミの量は多くないですが、少量で集塵装置の機能を止めてしまいました」
 集塵装置が、少量のごみで目詰まりを起こすものだろうか。そんなことはないはずだ。もし、ゴミに意識があり、意図的に自爆テロのごとく集塵装置を襲撃したなら、少量のゴミでも、効果的に集塵装置の機能を麻痺させることができるかもしれない。
 たかがゴミに意識があるとは、誰も考えないだろう。
 キャスターも、解説者も、そんなことを考えるはずもない。
「少量のゴミで発電所が止まってしまうような作りでは困りますね」
「設計上の欠陥の可能性もありますね。これが、原子力発電所で起こったなら、大変なことになりますから、外部の調査機関を入れて、徹底的に調べるべきだと思いますね」
 解説者は、発電所に関しては素人らしい。原子力発電所には、燃料の集塵装置はない。同種の事故は、起こりえないのだが、世論を喚起するのに都合が良い原子力発電所に話を振ってしまった。
 この件は、浅村に知識があるので間違いと分かるが、浅村が知らない分野も、TV報道を鵜呑みにしない方がいいと思っている。
 クレームが入れば、番組の終わり間際に訂正を入れるだろう。
 それより、黒いゴミ。
 発電所を止めた黒いゴミのサンプルがほしくなった。それを、南極の氷の中から見つけ出した例の物と比較してみたい。
 黒いゴミは、南極の黒いマイクロマシンと同じものではないのだろうか。
 その考えが、頭にこびり付いて消えようとはしなかった。
 分からないことも多かった。
 南極のマイクロマシンは、ひとつしか見つからなかった。発電所の集塵装置を麻痺させるには、数千、数万のマイクロマシンが必要だ。その差は、何か。
 マイクロマシンは、最初から燃料の中に入っていたとは考えにくい。
 三重の発電所は、LNGを使用する。兵庫の発電所は、C重油だ。産出地も異なる。それが、同じ日のほぼ同時刻に、集塵装置の目詰まりを起こすとは考えにくい。
 いや、あり得ない。
 そうなると、発電所を止めたマイクロマシンは、どこからか移動してきたことになる。そして、何らかの手段を用いて、燃料の中に紛れ込んだのだ。
 マイクロマシンを作れるほどの技術を持った知性体だったら、燃料に紛れ込んで発電所を止めることも可能だろう。情報を集め、計画を練り、マイクロマシンに対して指令を出し、実行に移す。
「それでも」
 それでもと、思うのだった。
 こんな事が可能なのだろうか。八十万年も前に作られた機械が、これほど大規模な仕事をすることができるのだろうか。
 LNGは、液相に保つために、高圧かつ超低温のタンクに保管されている。だから、燃料は、しっかり密閉されている。マイクロマシンと言えど、通り抜けるだけの穴があれば、ガス漏れは始まるはずだ。
 問題のゴミが混入する可能性がある場所や工程については、放送では触れられることは無かった。
 所詮、視聴率のプロであって、ニュース報道のプロではないのだと、浅村は諦めた。
 放送の最後で、予想通り、訂正が入った。訂正はしたものの、そのときのコメントには呆れてしまった。
「発電所事故の放送の中で、原子力発電所で集塵装置の事故が起こる可能性について言及しましたが、原子力発電所には燃料集塵装置は無いので、同種の事故が起こる可能性はありません。お詫びし、訂正します」
 キャスターは、デスクに額をつくほど、大袈裟に頭を下げた。
「ただですね」と、解説者が補足を始めた。
「どちらの発電所も、発電機を作ったメーカーは、原子力発電所も建設しているメーカーなのです。同じ装置は無くても、同種の事故が原発で発生する可能性は否定できません。今後のために、事故原因の徹底的な調査を期待します」
 筋の通った意見と言えなくも無いが、「同種」が指す範囲はとてつもなく広いようだ。それ以前に、「同種」が指す範囲を広げてでも、原子力発電所に話を広げようとする魂胆が見えてしまう。
 火力発電所の事故と原子力発電所の事故では、ニュースバリューがまるで違う。当然、視聴率にも影響する。底の浅い知識で原子力発電所をネタに視聴率を狙うのは、やめにしてもらいたい。
 浅村の知人には、原子力発電所の設計に携わっている者もいる。その人や、それ以外の原発関係者の努力を考えると、身勝手な手段に思えてならない。
 無性に誰かと話したくなった。
 豊富な知識を持ち、大胆に思考の組み立てられ、良識的な判断ができ、ある種の思考実験を行える人物が良い。
 最初に浮かんだのは、村岡の父だ。
 流石に作家だけあって、知識は豊富だ。おまけに、長く技術者として働いてきただけあって、物事の捉え方や解決への道筋が論理的なのだ。
 だが、自宅の電話番号は知らないし、無沙汰をしているところへいきなりの電話は気が引けた。
 次に浮かんだのは、村岡自身だった。あの親にしてこの子あり。まさに、そんな感じなのだ。ただ、こちらは、別府湾の藻屑となりかけている。
 最後は、やはり新木だ。神岡の中に入り込んでいなければいいが、宿舎に居るなら携帯も繋がるだろう。
 新木の携帯をダイヤルした。
 彼の研究室と同じように、宿舎の中でも、書類が散らかっている様子が、目に浮かぶ。彼は、携帯をマナーモードにすることはない。マナーモードにしたが最後、書類に埋もれて見つからなくなってしまうのだそうだ。映画館やコンサートホールには行かないので、マナーモードにする必用がないのだ。
 しばらく待つ覚悟でダイヤルしたのだが、ワンコールで出たので、驚いてしまった。
「新木さんでしょうか?」と、少々間抜けな声を出してしまった。
「自分で、掛けておいて、新木さんでしょうかじゃあるまい」
「いや、いきなり出たから、面食らってしまったんだよ」
「そうそう、こっちもびっくりしたんだ。こっちから掛けようと思っていたら、逆に掛かってきたからな」
「何か、用があったのか?」
「まあね。そっちこそ、用事は何だ? この間の続きか?」
 勘は良い奴だ。
「そうだ。詳しい話は、そっちの話を聞いてからにしたいが、どうだ」
 即答は無かった。
 僅かに間があって、「会って話をしたい」と言った。
「戻ってくるのは、二週間後じゃなかったっけ。僕に来いと言うのかい?」
「立山連峰に登山に来る予定はないのか?」
 蓮華、槍、穂高、ちょっと離れるが、乗鞍。飛騨山脈には、心が揺れる。浅村が山好きなことは、新木にはバレバレだ。
「上手いところを突いたつもりだろうが、そんな暇はない」
 正直なところ、久しぶりに、あの辺りの夏山に上りたい気持ちはある。混雑が酷い事も分かっているが、人口密度が低い南極に一年も居たのだ。人恋しいくらいだ。
「そうか。君が来るまでに、解析を終わらせようと思ったが」
「時間稼ぎのための電話だったのか?」
「まあな」
 時間稼ぎをしてでも見せたい物に、浅村は心が揺れた。
「いくらなんでも、明日は無理だ。明後日なら、行けるかもしれない」
 休めるかどうか、難しいところだった。でも、新木にしては、最大級の話題の提供だ。無理をする価値は、絶対にある。
「明後日なら、僕が行くよ。無理はしない方がいい」
 捉えどころの無い人間だ。以前、村岡が言っていた。「新木は天才だ」と。
 何を考えているか分からないところは、天才の特徴かもしれない。
「分かった。明後日は、何時にこっちに着くんだい?」
「明後日にならないと分からないよ」

 明日までに解析を終わらせるような口ぶりだったのに、やはり何を考えているのか分からない。
「連絡を待つよ」
 この夜の電話は、これで終わったが・・・

       < 次章へ >              < 目次へ >