伊牟ちゃんの筆箱

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  - 2 -

 二時間後、隼人は、宙美母子と一緒に、連絡船を降りた。
 直前に、大量に飲んだアイソトニック飲料が、お腹の中でタップンタップン音を立てて揺れている。
 無重力空間では、下半身の体液が上がってしまい、尿で体外に排出される。このまま、重力のある世界に戻ると、下半身に体液が落ち、脱水症状となってしまう。だから、重力がある世界に戻る前に、しっかりと水分を摂っておくのだ。ところが、まだ無重力なので、強引に飲んだ水分は、上へ上へと押し上げ、吐き気を催す。
 隼人は、膨張した胃を感じながら、連絡船のハッチを抜けた。
 飛鳥同様、ドッキングポートは、無重力である。連絡船を降り、ハーフパイプの乗り場まで、狭いトンネルを、手摺を頼りに移動する。
 ハーフパイプは、飛鳥のものより小型で、二.五メートル立方のゲージの中に、十二人しか乗れない。しかし、三十ものサテライトがあるドッキングポートから、重力エリアまで、乗り換え無しで移動できるし、数十基のハーフパイプが行き交うので、乗り場で待っていれば、次から次にやってくる。
 隼人と宙美親子の三人は、日本人街があるオリエント管に向かった。
 オリエント管は、三つあるリングの中で最も北側のリングなので、ドッキングポートから約五キロもある。更に、スポークの中を三.五キロも下らなければならないが、ハーフパイプは、その距離を十分余りで連れて行ってくれる。
 アトランティスは、飛鳥と違い、ドッキングポート以外の総てが自転している。ハーフパイプは、ドッキングポートからシャフトに入る際に、一旦停止する。
 更に、オリエントハブで、スポークへの方向転換する際にも、一旦停止する。ここで、それまでの、無重力空間での水平移動に対し、重力空間での垂直移動に変わる。この時、加速を背中で受けるように、ハーフパイプ自体の向きが変わる。
 スポークに入って直ぐ、隼人は、スペースプレーンがオービターから切り離された直後のような、猛烈な加速を背に感じた。加速で、体が鉛のように重くなり、ベッドに沈み込む感触を覚えた。経験が無ければ、ハーフパイプが暴走を始めたと勘違いしそうだが、これで通常の重力とほぼ同じだった。丸一日の無重力空間での航行が、感覚を狂わせてしまったのだ。
 この加速は、僅か十秒余りで終わり、ベッドが半回転する。それから、約二分、同じ加速が続く。この加速は、本当は減速で、最初の加速で得た速度を利して、三.五キロのスポークを、一気に下るのだ。
 ハーフパイプが停止した時、本当に静止したのか、初めての者には分からないだろう。それまでの加速と変わらない加速感が続いているからだ。ハーフパイプ自体が九十度回転しベッドが垂直になって、漸く重力エリアに到着した事を知るのだ。
 隼人は、すっかり楽を覚えた筋肉に鞭打つように、ハーフパイプを降りた。体は、プールから上がった直後のような重さで、滑り止めの小さな突起にも躓いた。
 降りた場所は、税関の入り口だった。三人は、税関で荷物の検査を受けた。
「隼人君、こちらにいらっしゃい」
 宙美の母の優しい声が、隼人を呼んだ。
 できれば、別々に税関を通りたかった。だが、宙美の母が身元引受人となっている以上、一緒に行動するしかなかった。
「これは、パソコンですか?」
 税関の職員は、業務的な声で、隼人のアタッシュケースの中を見た。
「自作のパソコンです」と小さな声で答えた。
 ひた隠しにしてきたパソコンを、二人には見られたくなかったが、隠しようがなかった。できれば、起動したくなかった。事業団のコンピュータにハッキング紛いの手段で侵入し、しかも総てのパソコンを一時的にロックさせてしまった事がばれないかと、隼人は冷や冷やしたが、税関の職員は、平然と業務を遂行していった。彼は、避難民が、それも特大サイズのパソコンを持ち歩く不自然さなど、一向に気にしていなかった。
 ただ、宙美親子は、怪訝な表情の中に、少しばかり不快感も滲ませていた。税関のチェックが終わったところで、宙美がすたすたと近寄ってきた。隼人は、逃げ場を探したが、そんなものはなかった。
「隼人君、パソコンなんか持ってきたの? それも何十台分もありそうな大きなのを」
 隼人は、頷くしかなかった。
「荷物も二つだし、どうして、二つも荷物を持ってこれたのよ」
「あ、いや、あのね、お父さんの着替えも入ってたから」
 ほとんど、シドロモドロになった。
 管制センターでスペースプレーンに乗る際、重量制限で一人に一つの荷物しか許されなかった。実際、宙美親子は、それぞれ中くらいの大きさのバッグを一つずつしか持っていなかった。
 宙美が、隼人の言葉を信じたかどうかは分からないが、それ以上の詮索はなかった。
 三人は、税関を抜けると、最寄りの周回鉄道の駅に向かった。
「隼人君、兄の家は、Cブロックにあるの」
 アトランティスのリングは、それぞれ六個ブロックがある。そられのブロックは、森林地帯、または住宅地となっていて、交互に配置されている。入出国税関は、森林地帯であるFブロックの地下にあり、その中央からハブに向かってスポークが伸びている。
「周回鉄道で行くんですね」
「良く知ってるわね。そうよ。今から、駅に行くのよ」
 周回鉄道は、リングの最下部を走る高速鉄道で、主としてブロック間の移動手段として用いられる。
 税関を出ると、地下とは思えない巨大な円筒形の空間が待っていた。Fブロックの地下公園である。地下にも関わらず、数基の強い照明によって、驚くほど明るく照らされている。
 ドーム状の天井の高さは、五十メートル以上はあるだろう。直径も、二百メートルを軽く越える。中央には、巨大な柱のように、スポークが貫く。その周囲に、官庁の窓口が並んでいる。
(スポークって、こんなに太かったんだ)
 スポークの直径は、七、八十メートルあるだろうか。天井の高さに比べて幅があるので、特に太さを感じるが、本当の長さが三千五百メートルもある事を考えると、糸のように細いと言うべきかもしれない。
 リングは、スポークで支えているわけではない。スポークは、自重に耐える以上の強度は持たない。リングは、それ自体の強度で形状を維持している。リングには、自転による遠心力が働いているが、張力に強い素材で、それにも1気圧の内圧にも耐える構造になっている。一種の柔構造で、構造的には軟式飛行船に近い。
 スポークを中心にした地下公園は、イギリス庭園のように、幾何学状に通路と植栽、花壇等が配されている。全体が円形なので、中の模様も円が基調になっている。少し高い所に上がれば、ミステリーサークルのように見える筈だ。
 三人は、回廊となっている官庁前の通路を歩き、周回鉄道の駅に降りるエレベータホールを探した。
 隼人達の前にも、そして後ろにも、重い足を引き摺る避難民の姿があった。彼等は、薄汚れており、目も空ろで、足取りも重い。誰が見ても、普通ではないと感じるのではないだろうか。
(僕も、彼等と同じ様に見えるんだろうな)
 隼人は、恥ずかしくなった。
 三人は、エレベータで、地下の周回鉄道の駅に着いた。
 隼人は、避難民に配られたクレジットカードを手に、切符を買おうとした。
「待ちなさい、隼人君。あなたのクレジットは、これから必要な事がある筈だから、今は仕舞っておきなさい。ここは、私が買うわ」
「でも……」
「そんなに気になるんなら、社会人になった時に、あなたの稼ぎの中から返してくれればいいわ。そう、出世払いよ。だから、私が傍に居る間は、あなたは、そのクレジットを使わないようにしなさい」
 隼人は、深々と頭を下げた。
 周回鉄道は、六十人乗りの車両一両のみのリニアモーターカーで、自転と逆方向にのみ走っている。
 リング内には、九箇所の駅があり、並行に八路線が走る。路線毎に、各駅に停まる列車、一駅置きに停まる列車、二駅置きに停まる列車といった具合に、通過する駅の数が決まっている。このため、路線毎に、事実上の行き先が決まる。乗り間違いを除けば、停車駅毎に全乗客が入れ替わる。だから、片面に十箇所のドアが並び、乗降性を確保すると共に、三分間の停車時間がある。
 各路線毎に九両の列車が同一線路上にあり、全駅で同時に発車し、同時に停車する。各駅に停車する路線では、五分足らずの間隔で運転しており、最も通過する駅が多い路線でも、十分足らずの間隔での運転となっている。
 思いの外、便利な交通機関である。
 自転と逆方向に高速で走るので、実質の自転速度が遅くなり、重力が小さくなる。自転速度は、およそ秒速百九十メートルだが、周回鉄道は、秒速四十五メートルまで加速するので、重力は七分の四くらいまで小さくなる。
 三人が乗ると、一分もしない内に最高速に達し、体も軽くなった。
『御乗車ありがとうございます。目的地のCブロック第二駅までは、四分足らずの御案内となります』
 合成音声によるアナウンスが流れた。
「地球の重力も、これくらいだったらいいのに」
 ハーフパイプを降りて以来、自分の体の重さに辟易としていた隼人は、弱音を吐いた。
「こんなに弱かったら、体も弱くなっちゃうわよ」
「でも、これくらいなら、走れるし、ちょうどいいと思うんだけど」
「無重力よりは、マシね。無重力だと、下手に浮いちゃうと、誰かに助けてもらうまで、空中を漂ってしまうものね」
 飛鳥の欠点である静止エリアから自転エリアへの乗り移りも、地上と同じ重力があれば、エスカレータの乗り降り程度にしか感じないだろう。だが、無重力だと、手で移動せざるを得ないので、ああいった乗り移りも、充分な慣れを必要とする事になる。
『……グゥー……』
「今のは、何の音?」
 隼人は、恥ずかしくて、自分のお腹の音だとは言えなかった。
「お腹がすいたでしょう。日本も、飛鳥も、日本時間を使っているし、今はサマータイムだから、こことの時差は二時間になるものね。もう、十二時を回っている事になるわ」
 隼人は、素直に頷いた。
 彼女は十二時と言ったが、腕時計は十時を指していた。電波時計の信号を受信し、その土地の標準時に自動的に合わせる機能があるからだ。
 三連のドーナツ管は、それぞれ八時間の時差がある。これは、太陽光を有効に利用し、かつ、役所や工場等の設備を有効に機能させるためである。オリエント管は、日本に近い東経百二十度の子午線に合わせた標準時を採用している。ユーロ管は、ズールー時(グリニッジ標準時)、アメリゴ管は、アメリカ西海岸の標準時を採用している。
 オリエント管は、日本や飛鳥とは一時間の時差がある。特に、サマータイムを採用している現在は、二時間の時差になる。でも、これくらいの時差なら、ほとんど意識しないで済む。ただ、腹時計は正確で、お腹がすいてたまらなかった。
 列車が、Cブロック第二駅に着くと、三人は、エレベータで地上に出た。
 アトランティスに来て初めて、地上の空気に触れた。出た場所は、湖畔の公園だった。気象スケジュールは見ていなかったが、真夏の日差しが照りつける快晴だった。見上げると、真上に太陽が輝き、湖面はそれをきらきらと反射していた。
 直ぐ脇には、大きな電子掲示板があり、人物の顔と名前、略歴と公約が表示されていた。どうやら、選挙の真っ最中らしい。
「思ったほど、暑くないのね。助かるわ」
 宙美の母は、眩しそうに空を見上げた。
「ほんと。涼しいくらいだわ。高原に居るみたい」
「緑が多いからだよ」
 一周が二十キロメートルに及ぶアトランティスの内部は、濃い緑に覆われている。高層建築は全く無い。住宅や病院、学校等を除くと、大部分の建物は、地下に存在する。道路も、鉄道も、地下に押し込められている。そのせいで、家々の間も、総てが緑の林で覆われている。
 さわやかな空気と、木々の中にぽつんぽつんとしか見えない住宅は、高原の別荘地に着いたような気分にさせる。
「折角だから、湖畔で、食べましょうか」
 宙美の母は、地下のハンバーガー店で三人分のハンバーガーとジュースを買うと、また、地上に出てきた。三人は、湖畔のベンチに座り、ハンバーガーに齧り付いた。
 ここの湖水は、リングの重量バランスを適正化するため、常に水位を調整している。また、二酸化炭素を吸収する役目も担っている。
 その水面を、風が細波を作りながら吹き抜けていった。
「あっ、魚が跳ねた!」
 宙美が叫んだ。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ。今の見た? 大きな魚が、跳ねたのよ!」
「見逃しちゃったよ。本当に、大きかった?」
「本当よ。なんで、見てなかったのよ。見てたら、大きかったのが分かったのに」
 彼女は、手振り身振りで、魚の大きさを説明した。
「宙美。早く食べなさい。大地君を待たせてるのよ。それに、魚の大きさなんかどうでもいいじゃないの」
 宙美は、文句を言いたそうだったが、手に持ったハンバーガーを口にした。
 その時、三人の目の前で、魚が跳ねた。小さな魚だったが、尾が水面を叩き、大きな水飛沫が上がった。
「小さいね」と、隼人は皮肉たっぷりに言った。
 宙美は、膨れっ面のまま、残りのハンバーガーにかぶり付いた。

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  - 3 -

 十五分後、宙美の母は、二人を連れて、循環軌道バスに乗り継いだ。
 循環軌道バスは、周回鉄道の駅を基点に、四路線を持つ。路線の一周が三キロ前後で、十箇所のバス停を十分で回る。それぞれ、内回りと外回りがあるので、最大五分の所要時間で駅に着ける。時間帯にもよるが、五分から十分おきに走っているので、それを加味しても、十五分以内に駅に着き、エレベータかエスカレータで下りるだけで周回鉄道に乗り換えられる。
 三人は、四つ目のバス停で降りると、今度は動く歩道に乗り移った。
 歩道の起点と終点が六十度横に曲がった高速型で、乗り降りする部分は時速四キロ程度だが、中間部分は時速八キロに加速する。五十メートル毎に乗り継がなければならないが、この上を歩くと、自転車並の速さになるので、風を斬って歩く感覚が楽しい。
 壁面の所々には、明かり取りと換気を兼ねた横穴が穿たれているが、これが不要くらいに十分な照明が施されている。
 この動く歩道を四本も乗り継ぐと、住宅街のどこからでも、バス停まで出てこれる。
 周回鉄道、循環軌道バス、高速型動く歩道の組み合わせで、リング内なら、どこへ行くにも四十五分以内で行ける。十八平方キロメールに近い広さがある事を考えると、早いと言えなくもない。
 動く歩道を三回乗り継ぎ、最後の動く歩道が終わった所で、三人は動く歩道から逸れた。そこから何歩も歩かない内に、宙美の母は立ち止まった。地下道の最も奥、リングの内壁が直ぐ目の前にある所だった。
 彼女は、地下道から二、三歩引っ込んだ扉の前に立った。扉の右横には、「UMEHARA」の表札が掛かっていた。
「隼人君」
 隼人は、名を呼ばれて、彼女の脇に近付いた。
「ここが、これからあなたが住む事になる家よ。私の兄は、外見的にはむっつりとした、取っ付きにくそうな研究者然としているけど、中身はそんな事はないから、心配しないで。どうしても困った事があったら、私に相談してね」
 隼人は、こんなに優しくしてもらえる事が、心底、嬉しかった。
 チャイムを鳴らすと、待ち兼ねていたように、一人の少年が飛び出してきた。
「おばさん、宙美、それに隼人君だったね。お待ちしていました」
 少年は、隼人と同い年の「梅原大地」のようだ。
「征矢野隼人です。よろしくお願いします」
 少年は、優しい微笑みを浮かべた。頬にエクボができる笑顔は、丸顔に似合う。背が高く、隼人は見上げなければならなかった。肩幅もあり、小柄な隼人よりも二回りは大きかった。
「僕は梅原大地」
 彼は、右手を差し出した。隼人は、その手を握り返した。暖かく、優しく、力強い手だった。頼れる兄貴の雰囲気があった。
「父は、仕事に出てるので、今は僕一人。だから、隼人君も肩の力を抜いて、気楽にしてよ」
 宙美に良く似た屈託の無い笑顔で、隼人達三人を家に迎えいれた。
 家は、地下一階、地上二階の三階建てで、玄関は地下にあった。大地の案内で、エレベータで二階の個室に通された。
 大きな家だった。二階には、バストイレが付いたゲストルームが二室と、同じ様にバストイレがある寝室が二室あった。隼人は、ゲストルームの一つに案内された。
「おばさんと宙美は、そっちの部屋を二人で使って。隼人君は、こっちだ」
 通された部屋は、鹿児島の自宅の部屋の二倍はある大きな部屋だった。
「大地君。僕一人に、こんな大きな部屋は要らないよ」
「じゃあ、宙美と同室がいいかい? それは、ちょっと問題だよな。じゃあ、おばさんと同室になりたいのかい? それも、問題だよな」と、大地は澄ました顔で言った。
 隼人は、自分の言葉が、そんな風に解釈できるのかと驚き、どう弁解すれば誤解を解けるだろうかと、思案を巡らせた。
「ははは。悪かった。ほんの冗談だよ。でも、これ以外に、部屋割りの上手い案が無いんだ。その内、いい案が浮かんだら、みんなで部屋の引越しをすればいいさ」
 大地は、頬にエクボを作って笑った。がっちりした身体つきだが、丸顔の童顔は、宙美同様、憎めない笑顔を作る。
「さあ、旅の疲れを取って、ゆっくりしてよ。僕は、下に居るから、用事があったら、インターフォンのリビングを押して呼び出してくれればいいよ」
 彼は、軽やかに階段を降りていった。
 一人になって、部屋を見渡した。花や絵などの飾り気が無いところが、男所帯を思わせるが、奇麗に片付けられていて、どこにも隙を感じさせない。
 部屋には大きな窓があり、外の景色を借景している。絵の様な明るい緑の木立は、緩やかな下り傾斜になっていて、昼食を摂った湖まで続いていている。湖面で反射する陽光が、木々の間を通して、部屋の中まで射し込んでくるようである。湖の向こうも、丘になっていて、豊かな緑の間に、様々な色の屋根を持った住宅が続いていた。
 入り口の右側には、大型クローゼットが続き、右奥の壁に沿って、セミダブルのベッドが置かれていた。ベッドの窓側には、木目の美しい大きな机が置かれていた。机の上には、何も置かれておらず、日頃から使っている様子はなかった。
 入り口の左には、トイレがあり、その隣がバスルームになっていた。
 早速、隼人は裸になり、二晩も浴びる事ができなかったシャワーを、ゆっくりと浴びた。バスルームから出てきた隼人は、裸のまま、大きく伸びをした。この二日間で、初めて、人の目から逃れる事ができた事が、心底、嬉しかった。
 荷物の簡単な整理が終わったところで、隼人は、服をきちんと着て、身だしなみを整えて、部屋を出た。
 今は、大地の父も居ないが、間も無く帰ってくるだろう。その時に、少しでも良い印象を与えたかった。これから、どれくらいの期間になるか分からないが、この家に居候させてもらうのだ。色々と迷惑を掛ける事になるだろう。財政的にも、負担が増えるだろう。だからといって、一旦預かった隼人に対し、「出ていけ」とは言い難いだろう。
 できるだけ負担にならないように、また、不快感を与えないように注意していこうと、隼人は心に誓った。
 下に降りると、宙美の母が、大地と楽しそうに笑っていた。隼人は、宙美の母が笑う顔を、初めて見た。これまでの苦難が嘘のような、明るい声を上げて、彼女は笑った。
 彼女の視線が逸れた瞬間に大地が見せた真顔を、隼人は見てしまった。それは、全くの偶然だったが、大地という少年の大きさを知る事ができた。大地は、宙美達の苦境を理解し、少しでもそれから解放してやろうと、心を砕いてくれていたのだ。
「あら、隼人君、疲れてないの? 宙美は、疲れが出たらしく、寝ちゃったわよ」
「そうなんですか。僕は、元気ですから、大丈夫ですよ」
 そう言った端から、欠伸が出た。
「ははは、身体は、正直だ。隼人君、しばらく寝ておいた方がいいよ。夕食時には、僕が起こしてあげるから」
「いや、おじさんが帰ってくるまでは、起きていようと思うんだ。だって、初対面なのに、寝ていたら失礼だろうと思って……」
「わっはっはっは……」
 一頻り笑った後、大地は、穏やかな表情で、隼人をじっと見た。落ち着いた表情といい、叔母の心情を察して、話題に細やかな神経を使う心配りといい、とても同級生とは思えなかった。
「そんな事は、気にしなくてもいいよ。……でも、ちょっと取っ付き難い雰囲気を持っているかもしれないな。ジギル博士みたいに」
 映画のジギル博士の顔を思い出し、思わず吹き出した。
「すみません。ジギル博士を東洋系の顔にしたらどうなるかと考えてたら、とんでもない顔になってしまって……」
 大地と宙美の母は、きょとんとしていたが、突然笑い出した。二人とも、東洋系のジギル博士の顔を考えたらしい。
「ちょっと違うような気もするけど、そうね、外見的には、そうかもしれないわね。だけど、隼人君、心配要らないわ。人見知りの激しかった宙美が、お兄さんに抱かれても、全然平気だったもの。赤ちゃんって、凄く敏感なの。恐い人かどうか、一目で見破ってしまうの。実の伯父って事もあるけど、宙美は、赤ちゃんの時から、ずっとお兄さんに可愛がってもらってきたわ」
 動物は、特に、犬は、人を見る目が鋭い。犬好きの人には尻尾を振るが、犬嫌いの人には吠え立てる。
 たぶん、赤ちゃんも、無垢な分だけ、人を見る目が鋭いのだろう。
 隼人は、宙美の目を信じたいと思った。
「僕の父は、定規が服を着て歩いているみたいなものだったから、東洋系ジギル博士とは、イメージが違うんだ」
「そうかしら。隼人君のお父様とは、仕事でご一緒させて頂いたけど、優しいお顔で、定規みたいに角張ってなかったわよ」
「いいえ、性格が定規なんです。何でもかんでも、定規で測ったように、きちんとしなければ気が済まないんです」
 大地は、また笑った。彼に吊られて、隼人も笑った。考えてみると、笑ったのは、一体、いつ以来だろうかと、悩んでしまった。でも、久しぶりに笑えた事は、ここの居心地が、自宅よりも良いくらいだという事だろう。すっかり、肩の力も抜け、リラックスする事ができた。 
「定規で測ったようなってのは、ちょっと言い過ぎだと思うけど、いつ御会いしても、きちんとした身なりでいらしたのは、私も感心していたのよ」
 宙美の母も管制センターで働いていたので、隼人の父とも何度も会っている。その中で、父の性格の片鱗を見抜いたようだ。
「ここは、リングの内壁の近くだよね」
「そうだよ。直ぐ裏に崖があって、その少し上は、リングの壁になってるよ。壁の外側は、宇宙空間だ」
「壁に穴が開いたら、大変な事になりそうだね」
「大丈夫だよ。壁は、三層構造になってるし、最外層の強度は高いから、スペースデブリくらいじゃ、穴は開かないよ」
 彼の説明では、最外層に太陽電池パネルがあるが、これを含めず、三層構造になっていると言う。太陽電池パネル自体も、表面を透明な被覆があって、小石程度のデブリでは、太陽電池パネルに被害が出ないようになっているそうだ。
 太陽電池パネルを除いた三層の構造は、概ね、次のようになっているそうだ。
 最外層は、積層の金属パネルになっていて、かなり大きなデブリにも耐えられるようになっている。どうしても、デブリとの衝突を避けられないので、定期的に交換できるようにもなっている。そのために、補修が容易な金属製になっている。
 二層目は、主として気密を保つようになっている。三層総てが気密構造だが、この層の気密性能は、他の層とは桁が違う。内側に、液状の高分子膜を用意し、小さな隙間も完全に塞ぐようになっている。極めて高い引っ張り強度も持っていて、三層目と強調して、内部の過重を支える。
 三層目は、内部の建造物や土砂の重さに耐えるようになっている。金属の骨格と複合材の膜で作られていて、垂直方向の過重も、主に引っ張り強度で支えている。
 大地は、堅苦しい話を避けるためか、話題を変えた。
「隼人君は、スポーツは何かするのかい? 実は、僕のバスケットチームは、人数がたりないんんだよ。君が入ってくれると、ちょうど五人になって、試合にも出られるようになるだけど」
 細やかな神経を遣う大地だけに、彼は何か意図があって言ってくれているような気がした。でも、自慢になるほどの運動音痴の隼人は、彼の足手纏いならないように、辞退する事にした。
「僕は、スポーツは苦手なんだ。大地君は、バスケットボールが好きなのかい?」
 背の高い大地だから、答えは分かっているような気がした。
「好きだよ」
 予想通りの答が返ってきた。
「じゃあ、NBAなんかも、見るんだ」
「そうでもないよ。プロのプレーは、レベルがまるで違うから、僕達には参考にならないんだ。だって、どうすればダンクシュートを打てると思う? それに、僕の場合、バスケットは同好会で、参加する事に意義があるって感じかな」
「大地君は、野球の方が好きだと思ってたけど、今はバスケットなのね。でも、野球は辞めちゃったの?」
 宙美の母は、少し残念そうに聞いた。
「うん。ここは、地上と違って、コレオリフォースが強いんだ。フライが上がると、不自然な流れ方をするから、中学生レベルだと危険なんだ」
 コリオリフォース。
 自転に伴う架空の力だ。フーコーの振り子の実験で、振り子の振れる方角が変わるのも、この力の影響だし、北半球で、高気圧が右回り、低気圧が左回りの空気の流れとなるのも、そうだ。ここは、自転周期が二分で非常に短い事と、自転の半径も三キロ程しかない事から、この力が強く現れる。
 前回、ここに来た時、父から教えられた。数学的には、高校レベルだそうで、かなり難しかった。
「ここは、高校からしか野球ができないんだ。だから、こっちに来た時、野球は諦めたんだ」
 大地は、最近になって、ここに来たような話し振りだった。隼人は、少し気になった。
「大地君は、いつ、こっちに来たんだい」
「君に、ちょっとばかり先んじただけさ」
 大地は、謎めいた言い方をした。「ふふふ」と笑う宙美の母が笑った。
「具体的に教えてよ」
 隼人を押し戻すように、大地は手を上げた。
「なに、四月に来たばかりだよ。父が、こっちの高校を受験するなら、中三の内に来た方がいいって」
 たかが、それだけの事だった。それだけの事で、彼は謎めいた言い方をした。
「一学期分だけ、僕が先輩さ」
「そんな事で、威張るなよ」
 隼人は、大地の肩を、ポンと突いた。
 リビングの扉が開いた。宙美が目を覚ましたのだろうと、隼人は、扉に目をやった。
「お、おじさま……ですね」
 隼人は、飛び上がって言った。扉の横には、気難しそうな顔の長身の男が立っていた。
 大地には、「東洋系のジギル博士」とは言ったものの、全然、イメージが違っていた。白いものが混じっているが、ふさふさしている髪は、やや長く、ぼさぼさ頭と言っても過言ではない。本来は、大地同様、丸顔だと思うが、頬はこけていて、実年齢よりも老けて見えそうである。身体も、頬と同様に痩身で、神経質さを物語っている。
 その彼は、部屋に入った所で立ち尽くし、隼人をじっと見据えていた。隼人も、気を付けの姿勢のまま、硬直していた。
「僕、征矢野隼人といいます。今日から、こちらで御世話にならして頂きます」
 隼人は、最敬礼した。
 隼人が頭を上げた時、彼は、まだ立ち竦んでいた。やつれた顔の中で、唯一、光を放つ瞳で、隼人の姿をじっと見ていた。
(どうして、何も言ってくれないんだろう)
 隼人は、不安になり始めた。
「出て行け!」と言われれば、それも仕方が無い。ここに置いてもらえないなら、他を当たるしかない。それ自体、そんなに大きな問題ではない。今なら、避難民の受入態勢も整っているだろう。何とかなるか筈だ。
 だが、受け入れてもらえるのか、それとも追い出されるのか、どちらとも判断がつかないのは、彼の家、彼の親族に囲まれている現状では、とても居心地が悪い。
 隼人は、彼からの返答を引き出そうと、身を乗り出した。
「君が、征矢野さんの息子さんか。道理で、良く似ている訳だ」と、彼は、独特の低音を喉で反響させて言った。
 あの鋭い眼光で、父との比較をしていた事を、初めて知った。
「安心しなさい。取って食おうなどとは思っていない」
 大地が、彼の声色を真似て、馬鹿な事を言ったので、隼人は、手首だけで、大地の言葉を払い除けるしぐさをした。
「どうやら、大地とも打ち解けたようだね。安心しなさい。私は、君を取って食おうってほど大食漢じゃないよ。でも、夜食が無い時は、君の腿が細くなってしまうかもしれないな」
 冗談も言うのか。
 外見とは違う気さくさに、隼人はほっとした。
「芙美子」
 宙美の母の名前は、芙美子というらしい。
「宙美の転校手続きをしておいたから、二学期から通わせなさい」
 宙美の母が、隼人の顔を見て、次に彼の顔を見た。
「大丈夫だ。隼人君の転校手続きも、一緒に済ませてある。隼人君の保護者は、芙美子の名前にしてあるから、頼んだぞ」
 彼は、また隼人を見据えた。
「来月から、大地と一緒に、学校に行きなさい。何も心配する事はないし、何も遠慮をする事はない。特に、勉学については遠慮しては駄目だ。行きたい高校があれば、どこへでも進学させて上げる。大学もそうだ。博士課程まで行きたいなら、必ず希望を叶えて上げよう。
 君のお父さんは、優秀な方だった。教育に関しては、私に遠慮する事は許さない。君を預かった以上、お父さんに恥ずかしくない教育を受けさせないと、彼に叱られてしまうからね。だから、私を父親だと思って、甘えてきなさい。その代わり、間違った事をしていたら、大地と同じ様に、厳しく接するつもりだ。それでいいね?」
 隼人は、涙を拭った。
「はい! よろしくお願いします」
 彼は、大きく肯くと、リビングを出ていった。
「なあに、寝ている間に取って食ってしまえば……」
 大地は、また、彼の声音を真似して言いだした。実の親子だから、声の質が似ている。
「大地君こそ、寝首を掻かれないように、気を付けた方がいいよ。何てったって、この家には、今晩からは僕が居るからね」
 大地は、隼人を何度も小突きながら、声を立てて笑った。

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  参考人

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 余程疲れていたのか、それとも居心地が良いのか、隼人が起きて食堂に入った時には、彼の朝食だけが残っていた。居候の身ながら、一番遅くまで寝ていたらしい。急いで、口に捻じ込むと、自分で奇麗に後片付けをした。家で、家事一切を仕切ってきた御陰か、手際良く終わらせる事ができた。
 遅く起きた事で迷惑を掛ける事を最小限にしたのだが、みんなの声が聞こえる居間に入るのは、少々気後れがした。
 居間の前でうろうろしていると、不意に玄関のチャイムが鳴った。
「お客様のようね」と宙美の声が聞こえた。
 隼人は、隠れる場所を探したが、直ぐに芙美子が出てきて、見付かってしまった。
「あら、起きたのね。ぐっすり眠れた?」
「ええ」
「良かったわ。朝食は、食堂のテーブルに置いておいたから、食べてらっしゃい。お客様のようだから、その後で私が片付けるから、食器はそのままでいいわよ」
 芙美子は、階段を下りていき、玄関ホールでインターフォンを取った。来客と何やら話していたが、見る間に表情が変わった。その様子を階上から見ていた隼人は、気になって階下に下りた。
 芙美子は、困惑と不安が入り交じった表情のまま、インターフォンの釦を押して、玄関の鍵を解錠した。
(宙美ちゃんのお父さんが亡くなった知らせだろうか?)
 芙美子の表情から、そんな想像が浮かんだ。宙美の父が亡くなったのなら、同じ場所に居た隼人の父も、同じ事だ。
 隼人は、気になり、その場に留まって玄関の様子を覗った。
 玄関が開くと同時に、二人の男が勢い良く飛び込んできた。
「アトランティス警察の小笠原です。こちらは、アトランティス検察庁の有馬検事です」
 思いも掛けない肩書きに、隼人は面食らった。
「私達は、三日前の小惑星墜落事件について、業務上重過失致死傷の疑いで捜査をしています。本日、お邪魔しましたのは、関係者の御話を聞きたくて参りました」
 ショックだった。
 小惑星墜落が、業務上重過失致死傷になるとは、隼人は考えもしなかった。でも、冷静に考えてみると、宇宙移民事業団の業務として小惑星を地球周回軌道に投入しようとしていた。それに失敗して地上に墜落させてしまい、億単位の人々を死なせてしまったのだから、過失致死の責任を負わされるのは、当然の事だ。しかも、総ての責任の頂点に、父がいた。
「本来なら、署に同行して頂いて事情をお聞きするところですが、地球からの脱出行でお疲れでしょうから、私達の方から出向いた次第です。御話を聞かせて頂けないでしょうか?」
 下手に出た言い方は、決して高圧的ではなかったが、男達が発散させる独特の雰囲気と肩書きが、拒絶を許さない圧力を掛けてくる。
「どうぞ、御上がり下さい」
 芙美子は、事情聴取を受ける決心をしたらしく、二人を招じ入れた。
 隼人は、二人の男の後を追い、居間に入った。芙美子の話を聞くつもりだったし、場合によっては、父の名誉のため、反駁する気でいた。
 居間では、大地と宙美が、楽しそうに談笑していたが、見掛けない男達が入ってきたので、驚いて立ち上がった。
 芙美子が「警察の方よ」と言うと、大地は怪訝な表情を見せた。
「申し訳ありません。御人払いをお願いします。一応、事情聴取ですので、我々と奥様だけでお話しなければなりません」
「僕達も関係者です」と、隼人は食い下がった。
 自分の知らないところで、父に責任が押し付けられていくのは、許せなかった。
「何だね? 君は」
 隼人が名前を言うより早く、芙美子の言葉が遮った。
「隼人君! 大地君や宙美と一緒に二階に上がってなさい。この方達は、宇宙開発事業団職員としての私に質問があるのよ。その家族には、関係がないのよ」
「おっしゃる通りです。何せ、管制センターの職員の中では、貴方だけが生き残りですから」
「でも、僕は……」
 隼人が、センター長の息子だと言おうとした時、今度は大地が遮った。
「さぁさぁ、僕達子供は、邪魔らしい。さっさと二階に上がって、夏休みの宿題を済ませようじゃないか」
 大地に背中を強い力で押され、居間から出た。同時に、背後で扉が閉まる音がした。
「ついてきなよ」
 大地は、意味ありげにウィンクした。隼人は、閉ざされた扉を未練がましく見詰めながら、大地と宙美に挟まれて二階へと上がった。
 大地の部屋に集まった三人は、車座に座った。
「どうして、あの部屋に居たら駄目なんだ?」
 隼人は、納得していなかった。
「僕は、関係者の一人だよ」
「違うよ。隼人君は、避難民の一人でしかない。警察が聞きたい事は、避難の様子じゃない筈だ」
 意味が分からなかった。
「たぶん、小惑星が墜落した原因を知りたい筈だ。どうやら、おばさんは、管制センターの職員で唯一の生き残りらしいからね」
(え!)
「じゃあ、どうして警察が事故原因を調べるんだい? 事故を起こしたのは、宇宙移民事業団だろう。事業団が事故調査をするのが本筋じゃないのかい?」
「死傷者が出ていなければね」
 大地の言葉が、冷たく聞こえた。
「刑事が言ってただろ。業務上過失致死傷の嫌疑が掛かっているって」
「おかあさんが、隼人君に喋らせなかったのは、貴方が管制センター長の息子だと警察が知ったら、興味を持つ事を心配したのよ」
「おばさんは、思慮深い人だ。事故には関係していなくても、警察が隼人君をマークするかもしれないと考えたのかもしれない。警察にマークされるとキツイよ。宙美から聞いたけど、隼人君が持って来たパソコンなんか、特別に興味を持つだろうな」
(それは、マズイ!)
「顔色が変わったね。さては、エッチな動画が入ってるんじゃないかい?」
「そんなもの、入れてないよ!」
 慌てて否定したが、それが肯定に見えたようだ。大地は笑っているし、宙美は不潔な物を見るような目をしている。
「ははは、冗談だよ。でも、自分のパソコンの中を見られるのは、心の中に土足で入られるようで不愉快なものだ。僕だって、自分のパソコンの中は見られたくないな」
 大地がフォローしてくれたので、宙美の視線も和らいだ。
「でも、僕は、余計に話を聞きたくなったよ」
 大地と宙美は、顔を見合わせ、揃って肩を竦めた。
「大丈夫よ。大地君が、盗聴できるようにしたから」
「マズイよ! 警察は、盗聴防止センサーを持ってるんだよ。見付かってしまうよ」
「大丈夫だよ。PDA(携帯情報端末)を録音モードで転がしてあるだけだから、絶対に見付からないよ」
 盗聴防止センサーは、装置で拾った生の音声と同じ情報が、周辺の電波の中に含まれているかを調べる。盗聴器で盗聴し、それを電波で飛ばしていたなら、即座にセンサーが警報を発する仕掛けだ。だから、大地の言うように、録音しているだけなら、センサーには引っ掛からない。
「でも、警察も馬鹿じゃないから、録音型の盗聴器は目で探すんじゃないかな」
 大地は、はっとした表情を見せた。
「大地君、僕達も部屋の前で聞き耳を立てようよ」
「どうしてだい?」
「そうよ。見付かってしまうかもしれないわ」
「逆だよ。見付かった方がいいんだ。あれほど話に加わろうとしていた僕が大人しくしていたら、盗聴している可能性を疑うよ。でも、三人が部屋の前で盗み聞きしている事が分かったら、盗聴している可能性がない事を証明しているようなものじゃない」
「そうね。盗聴のチェックだって、甘くなるかもしれないわ」
「なるほど。僕が、君を強引に二階に連れて上がったのも、盗み聞きしない振りを見せる演技だと、勘違いしてくれそうだね。よし、直ぐに下に行こう」
 大地は、先頭に立って階下に降りた。
 彼は、オーバーアクション気味に、抜き足、差し足、忍び足、と居間の扉に近付いていく。宙美も、それに習って、足音を消して歩いていく。隼人も、大地並のオーバーアクションで、居間の扉に張り付いた。
(わざと、見付かるような事をしない方がいい。あちらはプロだから、必ず見付かる)
 隼人は、できるだけ静かに耳を戸に当てた。
 予想した通り、刑事は、盗聴の確認をしているようだった。ごそごそと、盗聴器を探す物音が聞こえた。
「盗防センサーは、OKのようだ」
 扉の向こうから、くぐもった声が聞こえてきた。
 PDAは、まだ見付かっていないようだ。カードほどの大きさだし、音は全く出さないから、大地の隠し方にもよるが、簡単には見付からない筈だ。
「よし、それじゃ始めますかな」
 もう一人の男の声だった。だが、それきり、声が聞こえなくなった。三人は、なんとか中の声を聞こうと扉に耳を押し当てた。
 バァン!
 突然、扉が音を立てて勢い良く開いた。支えを失った三人は、三流映画の一シーンのように、無様に折り重なりながら居間に転げ込んだ。
 隼人が顔を上げると、「やっぱり」とばかりに、刑事が扉のノブに手を掛けて立っていた。
「君らに話を聞かせる訳にはいかないんだ。自分の部屋に戻りたまえ!」
 芙美子の前に座っている検事は、顔をこちらにも向けないで、そう言った。
「僕だって、話を聞きたいんだ。どうして、僕らがここへ来る事になってしまったのか、聞く権利はある筈だ」
 頭ごなしの検事に、少々腹が立っていた。
 立ち上がった隼人は、検事に歩み寄った。検事は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、隼人を見上げた。
「君が、征矢野隼人ではなく征矢野勝史なら、こちらから話を聞きたいくらいだが、君に聞く事も、話す事も、一切無いんだよ」
 隼人は、どきっとした。検事は、最初から知っていたのだ。隼人は、パソコンの事が気になった。
「驚く事はないだろう。神戸芙美子氏がここに居る事を知っている私が、一緒に避難した君の事を知らない筈が無いだろう」
 誰かが肩に手を掛けた。振り向くと、恐持ての刑事が優しく微笑んでいた。
「君が拘り過ぎると、神戸氏の事情聴取は署でしなきゃならなくなる。君は、それを望まないだろう」
 隼人は、芙美子の顔を見た。芙美子は、小さく頷いた。
「わかりました」
 隼人は、大地と宙美を伴い、二階に上がった。

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  - 2 -

 事情聴取は、三十分程で終わった。隼人と宙美が刑事達を見送る間に、大地はPDAを回収した。
 三人は、もう一度、大地の部屋に集まり、PDAの録音を再生した。
 PDAには、三人が居間に転げ込んだ時の音も、奇麗に録音されていた。
「すみません。はしたない事をしまして」と、芙美子が三人の行為を謝っていた。
「構いません。余程、気になっていたのでしょう。それより、早速、本題に入らせて頂きます」
 録音のサンプリング周波数が高くないのだろう。音質は良くなかった。ただ、声の調子から、刑事が話しているのだろうと、想像する事はできた。
「最初は、小惑星墜落そのものです。小惑星が当初の軌道を逸脱した事に気付いたのは、いつ頃だったのか、教えて下さい」
 芙美子は、一呼吸置いてから、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「私は、小惑星の軌道変更には、タッチしていませんでした。ですから、詳しい時刻はわかりません」
「では、小惑星の墜落が避けられないと分かった時刻は、いつ頃でしたか?」
「征矢野センター長が私に避難誘導を命じたのは、墜落の一時間半くらい前でしたから、少なくとも、その時点では分かっていたと思います」
(僕が侵入したから、小惑星が落ちたのだろうか?)
 隼人が管制センターに侵入したのは、父に呼び出される一、二時間くらい前だった。小惑星墜落は、それから一時間足らずの内に起こっている。小惑星が軌道を逸脱した時刻がいつだったのか、正確なところが知りたくなった。
「本当に、小惑星の軌道について、知らなかったのですか?」
 それまでと、声が変わった。検事が話しているらしかった。厭な雰囲気を持っていたが、隼人は彼を応援したくなった。
「先程も言いましたが、軌道変更には関与していませんから、具体的な状況は知り得ない立場に居ました」
「嘘を言ってもらっては困りますな。貴方は、小惑星の資源化の重要なスタッフだった事を、私達が知らないと思っているのですか」
 高圧的な物言いは、やはり検事の声らしい。芙美子には悪いとは思いつつ、もっと厳しく追及してくれと、隼人は願った。
 その芙美子は、たじろぐ様子も無く、切り返した。
「当然、御存知なのでしょう。でしたら、私の大学での専攻についても、御存知の筈」
「大学の専攻を聞いていません。小惑星の軌道について、質問しているのです」
「大学の専攻を知れば、私が軌道変更のスタッフになれる実力があったかも分かると思いまして」
(おばさんも、負けていないな)
 隼人は、感心してしまった。
「随分、しつこく聞いてるね。おばさんが知る訳が無いから、僕だったら、質問を変えて、別の角度から聞いてみるのにな」
 大地の意見に、隼人も肯いた。隼人も、芙美子が軌道逸脱の正確な時刻を知らない事を認めた。
「もう一度言います。軌道から逸脱した事に気付いたのは、いつ頃でしたか?」
「私は知りませんし、知る事ができる立場にも居ませんでした」
「お兄様からも、お聞きになっていませんか?」
 芙美子が息を飲むのが、雰囲気で伝わってきた。そして、大地と宙美も……
「お兄様は、小惑星を地球周回軌道までの軌道変更計画の立案者だそうですね。当然、軌道変更については最も詳しい訳ですから、その内容を貴方に話していたと考えられるのですが、どうでしょうか?」
 検事は、最初からこちらを確認したかったのだ。
 芙美子は、どう答えるべきか迷っているらしく、しばらく黙っていた。
「私が知る範囲では」と前置きし、慎重に話し始めた。
「兄は、小惑星の軌道変更に反対でした。五ヶ月前、こちらに移ってきたのも、軌道変更のスタッフから外れたためでした。そんな兄から、小惑星の事を聞かされる筈が無いし、地上とこことに別れていましたから、リアルタイムで知る事は難しかったと思います。もちろん、ネットワーク上に一般公開されている情報には、触れる事ができたとは思いますが」
 コホンと咳払いがあった。
「私達には、意外に聞こえるのですが。つまり、軌道変更計画の立案者が、軌道変更には反対していた事が」
 沈黙があった。
「兄は、小惑星の軌道変更で、月や地球を掠めるように飛ばす事に、危険を感じていたようです。ですが、兄が反対意見を唱え始めた時には、小惑星は、地球周回軌道へ向かう軌道に入っていましたから、容易には変更できない状況にありました」
「お兄様は、いつ頃から反対なさるようになったのですか?」
「私の耳に入るようになったのは、一年半くらい前でしょうか。征矢野さんと兄が、激しい口論をしていたと聞いたのが、昨年の正月明け早々だったように記憶しています」
「昨年の正月明けですと、月をフライバイする半年くらい前になりますね」
 芙美子は、記憶を確認するように、僅かに間を取った。
「月のフライバイは、ちょうど一年前ですから、そうなります」
「で、征矢野氏との間に埋められない確執が生れ、お兄様はこちらに転籍された」
「兄の心情は、私には分かりません」
 芙美子は、そう言っただけだった。
「さて、これからが本題です」
(えっ、これから本題? 一体、何が聞きたいのだろう)
 隼人と同じ事を、芙美子も思ったらしい。
「まだ、お聞きになりたい事があるのですか?」
「申し訳ありませんが、もうしばらく、お付き合い下さい」と刑事の声がした。
 芙美子の不満そうな雰囲気が、椅子に掛け直す音からも伝わってくる。しかし、あの検事には伝わっていないらしい。気分を害さないように心配りをする刑事とは違い、言葉だけが丁寧な高圧的態度が続いた。
「お兄様は、軌道計算上の誤りに気付いていたのではないでしょうか。それを、征矢野氏に伝えたが、一蹴されてしまった。違いますか?」
「何をおっしゃりたいのですか?」
 芙美子は、冷静さを失っていなかったが、動揺を隠せないでもいた。
「征矢野氏は、既にスタートを切った計画を、途中で頓挫させる訳にはいかなかった。そもそも、この計画は、征矢野氏とあなたのお兄様が立案し、政府に強く働き掛けたものでした。ところが、あなたのお兄様は、突然、計画の反対を唱え始めました。その理由を、妹さんのあなたに話したのではないかと、私は睨んでいるのですが、どうですか?」
 検事の言い方は、誘導尋問のようになってきた。
「お兄様が反対される理由は、二つしかありません。一つは、征矢野氏を失脚させる事が目的だったとする説です。征矢野氏は、計画の最高責任者で、しかも、推進派の最右翼でした。計画の断念は、征矢野氏の管制センター長辞任に直結します。もし、あなたが聞いたお兄様と征矢野氏の口論が小惑星軌道変更計画以外の問題についてだったとするなら、お兄様は征矢野氏の怨みを持ったと考えられなくもありません。それなら、征矢野氏を失脚させるために、計画反対を主張したと推理できるのです。実は、庁内では、この説が有力視されています」
(誘導しようとしている。おばさん、騙されるな)
 隼人は、三十分以上も前に録音された事を忘れ、拳に力を込めた。
「兄は、他人の失脚を画策するような人間ではありません。そんな器用な事ができる人間ではありません。それに、センター長も真面目で優秀な方で、兄は尊敬もしていました」
(おばさん、騙されちゃ駄目だよ。検事の奴、二番目の説を認めさせるのが目的なんだ)
「そうなりますと、もう一つの説が、俄然有力になりますな」
(やっぱり)
「私は、お兄様の軌道変更計画の計算結果に、重大な誤りがあったのではないかと考えています。お兄様は、このままでは地球が危ないと感じ、計画に反対をなさるようになった。私は、そう考えています」
 恐らく、検事はあの鋭い目付きで芙美子を見詰めているのだろう。長い間が開いた。
「お兄様から、何か伺ってはいませんか。小惑星の軌道計算に誤りがあった事を仄めかすような言動とか」
「身内の私がいうのも変ですが、兄は、優秀な技術者であり、学者でもあります。軌道計算に誤りがあったとは考えられません。ただ、技術に完璧はないが口癖でしたから、その辺りでセンター長と衝突したのではと、私は思っています」
「それを聞いて安心しました」
 検事の声は、打って変わって和らいだ。
「えっ?」
 芙美子だけでなく、隼人達三人も、声に出そうなくらいに驚いた。
「これで、業務上重過失致死について、ある程度の確信を持てました」
「確信?」
「ええ。他人を疑る事が仕事のようなものです。ですから、お兄様についても、殺人罪を視野に入れて捜査しています。つまり、お兄様の技術と知識を持ってすれば、小惑星の軌道を意図的に狂わす事も可能だっただろうと」
 大地も、宙美も、凍りついた。
「御心配なく。私は、その可能性はほとんどないと考えています。それを確認したくて、ここに来たのです。あなたがおっしゃった通り、お兄様とセンター長が衝突したのは、技術の過信が原因でした。これは、お兄様から事情を聞いた際に、御本人がおっしゃってました。だから、こちらへ転籍された後は、反対意見をほとんど言われなくなったのです。逆に言えば、それほど危険性が高い訳ではなかったという事です」
(おじさんが殺人犯にされずに済んだ)
 安堵の溜息が漏れた。
「ただ、残念な事は、お兄様が考えていた技術に対する過信が、現実のものとなってしまった事です。私達は、この事故の捜査をしなければなりません。被疑者は、既に死亡したと思われますが、それでもやめる訳にはいかないのです。なぜなら、九十億人を越える被害者が出たのですから」
 検事の最後の言葉は、隼人に重く圧し掛かった。
 それは、父への宣告のようなものだった。

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  地球

  - 1 -

 あの日以降、芙美子に対する事情聴取はなかった。だが、大地の父、梅原翔貴に対する事情聴取は、今も続いているらしかった。本来は、大地と同じ様に丸顔の筈の翔貴の頬は、日に日にげっそりしていく気がした。
 一方、隼人は、大地達にすっかり馴染む事ができ、体重も少し増えた。その影には、大地の心配りがある事を、隼人は知っていたし、感謝もしていた。
 新学期に向けて、いくつか買い物をするために、商店街に出てきた。本当は、家庭用高機能端末を使う事で、総ての買い物を済ませる事もできたのだが、大地は、隼人と宙美には気分転換が必要だと考え、外に連れ出してくれたのだ。
「色々買っちゃったぁ」
 宙美の声が弾んでいる。
 商品は、今日の夕方までには自宅に届くのだが、今は手元には何も無く、買い物の実感は乏しかった。それでも、女の子には、ショッピングは楽しいものらしく、商店街ではショーウィンドウを覗き込んでは、嬌声を上げていた。
「これで、来週からの新学期も、無事に迎えられるね」
 隼人は肯いたが、すっきりしない部分もあった。
「元気ないね。疲れたのかい?」
 隼人は、首を軽く振って、否定した。
「大した事じゃないよ」
「そう。それならいいけど」
 大地の賢いところは、深入りしない事だ。隼人の元気の無さが、大きな理由ではない事を、大地は見抜いたのだろう。大地が聞いてこないので、逆に、隼人は自分の心の中に抱えていた疑問を、大地に打ち明けたくなった。
「実はね、ちょっと疑問に思っていた事があるんだ。いや、大した事じゃないんだけどね」
「おいおい、大した事じゃないってのは、かえって気になるんだよ。話してくれよ」
 大地は、隼人が言い出す言葉を期待し、嬉々とした表情で隼人の顔を覗き込んだ。隼人は、言い出し難くなった。宙美を見ると、こちらも何かを期待している様子で、ますます追い込まれた気分になった。
「ねぇ、早く言いなさいよ」
 宙美に催促されて、渋々口を開いた。
「僕は、ちょっと思ったんだけど」
「だから、何を?」
「あのさ、僕の買い物は、おばさんのクレジットカードを使わせてもらってるけど、少し変だと思わない?」
「馬鹿ね。隼人君は、身寄りがいないし、地上があんな風になって、隼人君のお父様の銀行預金も確認できない状態になってしまったから、隼人君の財産は、あのクレジットカードだけなのよ。だから、お母さんが、隼人君の財産が無くならないように、自分のクレジットカードを使わせているのよ」
「うん。その事は知っているし、感謝してるんだ。僕が変だと思っているのは、クレジットカードそのものなんだ」
 二人は、虚を衝かれたらしく、一瞬、言葉が無くなった。
「クレジットカードのどこが変なんだい?」と、思い出したように大地が会話を再開させた。
「僕達が、クレジットカードを受け取ったのは、飛鳥に着いて直ぐだったよね。それが変なんだよ。だって、小惑星が地上に落下してから、たったの二時間かそこらしか経っていなかったんだよ。まるで、小惑星が落ちる事を予知していたみたいじゃないか」
「はっはっはっは。本当に予知していたら、今頃、補正予算で議会が混乱する事もなかったさ」
「どういう事?」
 大地は、まだ笑っていた。見兼ねた宙美が、彼に変わって答えてくれた。
「大地君が言いたいのは、被災民救済と、地上の復興のための補正予算案が、議会で審議されてるって事。補正予算案を提出したのは、内閣機密費を転用してクレジットカードを発行した勅使河原とかいう議員なの」
「勅使河原内閣官房長官。そして、次期大統領候補。技術畑出身の異色の政治家で、強い指導力と行動力でのし上がってきたカリスマ的人物さ。以前、科学省の大臣を務めた事もあって、宇宙移民事業団とは緊密な関係があったそうだ。彼なら、小惑星の墜落が避けられなくなった時点で、事業団から連絡を受けてた可能性があるし、それ以前に、彼の行動力なら、クレジットカードを用意させるくらい、事故発生から一時間もあれば、訳無くできたと思うよ」
「ふう~ん」
 感心してしまった。
 裏事情も、議会での審議も、隼人は全く知らなかった。二人は、当たり前のように知っていたし、だからこそ、クレジットカードの発行に疑問を持つ事は無かった。
「それにしても、クレジットカードとは、時代物を引っ張り出してきたものだよな。時間が無かったから、それしか無かったんだろうけど。そんな事より、隼人君は、時事に疎すぎるんじゃないかい」
 痛いところを衝かれた。
「恥ずかしい限りだよ。勅使河原の名前には、聞き覚えが有ったんだけど、よくよく思い出してみると、ここに来た時に、電子掲示板に大統領選挙の候補者名が有ったんで覚えていただけで、ニュースとかで知ったんじゃないんだよ」
「佐久間副首相と、勅使河原官房長官、それに野党第一党の桃崎党首が、立候補している。他にも、3人くらい名前も役職も聞いたことが無い泡沫候補がいるはずだけど、事実上、3人の三つ巴と言われていたんだ
 でも、今回の小惑星墜落後の行動で、勅使河原のリーダーシップが高く評価された。佐久間副首相は、補正予算を持ち出し、巻き返しに懸命だ。この二人に比べると、行政府とのパイプが細い桃崎党首は、籠の外に追いやられた感がある」
「ということは、大統領選挙右は、この二人の一騎打ちになってきているってことかい?」
「論より証拠。今からニュースを見ようよ。少しは、こちらの政治にも関心を持っておいた方がいいから」
 そう言うと、居間の壁にある立体スクリーンのスイッチを入れた。そして、ニュース専門チャンネルに切り替えた。
「あの日から、今日でちょうど十日経ちました」
 TVの中で、ニュースキャスターは、沈痛な表情をしていた。TV映像は、白っぽい灰色の星に切り替わった。
 地球だった。
 青と白のコントラストが美しかった地球は、今はない。薄汚れた灰色に、一様に染まっている。
「小惑星の冬ね。今がピークかもしれないわ」
 何時の間にか、芙美子が居間に来ていた。彼女は、三人の前を通り過ぎると、端にあったソファに腰掛けた。
「おばさん。資源用の小惑星が落ちただけで、本当にこんな事になるなんて、僕には信じられないよ」
 芙美子は、真っ直ぐにスクリーンに視線を送ったままだった。
「でも、これが現実よ」
「御覧ください」と、ニュースキャスターが言う。
「左は、現在の地球、右は、一週間前の地球です。撮影の時刻や緯度は、同じ条件にしてあります」
 左右の映像は、かなり違っていた。
 一週間前の地球は、南半球の大部分が、あの青と白の美しいコントラストを残していた。北半球は、茶褐色と白が不気味な縞模様を作り、一部は赤道を超えて南半球へも食指を伸ばそうとしていた。それが、今の地球は、南半球も灰色の縞模様が覆い尽くしていた。もう一つの違いは、明らかに白っぽくなっている事だ。
「例えば、偏西風帯で、成層圏に舞い上がった塵は、一週間で地球を一周してしまうのよ。大気の下層でも、十日から二週間で地球を一周するの。TVの撮影位置は、小惑星の落下地点を中心にしているから、塵の広がりが早く見えるけど、南大西洋とか、地球の裏側は、まだ塵に覆われていないところもある筈よ」
 気象学を学んだと言うだけあって、芙美子の指摘は、映像にはないところにまで及んでいる。
「現在の地球は、小惑星の冬のピークになっていると思われます。明日、観測機器を投下し、気象観測を行う事になっていますが、気象学者は、地上の気温を、赤道域から中緯度で氷点下十度以下、北半球の高緯度で零度から氷点下五度程度と予想しています。南半球は、元々冬でしたので、高緯度の気温はむしろ高くなっていると考えられます。
 北半球の穀倉地帯は、花を付け、実を結ぶ大切な時期でしたが、平年より二十度から三十度も下がってしまったので、全滅と考えられます。たとえ、ハウス栽培をしていても、日照が足りない状態が続いていますので、太陽ランプを使わない限り、全滅は免れないでしょう。
 更に、一気に冬になってしまったため、北欧諸国のように冬になれている国でも、道路や港湾の凍結等で、エネルギー供給に支障が出ています」
「TVでは言ってないけど、小惑星は、赤道付近の珊瑚礁に落ちたから、珊瑚礁が衝突の熱で蒸発して、大気中の二酸化炭素量がかなり増えてる筈よ。小惑星の冬のせいで、熱帯雨林は凍死するから、二酸化炭素の温室効果が強まり、小惑星の冬の後には、かなり長い期間の高温期が来るの。厳冬から酷暑。食料生産は、徹底的に痛めつけられるわ。今の内に、環境回復プランを作っておかないと、大変よ」
 地上の地獄絵が、彼女の言葉で補強されてしまった。
「核シェルターが機能し、大国のトップや軍事関係者は生き延びている可能性が高いんじゃないかな。問題は、軍事的緊張が高まる事だけど、最悪は、ここも攻撃対象になるかもしれないな」
 大地は、隼人の不安を煽るような事を言い出した。
「でも、そんな事をしても、何の解決にもならないじゃない」
「それは、我々一般人の考え方だよ。戦略を考える人達は、全く違う考え方をするんだ。彼等は、自分達より強い戦力を敵に持たせないように考えるからね。今の地上の国家は、どこも瀕死の状態だ。その状態よりも良い国家を、決して認めない。ここは、無傷だから、彼等の攻撃対象になり得るんだよ。彼等は、小惑星を意図的に墜落させて、自分達を攻撃したと考えるかもしれない」
「そんな馬鹿な!」
「そんな馬鹿な人達なんだよ」
「私、そんな考え方をする大地君は、嫌いよ」
 宙美が、大地を非難する事は珍しい。
「そうね。私も、大地君には、そんな考え方をしてほしくないわね」
 芙美子も、大地を諭すように言った。
 だけど、隼人は、大地の知識と冷静なものの見方に感心した。ただの中学生とは思えない。一体、何者なんだと思わせるくらいだ。
「でも、歴史を振り返ると、そんな事も考えておく必要があると思うんだ。元々、軍隊は、国民の安全と生活を守るために存在する筈なんだけど、実際に今、地上で生き残っている人々の軍関係者の割合は、元々の人口比とは比較にならないほど多いと思うんだ。それは、軍は、自分自身を守るための設備を充実しているからなんだ。
 貧しい国ほど、軍人の食事と国民の食事には、格差があるよね。国民は餓死する人がいても、軍人は腹一杯食べられる。自分達で食料生産していないんだから、国民が作った食糧を横取りしてるのと同じだよね。こんな事ができるのは、軍と国家が一体になって、自分達の権益を維持する方向に、国家の機能を集約するからなんだ。
 軍は、国家のために存在するのであって、国民のために存在するわけじゃないんだ。軍にとって、国民は、国家と軍を維持するために存在するんだ」
 断定的な言い方だった。だけど、大地の言っている事は、概ね正しかった。
 軍は、国民の食糧を取り上げ、国民の避難場所を取り上げ、国民の医療品を取り上げる。その目的は、総て国家の存続のためだ。
 映像は、次々と変わっていった。
「先程もお伝えしましたが、冬季には氷点下に下がるような国では、住宅の断熱性が優れているので、今も国民の大半が生き残っていると思われます。事実、各地から救援や生存を知らせる連絡が入っています。しかし、これからは食糧が全く手に入らない状況に陥っていき、これまで熱帯地域を中心に多く出ていた凍死者を、人口過密地帯の餓死者数が上回るようになるでしょう。
 一方で、地上を脱出する事は、困難になっています。
 小惑星が巻き上げた煤塵は、ジェットエンジンのタービンにこびり付き、エンジンを停止させてしまう事が、以前から分かっています。このため、煤塵の襲来に合わせ、次々に宇宙空港は閉鎖されました。一部では、搭乗希望者に押されて、飛行を断行した例もありますが、二機が墜落し、それ以外の機体は総て最寄りの空港に緊急着陸しています。つまり、小惑星が墜落して以降、地球脱出に成功した者はいないのです。
 地球に閉じ込められ、これから襲ってくる絶望的な食糧難を考える時、私は胸が痛みます」
 ニュースキャスターは、悲痛な表情を見せた。
 小惑星の冬で最も恐いのは、単純な寒さより、この食糧難だ。一日三食、当たり前のように食べる事ができる事は、感謝しなきゃいけないのだろう。もし、地上に残っていたら、寒さと飢えに苦しみながら、死を待つしかなかった筈だ。
「僕達が、本当に最後の脱出者だったんだね」
「最後に脱出したのは、別に居るよ。ただ、隼人君達は、一般人としては最後だったんだ。大富豪や王族は、金と権力にものを言わせて、スペースプレーンを強引にチャーターして脱出したらしい。ただ、それも、隼人君達が脱出して二十四時間後までで、それ以降は、誰も脱出していないよ」
 宇宙移民事業団職員の家族を一般人と言って良いのか、隼人は考え込んでしまった。雑多な人々が、あのスペースプレーンで脱出していたのなら、一般人と括る事もできただろう。しかし、あのスペースプレーンには、宇宙移民事業団職員の家族しか乗っていなかった。これは、隼人を含めた宇宙移民事業団職員の家族が、事実上の特権階級だったと言えないだろうか。
(でも、どうして宇宙移民事業団職員の家族だけを脱出させたんだろう?)
 考えるための要素は、いくつかあった。
 まず、スペースプレーンは四機あった。なぜ、旅客用のスペースプレーンが四機もあったのかは疑問だが、兎に角、スペースプレーンは四機あった。
 それぞれの定員は、約六十名だ。時間的余裕は、僅かに一時間。その条件下で、できるだけ多くの、それも将来がある若い世代を中心に脱出させるには、どんな方法があるか。
 これらの条件の中で、事業団職員の家族だけを脱出させる事が最善の策だと、父は判断したのだ。確かに、事業団の家族は、その多くが核家族で、同居の老人は少ない。必然的に世代は若年層にシフトする。しかも、敷地内の官舎に住んでいるので、周辺の住民を脱出させるよりも簡単だっただろう。でも、それが、周辺住民を脱出させない理由にはならないのではないか。
 隼人の思考とは別に、映像は、コンピュータグラフィクスに切り替わった。

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  - 2 -

「現在の地球は、灰色の雲に完全に覆われ、直接地上を見る事ができません。この映像は、レーダー観測の結果からコンピュータで合成したものです。分かり易くするため、垂直方向は、水平方向の百倍に拡大されています。
 小惑星が墜落した場所は、円形に海山が連なっている事が分かります。部分的に、海面に達している場所もありますが、大部分は海面下の深い場所にあります。このクレーターの底では、今、アイソスタシー的釣り合いを取り戻すため、大きな地殻変動が続いています。そのため、繰り返し地震が発生し、その度に、大きな津波となって広範囲の海岸に被害を与えています」
 画面は、クレーターの推定断面に切り替わった。
「アイソスタシーとは、地殻平衡の事です。地球の地殻の厚さは、大陸の地下では厚く、海洋底では薄くなっています。地殻は、マントルの海に浮いているようなものです。大陸では、山塊の重みで、地殻の底は深くなります。逆に、海洋底では、海水の重さは地殻の三分の一程度で、しかも高度が低いので、地殻の底は浅くなります。
 この浮力のバランスを、アイソスタシー的釣り合いと呼びます。
 小惑星は、地殻が薄い海洋に落ちたため、海洋底の地殻を突き破り、マントルに到達しました。このため、海水が熱いマントルに直接触れ、繰り返し激しい水蒸気爆発を起こして、大気中に大量の塵と水蒸気を吹き上げました。これが、小惑星の冬を補強してしまいました。
 今は、海洋底とマントルの間には、海水によって冷やされた溶岩、多くは枕状溶岩になっていると思われますが、溶岩が蓋をし、水蒸気爆発は一段落しています。しかし、小惑星によってアイソスタシー的釣り合いが破壊されたため、この釣り合いを取り戻そうと、海洋底で大規模な地殻変動を産んでいるのです」
 隼人は、芙美子に目をやった。
「アイソスタシーの地震は、いつまで続くのですか?」
「私は専門じゃないから分からないけど、数年は続くと思うわ」
 地震の発生場所が海洋底になるので、近隣の沿岸部では繰り返し津波が押し寄せるだろう。
「それじゃあ、海岸に人が住めるようになるのは、何年も先になってしまうんですね」
「そんなレベルの問題じゃないのよ。地上に人類がどれくらい生き残れるのか、どうか。その方が重大な問題なのよ」
 そうだったと、隼人も思った。
「問題は、色々あるね。最も恐ろしい事は、地上で最も失われなかった物だ」
 また、大地が物騒な話を持ち出した。
「それは……?」
「軍事力だよ。海軍力は、水上兵力が壊滅したと思うけど、サイレントサービスは、無傷に近いじゃないかな」
「サイレントサービス?」
「戦略潜水艦部隊の事だよ。潜水艦発射の戦略ミサイル群は、被害を受けていない筈さ。しかも、その指令を出すホワイトハウスやクレムリンも、核シェルターに避難しているので、事実上の無傷だと保証できるよ。戦略ミサイル群は、古典的な武器だから、地上に居る時には恐いけど、ここは大丈夫だ。問題は、サテライト部隊だ」
 サテライト部隊とは、地球の衛星軌道上に配置されているビーム戦闘部隊だ。この部隊は、戦略ミサイルの迎撃を主任務としている事は、隼人も知っている。
「サテライト部隊の装備の中に、小惑星迎撃用の核兵器がある事は知ってるかい?」
 知っていた。
 地球軌道と交差するアポロ群小惑星が、何度も地球を掠めた。これに危機感を抱いたIAUは、国連と共同で小惑星迎撃システムの開発に着手した。そして、二十一世紀中頃には、実戦配備を完了したのだった。
 隼人は、首を振った。
「地球に落ちてくる可能性が高い小惑星に、核兵器を打ち込み、破壊するか、軌道変更をするシステムだよね。でも、役に立たないみたいだね。役に立つなら、今回の小惑星墜落は、起こらなかった筈だもの」
「そんな事はないよ。今回の小惑星墜落は、低軌道まで、事業団で誘導してたから、標的にはならなかっただけだよ。小惑星の迎撃は、月軌道よりも遠くにいる間に行うように作られてるから、今度みたいな低軌道だと、軌道変更も破壊も間に合わないんだよ。
 まあ、確かに、隼人君が言う通り、過去に一度も役に立った事も無いけどね」
「それで、問題は、その核兵器で、ここを攻撃できる事だって言いたいんだろう」
「そうなんだ。ただ、直ぐに危険になるという事はないと思ってるけどね。小惑星迎撃システムは、IAUから小惑星の軌道情報と迎撃ポイントのアドバイスを受ける事と、国際条約の制約で、IAUがスイッチの一つを握っている事から、軍の暴走で発射する事はできないからね」
 TVは、地球上の人類の生存状況の予想を始めていた。
「この世界地図は、現時点の人口分布です。地上からの通信の状況から作成しました。
 御覧のように、東アジアから南アジアにかけての海岸線は、ほぼ壊滅状態です。内陸部は、かなりの人達が生存できているようですが、墜落地点に近い東南アジア地域は、地震のために、内陸であっても甚大な被害が出ているようです。更に、年間の最低気温よりも遥かに低い気温で、多くの人々が凍死したものと思われます。
 低温の影響は、熱帯、亜熱帯で大きく、アジアだけでなく、アフリカや南アメリカ、あるいはオーストラリア北部で顕著で、人類のみならず、生態系をほぼ全滅状態に陥れているようです。
 世界で、最も被害が少なかったのは、ニュージーランドやチリの内陸部、アルゼンチン南部等です。これらの地域は、元々冬でしたので、日射が減った事以外に、重大な影響が無く、無傷に近いと思われます。しかし、小惑星の冬が終わった後に来る一時的な高温期や、地球規模で起こっている植物プランクトンの激減は、これらの地域にも襲い掛かるでしょう。
 この地域の人類には、わずかばかりの時間的な余裕が与えられただけです。この時間的余裕を有効に利用し、最善を尽くしてもらいたいと、切に願うばかりです」
 画面は、更に変った。
 TVに映し出されたのは、小惑星だった。それも、墜落した小惑星そのものだった。
 キャスターは、小惑星の起原に溯り、話し続けていた。
「この小惑星は、元々は、火星軌道と木星軌道の間にある、ごく一般的な小惑星の一つで、二十一年前に発見されました。その後の軌道要素の確認の過程で、この小惑星は、十八年後、つまり今から三年前に火星の近くを通過する事が分かりました。
 これに目を付けたのが、日本の宇宙移民事業団でした。
 彼等は、小惑星の軌道をほんの少しばかり火星に近付けるだけで、地球軌道まで近付くだけでなく、地球を掠める事も可能だと気付いたのです。これを利用すれば、僅かな投資で、大量の資源が手に入る事ができるのです。
 老朽化が進んでいた軌道ステーション飛鳥のリプレースは、日本国内の財政が思わしくない事に加え、既に中国が軌道ステーション重慶を建設していたので、国際協力が得られず、一向に計画が進まない状況に陥っていました。
 しかし、小惑星を地球周回軌道に投入し、小惑星から採取した資源を使って小惑星内に軌道ステーションを建造する事で、一気に解決できると目論んだのです。この方法なら、当初予定とほぼ同額の予算で、十倍近い大容量のものが建造できるのです。遥かに大きくなったスペースに、研究所や特殊合金、医薬品等の工場を誘致する事で、企業から資金を得られると考えたのです。事実、世界中から企業が進出の名乗りを上げ、立待ちの内に資金の問題がクリアになったのです。
 さて、問題の小惑星の軌道変更は、十年前に溯ります。
 最初の無人探査機が、小惑星の資源状況を調査し、予想を超える資源量を確認しました。マンガン、ニッケル、ボーキサイト。炭素や窒素、リン、水素、酸素、これらは酸化物の形ですが、大量に見付かったのです。そこで、資源採取用の機材に加え、マスドライバーの部品が小惑星に送り込まれ、軌道変更計画が本格化しました。五年前には資源採取が始まり、四年前、最初の軌道変更が行われました。
 この計画のユニークなところは、軌道変更をマスドライバーで行っている事です。
 資源採取を行うと、精錬後の廃棄物が出ます。これをマスドライバーで宇宙空間に射出し、その反動で軌道修正を行うのです。マスドライバーの電源は、太陽電池で賄われるので、一切の燃料を必要としないメリットがありました。画期的な方法だとして、世界から絶賛を浴びました」
 キャスターは、声のトーンを下げた。
「しかし、安全性については、完全に無視されていました。
 私達は、カミカゼの国が計画した事を、もっと深く考えるべきだったのかもしれません。そうすれば、このような安全性を無視した計画を阻止する事ができたのです」
 カミカゼ。
 神風特別攻撃隊、いわゆるカミカゼは、二世紀近くも昔の事なのに、世界では未だに心理的なダメージとして残っているらしい。
「多くの国は、このプロジェクトをモデルケースとして見ていました。ですので、小惑星を丸ごと一国が使ってしまう事にも、若干の条件を付けただけで認めたのです。それを認めなければ、この災厄は発生しなかったかもしれません。
 元々、この計画には危険性がある事が分かっていました。プロジェクトの発案者の一人が、その危険性を唱え……」
 突然、TVが消えた。突然の事に驚いている四人の頭上から、苛立ちを隠せない翔貴の声が降ってきた。
「家に帰ってまで、プロジェクトの話を聞かされたくなかったんだ!」
 大地を含め、全員が黙りこくっていた。
「悪いが、私の前で、プロジェクトの話は、しないでくれないか」
 大地は、納得がいかないらしく、腰を上げる素振りを見せたが、機先を制して芙美子が立ち上がった。そして、すまなそうな目で翔貴を見詰めた。
「ごめんなさいね、お兄さん」
 はっと、我に帰ったような表情で、翔貴は「そんなつもりで言ったんじゃないだ」とだけ言うと、居間を抜けていった。今日も、警察に呼ばれて、色々と取り調べを受けたのだろう。その心労が、言動と表情にも表れていた。四人の誰もが、翔貴に声も掛けられずに見送った。
「ごめんよ。お父さんも悪気があって言ってないと思うんだ。もし、気分を害したなら、僕が謝るよ」
 隼人は、首を振った。
「大丈夫。気にしてないよ」
 大地は、にっこり微笑んだ。
「さぁ、夕食の時間だ。お父さんを呼んできて、みんなでワイワイ食べよう」
 ついさっきの翔貴の表情を思い出し、そんな事ができるのかと隼人は訝ったが、三十分後には、大地の言った通りになっていた。

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  新学期

 九月一日、隼人は、大地と宙美の三人で、学校に向かった。
 この朝、宙美の母は、傍目にも嬉しそうな顔で、食堂に現れた。
「おばさん、何かいい事があったんですか?」
 明るい彼女を顔を見て、隼人は反射的に訊ねた。
「うふふ」
 宙美の母は、含み笑いを漏らし、うっとりと潤んだ目を漂わせていた。
「また、出たんでしょう?」
 宙美は、母の顔を見ながら、何とも薄気味悪いものを想像させる言葉を口にした。
「そうなの。枕元に、あの人が立ってたのよ」
(あの人?! えっ、ウッソォー!)
「まさか……」
 隼人は、背筋に悪感を覚えた。
「そのまさかなのよ。お母さんの枕元に、お父さんが立ってたの」
 隼人は、宙美の顔を見た。
「見たの?」
 宙美は、首を振った。幽霊を見たのは、宙美の母だけらしい。
 宙美の母を振り返ると、彼女は笑みを湛えていた。
「幽霊が出たんですか?!」
「あの人、また来てくれたのよ」
 宙美の母は、嬉しそうに言う。
「心配事があったり、寂しくなったりすると、必ず会いに来てくれるのよ」
「気持ち悪くないんですか?」
 彼女は、驚いた顔を見せた。
「どうして、気持ち悪いの? あの人は、私を心配してきてくれているのよ。こんな心強い事はないわ」
 隼人は、はっとさせられた。
 幽霊は、彼女の夢か錯覚に間違いあるまい。でも、彼女は、本当に現れたと信じきっている。それも、出てくる事を喜び、感謝さえしている。彼女は、心の底から夫を愛していたのだろう。彼女の愛情は、一点の曇りも無く、夫に向けられていたのだ。だから、そんな気持ちになれるのだろう。
「おじさんは、おばさんと結婚して、幸せだったんだと思います。だって、幽霊になったって会いたい気持ちが変わらないんだもの」
 宙美は、神妙な顔で付け加えた。
「愛してるって、何度も言われるより、幽霊になっても会いに来てって言われる方が、私はずっと嬉しいわ」
 隼人も同感だった。
 だが、宙美が化けて出てきたら、隼人は会ってみたいと思えるかどうか、確信はなかった。
「おはよう。みんなで何の話をしてるの?」
 大地が、明るく力強い声で、三人の前に現れた。
「幽霊の話よ」
「えっ、幽霊?」
「そうよ。化けて出てくる幽霊のお話よ」
 宙美は、最後の「お話よ」を低く震わせた声で言ったので、隼人はぞくっとした。
「朝から、そんな薄気味悪い話は、やめようよ。僕は、幽霊は苦手なんだ」
 この件だけは、大地に一歩リードしたかなと、隼人はほんのちょっとだけ優越感を感じた。
「そうね」と、宙美の母は、笑みを浮かべたまま答え、話題を終えた。

 そんな宙美の母とは対照的に、地上の惨状を知らせるニュースが毎日のように続き、正直、気が滅入った。
 大地達と一緒に見た時よりも、地上の事態は深刻さを増していた。食糧不足から発生した暴動のため、数え切れないほどの死傷者が出ていた。
 特に悲惨だったのは、軍に物乞いをした母子の集団に対し、軍が発砲した事だった。母親の多くは射殺されたが、凶弾は、子供に向けても容赦無く発射された。
 これを切っ掛けに、武器を持った男達が軍施設を襲い、激しい戦闘と累々たる死体の山を築いた後、軍によって鎮圧された。大地が言っていた「軍は国家のためにあり、国民のためには存在しない」という言葉を、軍がその行動で裏打ちしたようなものだった。
 今回の軍と民衆の衝突は、地上の報道機関がアトランティスに直接情報を送ってきたため、詳細を知る事ができたが、これと同じ様な事が世界中で起きている事は、想像に難くなかった。
 だから、新しい学校に馴染めるかどうか不安はあるものの、地上で進行しつつある惨状から目をそむける事ができるチャンスでもあった。
 大地は、動く歩道には乗らず、その横をすたすたと歩いていく。隼人も、宙美も、大地に遅れまいと、足早に後を追った。
「おはよう♪」
 後ろから、女生徒が声を掛けてきた。
「おっはよ」
 大地は、明るく挨拶を交わした。
「オッス!」
 今度は、男子生徒だった。
「ヨォ!」
 大地は、力強い返事を返しながら、男子生徒のお尻を、鞄で叩いた。
 大地を見かけた学生は、誰もが、大地に挨拶をした。ある者は野太い声で、また、ある者は可愛い声で、気楽に挨拶していく。大地も、見かけた者には、必ず挨拶をした。明るく、元気になる声で。
 隼人は、こんな明るい雰囲気の学校は、初めてだった。それも、これも、大地の明るさと、細やかな心配りのお陰だろう。
 大地の案内で、校長室に入った時も、雰囲気は変わらなかった。校長は、にこやかに挨拶すると、大地を先に教室に行かせた。
 始業式が行われている間、二人は事務長から手続きや、授業内容の説明を聞いた。始業式が終わると、校長が戻ってきて、教頭と担任を紹介した。そして、担任に引率される形で、教室に向かった。
 教室に入ると、大地が号令を掛け、全員が挨拶をした。大地は、委員長なのだろう。
 教壇に立った担任は、早速、二人の紹介を始めた。
「今日、征矢野隼人君と、神戸宙美さんが、転校してきました。皆さんは、もう噂を聞いて知っているでしょう。御二人は、小惑星墜落事故の避難民ですが、二週間前から大地君の家に住むようになりました」
 大地の家に住む事が知らされると、女性との間から、嫉妬と羨望の声が上がった。大地は、女生徒の間でも人気が高いらしい。下手をすると、宙美は女生徒から怨まれそうな気配である。
「あの事故で、神戸さんは、お父様を亡くされました。征矢野君は、御両親と、御姉様を亡くされました。御二人の境遇も考え、仲良くしてあげて下さい」
 担任は、二人のために、教卓を開けた。
「はじめまして。征矢野隼人です。以前にも、何回か、ここに来た事があります。いずれ、ここに移り住む事になるのだろうなと、ぼんやりと考えていましたが、本当になってしまいました。まだ、こちらに慣れていないので、戸惑う事が多いのですが、頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします」
 にこやかに話したつもりだったが、内容が悪かったらしく、みんなの反応は悪かった。でも、大地が拍手をすると、みんなも吊られて拍手をした。
「神戸宙美です。地上でも、隼人君と同じクラスでした。こちらに来ても、同じクラスなので、腐れ縁みたいです」
 クラスから、忍び笑いが漏れた。
「ソラミは、「宇宙」の「宙」に「美しい」と書きます。名前で分かるように、隼人君とは違って、ここに来るのが生まれた時から決まっていました」
 宙美の説明に、肯く生徒も少なくなかった。周りが妙に説得されているのが、隼人には可笑しかった。
「ところで、私と大地君とは、従兄弟同士です。ちょっといい奴なので、できれば赤の他人として憧れていたかったのですが、身近過ぎるのが残念です。その代わり、大地君へのラブレターは、私がキューピット役をできます。遠慮無くどうぞ」
 彼女の自己紹介には、男子生徒も、女生徒も、大いに受けていた。彼女は、女生徒の恋の怨みを、上手に味方に付けてしまったようだ。
 彼女は、ここでも、クラスのアイドルになれそうである。
 二人が、それぞれに空いている席に座ると、そのまま授業が始まった。
 休み時間になると、隼人の回りにも、宙美の回りにも、みんなが集まってきた。
「地上じゃ、どこに住んでいたんだ?」とか、
「バスケットは、大地のチームより、俺のチームの方が強いぞ」とか、
「クラスのどの子が可愛いと思う?」とか、他愛の無い話がほとんどだった。
 こんな話をしながら、隼人と宙美の品定めをしているのだろう。
 大地は、隼人の傍にいて、黙ってみんなの話と隼人の受け答えを聞いていた。体格も大きいが、みんなよりもずっと大人の雰囲気を持っているなと、隼人は、大地の落ち着いた態度に感心した。
「宙美ちゃんは、好きな子が居るのかなぁ?」
 この質問は、答えに困った。
「そうだ。前の学校に、好きな子が居たんじゃないのか? 征矢野君なら知ってるだろ?」
 聞いてくる連中は、真剣な眼差しを送ってくる。
「居たみたいだよ。噂は聞いた事がある」
 この時、大地が何かを懸念する表情を見せている事に、隼人は気付かなかった。
「だけど、地上は壊滅状態だから、そいつも死んだんだろう。と言う事は、今は恋敵は居ないんだ。ここに居るみんながイーブンだ」
 男子生徒は、宙美の事で盛り上がった。
 恋敵が死んだなんて、随分、残酷な事を平気で言うものだと、隼人は、カチンときた。
「たぶん、そいつも生きてるよ。もしかしたら、二、三日後には、ここに転校してくるかもしれない。だって、そいつも、宇宙移民事業団の職員の子供だったから、僕らと一緒に地球を脱出できた筈だから」
 一瞬にして、場は静まり返った。大地が険しい表情を見せた。
「なんで、宇宙移民事業団の職員だったら、地球を脱出できたんだ? 何でだよ」
「そうだ。小惑星を落とした連中が、何で、その被害から逃げてこれるんだよ!」
「地上で、何人が死んだと思ってるんだ。オイ!」
 周囲の険悪なムードで、隼人は、恐怖すら感じた。そして、「誰もが被害者」と言った飛鳥の職員の言葉が蘇ってきた。
「僕にも、分からない」と口篭もった。
「何が分からないだ。そうか、分かったぞ。事業団の奴らが、脱出用のスペースプレーンを用意しておいて、小惑星を地球に落としたんだ。そうに決まってる」
 周りで、「そうだ! そうだ!」の大合唱が始まった。
「静かにしろ!」
 騒然と教室の中で、その声は、総てを圧倒する迫力があった。
 声の主は、大地だった。
「地上に居た事業団職員で、助かった者は、誰一人居ないんだ。誰一人、スペースプレーンに乗らなかったんだ。タイタニックでも、ボートを操船するために、一部の乗組員が脱出しているけど、隼人君達を飛鳥に運んだスペースプレーンは、また直ぐに地上に戻り、連絡を絶ってしまったんだ。彼等は、もっと多くの人を助けようと、決死の覚悟で地上に戻ったんだ」
(そうだったのか)
 そんな事は、全然知らなかった。本当に、助かったのは、スペースプレーンの客室に入れた者だけだったのだ。いや、客室にいた若いキャビンアテンダント達も、パイロットと一緒にスペースプレーンで地球に戻って行った筈だ。もっと多くの人々を救うため。そうだとすると……
「全員が死ぬために、小惑星を落とす訳がない。そうじゃないかな」
 諭すような話し振りだ。どう見ても、彼だけ年齢が違うような気がしてしまう。でも、その御陰で、ささくれ立っていた教室の雰囲気も、いくらか冷めてきた。
「納得がいかないなら、納得できるまで、僕が話そう。僕の父も、宇宙移民事業団の職員だ。詳しい情報も、父の元には入ってくるだろう。必要なら、父に掛け合い、情報を聞き出すぞ」
 教室が、静かになった。
「大地がそう言うなら……」
 その一言に、この教室における彼の存在の大きさが現れていた。
「みんな辛いのは、僕も分かる。僕の祖母は、地上で一人暮らしをしていた。四月に僕がここに来る時、父は祖母を連れてこようとした。でも、祖母は来なかった。あの時、首に縄を付けてでも連れてくるんだったと、胸が締め付けられるよう苦しくなる時がある。みんなも、大同小異だろう。親戚全員が無事だった奴なんて、どこにも居ないさ。みんなが被害者なんだ。それは、ここに居る隼人君や宙美も、それは同じなんだ」
 大地も、「みんなが被害者」と言う。正に、その通りなのだ。
「そうだった。俺達は、両親が生きてるけど、征矢野君は、両親とも亡くなったんだよな。それを忘れてたよ。ごめんよ」
 隼人は、その男子生徒に右手を出した。
「よろしくな」
 彼は、隼人の手を握り返してきた。
 誰かが、隼人の肩をポンと叩いた。次々に、握手を求めてきたし、左右の肩を、ポンポンと叩いていった。
 隼人は、クラスのみんなに受け入れられた事を感じた。

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  書類送検

  - 1 -

 居候の隼人を含めた梅原家の五人が一堂に会し、その日の夕食は、明るい雰囲気で始まった。
「一時は、どうなるかと思ったよ」と、大地が口火を切った。
 隼人は、少し恥ずかしかった。あの騒動の発端は、隼人の不用意な一言から始まったのだから。
「でも、大地君の御陰で助かったよ」
「大地君。何をしたの?」
 早速、宙美が食い付いてきた。あの時、宙美は大勢の女生徒に囲まれていて、隼人の周囲で起きていた騒動には気付いていなかったようだ。
「事業団の家族は全員脱出したって、僕が口を滑らせたものだから、凄く険悪なムードになったんだ」
 宙美の母の表情が、硬くなった。
「隼人君。ちょっと不用意よ。あの事件では、誰でもぴりぴりしてるのよ」
 彼女は、今日、数日ぶりに警察に呼び出されていた。朝は、明るい表情で幽霊の話をしていたが、その裏側では、亡き夫に助けを求めていたのかもしれない。
 大地は全員が死亡したと言ったが、実際には彼女だけが宇宙移民事業団の地上に居た職員で地球を脱出していた。だから、警察も、地上での様子を知る唯一の人物として、執拗に追い続けているようだ。
「その事は、一切、口に出さないようにしなさい」
 芙美子の注意に、隼人も素直に頷いた。
「でも、大地君が、みんな被害者なんだって、説得してくれて。兎に角、上手く納めてくれたんだ」
 宙美は、テーブルの正面に座っていた大地を、小さく睨んだ。
「また、大人みたいな口を利いたんでしょう」
 宙美の愛くるしい瞳が、くりくり動いた。
「そんな事に頭を使ってばかりいたら、あっという間におじいちゃんになっちゃうぞ」
 宙美が言うと、こんな言い方でも可愛く聞こえるから、不思議だ。でも、大地には、宙美が口煩く聞こえるらしく、早々と「ごちそうさま」を言うと、隣の居間に席を移した。
「ねぇ、おじさま。私、早速、ラブレターをメールで貰ったのよ」
 うきうきした声で話す。父親を失った事を、微塵も感じさせない。
「スペースコロニーの男の子って、手が早いんじゃないのかしら」
「そんな筈がない!!!」
 大地が、大声で居間から叫んだ。
「手が早いわよぉ!」と、宙美は、居間の大地に向かってアカンベェをした。
「違うんだ!」
「違わないわよ!」と、宙美は言い返した。
 大地は、それを無視した。彼の視線は、TVに釘付けとなったままだった。
「早く、こっちに来い!」
 彼は、視線を動かさず、宙美を呼び付けた。
「どうしたって言うの?」
「隼人君も、早く!」
 渋々、席を立つ宙美の後を追って、隼人も居間に入った。
 見ると、大地は、怒りの目を立体TVに向けていた。
「……現在、検察庁前と中継が繋がっています。検察庁前の滝口リポーター、何か新しい情報はありますか?」
 TVの中で、キャスターが、リポーターを呼び出そうとしているが、何かの手違いがあったらしく、中継が繋がらなかった。
「中継が繋がらないようです。中継が繋がりましたら、また、滝口リポーターを呼び出したいと思います」
 キャスターは、正面に向き直った。
「繰り返し、お伝えします。本日十八時二十五分、警察庁は、小惑星墜落事故に関連して、業務上重過失致死傷の疑いで、征矢野勝史容疑者他五人を検察庁へ被疑者死亡のまま書類送検しました。征矢野勝史容疑者は、宇宙移民事業団の管制センター長を努めていた八月十九日、資源用小惑星が軌道を逸脱した際に適切な措置を講じなかったため、数億人を死に至らしめ、十数億人を負傷させた業務上重過失致死傷の疑いが持たれています」
「何かの間違いだろう」
 大地の父の震える声が、隼人の頭の上から降ってきた。
(そうさ。間違いに決まっている)
 だが、TVからは、非情な言葉が続く。
「スタジオには、弁護士の笹本さんにおこし頂いています。早速ですが、笹本さん。どうして、業務上重過失致死傷なのでしょうか。殺人罪の間違いではないかと、TVを御覧の皆さんも思っておいでだと思うのですが」
 弁護士だという笹本は、もったいぶった言い方で、キャスターの質問に答えた。
「殺人罪というのは、殺意を持って死に至らしめる行為を行った場合に適用されます。今回の場合、征矢野容疑者の他に、五人が業務上過失致死傷で書類送検されていますが、いずれも被疑者は死亡しています。征矢野容疑者が殺意を持っていたと仮定した場合、この事件に関係していた他の五人も、同様の殺意を持っていた事になります。しかし、全員が殺意を持ち、かつ死を覚悟していたとは、考え難い事です。この事から、殺意は無かったと判断されたものと思われます」
「しかし、征矢野容疑者に殺意があり、彼が他の五人をマインドコントロールしていたとは、考えられないでしょうか。あるいは、全員が、何かの狂信的な宗教に入信していて、その教義の一環として、今回の事故を意図的に引き起こしたとは、考えられないでしょうか。また、六人が、自殺テロを働いたとは、考えられないのでしょうか」
 キャスターは、過激なほどに突っ込んでいく。
「マインドコントロールにしても、狂信的な宗教にしても、それらを考える場合、征矢野容疑者ら六人以外の犯人も考えられます」
「その可能性は、低いでしょう。仮に、他に犯人が居るとすると、その犯人は、恐らく、地上以外で事の成り行きを見ていた事になります。そうでなければ、結果を見る事ができません。しかし、地上以外となると、何十万キロも離れた所から、征矢野容疑者に指示を与えていた事になる訳ですから、現実的ではありませんよ」
「ええ、ですから、今回の事故は、征矢野容疑者らの過失によるものと考えるべきなのです。ただし、現行法では、業務上重過失致死の最大の量刑でも、五年です。何億もの人間を殺して、この先の食糧事情の悪化から、更に億単位の人々が亡くなる可能性が高い事からも、五年の刑期で出所できるのは、現行法の問題点でしょう。今回は、被疑者死亡により、書類送検のみとなりました。しかし、同じ様な事故が再発した際に備え、量刑の加算を行えるようにする等の法整備が必要になると思います」
「量刑の加算とは、どのようなものなのでしょうか」
「量刑の加算は、複数の犯罪に対し、それぞれの量刑を決め、それを加算して適用する方法です。例えば、今回のような場合、およそ数億の人を死に至らしめているので、一人当たり五年の刑期でも、仮に死者を五億人とすると五億人分の量刑が加算されるので、懲役二十五億年となるわけです」
「懲役二十五億年ですか。ですが、死刑はどうなりますか」
「量刑が五十年以上となるような大きな犯罪には、死刑に切り替える仕組みを加える方法もあります。実際に、死刑制度の無い国でも、五十年以上も獄中で生きていられた例は、ほとんどありませんから、量刑が五十年以上になる場合を死刑とする事は、妥当なところでしょう。また、量刑の加算をした場合の長所として、減刑で重罪を犯したものが簡単に出所できなくなる点が挙げられます。減刑は、加算された懲役の中で行われるので、懲役百年の服役囚は五年の減刑を受けても、服役期間は九十五年までしか減らない訳ですから、簡単には出所できません。
 但し、このような刑法の改正は、基本的人権の問題が絡みますので、十分な審議を尽くした上で行うべきでしょう」
 流石に弁護士らしく、最後に慎重な意見を言い添えた。
「私は、加害者の基本的人権を云々する事は、個人的には嫌いです。何故かと言いますと、被害者の基本的人権が蔑ろにされているためなのです。
 犯罪を犯した時点で、加害者は、被害者の基本的人権を著しく侵害している訳ですから、まず、被害者の基本的人権を中心に考え、それが完璧に守られるようにした上で、加害者の基本的人権を考えていくべきだと思っています。今回の事故でも、何の罪も無い子供たちが、何億人も犠牲になっています。それも、多くは、飢えと寒さに苦しめられた後で、天に召されたのです。余りにも惨い最期ではないでしょうか」
「おっしゃる通りです。ですから、私も、弁護士会を通じて、現行法の改正を、真剣に討議していきたいと考えています」
 キャスターの言っている事は、概ね間違っていないと、隼人も思った。だが、父が、あの未曾有の大惨事の全責任を問われる事が、どうしても納得できなかった。
 食堂で、ガタンと音がして翔貴が立ち上がった。翔貴は、食事を残し、二階へと上がって行った。
 ここに来た時にも、やつれているような気がしていたが、今は、その時以上に疲れを感じさせる顔になっていた。宇宙移民事業団の責任は重く、翔貴にも、捜査の手が伸び、心労を助長させている事は、想像に難くない。実際、地上の事業団職員で唯一助かった芙美子は、今日、警察庁に呼び出されている。彼女は、小惑星の件には一切の関係が無いため、警察庁での事情聴取でも、地上での様子を確認する以上の目的が無かった筈だ。
 しかし、翔貴は、小惑星の軌道修正の初期段階で関係していたそうで、事情聴取と言うより、取り調べに近いのかもしれない。彼の表情に現れる疲労の度合いが、それを示しているように思えてならない。
 父に掛かった嫌疑を父自身が晴らせない事は、非常に悔しいところだが、翔貴を見ていると、死んだ父は幸せだったのかもと、思わずにはいられなかった。
 隼人は、父が憔悴していく様を思い描く事はできなかった。
「大地君。おじさんは、大丈夫かな」
 振り返った大地は、彼らしくない表情を見せていた。
「心配してくれてありがとう。僕も、気にはしているんだけど。でも、これは、父の問題なんだ。父自身が解決するしかないんだ。僕には、してあげる事は何もない。精々、父の心配事の種を増やさないようにする事くらいしかない」
 彼の言う通りなのだが、何かしてあげられる事も、どこかにありそうな気がした。
 二階で、翔貴がバタンと音を立て閉めた頃、地下で玄関のチャイムが鳴った。

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  - 2 -

 芙美子の代わりにインターフォンを取った宙美が、「家宅捜索?!」と聞き直しているのが聞こえた。
 動転した宙美が、芙美子に事情を説明している間、大地がインターフォンを取った。それを尻目に、隼人は、階段を駆け上がり、自室に飛び込んだ。
(家宅捜索の目的は、僕が持ってきたパソコンだ)
 隼人が地上から持ってきた品物は、手当たり次第、箱に詰めて持ち帰ってしまうだろう。それが、隼人の品か、父の品かは、持ち帰った後で分析する筈だ。彼等が、パソコンを見付けたら、喜んで持ち帰るだろう。
 隼人は、焦った。
 どこに隠せばいいのか、考えがまとまらなかった。
 警察は、隼人が荷物を二個も持ち込んだ事を押さえている筈だ。もちろん、パソコンを組み込んだアタッシュケースもだ。しかも、パソコンが入っている事も知っている。検疫官が見ているので、彼の記憶にも残っていただろう。パソコン本体を隠したら、益々疑われてしまう。
「よし!」
 隼人は、ドライバーを手に、パソコンを組み込んであるアタッシュケースと格闘を始めた。
 数分後、階段をドタドタと上がってくる足音が聞こえた。
「隼人君の部屋は、ここです」
 ドアの前で、大地が説明する声が聞こえた。ドアがノックされ、間髪を入れずに見覚えのある検事が、部屋に入ってきた。
「小惑星墜落事故の捜査で家宅捜索をします。征矢野勝史の私物を全て押収するので、隠さないようにしなさい」
「家宅捜索……ですか?」
「そうだ。君は、征矢野勝史の着替えと称して、荷物を二個も持ち込んでいるね。それを押収する」
「でも、父の分は、着替えだけですよ。それも、下着が主です」
「隠し立てすると、後で大変な事になるよ」
「ですが、本当に着替えだけなんです。父は、着替えを持ってこいとだけ、僕に言ったんですから」
 そう、あれが父の声を聞いた最後になったのだと思うと、死者を呼び捨てにする理不尽さに腹が立ってきた。
「君が、パソコンを持ち込んでいる事は、調べが付いているんだよ」
「パソコンは、僕のものです。父は、見た事も無い筈です」
「そんな言い訳が通用すると思うのかい。あの非常時に、パソコンを持ち出している異常さに、私が気が付かないと思っているのかね」
「僕が、小惑星の墜落を聞かされたのは、飛鳥に着いてからだし、周りの人も、似たようなものでしたよ。僕は、以前から申請していた飛鳥への見学が急に決まったくらいに考えて、家を出たんです。留守番ロボットには、三日間の留守番をセットしていたくらいですよ」
 ほぼ、事実だった。
「君のパソコンでも、征矢野勝史のパソコンでも構わない。君がここに持ち込んだ総てが、押収の対象だ」
 流石に、苛着いている様子が、隼人にも手に取るように分かった。
「そうだよ」
 検事の後ろから、小笠原警部も口を出した。穏やかで、慈悲に満ちた優しさで、隼人に視線を送っていた。
「素直に出した方がいいよ。家宅捜索令状には、君が持ち込んだ品総てが指定されているから、パソコンが君のものかどうかは関係無いんだよ。それに、あまり君が抵抗すると、公務執行妨害にもなり兼ねない。そうなると、私は君を逮捕しなければならなくなってしまう。そうならないように、協力してくれないか」
 隼人は、諦めた。
「分かりました。でも、これは僕の声紋でパスワードを掛けてあるから、今から、パスワードを解除します。それで、中を簡単に調査できるようになる筈です。でも、自作のパソコンだから、扱い難いと思います。もし、分からない事があったら、僕に伝えてください。説明をします。だから、壊さないでくださいよ。それから、父が触っていない事が分かったら、直ぐに返してください」
「いいだろう。約束しよう。いいですね、有馬検事」
 検事は、苦虫を噛み潰したような顔で、渋々肯いた。
 隼人は、パソコンを立ち上げ、音声入力でパスワードによるロックを解除した。
 運搬ロボットの多くが手ぶらで帰るほど、押収物の少ない呆気ない家宅捜索だった。有馬検事だけは、目的のパソコンが手に入った事で、渋い顔を続けながらも、どこか満足そうだった。
「隼人君……」
 大地が、不思議そうな顔をしていた。
「パソコンを隠しに二階に上がったと思ってたんだけど、違ったのかい?」
「え?」
「君が先に二階に上がっただろう。てっきり、パソコンを隠しに言ったんだと思ってたよ。だから、下で家宅捜索令状の内容を細かくチェックして、時間稼ぎをしてたんだけど」
 大地の推理力と咄嗟の対応には、驚くばかりだ。
「なぁんだ。そうだったのね。どうりで、大地君にしては珍しく、捜査令状の内容に拘っていたのね」
「まあね。でも、僕の推理が外れていたみたいだね」
 推理が外れたと大地が言ったが、宙美は尊敬の目で彼を見詰めていた。それが、寂しくも、悲しくもあった。だから、大地の推理が当たっていた事を隠したい心理が働いたが、事情があって大地には話すしかなかった。
「実はね、大地君の時間稼ぎは、凄く助かったんだよ。大地君の部屋に行ってもいいかな」
 隼人は、大地の了承も得ない内に、彼の自室に入り込んだ。そして、彼の通学鞄の中から、新書版程の大きさの黒い電子デバイスの箱を三個取り出した。
「それは?」
 流石の大地も、呆気に取られていた。
「記憶素子だよ。実質、これが本体みたいなものさ。本体には、OSが入った物が一つ残っているだけだよ。自作のパソコンだから、これを取り外した事には、気付かないと思うよ」
 記憶素子を取り外す事は、ただの思い付きだった。自作のパソコンだからこそ、手早くできたのだが、外した記憶素子の隠し場所には、少々往生した。
 もう一つ、メモリ構成の修正も必要だった。これをしなければ、OSが抜き取られた記憶素子の部分のエラーを検出してしまうし、ディレクトリ構成を見たら簡単に気付かれてしまう。これを修正するための時間を、結果的に大地が作り出してくれたのだ。
「呆れちゃうわ」
 宙美には、大地の時とは正反対の反応を示され、ショックを感じた。

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  - 3 -

 翌日、三人は、昨日と同じ様に登校した。
 昨日は、あれほど多くの学生が、大地に向かって挨拶していたのに、今日は、誰も挨拶してくれなかった。大地が声を掛けても、誰もが無視を決め込んだ。声を掛けた相手は、大地の顔を確認し、刺すような視線を返してくる。その視線は、大地よりも隼人に向けられているような気がした。
 教室に入ると、疎外感は、一層強まった。
 誰一人として、三人に声を掛けるものは居なかった。あれほど、信望の厚かった筈の大地にさえ、声を掛けようとしなかった。大地は、我慢ならないのか、一人の男子生徒に近寄った。
「理由は、見当が付いている。だけど、俺達に敵意を向けるのは、お門違いだ」
 攻撃的な大地の態度に、一瞬、その生徒は怯んだ。しかし、彼の回りに人が集まり始めると、強気になった。
「あいつの父親のせいで、みんなが犠牲になったんだ。姉さんは、最初の子供を宿してたんだ。初めての子供だったから、姉さんも、親父やお袋も、すっごく期待してたんだ。今月には、ここへ戻ってきて、出産する予定だったんだ。お袋なんか、うきうきしてベビー用品を買い揃えてたんだ。だけど、あいつの父親のせいで、姉さんは、地上で凍え死んだ。それ以来、お袋は半狂乱さ」
 隼人は、何も言い返せなかった。
 父が、資源用小惑星の軌道変更の全責任を負う立場にいた事は、間違いのない事実だった。資源用小惑星が墜落した原因は兎も角、現実に、小惑星の軌道変更を行い、それに失敗して墜落させてしまったのだ。
 弁解の余地は、どこにもなかった。
 隼人は、大地の服の裾を引っ張った。
「いいんだ。事実なんだから」
「違う。違うんだ。隼人君、事実じゃない! 俺達は、何もしていないし、何の責任も無い。僕達は、それぞれ、独立した人間なんだ。親が犯罪を犯しても、俺達がそれを背負う責任はないし、逆に、俺達が犯罪を犯しても、親はその責任を負わない。良い例が、少年法だ。
 少年の更正と社会復帰、将来を考慮して、少年保護の立場が少年法の基本スタンスだ。だから、少年は、成人のような責任は問われない。でも、保護監督責任がある保護者にも、刑事責任を問われない。保護監督責任があっても、別個の人間として、法律は運用されるんだ。
 少年法でさえ、そうなんだ。だから、親の責任を僕達が負う必要は、一切ないんだ」
 大地の説得で、教室のざわめきと殺気が、少し納まりかけた。今回も、大地の力で、この場を納める事ができそうに思えた。だが、それは、隼人の希望的な観測に過ぎなかったのかもしれない。
「そんな七面倒くさい理屈なんか、俺には関係無い! 俺は、お前らが大嫌いなんだ。それだけだ」
 論理的に大地が説明しても、誰も耳を貸さなかった。それほど、みんなが、そして民衆が、小惑星墜落事故に対して、感情的になっていたのだ。
 感情的になり、集団ヒステリー状態にあった。
 普通なら、彼のような感情的な言い方をすれば、周囲の嫌悪を誘い、集団から徐々に締め出されていくものだ。だが、全員が似たような状況にあり、やり場のない怒りに満ちていた。だから、彼の感情の発露は、それこそが、全員の感情であり、代弁であった。だから、全員の心の裏での示し合わせを産み出し、賛同を得てしまった。
「大地は、隼人のどこが、そんなに気に入ったんだ。こんな奴のどこがいいんだ?」
 彼は、隼人の脇に立ち、突き付けるように指差した。
「僕は、今まで、誰も特別扱いした事はない。隼人君も、例外じゃない」
「それなら、大地の親父が、宇宙移民事業団の職員だからだな」
「親が関係無い事は、さっきも言っただろう」
 大地は、勢い良く立ち上がった。反動で、彼の椅子は引っくり返った。
「大地は、親父を庇ってるんだろう。そのためには、宇宙移民事業団に問題があるのは、矛盾が出てしまうから、事業団の問題を隠そうとしてるんじゃないか。そのためには、隼人の親父も庇わざるをえない。そうに決まっている」
「僕は、一度も、父や隼人君のお父さんの事を言った事は……」
「ふざけるな! 問題を摩り替えるな!」
 クラス中の生徒が、三人を取り囲んだ。
「大地君、私、あなたを見損なったわ。お父さんの事を正当化するために、隼人君を庇うなんて、最低よ」
「問題を摩り替えているのは……」
 隼人が、割って入ろうとしたが、誰かが、大地を殴り倒した。大きな大地が、一瞬、よろめいた。
「大地君」
 宙美が、慌てて駆け寄った。
「大丈夫?」
 だが、肩を掴まれて押し退けられ、宙美は後退った。その様子を見た時の大地の目が、恐ろしいほどの形相に変わった。
「オイ、コラ! お前達、そこで何をしている!」
 担任の怒声が、教室中に響いた。
 生徒達は、どこから声がしたのかと、動きを止めて、辺りを見回した。その隙に、大地は、宙美を抱きかかえるようにして、みんなの輪から、一歩、抜け出した。隼人も、それに習った。
「早く、席に着きなさい。授業をはじめるぞぉ」
 担任の号令で、何事も無かったかのように、素直に従うクラスメートの姿に、隼人は不気味ささえ感じた。
(彼等の標的は、僕一人なんだ。大地を、それに巻き込んでしまった)
 クラスメートは、誰一人として、担任には全く逆らわず、ただ一つの標的に向かって、足並みを揃えた行動を取っている。何かが起こるだろうと、隼人は、確信めいた恐怖に慄いた。

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