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 予想していない回答だった。
 予想外と言うより、奇想天外な話だ。
 UFO研究家なら「当然だ!」というかもしれないが、まじめな宇宙人探しをしている人たちからすれば、有り得ない位の驚天動地だ。
 宇宙は広い。とてつもなく広い。広さは桁はずれだ。
 歩く速度は、時速四キロ。不眠不休で地球一周を試みれば、四百日かかる。自動車は、一般道で時速六十キロだ。歩く早さの十五倍だ。地球一周は、一ヶ月足らずでできる。飛行機は時速千キロだ。車の十五倍以上。地球一周に二日かからなくなる。
 ISSは、飛行機の二十倍以上早い。地球一周は、一時間半余りだ。地球周回軌道脱出時のアポロ宇宙船は、更に一.五倍早い。仮に、その速度で地球を周回すれば、一時間余りで一周してしまう。
 アポロ宇宙船は、人を乗せて飛んだ最も早い乗り物だった。それでも、月までは、三日かかった。実際のアポロは、地球の引力の影響を受けて飛んだので時間がかかっているが、それを無視した単純計算でも、地球から月までは十時間かかる。
 この速度で、地球から太陽まで行くと、なんと五ヶ月もかかる。海王星までなら十六年だ。隣の恒星系までは、十万年余りかかる。
 人類が作った最も早い無人宇宙船のスイングバイを繰り返して得た最終の速度でも、アポロとの差は一桁だ。十万年単位が一万年単位になるだけだ。人類の技術力を基準にしていては、隣の恒星に行くだけでも万単位の年数がかかるとの結果にしかならない。
 ユーリ・ミルナー氏や故・ホーキング博士らが発表した『ブレイクスルー・スターショット』でさえ、隣の恒星系まで二十年だ。
 知的生命が生きている星は、どのくらいの密度で存在するのか、誰にも分からないが、隣の恒星系に居ることはないだろう。仮に、銀河系内に一万の知的生命が同時に存在しているとしても、平均の距離は、二千光年くらいだ。アポロの速さなら、五千万年も掛かる。一万倍早い宇宙船を作れたとしても、五千年も掛かる。
 文字通りの天文学的な数字だ。
 この数字を知っていれば、知的生命は、生身の体で他の知的生命に会いに行くことは考え難いことを、簡単に理解できる。
 これを浅村に教えてくれた新木が、それを否定するような回答をしたのだ。
 頭が整理されるまで、呆然としていた。
 どれくらいの沈黙が続いたのか、先に口を開いたのは、浅村だった。
「地球上に送信相手がいる根拠は?」
 早く核心を知りたかった。
「推測の域を出ない」
「そんなことはどうでもいい。状況証拠は掴んでいるはずだ。それを聞かせてくれ」
 新木は、黙ってしまった。
 この期に及んで、話すべきか、迷い始めたのだろう。浅村にしてみれば、面白くない。ここまで時間を使って、しかも帰路を絶たれる状況に追い込まれているのだ。全てを聞かずに帰れる気はない。
「こんな山奥まで呼びつけておいて、だんまりはないぞ」
 新木は、視線を合わせてきた。
「そうだな」
 ぽつりと言った。
「スーパーカミオカンデの分解能は知っているか?」
「いや」
「馬鹿みたいに低いが、おおむね、どの方角から来たかは分かる。今回は、目的となるニュートリノが決まるから、そのニュートリノだけ、来た方角を調べていったんだ。当然、赤緯、赤経に変換して方角を調べたんだが、全然ばらばらで、方角を特定できなかったんだ」
 回り持った言い方に辟易としながらも、新木の機嫌を損ねないように、浅村は黙って聞いていた。
「それで、まさかと思ったが、念のためにカミオカンデに対しての絶対的な方向を調べてみたんだが、それがある特定の方向を指していることがわかったんだ」
「それが、地上の仲間への通信だとする根拠なんだな」
「そうだ」
「その場所は、特定できたのか?」
「ああ、それが妙なんだ」
「何が妙なんだよ」
「場所に決まってるだろう」
「だから、どこか教えろよ」
「シベリアだ」
「どこが変なんだ?」
「正確じゃない。ここから北北西に下反角がほとんど無しだ。該当する全てのデータから、統計的に方角を決定した」
「標準偏差は、どれくらい?」
「約〇.〇五ラジアンだ」
「三度弱だな」
「ああ」
「地図はあるか?」
「ちょっと待ってろ」
 新木は、例によって、書類の山を移動させ始めた。
 彼の頭の中には、正確な書類の索引があるらしい。最初に除けた書類の下から、世界地図が出てきた。
 二人は、直ぐに日本周辺の地図を広げた。
「北北西と言ったが、ほとんど真北に近い」
 新木は、指で神岡から北北西に辿っていく。
 日本海の真ん中を横断し、ウラジオストクを通り、中ロ国境線の黒竜江を辿っていく。やがて、中ロ国境を離れ、スタノボイ山脈の辺りで、新木の指は止まった。
「この辺りで、地上に出る」
「つまり、この辺りが発信源と考えられるのか」
 浅村の脳裏を、旧ソビエトの秘密基地という発想が通り抜けた。
 有り得ない。
 当時のソビエトに、ニュートリノ通信の技術があったとは思えない。
「マイクロマシンが動き始めたのは、いつ頃だったんだ?」
 思いがけない質問だったので、浅村は、答を捜して思考を彷徨わせた。
 随分古い話のように感じてしまう。
 一昨日の発電所の事故の時には、マイクロマシンは動いていた。
「思い出した。二日前だ。でも、それは君も知っていただろう」
「僕が求めているのは、もう少し正確な時間だ」
「難しいな」
「ケースに穴を開けたと言っていたな。穴を開けるのに、どれくらい掛かったと思う?」
「実験していないから、分からないな。ただ、気付いたのは、一昨日の九時頃だ。それ以前に穴を開けていたはずだし、前々日の夜には異状が無かったから、その間の一日半の幅の中だ」
 まるで、アリバイ調査か、死亡推定時刻を狭めていく作業のようだ。
「実験すれば、九時より前に遡ることができそうだな」
「実験するのか?」
「もちろんだ」
「反対はしないが、目的を聞かせろ」
「ニュートリノ通信の電文の切り替わった時刻と比較するんだよ」
 思ったよりも単純な話だった。
「分かった。じゃあ、プラスチックケースを探してくれ。厚さは、一ミリ程度だ。概算の時間でいいだろう?」
「データが無いよりマシだ。大まかに、どれくらいの能力があるか、知りたい」
 二人は、乱雑な部屋の中で、目的の品を捜して回った。
 浅村は、大量の書類の下に何があるのか分からず、右往左往したが、新木は次々と目的の品を発掘していく。彼の部屋だからと言えば、確かにその通りなのだが、それにしても、これほど散らかっている部屋の中で、何がどこにあるのかを正確に記憶している新木の頭脳が、不思議でならなかった。
「これで、できるな」
「大丈夫だろう。マイクロマシンをプラスチックケースに入れるから、どれくらいで穴が開くか、時間を計ってくれ」
 時間を計ると言っても、最短でも分オーダーだから、携帯電話の時計表示程度でも十分だった。
 浅村は、慎重にマイクロマシンをプラスチックケースに移し替えた。
 結果は、予想以上だった。
 二分掛かっただろうか。
 マイクロマシンは、あっさりとプラスチックケースを貫通した。
「これじゃあ、時間を遡れないな」
「それより、意外に固くないんだな」
 新木は、鋭い視点で指摘した。
 プラスチックなら簡単に穴が開くのに、ガラスは二日掛けても穴が開かなかった。マイクロマシンは、ガラスより柔らかい物質でできているらしい。
 そう考えるしかないのだ。
「そんなはずは無いだろう。各地で起きている発電所や製鉄所の事故は、金属製のパイプを貫通しているはずだ。相当な硬さがあるはずだ」
「実験結果を踏まえて考えろよ。発電所の事故を踏まえても、金属より硬く、ガラスより柔らかいと考えるだけだ」
 新木に言われるとは思わなかったが、彼の意見は尤もだった。それでも、納得したくなかった。だから、思いついたことを言ってみた。
「他の考えは、回転することが目的ではなく、何かの問題で回転するしかなくなっているって考えもありかな」
「ありだな」
 あっさりと認めてくれた。
 この辺りが、新木の掴みどころの無さだ。
「ただ、この実験からは、ニュートリノ通信が切り替わった時刻、つまり、四日前の夜の十時半頃から動き始めたのか、それとも、たまたま近い時間帯でマイクロマシンが別の要因で暴走を始めたのか、決め手に欠く結果にしかならなかったって事だ」
 あの日の夜は、十時頃までマイクロマシンを見ていた。最後に見てから三十分後には、プラスチックケースを突き破っていたことになる。
「本題に戻ろう。マイクロマシンは、八十万年前の氷床の中にあった。ニュートリノ通信と関係があると思われる。これから推測できるのは、旧ソビエトを含め、人類が関与している可能性は薄いってことだ」
「何が言いたいのか、はっきりしてくれ」
「一言で言えば、地上に拘る必要はないってことだ」
「日本海の下でも、話は通じるはずだ。そう言いたいのか?」
「まあ、そんなところだ」
「いい線だ」
 やはり、掴みどころが無い。
「ただ、日本海の底に届くほど、下の方から出ていない」
「ニュートリノ通信がか?」
「そうだ」
 水平に近い角度から、ニュートリノ通信が届くことになる。
 ふと、新木が言っていたことを思い出した。
「もしかすると、ニュートリノ通信が送られてくる方向に対して、マイクロマシンの回転軸の角度が決まる?」
 新木は、にやりと笑った。
「計ってみるか?」
 わざとマイクロマシンに穴を開けさせ、その穴の向きを測定する方法でやってみた。
「どうやら、重力に垂直な軸らしいな」
 浅村が言うと、新木も渋々認めた。
「そうなると、何のために、垂直軸で回転しているんだろう?」
「簡単だよ」
 新木の天才性なのか。大胆なことを言うが、こんな時は、彼の法螺なのだ。
「考える筋道は、反力だよ」
 いつもと違うのかな。
 答を予想させる「反力」という単語が出てくるとは思ってもいなかった。浅村は、新木の次の言葉を期待した。
「プラスチックを削るには、鋭い歯だけじゃ無理だ。それよりも、切羽から受ける反力を打ち消す方法の方が難しいし、どんな手法を採るかが大事だ」
「反力を打ち消すだけだったら、反動トルクを利用する方法や、どこかに張り付いてもいい。反力を超える摩擦抵抗を作ればいい」
「じゃあ、このマイクロマシンは、どんな方法を採っていると言えるんだい?」
 やはり、答を持っていないのだ。だから、浅村に切り替えしてきたのだろう。
 でも、浅村も答を持ち合わせていなかった。
 答を捜すために空いた間が、乱雑な研究室に静粛をもたらした。
「二重反転方式のヘリコプターって知ってるか?」
 ヘリには、何度も乗った。『しらせ』と昭和基地の間は、ヘリが唯一の交通機関だった。浅村が越冬隊員として南極に行った年は、氷象が悪く、『しらせ』は接岸できなかった。
 機材の全てを、ヘリで空輸したが、浅村もヘリで昭和基地に入った。
 翌年は、『しらせ』が接岸できたので、機材の搬出も搬入も、陸路も使うことができた。接岸できるとこんなに楽なのかと、感心もした。
「ヘリがどうした?」
「ヘリと言っても、一般的なヘリじゃない。二重反転方式だ。おもちゃの電動ラジコンヘリには、二重反転方式を使っているものもあるけど、実用機だとロシアくらいしかないんじゃないかな」
「普通のヘリとどこか違うのか?」
「ヘリのローターを回せが、ローターの空気抵抗で反力が起きるのはわかるな」
「ああ」
「だから、ヘリはタンデム方式か、テールローター方式で、この反力を打ち消していることも知ってるな」
「まあな」
「反力を打ち消す方法は他にもあるが、二重反転方式もある。構造が複雑になるので、採用例が少ないが、ピッチコントロールを省略すれば構造も単純化できるので、おもちゃに採用しているようだね」
 浅村にも、新木が見つけた答が、おぼろげながら見えてきた。
「小さすぎて、しかも高速回転しているから、はっきり見えないけど、マイクロマシンは上下に二分割になっているじゃないかな。そして、上下でプロペラを広げ、逆回転させて飛ぶ仕組みじゃないかな」
 浅村も、同じ答に到達していた。
 問題は、底面で穴を開ける理由だ。それを聞きたい。
「そこまでは分かった。じゃあ、なぜ飛ばないで穴を置けてしまうんだ?」
「飛ばないって事は、故障しているからだ。でも、回転はしているから、故障は動力装置じゃなく、プロペラだろう」
「つまり、下側のプロペラが故障していて、飛ぶ力は出せないけど、下側を削ってしまうのか」
 そこまでは、納得できた。でも新たな疑問が湧いてきた。それがそのまま、口を衝いて出た。
「このマイクロマシンは、地球専用だと言ってるようなものじゃないか」
「そんなことも気付かずに、これを大事にもっていたのか」
 新木は、呆れ顔をした。

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