21

 浅村は、富山まで出たところで、大規模な停電に見舞われた。
 早朝に出たので、北陸新幹線は、富山に着くまで動いていた。大規模な停電で、新幹線が止まったのは、その少し後だった。
 富山駅の構内で、乗換えを待っていると、構内の電気が突然消えた。
「停電?」
 あちこちで、そんな声が上がった。
 外が明るいことに加え、昨日からニュースを賑わせている各地の停電が、「ここもか」と、諦めを早くしたのかもしれない。パニックには程遠く、一度は天井の灯りを見上げた人々も、それまで通りに歩き始めた。
 浅村も、在来線に乗り換えるべく、新幹線ホームから乗り換え改札口へと向かった。彼は、習慣から、エレベータやエスカレータを使わない。いつも階段で下りる。この時も、階段に向かったのだが、途中のエスカレータは止まっていて、途中で止まってしまった人々が、大きな荷物を重そうに引きずりながら、階段状のステップを上り下りしていた。
 階段を下りていくにつれて、人混みが濃くなってきた。
 理由は、想像できた。
 最近の改札は、どこも自動改札が導入されている。特に、新幹線の駅で、自動改札を採用していないところは無いだろう。でも、停電になってしまえば、ただの狭い通路だ。人が抜けるのに、時間が掛かることは想像に難くない。
 階下に下りると、予想したとおり、正面の乗り換え改札口で混み合っていた。
 駅員総出で、小型の切符読み取り器をかざして、乗り継ぎ切符の確認をしていた。
 ふと左を見ると、出札口は、比較的空いていた。見ていると、切符を受け取るだけにしているようだった。
 一旦、外に出よう。
 外に出れば、他の交通手段も見つかるかもしれないと思った。
 しかし、改札の外は、改札の中よりも人混みが酷かった。窓口は、復旧の見込みなどの情報を得ようとする人々で何重もの人垣に囲まれている。そこから溢れた人々は、改札に立つ駅員を問い詰めていた。
 高山線は、非電化区間だから、停電でも走るかもしれないと思ったが、信号システムがダウンしているので、列車を走らせることが出来ないようだ。
 薄暗いコンコースを抜けて駅舎の外に出た。
 駅舎の前のロータリー越しに、立ち往生している路面電車が見えた。それが邪魔なのか、それとも信号が消えてしまったのか、車のクラクションが喧しい。
 浅村は、リュックを背負い直し、歩き出した。
「こうなりゃ、神岡まで歩くだけだ」
 体力には自信がある。方向感覚も。
 歩く装備はしていないが、靴もトレッキングシューズだ。冬山に比べれば、危険性はほとんど無い。食料さえ手に入れれば、何とでもなる。
 唯一の問題が、新木との約束の時間に間に合わないことだ。
 もう一度、携帯電話を取り出してみた。今も圏外になっていた。
 基地局が停電でダウンしているのだろう。それも、停電はかなり広い範囲に広がっているらしい。連絡を取ることは、当分出来そうもない。
 食料と飲料の調達をするために、コンビニを探した。すると、意外なものを見つけた。
 コンビニを見つけても、レジが機能しない可能性がある。レジが麻痺していたら、コンビニを見つけても意味が無い。そんな不安を抱えていたから、これを見つけたのは、幸運だった。
 浅村は、走った。背中で、リュックが揺れるが気にしない。その勢いで飛び乗った。
「平湯温泉行きバスです。お間違えないよう、御注意ください」
 合成音声の車内放送の後、運転手が錆びた声で発車を告げると、バスは動き始めた。
 長い時間、バスに揺られて岐阜県に入った。
 乗った当初は、交通渋滞で身動きできない状態だった。だけど、市街地を抜けてからは、快適だった。県境の山道は揺れたが、『しらせ』で経験した吠える五十度に比べれば、さざ波にしか感じない。
 バスに乗って正解だったと思ったのは、途中から乗ってきた客が、「コンビニで買い物が出来なくなっていた」と話しているのを聞いた時だ。
 歩き切る自信はあったが、食料と水が手に入らなければ無理だ。
 電気が無くなると、こんなにも不便になるものかと、改めて痛感させられた。
 神岡周辺は、険しい山中にある。車窓の風景は、人工物が減り、千年前からほとんど変わっていないだろうと思わせる景色が増えてきた。こんな山中に、スーパーカミオカンデはあるのだ。
 茂住でバスを降りた。
 ここも、停電になっていた。
 でも、誰もその事を気にしていないようだ。
 新木が待つ宿舎に直行した。
「よく来れたな」と、新木は目を丸くした。
 意外に障害も無く来れた事を報告すると、新木も驚いていた。
「運が良かったよ」
「てっきり歩いてくると思っていたよ」
「そのつもりだったよ。でも、コンビニも駄目になっていたらしいし、歩けても飢え死にしていたな」
 歩いてみたかった。でも、歩いてしまったら、休暇は足りなくなってしまっただろう。今回は、停電という言い訳があったので、バスがあったのは残念でもあった。
 いつか、歩いてみよう。
「それより、動いているマイクロマシンを見せてくれ」
「その前に、昼飯を食わせてくれ」
 もう十四時を回っていた。
 新木は、カップラーメンを用意してくれた。
「そろそろ、動いているマイクロマシンを見せてくれ」
 浅村が箸を置くが早いか、新木が要求した。
「ああ、そうだった」
 浅村は、リュックを持ち上げた。
「ちょっと、この辺りを片付けてくれないか」
 浅村は、筑波で見た彼の研究室と同じように、本や書類が巻き散らかされた部屋の床を指差した。
 荒木は、一枚ずつ、一冊ずつ、物を確かめながら片付けていった。おそらく、彼の頭の中にある書類や書籍の配置図を、書き換えているのだろう。
 少し開けた場所が出来たので、リュックをそこに移動し、リュックの下を開いて大きなガラス瓶を取り出した。
 ガラス瓶の底を確かめてから、散らかった床に置いた。
「この中にあるのか?」
 しげしげと覗き込む。
「底に穴が開いていないから、まだ中にあるはずだ」
 浅村は、瓶のガラス製蓋を固定していたガムテープを剥がし、そっと蓋を開けた。
 新木は、直ぐに中を覗き込んだが、その中には、またガラス瓶があった。外側のガラス瓶との間には、クッションの代わりに古新聞が詰められていた。
 中の瓶をそっと取り出し、同じようにガラス製の蓋をテープごと剥がして開けた。
「まさか、その中にも瓶があるわけじゃないよな」
 浅村が、こんな表情を見せることは多くない。彼は、小馬鹿にしたような表情を浮かべながら、焦らすようにゆっくりと作業を進めた。
 待てずに、新木は小瓶の中を覗き込んだ。
 小瓶の中は、最初の大瓶を縮小コピーしたような状態だった。
 小瓶の中には、新聞紙に包まれた陶器製の湯飲みのようなコップが入っていた。湯飲みには、本体と同じ陶器製の蓋が付いていた。その蓋を、テープでがっちりと固定していた。
 蓋が開かないように注意しながら、浅村は、陶器の湯飲みを取り出した。湯飲みは、小瓶の隣に置かれた。
「随分と厳重だな」
「まあな。こいつの実力を見ると、これでも恐ろしいくらいだよ」
 新木は、早く真相に近付きたかった。
「経験から、鉄じゃ持たないだろうと思ったんでね」
「だから、ガラスや陶器を使ったのか?」
 ガラスや陶器は、鉄の十倍くらい硬い。それを知っている彼にとって、こんな風にすれば、簡単には穴が開かないだろうと、思ったのだ。
「まあね」
 最後の湯飲みの蓋を取った。
 新木は、直ぐに中を覗き込んだ。
 白い陶器の湯飲みの底に、一ミリにも満たない小さな黒い点があった。
「この黒いのがそうか?」
 もったいぶったように、ゆっくりと荒木に場所を譲った。
「動いているのが分かるか?」
 新木は、子どものように覗き込んだ。
 虫眼鏡も駆使して、湯飲みの底を真剣に見つめていた
「ああ。動いているみたいだ。だけど、小さいな」
 浅村は、湯飲みを少しだけ傾けた。
 湯飲みの底で回転しているマイクロマシンは、位置を変えた。元々、マイクロマシンがあった場所は、少しだけ白くなっていた。茶渋が削れたのだろう。
「陶器は、思った以上に硬いようだな」
 新木の呟きに、浅村は、むっとした表情を浮かべた。
「俺をこんなところまで呼び出して、どういう用件だ。お陰で、帰れなくなってしまったぞ」
「君の宝物を見せてもらうためさ」
 浅村は、苦笑いを浮かべた。
 新木が、何かを隠していることは分かっていた。だから、大規模な停電になる危険を冒させてまで、ここに呼び付けたのだ。
 マイクロマシンを見ることが目的ではない。
「これは、ずっと回転しているだけなのか?」
「気付いた時からは、ずっと回転している」
「時計方向に回転しているように見えないか?」
 そんなことは気にしていなかったが、じっくり見てみると、新木の言うとおり、時計方向に回転しているようだ。
 突然、新木は湯飲みに蓋をして、蓋ごと逆さまにした。そして、そっと湯飲みを取り上げた。そして、虫眼鏡でしげしげと見ていた。
「見てみな。やっぱり右回転だ」
 言われるまでもなく、右回転だった。
 新木は、逆さまに湯飲みを被せると、元に戻した。そして、蓋を開けた。
「やっぱり、右回転だ。どうしてだと思う?」
「こいつの中にセンサーがあって、回転方向を制御してるんじゃないか?」
「どんなセンサーだ?」
「慣性を検出するセンサーじゃないかな」
「じゃあ、六時間後に見てみよう。地球が自転して、軸が今とは九十度変わるから、その時の回転方向を見れば、慣性センサーか、分かるはずだ」
 新木に言われるまで考えもしなかったが、回転方向を制御するためのセンサーの存在に気が回らなかった。
「六時間待つ必要はないよ。いつ見ても、回転軸は垂直だった」
 思い出したのだ。初めて回転しているところを見た時の事を。
「そうすると、センサーは何だと思う?」
 なぜ、わざわざにそんな質問をしたのか、新木の真意が見えなかった。
「重力センサーしかないだろう?」
「そうかな」
「じゃあ、何を計測するセンサーだと思うんだい?」
 新木は、黙った。
 やはり、何かを隠している。それを引き出すには、ニアピンを打つしかない。
 彼は、マイクロマシンを知った時、彼自身の研究との関連に気付いたのだ。彼自身の研究、つまりニュートリノに関連する何かだ。
「ニュートリノと関係するのか?」
 目を剥いた。
 ニアピンだ。
「俺をわざわざここまで呼んだ理由は、ここから離れる時間が惜しかったからだ。違うか?」
 今度は、それほど変わらなかった。さっきのニアピンが効いているのだ。
「実は、ニュートリノ通信を発見したんだ」
 新木は、話し始めた。
「見つけたのはいいが、決定的におかしな点があるんだ」
「まず、ニュートリノ通信て、どんな仕組みなんだ?」
「一言で言えば、AM放送。ニュートリノの強度を、時間変化させるのさ。ただし、送るデータはデジタルで、短文の繰り返しになる。だから、見つけることができたんだけどね」
「どうやって見つけたんだい?」
「カミオカンデ、スーパーカミオカンデ、カムランドの過去の受信データを集め、時間変化を調べたんだ。量が多いし、時間変化も周期を決めないとできないし、第一、繰り返し同じ文面を送信していると仮定することが、勇気のいる決断だったんだ」
 そんなのは、どうでもいい。
「時間変化があったわけだ」
「見つけるのは大変だったが、時間変化しているのは、確認できた」
 彼が見つけたわけじゃない。彼のプログラムが、PCの中で少しずつ周期を変化させながら、昼夜を分かたずフーリエ変換などを駆使して特徴的なピークを自動的に探したはずだ。
 彼がやったのは、PCが吐き出してくる特徴的なピークが、本当に周期性を持っているか最終判断することだけだ。
「見つけたニュートリノ通信は、解読できたのか?」
 新木は、渋い顔をした。
「それなんだが、なぜか、通信文が変わったんだ。お陰で、通信文が二例、手に入ったよ。これで解読できると思うよ」
 正直なところ、がっかりした。
 新木は、暗号解読の名手だ。趣味で暗号文を作ったり、自分で作った暗号文を解読したり。何が楽しくてそんなことをするのか分からないが、彼は暗号が好きだ。
 その彼が、まだ解読できないとは。
「以前、地球外からの通信は、相手に解読してもらうのが目的で送信してくるから、解読は簡単だと言っていた記憶があるんだけど」
「それなんだが、二つの点で、このニュートリノ通信は、僕が想定していたのと違っているんだ」
「何が違ってるんだよ。解読できない言い訳じゃないのか?」
 軽くプレッシャーをかけてみた。
「前提が崩れたんだよ。ニュートリノ通信の発信者は、他人に読んでもらうことを考えていないんだよ」
「じゃあ、誰に呼んでもらうために、ニュートリノ通信なんて大仰な通信を発信してるんだ?」
「仲間だろう」
「どこにいる仲間にだ」
「地球上だよ」
「え?」

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