伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

カテゴリ:索引 > 沈んだ過去 溺れる未来

  13

 頬に床の冷たさを感じたのも一瞬だった。
 跳ね起きると、反射的に緊急事態の発令スイッチを押して部屋を飛び出した。既に閉まりかけている防水ハッチを躱すようにすり抜け、指揮所に飛び込んだ。
 最初に目にしたのは、瓜生が鮎田を平手打ちにしているシーンだった。
「瓜生、抑えろ! 両舷後進、船足を止めろ! ギアをエマージェンシーポジションまでおろせ! ハッチの閉鎖確認後に点呼! 左舷指揮所の起動を確認しろ!」
 瓜生は、端末に戻り、確認を始めた。鮎田も立ち上がり、よろよろと端末の一つに取り付いた。村岡自身も、手近な端末を起動し、航行状態を確認した。鮎田か瓜生か分からないが、村岡が命ずるより先に、ギアを下ろしていたし、船足は止まっていた。
「左舷指揮所、浦橋さん。聞こえますか?」
 船内無線機で呼び出す。
「こちら、浦橋。左舷指揮所には、私と江坂さん、松井君が居ます」
「右舷指揮所は、私と鮎田、瓜生、魚塚の四名だ」
「おいらも、数に入れてほしいな」
 背後から声を掛けてきたのは、小和田だった。
「五名だ。井本さんが居ない!」
「私なら、自室に居ます」と無線機が鳴った。
「OK。負傷者は居ないか?」
「左舷指揮所は大丈夫です」
「私も打ち身程度ね」と、井本が付け加えた。
 村岡は、右舷指揮所内を見回した。
「右舷もOKだ。浸水状況を確認しろ。左舷は、浸水が無ければ、ハッチを開いて井本さんと合流してください。合流後は、ハッチは再閉鎖です」
「了解」
「海底までの距離は?」
「六.六メートルです」
 十メートルを維持させていたはずだが、やや低い。浸水している可能性がある。
 背筋に寒いものを感じた。
「鮎田。深度計を注視しろ。変化があれば、報告! トリムを確認!」
「トリム、右舷へ〇.五度、船尾へ〇.二度」
 問題になる傾斜ではない。運用上は、トリムを一度以内に保つことになっている。航行中のトリムは容易ではないが、『うりゅう』の実力は高く、海象の影響を受けないこの深さでは、〇.一度から〇.二度の範囲で治まっていた。
「トリムは、変化しているか?」
「ロールは〇.四度に戻っています。事故直後は、〇.七度になっていましたから、回復しています」
 傾斜の状況から、何が起きているのか、おぼろげながら見えてきた。運の良い事に、大事には至っていないようだ。
 左舷の井本の状況だけが、気になっていた。
 二分後、左舷指揮所から、井本と合流し、全員が左舷指揮所に集合した旨の連絡が入った。
「損傷状況の確認をする。火災、ガスクロマトグラフの確認。生命維持装置、酸素タンク、水素タンク、燃料電池は、特に注意してくれ」
「火災はありません。船内の全ガスセンサーの値は、正常です」
「水素タンク、酸素タンク、異常なし」
「空調装置、異常なし。電気系統異常なし」
 主なライフラインは、無事なようだ。
「ビルジ水位、変化無し。漏水センサーに異状はありません」
「トリムバランスは、どうなった? 浮力は?」
「トリムは正常値に戻りました。問題ありません。キール下から海底までの距離は、六.七メートルです。浮力も、平衡状態のままです」
 浸水は、無いらしい。僅かに、余剰浮力も存在しているらしい。
「左舷。船内の損傷を詳細に調査し、報告をくれ。特に、酸素、水素、二酸化炭素に注意してほしい」
「了解。調査を開始します」
「右舷側は、事故原因の調査だ。鮎田。事故直前からの報告をしてくれ」
 そうは言ったが、気の重い役割だ。瓜生が、鮎田を平手打ちしたということは、鮎田に重大な落ち度があったはずだ。瓜生は、無闇に手を上げたりはしない。
 この件は、どうやら大事には至らなかった。だからこそ、鮎田には、しっかり反省してもらいたいのだ。
 事実は、瓜生に聞けば全容が見えることは、最初から分かっていた。瓜生も、拳を振り回したのではなく、平手打ちだった。瓜生としては、鮎田に状況を認識してほしかったのではなかろうか。
 そう思ったから、瓜生ではなく、鮎田に語らせることにした。
「事故の直前、大量のエコーが同時に映りました。でも、ミサイルの残骸にしては、大きさも形も量も、余りに違いすぎました。それで、これを無視することに決めました。その直後に、C1のケーブルが岩に引っ掛かったんだと思います」
「瓜生は、どうしていたんだ。何か、言われていなかったか?」
「瓜生さんは、停船しろと言いました」
「なぜ、彼の言うとおりにしなかった?」
「なぜって、あのときの責任者は、僕です。僕に決定権があります。瓜生さんの命令を聞く必要はありません」
「勘違いをしているぞ。瓜生は、経験豊富な潜水士だ。海の中では、彼の経験は重要だ。それを有効に使うのが、お前の役目だ。今回の件で、最大の問題は、瓜生が危険を感じて停船を要求したのに、お前は危険な方向に、その要求を無視したことだ。彼の意見を無視するなら、彼の判断より安全な方向に導くことだ」
 鮎田は、理解してくれたようだ。しゅんとなっている。
「これから二十四時間は、当直から外す。今から、事故に至る経緯と、事故後の安全確認状況、被害詳細をレポートにまとめろ」
 鮎田は、右舷指揮所の端に移動した。
 村岡は、事故直前の深度と水深のデータを調べ始めた。
「スキッパー。緩い傾斜地を登りかけてる」
 隣に来た瓜生が、耳元で囁いた。
 彼の指摘は、数字で表されていた。C1のソナーのデータを見ると、C1と『うりゅう』の間に、起伏の盛り上がりがあるらしい。ケーブルは、斜面と盛り上がりで海底とのクリアランスが保てなくなったケーブルが、途中の岩か何かに引っかかったことが原因らしい。
「各員、被害報告は、私と鮎田に入れてくれ。鮎田の方で被害状況をまとめる」
 これで、全員に対して、事故時の責任者が鮎田であったことが明確になったはずだ。
 鮎田には、辛い状況が生まれたわけだ。
 彼には成長してほしい。彼は、頭が良い。状況判断も悪くない。この経験を糧として、大きく成長してほしいのだ。
 被害報告は、次々と集まってきた。どの報告も、被害無しか、資料棚が散乱しているといった極軽微なものばかりだった。
「本船は危急の状態に無いことを確認した。水密ハッチを開け。総員、右舷食堂に集まってくれ」
 全員が食堂に集まるのに、一分と掛からなかった。
「みんな聞いてくれ。取り敢えずの安全は確認できた。だが、緊急浮上を免れたという程度だ。今から、周辺の確認を行う」
「確認は結構だが、無線封鎖は継続だ」
「松井さん。状況を理解してくれ。今から、D1で、浦橋さんと江坂君で、『うりゅう』からC1までの状況の確認を行ってくれ。艇体に重大な損傷がない限り、無線封鎖を継続する。通信の要否は、浦橋さんの判断に従う。瓜生。G1で、『うりゅう』の進行方向の安全確認を行ってくれ。危険な任務なので、気をつけて任務に当たってほしい。僅かでも危険を感じたら、遠慮することは無い。無線封鎖を解除してよい。判断は、君に一任する」
「勝手な判断は、止めてもらいたい。指揮権は、我々にあるということを忘れてもらっては困る」
「最初に確認したはずだ。操船上の指揮権は、私にある。そちらの意に沿うように、最大限の協力をしている。事故発生時は、潜水病などの危険がない限り、緊急浮上が運用規定に記述されているのに、それを曲げて協力している。それでも指揮権云々を言うなら、こちらも操船上の指揮権を行使し、運用規定どおりに浮上して緊急信号を発信する。今が最大限の譲歩の状態だ。この条件で納得がいかないなら、この場で私を解任することだ」
「そこまで言うなら、解任し、自室で謹慎していてもらおうか」
「悪いが、自室に篭るつもりはない。あんたが操船するなら、命がいくつあっても足りない。とっととこの船から脱出する。嵐の前のネズミのようにね」
「スキッパーが船を下りるなら、この船に残るのは三人だよ」
 魚塚が、尻馬に乗ってきた。
「三人に私を入れているなら、計算違いだ。この船に残るのは、二人になるだろう」
 浦橋は、魚塚を一睨みしてそう言った。
「松井さん。私たちの連敗のようね。脱出する時は、私達も仲間に入れ下さらない?」
「話はついたようだ。さあ、みんな、作業に取り掛かってくれ。魚塚は、俺と一緒に、艇内の再チェックだ。小和田は、瓜生のバックアップを頼む」
 それぞれに、担当部署に散っていった。それを見て、村岡も行動を起こした。
 一時間近くも掛けて、船内をくまなく調べて回った。その結果は、歓迎すべきものだった。あれほどの衝撃を感じたにもかかわらず、浸水はもちろん、耐圧構造に歪はなかった。
 船内のチェックを終えて指揮所に戻ってくるところで、浦橋たちと合流した。
「スキッパー、C1の損傷は、軽微です。ケーブルの巻き取り装置は、かなり変形していますが、あそこで衝撃を逃がしてくれたようです。そのかわり、ケーブルの巻き取りはお勧めしません。修理の必要は無いのですが、正確に言うなら、『うりゅう』単独での修理は不可能です」
「映像を見よう。解説してくれますね」
 浦橋の言うとおり、C1用のケーブルの巻き取り装置がひどく変形していた。これで巻き取り装置を稼動させれば、新たな問題が起きる危険性が高い。
 D1で撮影した画像は、一通り、確認を終わった。タイミングよく、瓜生が戻ってきた。彼も、二時間に及ぶ潜水の記録を、映像に収めていた。
「浦橋さんと魚塚は、左舷指揮所でC1のケーブルの処理方法と、今後の探査方法の検討をしてくれ。江坂さんは、記録映像を使って、鮎田のレポートを手伝ってくれ」
 三人は、それぞれに散っていった。
 瓜生は、自らが撮ってきたG1の映像データを『うりゅう』のデータベースにコピーしていた。
「何も言わない。映像を見ないと、誰も信じない」
 瓜生にしては、意味深長な言葉を口にした。
 瓜生がそう言うのだから、有り得ない状況が、この先に存在するのだろう。彼が撮影してきた映像に移っているのは、ミサイルではない。ミサイルなら、こんな言い方をしない。ミサイルの正確な位置と状態を、最小限度の言葉で表すだろう。
「勿体ぶるね」と、小和田。
 瓜生が、指揮所の端末で再生を始めた。
 一体、何があるのだろうか。
 大規模な地滑り痕だろうか。それなら、彼は地滑り痕があることと、その範囲と状況を言うだろう。
 熱水鉱床だろうか。この辺りで、熱水の噴出を確認されたことはない。大和堆の形成からみても、考えにくい。瓜生は無学だ。地質上の知識は必要最小限だ。単に熱水鉱床があるとだけ報告するだろう。
 ノアの箱舟を発見したのだろうか。全長が百メートルを超える巨大木造船だ。タールを塗って水漏れを防いだとも伝えられている。詳細に調べれば、中世以降の帆船との違いは、直ぐに明確になる。二千年以上も前から語り継がれてきた伝説だ。そんなに古い船が、一目で分かるような痕跡を留めているだろうか。
 瓜生がノアの箱舟を見つけたら、絶対的な証拠がない限り「全長約百メートルの木造沈船を発見」とだけ言うだろう。
 映像は、『うりゅう』の下を通り抜け、前方の傾斜を登っていく。瓜生は、真正面ではなく、少し左寄りに登った。その方向が、斜面の向きだったからだ。
 カメラは、G1の頭部の右側にある。ライトは、頭頂部にある。左側は、ソナーが備えられているが、今回は止められている。カメラの映像には、時刻と位置、方向が、一緒に録画されている。本来なら、これにソナー映像も重ねることができるのだが。
 ライトが照らす短い距離の先は、どこまでも続く暗闇だ。千メートル以上と言われる日本海の堆積物だが、この辺りは、それほどではないだろう。それでも、マリンスノーが降り積もった海底は、白砂のようだ。周囲の暗闇との関係で、モノクロ映像を見ているようだ。時々、瓜生の息遣いが入るが、無音の時間が過ぎていく。海底に転々と見える岩の頭が、何かが潜んでいることを予感させる。
 村岡は、瓜生が見たものを想像した。
 彼が見たのは、空飛ぶ円盤だろうかと、突飛もないことを思いついた。これなら、間違いなく「映像を見ないと誰も信じない」と瓜生が言うだろう。
 ただ、有り得ないという意味では、映像を見ても信じられないかもしれない。
「岩ばっかりじゃないか」
 不満気な小和田とは違い、村岡は気になっていた。
 やけに、岩が多い。それも、似たような大きさの岩だ。海底噴火で見られる枕状溶岩なら、大きさは似てくるが、折り重なるように積み上がるのが普通だ。マリンスノーで覆われているが、積み重なっていないことはわかる。古城の石垣が崩れてたような感じなのだ。
 不思議な場所だ。
 急に傾斜が強まった。壁のように、眼前に立ちはだかる。
「どういうことだ?」
 思わず口を突いて出た。
 カメラは、舐めるように壁を上昇していく。直ぐに壁は途切れた。そこで、カメラは動きを止めた。
「おぅ」
 初めて、瓜生の声が録音されていた。
 その声の表す意味は、誰にも分かった。有り得ない光景が、そこに広がっていた。
「周りを見せろ!」
 録画だということを忘れて、小和田が叫ぶ。
 瓜生は、ここで立ち止まったらしく、ゆっくりと左右にカメラを、体を振った。
 ライトが届く範囲は、精々二十メートルだ。半径二十メートルには入りきらないが、その先を想像させる正確な連続性を備えている。
 カメラは、また前進を始めた。
「ここまでで充分だ。時間がない」
 瓜生は、映像を止めた。
「先を見せろ!」
 小和田は興奮している。饒舌で、本気か冗談か分からない男だが、興奮しているところは見たのは、初めてだ。
「小和田、この映像のコピーを作り、『うりゅう』のデータベース以外の場所に隠せ。今回のミッションが終わったら、浅海さんに初期化されてしまうぞ」
 戦場を回ってきた男は、感情のコントロールが上手い。一、二度、深呼吸をすると、にやっと笑って姿を消した。
「瓜生。鮎田に、この先の海底の形状を教え、航路選定をさせろ。お前の顔を見て、あいつは興奮するかもしれないが、上手くやってくれ」
 江坂を呼び寄せると、左舷の指揮所に向かった。
 頭が痛い問題があった。
 浦橋がどんな行動に出るか分からないことだ。しかし、年長で思慮深い浦橋を信頼することが、『うりゅう』乗組員全員の利益に繋がると、村岡は信じることにした。

       < 次章へ >              < 目次へ >

12

 予想通り、松井がイの一番にやってきた。直ぐ後ろには、井本の姿も見えた。
「新しい探査方法を採用しただけだ。効率を三十倍に上げられる方法だが、ミサイルを見つけたくないなら、元の方法に戻すよ」
 憮然とした表情で何か言おうとしていた松井を井本は制した。
「説明をしてからにして」
「簡単に言うと、パッシブ・ソナーで、探査範囲を幅三百メートルに広げたということだ」
「ソナーですって! ソナーは使用禁止って、あれほど言っておいたはずよ」
「アクティブ・ソナーは、禁止なんだろう。隠密行動だから。今度のやり方は、パッシブソナーだ」
「村岡さん。パッシブ・ソナーは、探査には使えないのが常識だよ。おふざけは、止めてもらいたい」
 パッシブソナーは、潜水艦や艦船が発する音、主にスクリュー音を聞き取るソナーだ。音を発しないミサイルを探査はできないことを、松井は言いたいのだ。
「右舷三百メートル先をC1が併走している。ソナーで音を拾っているのは、C1だ。C1の聴音マイクで、『うりゅう』のスクリュー音を拾っているんだよ」
「『うりゅう』のスクリュー音を聞いていても仕方ない。真面目に探査をやってもらおう」
「海自の潜水艦乗りは、スクリュー音で敵味方の識別しかしないから、それ以外の使い道に気付かないのかい? 考えてみなよ。平和目的の『うりゅう』は、騒音を撒き散らしてるんだぞ。C1だけじゃない。他の外装機器も、騒音対策をしていない。スクリューも同じだ。スクリューは、単調な音を出し続けるから、これをソナー音源にすれば、音源と聴音マイクとの間の音の乱れから、何かあることくらい分かるようにできる」
「上手くいくはずが無い」
「上手くいったから、やり方を切り替えたのさ」
 まだ何か言いたそうな松井を抑え、井本は「次からは、相談してから始めてちょうだい」と言うと、踵を返した。
 一人取り残された松井だが、一睨みしてから、井本の後を追った。
 村岡らは、浦橋らに引継ぎを行い、そのまま夕食の準備を始めた。
 夕食は、浦橋と小和田を除いた全員が、食堂に集まった。
 一人一人の顔を見ていくと、焦りと疲労が浮かんでいる。不満を抱え、苛々しているようにも見える。
 チームが崩れかかっている。
 元々の探査方法では、探査が終わるまで年単位の時間が必要だった。そんな実のない探査を強要されて、不満が溜まらないはずがない。
 一方で、松井にも、焦りの色が見える。
 オカで大見得切ってきたのだろう。手ぶらでは帰れまい。ミサイルの破片の一つでも、持ち帰りたいのだろう。
 井本だけが、表情から何も読み取れない。
 彼女の仕事ぶりは、そつがない。今回も、ミサイルが見つかっても見つからなくても、己の評価を上げられるように、周到に考えてきているのだろう。
 夕食が終わると、それぞれに食堂を出て行った。お互いに話し合うことも無く、乗組員がばらばらになってしまった。
 四日前に出た極秘命令から、『うりゅう』の乗組員は振り回され続けている。
 実の無い任務は、否応無しに疲労を蓄積する。何をするのかさえ知らされずにいた三日間。その後の単調で延々と続く捜索。忍耐力を試されているような気がしてくる。
 それだけではない。
 この捜索は、捜索対象範囲だけでも、二ヶ月以上も掛かる。探査方法を見直しても、これだけの日数が必要なのだ。今回は、瓜生島調査をしているように見せかけているので、調査期間最終日には、『うりゅう』を別府湾に戻さなければならない。
 今回の捜索で見つからなければ、次の科学調査でも、今回同様に調査海域を抜け出して、ミサイル捜索に借り出される可能性がある。
 そんなことになれば、学術研究どころではない。
 新たな対策を講じなければならないが、村岡には策がなかった。
 あれやこれやと考えながら、夕食の片づけをした。
 夕食の片づけを終え、村岡が自室に戻るのを待っていたかのように、呼び出しがあった。
「反応は、ソナーか? 磁気か?」
「ソナーです」
 鮎田の声だ。
「停船させろ。直ぐに行く」
 右舷の指揮所では、瓜生が待っていた。指で、ソナーの映像を示した。
「ミサイルの可能性があるな。D1を出す。浦橋さんと江坂君を呼び出してくれ」
 浦橋も江坂も、すぐに来た。それより一歩早く来たのが、井本と松井だった。
「右舷百二十メートルの位置に、それらしいエコーがあった。これから、D1を出して確認する」
 D1とは、円盤型の二人乗りの小型潜水艇で、潜水円盤とも言う。大人二人が乗ると、ほぼ浮力がゼロになるように設計されている。このため、バラスト関係の補機を必要とせず、小型で機動性に富む潜水艇である。
「浦橋さん、江坂君と二人で、目標物の確認をしてきてくれないか」
「直ぐに出る。充電は?」
「OKです」と、鮎田が答えた。
「浦橋さん、水中電話は禁止ですよ。いいですね」
 松井が釘を刺す。
「わかっている」
 『うりゅう』の騒音レベルを知っていれば、無用な用心だと分かるのだが。
「ミサイルかな」と、松井が言う。
 こんなに簡単に見つかるはずが無い。これも、たぶん違うだろう。
 だが、そんな気持ちは口に出さなかった。
 十分後、江坂は落ち込んだ表情で戻ってきた。
「ただの岩でした。映像を見たいのでしたら、サーバーに転送を掛けておきました」
「見せてください」と井本が言うので、江坂は、端末の一つに映像を呼び出した。
「こんな岩を一つずつ調べてたら、敵わないわ。直ぐに、捜索を再開させなさい!」
 鮎田は、落ち込んだ様子で、『うりゅう』を発進させた。
 鮎田から村岡が引き継いだ午前零時から午前四時は、何事も無く過ぎた。
 引継ぎの午前四時前に、浦橋がやってきた。
「破片さえ、見つかりませんな」
 浦橋は、共感を求める眼差しで村岡を見た。
 元は、海上自衛隊の潜水艦乗りで、本人の弁によれば、海中自衛隊と言うほど、潜水艦一筋だったそうだ。最初から、潜水艦勤務を希望し、入隊から数年で希望が適うと、潜水艦勤務にしがみついてきた。
 その中で、潜水艦同士の知られざる戦いが、本当に戦争抑止力として機能しているのか、疑問に感じるようになったという。日本近海において、他国の潜水艦を発見し、監視し、優位な位置を押さえる事で、核を持たない日本にとって、核を含めた戦争抑止力として、潜水艦が役立っていると、上司から教えられてきた。
 しかし、海中での見えざる戦闘の状況を、どれほど各国の元首が理解しているか、疑問に感じるようになった。
 『うりゅう』の募集に応じたのは、パワーゲームから離れた世界で潜水艦に乗りたかったからだと言う。
「破片で納得してくれればいいのですが」
「そうですな。最終目標は、弾頭でしょう。せめて、エンジンだけでも見つかれば、矛先の収めようもあろうというもの。早く見つけたいですな」
 浦橋が当直に入るのに、他人事のように言った。
 彼は、ミサイル捜索の勝算の低さを認めたくないのかもしれない。
 規定に則って引継ぎを済ませると、村岡は自室に戻った。
 ところが、部屋の扉を開きかけたところで、また呼び出しが掛かった。
 これで三度目だ。
 これからは、部屋に戻るのは止めようかとも思った。
 指揮所に取って返すと、小和田がソナー画面の前で手招きしていた。
「怪しいと思いませんか。このエコー」
 なるほど。細長く伸びたエコーは、ミサイルと見えなくもない。
「右舷、二百四十メートルくらいだな。C1を回すのが早かろう」
 既に、『うりゅう』は停船している。
「少し後退させます。ケーブルが届くかどうか、厳しいところですから」
 浦橋は、『うりゅう』の両舷を、微速後進にセットしていた。
 浦橋の操船は見事で、C1が目的の地点に届くぎりぎりの位置に『うりゅう』を止めた。
 いつの間にか、井本と松井もやってきていた。二人は、小和田の説明を聞いている。その後ろには、他の乗組員も集まっていた。
「C1を早く寄せるんだ」
「やってるよぉ」
 小和田の軽い返事。真面目か、どうか、外からでは分からない男だ。
 小和田が、C1を目標地点に向かわせていたらしく、直ぐに、エコーの正体が見つかった。
「くそ! 誰が石を並べたんだ」
 松井が、雑言を吐き出した。彼の言うとおり、綺麗に数十個の白い物が並んでいた。
「こんな深さで石を綺麗に並べる奴がいたら、会いに行きたいね」
 石の正体に気付いているらしく、小和田は松井を馬鹿にした。
「自然に石が並ぶはずが無いだろう。並べたのは、お前か」
「俺が、あんたの邪魔をしているように言いたいのか? お門違いだよ。俺たちは、あんた以上に、早く見つけたいのさ。あんたらと違って、ミサイルを見つけた後から、おいらの仕事が始まるんだから」
 小和田は、笑みを浮かべながら言った。それが、松井の逆鱗に触れることも知った上で、彼はやるのだ。
 険悪な空気に包まれた。村岡は、浦橋を見たが、苦笑いしている。口を挿む気は無いらしい。
 いきなり、松井が小和田の肩を突いた。一度よろめいたが、体勢を立て直し小和田はパンチを繰り出した。が、パンチは途中で止まった。後ろに来ていた瓜生が、小和田の腕を掴んでいた。
 小和田がパンチを繰り出そうとした瞬間に、松井は受身と反撃の態勢を整えていた。だから、小和田のパンチが止まっても、松井は反射的に反撃をした。ただ、瓜生が小和田を腕ごと引き戻していたので、松井のパンチも空を切った。
 村岡は、慌てて両者の間に入り、松井の第二段を止めた。
「松井さん。うちの乗組員に暴力を振るっていたら、俺は即座に浮上して、海保に負傷者が出たと打電していたよ」
「ふざけるな! 先に手を出したのは、彼の方だ」
「ふざけてるのは、あなたの方だ。あの石の並びを見て、人間が並べたと思うような弩素人がミサイルを探そうとしている。俺達には、それが信じられない」
「なんだと!」
「松井君。あれは、死んだ鯨の脊椎骨だよ。だから、綺麗に並んでいるんだ。日本海側で大型の鯨の骨が見つかるのは稀だがね」
 松井も、浦橋には一目置いているらしく、浦橋に目を遣った後は、両手の拳を握り締めたまま、何も言わなかった。
「ソナーの性能は高くない。アクティブソナーを使わせてくれるなら、もう少し早くなるかもしれないが」
「また、その話の蒸し返すのね。でも、駄目よ。今のやり方を続けてちょうだい。松井さん、行きましょう」
 綺麗に引き際をまとめ、井本は姿を消した。
 ただ、流石の井本も、切れた。
 それもそのはず。
 浦橋の当直の間に、更に二回も緊急招集があったのだ。結果は、どちらも漁具だった。
 深夜の呼び出しが二度もあったので、睡眠が妨げられたらしく、イライラを募らせていた。
「こんなに頻繁に止まっていたら、先に進めないでしょう。何とかしなさい!」
 捨て台詞を残して、彼女は自室に戻って行った。調査能力を三十倍に引き上げたのだ。緊急招集の頻度も、三十倍になって当然だ。その言葉を、彼女の背中に投げつけたかったが、ぐっと飲み込んだ。
「仕方が無いな。魚塚、何とかするしかない」
「スキッパーも、無茶言いますね。でも、何とかしましょう。協力をお願いしますよ」
「分かってるよ。江坂さん。そっちも、対策が無いか、考えてくれないかな」
「しょうがないな。安眠妨害されっぱなしじゃ、堪らないからな」
「よし。それまでは、今までどおり、頑張ってくれ」
 村岡は、疲れた体を引きずり、自室へと戻った。ベッドに体を投げ出すように、転がり込んだ。
 それも、ほんの一時間ほどで睡眠を打ち切った。
 朝食だった。
 鮎田と瓜生は、江坂と共に当直に就いていた。小和田は、井本の隣で、食べるのももどかしそうに話し掛けている。浦橋と松井も並んで食事をしていた。こちらは、まるでロボットのような正確で無駄の無い動きを繰り返していた。
 当番が用意した物を、自分でテーブルに並べ、急いで食べた。
 朝食の片付けは、浦橋と小和田の担当なのだ。早く食べれば、彼らもさっさと片付け、その分だけ早く寝られる。
 ただ、村岡が食べ終わった時、小和田自身はまだ食べ終わっていなかった。
「小和田君、早く片付けて体を安めな」
 その一言だけ言って、指揮所の様子も見に行った。
 鮎田は、緊張感は緩んでいなかった。瓜生は、相変わらず淡々と作業を行っている。
「江坂さんは?」
「左舷の指揮所に行っています。あっちの方が人が居ないので集中できるようです」
 鮎田は、端末の画面を睨んだまま、そう答えた。
 言外には、サボっているとの疑いが込められている。
「それより、スキッパーは、休んでください。夕べは寝ていないでしょう?」
「俺は、立ったままでも寝れるから心配するな。それに、部屋に戻ると、なぜか呼び出しを食らうんだ」
「そうですか。タイミングが悪いんですね」
「運は、この船に乗るときに使い果たしたからな」
 鮎田の表情が緩んだ。
「しっかり頼むぞ」
 そう言って、指揮所を出た。左舷の指揮所は気になったが、自室に戻った。
 自室の扉を閉める時には、少し緊張した。また、何かで呼び出しが入るのではないかと、冷や冷やものだった。幸い、この時は、何も起こらなかった。
 どうやら、不運の神も、疲れたらしい。
 村岡は、遠くで瓜生の声を聞きながら、ベッドに転がり込んだ。
「えっ!」
 疲れからか、寝惚けていたので気にしていなかったが、この違和感の意味に気付いた。
 瓜生が、ここまで届くほどの大声を上げることは、今まで無かったことだ。何を言っているのか確認しようと、ベッド上で体を起こした直後、弦が張るような音が聞こえた。
 事故だ!
 直感して、ベッドから降りようとした時、軋むような音の後、激しい振動と騒音に襲われた。『うりゅう』をつんのめるような衝撃が襲った。
 村岡は、その衝撃で、頭から床に落ちた。

       < 次章へ >              < 目次へ >

  11

 潜水艇で行う深海の探査は、通常なら観測窓から行うものだ。『うりゅう』にも、窓はたくさん付いている。観測窓としての機能を考えて設けられた窓は多くないが、各船室には一つずつ窓があり、船外灯が照らす海底を楽しむことができる。これは、船外の状況を確認しやすいという実用性と、長期の探査において、閉鎖空間のストレスを和らげる事も、目的に含まれている。
 だが、今回の探査は、ミサイルなので、磁気探査を行うことにした。だから、磁気反応が出なければ、観測窓を使うことはない。ずっと、観測モニターに映し出される数値を睨んでいるだけの退屈で変化の無い航海が続くのだ。
 浦橋に言わせれば、潜水艦の作戦行動はこんなものだと言う。潜水艦は、ソナーだけを頼りに航海する。それも、パッシブソナーで見えない相手を探すのだ。暗闇の中で物音を立てる獣が居ないか、探し回るようなものだ。相手より大きな物音を立てれば、負けに繋がる。息を潜ませ、耳を欹て、気配を何ヶ月も探し続ける。神経をすり減らす割には変化に乏しい。
 浦橋には、この探査作戦は、慣れ親しんだやり方に似ているのだ。
 村岡にしてみれば、浦橋の経験は、今回ほど頼もしく思えることはないだろう。
 今回の件で、裏取引の嫌疑が掛かる浦橋だが、今は普段通りの任務を淡々とこなしている。最もきつい時間帯の四時から八時の時間帯を担当している。
 その彼が担当する時間帯で、呼び出し音が鳴った。
 ミサイルの可能性がある磁気反応が見つかったのだ。
 自室でベッドに入ったばかりの村岡は、枕元のインターフォンに飛び付いた。
「浦橋さん、ミサイルか?」
「いえ、磁気反応があっただけです。今から、探査コースを外し、問題の場所に直行しまます」
「分かった。直ぐに行く」
 運が良いなと、村岡は思った。
 ミサイル捜索は、昨日の午前に始まったばかりだった。まだ、一日も経っていない。こんなに早く結果が出るとは思ってもいなかった。
 右舷の指揮所に入ると、江坂が待っていた。浦橋は、江坂に目配せした。
「磁気エコーです。見ての通り、期待薄です」と首を竦めた。
 村岡にも、それが分かった。ミサイルにしては、強すぎるのだ。
「やっと見つかったか! 全員に招集を掛けろ!」
 飛び込んでくるなり、松井は頭ごなしに命じた。怪しい物体を見つけたら、村岡と江坂、それに井本と松井に連絡を入れる約束事になっていた。物体がミサイルであることが確認されると、井本と松井の指揮で、引き上げ作業を行うことになっていた。
 少し遅れて、井本も入ってきた。
「村岡さん、全員に招集を掛けましたか? これから、不休で引き揚げ作業に入ります」
「確認が取れたら、招集を掛ける」
「ぬるい。全て事前に準備しておくべきだ。私の方で招集を掛けさせてもらう」
 松井は、制服のインカムの機能を使い、招集を掛けてしまった。
「松井さん。勝手な行動は謹んでください。これは、ミサイルじゃなさそうだ。おそらく沈船。ミサイルにしては、エコーが大きすぎる」
 ほとんど同時に、残る四人も飛び込んできた。
 真っ先に飛び込んできた瓜生は、まず磁気レーダーに飛び付いた。それに一瞥を加えると、無言のまま指揮所を出て行った。
「スキッパー、発見は何分前ですか?」と小和田が問う。
「三分以上前だ」
 小和田は、首を竦めた。
「素人さんのお付き合いは、大変ですね、スキッパー」
 これには、無言で頷くしかなかった。
 ミサイル程度の物体なら、直ぐ近くでないと磁気を検出できない。三分以上も掛けて接近しなければならないほど遠い位置で見つけたのなら、よほど大きな物体だから、ミサイルではない。小和田は、そう推測したのだろう。
「井本さん。お部屋に戻りましょう。体力は温存するべきです。あの二人は、これから三十分くらいやりあうことになるでしょうから、付き合っていたら体が持ちませんよ」
 小和田は、井本の肩を抱くように、促した。
 小和田が言う二人とは、鮎田と松井のことだろう。
 井本は、毅然とした表情のまま、その場に居た。彼女にしてみれば、磁気エコーの正体を確認するまでは、松井と鮎田がやり合おうと、その場で待つつもりなのだろう。
 瓜生が去った後の磁気レーダーを見ていた魚塚と鮎田だが、顔を上げた時には、怒りが浮かんでいた。
「スキッパー、召集を掛けたのはこいつでしょう」
 鮎田は、松井の鼻先に指先を向けた。
 どう答えようか、考えあぐねている時、『うりゅう』が減速するのを感じた。
「浦橋さん、画像を出せますか?」
「メインスクリーンを見てください」
 浦橋は、船外灯を点け、スクリーンが明るくなった。
 船外灯で照らし出せるのは、精々三十メートルだ。その先は、靄がかかったような闇がある。その中から、ぼんやりと何かが現れた。
 『うりゅう』は、ほとんど船足を止めていたが、手探りで闇を歩く人のように、慣性でゆっくりと進んでいた。
 スクリーンにぼんやりと映っていた物体は、『うりゅう』の左舷下に移動していた。やがて、その物体の輪郭がはっきりしてきた。
 スクリーンに映し出されたのは、朽ち果てた漁船だった。
「さてと、松井さん。乗組員の消耗を考えると、これが繰り返されれば、浮上して乗組員に休息を与える必要が生じます。御承知おきを」
 村岡は、松井に警告を発した。
「それで、我々を脅迫したつもりか」
「どうやら、素人さんのようなので、今後起こり得る事態を説明しておいた方が良いかと思いまして」
 村岡は、鮎田らに向かって「召集解除だ。各自、休息を取りなさい」と言った。
「スキッパー。何で、鮎田を焚き付けないんですか。見ものだったのに」
 小和田は、不遜なことを言った。
「あなたも、休息を取りなさい」
 井本は、小和田をかわして、指揮所を出て行った。
 浦橋は、何事も無かったように、『うりゅう』を元の探査ルートに戻す作業に入っていた。
 ただ、魚塚は指揮所に残っていた。
「スキッパー。探査方法で試してみたいことがあるんですが」
 彼は、有能なエンジニアだ。本来の専門はロック・エンジニアで、岩盤の有効利用を考えるのだが、地質調査の能力と、土木関連機材の操作と保守もこなす。『うりゅう』においては、機関長に相当する職務の責任者で、本体の機関や補機のみならず、付属する調査用機材にも精通している。
「話を聞こう。何だ?」
「C1を使って、音響探査を行おうと思うのです」
「C1で何をするつもりなのかな? それ以前に、音響探査は、あの二人のお気に召さないと思うが」
「あの二人が気にしているのは、アクティブソナーです。僕のは、『うりゅう』の機関騒音を利用したパッシブソナーです」
「つまり、『うりゅう』のスクリュー音や艇体から出る騒音をC1でキャッチし、騒音波形の乱れから、『うりゅう』とC1の間にある物体を見つけようというのだな。でも、解析用のプログラムが必要だろう」
「物体があるかどうかの解析ができるソフトは、夜の内に作りました。単体での動作に問題はありませんが、実際の捜索での試験が必要です」
「どうしたい?」
「先程、発見した沈船を使って、検出できるか、試してみたいと思います」
「つまり、同じ場所を通れというのだな」
「一度で良いので、あの場所を通過してほしいのです」
「あれじゃ駄目だ。対象が大きすぎる。俺たちが探しているミサイルの残骸は、バラバラになっているはずだ。海底の石ころを調べるようなものだ。過去のデータを調べて、海底の岩でミサイルの残骸に見立てられそうなものを探し、それを検出できるかの確認を行った上で、君の意見を採用することにしよう」
「分かりました」
 魚塚は、左舷の指揮所に向かっていった。目視データのチェックは、左舷で行っている。右舷を操船に専念させるためだ。
 朝食後、三時間ほどの仮眠を取った村岡の元に、魚塚が戻ってきた。
 次の担当時間に備え、早昼を食べながら、魚塚の話を聞いた。
「二箇所に、適当な大きさの岩と船具がありました。これで、『うりゅう』に近い位置にある場合と、C1に近い位置にある場合の二種類の試験が行えます」
「分かった。試験方法を明文化しなさい。君のプログラムの内部データを採取しながら、試験をしてみようじゃないか。次の四直で試験を行う。時間が無い。大至急、準備をしてくれ」
 岩の位置を魚塚から確認して、転進の位置とC1の進出位置を検討した。
 ミサイルの捜索パターンは、推定位置を中心に陸上競技場のトラックのような直線と曲線を組み合わせた形を取っている。これを、徐々に外側へと右回りの渦巻状に広げていく。
 魚塚が言う岩の位置は、既に通過している。
 この先で『うりゅう』は、渦巻きを一段外側へと進路を取るが、C1は、『うりゅう』の右舷側へ進出させ、捜索済みの海域をスキャンする。
 この方法でよい結果が得られれば、捜索の経路を右回りから左回りに変えるつもりだ。
 渦巻きの線と線の幅は、僅かに十メートル。早朝の漁船のような巨大なものなら、かなり離れた位置からでも検出できるが、ミサイル部品の中の磁性体や鉄の使用量から考えれば、真上を通過しても検出できるかどうか、怪しいところだ。
 当然、外部のカメラを用いて、目視で監視している。
 そのまま監視するのでは、非常に厳しいので、ライトの角度と陰影から、自動的に物の大きさと凡その形状を検出するソフトを用いている。撮影済みの画像データを処理し、海底から不自然に盛り上がっているものを見つけたら、それが映像上に示される。
 遺物が浅く埋もれている場合、海底に痕跡が残る場合が多い。これを見つけるのが、本来の機能だ。
 カメラのチェックは、非常に疲れる作業だ。これを、不眠不休で行っている。
 勤務は、三交代になっている。これは、二十四時間航行時の勤務形態だ。操船は、村岡、浦橋、鮎田が四時間交代であたる。それぞれ、魚塚、小和田、瓜生が、バックアップする。
 江坂は、客員の扱いなので、この勤務形態から外れ、八時から十七時までの勤務となる。
 カメラをチェックするのは、バックアップの三人だが、昼間の時間帯には、江坂と井本と松井で、録画されている画像を再確認している。
 これらの作業は、非常にきつい。特に、バックアップの三人は、リアルタイムにチェックするので、気の休まる間が無い。
 もう一つの問題は、このペースで調査海域を調査しきれないということだ。
 調査海域は、北西から南東に九十キロ余り、北東から南東に四十五キロ余りだ。調査時の速力は五ノット。時速にすれば、九キロ余りだ。長軸方向に十時間航行し、折り返す。一日で調査できるのは、幅二十メートル分に過ぎない。
 このペースでは、調査海域の捜索に掛かる時間は、六年だ。現実的ではない。
 別府湾での調査に戻るのは、浮上当日となるだろう。
 魚塚のアイデアは、実現の可能性が高く、効率も桁外れに向上する。彼のアイデア通りであれば、三十倍に効率が向上する。それでも、調査に必要な期間は二ヵ月半だが、海自から提供された座標の精度から見て、もっと早く見つけることができるだろう。
 実際の航行パターンは、四十五キロ航行し、右旋回で百八十度の回頭を行う。再び、右旋回で百八十度の回頭を行う。回頭時の半径は、毎回五メートルずつ大きくする。
 『わだつみ』との会合点から四十二キロ北上した地点を基点とし、北西に向けて五時間の捜索を行った。そこで回頭し、今度は南東に向けて五時間。更に、北東方向に五時間の捜索活動を行った。
 沈船が見つかったのは、四レーン目の終わりごろだった。
 トータルで三十分近いロスがあったので、今は五レーン目の終盤だった。
 村岡の当直時間帯の早いタイミングで、五レーン目が終わり、六レーンに向けてのターンを行う。この少し前に、C1を切り離したい。三百メートルのケーブル一杯に離し、三百メートルの幅で捜索を行えば、三十倍も早くなる。
 ターン開始前にC1を切り離した。所定の位置まで展開するためには、時間が掛かる。ターン前に切り離しておけば、ターンの直径分だけ、C1の展開距離が短くて済む。
「さあ、始めるぞ。画像データは、俺が見るから、C1の位置とソナーは頼むぞ」
「OKだ。C1も所定の位置だ。問題ない」
 ミサイルの残骸に見立てた岩は、二箇所だ。どちらも、一時間以上も先の位置だ。C1は、掃海が終わっている海域はもちろん、その六倍の幅をサーチしている。
 C1は、最大で千メートルまで、ケーブルを延ばすことができる。しかし、水平には、三百メートルが限界だ。
 C1と『うりゅう』を結ぶアンビリカル・ケーブルは、浮力調整機能が付いている。ケーブル内に、浮力調整用のフレキシブルパイプが、同軸に配されている。ここに入れるエアの圧力で、浮力を調整する。パイプは、往路と復路の二本構成で、途中に、調圧用の小さな弁が仕込まれているので、この弁の開閉で、パイプ内に滞留するエアの圧力を調整する。弁は、膨張率が高いゴムを用いている。この弁の中に通された電熱線で温度を管理し、弁の開閉を行う。
 フレキシブルパイプの内圧を下げると、水圧でパイプ断面が変形し、浮力を失う。逆に、内圧を上げることで、浮力を増すこともできる。
 このフレキシブルパイプは、本来の目的が、余剰浮力が少ないC1への荷重を減らすことにあるので、C1に近い部分から二百メートル分にしか、フレキシブルパイプは配置されていない。弁は、二十メートルに一箇所の割合になっているので、十のセクションで区切られていることになる。残る二百メートルは、ほぼ海水と浮力が一致するように調整されているが、水深や温度で比重が変わるので、必ずしもバランスが取れるとは限らない。
 村岡は、主に画像表示画面を見ながら、航海計器からも目を離さない。予想していたより、ハードな作業だった。
 魚塚は、C1のソナーデータに見入っている。
「スキッパー。上手くいっています。鯨の骨でも検出できそうですし、小さな石ころでも、ちゃんと拾っているようです」
「まだ、結論は早い。例の岩を、大きさまでキチンと検出できてから、この手法の検討をしよう」
 単調な作業が続く。
 本来の調査は、手が抜けない。この探査方法が失敗した場合でも、このレーンの調査は完了させる必要がある。
 二時間余り後、問題の岩に近付いた。
「残り三十メートルだぞ。検出できないか?」
「まだです。この方法だと、C1との間に入らないと駄目なんです」
「残り十メートル」
「検出しました。エコーの大きさと、実際のサイズとの比率を調整をします」
「次の岩までの間に、エコー強度と実際の物体との関係を見極めておけ」
 数分後、二箇所目の岩の上を通過した。
「どうです」
 自信たっぷりに、魚塚が言う。文句なしの成績だ。
「残る問題は、材質を区別できるかだ」
「無理だって、スキッパーも分かっているでしょう。岩とミサイルだと、硬さが近いから、音波の反射率が似てきてしまいます。泥との区別はできても、そんなの意味が無いですよね」
「分かったよ。言うとおりだ。形状を見分ける精度を上げることだ。どの程度、正確に見つけられるかで、あの二人を説得できるかが、決まる。まあ、次を取り舵で旋回するつもりだけど、それに気付いたら、言い訳を考えよう」
 浦橋が担当する五直になっても、魚塚と共に指揮所に残った。そして、六レーン目が終わった時、それまでの面舵とは反対に、取り舵を切らせた。
「何をやってるんですか!」

       < 次章へ >              < 目次へ >

  10

 研究と言うと、知的で格好いいイメージがあるが、実態は、まるで違う。根気がいる事はもちろんだが、必要な忍耐は半端ではない。
 著名な研究者には、次男が多いといわれている。
 一般に、長男は政治家にむいていると言われ、事実、日本の総理大臣には長男が多い。長男は、下の兄弟の面倒を見るので、政治家にむくのだそうだ。
 末っ子は、芸術・芸能関係で活躍する人に多い。家業を継ぐ必要がなく、兄弟から面倒を見てもらう立場にある。そのため、年上の人間の顔色を読んで要領良く生きる術を学び、浮き沈みの激しい芸能関係にも対応できるらしい。
 研究者は、人一倍の忍耐が要求される。次男が多いというのは、上からは兄に押さえつけられ、下からは親の庇護を受ける弟から突き上げられ、忍耐を覚えるのだそうだ。
 新木も、三人兄弟の真ん中だ。下は妹だが、二つ違いの兄には力では敵わず、口達者な妹に手を出せば、母に言いつけられて怒られる経験を、幾度となく繰り返してきた。親友でもある浅村は、今時珍しい男ばかりの四兄弟の三番目で、似たような家庭環境に育っている。
 確かに、研究には忍耐が必須だ。特に、宇宙を相手にする時は、飛び切りの忍耐が必要だ。
 だが、研究者にもっとも必要な資質は、研究テーマを見つけ出す嗅覚だと思う。
 彼の主たる研究テーマは、粒子加速器を用いたニュートリノ研究にあるが、それが切っ掛けとなって、ニュートリノ通信の可能性を考えるようになった。
 ニュートリノの性質は、透過力の強さにある。ごく稀に、原子核にぶつかって、チェレンコフ光を発することがある。スーパーカミオカンデを代表とするニュートリノ検出器は、この特性を利用したものだ。
 透過力の強いニュートリノは、太陽の中心を見ることができる。熱の形では、太陽中心から表面に伝わるまで十万年以上も掛かると言われるが、ニュートリノは光の速さで通り抜ける。太陽の中心で起こったことは、八分二十秒後には地上で観測できる。
 この性質を用いれば、惑星や衛星等の裏側からでも、地球と交信することができる。
 現在、月面では国際基地の建設計画が進められているが、建設場所の制約として、月の表側にしか建設できない。
 よく知られているように、月は常に同じ面を地球に向けている。地球の方が直径が大きく、月自体も多少の揺れがあるが、地上から見える月面は、月全体のおよそ六割にしかならない。
 この性質は、月の裏側に利用価値を生む。
 月の裏側は、地球からの電波が届かない。地球が反射した太陽光も届かない。地球から出る赤外線も届かない。
 人類の活動も、地球の存在さえも、消し去ることができる場所なのだ。
 この利点が、主に宇宙の観測拠点としての価値を生み出している。特に、電波望遠鏡での観測では、人類活動による電波ノイズが皆無であり、重力が小さく、風も吹かないので、巨大な光学望遠鏡や電波望遠鏡の設置が可能である点で、観測成果が大いに期待できる。
 また、赤外線の観測も、電波望遠鏡と同様、成果が期待できる。地球上では大気による減衰が大きく、大気自体も赤外線を発していて、人類活動による赤外線も加わり、地上での観測は非常に難しい。大気圏外に出ても、地球周回軌道では、地球の表面からの赤外線ノイズが大きく、観測の制約が少なくない。
 その点、月の裏側では、これらの問題が全て解消する。
 観測拠点としては、利点が多い月の裏側だが、地上との通信では、絶望的な場所である。特に、高緯度地域は、月周回軌道に通信衛星を投入したとしても、通信衛星とも電波が届きにくく、電離層がない月では、短波のDX通信も出来ない。まさに、通信の離島となってしまう。
 この対策として、新木はニュートリノ通信を考え始めた。
 筑波からスーパーカミオカンデへのニュートリノの照射は、形を変えながら数回にわたって行われてきた。新木は、大学院時代からこれらに関わってきた。ニュートリノ通信に可能性を見つけたのは、そのせいだろう。人工的に作られたニュートリノを、離れた場所で受信する。これに情報を乗せれば、通信そのものだ。
 彼は、発想を切り替えた。
 宇宙の色々な場所からやってくるニュートリノの中には、知性体が人工的に作り出し、情報を乗せているものがあるのではないかと、考え始めたのだ。
 一九六〇年に行われたオズマ計画では、二十一センチ波の電波を対象に、知的生命からの電波を観測した。これを、新木はニュートリノで行おうと考えたのだ。
 彼が用意できる受信機は、スーパーカミオカンデしかない。これで受信した内容の中から情報を取り出すには、変調方式を考える必要がある。情報を乗せる変調方式は、実に多種多様である。だが、今のカミオカンデの感度では、複雑な変調方式は検出できない。
 彼が選んだ変調方式は、時間軸に対して強度が変化する最も単純なAM方式だった。それも、短文を繰り返し送信していると仮定した。
 この仮定の下、過去のスーパーカミオカンデの全ての受信データについて、特定の時間毎に区切って集積し、一定時間内で特徴のあるピークが存在するか、区切る時間幅を変化させながら調査してきた。
 その結果、明確なパターンの繰り返しを発見したのだ。
 ある時期から通信が始まったらしく、信号量も全体の中では極僅かだったため、有意の信号をノイズの中から選り分ける事自体が難しかった。
 そこで、有意と思われる信号を分かっている範囲で抽出し、宇宙のどこから来たのか、飛来元を調べた。スーパーカミオカンデは、一.六度と解像度が低いものの、どこから飛んできたのか、目安にはなる。
 ところが、方位に相関を見出すことはできなかった。
 ここで、この研究は中断してしまった。ニュートリノ通信が実際に行われているとしても、スーパーカミオカンデで検出できるニュートリノは、通信全体から見れば、ほんの一部でしかない。だからこそ、一定周期で繰り返される通信に絞って、検出を試みたのだ。繰り返される通信なら、受信データを蓄積でき、本当の情報を読み取ることができるからだ。
 新木の心のどこかに、宇宙空間では、ニュートリノ通信が一般的になっているのではないか、知的生命を探査するには、ニュートリノを調べるべきではないのかと、繰り返し響いていたのだった。
 そんな折も折、浅村が訪ねてきた。そして、マイクロマシンだという微小物体を見せられた。
 その時、ニュートリノ通信で見落としていた点があることに気付かされたのだ。
 浅村が発見したマイクロマシンが示したのは、かなり前から地球外の知的生命が地球を直接的に調査していることである。
 これを踏まえて考えると、ニュートリノ通信は、マイクロマシン間の通信手段として、非常に優れていることがわかる。地表面のあちこちにばら撒かれたであろうマイクロマシンは、電波による通信が非常に難しい。もちろん、短波帯は、一部の不感帯を除けば、地球全体をカバーできないことはない。でも、地表面より下、例えば海中や地中を調査する場合には、通信手段として使うことができない。
 ニュートリノ通信では、この問題は、一切関係ない。
 考えてみると、ニュートリノ通信は、惑星探査に最適の通信手段なのだ。
 新木は、以前に発見した特長あるニュートリノの受信パターンが、ニュートリノ通信であると確信した。
「他の恒星系の探査をする際に、どんな探査システムを作るか、考えてみる必要があるな」
 問題を考える上で、マイクロマシンを用いて探査を行う事は、確定事項として考えておく必要がある。
「やっぱり、中継基地が必用だよな」
 そう。マイクロマシンが、それぞれに母星と交信するのは無理がある。地球上か、少なくとも太陽系内に中継基地が必要だろう。
 ニュートリノの飛来方向は、通常、宇宙空間から来ることを前提としている。そのため、地球の自転や公転を考慮して、赤緯・赤経に変換されている。また、観測対象として太陽も重要な対象なので、太陽を基準とした座標系も計算できるようになっているし、地上の原子炉も対象となるので、地上の座標系も持っている。
 最も可能性が高いところから押さえていく必要がある。まずは、地球上に中継基地があるものとして調べてみた。
 結果は、黒だった。
 スーパーカミオカンデから見ると、およそ北西方向で、ほぼ水平方向だった。
「中継基地は、地表面付近にあるはずだ。この角度なら、ウラジオストックの辺りで地表に出てしまう。ちょっと変だな」
 方向を延長していっても、黒龍江省か、中ロ国境線のアムール川沿いの地域となる。こちらは、厳しい気候が災いして、未開発地域が多い。あるとすれば、この地域かもしれないが、いくら誤差があると言っても、こんなに離れた場所になるほどの精度は低くない。
 新木は、地球上に中継基地があるとしたら、極地のような場所を想定していた。それが、ユーラシア大陸の極東地域とは、思っても見なかった。
 新木は、中継基地の推定位置を月、火星、フォボス、ダイモス、ガリレオ衛星等、可能性がある場所について、座標を変換して調査できるように、プログラムを作り始めた。
 地球の周回軌道については、可能性があるのだが、既にスペースデブリの観測が長く続けられているのに、中継基地らしい物体が見つかっていないこと、八十一万年も月の影響を受け続けても維持できる軌道は考えにくいことから、無視することにした。
「一度、浅村と話し合ってみるか。何か、浮かぶかもしれないし」
 彼から預かったUSBを返す口実がある。
 自分の予定表をめくり始めた。

       < 次章へ >              < 目次へ >

  9

「あんたらの命令は聞けない!」
 魚塚だった。声は、食堂から聞こえた。声のトーンで、魚塚の苛立ちがわかる。村岡は、歩を早め、食堂に入った。
 食堂には、魚塚と浦橋、そして意外な人物が居た。
「村岡さん!」
 よく通る女性の声が、食堂に響いた。聞きなれた声だった。
「やっぱり、あんたか」
 村岡の顔見知りだと知って、魚塚も面食らったようだ。
「二年ぶりかな」
「それくらいかしら」
 そっけなく言う。
 元の妻の横顔を見つめる。端正な顔立ちの美人である。隙が無い美しさというべきか。
 隙が無いと言えば、彼女の全てにそれが言える。どれが得意なのか分からないが、どれを取っても一流だった。頭脳明晰で、今も文科省のキャリアとして高みへと駆け上がり続けている。生け花にお茶は当然のようにこなし、ピアノとバイオリンが得意で、書道も有段者。趣味が乗馬とテニスで、村岡の影響を受けて、スキューバもする。
 典型的なお嬢様だ。
 ところが、意外な事に料理が得意で、しかも家庭料理のレパートリーが豊富だとは、結婚して初めて知った。二人で暮らしていた時は、掃除に洗濯もスマートに片付け、正に、男性にとって理想の女性を形にしたような存在だった。
 彼女の欠点は、欠点が無いこと。
 少なくとも、村岡にとっては、それが彼女の致命的な欠点だった。
「スッキパー、この二人が『うりゅう』の指揮権があるといって聞かないんです。何とか言ってやってくださいよ」
 魚塚は、泣きついてきた。
「浦橋さん。状況を説明してください」
「いあや、浅海さんがこの二人を乗せたんですが、状況を説明しないで下船してしまったので、私にも説明のしようが・・・」
 村岡は、元妻の井本を見た。
「あたしが、説明するわ。まず、隣は松井さん。『うりゅう』は、本日〇四〇〇時から、あたし達の指揮下に入りました。これから、ある品物の捜索と引き上げを行うために、秘密裏に作戦行動を行います。作戦完了時、あたし達は下船します。あなた方は、浅海さんの指揮下に戻り、別府湾を目指します。最終的には、村岡さんの指揮下で瓜生島調査に復帰することになります」
「つまり、国家権力によるシージャックを受けたわけだね」と村岡は不満をぶちまけた。
「解釈は自由です。作戦が完了するまで、指揮権は、あたし達にあるということです」
「すごく曖昧な内容だな。指揮権を振りかざしているのに、何も見せないとは気に入らない。指揮権はやろう。だが、精度の高い情報が無い限り、動くつもりはない」
「君らは、こっちの命令で動いてくれれば良い。安全は、こちらで保障する」
「大きく出たな。海自で潜水艦に乗っていたんだろうが、訓練を受けていない船を操るのが、どれほど危険か、骨身にしみて分かっているだろう」
 村岡は、松井の経歴を想像で言った。
 表情を変えなかったが、当たっていたようだ。
「船に精通している君らが、私の指示に正確に応えてくれれば、何の問題もないという意味だ」
「生憎、何百人も乗っている潜水艦と違い、こっちは少数精鋭だ。一人で何役もこなす。それができるのは、情報を共有しているからだ。そっちで情報を隠されると、こっちは動きようがない」
「こちらも、無理を言うつもりはない。必要な情報は、必用となった時に提供する。早速だが、全員を集めてもらおうか。もう一つは、現在地より北西に七十七キロ移動してもらおう」
「無理だ。現在地も分からなくなっているのに!」
 魚塚の言葉が俄かに信じられなかった。
 現在地が分からない?
 そんな馬鹿なことがあるわけがない。潜航中はGPSを使うことはできないが、INS(慣性航法装置)でかなりの精度で位置を特定できるはずだ。その証拠に、『わだつみ』との会合に成功している。
「魚塚、どういうことだ? 現在地が分からないなんて馬鹿なことは無いはずだ」
「スキッパー、浅海さんが、INSをリセットしてしまったんですよ。おそらく、この二人の命令でね」
 村岡は、ザックを下ろし、航海日誌を手に取った。最後のページを開き、浅海の記述を追った。現在地の記述は、どこにもなかった。村岡が築城基地沖の位置を記録して以降、位置の記録だけが欠落していた。
「浅海さんは、俺たち全員を部屋に閉じ込め、右舷の指揮所はシャットダウンして、左舷の指揮所だけで航海してきたんです。だから、誰も、現在位置は分からないんです。スキッパーは、上に居たから、場所は分かりますよね。ここはどこなんですか?」
「生憎だが、こっちも目隠しされて監禁されていたからね」
 浅海のあの表情は、現在位置を隠したことに対する悔恨だったのか。
 これは、異常事態だ。体勢を立て直す必要があると、村岡は感じた。
「魚塚。全員に緊急招集をかけてくれ」
 魚塚は、緊急招集の信号を送信した。
 時刻は、午前五時過ぎだ。きつい時間だ。そんな状況にも関わらず、小和田と鮎田と江坂は、直ぐに飛び込んできた。鮎田はスエット姿で、如何にも寝起きとわかるが、江坂は制服を着ていた。研究熱心な彼のことだから、別府湾で撮影した写真を調べるために、徹夜していたのかもしれない。
 小和田は私服だが、いつもの小洒落た格好ではない。ただ、髪が乱れていないのには、驚かされる。
「こちら瓜生。左舷指揮所は誰も居ない」と、緊急時の瓜生の配置場所である左舷指揮所から連絡を入れてきた。
「緊急事態じゃない。悪いが、右舷の食堂に集合してくれ」
 村岡は、瓜生を呼び寄せた。
 瓜生は、走ってやってきた。やはり、制服姿だ。
「スキッパー。なんで女が居るんだ。どういうことか、説明してくれ」
 瓜生の第一声だ。
「おいらは、女性が居ることは歓迎だぜ。それより、見かけないおっさんが紛れ込んでいる方が気に入らないね」とは、小和田。
「浅海さんと入れ替わりで、スキッパーが戻ってくるとは思ってたが、新メンバーの紹介を兼ねて、事情を説明してもらいたいね」
 江坂も、状況に驚きと戸惑いを感じているようだ。
「スキッパーに聞いても無駄さ。スキッパーは、みんなより五分だけ早く居ただけだから。それより、松井さんとかに聞いた方が早いさ」
 魚塚は、ふてくされていた。
「あたしから説明します」
 井本の声で、みんなが注目した。
 井本は、ホワイトボードの前に立っていた。ホワイトボードには、数行に渡って箇条書きされていた。
「これを見てください。現時点の問題を列記しました。それぞれについて、問題解決を図りたいと思います。まず、第一の問題は、新しいメンバーが増えたことです。そこで、全員で自己紹介をしたいと思います」
「どうして、こいつが話をするのか、納得がいかない」
 鮎田も、井本を「こいつ」呼ばわりだ。
 村岡は、こんな三文劇のような集会を早く終わらせたかった。
「優先度が違う。全員の名前と顔が分かれば充分だ。『うりゅう』のメンバーは、そっちから瓜生、浦橋、魚塚、俺が村岡、江坂、鮎田、小和田だ。新しいメンバーは、井本と松井だったね」
 井本は微笑み、松井は小さく頷いた。
「次の問題では、新メンバーの部屋割りです」
 パパッと決めてしまおうとしたが、ハタと思い当たった。井本は女性だ。トイレが共有の部屋は、割り振れない。
「悪いが、浦橋さん、部屋をP4に替わってくれないか。井本さん、P1を使ってくれ。松井さん、P5だ。トイレは、P4と共有になる。気をつけてくれ」
「レディファーストかしら。ありがとう」
 井本は、三人の名まえと部屋番号を、ホワイトボードに追記した。
「次の問題は、現在位置が分からないこと」
「それは、問題じゃない。大体の位置の見当は付いている」
「村岡さんだったね。いい加減なことを言うんじゃない。直感か、それともハッタリかい」
「それに近いな。現在地は、東大和堆の東の外れ付近だ。水深から見ても、いい線だと思うが、どうだい?」
 松井は、動揺したようだが、ほんの一瞬でそれを隠してしまった。視線を井本に移した時には、彼女は全く表情に見せていなかった。
「どうして分かったか、自己紹介の時に解説するよ」
 井本は、東大和堆東端と追記した。
 これには驚いた。単に動揺していないのか、それとも村岡の予想が外れたのか。
「次の問題は、指揮権と代行順位よ」
 核心に入ってきた。
「スキッパー。右舷の指揮所に居る」
 瓜生は、もう隣の指揮所に歩を進めていた。
「構わんが、どうした?」
「関係ない話ばかりだ」
「分かった。上の船に気をつけてくれ。もう動くだろう」
 聞こえたのか、聞こえていないのか、分からない態度のまま、瓜生は食堂を出ていった。
「操船上の指揮権は、村岡さんをトップに、今まで通りとします。作戦上の指揮権は、私がトップで松井さんが代行になります。松井さんの代行は、いません」
「つまり、俺が操船上の責任を負うことになる。まあいい。この件は、優先度が低い。次に行こう」
「スキッパー、それでいいんですか! こいつらに掻き回されますよ」
「今でも、充分に掻き回されてるよ。それより、重大なことがあるんだよ」
「鮎田よ。スキッパーは、作戦上の指揮権が彼らにあること自体は、今までと大差無いと言ってるんだよ」
 浦橋が余分なことを言ってくれた。
 元々、井本の配下の浦田が、『うりゅう』の責任者だ。浦田の命令で、村岡は『うりゅう』を動かす。浦橋は、そのことを言っているのだが、井本が何者かをよく知らない鮎田には、意味がわかったかどうか。
「次の問題は何だ?」
「最後の問題は、捜索の効率と引き上げ方法よ」
「この件が、一番曖昧な表現だな。俺なら、この件に捜索対象と推定位置の明確化と、期間の設定を追加するね」
「それは、我々の指揮権の範疇だ。問題にならない」
「そうか。曖昧な条件での捜索活動は、乗組員の生命の保証ができなくなる。操船の指揮権者としては、捜索活動を指揮できない」
「君から操船の指揮権を奪うだけだ」
「それは不可能だ。海自で潜水艦に乗っていたんだろうが、『うりゅう』の三次元操船は、通常の潜水艦とまるで違うぞ。まあ、君が操船するなら、僕は『わだつみ』に戻らせてもらう。命が惜しいんでね」
 松井の顔色が変わった。
 『わだつみ』に乗せられたと村岡が気付いていたことに驚いたのだろう。
「こいつ、海自の潜水艦乗りか!」
 鮎田は、松井の胸倉を掴んだ。松井は慌てず、掴まれた手を捻り、体を半回転させて床にねじ伏せてしまった。
「松井さん。凄い腕前の割には、胸倉を掴まれただけで随分と手荒い事をしてくれるね。動揺している証拠かな」
 流石に、挑発には乗らず、ちらりと井本の顔を見ると、鮎田を引き起こした。鮎田は、気分が落ち着かないらしく、今度は浦橋に噛み付いた。
「浦橋さん、あんたはこいつを知っていたんだろ」
 浦橋は、何か言いたそうだったが、自ら飲み込んだ。
 浦橋は、松井を知っていたのだろう。
 浦橋は、海自で潜水艦に乗っていた。艦長も勤めていたが、『うりゅう』計画を知って公募に応じた。浅海も同じだった。他にも六名の応募や推薦があったが、書類審査で二人に絞られた。そこに割って入ったのが、実務経験が無い村岡だった。
 シミュレーション訓練では、企画段階から知っている村岡の健闘が目立ち、二人を差し置いて最高成績を収めた。この結果を受けて、浦橋は態度を一変させ、副官として村岡を支えると申し出た。
 これが現体制を決める切っ掛けとなり、浅海はスキッパーの交代要員となってしまった。
 村岡が下船している間、浅海と浦橋は、一緒に『うりゅう』を操船した。浅海は、全員を締め出したと言うが、関門海峡を潜航したまま突破したことを考えると、浦橋が協力していた可能性が高い。
 浦橋は内なる敵になってしまうのだろうか。村岡にとって、なくてはならない片腕だけに、頭の痛い問題に発展するかもしれない。
「魚塚、静かにしろ。話は先がある」と、浦橋は魚塚を諌めた。
「私も知りたいね。そちらの言っている事は、目隠しをして、言われたとおりに走り回り、手探りで何かを掴み、持って帰ってこいだ。逆の立場になった時、その命令に服従するのかい。まさかね。まずは、目隠しを外してもらいたいし、手探りではなく、目標物を知りたい。今見たように、私の立場が危うくなっているので、それが絶対条件だ」
「目隠しは、外れているでしょう」
 井本は、大和堆東端と書いた部分を示した。逆手に取られた。
「スキッパー、どの程度の精度で掴んでいますか?」
「精々、プラスマイナス十五分だ。正真正銘、目隠しをされていたんでね」
「そんな精度じゃ、話になりませんよ」
 それは、鮎田が言った。GPSが発達し、慣性航法装置も精度が向上している現在、一秒単位の位置精度が常識だ。九百倍もの誤差を言われたら、文句の一つも言いたくなるだろう。
「この問題は、対策がいくつもある。後回しにする。目的と目標物が問題だ」
 ここに来て、最後の持ち札を出すべきか、村岡は迷った。
 彼女の顔は、「あなたの手の内は、お見通しよ」と言っているようだ。
 札を後生大事に持っていても、しようがない。全部の札を開いてから、出方を伺うことにしよう。
「違っていたら言ってくれ。目標物は、K国のミサイルだ。落下地点は、大和堆のどこかだろう。分からないのは、なぜ、今になってK国のミサイルを探すのかだ。考えられるのは、ここ数日の内にK国が日本本土を狙って発射したミサイルだったからか、核の搭載が疑われるかだ。どうだい。違っているところを指摘してくれないか」
「流石ね。どう? 彼に隠し通せる自信はあって?」
 井本は、松井に問うた。
「簡単にはいかないようですな。村岡さん、なぜターゲットがK国のミサイルだと思ったのか、聞かせてもらえないか」
「自衛隊が絡んでいるなら、海底の捜索は、軍事関係の機器の捜索だ。考えられる対象は、最新鋭の戦闘機、潜水艦、ミサイル、無人偵察機等々だ。この中で、潜水艦と戦闘機は、生身の人間が乗っているので、後のことを考えると、隠蔽は無理だ。
 残るは、ミサイルか無人偵察機だ。どちらも、搭載物を考えると、敵に渡したくない。ただ、海に落とした場合、無人偵察機は、直ぐには沈まない。拾い上げるチャンスがある。爆発物じゃないから、多少手荒な扱いをしても、それほど危険はない。その点、ミサイルは、胴体内は火薬と燃料で満載だし、浮力がないので、落とせば直ぐに沈む。回収は、海底を浚うしかない。その役割は、海上自衛隊と言えど、簡単ではない。俺にお鉢が回ってくる可能性はある。
 ミサイルが米軍や自衛隊の物なら、海自か海保が該当の海域を閉鎖して、回収作業も隠さない。特に、米軍は公海であっても我が物顔で行動するだろう。『うりゅう』を使うはずがない。ところが、我々『うりゅう』乗組員にまで位置や対象を隠した。それは、仮想敵国のミサイルだということだ。日本海の真ん中となると、ロシアも考えられないことはないが、可能性が高いのはK国だ。まっ、こんな推理をしたわけだ」
 彼らの当初の計画は、村岡を『うりゅう』から引き離し、口が堅く命令には服従する浅海を使って、『うりゅう』を捜索海域まで移動させる。同時に、村岡は目隠しをして『わだつみ』に乗せ、拘禁状態で調査海域まで移動させる。そして、『うりゅう』の装備品に詳しく、扱いにも長けている村岡に、『わだつみ』からの相対座標だけで指示してミサイルの捜索活動をさせる。
 帰りの移動も、行きと同じ手順と方法で行えば、秘密を保持できる。
 その一方で、『わだつみ』の乗組員に詳細を知らせない方法は、相当に難しいだろう。
 船がどの方向に航行しているか、誰でもわかる。速力は一定なのだから、距離と方向から位置は簡単に見当が付く。GPS携帯を持っていれば、もっと単純だ。しかも、衛星対応の携帯なら、どこからでも誰にでも電話できてしまう。
 海上自衛隊なら、秘密保持はある程度できるだろう。ただ、『うりゅう』を支援できる護衛艦がないので、やむを得ず、『わだつみ』を引っ張り出したのだろう。
 乗組員のほとんどが、海自か海保の出身者が占める『わだつみ』の問題は棚上げにしているのか、『うりゅう』乗組員に対する秘密保持対策は、ドラマチックでさえある。ただ、村岡がイニシアチブを握るためには、彼らに全ての情報を出させる必要がある。
「ミサイルを見つけて、早いこと『うりゅう』に戻り、瓜生島調査を再開したいからね」
「ミサイル捜索に協力してくれるのだね」
「そう決めたわけじゃない。まだ条件が揃っていない」
「いや、決まったも同然だ。私は、ミサイル捜索に協力する。条件付きだが」
「浦橋さん、なぜ、こんなのに協力するんだ」と、鮎田が熱くなった。
「鮎田よ、私はミサイル捜索にスキッパーが協力しないと言ったら、関門海峡を潜航して通過する事に協力をしないつもりだ」
 この一言で決まってしまった。
 村岡は、浦橋の協力無しで関門海峡を通過するつもりはなかった。それは、浮上した状態であってさえだ。
 浮上した状態であれば、一人でも問題はない。潜航した状態でも、潮流に乗って通過するだけだから、自信が無いわけではない。でも、浦橋の経験は貴重だ。混雑する関門海峡を、速力がない『うりゅう』で通過するには、彼のようなベテランの力は、必須といっても良い。
 今回の件は、文科省にも、防衛省にも、大きな貸しになる。浦橋は、それも計算に入れていると思われる。同時に、『うりゅう』乗組員全員が、同じ利益を得る事にもなる。
 今後の『うりゅう』の運用については、不透明になってきているが、この件のお陰で見通しも晴れるだろう。
 だから、村岡としても、相手の態度次第では、協力するつもりになっていた。
 浦橋には、悪者になってもらおう。
「そう言われてしまうと、俺もミサイル捜索の賛成派に回るしかないな」
「そんなぁ」
 不満の声が上がる中、松井には勝利者の笑みがこぼれた。
「だが、問題が残っている。ミサイルの推定位置と状態だ。これが分からなければ、捜索をしても結果は伴わない。こちらも覚悟を決めたんだ。腹を割って話し合おうじゃないか」
 見ている間に、松井が渋面に変わる。こいつは、本当に潜水艦乗りなのだろうか。
「分かったわ。協力を条件に、全部話しましょう」
「井本さん! 約束が違う! 彼らには、必用な情報だけを流すことになっていたのを忘れたのですか!」
 村岡は、松井に歩み寄り、肩を叩いた。
「必用な情報は、彼女が持っている情報だけでは不足するかもしれない。足りない分は、君が提供してくれるんだよね。どうやら、そういう約束らしいじゃないか」
 憮然とする松井の表情を見て、鮎田も魚塚も、溜飲を下げたようだ。
「必用な情報は与える約束になっていたわ。現場裁量も認められていたし。さあ、お話しましょう」
 井本は、驚くべき事実を話し始めた。
 五日前、護衛艦『さかなみ』がK国のミサイルを撃墜した事、そのミサイルのターゲットが東京であった事、同時期に日本海側でK国漁船に不穏な動きが多数あった事、K国の港で艦船の出港準備が慌しく行われていた事、これらの事実からミサイルが核弾頭を装着していた可能性がある事。
 K国は、東京を核で攻撃して政府機能を奪った後で、日本海側に上陸作戦を敢行する作戦だったことが推測される。しかし、ミサイルを撃墜したことで、作戦の続行は不可能になったのだろう。
 日本政府としては、同種の作戦を防ぐために、K国に対して事実を厳しく糾弾したい。その材料として、是非、核弾頭を手に入れたいと考え、秘密裏に『うりゅう』を回航した。更に、米国への貸しにもなる。
「一九九八年にテポドンの回収に失敗しているから、捜索しているところを見せたくないのかな」
 立場を変えた魚塚は、松井を挑発し始めた。
「これで、俺たちがミサイルを見つけたら、そちらさんは立場が無いね」
 そんな気楽さには、村岡さえ付いていけなかった。
「迎撃ミサイルは、炸薬を搭載していないんだろう。炸薬を搭載していたら、核物質が飛び散ってしまっただろうから、海上で放射性物質を探す方が懸命だ。SM-3とかいうミサイルと類似の構造を持っているんだろう?」
 井本は、松井を見た。
「迎撃ミサイルは、炸薬は持っていないのが普通だ」
 そうなのか。
「まあいい。最後の問題だ。正確な現在位置と、ミサイル落下地点の位置を教えてもらおう」
 松井は、答えなかった。
「松井さん。あんたの最後の切り札だ。どうする? こっちは一向に構わんよ。現在位置を教えないなら、浮上してGPSを使うし、落下地点を教えないなら、ミサイルは別府湾に落ちたものと推定して、別府湾で捜索するだけだ。どうする?」
 松井は、ホワイトボードに書かれた「大和堆東端」の文字を見ていた。
「村岡さん、もう一つ教えてもらってもいいかな。どうして、この位置が分かったのかな?」
 背を向けたまま、村岡に質問を投げてきた。
「俺は、築城基地付近で浮上し、すぐさまヘリで運ばれた。目隠しをされた人間を大っぴらに連れ歩けるのは、自衛隊基地か、政府関係のヘリポートだ。その後に船に乗せられたのだから、海自の基地しか有り得ない。ヘリの飛行時間と、今の条件に合うのは、舞鶴港しかなかった。そこからは、波の受け方で船の針路の見当をつけ、舞鶴港からの航行時間から距離の概算を求めたのさ」
「概算の割には、自信たっぷりに場所を書いたな」
「まあね。命令書には、常圧と書かれていた。『うりゅう』の可潜深度は、常圧なら五百メートルだ。日本海は、大部分が千メートル以上の水深がある。平均では三千メートル近い。ただ、大和堆は、五百メートル以内の場所がほとんどだ。あんたも、北西に四十海里移動しろと言った。その方向は、大和堆の中心に近い。『うりゅう』が最も有効に使える場所だ。概算でも、大和堆の東端付近と見積もれたから、裏付けを得たと思えたのさ」
 松井は、村岡に向き直り、しばらく見つめていた。
「大したものだ」
 再び、ホワイトボードに向き直ると、数字を書き始めた。それが経緯度であることは、誰の目にも明らかだった。村岡の推定値とも、東に十一分程度の誤差があったが、緯度は二分程度の誤差だった。西風で、少し流されたのだろう。
 二組の数字を書き終えると、松井は、荷物を持って食堂を出た。井本は、意味有り気に浦橋に視線を送っている。
「浦橋さん。部屋を開けてやってくれないか」
 浦橋は、ようやく井本の視線に気付いたらしく、「こちらで少し待っていてください」と言い残して食堂を出た。
「さてと、自己紹介を省略してしまったが、当番だけは決めておきたい」
「当番?」
「そうさ。この船には厨房員が乗っていないからね」
「何交代なの?」
「三交代だ。これを決めたくて、全員を呼んだけど、バラバラになってしまった。後の楽しみに取っておこう」
「でも、決まったようね。ミサイル捜索に移っていただこうかしら」
 賛同を得るため、鮎田、魚塚、江坂、小和田の顔を見る。
「スッキパーが言うなら・・・」
 鮎田以外は、口には出さなかったが、顔を見れば分かる。
「決まりだな。鮎田、座標を入力してくれ。左の数字を現在地点とするんだぞ」
 ホワイトボードから座標を写し取ると、指揮所に向かった。
「井本さんよ。この決定は、俺達以上に重い決定になるぞ」
「覚悟しているわ」
 連絡通路に浦橋の姿を見つけたらしく、井本は大きな荷物に手を伸ばした。だが、小和田が二つとも手に持った。
「お部屋まで、御案内します」
 小和田が先に立ち、二人は食堂を出て行った。
「悪い病気ですな」
 入れ替わりに食堂に入ってきた浦橋が、苦笑いした。
「手を出さないといいんですが」
「そうですね。それより、操船をお任せしていいですか。その間に捜索パターンを検討したいんです」
 浦橋は、腕時計を見た。
「私の担当時間帯ですから、当然です。推定位置に直行しますが、それでいいですか?」
「お願いします」
 二人で食堂を出た。浦橋は船尾よりの指揮所に向かい、村岡は船首にある自室に向かった。

       < 次章へ >              < 目次へ >

  8

 部屋の外に、人の気配を感じた。時刻から見て、朝食を持ってきたのだろう。
 外の状況を掴んでからでも遅くないと、早まった行動は慎んだ。
 外から鍵を開ける音がし、「食事を御用意しました」と声が掛かった。どういうことだろうといぶかしんでいると、「ドアの前においておきます」と声は続いた。
 村岡は、昨夜から部屋に置きっぱなしになっていた夕食の器を持って、そっとドアを開けた。
 ドアの前の床に、お盆に朝食が載っているが、人影は見えなかった。
 開放されたのかなと思いつつ、廊下の様子を見ると、ドアの左方向、三メートルほど先の廊下が交差する場所に、二人の衛兵が立っていた。なんと、手には小銃を構え、こちらを見据えている。
 廊下の右方向には誰も立っていなかったが、数メートル先のハッチまで隠れられそうな場所は無く、逃げてもハッチを開ける前に蜂の巣にされそうだった。おそらく、思い切り撃てるように、反対側には誰も立たせていないのだろう。
 行動を起こさなかったのは、間違いなく正解だった。
 昨夜の器を床に置き、朝食を持って部屋の中に後ずさった。
 朝食も、夕食同様、美味しかった。量も充分で、こんな狭い部屋に閉じ込められたままなら、確実にメタボリック症候群に罹ると思われた。
「護衛艦? そんなはずはない」
 廊下の床は、昨夜歩いた時の感触の通り、カーペット敷きだった。難燃化の難しさや、建造コスト、武器搭載量への影響を考えれば、護衛艦にカーペット敷きをするはずがない。
 だが、廊下に立っていた二人は、自動小銃を構えていた。こんな銃器は、警察だって持っていない。
 航海中の『わだつみ』には、警備員も乗船していない。自衛隊から、見張りを兼ねて自衛官が数名乗り込んでいるのだろうか。
 素人の村岡が考える脱出案は、自衛官が相手では通用しないだろう。大人しく、出番を待つしかなさそうだ。いずれ、『うりゅう』と合流し、それに乗り込むことになるだろう。
 今は、成り行きを見守るしかない。
 昼食も、朝食と同じ要領で行われた。彼らは、全く油断を見せなかった。
 そして、夕食も、同様だった。
 昨夜と同様に、シャワーを浴びてベッドに入った。

 翌朝、ベッドは、ゆっくりと揺れていた。ゆりかごのような優しい揺れ方ではなく、少々荒々しさを感じる。窓が無いので、海象は分からないが、台風のうねりが残っているようだ。ローリングだけでなく、波を乗り越える際のピッチングも、顕著だった。
 ピッチングは大きいが、その割には上下動は少ない。船体中央より少し船尾寄りに居るのだろう。ローリングも、角度の割に上下動が少ないので、喫水線より上だが、ボートデッキより下じゃないだろうか。それも船体中央に近く、正確には左舷よりだと思われた。
 ドア側が左舷、廊下を出て右に行けば船首、左に行けば船尾だ。
 船の揺れ具合からここまでの情報を得ても、これを利用する方法を思いつかなかった。第一、外の様子が分からない。『わだつみ』だとしても、詳細なデッキプランを記憶しているわけでもない。時間が必要だった。
 ダイバーウォッチを見ると、午前七時を回ったところだった。
 船は動いていたが、それ以外は変化がなかった。朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べた。
 初めて変化が起こったのは、夕食を食べている時だった。
 船が行き足を止めたのだ。
 ディーゼルエンジンの音と振動が弱まったが、このくらいの大型船になると、速度はなかなか落ちない。
 村岡も、食事を中断して神経を集中したが、減速を感じなかった。
 ただ、神経を集中した甲斐があり、船が取り舵を切ったのが分かった。
 台風は、東に遠ざかっているはずだから、波は西寄りになっているはずだ。船は、特に停船中の船は、横波に弱い。船を止める際には、波に立てる。つまり、波と正対するように、船首を向ける。
 船は、概ね北に向かって航行していたことになる。
 『わだつみ』の航海速度は十五ノットだが、海が荒れていたので、もう少し遅いかもしれない。出港は、台風の状況から考えて、明け方頃だろう。目を覚ました時には激しくローリングしていたから、若狭湾を出ていたと考えると、遅くとも午前六時までに出港している。航行時間は、十一時間から十四時間の範囲の中だ。
 北へ二百十海里。約四百キロ。
「なるほど。『うりゅう』を使いたがるわけだ」
 現在地の見当をつけた村岡には、『わだつみ』と『うりゅう』を必要とした理由に思い当たったのだ。
 ここが『うりゅう』との会合点だ。
 出番は近い。
 村岡は、与えられた夕食をしっかり食べた。そして、仮眠に入った。
 『うりゅう』は、別府湾からここまでのほとんどを、燃料消費の激しい全速力で来ているはずだ。燃料の水素も、燃料と呼吸に使う酸素も、使い果たしているだろう。
 ここまで、完全に閉じ込められていたということは、村岡に情報を与えないこと以上に、『わだつみ』の乗組員に村岡が乗船していることを知らせないことの方が大きいのかもしれない。それなら、『うりゅう』への補給作業にも、村岡が借り出されることはない。
 予想通り、ドアをノックしたのは、それから八時間以上も後だった。
 例によって、ドアの鍵が開けられ、自分のザックを持って外に出てくるように声が届いた。そっとドアを開け、廊下に出ると、目隠しを投げて渡された。自分で目隠しをすると、頭から袋を被せられた。
 エレベータに乗せられ、少し上のデッキに上がった後、ハッチをくぐって露天甲板に出た。船体中央に向かって歩かされながら、ムーンプールに『うりゅう』が浮上しているのではと、考え始めた。
 『わだつみ』は、船体中央にドリル用の開口部、ムーンプールがある。
 単独航行が可能な『うりゅう』は、他の潜水居住基地と異なり、支援船のバックアップがほとんど必要としない。それでも、燃料の水素と酸素の補給は必要で、物資の補給や、収集品の受け渡しや解析等で、支援船無しでは都合が悪い部分も多々ある。
 『わだつみ』は、稀にしか必要とされない支援船としてだけでは、運転効率の面で無駄な船になってしまう。
 そこで、地球深部探査船『ちきゅう』の補助的な役割を果たすべく、『わだつみ』には、ライザー掘削を継承して海洋底の掘削能力を付加している。
 掘削用ドリルを通すために、船体中央にムーンプールと呼ばれる開口部がある。
 風の音が強くなってきた。一定の周期で、まるで怪物の寝息のようだ。まだ、海があれている。ムーンプール内の海水面が上下する時に、中の空気も出入りする。それが大きな音を立てるのだ。
 ぐるりと迂回するような経路で甲板を歩かされる。ムーンプールを避けているように思える。ちょうど、反対側と思われる場所で止まるように命じられた。この状況で逆らうのは意味がないので、言われた通りにする。
「右手を伸ばしなさい」
 手を伸ばして探ると、手摺が触れた。
「それを伝って、梯子を下りてください。足が水面に届いたら、目隠しを外して結構です。あなたの船の入り口がありますので、艇内で次の指示を受けてください」
「つまり、ミサイルの引き上げ命令だね」
 悪戯心が芽生え、反射的にそう言った。
 反応は無かった。
「悪かった。素直に梯子を降りることにするよ」
 冗談ぽく応え、手摺を両手で握った。ゆっくりと足元を確認しながら、梯子を下りていく。直ぐに、船腹を打つ波の音が聞こえなくなった。
 周囲を鉄板で囲まれた筒状の空間に踏み込んだことを意味する。
 ここで落下したのでは、なんとも間抜けな話になる。用心に用心を重ね、手元足元に注意を払いながら、ムーンプールの下層へと進む。ムーンプール内の空気が動く風を感じる。だが、海水面の上下動は、思ったほどではなさそうだ。
 同時に、海面は近いらしい。
 それから二段下りたところで、水面に足が入った。と思った次の瞬間には、膝のあたりまで押し上げてきた。
 村岡は、袋を取り、目隠しも捨て去った。目隠ししていたので、暗闇にも問題は無かった。
 思ったとおり、ムーンプールの中だった。その中央には、『うりゅう』のブリッジが頂上を水面に覗かしていた。見上げると、四角に切り取られた夜空に、大きな掘削用やぐらが聳えていた。真下からの眺めでは、五十メートルに及ぶやぐらの高さは感じないが、言い表せない圧迫感がある。
 このやぐらの複雑な骨組みが邪魔になり、星はほとんど見えない。星座が分からないと、船の向きを特定できない。少し見上げていたが、諦めた。
 海面の変動を見ると、一メートルか、精々一メートル半程度の上下動だった。だが、この上下動に揉まれて壁に激突するのは避けたいところだ。
 二段ほど登ってから、ザックを背負ったまま、思い切って飛び込んだ。『うりゅう』に向かって泳ぐ。ブリッジによじ登ろうとすると、妙にふわふわと不安定な感触がする。どうやら、ブリッジ部分を切り離して浮上させているらしい。
 ブリッジによじ登り、二重のハッチを開いて中に入った。
「村岡さん。待っていたよ」
 浅海だった。
「航海日誌だ。気付いたと思うが、ブリッジは切り離して浮上させている。艇体は、二十メートル下だ。燃料は満載で、二酸化炭素キャニスタは、七パーセントの消費率だ。他は、オールグリーンだ」
 気に入らない。何となく、雰囲気がおかしい。
「命令書か何か、受け渡されるものは無いのか?」
「無い。私が下船し、君が指揮を取る。それだけだ」
 納得がいかない。ただ、浅海の立場を考えると、これ以上は言えなかった。彼は、『うりゅう』をここまで運ぶためだけに利用されたのだ。当然、本人も承知しているだろう。それを知った上で、これ以上の事を言う事はできない。
 浅海が伸ばした手をぐっと握り返す。
 浅海は、一瞬、済まなそうな表情を浮かべた。見せた事が無い表情が気になったが、声を掛ける暇もなく、彼はハッチを出て行った。ハッチから顔を出して彼の姿を追ったが、もうムーンプールに飛び込んでいた。
 諦めて、ブリッジ内に戻り、ハッチの閉鎖を始めた。
 二重ハッチを閉じたところで、ほっと息をついた。自分の家に帰ってきた気分だった。
 海水面の上下動は小さくないが、浅海なら梯子に取り付いた頃だろう。ブリッジのモニタで、水深を確認した。村岡は、制服の通信機が『うりゅう』のネットワークに繋がっていることを確認した。
「村岡だ。深度五十メートルまで潜航開始。ブリッジが没水後、ブリッジ巻取り開始」
「アイアイサー」
 鮎田の声が返ってきた。若い彼の声を聞いて、ほっとする。
 十分後には、ブリッジは『うりゅう』本体との連結が終わっていた。
 ブリッジ下部のハッチから連絡通路に降り立った村岡は、右舷の指揮所に歩を進めた。そこには、鮎田がいるはずで、他のメンバーも居るかもしれなかった。みんなの顔を見たかった。
 ところが・・・
 船内に、大声が響いた。

       < 次章へ >              < 目次へ >

  7

 北陸新幹線は、減速運転になっていたが、富山まで走ってくれた。だが、運は、ここで尽きた。
 カミオカンデには、高山線の猪谷駅でバスに乗り換えるか、富山駅からバスで行くかだが、どちらも台風による大雨で運転見合わせになっていた。
 富山駅前でビジネスホテルを探したが、新木と同じように足止めをくらったサラリーマンで溢れているらしく、空室は中々見つからず、富山から離れて探しすことになった。最終的には、北陸本線を滑川まで戻る羽目になった。
 今朝は、陽光で目が覚めた。
 台風一過の快晴で、真夏の光が遮光カーテンの隙間から差し込んでいた。
 これなら、電車かバスか、どちらかが動いているだろうと、レストランで朝食を済ませると、富山に向かった。
 高山線は、昨日に続き、不通が続いていたが、バスは動いているという。早速、神岡行きのバスを探し、それに乗った。
 新木は、このバスに乗ったことはない。初めてのバスは、景色が変わるので、観光気分になって楽しいものだ。
 バスは、鉄道の駅と違い、場所が分かりにくい。乗り場の分類も分かりにくいし、行き先も聞き覚えが無いものが多く、路線図も模式化されているので、実際の地理とは噛み合わず理解が難しい。元々、地元民が使うことが多いので、これで充分なのだろうが、新木のような余所者には、路線バスは使いにくい。
 だから、路線が分かりやすい高山線を利用していたのだが、携帯を使うと、意外に簡単に全国の路線バスの乗り場やダイヤが調べられることが分かり、乗換えが必要なくなるので、今後はバスにしようかとも思うのだった。
 二〇〇六年末に神岡鉄道が廃止された。鉄道は、廃線後も痕跡が残るものだが、茂住駅跡が分かる程度で、飛騨の地下鉄と呼ばれるほどトンネルが多かったために、他に痕跡を見つけることが難しい。
 茂住でバスを降りると、直ぐに研究施設がある。実際のスーパーカミオカンデは、池ノ山の山中にある。文字通りの山中で、昔の神岡鉱山の坑道を利用している。他に、カムランドや重力波望遠鏡のKAGRA等の施設もある。
 過去には、およそ三百キロ離れた筑波の高エネルギー加速器から打ち出した人工ニュートリノを、スーパーカミオカンデで捉える実験が行われ、ニュートリノに質量があることが実験によっても実証されている。
 この時代に、大学院生として参加した新木は、その後も、これを発展させる形で研究を続けている。そのため、筑波とここを何度も往復している。
 神岡鉄道は知らないが、廃止されてからは最寄り駅の猪谷からバスしか交通機関が無くなり、「不便になった」と先輩研究者から聞かされる。
 ひとまず、宿泊施設に入り、荷物を整理した後、研究棟に向かった。本当なら、昨日の内に着いて、今朝からデータ整理を行う予定だったが、随分と出遅れてしまった。
 それに、浅村の話を聞いて以来、以前から気になっていたことが、頭の中で大きくクローズアップされてしまい、それを解決しないことには、先に進めそうになくなっていたのだ。
 1987Aと呼ばれる超新星爆発によるニュートリノを発見したこと、更に小柴氏のノーベル賞受賞で一躍脚光を浴びたカミオカンデは、現在はカムランドと呼ばれる施設に改修されている。
 カミオカンデに変わる設備として、スーパーカミオカンデが建設され、運用されてきたが、二〇〇二年に大事故が発生し、二年間の運用停止期間も経験している。
 現在では、数年前までの改修工事を経て、今後十年間の運用延長が決定している。
 神岡鉱山の跡地を利用して建設された施設は、ニュートリノ検出器であるスーパーカミオカンデやカムランドの他に、重力波検出器もある。
 新木は、大学院から高エネルギー粒子を研究してきた。その関係で、ここにも何度も出入りしている。現在では、自分の専門がニュートリノなのか、高エネルギー粒子なのか、分からないくらいになっている。
 新木は、自分に与えられた部屋に入ると、持ち込んだパソコンを研究棟内のLANに接続した。不在にしていた期間のデータを、パソコンに取り込んだ。
 彼が、この事実に気付いたのは、全くの偶然だった。
 スーパーカミオカンデは、宇宙からのニュートリノを検出するために運用されている。また、多少の解像度があるので、どの方向から飛んできた粒子か、大体のことは分かる。
 解像度があるがゆえ、ニュートリノの入射方向は、赤緯赤経か、銀緯銀経に自動変換される。
 つまり、宇宙空間のどこから飛んできたニュートリノなのか、銀河系のどこから飛んできたニュートリノなのか、研究者に情報を提供する仕組みなのだ。
 だが、新木は違っていた。
 彼は、筑波の高エネルギー加速器からの粒子を捉える必要があったので、スーパーカミオカンデの絶対的な方向が重要だった。
 彼は、スーパーカミオカンデに飛び込んでくる粒子の方向を、地球上のどこから飛んでくるのか、地表面の座標に変換するソフトを組み込み、集計を始めた。
 この目的には、筑波の加速器だけでなく、核実験や原子炉からのニュートリノの検出も兼ねていた。
 これを長年に渡って蓄積してきた結果、驚くべき事実が浮かび上がってきたのだ。
 ニュートリノの受信頻度が、時間変化しているのだ。
 発見は、遊びの中から生まれた。
 新木は、高エネルギー粒子を用いた通信を考えていた。高度に発達した文明は、自身が住む惑星上で、遠距離の交信をどのように成立させるだろうかと考えた時、有線を除くと、電波を用いるのが最も簡単だ。
 だが、電波は、地球のように電離層があれば短波帯で遠距離通信が可能だが、電離層が無ければ、衛星中継をする必要がある。
 もし、高エネルギー粒子を通信手段に使えば、直接、月の裏側とも交信できるので、非常に便利だ。通信装置が小型化されれば、電波を用いる通信手段より遥かに利用価値がある。
 ちょっとした遊び心で、ニュートリノの時間変化を調べたのだ。高エネルギーの粒子として、新木が考えたのがニュートリノだった。
 地球近傍を知る上で都合が良い銀緯銀経で束ねてみた。
 ニュートリノの検出は、スーパーカミオカンデをもってしても、そう簡単ではない。時間で蓄積していく必要がある。だから、時間変化も、繰り返しが無ければ、蓄積が利かないので、全く見えてこない。
 新木の遊び心は、所詮、遊びでしかなかった。多少は、ニュートリノを通信手段に使う知的生命が存在する可能性を考えていたが、当然と言うか、何も特徴的な受信パターンは現れなかった。
 ニュートリノを通信手段に使う知的生命の発見が難しいことを実感したことで、完全に遊びになった。人類がニュートリノ通信を試みているとの仮定に変わったのだ。こんなことは考えられないが、CERNで実験したら検出できるし、蓄積するなら面白いだろうと考えたのだ。
 それぞれの方向毎に、繰り返し時間を変えながら、特徴のあるパターンを探していくのだ。忍耐の要る作業だ。
 元々、遊びで始めたのだから、彼はパソコン上にプログラムを組み、スクリーンセーバーの代わりに動作させるようにした。
 浅村が訪ねてくる一週間ほど前、パソコンが何かを見つけた。
 しかし、新木が解析を始めて間もなく、それは中断した。

       < 次章へ >              < 目次へ >

  6

 あれから数時間。
 慌しく時間が過ぎていった。その割に、村岡がやることは何もなかった。彼が搭乗するヘリが降下に入っても、暗闇の中で沈み行くだけで、何もすることはなかった。
 それに比べると、周囲の物々しさは異常で、村岡に目隠しをするほどに過敏でもあった。それほど重大な問題が発生しているのだろうか。単に、途中経路にある物を見せたくないだけなのだろうか。それは分からないが、随分と舐められたものだと、腹立たしかった。
 ヘリが着陸しても、目隠しは外してもらえなかった。
 直ぐ脇に止まった車に乗せられ、数分走った後、ギャングウェイを上らされた。直ぐに船内に入ると、エレベータで一デッキか二デッキくらい下り、しばらく廊下を歩かされたあと、個室に入れられた。
 彼を部屋に押し込むと、背後でドアを閉め、外鍵を掛けていった。拘禁状態になったようだ。
 自分で目隠しを取り、しばらく明るさに慣らした後、ゆっくりと瞼を開いた。
 ビジネスホテルのシングルルームを小さくしたような部屋だが、窓は無く、代わりに立派な事務机が取り付けられえていた。入り口の横にある扉を開くと、お決まりのユニットバスとトイレが付いていた。
 ビジネスホテルと違う点は、白色照明が部屋を白々しく照らしていることか。
 ここが、船の中だと知らなかったら、狭苦しい監禁部屋だと思うところだが、水が貴重な船内で、お湯を溜められるバスが一人部屋に与えられている点、士官級船員用の部屋だろうと推定できる。
 見ると、机の上に食事が用意されていた。
 魚料理だった。本当は、肉料理が好きだし、魚なら刺身や寿司が好みだが、煮魚の料理は、なかなか美味しそうだ。
「腹が減っては戦はできぬ・・・か」
 村岡は、何の躊躇も無く、箸をつけた。
 料理は、見た目以上の美味だった。
 乗組員が交代で作る『うりゅう』の食事は、マンネリだし、見た目も、味も、お粗末なものだった。
「護衛艦じゃなさそうだな」
 ぽつり呟いた。
 ここは、舞鶴港に間違いないはずだ。
 福岡県の築城基地の直ぐ近くで、ボートに乗り移った。ボートに乗ると同時に、目隠しをされた。だが、ほんの数分で上陸したことから考えても、直後にヘリに乗せられたことから考えても、築城基地に上陸したことは間違いない。
 築城基地からヘリに揺られること、約二時間で着陸した。気流が乱れていたから、本来より時間が掛かったと思うが、距離にして四百キロから五百キロだ。今は、大型船の船内に居ることは間違いない。航空自衛隊のヘリから目隠しされた男が降り立っても怪しまれないのは、機密の管理がしやすい自衛隊基地、かつ大型船に乗り移れる場所。つまり、海上自衛隊基地に間違いない。
 この条件に合致するのは、舞鶴しかない。
 ところが、この船の作りは、軍艦ではない。
 内装がきちんと施されている。壁紙が張られているのだ。床もカーペットが敷き詰められている。それに、机が大きすぎる。一般商船としても、似合わない大きさなのだ。ベッドは、二段ベッドの上段だけにしたような感じで、下側には、クローゼットや書棚、収納庫、小型の冷蔵庫もある。
「まさか、『わだつみ』かな」
 クローゼットや収納庫は、長期間に渡って乗り組むことを示唆しているし。大きな机や書棚は、研究員が使うと考えれば、頷ける。思い付く船名は、支援船『わだつみ』だ。
 この船が何であれ、村岡をここに監禁する理由は何か。理由も無く、ここまでの費用をかけるはずがない。監禁するだけなら、築城基地内でやれば良い。舞鶴まで連れて来た以上、村岡に何かをやらせたいのだろう。
 村岡の推定が全て正とするなら、ここが舞鶴港に停泊する『わだつみ』なら、日本海の海底で何かを探させる事しか考えられない。自衛隊が関係しているのだから、軍事的な役割を担わされるということだ。
 日本海の海底を探査するだけなら、『わだつみ』でできる。何かを引き上げるとなると、『うりゅう』が欲しいところだ。逆に、『わだつみ』でできることなら、『わだつみ』スタッフだけで充分だ。使い慣れない船で、村岡ができることは、高が知れているし、何かできると思っている者も居ないだろう。
 『うりゅう』は、今、どこに居るのだろうか。まさか、別府湾で瓜生島調査を続けているはずがないだろう。考えられることは、『わだつみ』と帯同すべく、関門海峡を抜け、日本海を東進することだ。
 『うりゅう』を支援する事にかけては、誰にも負けない自信がある。それは、サブのスキッパーの浅海にも、優秀な副官である浦橋にも。
 あの二人は、『うりゅう』を使いこなすことにかけては、村岡以上だ。だが、『うりゅう』の限界は、村岡が一番知っている。限界が近付いた時、何が必要かも。
 村岡には、自分にやらせようとしている内容が見えてきたように思えた。
「どっちにしても、今は出港しないな」
 台風が近付いてきている。今朝の気象情報が最後の情報だが、今頃は東海地方より東のどこかに上陸している可能性もある。この時期の台風にしては、かなり速度が速い。進路も東に傾いているし、勢力も強くないので、通過後の天候の回復は早いだろう。陸上に比べると海象の回復は遅れるだろうが、日本海西部の状態は、それほど酷くなっていないはずだ。
 明日には、出港だろう。
 さあ、寝よう。
 今は、体力を温存する時だ。役回りが来た時には、馬車馬のように働かされるだろう。
 村岡は、湯船にお湯を溜め、リラックスした後、床に就いた。
「何をさせられることやら」
 照明の効果を高めるために白く塗られた天井を見つめ、そう呟いた。

       < 次章へ >              < 目次へ >

  5

 未来都市のようだ。
 昔は、そんな風に例えられたが、彼が受ける印象は、「古き良き時代」である。道路網も、ライフラインも、あの時代の理想形であったかもしれないが、未来への提言となるほどの先進性は見られない。
 あの時代の一般的な交通機関、一般的なエネルギ供給方式、一般的な情報伝達方式をベースに、これらを理想的に運用するための組み立てを行い、都市に組み込んだ。
 この街は、そんな感じである。
 無人の輸送システムは見当たらない。ネットワーク社会に乗り遅れてはいないが、特段の先行してもいなかった。
 時代に先んじるものは、何も無かった。
 決して特別な都市ではないはずだが、やはり特別なのだ。
 少なくとも、浅村にとっては。
 一年半に及ぶ長期出張に出ていた。この出張を前にして車を手放していたので、電車でやってきたのだが、目的地にはバスに乗り継ぐ必要がある。全然、近代的ではない交通機関を乗り継ぎ、ようやく正門に着いた。
「それにしても暑いな」
 空を見上げても、雲が厚く、太陽は出ていない。それにしても、蒸し暑い。接近中の台風からの余波で、南からの湿った空気が入り込み、気温も湿度も、高くなっているようだ。風はない。暑さを助長させているようだ。
 構内は、緑が濃い。木陰を選んで歩きたかったが、真上から照らす太陽は、木陰を木の根元にしか作らない。陽炎が立つアスファルトの上を歩くのだから、汗は止まらない。建物の中に入ると、エアコンが効いていて、一心地をついた。面倒なセキュリティを通り抜け、新木の研究室の前までやってきた。室内から最後のセキュリティゲートを解除してもらい、中に足を踏み入れた。
「よく来たな」
 新木は、握手を求めてきた。
「セキュリティが一段と厳しくなったな。古生物学者が、天体物理学者を訪問する理由を説明するのに、四苦八苦したよ」
 事実とは、少し違っていた。正門では、訪問理由の記入を求められたのだが、適当な理由が思いつかず、まごついたのだ。守衛が「新木先生との関係は?」と聞いてきた際、「友人だ」と答えると、守衛はにっこり笑って、記入欄に「表敬訪問」と書いたのだ。
 表敬訪問が訪問理由になるのかと訝しんだが、通してやると言っている間に、この関所を抜けるべきだと思い、何も言わなかった。
「次からは顔パスになるよう、俺が警備にねじ込んでおくよ」
 格好良い台詞だが、若手研究員の一人でしかない新木の力で、警備が動くとは思えなかった。
 ここに来るのは初めてだ。だが、学部生時代の彼の部屋を訪ねた事があった。その時の印象とここの印象は似ている。
 書類が散乱し、床にも二、三枚落ちている。来客用のソファも、書籍が積みあがり、座れない。書棚だけが、綺麗に分類されている。どうやら、自分で書いた物は、全て頭の中にあり、他人が書いた物は、目次だけが入っているのだろう。
「ここは暑いな」
「そりゃそうだろう。君が行っていた南極とは、気温が違うに決まっているだろう」
 浅村は、南極の白い大地を思い出していた。
「新しい『しらせ』の乗り心地は、どうだった?」
「古い『しらせ』を知らないし、晴海から乗船するわけじゃないからね」
「オーストラリアで乗船するんだっけ?」
 浅村は、頷いた。
「それでも、吠える五十度線を船で越えたんだろう?」
 吠える五十度線。
 それは、思い出したくもない数日だった。
 船は、減揺タンクの効果も空しく、激しくローリングを繰り返した。更に、減揺タンクが利かないピッチングも激しく、三角波や横波をくらえばヨーイングも起こした。彼の胃は、ボディブローでKOされたボクサーのように、ボロボロになった。何度も嘔吐を繰り返し、最後には血が混じるほどだった。
 もう一度、南極に行きたいかと聞かれたら、必ず「Yes」と答えるのだが、あの光景が浮かぶと、「No」に変えたくなる。
 南極は、魅力のある大地だ。何年も前から、観測隊への参加希望を出してきた。
 浅村は、南極観測の越冬隊員として、主に『ドームふじ』で一年を過ごしてきた。夏季隊員としてでも参加したかった南極観測に、越冬隊員として参加できたことは、大きな意義があった。
 ただ、この部屋の状態だと、暑苦しく感じる。
「僕の友人は、どうして冷たくて暗い所が好きなんだろうか。君は、南極の真っ暗な冬を希望して行ってきたし、村岡は、移動式海底基地とやらで、今日から真っ暗で冷たい海の底だ。そして、僕は明日から暗い地の底さ」
 浅村も、自宅を出る前に、新聞の片隅に『うりゅう』の記者会見の概要と、今日から別府湾で調査を行う事が載っているのを見てきた。
「明日から、神岡に行くのか」
「ああ、その準備で大忙しさ」
「悪いな。忙しい時に邪魔をして」
「なに、構わないさ。君と会う時間を午後にしたのは、午前中に準備が終わると思ったからさ。ちょっと予定がずれ込んで、残り十分で終わるという時に、君が来てしまったけどね」
 新木は、リュックサックの中に、ぐちゃぐちゃの書類を目いっぱい押し込み、最後にノートPCを詰め込んだ。
「重い物を上に入れるんだったよな」
 一緒に夏山登山をした時のリュックサックだ。浅村は、南極観測の夢を実現するために、冬山登山を繰り返してきた。浅村とは違い、新木も村岡も、冬山には登らない。初心者クラスの楽で安全な登山だけだ。今、書類を詰め込んだリュックサックは、尾瀬に二泊三日で行ったときの物で、内容量が二十五リットルか三十リットルくらいのものだ。ディパックとは、容量がまるで違う。
 まったくの素人だった新木に、リュックへの物の詰め方から教えたのだが、その時の一説を覚えているらしい。
「間違いないよ」とは言ったものの、書類入れにされているリュックが哀れだった。
「それより、妙なものを見つけたというのは何だ。メールには、それ以上の事が書いてなかったから、さっぱりわからん」
 ここまで来ていながら、改めて新木に聞かれると、浅村は逡巡した。
 まさか、新木に馬鹿にされることはないだろうが、ここまで築いてきた関係がおかしな方向に傾いてしまうかもしれないと思うと、彼が発見した内容をそのまま話すべきか、踏ん切りがつかないのだ。
「おい、どうしたんだよ。随分深刻な雰囲気のメールだったのに、相談相手として、僕では不足かい?」
 新木は、本気で気遣ってくれているようだ。このまま話さないでいても、二人の関係にひびを入れることになるだろう。
 退路も立たれた。
 浅村は、天井を見上げた。
 乱雑な室内にあって、天井だけは綺麗だった。真っ白な表面は、南極の大地を思い出させる。そして、氷床コアの白さも。

 数日前、氷床コアを保存する極地研究所の保冷庫の中、息を白くしながらコア内の花粉を調査していた。
 南極では、息が白くなることはない。呼気の水蒸気が凝縮する際の核になるべき塵が、南極の大気中には浮かんでいないのだ。
 目に見えない塵さえ存在しない南極の清浄な大気の下で採取した、貴重な氷床コアだ。日本の空気で汚染されれば、学術的な価値は失われる。繊細で敏感な資料を扱うために、細心の注意と緊張が、外とは七十度以上もの温度差があるこの場所で要求される。
 顕微鏡下で、コア内の花粉を採取する作業は、根気と体力を要する。寒さと流れる時間の中で、コアを汚染しないように、自分に必要な花粉を採取していくのは、技術的にも容易ではない。
 ドームふじでの第三次氷床コア採取で得た試料は、彼が見ている部分が最深部に近い。年代で言えば、八十万年前から八十五万年前と言ったところだ。日本が手に入れた氷床コアでは、最古になる。
 その試料の中で、花粉にしては異様に大きな黒い物体を発見した。
「隕石かな?」と、その時は思った。
 大きさは、一ミリ未満の綺麗な六角形だ。隕石にしては、妙に綺麗な形だ。
 これくらい小さな隕石は、大気中の摩擦で燃え尽きることが多い。その一方で、小さい隕石は、大気との摩擦で直ぐに速度が落ち、ゆっくりと地上に到達する場合もあるので、地上に落ちてこないとも言えない。が、それにしては外観が綺麗すぎる。
 浅村は、その黒い物体を試料から取り上げ、ペレットに移し替えた。
 その翌日から、この物体の正体に近付く度に、浅村の苦悩が深まることになった。

 新木の堅物ぶりを表現しているかのような黒縁の眼鏡と、その奥で一点を見据える瞳を前に、浅村は意を決した。
「実は、マイクロマシンを発見したのだ」
「氷床コアの中で・・・か?」
 新木の視線は、浅村を捕らえたままだ。
「そうだ」
 浅村は、新木が「何をもってマイクロマシンと判断したのか?」と聞いてくるのを待った。
「誰が造ったと思った?」
 予想と違う質問に面食らいながらも、「氷床の中から出てきたから、人類が造ったものじゃないと思う」と答えた。
「宇宙からの飛来物だと思ったのか?」
 狐につままれた気分で、頷いた。
「年代はいつか、同定できたんだろう?」
「ああ、八十一万年前の花粉と同じ深さにあった」
「花粉をC14で年代測定したんだよな」
 C14は、通常の炭素原子の放射性同位体である。半減期は、約十四万年なので、C14が炭素原子の中に占める割合を測定すれば、いつの年代のものか推定できる。
 流石に、花粉のような微量の試料では、その測定は容易ではなく、大掛かりなものとなる。
「一昨日、測定結果が届いたよ」
「話をまとめると、こうだ。八十一万年前にマイクロマシンを製造し、南極にばら撒いたやつがいる」
 浅村は、頷くしかなかった。
「それで、僕に相談することは、これを発表するべきか、時が来るまで伏せておくべきか、話を聞いてほしいと言うことだ」
「何も付け加えることはない。外から傷付けないでできる調査の結果は、これに入れてきた」
 USBメモリを取り出した。
「預かっていいのか?」
「もちろん」
「さっきも言ったが、今は時間を割けない。神岡から戻ってきた時に、こちらから連絡する。それでいいか?」
「いつごろまで、地底生活をするんだい?」
「二週間だ。村岡と同じ頃に、地上に出てくる予定さ。まあ、俺自身が地底に潜るわけじゃないけどね」
 南極観測隊に選ばれるまでの時間は、十年以上だった。それに比べれば、二週間は直ぐだ。
 でも、随分と長い気もした。
「悪いようにはしないつもりだ。僕としては、村岡の鼻を明かしたい気分だ」
 新木が言っている意味がわからない。
 浅村が村岡の鼻を明かすのなら、わからないでもない。だが、新木の言葉は、自らの力でやろうとしているようなニュアンスだ。
「見つけたマイクロマシンは、一つだけかい?」
「一つだけだ」
「他の氷床コアには含まれていないのか?」
「古気象学者が見ていたら、見落とすことはない。でも、今までにマイクロマシンの話は聞いた事がないから、他の試料には無かったんだろうと思う」
「数があれば、それだけ説得力が増えると思っていたけど、そんなに甘くないね。とにかく、今日のところは、これ以上の時間は割けない」
「悪かった。地上に戻ったら、連絡してくれ」
 後ろ髪を引かれる思いだったが、浅村は研究室を後にした。
 セキュリティは、出て行く者には甘い。
 来る時とは比べ物にならない早さで門を出た。何だか、追い出された気分だった。

       < 次章へ >              < 目次へ >

  4

 船の勤務は、三組による六交代制で回る。午前零時を起点に、四時間交代で一日二回八時間の勤務となる。『うりゅう』でも、この慣例に倣って勤務が回る。一般商船のゼロヨン、ヨンパー、パーゼロの表現は使わず、一直から六直で表現する。『うりゅう』は、乗組員が少なく、今のような沈底状態での活動が多いために、当直勤務も柔軟にならざるを得ず、このような呼び名にしている。
 昨夜は、漏水確認と生命維持装置の確認他の作業は、午前二時過ぎまで掛かった。村岡は、乗組員全員を休ませるため、午前八時までの当直を買ってでた。各確認項目をまとめ、朝九時の定時報告に間に合わせるための作業が、彼には残っていたからでもある。
 当直を瓜生に引き継ぎ、一人だけで朝食を摂った。他のメンバーは、七時半に食べている。
 『うりゅう』の食事は、朝七時半、正午、夜七時半と決めてあった。直の交代時間に合わせた時間になっている。三食以外に、午後四時と正午前に、軽食を摂れるようにしている。二十四時間体制で、夜勤や潜水等の重労働をこなすための配慮だ。
 『うりゅう』の内規で、最後に食事をした者が、全員の食器の片付けをすることになっている。食事を終えた村岡は、食堂の隣の厨房に入った。
「あいつら」
 ぼそっと、呟いた。
 村岡が片付けるべき食器は、既に片付いていた。
「あっ、スキッパー。食器はそこに置いといてください。やっておきますから」
 村岡の後ろから声を掛けてきたのは、鮎田だった。
「夕べは、徹夜でしょう。お疲れのはずです。ここはやっておきますから、休んでください」
 停船中なので問題はないが、本来なら指揮所に居るべきだ。裏で、瓜生が気を利かしたのだろう。
「そうはいかないさ。示しが付かなくなるから」
「固いこと言わさんな。鮎田がそう言うのだから、甘えなさい」
 鮎田の後ろから声を掛けたのは、副官の浦橋だった。村岡より十以上も年上で、精神的に甘えることのできる唯一の乗組員だった。
「そうですよ。どうせ、食洗器に入れるだけですよ」
 もう、鮎田は村岡の食器を片付け始めていた。
「悪いな。甘えさせてもらうよ」
 台所仕事を鮎田に任せ、村岡は食堂を出た。
 村岡は、部屋には戻らず、食堂の隣の指揮所に入った。ここが、『うりゅう』の心臓部だ。
 魚塚と江坂が、調査用のグリッドを海底に設置する作業を行っていた。
 考古学の調査では、遺物を採集した場所や状態を記録する必要がある。そのために、調査対象範囲を区切るグリッドを設置する。魚塚と江坂は、有線の水中探査機C1を用いて、グリッドの設置を始めていた。
 魚塚が持ち込んだ機器は、要否を無視したかと思うほど、妙な品が多かった。潜水担当の瓜生と揉めたが、いくつかは半ば強引に持ち込んでいる。特に、周囲に評判が悪かったのが、巨大なミミズのような機器だった。村岡と江坂は見覚えがあるので気にならなかったが、瓜生と小和田は気持ち悪がった。
 村岡は、制御室に並ぶ三台ある端末の一つの前に座った。端末のメニュー画面から、左右画面に船内図画面を表示させた。
 『うりゅう』は、二本の耐圧船殻が左右並行に配置されていて、内部も左舷と右舷がほぼ対称になるように設計されている。船内図画面は、左画面に左舷、右画面に右舷が表示される。
 右舷は、船首から、村岡の自室となるスキッパー室、S2からS5の個室、厨房、食堂、指揮所、資料室、シャワー室、エアロックとなっている。
 左舷もほぼ同様で、浦橋の自室となる副官室、P2からP5の個室、厨房、器具倉庫、指揮所、シャワー室、エアロックとなっている。
 左舷と右舷を繋ぐ通路は二本ある。一本は、船体ほぼ中央にあり、中間にブリッジへのハッチと、水中エレベータへのハッチを持つ。もう一本は、船首に近い場所にあり、中間には、水中スクーターへのハッチがある。
 この船内図は、乗組員がどこにいるかを教えてくれる。
 乗組員は、チップの入った認識章を制服に付けている。これを読み取り、乗組員がどこにいるか、知ることができる。例えば、瓜生は左舷の器具倉庫に居ることがわかる。潜水具のチェックを行っているのだろう。鮎田は、もう指揮所に居る。浦橋は、左舷の廊下を移動している。左舷の指揮所に行くはずだ。原則として、彼は左舷に留まり、右舷側の機能がダウンした際に、左舷側からバックアップする役目がある。
 小和田の位置表示は、右舷のS3個室になっている。そこは彼の自室だが、制服を着ようとしない彼のことだから、本人が今どこにいるかは定かではない。
 船内図画面には、位置表示と共に各部の異常を表示する機能があるが、徹夜でチェックをしたのだから、もちろん、全てグリーン表示である。
 その表示に満足した彼は、左画面をブイ操作画面に、右画面をソナー画面に切り替えた。
 『うりゅう』は、一般的な潜水艦のソナーシステムを小型化した装置が装備されている。運用方法も似ていて、通常はパッシブソナーしか使用しない。ただ、隠密性を維持することが理由の潜水艦とは異なり、『うりゅう』の場合は、周辺の漁船の魚群探知機に影響を与えないことが理由となっている。
 ソナー画面には、海象も表示される。海上は、波長の長いうねりが起きている。台風の余波だろう。瀬戸内海の西端に位置する別府湾は、東しか開いていないし、山に囲まれているので、台風の接近具合に比べれば荒れ方は酷くないが、漁船は港に繋がれたままになっているはずだ。
 パッシブソナーで、周囲に漁船やフェリー等が居ないか、確認した。これくらい荒れていれば、停船していても、船縁に当たる波の音を拾える。
 瀬戸内海の海上交通の西の発着点となる別府湾だが、すべての航路で昨夜から欠航している。
 予想通り、周囲に船影は無い。
 ブイ操作画面からのオペレーションで、多機能ブイを海上に向けて伸ばし始めた。
 多機能ブイは、『うりゅう』と細いケーブルで繋がっていて、ケーブルを延ばすと浮上していく。内部には、通信用アンテナ、GPSアンテナ、気象測定器、水深計、音響発信器、カメラが詰まっている。
 浮上時には、このブイを上げて海上を確認する。ブイは、小型ゆえに長波長のレーダーが取り付けられず、短波長のレーダーでは高さが無いので視程が極端に狭く、小型船なら数十メートル先に居ても探知できない場合がある。そのため、レーダーは装備していない。
 ブイが海上に出ると、画面の隅にあるカメラの映像が少し明るくなった。カメラ画像の処理機能には、自動的にブイの揺れを補正する機能があるが、補正しきれずに揺れている。かなり荒れているようだ。
 どんよりとした空を見上げると、魚眼レンズ特有の歪んだ画像でも雲の動きが早いことが見て取れる。水深六十メートルを超える海底では、この海上の荒れようは全くわからない。
 荒れる海上の映像は、現実感が薄い。録画を見ているような気分になる。
 徹夜でまとめた状況報告を暗号化し、バーストモードで送信する。送信時間は、〇.一秒にも満たない。
 通信文は、通信衛星を通じて、文科省に届く。文科省の通信サーバーは、『うりゅう』からの通信文が届いたことで、多機能ブイが海上にあることを知る。直ちに、あらかじめ用意された『うりゅう』宛ての通信文が返信される。
 村岡は、返信が届くまでの数秒を利用し、海象データを取り込んだ。
 文科省からの通信文の受信が完了すると同時に、多機能ブイを収納した。右画面に表示しているソナー画面には、相変わらず船影は見当たらない。
 省との連絡を終えた村岡は、受信した通信文をゆっくり自室で見るため、立ち上がった。
 隣の端末を占有している魚塚は、早くも自律型無人潜水艇を出して、海底の状態の予備調査を始めている。自律型無人潜水艇は、『うりゅう』からの命令を取り込むと、命令に従い、『うりゅう』から完全に独立して動き回る。
 有線の水中探査機と違い、『うりゅう』とのケーブルが無いので、『うりゅう』の船体を外からチェックする際に、『うりゅう』にケーブルが絡まず便利である。また、ケーブル長の制約が無いので、広範囲の調査にも有用である。
 グリッドの設置を江坂に任せ、魚塚は先行して、状況把握の準備に入ったのだろう。
 予想以上に順調なようだ。
 村岡は、指揮所を出て自室に戻った。
 スキッパー室は、通常の商船に比べると問題にならないくらいに狭い。入り口の引き戸を開けると、正面から右寄りに大きな半球形の隔壁が見える。右舷耐圧船殻の先端部分である。この半球形を利用し、ラウンドした事務用デスクと、予備の椅子が設えてある。
 入り口の直ぐ右側は、隣室との境に薄いクローゼットがある。服を縦ではなく、平面に架けるタイプである。その奥には、トイレがある。
 『うりゅう』には、個室が十室あるが、専用のトイレがあるのは、スキッパー室と副官室だけだ。それ以外の個室は、隣の部屋との共用トイレになる。
 ベッドは、入り口からクローゼット、トイレまでの天井裏のロフトにある。
 他の個室も、ベッドは天井裏にある。このため、どの部屋も天井が低い。長身の村岡は、髪の毛が掠るくらいだ。その代わり、ベッドは幅が充分にあり、寝心地も良い。
 自室でタブレットを起動し、省からの通信文を解凍した。
 思っていたより長い文章だったが、仮眠を取るのは、これを見てからだ。昨日のパフォーマンスに対する注意が、書き連ねられているのだろうと容易に想像できた。
 『うりゅう』は文科省の管轄だが、経産省が割いた予算は少なくなく、それを背景にした『うりゅう』の使用要求は、かなりの量に上っている。その量たるや、『うりゅう』をフルに使っても処理しきれないほどなのだ。経産省の考えは、文科省より多くの使用要求を出し、要求比率に応じた使用比率を確保しようとしているのだ。
 村岡が文科省を離れた理由の一つが、この状況から垣間見ることもできる、お役所的発想からの意味も無い利権の奪い合いだった。
 だが、文面を読み始めると、直ぐに村岡の表情は曇った。
 これは、おそらく村岡に対する処分だろう。処分だとすると、予想以上に厳しい内容だ。しかも、瓜生島調査ミッションにも直接影響を与える、頭の痛い内容でもある。
 最後まで読み終えた村岡は、これを乗組員にどう伝えるべきか、頭を抱えた。
 いくら考えても、疲労が溜まった体では良い考えは浮かばず、同じ思考が繰り返されるばかりだった。
 意を決した村岡は、内容をプリントアウトした。紙は、貴重品だ。原則として、プリントアウトはしない。でも、今回は、『うりゅう』に省の命令を残しておく必要があった。
 それを手に指揮所に向かった。
 指揮所に入る前から、江坂の興奮した声が聞こえてきた。
「まだ、予備調査の段階なのに、こんなに良い状態で遺物が見つかるとは、思ってもみなかったよ」
 村岡は、食堂で立ち止まり、指揮所の様子を伺った。
「まだ、食器の欠片らしき物が、映像の中にあっただけじゃないか」
 魚塚が嗜めるように言った。大した価値は無いと、マスコミの前で言い放った江坂が、食器の欠片だけで興奮しているとは、意外だった。
「これは、イスパノ・モレスク陶器の特徴が見て取れるんだよ。スペインのバレンシア地方で作られていたんだ。磁器が発達していた中国から製法は伝えられていたけど、ヨーロッパでは磁器に適した粘土が見つからず、陶器が作られ続けたんだ。この陶器は、イベリア半島で代表的なものさ」
 魚塚は、午後から始めるヘリウム加圧に備え、無人潜水艇に新しいプログラムをインストールする作業を行っている。時々、その手を止めて、江坂の話し相手をしている。
「考古学的検証は、江坂さんに任せるけど、調査期間は長いようで短いから、広く浅く調査をした方がいいと思うよ。小さな遺跡じゃないし、海底に向かって崩落して行ったから、広い範囲に散らばっているはずだ」
「同感だ。ただ、僕としては、あまり広がっていないことを願っているよ。場所毎の出土品の分布を調べることができれば、当時の生活様式や、社会制度もわかるかもしれないからね」
 江坂と違い、魚塚は冷静を装っているが、度々作業を止めてまで江坂の話に乗ってくるところを見ると、彼自身も興奮気味なのかもしれない。
 そんな二人を見ていると、ますます言い出しにくくなってしまった。
「おや、スキッパーさん。そんな場所で、恋人でも見つめるように突っ立ってるなんて、変な趣味でもお有りですかな」
 後ろから声を掛けられて、飛び上がった。
「あれ、小和田さん、お珍しい。スキッパーも一緒なんて、ますます持って珍しい組み合わせですね」
 二人の気配に気付いた江坂も、得意の毒舌を見せた。
 村岡も、今度こそ観念した。
「みんなを集めてくれ」
 村岡の要請に応じ、魚塚が制服に組み込まれている小型のトランシーバーで、残る三人に集合をかけた。
 食堂から顔を出し、指揮所に居る二人を食堂に呼び寄せた。
 食堂は、会議室としても使用する。六人掛けのテーブルが二脚あり、ホワイトボードやタブレット用の大型モニタも備えている。
 二人が食堂に入る頃、背後から、プリントアウトした用紙をさっと奪われた。振り返ると、浦橋が居た。
「これが、問題になってるんですな」
 浦橋は、シートに目を通し始めた。直ぐに、彼の眉間には深い皺が寄った。
 小和田が、浦橋からシートを取り上げる頃には、瓜生も鮎田も食堂に入った。
「命令書? どういうことだ?」
「小和田、声に出して読んでくれないか」
「俺の美声に惚れたのかい?」
「詰まらんことを言うくらいなら、俺が読もう」
 浦橋は、小和田からシートを取り返そうとしたが、さっと指先をかわされた。
「読めばいいんでしょ。聞けよ。
 命令書。
 一.前文
 以下の内容は、最高機密である。よって、今後の『うりゅう』及び『うりゅう』乗組員の動静は、完全に秘匿されなければならない。本命令に対して疑念を挿む事はもちろん、秘匿のため、本省に確認する事も許されない。
 二.瓜生島調査ミッション中止
 『うりゅう』は、直ちに瓜生島調査を中止せよ。瓜生島調査に使用している全ての機材を撤収せよ。
 ヘリウム潜水は中止せよ。艇内の通気は、通常空気による常圧とする。
 三.移動
 日本時間八月二十四日一五〇〇時に、北緯三十三度四十一分三十秒、東経百三十一度三分五十秒で深度二メートルで待機せよ。指定時刻までは、沈底して待機しなければならない。
 移動に際し、浮上してはならない。あらゆる観測機器、探査機器に発見されてはならない。また、『うりゅう』の移動の痕跡を残してはならない。
 四.スキッパーの交代
 日本時間八月二十四日一五〇〇時をもって、村岡はスキッパーの任を解き、下船することを命ずる。
 浅海が、村岡に代わり、スキッパーとして指揮を執る。
 浅海着任後の『うりゅう』の行動は、浅海が把握、命令するものとする。
 五.注意事項
 本件は、日本国の国家機密である。『うりゅう』艇外への情報漏えい、または順ずる行為は、国家公安委員会の調査対象となり、厳重に処分される。
 以上だ」
 沈黙が流れた。
 別府湾底は、海上の荒れ模様とは完全に隔絶されている。補機類の騒音も聞こえず、七人の男達の呼吸音だけが、艇内を漂っていた。
 『うりゅう』プロジェクトには、経産省以外に防衛省も関与している。
 次期AIP型潜水艦のための燃料電池の実証実験が最重要項目だが、それ以外にも、衛星通信システムを含む多機能ブイや新型のソナー等も、提供を受けている。
 国の最高機密となれば、国家間の密約か、国防上の問題のどちらかと決まっている。国家間の密約には、『うりゅう』が関係するとは考えられないので、国防上の問題が残る。必然的に、防衛省の関与が浮かんでくる。
 海上自衛隊に籍を残している浅海がスキッパーとして乗ってくることも、それを裏付けると言えよう。
「スキッパーは、馘なのか?」
「そういうことだ。浅海君が来るということは、そういうことさ」
 憤懣やるかたない魚塚に対し、さも当然とばかりに、浦橋は答えた。
「上からの命令だ。みんな、直ぐに行動に移してくれ。時間が足りない。指定の海域まで、全速でも六時間は掛かる。十五分後に離底する」
 なにやら言いたそうな鮎田の肩をポンと叩くと、瓜生は食堂を出て行った。
 追うように鮎田も身を翻した。
 それを切っ掛けに、他の者も、持ち場に戻っていった。
 村岡も、指揮所に入り、航路の選択と、航海コンピュータへの入力を始めた。左舷でも、浦橋が同じ事を始めていることだろう。
 左舷と右舷で、完全な二重化システムを構成する『うりゅう』であるが、両舷で異なる操作を行った場合は、右舷が優先される。だが、右舷の制御権を左舷が奪うことも可能で、実質的なところでは、左舷が上の立場になる。
 村岡は、船乗りとしては、自分より遥かに経験豊富な浦橋を左舷に配置し、万が一の事故に備えるようにしている。
 『うりゅう』が離底し、目標海域への航行が始まると、浦橋に操船の全てを委ね、自室に戻った。徹夜の体には、事態の進展の速さについていけなくなりそうだった。四時間程度の仮眠を取ることにした。
 子供の頃から、寝つきの良さには自信がある。この時も、先が読めない状況にも関わらず、あっさりと眠りに落ちた。
 夢さえ見ることなく、四時間半後に目が覚めた。
 航海日誌にここまでの記録を残し、身支度をした。
 元々、私物は少ない。艇の電源が落ちた際や、浸水時に備えて、厚手の下着を用意していることを除けば、小和田と違い、服もスエットと制服が二枚ずつあるだけだ。
 本を持ち込むと嵩張るので、何もかも、タブレットに取り込んで持ち込んだ。タブレット以外では、小径のリフティングボールと硬球が全てだ。
 ほとんどを円筒形の防水ザックに入れ終わったところで、リフティングボールだけ手元に残した。
 幼稚園から小学校卒業まで、サッカークラブに所属していた。あの頃は、プロになることを夢見ていた。
 椅子に座ったまま、リフティングを始めてみた。
 子供の頃は、なかなか上手くいかずに悔しい思いもしたが、今では嘘のように思える。サッカーをしていた頃より、今の方が遥かに上手くなっている。
 ある程度の水深を維持して航海している『うりゅう』は、波浪の影響をほとんど受けない。続けようと思えば、疲れて足が上がらなくなるまで終わることはない。
 百回程度で止めて、荷物を持って自室を出た。艇の中央に近い両舷連絡通路に入り、中間にあるブリッジに上がった。
 ブリッジに入ると、下部の二重ハッチを両方とも閉めた。
 『うりゅう』は、内気圧が外の水圧と同等か、上回る状況が多いので、ハッチは内側に向かって開く構造になっている。ただ、外側側にもハッチがあり、外圧に耐えられるようになっている。今は、艇内を常圧に保っているので、外圧が内圧を上回っている。内外圧力差には、外側ハッチが耐えていることになる。
 村岡は、制服に組み込まれたインカムをONにした。
「今、ブリッジに入った。水密確認はグリーンだ」
「アイサー。目標地点まで五分。現在の深度は、二十メートル。キール下が約十メートル」
 ブリッジのモニタでも、それは確認できた。速度は、五ノットまで落としていたが、キール下はどんどん浅くなり、今では五メートル内外になってきている。
 浦橋は、やや上げ舵をとり、キール下の五メートル余裕を維持したまま、予定地点へのアプローチを続けた。
 周囲には、船影は無い。海上はかなり荒れていて、この水深になると、海底部分まで海水が動くので、『うりゅう』もうねりの影響を免れない。ブリッジの小さな窓から外を見ると、海水が濁っているし、泡立っている。
 浦橋は、海底に沿って深度を上げながら、速度は維持していたが、予定地点付近で後進を掛け、一気に船足を落とした。
 船舶は、簡単には停船できないが、質量の割に抵抗が大きい『うりゅう』は、停船までの距離が比較的短い。その特性を知り尽くしている浦橋の操船は鮮やかだった。
「浦橋さん。浮上はぎりぎりまで待とう。素人の命令だ。深度二メートルは、ブリッジ頂部の水深のつもりかもしれない」
 ほんの僅かだが、間が空いた。この時間に、彼は自分の感情をコントロールしてしまう。いつもと変わらない落ち着いた声が返ってくる。
「アイサー。深度八メートルで停船する」
 計器を横目で見ながら、今回の不思議な命令の裏を考えていた。
 自分を左遷するなら、瓜生島調査の後でないとおかしい。このまま、浅海と交代しても、調査が終了して浮上した際にも、記者会見が予定されているはずで、その場でスキッパーが入れ替わっていれば、どこで入れ替わったのか、追及の声が上がるに決まっている。
 省は、隠密行動を取らせて、浅海に何かをさせようとしているのだ。
 それも、自分が居たのでは浅海がやりにくくなるような内容だ。
 オカに上がったら、直ぐにあいつの元に飛んでいって、絞り上げてやる。
「停船。スキッパー、測位のためにブイを上げてもよいですか?」
 考え事をしているうちに、停船していた。二基ある推進用ダクトスクリューの振動は、無くなっていた。計器を見ると、四基の位置調整用スクリューが、現在位置を維持しようと、せわしなく動いている。そのお陰で、海上の時化を考えると、『うりゅう』はほとんどぶれていなかった。
「ブイは駄目だ。浅海さんがどんな方法でやってくるのか分からないが、何の気配も無くやってくるはずがない。位置が少しぐらいずれていても、それで分かるはずだ」
「アイサー」
 村岡の予想は、直ぐに当たった。
 波浪音の中に、真っ直ぐに『うりゅう』に向かってくる船外機と思われるスクリュー音を捕らえたのだ。
 海上が時化ていて、相手の情報を正確に掴めない。偶然、『うりゅう』の真上を通過する進路を取ったプレジャーボートなのか、漁船なのか、それともお迎えなのか。
「スクリュー音が止まりました」
 時計を見ると、ぴったり十五時だ。
 こんな時化ている時に船を出し、待ち合わせ場所で待ち合わせの時刻に停船する確率は、ゼロと考えてよい。お迎えに間違いない。
「露頂深度まで浮上」
「アイサー」
 直ぐに露頂深度になったことは分かった。今までとは比べ物にならないくらいに、『うりゅう』が揺さぶられ始めたからだ。
 村岡は、圧力を確認の上、内側ハッチを開いた。
「ギアを降ろせ。ブリッジ内への浸水に備え、余剰浮力を取れ。ただし、深度は露頂深度のまま」
「アイサー」
 ネガティブブローで余剰浮力を確保し、位置調整スクリューで下向きに推力を与えて浮かび上がらないようにするのだ。その上で、余剰浮力を失って沈降し、着底を余儀なくされた際に、艇体への損傷を防ぐために、ギアを降ろさせた。
 村岡は、内部ハッチを開いた状態で待機した。
 外側ハッチの外から、打音が聞こえた。合図だ。
 外側ハッチを開くと、まず荷物が、続いて男が飛び込んできた。男は、直ぐに外側ハッチを閉めたが、波をかぶり、かなりの浸水があった。
 村岡は、ハッチが閉まっていることを確認し、排水ポンプを稼動させた。
「ようこそ『うりゅう』へ」
 空いた手を差し伸べると、男はがっちりと握り返してきた。
 引き締まった体は、海上自衛隊で潜水艦に乗り続けてきた事を物語るようだ。
 浅海だった。
「これが、航海日誌です。後をよろしく頼みます」
「わかりました。船は、上で待ってます」
 もう一度、握手をして、村岡は外側ハッチを開いた。
 運良く、今度は波をかぶらなかった。村岡が出ると同時に、浅海がハッチの閉鎖手順をすばやく終わらせ、閉じた。
「どうぞ、こちらに」
 ブリッジに乗り上げるように待機していたゾディアックから、村岡に手が差し伸べられた。
 村岡は、私物を入れたザックを手渡した後、飛び移った。
 飛び移る瞬間、足元が沈む感触があった。『うりゅう』は、浅海の命令で動き始めたのだ。
 もう波間に消えていることは分かっていたので、村岡は、振り返って『うりゅう』を見ることはなかった。

       < 次章へ >              < 目次へ >

↑このページのトップヘ