伊牟ちゃんの筆箱

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 A棟の開放ハッチを入った所で、暗闇の中で、車座になった。
「まずいな、あれは」
 オコーナーは、緊急脱出球に巻き付いたケーブルの事を言った。
「どのみち、緊急脱出球は、何とかしなきゃならないんだが……」
 と、オハラも声に力がない。
「何か、アイデアは無いか?」
 汗臭さが漂うA棟で、タッカは、頭を働かせるどころか、吐き気を押さえるのが精一杯だった。
 スペース・シャトルが帰還した時に、その内部の異臭に耐え切れず、地上作業員が嘔吐したという話を聞く。ここも、同じ閉鎖空間で、色々な臭気が溜まっているのだろう。出来る事なら、マスクを付けて、新鮮な空気を吸いたい所だが、タンク内の空気は、命に直結する貴重品だ。我慢して、A棟の異臭に耐える。
 誰か、早くアイデアを出してくれ。マスクを付けて、早く外に出たい。
 外と繋がる開放ハッチが、気になって仕方なかった。
 開放ハッチは、内外圧力が釣り合うようになっている。今は、空気が漏れたのか、ハッチの上端から水が溢れそうになっている。このままでは、やがて、ここから海水が浸入し、水没してしまうだろう。
 緊急脱出球に入り、上下のハッチを閉めた時、エアが天井部分に溜まった。あれは、どうしてだろう。海水は、ほとんど圧縮できない。だから、空気が溜まった分だけ、容積が増えてなきゃ可笑しい。
 緊急脱出球が膨らんだ?
 そんな馬鹿な事はない。百気圧の内外圧力差に耐えられるんだ。簡単に膨らむ筈が無い。でも、それなら、海水は、どこに行ったんだろう。海水を逃がしてやる仕組みが無いと説明が付かない。
 海水逃がし弁?!
 もし、それがあるなら……
「あのぉ」
「なんだ?」
 オコーナーの声には、険があった。彼も、苛立っているのだ。それを無視して、続けた。
「緊急脱出球は、海水の逃がし弁がありますか?」
「ああ、あるぞ。内圧が0.4気圧以上高くなったら、弁が開くようになっているが、緊急脱出時に備えて、通常は閉じている。ただ、注水弁と一体になっているから、あんたが入ってきた時に、開いた筈だ」
 やっぱり。
「アイデアなんですが、緊急脱出球のロックを解除して、中にエアを吹き込んでやるのは、どうでしょう。浮力がついて、移動させ易くなるんじゃないでしょうか」
 みんな、沈黙した。暗闇で、顔が見えないのが、もどかしい。
 タッカは、ここに来て以来、鉄腕の顔以外見ていない。オコーナーも、オハラも、リーマンも、タッカは顔を知らなかった。街で出会っても、気付かずに通り過ぎてしまうだろう。
 今、そんな仲間と、生き抜く闘いをしている。
「悪くないな。エアは、貴重だが、どうする?」
 オコーナーの声が、力強くなった。
「緊急脱出球の呼吸用タンクのエアを使います。どうせ、不要ですから」
「もう一つ、無理に動かして、バランスを欠いて、B棟を直撃しても困るぞ」
 そこまでは、考えていなかった。
「もし、緊急脱出球が排除できるなら、いいアイデアがある」
 鉄腕の声だった。
「事故直後から考えてたんだ。B棟だけを台座から切り離し、B棟単独で浮上するんだ。今も、B棟側のタンクやバッテリを使っている。A棟と台座を捨てても、生存時間に変化はない。だから、B棟単体で生き残れる」
 感心しているのか、頷く声が聞こえた。
「緊急脱出球の話は、置いておこう。B棟を切り離すのは、トーチと地質調査用の爆薬を使えば出来るだろう。だが、切り離したが最後、B棟は一気に浮上するぞ。切り離し作業をしていた奴は、乗り遅れる」
「その点は、考えてる。二本のワイヤーでB棟の胴体を繋ぎ止め、連絡通路のところで、切断するんだ。切断と同時に、ハッチを閉め、浮上する」
「ワイヤーより、爆薬の点火装置を置く方がいいだろう。いけそうだな。アムス、ドクターに爆薬の量を計算してもらえ。それ以外の細かい所は、緊急脱出球を排除する方法を考えてからだ。どうだ、アイデアは浮かんだか?」
 ワイヤーがあるなら、何かに使えそうだ。使えそうなものは、何か無いだろうか。A棟も捨てるんだ。B棟以外の全ては、使い捨てていい。
 ここにあるものを、順に思い浮かべた。
 あった!
「潜水艇は、まだ使えますよね。バッテリは、大丈夫ですよね」
「大丈夫だと思う」
 嬉しくなってきた。これなら、緊急脱出球を排除できる。最悪、A棟を破壊する事になるかもしれないが、そんな事、お構い無しだ。
「潜水艇のスクリューにワイヤを絡ませ、そのワイヤで緊急脱出球を、A棟側に一気に引き寄せるんです。A棟が壊れても、どうせ捨てるんだから、構わないでしょう?」
 誰も、返事をしてくれなかった。俺一人で、はしゃいでいるみたいだ。
「潜水艇の固定方法は、どうする?」
 また、考えが浅かった。そこまでは、考えていなかった。
「ははは。冗談だよ。驚かせて悪かった。潜水艇は、アンカーを打てばいいだけさ。アンカーロープを伸ばして、A棟の脚部に括り付ける方がいいかも知れんが。どっちにしても、潜水艇を使うのは、いいアイデアだよ。直ぐに実行に移そう。人手が必要だ。ドクターにも来てもらおう。彼とアムスが、爆薬係だ。他は、緊急脱出球の排除だ。さぁ、いくぞ。おい、アムスとドクターを呼んで来い」
 彼は、まだ笑っていた。
 笑うと空気の使用量が増えてしまうと、タッカは心配になってしまった。
「これで駄目だったら、また、別の方法を考えればいいさ。脳波が止まるまで、みんなでじたばたするぞ」
 そう言うと、オコーナーは真っ先に開放ハッチに消えた。

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 ヘッドライトに照らされている所だけが、自分に与えられた世界かもしれない。
 どこを見ても暗闇の世界。後の四人も、ヘッドライトの明かりがちらちら見えるだけだ。これで、千メートルの世界に出るのは、三度目だが、慣れそうにない。自分には、空がむいているようだ。
「タッカ! ワイヤーは、準備OKだ」
 タッカは、返事もせずに、緊急脱出球に入った。二時間前に来た時と、何の変化もなかった。タッカは、下部ハッチを開いた。これで、内圧が高まれば、最大0.4気圧で緊急脱出球が押し上げられ、ハッチとハッチの間に隙間を作り、逃がし弁より早く海水を吐き出すだろう。
 続いて、切り離しレバーを引いた。ゴクンと音がし、ロックが外れた事が分かった。今度は、内圧調整をマニュアルに切り替え、バルブを全開した。一瞬、目の前が真っ白になった。気泡が、霧のように吹き出し始めた。急いで、緊急脱出球の上に出て、上部ハッチを閉じた。
 タッカは、ワイヤーとケーブルに注意しながら、緊急脱出球とB棟の接合部に近付いた。接合部からは、まだ海水は吹き出ていない。まだ、内圧が十分に高まっていないのだろう。手を翳して、海水の吹き出しを待つ。
 もう、内圧は、かなり高くなっている筈だ。
 じりじりしながら待っていると、いきなり緊急脱出球が、横ずれを起こした。
「今だ! 引け!」
 タッカは、水中電話に怒鳴った。
 ワイヤーが張る時の高周波音が聞こえ、面白いほど勢い良く、緊急脱出球が横に走った。B棟のハッチとの接合面からずり落ちると、B棟の屋根に落ちるより早く、A棟側へ移動した。
「やったぁ!」
 思わず叫んだ。
 緊急脱出球は、A棟の屋根に向かって、ゆっくりと落ちて行ったが、途中で沈降速度が無くなった。ケーブルにも引かれ、浮力が付いたのだ。
「まずい! 逆回転させて、ケーブルを外せ!」
 直ぐに、逆回転が始まった。だが、スクリューを保護するリングに絡まり、外れなかった。潜水艇は、緊急脱出球に引かれ、船尾を少しずつ持ち上げ始めた。
 このままでは、潜水艇の重量が浮力を食ってしまい、ケーブルが排除できなくなってしまう。慌てて、潜水艇に近付いた。だが、心配は無用だった。
 突然、青白い光が現れた。水中作業用のトーチだった。一人が、トーチでワイヤを焼き、間も無く切断に成功した。浮力を失った潜水艇は、元の位置に静かに着底した。
「よし、ここはいい。タッカ、酸素の残量を確認しろ。もう残っていないだろう」
 そんな筈はないと思いながら、メーターを見てぞっとした。
「さぁ、中で、配線を手伝ってくれ」
 上手い人使いだ。感心しながら、開放ハッチを目指した。
 配線は、ほとんど終わっていた。タッカは、B棟に入り、負傷者をベッドに固定する作業をした。一人は、意識がはっきりしていて、何とか一人でも動けるようだったが、もう一人は、意識がなく、薬で眠らされている状況だった。
 B棟が切り離される時、大きく傾く事も考えられた。その中で、動けない二人がベッドから落ちて、怪我を酷くする事は防がなければならない。
 担架に使うベルトを外して持ってきて、ベッドに固定した。
 余った時間で、高い場所にある荷物は、ストラップで固定するか、下に降ろして、ネットを被せた。
 簡単に出来る所が終わった頃、全員が戻ってきた。
 今度は、連絡通路を、トーチで焼き切るのだ。爆薬を考えたが、分厚い板を破壊し、かつ、B棟に被害が出ないようにする事は、非常に難しい事が分かったからだ。
 A棟とB棟の外壁は、百気圧の内圧超過に耐えられるように、厚さ三センチの高張力鋼で作られている。連絡通路は、A棟等と同じ強度にするには、厚さ二センチにすれば良いが、それでは、内圧超過になった際の膨張量に差が生じる。それで、その差を減らし、接合部のストレスを減らすために、連絡通路の外壁は、意図的に薄い板を採用している。
 彼等は、B棟側のハッチの下半分に、板をあてがった。これで、連絡通路に浸水した水は、より低いA棟側に流れ込む事になる。
 鉄腕と、オコーナー、オハラの三人で、同時に切断を始めた。連絡通路が、青白い光で溢れた。金属を焼く異臭と、煙が、通路からB棟まで入ってくる。だが、最後の瞬間に、ハッチに飛び込まなければならないので、ハッチは開けておかなければならない。
 接断面が広がるに連れ、浸水が激しくなった。溢れた海水は、勢い良くA棟に流れていく。A棟が、満水になるまでに、切断を終わらなければ、助かる見込みも無くなる。
 浸水は、途中で、減り始めた。理由は、直ぐに分かった。下側が切断されたのだ。気圧は、連絡通路の床面の水圧より、僅かに高い。だから、浸水する以上に、そこから排水されるのだ。だが、天井部分の切断が進むにつれ、そこからの空気の漏れが激しくなる。それは、耳の奥のツーンとした感触で分かる。気圧が下がり始めていた。
「よし、これで終わりにしよう。後は、浮力で破壊する」
 その言葉で、猛烈な海水のシャワーとなっている連絡通路から、全員がハッチに飛び込んできた。
「ドクター、やってくれ」
 一人、ハッチに陣取ったドクターは、A棟の暗闇に線の延びたコントローラのスイッチを捻った。
 ズン。
 振動を感じ、海水の漏れが激しくなった。ドクターは、A棟に向かってコントローラを投げ捨て、さっと逃げた。それを見計らって、板を越えて溢れてくる海水に逆らい、鉄腕が、ハッチを押した。彼の肩に、見事な力瘤が浮き上がった。
 鉄腕の本当の握力は、誰も知らない。
 彼は、百キロまで計れる機械式の握力計を、左右とも軽々と振りきってしまう。それで、ユカリが百二十キロまで計れる電子式の握力計を用意したのだが、鉄腕は顔を真っ赤にしながらも、百二十キロを振り切った。流石に、左では無理と思ったらしく、右のみの挑戦となったが、計測結果は百二十キロ以上の握力がある事が分かっただけで、正確な数値を得る事はできなかった。ただ、三百五十キロ前後の背筋力も含め、並みの男の三倍近い怪力の持ち主である事は、疑いようのない事実だ。
 しかし、彼の力を持ってしても、ハッチの隙間から海水が流れ込み、完全に閉まらない。握力八十キロ以上、背筋力二百五十キロ以上のタッカも加勢したが、閉まらなかった。ついには、オコーナーも、オハラも、ドクターまでもが、力を合わせて、ハッチを押した。小さなハッチに、五人が群がり、必死に押した。
 五人の力は、水圧を捻じ伏せ、ぷしゅっと言う音と共に、ハッチの隙間からの海水は止まった。ドクターが、素早くハッチのロックを掛けた。
 内圧の高さで、一瞬、海水の侵入が止まり、空気が漏れたのだ。その時のベンチュリー効果と内圧で、ハッチは勝手に閉まったらしい。五人は、ハッチの下にしゃがみ、肩で息をした。
 ハッチが閉まるの待っていたかのように、金属が擦れ合う激しい音が聞こえ、同時に、ハッチ側を下に、奥を上に、大きく傾き始めた。
 無気味な音だった。
 A棟との連絡通路が、B棟の浮力に耐え兼ねて、捻じ切れ始めたのだ。
 音は、続いた。B棟の傾斜は、二十度を越えた。ヘッドライトに照らされた通路が、壁のようになっていく。
「全員、落下物に注意しろ。このままの位置に居て、連絡通路を捻じ切る」
 もう、それしか、方法が残っていなかった。ハッチは、内圧を下げない限り、人間の力では開かない。外に出る事さえ、できないのだ。
 しかし、二十度を越えた所で、傾斜は止まった。
 誰の口も、閉じられたままだった。
「おい、誰か、アイデアを出せ。もうちょっと、じたばた出来る時間があるぞ」
 オコーナーが、みんなを勇気付けた。
 だが、誰からも、アイデアは出なかった。
 長い沈黙が流れた。
 と、突然、オコーナーが通路を登り始めた。
「おい、全員来い」
 みんな、ぞろぞろとついて行った。二十度の急坂を登り詰めると、彼は、こう言った。
「一気に駆け下りるぞ」
 その言葉通り、五人で一気に駆け下りた。
 また、軋む音がした。
「もう一度やるぞ」
 五人で、これを繰返した。しかし、軋んだのは、二回目までだった。五回目を終わった時、誰も「もう一度」とは言わなかった。
「誰か、アイデアは無いか?」
 そうだ。まだ、脳波は止まっていない。もう少し、じたばた出来そうだ。だが、アイデアが無かった。
 軋み音が聞こえないかと、耳を澄ませたが、男達の息以外に、何も聞こえない。
「おい、何か聞こえなかったか?」
 誰か、言い終わらない内に、強い振動を感じた。
「地震?」
 オハラが言った。
「いや、違うな。何かの爆発音だ」
 鉄腕の意見に賛成だった。日本に居る時に経験した地震とは、揺れ方が違っている。それに、ここは地震地帯ではない。
 シャングリラが揺れたせいだろう。再び、連絡通路が軋み始めた。
「もう一回、やってみるか」
 その言葉に呼応し、全員が二十度の傾斜を昇り始めた。その時、二度目の爆発音が聞こえた。B棟は、激しい軋み音と共に、傾斜を強くしていった。三十度を越えた傾斜を五人は、足を滑らさないように気遣いながら、黙々と昇って行った。
 軋み音は、途切れる事無く続いていた。
「ようし、一気に滑るぞ!」
 その掛け声と共に、五人は、抱き合うようにして滑り落ちた。
 連絡通路は、激しい音を伴って、破断した。同時に、B棟は、大きく傾斜したまま、海面に向かって駆け上り始めた。
 十五分後、五人は、小さな窓から、真上に太陽光を見ていた。

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  事故原因

 船上減圧室と外部との連絡は、月着陸船と管制センターとの連絡に似ている。目と鼻の先程の距離に居ながら、地球から月程の距離に感じる。少なくとも、気圧の壁のが立ちはだかり、簡単に行き来できない点では、全く同じだった。
 ただ一つの違いは、船上減圧室の側面にある数箇所の小窓から、相手の顔が生で見られる点だろう。
 恋人同士が、小窓のガラスを間に挟んでキスをする。
 映画なら、そんなシーンも出てくるだろう。
 何を勘違いしたのか、クストーの乗組員が、たっぷりと口紅を塗り、小窓の一つにキスマークを付けた。せめて、恋人が来たつもりになってくれという意味なのだそうだ。
 だが、クストーの女性乗組員の協力を得られなかったらしく、キスマークを付けたのは、男だった。だから、減圧室の中に居る七人は、誰一人として、その小窓には近付かなかった。
 そんな小窓の一つから、タッカは外を見た。
「ごめんね」
 小窓の向こうで、ユカリが手を振りながら言った。
 そのままでは、声は聞こえない。彼女は、受話器を片手に、話し掛けてきた。
「見つけるまで、時間が掛かってしまって、ごめんなさいね」
 浮上してから、見つけてもらうまで、一晩を越していた。はっきり言って、中のメンバーは、絶望していた。脱出の際に、大量の酸素を消費したので、酸素は底を突き、二酸化炭素の濃度も、危険な領域まで上昇していた。
 メンバーは、今回の事故後の経緯を詳細な記録に残すため、手分けしてメモに書き留める仕事をした。電源が無くなり、パソコンが使えなかったので、全て手書きになった。二酸化炭素中毒による激しい頭痛と吐き気の中、懸命に記録を残した。発見が間に合わなかった場合でも、彼等の経験が今後に活かされるようにするためだった。
 正に、遺書の代りだった。
 幸い、ギリギリのところで発見され、救出されたのだが、その後も、B棟だけで浮上していたものだから、船上減圧室に乗り移るのに、大変な事になった。
 ダーウィンの甲板は、戦場になった。B棟を大型クレーンで釣り上げ、前の甲板に下ろしたまでは良かった。だが、そこから出す方法が無かった。やむを得ず、外部から電源とエアの供給をしながら、B棟の中で減圧する事になった。でも、俺には部屋が無く、鉄腕が交替で寝ようと言ってくれたので、同じベッドを二人で交替に使った。
 俺達を発見するのが遅くなったのは、俺達が浮上した位置が、元の場所から一海里以上も流された場所だったからだ。B棟は、傾斜したまま浮上したので、斜めに浮上してしまった。おまけに、海面からは、ほとんど出ていないので、空から捜索するまで、気がつかなかったらしい。
 運が良かったというべきか、ダーウィンが潜水艦を振り切って戻ってきた際、海底基地を探してくれた事だ。トランスポンダーで位置決めしただけでなく、音波探知器で、再確認した。その際に、海底基地からのエコーが、変化している事に気付いたのだ。
 ユカリは、何かが浮いてきているかもしれないと思ったが、既に夕闇に沈み始めていたので、翌朝を待ってS-2Rを飛ばした。
 捜索海域が狭いので、彼女は直ぐに見つけた。ただ、航続距離の長いS-2Rも、四回も離着水を繰返したため、燃料が乏しくなり、捜索終了と共に、サンディエゴに戻った。
「今頃謝っても、もう遅い。一ヶ月も前の話だ!」
 タッカは、怒って見せた。
「そこで、待ってろよ。とっちめてやる」
 鉄腕まで、調子に乗って言い加えた。
 彼女は、サンディエゴに戻った後、報告書の山に埋もれ、本来の救難待機と合わせ、ダーウィンに戻ってくる事はできなかった。
 その間、ダーウィンは、B棟で減圧を続けながら、サンディエゴに向かい、二週間前には入港していた。サンディエゴ港で、クストーと合流し、クストーの水中エレベータを緊急脱出球のハッチに接合する事で、クストー側の船上減圧室に移動した。負傷者は、そこで、初めて本格的な治療を受けられるようになったが、ドクターの処置が良かったらしく、二人とも完治するだろうとの事だった。
「私は、忙しいの。鉄腕にとっちめられてる暇は無いの」
 と言って、アカンベーをする。
 彼女は、タッカ達が今日で出られる事を知って、ここに来た筈だ。
 タッカは、胸が締め付けられるような気持ちになった。
(ユカリは、鉄腕を迎えに来たんだ。俺を迎えに来たのではない)
 今日でここを出られるというのに、タッカの気持ちは落ち込んだ。彼女が去った後で、ここを出たかった。
 そっと小窓から離れて、奥に隠れた。
 しばらくして、鉄腕が、タッカの横に来た。
「おい、誰が一番最初に出るか、くじ引きしようぜ。他の連中も、待ってるぞ」
 言われるままに、食堂に集まった。くじは、阿弥陀くじだった。ナンスは、奥のベッドで寝ていたが、最初に彼が引いていた。残る六本を、順番に決めていく。
 結果は、アロイが一番、オコーナーが二番、ナンスが三番、ドクターは四番、五番がオハラで、六番が鉄腕だった。
「くじ運がいいな。酉じゃないか」
 タッカは、くじ運が悪い方だ。特に、阿弥陀くじは、勝った試しが無い。今回だって、くじ運が良いのか悪いのか。この空気の悪く、狭苦しい減圧室から出るのが、七人の中で、最後になってしまった。
 でも、その方がいい。
 外に出た時、彼女に見送られ、自分より後に出てくる鉄腕の所に走っていかれるより、先に鉄腕に飛び付いてもらって、その隙に、そっと身を隠す方がいい。
「で、何時に出られるんだ? もう、減圧は終わったんだろう?」
 オハラが、待ちかねたように言う。
 あれから一ヶ月。暗闇の中で、一緒に仕事をした僅か二時間で、顔を覚えるより先に、仲間になったような気がする。五人で一緒にハッチを押し、五人で一緒に坂になった通路を滑り降りた記憶が、懐かしく思い出された。
「減圧は、今朝で終わったけど、取材陣の準備がまだらしい」
 電話を置いたオコーナーが、がっかりした表情でみんなを見た。
「マスコミは、俺達を監禁する権利を持っているのか」
「らしいな」
「ここを出たら、記者会見場に直行って訳だ」
「そうじゃないらしい。マスコミの連中は、やつれた顔でここから出てくる俺達を、カメラに捕えたいらしい。記者会見は、俺達が臭いんで、シャワーを浴びてからって事になった」
「じゃあ、今日一日、マスコミのお相手かい?」
「そういう事だ」
「おい、勘弁してくれよ。俺は、ここを出たら、真っ先にプールに行って、一泳ぎしたいんだから」
 オハラが、泳ぐ真似をする。
「まだ、泳ぎ足りねぇのか。何なら、もう一度下に行って、泳いできたらどうだ」
 どっと、笑いが巻き起こる。
「下は、今度の機会に取っておくよ。俺はなぁ、お天道様の下で泳ぎたいんだ」
「遠慮しなくていいんだぞ。下なら、一人で泳げるぞ。貸し切りだ」
 オコーナーが笑って言う。
「違う、違う。こいつは、プールにいるギャルが目的なんだ」
「じゃあ、下にギャルを連れてけよ」
「くる女なんか、誰もいないさ」
「だから、まだ一人者なんだ」
 いつに無く口の軽い仲間が、オハラをからかった。
「うるせぇ!」と憮然とするが、直ぐに大口を開けて笑い出す。
 もう、ここを出るまで、時間の問題だ。その安心感からか、タフな精神を持っている彼等も、会話が明るい。
 そんな中、鉄腕が音もなく立ち上がると、食堂を出た。そして、そっとタッカに手招きした。

 一時間後、呼び出し音が鳴った。今からハッチを開けるとの連絡だった。
 全員が、準備に入った。
 ハッチが開き、外の空気が流れ込んできた。
 彼等は、くじの結果を無視した。
 オコーナーが最初に出て、ナンスの担架を受けた。担架の後ろを持ったオハラが続き、ドクターに付き添われたアロイが出た。彼等がくじをしたのは、ただの暇つぶしに過ぎなかった。負傷者を優先するための最良の順番で、ここを出て行った。
 彼等の熱いハートと冷静さに、改めて感心させられた。
 タッカと鉄腕は、最後に残された。
「今度は、ジャンケンで決めないか」
「そんなに酉がいいんだったら、俺は先に行くぞ」
 そう言うと、鉄腕は、さっさとハッチを潜り抜けた。
 タッカは、慌てて後を追った。
 ハッチを出た途端、眩いばかりにフラッシュが煌いた。ただ、ガードマンが壁を作っていて、マイクを突き立てられる事はなかった。人の壁の間を、タッカは鉄腕を追って小走りに抜けた。スタッフが、誘導してくれる中を、会議室に入った。そこには、一ヶ月ぶりに生の顔を見るユカリと船長の姿があった。
 タッカは、ユカリの視線を外し、船長に握手を求めに行こうとした。その肩を、鉄腕のごつい手が押さえつけた。その瞬間、ユカリがタッカに飛び付いてきた。タッカは、何がなんだか、分からなかった。
 彼女の肩を押し戻し、「飛び付く相手を間違えてるぞ」と言った。
 彼女は、激しく首を振った。彼女の涙が飛び散った。
「鉄腕は、船長に挨拶してるわ。あなたしか、飛び付く相手がいないでしょ」
 そう言って、タッカの胸に顔を埋めた。
 そして、もう一言、「臭い!」と言ったまま、肩を震わせ泣いていた。
 船長は、鉄腕と握手したまま、肩を叩き合いながら、離れていった。タッカは、ユカリと二人きりで、会議室に取り残された。

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 クストー内の与えられた士官用の個室に入り、シャワーを浴びて着替えた。ユカリに「臭い」と言われた後だけに、念入りにシャワーを浴びた。
 シャワー室を出ると、誰かが、扉をノックしていた。
 返事をすると、
「十分後に、記者会見がありますので、食堂まで御出でください」と扉の外から言われた。
 やはり、記者会見があるらしい。憂鬱だった。
 素人の記者が、訳知り顔で質問し、こちらの回答にズレた解釈を付けて報道する。上院や下院の議員が、シャングリラのメンバーを英雄に奉り上げ、同時に自分達の顔を有権者に売り込む。
 タッカにとって、下の脱出を助けたという自負はなく、邪魔してしまった事の方が、心の中の大きなウェートを占めていた。だから、英雄扱いされるのは、大いに迷惑だったし、耐えられない程、恥ずかしい事でもあった。
「分かった。準備しとくよ」
 タッカは、用意された航空部の制服に手を通した。
 また、誰かが、扉をノックした。
「今から、行くよ」と答える。
「早くしてね」とユカリの声が返ってきた。
 なんで、彼女が来たのか、顔を出すと、制服姿の彼女は、廊下の向こうで手招きした。彼女は、廊下の壁を背に、先の様子を伺っていた。何事かと、タッカが歩いていくと、彼女は、盛んに隅に寄れと、手で合図してきた。
「どうしたんだよ?」
 彼女は、振り返らなかった。
「ここを抜け出すのよ」
 タッカが返事をしないでいると、彼女は振り返った。
「それとも、記者会見に出て、有名人になりたい?」
 なんと、記者会見に出たくなかった事まで、見抜かれていた。
 返事をする代りに、彼女を自分の後ろに下げ、廊下の先の様子を伺った。
「船を抜け出すのは、得意なんだぜ」
 タッカが親指を立てると、彼女も、同じサインを返してきた。
 クストーは、姉妹船のダーウィンと全く同じ構造になっている。ダーウィンで脱走劇を演じたタッカ達は、手慣れたもので、あっさりと舷門に辿り着いた。
 そこからは、航空部の制服を活かして、堂々と胸を張ってタラップを降りた。うろうろしていたマスコミ関係者は、中の様子を聞いてきたが、航空部の制服だから、「知らされていない」と一言だけ言えば、すんなり引いた。
 彼女が用意した車に乗ると、空港に向かわせた。
 一時間後、タッカ達は、アクアシティへ向かうS-2Cに便乗していた。
「タッカ。あの事故、どうして起こったと思う?」
 コクピットの後ろにある予備乗員のシートで、話し掛けてきた。
「ケーブル切断か?」
「そうよ。あっ、その前に、環境保護団体の船だけど、十日前に救命筏で漂流中の保護団体を発見して、私が救助したの」
 やはり、どこかの海軍が、彼等の船を乗っ取り、それを使ってダーウィンを急襲したのだ。そう考えれば、訓練が行き届き、命令系統もしっかりしていた理由が説明できる。
「彼等は、海賊に襲われたと言ってるけど、それは勘違い。この辺りでは、海賊の報告を聞いた事はないわ。それに、あんな船を乗っ取っても、金目の物は何も無いでしょ。海賊に狙われる訳ないわ」
「ケーブルを切断したのも、監視船を乗っ取った連中のせいなのか?」
「違うわ。彼等は、船の引き上げを中止しろって、船長に言ったのよ。ケーブルを切断した連中が、切断した後で、態々に船を乗っ取るかしら。それも、近付くために、別の船まで用意して」
 有り得ない。一隻目を乗っ取った後で、ケーブルを切断した。その後で、ダーウィンを乗っ取っている。一隻目の乗っ取りとダーウィン急襲は、一つの作戦だ。その途中に、もう一つの作戦が挟まるのは、矛盾を感じる。
「じゃあ、ケーブルを切断したのは、誰なんだ?」
 彼女は、意味ありげに、微笑んだ。
「環境保護団体は、アメリカ軍の核廃棄物運搬船を追ってたそうよ。それも、核兵器の弾頭を解体した際に出たプルトニウムよ。でも、ハリケーン・インディアナで、見失ったらしいの。その場所が、あの海域だったの」
「じゃあ、運搬船は、あの海域で沈没したって事か?」
「たぶんね。で、ペンタゴンに問い合わせたけど、そんな事実は無いって、そっけなかったわ」
 予想した回答だ。こんな事実は、公文書の公開でも、永久に公開対象にはならないだろう。真相は、千メートルの海底よりも暗い闇の中だ。
 予想された回答とは言え、腹の虫が治まらない。
「それで、調査船を差し向けて、海底の状況を音波探査してみたら、該当の船を見つけたの。詳しく調べるために、無人の自立型探査艇を降ろしたら、大当たりだったわ」
「それが、事件の切っ掛けだな。マスコミに公開するのか?」
 ふふと、含み笑いをした。
「その前に、やって置く事があるわ」
「なんだよ。その笑いは?」
「そんな事より、ケーブルを切断した犯人を知りたくないの?」
 核廃棄物運搬船が沈んだのなら、それを隠したいアメリカ海軍が、目と鼻の先で海底をうろうろしている鉄腕達の作業を妨害したと考えるべきだろう。
「アメリカ海軍だろ? でも、どうやって切ったんだい?」
「知りたい?」
 悪戯っぽく微笑む。この顔をされると、「鉄の女」と呼ばれる彼女でも、憎めなくなる。
彼女は、ちょっと肩を竦めてから、話を続けた。
「原潜で、フックのついたワイヤを一海里くらい伸ばしておいて、支援船の周りを一周するのよ。支援船は、直ぐ近くは、常時監視しているけど、周辺は監視していないし、ワイヤみたいな細い物は、コンピュータが魚と間違って表示から消してしまうの」
「それで、見付からないようにフックをケーブルに引っかけられたんだな」
「そうよ。貴方がケーブル撤去中に見たケーブル表面の引っ掻いたみたいな傷は、フックか、ワイヤーが付けたんでしょう」
 暗闇の中を昇っていくケーブルの情景が、瞼に浮かんだ。あの直後に、緊急脱出球にケーブルが絡まって、あんな引っ掻き傷なんか、すっかり忘れていた。
「フックを引っかければ、後は、潜水艦で目一杯引っ張るだけ。排水量では、ダーウィンも負けてないけど、推力じゃ敵わないわ。おまけに、潜水艦は耐圧船殻をもってるから、ダーウィンにしてみれば、堪ったものじゃないわ。船長は、船を守るために、ワイヤを切断するしかなかったのよ」
 深呼吸したつもりが、大きな溜息になった。
 ワイヤを切断したために、鉄腕達は生命の危機に晒され、多くの人と資材が投入された。運搬船の沈没を隠すために、いかなる犠牲も厭わない軍の行動が、タッカには納得ができなかった。
「おい、ユカリの力で、これを公にする事は、できないのか?」
 ユカリは、クスッと笑っただけで、答えなかった。
「その事は、後で説明するわ。それより、報告書と始末書を書いてよ。何せ、五千万ドルもするS-2Rの水中エレベータを捨てたんですからね」
「おい……」
「おまけに、緊急脱出球も駄目にして、最後には、海底基地の半分を捨ててきたでしょう。これは、とんでもない損害額になるわよ。しっかり、言い訳を書かないと、全額弁償になっちゃうかも」
 タッカは、必死に弁明したが、彼女は、「言い訳は、報告書に書きなさい」と言うだけで、笑って取り合ってくれなかった。

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 タッカは、減圧室から出る直前に、鉄腕から打ち明けられていた。
 鉄腕は、タッカを食堂から呼び出した。
「実は、今回の潜水に出る前に、ユカリに告白したんだ」
「告白? プロポーズしたのか?」
「いや、結婚を前提として、付き合って欲しいと言ったんだ。駄目元で言ったんだが……」
 思わず、生唾を飲み込んだ。
「見事に振られたよ」
 彼女は、例の素敵な背中の話をしたのだろうか。
 自分が女なら、鉄腕のプロポーズなら受けるだろうなと、タッカは思った。奴の背中は、男の目から見ても、頼もしく映る。シャングリラで見た奴の背中は、頼れる背中だった。
「彼女は、背中の話をしなかった。俺の背中は、合格点を取っていたらしい。でも、振られた。どうやら、正真正銘、振られたらしい」
 親友の失恋を打ち明けられたのだから、何とか慰めなきゃいけないところだが、ほっとした気持ちと、意外な気持ちが交錯し、言葉に詰まった。
「結婚を前提のお付き合いはできません。彼女は、はっきり、そう言ったんだ。だからこそ、俺は、今回の潜水で死ぬ訳にはいかなかったんだ。これが、死んだら、彼女は、一生責任を感じ続けたと思うんだ。だから、絶対に生きて帰るんだと、心に誓ったんだ。そしたら、お前が飛び込んできただろう。こりゃ、二人して生きて帰らなきゃって、責任重大になったよ」
「そうか。お前に負担を掛けたな。でも、全員が無事に帰還できてよかった。上も、酷い事になっていたらしいが、シージャック以降は、誰一人、怪我もしなかったんだから……」
 そこまで言って、はたと気付いた。
 救出作戦の建て直しにアクアシティへ戻る機上で、彼女があれほどまで取り乱した原因は、鉄腕の言う通り、責任を感じていたからなのだ。
 タッカは、自分の優しくない自己中心的な性格が、恥ずかしくなった。同時に、責任感の強いユカリと、その責任まで受け止めてしまう心優しい鉄腕が、自分の親友である事が誇らしかった。
 タッカは、ユカリほどの天賦には恵まれなかったけれど、こんなに素晴らしい二人を身近に感じ、お互いに切磋琢磨していける事を、神に感謝した。
 アクアシティに着くと、彼女は、急ぎ足で船舶管制部に向かった。
「間に合ったかしら?」
 部屋に入ると同時に、彼女は、そう言った。何やら、予め準備していたらしい。
「ヘイ、ユカリ。放射線漏れは、無いようだ。回収の指示は、出した。これで、いいんだろう?」
「OKよ。で、準備の方は、どうかしら?」
 男は、OKサインを出した。
 ユカリは、手近の電話を取ると、電話を掛けた。耳を欹てて聞いていると、どうやら、ペンタゴンに掛けているらしい事が分かった。
「そうなの。核廃棄物運搬船は、存在しないのね。沈没したから、存在しなくなったのじゃないのね。分かったわ。…………そう。私達の海底基地の近くを、原潜が居たかどうかも、教えてもらえないのね。…………今回で、二度目の事故よ。私達も、原潜の位置を正確に把握する必要があるわ。あなた方が秘密主義を通すなら、自力で知るしかないわ。いいわね?」
 彼女は、タッカにウィンクした。
「私からの最後通牒よ。良くって。…………そう。さよなら」
 電話を切った彼女は、大きな声で号令を掛けた。
「実施してちょうだい」
 彼女は、タッカを大きなスクリーンの前に招き寄せた。
 スクリーンには、メルカトル図法の世界地図が表示されていた。海を表す濃い青が、あちこちで小さな水色の円に置き換わっていく。水色の円は、ゆっくりと広がり、隣り合う円同士が重なっていく。その水色の中に、次々と赤い光点が増えていった。彼女は、カーソルを操作して、サンディエゴの沖を拡大した。およそ二百km四方の海域が、拡大表示された。その中には、二つの光点があり、艦名と艦籍、深度、速度、方向が、表示された。
 誰が見たって、原潜の位置だと分かる。
「まさか、世界中で、アクティブ・ソナーを同時に使ったんじゃ……」
「その、まさかよ。それを、ここで編集して、インターネットに公開したのよ」
「インターネット!!」
 思わず、声が裏返った。
「こんな事して、いいのかよ!」
「さっきの電話を聞いたでしょう。今回みたいな事故を防ぐには、これが一番効果的なのよ。私達だけが知っていても、それを軍部が認識していなきゃ、作戦を強行されてしまうでしょ」
 政府が「鉄の女」と言って彼女を恐れる理由が、はっきり分かった。
 サイレント・サービスと呼ばれる潜水艦隊が、彼女の一声で丸裸にされてしまった。潜水艦の最大の武器である隠密性が、これによって完全に失われた。何せ、世界中のどこでも、潜水艦の位置を確認できるのだ。
「これを利用して、先制攻撃を掛けたら、大変な事になるんじゃないのか?」
「大丈夫よ。どこが、原潜に攻撃しようと、攻撃する方も原潜を持っているから、逆襲を受ける可能性があるわ。だから、攻撃を掛けるには、それなりに覚悟がいるわ」
 呆れた。
 でも、胸の支えが取れた気分だ。
「じゃあ、今から記者会見に行ってくるわね」
 彼女は、スクリーンに食い入っているタッカの傍から、音も無く離れて行った。
「頑張れよ!」
 スタッフの誰かが、一声かけた。彼女は、親指を突き立てて、微笑んだ。
 二時間後に行われた記者会見で、彼女は二つの事を公にした。
 まず、核廃棄物運搬船と思われる沈没船を発見した事。
 この件に関して、無人探査船の映像を公開すると共に、これをマスコミ公開の下、引き上げる事も追加した。マスコミ公開としたのは、海軍の妨害を避けるための措置だろう。
 もう一つは、世界中の原潜の位置を、インターネット上で公開した事だ。
 こちらは、核抑止力が無くなる事を懸念する声が上がったが、総ての原潜の位置が分かると、ミサイル原潜に攻撃型原潜が近付いていく過程が見えるから、危機が近付いているかどうかが分かり、抑止力が働く時間が長くなると言って、それ以上は取り合わなかった。
「鉄の女」の面目躍如。
 彼女の華奢な背中が、大きく感じられた。

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  エピローグ

「一ヶ月ぶりね。こんなふうに会うのは」
 彼女の声が、空港の喫茶店に心地よく響く。
「そうだな」
 早朝の喫茶店は、前回と同様、数人のビジネスマンが、朝食を口に運びながら、パソコンを睨んでいた。
 ガラス窓の向こうには、南国の海に特有の水色をしたメキシコ湾が、朝日を反射している。
 一ヶ月半の時間が、巻き戻されたように気がした。
 一ヶ月半前と一つだけ違っていた事は、ここにくる途中で偶然出会ったオコーナーが、親しげにタッカの肩を叩いて行った事だ。
「一昨日は、クストーの会議室で、ちょこっと顔を見ただけだったもんな」と鉄腕が言う。
「そうよ。だから、一月半前にここで会って以来よ」
 店内に、煌きが擦り抜けた。外を見ると、S-2Cの垂直尾翼が、朝日を反射していた。これから、どこかの海上まで、貨物を届けるのだろう。
「それはそうと、タッカよ、お前、記者会見をすっぽかしただろ」
 クストーで開かれた記者会見を、ユカリと二人で抜け出した事を思い出した。
「いいじゃないか。ああいうのは、苦手なんだ。それに、救出されたのは、六名だぞ。俺が居たんじゃ、数が合わないだろう」
 タッカが嘯くと、鉄腕は笑った。
「俺が言いたいのは、このメンバーで、記者会見の経験が無いのは、お前だけだって事さ。ユカリは、潜水艦の位置の公開で記者会見しただろ。俺は、潜る前にも簡単な記者会見をしてたし、今回も記者会見に引っ張り出されたけど、お前は記者会見の経験が無かっただろう。折角のチャンスだったのに、それをフイにしてしまったんだよ」
 タッカは、意味も無く、悔しさが込み上げてきた。
 確かに、鉄腕も、ユカリも、記者会見を受けた事がある。
 タッカにとってみれば、今回が一番記者会見に近付いていたのに、それに出なかったから、当分、いや、永久に記者会見のチャンスを失ったのかもしれない。
 たかが記者会見だが、無性に悔しかった。
「タッカ、いい事教えてやろうか」
「何だい?」
「もう一度、事故に遭ってやるから、もう一度、水深千メートルまで助けに来いよ。記者会見間違い無しだぞ」
 タッカは、大笑いした。
「やなこった」
 鉄腕も、ユカリも、声を上げて笑った。
「鉄腕は、俺には、空の方が似合ってると思わないのか」
「海底の方が、似合ってるぞ」
 鉄腕は、そんな事を言ったが、海底は懲り懲りだった。あんなヤバイ救出劇は、二度とするものか。
 でも、誰も亡くならず、負傷者も最小限で済んだ。敵である乗っ取り犯も、彼女が足刀で倒した男以外に、誰も怪我をしなかった筈だ。それは、幸運だったし、彼女が強く願っていた事だった。
「それはそうと、タッカは、鉄腕に報告する事があるんじゃないの」
 何の事だか勘は働いたが、タッカは、知らん振りをした。
 ユカリは、鉄腕を手招きして、頭を突き合わせた。そして、小さな声で囁いた。
「タッカがさ、半年後の機長昇格試験を受ける事になったのよ」
 鉄腕は、何か悪巧みを思い付いたように、にやっとした。
「おめでとう!」
 態とらしく手を出し、握手を求めてきた。
「まだ、めでたくないさ。試験に合格しなきゃ」
 と言いながら、握り返した。
「まあ、いいじゃないか。さぁ、前祝いといこうぜ」
「そうね。いいわね」
「じゃあ決まりだ。おっと、タッカは、救難活動の特別表彰で、報奨金を貰ったんだろ。おごれよ」
 鉄腕は、握った手に力を込めた。握力計を振り切ってしまう彼の手が、タッカの手を締め上げる。握力八十キロ以上のタッカでも、鉄腕には歯が立たない。
 さっき見せた顔は、報奨金と前祝いを結び付ける事を思い付いた笑顔だった。
「あぁぁ、それが目的だろう!」
 タッカは、笑いながら非難した。
 でも、「ばれたか」と舌を出したのは、彼女だった。
 鉄腕が前祝いと言うのを予想し、昇格試験を受ける事をバラしたに違いない。
「OKを言うまで、この手は離さないからな」
 鉄腕は、更に力を込めてきた。
「分かった。分かったから、手を離せ!」
 タッカがOKを出したの聞いて、鉄腕以上に、ユカリが小躍りして喜んだ。
 報奨金は、大した金額じゃなかった。見た目通りの鉄腕に、痩せの大食いのユカリ。大食漢の二人に奢れば、簡単に足が出てしまう額だ。
 でも、そんな小さな事は、どうでも良かった。
 また、三人で、大いに笑う事が出来た事が、今のタッカにとって、最高の幸せだった。

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自己書評

概要にも注記していますが、本作は、2018年1月5日から同年10月26日にかけて
Yahooブログに掲載した同名の小説を改訂・転載しています。

この小説「海と空が描く三角」の登場人物、タッカ、鉄腕、ユカリの三人は、私が高校生だった頃からイメージを膨らませてきました。
挿入している逸話は、その頃からのものです。
海上都市アクアシティや飛行艇S2-Rは、高校から大学時代に考えていました。
本作の舞台になっている水素潜水も、高校生の頃に読んだ本の中にありました。
本作を書いた時期は古く、ダイオウイカの記述も、窪寺博士とNHKの撮影よりも前に書いたままのものです。

私にとって、古くて新しい「海と空が描く三角」です。
高校生の頃からのイメージにいくつかのプロットを追加して仕上げました。
楽しんで頂ければと、思っています。


資源採取用として地球近傍に移動中の小惑星が、パラオ諸島付近に落下した。
地球は、小惑星の冬に突入し、落下地点に近い日本は、津波と降下物で壊滅した。
小惑星の軌道変更を担当していた宇宙移民事業団は、直前に家族を宇宙に脱出させた。脱出に成功した征矢野少年は孤児となり同級生の親戚宅に身を寄せるが、級友たちは彼を支えてくれた。
しかし、小惑星墜落の当事者だった征矢野の父が業務上重過失致死で書類送検されたことで、状況が一変する。
征矢野は、父への疑いを晴らすために動き始める。
その矢先、協力してくれていた梅原少年の父親が小惑星墜落について自首する。


  < 目 次 >

 アイソスタシー  1
 アイソスタシー  2
 アイソスタシー  3
 アイソスタシー  4
 アイソスタシー  5
 アイソスタシー  6
 アイソスタシー  7
 アイソスタシー  8
 アイソスタシー  9
 アイソスタシー 10
 アイソスタシー 11
 アイソスタシー 12
 アイソスタシー 13
 アイソスタシー 14
 アイソスタシー 15
 アイソスタシー 16
 アイソスタシー 17
 アイソスタシー 18
 アイソスタシー 19
 アイソスタシー 20
 アイソスタシー 21
 アイソスタシー 22
 アイソスタシー 23
 アイソスタシー 24
 アイソスタシー 25
 アイソスタシー 26
 アイソスタシー 27
 アイソスタシー 28
 アイソスタシー 29
 アイソスタシー 30
 アイソスタシー 31
 アイソスタシー 32
 アイソスタシー 33
 アイソスタシー 34
 アイソスタシー 35
 アイソスタシー 36
 アイソスタシー 37

 アイソスタシー 自己書評

※2018年1月5日から10月26日にかけてYahooブログに連載した同名の作品の転載です。



 索引

  プロローグ

 人類は、幾度と無く繰り返される試練を乗り越え、種としての繁栄を続けてきた。
 氷河期、旧人から新人へと自らを進化させ、他の動物とは一線を画す高度な知能で乗り越えた。
 自らが招いた温暖化と、それに伴う未曾有の食糧危機も、生産地のシフトを国際協力の下で行い、同時に化石燃料からの脱却を進め、現在では僅かずつではあるが効果が見られるようになってきた。
 温暖化の危機を経験した事により、地球にだけ生活の基盤を置く現状があまりに脆弱であることが、議論されるようになってきた。議論は、太陽系内への広範囲の殖民計画へと展開し、ラグランジュポイントへのスペースコロニーの建設、月への植民、火星のテラ・フォーミングが国際協力の下で行われることが決まった。
 日本政府も、第一段階のスペースコロニー計画に参画するため、宇宙移民事業団を創立し、スペースコロニーの建設、及び移民の募集や殖民を行うようになった。
 宇宙移民事業団の地上の拠点である管制センターは、大隈半島の内之浦に置かれた。
 スペースプレーンが発着できるカタパルト付きの滑走路を備え、地球軌道上にある日本の全ての施設の管制を行うと共に、今後の宇宙開発計画の全てを統括する一大施設である。
 宇宙開発事業団、内之浦管制センターという正式名称が与えられているが、職員と家族を含めると1000人を超える人々が、管制センターの敷地内に居住し、少人数制の小学校と中学校も併設する小都市のようなスケールである。
 その管制センター内を一人の中年女性が、あたふたと駆け抜けていく。二階の更衣室を飛び出すと、廊下の端の階段を目指して走っていった。途中のエレベータにちらりと目をやったが、六階に止まっていた。四階なら走った方が早いと思って諦め、階段を目指した。
 帰宅準備をしていた彼女は、突然の呼び出しに、慌てていた。呼び出しでは、何も説明が無く、「制御室から離れられないから、大至急、来い」とだけ命じられた。センター長から命令形で呼び出されるのも、大至急と言われるのも、初めての事だった。ただ事ではない緊張感が、センター長の声に込められていた。
 だから、彼女は、センター長の征矢野が詰めている制御室まで走るしかなかった。
 走っているのは、彼女だけではなかった。いや、廊下を歩いている者は、一人もいなかった。激しいドアの開閉音と共に、何人もの人々が廊下に飛び出し、走り去った。そして、ほぼ同じ数の人々が、階段を駆け上がり、駆け下り、部屋に飛び込んでいった。
 彼女は、そんな人々とぶつかり合いながら、時には壁に飛ばされながら、制御室に向かった。途中で夫とすれ違ったが、気付かないのか、見向きもしてくれなかった。夫だけでなく、日頃なら挨拶を交わす同僚達も、視線を合わせる以上の事はしなかった。ただ、その目は、「もう駄目!」と言っているようだった。
 彼女が、四階の制御室に辿り着いた時に見たものは、悲壮感と絶望に打ちひしがれた征矢野の顔だった。
 彼は、直ぐに彼女を見付けた。
「帰り掛けていたところをすまなかった。早々で悪いが、大至急、職員の家族をセンターに呼び寄せ、飛鳥に脱出させてくれ」
 彼女は、事態を把握しようと思考を巡らせた。だが、どうしても、一つの単語に引っ掛かってしまう。
「脱出……ですか?」
 彼女は、その単語を口にした。
「そうだ。脱出だ」
 征矢野は、静かに言った。
 その言葉の重みを、彼女は理解した。様々な思いが去来したが、それを振り切り、今すべき事を整理した。彼女の専門は気象学だったが、そんな事を言っていられなかった。頭の中の整理が付いたところで、口を開いた。
「わかりました。早速ですが、センター長も息子さんに連絡を入れ、こちらに呼び寄せてください。他の職員にも、そうしてもらいます。私は、警備に協力を依頼して、受け入れと脱出の手配をします。それでよろしいですね」
 征矢野は肯いたが、直ぐには電話する気配が無かった。
 彼女は、手近の電話で自宅に連絡を入れ、中学生の一人娘に管制センターへ急いで来るように伝えた。その横で、職員達の必死の声が響いた。
「コンピュータは、まだ復旧できないのか?」
 いつも、冷静な征矢野の声が、裏返っていた。
「駄目です! 再起動しましたが、起動が完了すると同時に、ロックしてしまいます」
「ネットワークから切り離すと、ロックしません。ネットワークに問題がある筈です」
「ネットワークのトラフィックは、問題になるほど高くありませんよ。問題は、他にある筈です。例えば、サーバーとか……」
「サーバーも一台を再起動しましたが、直ぐにロック状態に陥ってしまいます。誰かが、外部からクラッカー行為を仕掛けているかもしれません」
「馬鹿な! ここのネットワークは、一般回線には繋がっていないぞ」
 制御室内の声が殺気を帯びていく。
 コンピュータがロックしているのが問題ではない。それだけなら、こんなに慌てる必要はなかった。今発生している深刻な問題に対処するために必要な、最強にして唯一の道具が、コンピュータなのだ。それが使えない。
「管制センター内なら、できない事もないよな」
 誰かが、ぼそっと言った。
「犯人が、ここの職員だというのか!」
 口論を続ける二人の声に、征矢野は表情を強張らせた。
「そんな事は、言っていませんよ。ただ、考えられる可能性を言っただけですよ」
「犯人が、職員だという可能性をか!」
 男は、立ち上がって、噛み付く勢いだった。
 まずい兆候だった。現在の重大な局面に対応しなければならない職員の姿勢が、コンピュータのロックによって、崩れかかっていた。にも関わらず、征矢野の行動は、緩慢ささえ感じられた。
 そんな征矢野の様子に、女の直感とでも言うのだろうか、彼女は一つの原因を見つけ出していた。
(センター長は、犯人に心当たりがある? …… まさか?)
 彼女は、片隅に浮かんだ邪念を振り払った。
 管制室の隅に移動すると、コードレスフォンで警備を呼び出し、手順と配置を指示した。続いて、資材部にも電話し、ベルトとロープをスペースプレーンへ運ばせた。
 一通りの指示が終わると、もう一つの問題に相対した。ナンバーを思い出しながら、ダイヤルした。直ぐに呼び出し音がなり始めたが、相手は簡単には取ってくれなかった。呼び出し音に注意を払いながら、征矢野の様子に見入った。
「犯人探しは、後でもできる。復旧だけを考えろ。制御室と通信室以外のネットワークは総て切れ。ネットワークが原因なら、それでサーバーを再起動すれば復旧できる」
 征矢野の指令に、数人の男達が飛び出していった。物理的に、ネットワークを切るのだろう。彼女は、男達の労力が報われる事を願った。
 結果は、予想より早く出た。
「あれ、動き出した。復旧したみたいです」
 素っ頓狂な声が聞こえてきた。それを合図に、全員が持ち場のコンピュータを確認し始めた。
「テレメトリング、OKです」
「燃料系、OKです」
「軌道計算、OKです」
「軌道観測、OKです」
「推進、OKです」
「記録、OKです」
 あちこちで、同様の言葉が発せられた。
 チャンスと思い、彼女は征矢野に声を掛けた。
「センター長、今すぐ、息子さんに連絡してください」
 呼び出し中のコードレスフォンを差し出した。掛けた先は、征矢野の自宅だった。そこには、娘の同級生の男の子が居る筈だった。彼も、飛鳥に脱出させなければならない。だから、コードレスフォンを押し戻されても、食い下がろうと思っていた。……が、征矢野はあっさりと電話を取った。彼女は、会話が聞こえないように少し下がった。
「燃料パレットの残量を確認しろ。緊急時用の資源パレットも、直ちに推進装置に回せ。起動計算担当、残量から計算して、回避のための推力をかけろ。上手く行けば、大気層で跳ね飛ばせるかもしれない」
 電話に応答するまで、征矢野は次々と指示を出し続けた。
「燃料パレットの残量は、ゼロです」
 予想の範囲内だったらしく、制御室は平静を維持していた。しかし、次の一言で、一瞬にして静まった。
「資源パレット、残量……、残量はゼロ。ゼロです」
「再確認しろ。資源パレットの残量がゼロの訳がない。もう一度確認しろ!」
 その瞬間、電話が繋がったようだ。征矢野は、しばらくの間、受話部を手で押さえたまま、残量の再確認と使用記録のチェックを命じていた。それが済むと、やおら用件を伝え、直ぐに切ってしまった。
 彼女としては、征矢野の息子に状況が伝わったのか、少々不安だったが、最低限の仕事はした。既に、職員家族の受入態勢と搭乗割り当ての基本方針は、整えてある。残る仕事は、四機のスペースプレーンの打上げ手順だけだった。だから、制御室内に留まり、状況を見守った。
 正直言って、スペースプレーンが4機もあるのは幸運としか言いようが無い。
「所長、まさか、あれが落ちてくるのですか?」
 センター長から「脱出」と言われた時から、彼女も気付いていた。ただ、口に出して確かめるのが怖かった。でも、彼女が知る回避策が全て駄目になってしまった事を知った今、はっきりさせておく必要があった。間もなく、官舎に住む数百人の家族がここに集まってくる。彼らに、状況を説明し、脱出に協力してもらわねばならない。
「もう、避けきれないという事ですか?」
 センター長が、「念のため」とは言わないと分かっていたが、「念のためにやっている」と言ってくれる事を期待してもいた。そして、小惑星の墜落が回避できれば、直ぐにでも、脱出計画を白紙に戻すつもりだった。
「資源パレットの使用記録はどうだ?」
「使用した形跡はありません」
「残量計が狂っているのか?」
「いいえ、間違いありません。資源パレットの残量は、ゼロです。推進剤は、全く残っていません」
「残量計は無視しろ。資源パレットがあるものとして、対応する。資源パレットのコンテナは、推進装置まで移動させられるか?」
「今やっていますが、ちょっと変です」
 燃料担当は、首を捻りながら、コンピュータに向かった。
 資源パレットは、緊急時の燃料用として確保してあった。
「駄目です。資源パレットが動きません」
「繰り返し、やってみろ」
 返事はなかった。彼は、何度も同じ操作を繰り返し試みていた。
 征矢野の顔色は、見る見る青ざめていった。
「誰でもいい。最悪の事態を回避する方法を提案してくれ。どんなアイデアでも構わない」
 ざわざわと、耳障りな話し声が続いた。
「月面の資源局のマスドライバーで、パレットを打ち込んでもらう手は……ないですよね」
 誰かが、自信無げに言った。
「パレットが届く頃には、すべてが終わっているよ。おまけに、位置が悪い。月から打ち込めば、状況を悪くしかねない。さぁ、他にはないか?」
 征矢野は、周囲を見回した。
「IAUに依頼して、核を打ち込んでもらったら、どうでしょうか」
「小惑星迎撃システムか。間に合うのか?」
 征矢野は、軌道計算担当に視線を送った。
「無理です。たった今、発射しても、軌道を変える程の効果は得られません。残り時間は、一時間を切っています。核爆発で軌道を変えるには、大気圏突入の十時間前には命中させなければなりません」
 軌道計算担当の一言には、誰も言い返せなかった。
「第一、アメリカ政府が動くまで、日単位で時間が掛かりますよ。まあ、核で粉々に破壊できるなら、いくらかマシになりますが……」と、ぼそっと言い添えた。
「核も諦めよう。他にはないか?」
 しばらく、ざわついていたが、直ぐに静かになった。誰も、征矢野とは視線を合わそうとしなかった。アイデアが尽きたらしい。
「他にはないのか!」
 征矢野は、喝をいれたつもりだろうが、その声はヒステリックに聞こえた。
 その様子を見ていた彼女は、そっと、その場から離れた。
 もう、脱出作戦を敢行するしかなかった。一人でも多く、地球から脱出させなければならなかった。四機のスペースプレーンの打上げスケジュールを大至急作り、管制部と航空運行部に指示を出す必要がある。それに、説得にも当たらなければならない。スペースプレーンを定員しか乗せないで打ち上げるつもりはなかった。定員以上に乗せる方法は、既に考えてあったし、必要になる物は資材部に依頼済みだが、それを航空運行部に納得させる自信はなかった。
 彼女は、粘り強く交渉し、最善の策を実行に移す事を、心に誓った。
 制御室を出る時、征矢野の沈んだ声が聞こえた。
「推定時刻と地点はどこだ?」
 その答を聞く前に、彼女の背後で制御室の扉が閉まった。

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  津波

  - 1 -

 机の脇で、電話が鳴っている。
 隼人は、その事に気付いていたが、気にもしていなかった。そんな事より、宇宙移民事業団の管制センターのサーバーに侵入して処理させているプログラムの処理速度が、異様に早くなっている事が気になっていた。
 彼は、管制センターのサーバーを介して、管制センター内の総てのコンピュータに、宇宙大規模構造をシミュレーションするプログラムを侵入させ、コンピュータを使用していない時間帯を利用して実行をさせていた。このプログラムの優先度は最低に設定してあり、通常の業務を阻害する事がないようにしてあるので、当然、一つ一つのコンピュータでの処理は遅い。それが、今夜に限って、今までに例が無いほど、処理速度が高かった。
「まさか、最高優先度になってるんじゃ……」
 冗談交じりに呟いたが、急に不安になってきた。
「カツフミ、プログラムの優先度をスクリーンにレポートしろ」
 彼は、父の名前を付けた音声入出力インターフェイスに命じて、各コンピュータで処理しているプログラムの優先度を調べさせた。
 ディスプレィに新しいウィンドウが開き、次々に優先度を表示していった。隼人は、その表示を目で追った。見た目の優先度は最低レベルになっていたが、CPU処理時間が100%に近い値になっていた。
(おかしい!)
「カツフミ、総ての処理を中止しろ」
 彼は、管制センターのサーバーを通じて、各コンピュータで実行していたシミュレーションの処理を途中で止めた。
『シミュレーションを総て中止しました』
 カツフミは、平板な合成音声で、結果を報告した。
「最低優先度で計算終了分のデータを取り込め」
『最低優先度で計算終了分のデータ取り込みを開始します』
 宇宙大規模構造をシミュレートするために、大量のデータについて、膨大な計算を繰り返す必要があった。そのデータ量と計算量は、パソコンで実行するには、容量的にも性能的にも不可能だった。隼人は、シミュレーション自体は、管制センター内の数千台はあると思われるパソコンに分散して行う事を思い付いた。
 隼人のIDは、宇宙移民事業団の管制センターのサーバーのアクセス権を有していた。
 中学一年の夏休みに、事業団主催のコンピュータプログラムコンテストで最優秀賞を貰った際の御褒美として、指定された時間帯だけの条件付きながら、管制センターのサーバーのアクセス権を貰った。このIDは、管制センターの公開情報や一部の非公開情報へのアクセス権を与えていた。もちろん、非公開情報といっても、内容が専門的なために一般への公開が意味を成さないということで非公開と言っているだけで、関係する大学や研究機関には公開している情報だった。
 隼人には自慢のIDだが、同級生は、やっかみ半分で「オタクのID」と言い、隼人を馬鹿にした。それに反発を感じた隼人は、指定時間外も使えるように、不正にIDレベルを書き換え、興味を持ち始めた宇宙大規模構造のシミュレーションに使うようになっていた。
 今は、指定の時間帯から外れている。なぜか最低優先度で実行している彼のプログラムが、管制センター内の総てのコンピュータで、最大のCPU使用時間を消費していた。こんなにCPUが使用できたことは、過去には無かった。大きな問題になる前に、管制センターの総てのコンピュータから、データを取り込んでおきたかった。
 隼人は、カツフミが結果を報告するのを待ちながら、窓の外を見詰めた。
 鹿児島県大隈半島にある宇宙移民事業団の官舎の窓から、西の空に夏の夕日の残光が消え去るのを見てから、既に二時間が過ぎていた。反対の東側からは、事業団の管制センターが見えるのだが、隼人は、遅い時間まで明るい西向きの方が好きで、父に頼んで西向きの部屋を自室にしてもらった。
 その父は、まだ帰ってこない。
 父と離婚し、姉を連れて沖縄の実家に戻った母が恋しくなるのは、夕食を一人で食べる時だ。今晩も、中学校から帰ると、一人で準備し、一人で摂った。食卓には、冷たくなった父の分だけが残っている。
 管制センター長を務める父は、ちょうど資源採取用小惑星を地球軌道に投入するところで、昨晩は管制センターに泊り込んでいた。小惑星は、今夜中に地球周回軌道に投入されるので、明日の夕飯から一緒に食べられそうだと、電話の父は言っていた。だが、管制センターで何かが起こっているらしく、今日も帰りが遅い。
 まさか、管制センターのコンピュータに異常が発生し、父の帰りが遅くなっているのだろうか。
『取り込みが終了しました』
「カツフミ、接続情報消去プログラムを実行しろ」
 今回のような事を想定した訳ではないが、予め、接続情報を消して追跡を逃れるツールを用意してあった。
『接続情報消去プログラムを実行します。……接続情報消去プログラムは終了しました』
 ふうっと、溜息が漏れた。
 これで、犯人が誰か、掴む事はできないだろうと思うと、ほっとした。
「カツフミ、接続を切れ」
『接続を切断しました』 
 カツフミは、間髪を入れずに処理結果を報告した。
 隼人は、休む事無く鳴り続けている電話を取った。表示を見ると、管制センターからだった。父だろうと思い、電話に出た。
「はい、隼人です」
 父は、電話を掛けながら、同時に、何かの仕事をしているらしく、電話口の向こうで周囲の者に次々と命じていたが、その声は、やおら隼人に向けられた。
「着替えをまとめて、急いで発射管制センターまで来い!」
 枉ごう事無き、父の声だった。が、父にしては珍しく、頭ごなしに用件を言った。
 日頃は、物静かで、いかにもエリート技術者の雰囲気を湛える父だが、慌てているのが声だけでも良く分かった。今までに、一度も感じた事が無い父の狼狽ぶりに、ただならぬ状況を感じた。
 父は、管制センターから電話をしているようだった。電話の向こうから、怒声が飛び交うのが聞こえてくる。管制センター全体が、騒然としているようだった。
(シミュレーションを最高優先度で走らせた事が、管制センターの混乱の原因なのだろうか?)
 隼人は、恐る恐る聞いてみた。
「お父さん、どうかしたの?」
 父の返事を、隼人は、生唾を飲み込んで待った。
父は、何も言わず、一方的に電話を切ってしまった。
 電話が切られると、一気に静粛が戻ってきた。
 常温ジョセフソン素子を使うパソコンは、消費電力が少ないので冷却ファンを時代遅れにした。大容量の外部記憶も半導体化されたため、静粛を阻害するような騒音は、一切出さなかった。
 その静粛さが、隼人の背筋に冷たいものを走らせ、根拠の無い不安を感じさせた。
 気を取り直すと、隼人は、自作のパソコンの片付けを始めた。
 彼のパソコンは、持ち運びを容易にするため、アタッシュケースに組み込んであった。
 ディスプレィは、アタッシュケースの裏ブタに。アタッシュケース本体奥にキーボード。キーボード下の大部分をメモリが占め、残った隙間に、電源装置とバッテリーやケーブル類の小物入れが肩身も狭く納まっている。
 宇宙大規模構造のシミュレーションは、結果を保存するだけでも、常識を超えた大容量メモリが必要だったが、市販のパソコンには隼人を満足させる機種が無かった。それが、隼人をパソコンの自作に踏み切らせた唯一の理由だった。
 一見すると、前時代的なパソコンだが、隼人の要求を満足するメモリ容量を確保しようとすると、時代錯誤の形態にならざるを得なかったのだ。
 パソコンの旅行準備ができたところで、着替えを用意しようとウォークイン・クローゼットに入ったが、一体、何日分の着替えを用意したら良いのか、父から聞いていなかった事を思い出した。直ぐに、父の携帯電話に掛け直してみたが、延々と呼び出し音が続くだけで、一向に電話に出る気配がなかった。
(飛鳥への見学が、急に許可されたのかな?)
 高度千六百八十四キロメートルに浮かぶ軌道ステーションの飛鳥には、以前から見学の希望を出していた。飛鳥は、その内部に無重力研究設備を持ち、老朽化が進んでいるとは言え、今も多くの研究者が長期に滞在して研究を続けている。国際スペースコロニーへの中継基地も兼ねるので、スペースコロニーに行く際に、経由地として通過した事は何度かあるが、研究施設の見学は一度もできなかった。
(まさか?!)
 父の電話の雰囲気からは、とても、そんな呑気な雰囲気ではない気がしたが、もしかしたら、小惑星の軌道固定の作業と重なって、いつにない話し振りになっただけなのかもしれない。
(飛鳥の見学なら、三泊分もあれば充分だ)
 飛鳥への旅行なら、父も一緒に行くはずだ。隼人は、二人分の着替えを手早く鞄に詰め込んだ。
 父が母と離婚してからも、多忙な父が家事をする事は少なかった。仕方なく、隼人が家事を受け持つ事になった。そのお陰で、料理の腕も上がった。旅行の支度なんか、訳もない。着替えだけでなく、何がどこに仕舞ってあるのか、総て把握していた。
 隼人は、留守番コンピュータに三日間の旅行をセットし、戸締まりと火の始末を命じた。そして、旅行鞄を肩に担ぎ、重いアタッシュケースを手に持ち、官舎の外に出た。

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