伊牟ちゃんの筆箱

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  9

「あんたらの命令は聞けない!」
 魚塚だった。声は、食堂から聞こえた。声のトーンで、魚塚の苛立ちがわかる。村岡は、歩を早め、食堂に入った。
 食堂には、魚塚と浦橋、そして意外な人物が居た。
「村岡さん!」
 よく通る女性の声が、食堂に響いた。聞きなれた声だった。
「やっぱり、あんたか」
 村岡の顔見知りだと知って、魚塚も面食らったようだ。
「二年ぶりかな」
「それくらいかしら」
 そっけなく言う。
 元の妻の横顔を見つめる。端正な顔立ちの美人である。隙が無い美しさというべきか。
 隙が無いと言えば、彼女の全てにそれが言える。どれが得意なのか分からないが、どれを取っても一流だった。頭脳明晰で、今も文科省のキャリアとして高みへと駆け上がり続けている。生け花にお茶は当然のようにこなし、ピアノとバイオリンが得意で、書道も有段者。趣味が乗馬とテニスで、村岡の影響を受けて、スキューバもする。
 典型的なお嬢様だ。
 ところが、意外な事に料理が得意で、しかも家庭料理のレパートリーが豊富だとは、結婚して初めて知った。二人で暮らしていた時は、掃除に洗濯もスマートに片付け、正に、男性にとって理想の女性を形にしたような存在だった。
 彼女の欠点は、欠点が無いこと。
 少なくとも、村岡にとっては、それが彼女の致命的な欠点だった。
「スッキパー、この二人が『うりゅう』の指揮権があるといって聞かないんです。何とか言ってやってくださいよ」
 魚塚は、泣きついてきた。
「浦橋さん。状況を説明してください」
「いあや、浅海さんがこの二人を乗せたんですが、状況を説明しないで下船してしまったので、私にも説明のしようが・・・」
 村岡は、元妻の井本を見た。
「あたしが、説明するわ。まず、隣は松井さん。『うりゅう』は、本日〇四〇〇時から、あたし達の指揮下に入りました。これから、ある品物の捜索と引き上げを行うために、秘密裏に作戦行動を行います。作戦完了時、あたし達は下船します。あなた方は、浅海さんの指揮下に戻り、別府湾を目指します。最終的には、村岡さんの指揮下で瓜生島調査に復帰することになります」
「つまり、国家権力によるシージャックを受けたわけだね」と村岡は不満をぶちまけた。
「解釈は自由です。作戦が完了するまで、指揮権は、あたし達にあるということです」
「すごく曖昧な内容だな。指揮権を振りかざしているのに、何も見せないとは気に入らない。指揮権はやろう。だが、精度の高い情報が無い限り、動くつもりはない」
「君らは、こっちの命令で動いてくれれば良い。安全は、こちらで保障する」
「大きく出たな。海自で潜水艦に乗っていたんだろうが、訓練を受けていない船を操るのが、どれほど危険か、骨身にしみて分かっているだろう」
 村岡は、松井の経歴を想像で言った。
 表情を変えなかったが、当たっていたようだ。
「船に精通している君らが、私の指示に正確に応えてくれれば、何の問題もないという意味だ」
「生憎、何百人も乗っている潜水艦と違い、こっちは少数精鋭だ。一人で何役もこなす。それができるのは、情報を共有しているからだ。そっちで情報を隠されると、こっちは動きようがない」
「こちらも、無理を言うつもりはない。必要な情報は、必用となった時に提供する。早速だが、全員を集めてもらおうか。もう一つは、現在地より北西に七十七キロ移動してもらおう」
「無理だ。現在地も分からなくなっているのに!」
 魚塚の言葉が俄かに信じられなかった。
 現在地が分からない?
 そんな馬鹿なことがあるわけがない。潜航中はGPSを使うことはできないが、INS(慣性航法装置)でかなりの精度で位置を特定できるはずだ。その証拠に、『わだつみ』との会合に成功している。
「魚塚、どういうことだ? 現在地が分からないなんて馬鹿なことは無いはずだ」
「スキッパー、浅海さんが、INSをリセットしてしまったんですよ。おそらく、この二人の命令でね」
 村岡は、ザックを下ろし、航海日誌を手に取った。最後のページを開き、浅海の記述を追った。現在地の記述は、どこにもなかった。村岡が築城基地沖の位置を記録して以降、位置の記録だけが欠落していた。
「浅海さんは、俺たち全員を部屋に閉じ込め、右舷の指揮所はシャットダウンして、左舷の指揮所だけで航海してきたんです。だから、誰も、現在位置は分からないんです。スキッパーは、上に居たから、場所は分かりますよね。ここはどこなんですか?」
「生憎だが、こっちも目隠しされて監禁されていたからね」
 浅海のあの表情は、現在位置を隠したことに対する悔恨だったのか。
 これは、異常事態だ。体勢を立て直す必要があると、村岡は感じた。
「魚塚。全員に緊急招集をかけてくれ」
 魚塚は、緊急招集の信号を送信した。
 時刻は、午前五時過ぎだ。きつい時間だ。そんな状況にも関わらず、小和田と鮎田と江坂は、直ぐに飛び込んできた。鮎田はスエット姿で、如何にも寝起きとわかるが、江坂は制服を着ていた。研究熱心な彼のことだから、別府湾で撮影した写真を調べるために、徹夜していたのかもしれない。
 小和田は私服だが、いつもの小洒落た格好ではない。ただ、髪が乱れていないのには、驚かされる。
「こちら瓜生。左舷指揮所は誰も居ない」と、緊急時の瓜生の配置場所である左舷指揮所から連絡を入れてきた。
「緊急事態じゃない。悪いが、右舷の食堂に集合してくれ」
 村岡は、瓜生を呼び寄せた。
 瓜生は、走ってやってきた。やはり、制服姿だ。
「スキッパー。なんで女が居るんだ。どういうことか、説明してくれ」
 瓜生の第一声だ。
「おいらは、女性が居ることは歓迎だぜ。それより、見かけないおっさんが紛れ込んでいる方が気に入らないね」とは、小和田。
「浅海さんと入れ替わりで、スキッパーが戻ってくるとは思ってたが、新メンバーの紹介を兼ねて、事情を説明してもらいたいね」
 江坂も、状況に驚きと戸惑いを感じているようだ。
「スキッパーに聞いても無駄さ。スキッパーは、みんなより五分だけ早く居ただけだから。それより、松井さんとかに聞いた方が早いさ」
 魚塚は、ふてくされていた。
「あたしから説明します」
 井本の声で、みんなが注目した。
 井本は、ホワイトボードの前に立っていた。ホワイトボードには、数行に渡って箇条書きされていた。
「これを見てください。現時点の問題を列記しました。それぞれについて、問題解決を図りたいと思います。まず、第一の問題は、新しいメンバーが増えたことです。そこで、全員で自己紹介をしたいと思います」
「どうして、こいつが話をするのか、納得がいかない」
 鮎田も、井本を「こいつ」呼ばわりだ。
 村岡は、こんな三文劇のような集会を早く終わらせたかった。
「優先度が違う。全員の名前と顔が分かれば充分だ。『うりゅう』のメンバーは、そっちから瓜生、浦橋、魚塚、俺が村岡、江坂、鮎田、小和田だ。新しいメンバーは、井本と松井だったね」
 井本は微笑み、松井は小さく頷いた。
「次の問題では、新メンバーの部屋割りです」
 パパッと決めてしまおうとしたが、ハタと思い当たった。井本は女性だ。トイレが共有の部屋は、割り振れない。
「悪いが、浦橋さん、部屋をP4に替わってくれないか。井本さん、P1を使ってくれ。松井さん、P5だ。トイレは、P4と共有になる。気をつけてくれ」
「レディファーストかしら。ありがとう」
 井本は、三人の名まえと部屋番号を、ホワイトボードに追記した。
「次の問題は、現在位置が分からないこと」
「それは、問題じゃない。大体の位置の見当は付いている」
「村岡さんだったね。いい加減なことを言うんじゃない。直感か、それともハッタリかい」
「それに近いな。現在地は、東大和堆の東の外れ付近だ。水深から見ても、いい線だと思うが、どうだい?」
 松井は、動揺したようだが、ほんの一瞬でそれを隠してしまった。視線を井本に移した時には、彼女は全く表情に見せていなかった。
「どうして分かったか、自己紹介の時に解説するよ」
 井本は、東大和堆東端と追記した。
 これには驚いた。単に動揺していないのか、それとも村岡の予想が外れたのか。
「次の問題は、指揮権と代行順位よ」
 核心に入ってきた。
「スキッパー。右舷の指揮所に居る」
 瓜生は、もう隣の指揮所に歩を進めていた。
「構わんが、どうした?」
「関係ない話ばかりだ」
「分かった。上の船に気をつけてくれ。もう動くだろう」
 聞こえたのか、聞こえていないのか、分からない態度のまま、瓜生は食堂を出ていった。
「操船上の指揮権は、村岡さんをトップに、今まで通りとします。作戦上の指揮権は、私がトップで松井さんが代行になります。松井さんの代行は、いません」
「つまり、俺が操船上の責任を負うことになる。まあいい。この件は、優先度が低い。次に行こう」
「スキッパー、それでいいんですか! こいつらに掻き回されますよ」
「今でも、充分に掻き回されてるよ。それより、重大なことがあるんだよ」
「鮎田よ。スキッパーは、作戦上の指揮権が彼らにあること自体は、今までと大差無いと言ってるんだよ」
 浦橋が余分なことを言ってくれた。
 元々、井本の配下の浦田が、『うりゅう』の責任者だ。浦田の命令で、村岡は『うりゅう』を動かす。浦橋は、そのことを言っているのだが、井本が何者かをよく知らない鮎田には、意味がわかったかどうか。
「次の問題は何だ?」
「最後の問題は、捜索の効率と引き上げ方法よ」
「この件が、一番曖昧な表現だな。俺なら、この件に捜索対象と推定位置の明確化と、期間の設定を追加するね」
「それは、我々の指揮権の範疇だ。問題にならない」
「そうか。曖昧な条件での捜索活動は、乗組員の生命の保証ができなくなる。操船の指揮権者としては、捜索活動を指揮できない」
「君から操船の指揮権を奪うだけだ」
「それは不可能だ。海自で潜水艦に乗っていたんだろうが、『うりゅう』の三次元操船は、通常の潜水艦とまるで違うぞ。まあ、君が操船するなら、僕は『わだつみ』に戻らせてもらう。命が惜しいんでね」
 松井の顔色が変わった。
 『わだつみ』に乗せられたと村岡が気付いていたことに驚いたのだろう。
「こいつ、海自の潜水艦乗りか!」
 鮎田は、松井の胸倉を掴んだ。松井は慌てず、掴まれた手を捻り、体を半回転させて床にねじ伏せてしまった。
「松井さん。凄い腕前の割には、胸倉を掴まれただけで随分と手荒い事をしてくれるね。動揺している証拠かな」
 流石に、挑発には乗らず、ちらりと井本の顔を見ると、鮎田を引き起こした。鮎田は、気分が落ち着かないらしく、今度は浦橋に噛み付いた。
「浦橋さん、あんたはこいつを知っていたんだろ」
 浦橋は、何か言いたそうだったが、自ら飲み込んだ。
 浦橋は、松井を知っていたのだろう。
 浦橋は、海自で潜水艦に乗っていた。艦長も勤めていたが、『うりゅう』計画を知って公募に応じた。浅海も同じだった。他にも六名の応募や推薦があったが、書類審査で二人に絞られた。そこに割って入ったのが、実務経験が無い村岡だった。
 シミュレーション訓練では、企画段階から知っている村岡の健闘が目立ち、二人を差し置いて最高成績を収めた。この結果を受けて、浦橋は態度を一変させ、副官として村岡を支えると申し出た。
 これが現体制を決める切っ掛けとなり、浅海はスキッパーの交代要員となってしまった。
 村岡が下船している間、浅海と浦橋は、一緒に『うりゅう』を操船した。浅海は、全員を締め出したと言うが、関門海峡を潜航したまま突破したことを考えると、浦橋が協力していた可能性が高い。
 浦橋は内なる敵になってしまうのだろうか。村岡にとって、なくてはならない片腕だけに、頭の痛い問題に発展するかもしれない。
「魚塚、静かにしろ。話は先がある」と、浦橋は魚塚を諌めた。
「私も知りたいね。そちらの言っている事は、目隠しをして、言われたとおりに走り回り、手探りで何かを掴み、持って帰ってこいだ。逆の立場になった時、その命令に服従するのかい。まさかね。まずは、目隠しを外してもらいたいし、手探りではなく、目標物を知りたい。今見たように、私の立場が危うくなっているので、それが絶対条件だ」
「目隠しは、外れているでしょう」
 井本は、大和堆東端と書いた部分を示した。逆手に取られた。
「スキッパー、どの程度の精度で掴んでいますか?」
「精々、プラスマイナス十五分だ。正真正銘、目隠しをされていたんでね」
「そんな精度じゃ、話になりませんよ」
 それは、鮎田が言った。GPSが発達し、慣性航法装置も精度が向上している現在、一秒単位の位置精度が常識だ。九百倍もの誤差を言われたら、文句の一つも言いたくなるだろう。
「この問題は、対策がいくつもある。後回しにする。目的と目標物が問題だ」
 ここに来て、最後の持ち札を出すべきか、村岡は迷った。
 彼女の顔は、「あなたの手の内は、お見通しよ」と言っているようだ。
 札を後生大事に持っていても、しようがない。全部の札を開いてから、出方を伺うことにしよう。
「違っていたら言ってくれ。目標物は、K国のミサイルだ。落下地点は、大和堆のどこかだろう。分からないのは、なぜ、今になってK国のミサイルを探すのかだ。考えられるのは、ここ数日の内にK国が日本本土を狙って発射したミサイルだったからか、核の搭載が疑われるかだ。どうだい。違っているところを指摘してくれないか」
「流石ね。どう? 彼に隠し通せる自信はあって?」
 井本は、松井に問うた。
「簡単にはいかないようですな。村岡さん、なぜターゲットがK国のミサイルだと思ったのか、聞かせてもらえないか」
「自衛隊が絡んでいるなら、海底の捜索は、軍事関係の機器の捜索だ。考えられる対象は、最新鋭の戦闘機、潜水艦、ミサイル、無人偵察機等々だ。この中で、潜水艦と戦闘機は、生身の人間が乗っているので、後のことを考えると、隠蔽は無理だ。
 残るは、ミサイルか無人偵察機だ。どちらも、搭載物を考えると、敵に渡したくない。ただ、海に落とした場合、無人偵察機は、直ぐには沈まない。拾い上げるチャンスがある。爆発物じゃないから、多少手荒な扱いをしても、それほど危険はない。その点、ミサイルは、胴体内は火薬と燃料で満載だし、浮力がないので、落とせば直ぐに沈む。回収は、海底を浚うしかない。その役割は、海上自衛隊と言えど、簡単ではない。俺にお鉢が回ってくる可能性はある。
 ミサイルが米軍や自衛隊の物なら、海自か海保が該当の海域を閉鎖して、回収作業も隠さない。特に、米軍は公海であっても我が物顔で行動するだろう。『うりゅう』を使うはずがない。ところが、我々『うりゅう』乗組員にまで位置や対象を隠した。それは、仮想敵国のミサイルだということだ。日本海の真ん中となると、ロシアも考えられないことはないが、可能性が高いのはK国だ。まっ、こんな推理をしたわけだ」
 彼らの当初の計画は、村岡を『うりゅう』から引き離し、口が堅く命令には服従する浅海を使って、『うりゅう』を捜索海域まで移動させる。同時に、村岡は目隠しをして『わだつみ』に乗せ、拘禁状態で調査海域まで移動させる。そして、『うりゅう』の装備品に詳しく、扱いにも長けている村岡に、『わだつみ』からの相対座標だけで指示してミサイルの捜索活動をさせる。
 帰りの移動も、行きと同じ手順と方法で行えば、秘密を保持できる。
 その一方で、『わだつみ』の乗組員に詳細を知らせない方法は、相当に難しいだろう。
 船がどの方向に航行しているか、誰でもわかる。速力は一定なのだから、距離と方向から位置は簡単に見当が付く。GPS携帯を持っていれば、もっと単純だ。しかも、衛星対応の携帯なら、どこからでも誰にでも電話できてしまう。
 海上自衛隊なら、秘密保持はある程度できるだろう。ただ、『うりゅう』を支援できる護衛艦がないので、やむを得ず、『わだつみ』を引っ張り出したのだろう。
 乗組員のほとんどが、海自か海保の出身者が占める『わだつみ』の問題は棚上げにしているのか、『うりゅう』乗組員に対する秘密保持対策は、ドラマチックでさえある。ただ、村岡がイニシアチブを握るためには、彼らに全ての情報を出させる必要がある。
「ミサイルを見つけて、早いこと『うりゅう』に戻り、瓜生島調査を再開したいからね」
「ミサイル捜索に協力してくれるのだね」
「そう決めたわけじゃない。まだ条件が揃っていない」
「いや、決まったも同然だ。私は、ミサイル捜索に協力する。条件付きだが」
「浦橋さん、なぜ、こんなのに協力するんだ」と、鮎田が熱くなった。
「鮎田よ、私はミサイル捜索にスキッパーが協力しないと言ったら、関門海峡を潜航して通過する事に協力をしないつもりだ」
 この一言で決まってしまった。
 村岡は、浦橋の協力無しで関門海峡を通過するつもりはなかった。それは、浮上した状態であってさえだ。
 浮上した状態であれば、一人でも問題はない。潜航した状態でも、潮流に乗って通過するだけだから、自信が無いわけではない。でも、浦橋の経験は貴重だ。混雑する関門海峡を、速力がない『うりゅう』で通過するには、彼のようなベテランの力は、必須といっても良い。
 今回の件は、文科省にも、防衛省にも、大きな貸しになる。浦橋は、それも計算に入れていると思われる。同時に、『うりゅう』乗組員全員が、同じ利益を得る事にもなる。
 今後の『うりゅう』の運用については、不透明になってきているが、この件のお陰で見通しも晴れるだろう。
 だから、村岡としても、相手の態度次第では、協力するつもりになっていた。
 浦橋には、悪者になってもらおう。
「そう言われてしまうと、俺もミサイル捜索の賛成派に回るしかないな」
「そんなぁ」
 不満の声が上がる中、松井には勝利者の笑みがこぼれた。
「だが、問題が残っている。ミサイルの推定位置と状態だ。これが分からなければ、捜索をしても結果は伴わない。こちらも覚悟を決めたんだ。腹を割って話し合おうじゃないか」
 見ている間に、松井が渋面に変わる。こいつは、本当に潜水艦乗りなのだろうか。
「分かったわ。協力を条件に、全部話しましょう」
「井本さん! 約束が違う! 彼らには、必用な情報だけを流すことになっていたのを忘れたのですか!」
 村岡は、松井に歩み寄り、肩を叩いた。
「必用な情報は、彼女が持っている情報だけでは不足するかもしれない。足りない分は、君が提供してくれるんだよね。どうやら、そういう約束らしいじゃないか」
 憮然とする松井の表情を見て、鮎田も魚塚も、溜飲を下げたようだ。
「必用な情報は与える約束になっていたわ。現場裁量も認められていたし。さあ、お話しましょう」
 井本は、驚くべき事実を話し始めた。
 五日前、護衛艦『さかなみ』がK国のミサイルを撃墜した事、そのミサイルのターゲットが東京であった事、同時期に日本海側でK国漁船に不穏な動きが多数あった事、K国の港で艦船の出港準備が慌しく行われていた事、これらの事実からミサイルが核弾頭を装着していた可能性がある事。
 K国は、東京を核で攻撃して政府機能を奪った後で、日本海側に上陸作戦を敢行する作戦だったことが推測される。しかし、ミサイルを撃墜したことで、作戦の続行は不可能になったのだろう。
 日本政府としては、同種の作戦を防ぐために、K国に対して事実を厳しく糾弾したい。その材料として、是非、核弾頭を手に入れたいと考え、秘密裏に『うりゅう』を回航した。更に、米国への貸しにもなる。
「一九九八年にテポドンの回収に失敗しているから、捜索しているところを見せたくないのかな」
 立場を変えた魚塚は、松井を挑発し始めた。
「これで、俺たちがミサイルを見つけたら、そちらさんは立場が無いね」
 そんな気楽さには、村岡さえ付いていけなかった。
「迎撃ミサイルは、炸薬を搭載していないんだろう。炸薬を搭載していたら、核物質が飛び散ってしまっただろうから、海上で放射性物質を探す方が懸命だ。SM-3とかいうミサイルと類似の構造を持っているんだろう?」
 井本は、松井を見た。
「迎撃ミサイルは、炸薬は持っていないのが普通だ」
 そうなのか。
「まあいい。最後の問題だ。正確な現在位置と、ミサイル落下地点の位置を教えてもらおう」
 松井は、答えなかった。
「松井さん。あんたの最後の切り札だ。どうする? こっちは一向に構わんよ。現在位置を教えないなら、浮上してGPSを使うし、落下地点を教えないなら、ミサイルは別府湾に落ちたものと推定して、別府湾で捜索するだけだ。どうする?」
 松井は、ホワイトボードに書かれた「大和堆東端」の文字を見ていた。
「村岡さん、もう一つ教えてもらってもいいかな。どうして、この位置が分かったのかな?」
 背を向けたまま、村岡に質問を投げてきた。
「俺は、築城基地付近で浮上し、すぐさまヘリで運ばれた。目隠しをされた人間を大っぴらに連れ歩けるのは、自衛隊基地か、政府関係のヘリポートだ。その後に船に乗せられたのだから、海自の基地しか有り得ない。ヘリの飛行時間と、今の条件に合うのは、舞鶴港しかなかった。そこからは、波の受け方で船の針路の見当をつけ、舞鶴港からの航行時間から距離の概算を求めたのさ」
「概算の割には、自信たっぷりに場所を書いたな」
「まあね。命令書には、常圧と書かれていた。『うりゅう』の可潜深度は、常圧なら五百メートルだ。日本海は、大部分が千メートル以上の水深がある。平均では三千メートル近い。ただ、大和堆は、五百メートル以内の場所がほとんどだ。あんたも、北西に四十海里移動しろと言った。その方向は、大和堆の中心に近い。『うりゅう』が最も有効に使える場所だ。概算でも、大和堆の東端付近と見積もれたから、裏付けを得たと思えたのさ」
 松井は、村岡に向き直り、しばらく見つめていた。
「大したものだ」
 再び、ホワイトボードに向き直ると、数字を書き始めた。それが経緯度であることは、誰の目にも明らかだった。村岡の推定値とも、東に十一分程度の誤差があったが、緯度は二分程度の誤差だった。西風で、少し流されたのだろう。
 二組の数字を書き終えると、松井は、荷物を持って食堂を出た。井本は、意味有り気に浦橋に視線を送っている。
「浦橋さん。部屋を開けてやってくれないか」
 浦橋は、ようやく井本の視線に気付いたらしく、「こちらで少し待っていてください」と言い残して食堂を出た。
「さてと、自己紹介を省略してしまったが、当番だけは決めておきたい」
「当番?」
「そうさ。この船には厨房員が乗っていないからね」
「何交代なの?」
「三交代だ。これを決めたくて、全員を呼んだけど、バラバラになってしまった。後の楽しみに取っておこう」
「でも、決まったようね。ミサイル捜索に移っていただこうかしら」
 賛同を得るため、鮎田、魚塚、江坂、小和田の顔を見る。
「スッキパーが言うなら・・・」
 鮎田以外は、口には出さなかったが、顔を見れば分かる。
「決まりだな。鮎田、座標を入力してくれ。左の数字を現在地点とするんだぞ」
 ホワイトボードから座標を写し取ると、指揮所に向かった。
「井本さんよ。この決定は、俺達以上に重い決定になるぞ」
「覚悟しているわ」
 連絡通路に浦橋の姿を見つけたらしく、井本は大きな荷物に手を伸ばした。だが、小和田が二つとも手に持った。
「お部屋まで、御案内します」
 小和田が先に立ち、二人は食堂を出て行った。
「悪い病気ですな」
 入れ替わりに食堂に入ってきた浦橋が、苦笑いした。
「手を出さないといいんですが」
「そうですね。それより、操船をお任せしていいですか。その間に捜索パターンを検討したいんです」
 浦橋は、腕時計を見た。
「私の担当時間帯ですから、当然です。推定位置に直行しますが、それでいいですか?」
「お願いします」
 二人で食堂を出た。浦橋は船尾よりの指揮所に向かい、村岡は船首にある自室に向かった。

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  8

 部屋の外に、人の気配を感じた。時刻から見て、朝食を持ってきたのだろう。
 外の状況を掴んでからでも遅くないと、早まった行動は慎んだ。
 外から鍵を開ける音がし、「食事を御用意しました」と声が掛かった。どういうことだろうといぶかしんでいると、「ドアの前においておきます」と声は続いた。
 村岡は、昨夜から部屋に置きっぱなしになっていた夕食の器を持って、そっとドアを開けた。
 ドアの前の床に、お盆に朝食が載っているが、人影は見えなかった。
 開放されたのかなと思いつつ、廊下の様子を見ると、ドアの左方向、三メートルほど先の廊下が交差する場所に、二人の衛兵が立っていた。なんと、手には小銃を構え、こちらを見据えている。
 廊下の右方向には誰も立っていなかったが、数メートル先のハッチまで隠れられそうな場所は無く、逃げてもハッチを開ける前に蜂の巣にされそうだった。おそらく、思い切り撃てるように、反対側には誰も立たせていないのだろう。
 行動を起こさなかったのは、間違いなく正解だった。
 昨夜の器を床に置き、朝食を持って部屋の中に後ずさった。
 朝食も、夕食同様、美味しかった。量も充分で、こんな狭い部屋に閉じ込められたままなら、確実にメタボリック症候群に罹ると思われた。
「護衛艦? そんなはずはない」
 廊下の床は、昨夜歩いた時の感触の通り、カーペット敷きだった。難燃化の難しさや、建造コスト、武器搭載量への影響を考えれば、護衛艦にカーペット敷きをするはずがない。
 だが、廊下に立っていた二人は、自動小銃を構えていた。こんな銃器は、警察だって持っていない。
 航海中の『わだつみ』には、警備員も乗船していない。自衛隊から、見張りを兼ねて自衛官が数名乗り込んでいるのだろうか。
 素人の村岡が考える脱出案は、自衛官が相手では通用しないだろう。大人しく、出番を待つしかなさそうだ。いずれ、『うりゅう』と合流し、それに乗り込むことになるだろう。
 今は、成り行きを見守るしかない。
 昼食も、朝食と同じ要領で行われた。彼らは、全く油断を見せなかった。
 そして、夕食も、同様だった。
 昨夜と同様に、シャワーを浴びてベッドに入った。

 翌朝、ベッドは、ゆっくりと揺れていた。ゆりかごのような優しい揺れ方ではなく、少々荒々しさを感じる。窓が無いので、海象は分からないが、台風のうねりが残っているようだ。ローリングだけでなく、波を乗り越える際のピッチングも、顕著だった。
 ピッチングは大きいが、その割には上下動は少ない。船体中央より少し船尾寄りに居るのだろう。ローリングも、角度の割に上下動が少ないので、喫水線より上だが、ボートデッキより下じゃないだろうか。それも船体中央に近く、正確には左舷よりだと思われた。
 ドア側が左舷、廊下を出て右に行けば船首、左に行けば船尾だ。
 船の揺れ具合からここまでの情報を得ても、これを利用する方法を思いつかなかった。第一、外の様子が分からない。『わだつみ』だとしても、詳細なデッキプランを記憶しているわけでもない。時間が必要だった。
 ダイバーウォッチを見ると、午前七時を回ったところだった。
 船は動いていたが、それ以外は変化がなかった。朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べた。
 初めて変化が起こったのは、夕食を食べている時だった。
 船が行き足を止めたのだ。
 ディーゼルエンジンの音と振動が弱まったが、このくらいの大型船になると、速度はなかなか落ちない。
 村岡も、食事を中断して神経を集中したが、減速を感じなかった。
 ただ、神経を集中した甲斐があり、船が取り舵を切ったのが分かった。
 台風は、東に遠ざかっているはずだから、波は西寄りになっているはずだ。船は、特に停船中の船は、横波に弱い。船を止める際には、波に立てる。つまり、波と正対するように、船首を向ける。
 船は、概ね北に向かって航行していたことになる。
 『わだつみ』の航海速度は十五ノットだが、海が荒れていたので、もう少し遅いかもしれない。出港は、台風の状況から考えて、明け方頃だろう。目を覚ました時には激しくローリングしていたから、若狭湾を出ていたと考えると、遅くとも午前六時までに出港している。航行時間は、十一時間から十四時間の範囲の中だ。
 北へ二百十海里。約四百キロ。
「なるほど。『うりゅう』を使いたがるわけだ」
 現在地の見当をつけた村岡には、『わだつみ』と『うりゅう』を必要とした理由に思い当たったのだ。
 ここが『うりゅう』との会合点だ。
 出番は近い。
 村岡は、与えられた夕食をしっかり食べた。そして、仮眠に入った。
 『うりゅう』は、別府湾からここまでのほとんどを、燃料消費の激しい全速力で来ているはずだ。燃料の水素も、燃料と呼吸に使う酸素も、使い果たしているだろう。
 ここまで、完全に閉じ込められていたということは、村岡に情報を与えないこと以上に、『わだつみ』の乗組員に村岡が乗船していることを知らせないことの方が大きいのかもしれない。それなら、『うりゅう』への補給作業にも、村岡が借り出されることはない。
 予想通り、ドアをノックしたのは、それから八時間以上も後だった。
 例によって、ドアの鍵が開けられ、自分のザックを持って外に出てくるように声が届いた。そっとドアを開け、廊下に出ると、目隠しを投げて渡された。自分で目隠しをすると、頭から袋を被せられた。
 エレベータに乗せられ、少し上のデッキに上がった後、ハッチをくぐって露天甲板に出た。船体中央に向かって歩かされながら、ムーンプールに『うりゅう』が浮上しているのではと、考え始めた。
 『わだつみ』は、船体中央にドリル用の開口部、ムーンプールがある。
 単独航行が可能な『うりゅう』は、他の潜水居住基地と異なり、支援船のバックアップがほとんど必要としない。それでも、燃料の水素と酸素の補給は必要で、物資の補給や、収集品の受け渡しや解析等で、支援船無しでは都合が悪い部分も多々ある。
 『わだつみ』は、稀にしか必要とされない支援船としてだけでは、運転効率の面で無駄な船になってしまう。
 そこで、地球深部探査船『ちきゅう』の補助的な役割を果たすべく、『わだつみ』には、ライザー掘削を継承して海洋底の掘削能力を付加している。
 掘削用ドリルを通すために、船体中央にムーンプールと呼ばれる開口部がある。
 風の音が強くなってきた。一定の周期で、まるで怪物の寝息のようだ。まだ、海があれている。ムーンプール内の海水面が上下する時に、中の空気も出入りする。それが大きな音を立てるのだ。
 ぐるりと迂回するような経路で甲板を歩かされる。ムーンプールを避けているように思える。ちょうど、反対側と思われる場所で止まるように命じられた。この状況で逆らうのは意味がないので、言われた通りにする。
「右手を伸ばしなさい」
 手を伸ばして探ると、手摺が触れた。
「それを伝って、梯子を下りてください。足が水面に届いたら、目隠しを外して結構です。あなたの船の入り口がありますので、艇内で次の指示を受けてください」
「つまり、ミサイルの引き上げ命令だね」
 悪戯心が芽生え、反射的にそう言った。
 反応は無かった。
「悪かった。素直に梯子を降りることにするよ」
 冗談ぽく応え、手摺を両手で握った。ゆっくりと足元を確認しながら、梯子を下りていく。直ぐに、船腹を打つ波の音が聞こえなくなった。
 周囲を鉄板で囲まれた筒状の空間に踏み込んだことを意味する。
 ここで落下したのでは、なんとも間抜けな話になる。用心に用心を重ね、手元足元に注意を払いながら、ムーンプールの下層へと進む。ムーンプール内の空気が動く風を感じる。だが、海水面の上下動は、思ったほどではなさそうだ。
 同時に、海面は近いらしい。
 それから二段下りたところで、水面に足が入った。と思った次の瞬間には、膝のあたりまで押し上げてきた。
 村岡は、袋を取り、目隠しも捨て去った。目隠ししていたので、暗闇にも問題は無かった。
 思ったとおり、ムーンプールの中だった。その中央には、『うりゅう』のブリッジが頂上を水面に覗かしていた。見上げると、四角に切り取られた夜空に、大きな掘削用やぐらが聳えていた。真下からの眺めでは、五十メートルに及ぶやぐらの高さは感じないが、言い表せない圧迫感がある。
 このやぐらの複雑な骨組みが邪魔になり、星はほとんど見えない。星座が分からないと、船の向きを特定できない。少し見上げていたが、諦めた。
 海面の変動を見ると、一メートルか、精々一メートル半程度の上下動だった。だが、この上下動に揉まれて壁に激突するのは避けたいところだ。
 二段ほど登ってから、ザックを背負ったまま、思い切って飛び込んだ。『うりゅう』に向かって泳ぐ。ブリッジによじ登ろうとすると、妙にふわふわと不安定な感触がする。どうやら、ブリッジ部分を切り離して浮上させているらしい。
 ブリッジによじ登り、二重のハッチを開いて中に入った。
「村岡さん。待っていたよ」
 浅海だった。
「航海日誌だ。気付いたと思うが、ブリッジは切り離して浮上させている。艇体は、二十メートル下だ。燃料は満載で、二酸化炭素キャニスタは、七パーセントの消費率だ。他は、オールグリーンだ」
 気に入らない。何となく、雰囲気がおかしい。
「命令書か何か、受け渡されるものは無いのか?」
「無い。私が下船し、君が指揮を取る。それだけだ」
 納得がいかない。ただ、浅海の立場を考えると、これ以上は言えなかった。彼は、『うりゅう』をここまで運ぶためだけに利用されたのだ。当然、本人も承知しているだろう。それを知った上で、これ以上の事を言う事はできない。
 浅海が伸ばした手をぐっと握り返す。
 浅海は、一瞬、済まなそうな表情を浮かべた。見せた事が無い表情が気になったが、声を掛ける暇もなく、彼はハッチを出て行った。ハッチから顔を出して彼の姿を追ったが、もうムーンプールに飛び込んでいた。
 諦めて、ブリッジ内に戻り、ハッチの閉鎖を始めた。
 二重ハッチを閉じたところで、ほっと息をついた。自分の家に帰ってきた気分だった。
 海水面の上下動は小さくないが、浅海なら梯子に取り付いた頃だろう。ブリッジのモニタで、水深を確認した。村岡は、制服の通信機が『うりゅう』のネットワークに繋がっていることを確認した。
「村岡だ。深度五十メートルまで潜航開始。ブリッジが没水後、ブリッジ巻取り開始」
「アイアイサー」
 鮎田の声が返ってきた。若い彼の声を聞いて、ほっとする。
 十分後には、ブリッジは『うりゅう』本体との連結が終わっていた。
 ブリッジ下部のハッチから連絡通路に降り立った村岡は、右舷の指揮所に歩を進めた。そこには、鮎田がいるはずで、他のメンバーも居るかもしれなかった。みんなの顔を見たかった。
 ところが・・・
 船内に、大声が響いた。

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  7

 北陸新幹線は、減速運転になっていたが、富山まで走ってくれた。だが、運は、ここで尽きた。
 カミオカンデには、高山線の猪谷駅でバスに乗り換えるか、富山駅からバスで行くかだが、どちらも台風による大雨で運転見合わせになっていた。
 富山駅前でビジネスホテルを探したが、新木と同じように足止めをくらったサラリーマンで溢れているらしく、空室は中々見つからず、富山から離れて探しすことになった。最終的には、北陸本線を滑川まで戻る羽目になった。
 今朝は、陽光で目が覚めた。
 台風一過の快晴で、真夏の光が遮光カーテンの隙間から差し込んでいた。
 これなら、電車かバスか、どちらかが動いているだろうと、レストランで朝食を済ませると、富山に向かった。
 高山線は、昨日に続き、不通が続いていたが、バスは動いているという。早速、神岡行きのバスを探し、それに乗った。
 新木は、このバスに乗ったことはない。初めてのバスは、景色が変わるので、観光気分になって楽しいものだ。
 バスは、鉄道の駅と違い、場所が分かりにくい。乗り場の分類も分かりにくいし、行き先も聞き覚えが無いものが多く、路線図も模式化されているので、実際の地理とは噛み合わず理解が難しい。元々、地元民が使うことが多いので、これで充分なのだろうが、新木のような余所者には、路線バスは使いにくい。
 だから、路線が分かりやすい高山線を利用していたのだが、携帯を使うと、意外に簡単に全国の路線バスの乗り場やダイヤが調べられることが分かり、乗換えが必要なくなるので、今後はバスにしようかとも思うのだった。
 二〇〇六年末に神岡鉄道が廃止された。鉄道は、廃線後も痕跡が残るものだが、茂住駅跡が分かる程度で、飛騨の地下鉄と呼ばれるほどトンネルが多かったために、他に痕跡を見つけることが難しい。
 茂住でバスを降りると、直ぐに研究施設がある。実際のスーパーカミオカンデは、池ノ山の山中にある。文字通りの山中で、昔の神岡鉱山の坑道を利用している。他に、カムランドや重力波望遠鏡のKAGRA等の施設もある。
 過去には、およそ三百キロ離れた筑波の高エネルギー加速器から打ち出した人工ニュートリノを、スーパーカミオカンデで捉える実験が行われ、ニュートリノに質量があることが実験によっても実証されている。
 この時代に、大学院生として参加した新木は、その後も、これを発展させる形で研究を続けている。そのため、筑波とここを何度も往復している。
 神岡鉄道は知らないが、廃止されてからは最寄り駅の猪谷からバスしか交通機関が無くなり、「不便になった」と先輩研究者から聞かされる。
 ひとまず、宿泊施設に入り、荷物を整理した後、研究棟に向かった。本当なら、昨日の内に着いて、今朝からデータ整理を行う予定だったが、随分と出遅れてしまった。
 それに、浅村の話を聞いて以来、以前から気になっていたことが、頭の中で大きくクローズアップされてしまい、それを解決しないことには、先に進めそうになくなっていたのだ。
 1987Aと呼ばれる超新星爆発によるニュートリノを発見したこと、更に小柴氏のノーベル賞受賞で一躍脚光を浴びたカミオカンデは、現在はカムランドと呼ばれる施設に改修されている。
 カミオカンデに変わる設備として、スーパーカミオカンデが建設され、運用されてきたが、二〇〇二年に大事故が発生し、二年間の運用停止期間も経験している。
 現在では、数年前までの改修工事を経て、今後十年間の運用延長が決定している。
 神岡鉱山の跡地を利用して建設された施設は、ニュートリノ検出器であるスーパーカミオカンデやカムランドの他に、重力波検出器もある。
 新木は、大学院から高エネルギー粒子を研究してきた。その関係で、ここにも何度も出入りしている。現在では、自分の専門がニュートリノなのか、高エネルギー粒子なのか、分からないくらいになっている。
 新木は、自分に与えられた部屋に入ると、持ち込んだパソコンを研究棟内のLANに接続した。不在にしていた期間のデータを、パソコンに取り込んだ。
 彼が、この事実に気付いたのは、全くの偶然だった。
 スーパーカミオカンデは、宇宙からのニュートリノを検出するために運用されている。また、多少の解像度があるので、どの方向から飛んできた粒子か、大体のことは分かる。
 解像度があるがゆえ、ニュートリノの入射方向は、赤緯赤経か、銀緯銀経に自動変換される。
 つまり、宇宙空間のどこから飛んできたニュートリノなのか、銀河系のどこから飛んできたニュートリノなのか、研究者に情報を提供する仕組みなのだ。
 だが、新木は違っていた。
 彼は、筑波の高エネルギー加速器からの粒子を捉える必要があったので、スーパーカミオカンデの絶対的な方向が重要だった。
 彼は、スーパーカミオカンデに飛び込んでくる粒子の方向を、地球上のどこから飛んでくるのか、地表面の座標に変換するソフトを組み込み、集計を始めた。
 この目的には、筑波の加速器だけでなく、核実験や原子炉からのニュートリノの検出も兼ねていた。
 これを長年に渡って蓄積してきた結果、驚くべき事実が浮かび上がってきたのだ。
 ニュートリノの受信頻度が、時間変化しているのだ。
 発見は、遊びの中から生まれた。
 新木は、高エネルギー粒子を用いた通信を考えていた。高度に発達した文明は、自身が住む惑星上で、遠距離の交信をどのように成立させるだろうかと考えた時、有線を除くと、電波を用いるのが最も簡単だ。
 だが、電波は、地球のように電離層があれば短波帯で遠距離通信が可能だが、電離層が無ければ、衛星中継をする必要がある。
 もし、高エネルギー粒子を通信手段に使えば、直接、月の裏側とも交信できるので、非常に便利だ。通信装置が小型化されれば、電波を用いる通信手段より遥かに利用価値がある。
 ちょっとした遊び心で、ニュートリノの時間変化を調べたのだ。高エネルギーの粒子として、新木が考えたのがニュートリノだった。
 地球近傍を知る上で都合が良い銀緯銀経で束ねてみた。
 ニュートリノの検出は、スーパーカミオカンデをもってしても、そう簡単ではない。時間で蓄積していく必要がある。だから、時間変化も、繰り返しが無ければ、蓄積が利かないので、全く見えてこない。
 新木の遊び心は、所詮、遊びでしかなかった。多少は、ニュートリノを通信手段に使う知的生命が存在する可能性を考えていたが、当然と言うか、何も特徴的な受信パターンは現れなかった。
 ニュートリノを通信手段に使う知的生命の発見が難しいことを実感したことで、完全に遊びになった。人類がニュートリノ通信を試みているとの仮定に変わったのだ。こんなことは考えられないが、CERNで実験したら検出できるし、蓄積するなら面白いだろうと考えたのだ。
 それぞれの方向毎に、繰り返し時間を変えながら、特徴のあるパターンを探していくのだ。忍耐の要る作業だ。
 元々、遊びで始めたのだから、彼はパソコン上にプログラムを組み、スクリーンセーバーの代わりに動作させるようにした。
 浅村が訪ねてくる一週間ほど前、パソコンが何かを見つけた。
 しかし、新木が解析を始めて間もなく、それは中断した。

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  6

 あれから数時間。
 慌しく時間が過ぎていった。その割に、村岡がやることは何もなかった。彼が搭乗するヘリが降下に入っても、暗闇の中で沈み行くだけで、何もすることはなかった。
 それに比べると、周囲の物々しさは異常で、村岡に目隠しをするほどに過敏でもあった。それほど重大な問題が発生しているのだろうか。単に、途中経路にある物を見せたくないだけなのだろうか。それは分からないが、随分と舐められたものだと、腹立たしかった。
 ヘリが着陸しても、目隠しは外してもらえなかった。
 直ぐ脇に止まった車に乗せられ、数分走った後、ギャングウェイを上らされた。直ぐに船内に入ると、エレベータで一デッキか二デッキくらい下り、しばらく廊下を歩かされたあと、個室に入れられた。
 彼を部屋に押し込むと、背後でドアを閉め、外鍵を掛けていった。拘禁状態になったようだ。
 自分で目隠しを取り、しばらく明るさに慣らした後、ゆっくりと瞼を開いた。
 ビジネスホテルのシングルルームを小さくしたような部屋だが、窓は無く、代わりに立派な事務机が取り付けられえていた。入り口の横にある扉を開くと、お決まりのユニットバスとトイレが付いていた。
 ビジネスホテルと違う点は、白色照明が部屋を白々しく照らしていることか。
 ここが、船の中だと知らなかったら、狭苦しい監禁部屋だと思うところだが、水が貴重な船内で、お湯を溜められるバスが一人部屋に与えられている点、士官級船員用の部屋だろうと推定できる。
 見ると、机の上に食事が用意されていた。
 魚料理だった。本当は、肉料理が好きだし、魚なら刺身や寿司が好みだが、煮魚の料理は、なかなか美味しそうだ。
「腹が減っては戦はできぬ・・・か」
 村岡は、何の躊躇も無く、箸をつけた。
 料理は、見た目以上の美味だった。
 乗組員が交代で作る『うりゅう』の食事は、マンネリだし、見た目も、味も、お粗末なものだった。
「護衛艦じゃなさそうだな」
 ぽつり呟いた。
 ここは、舞鶴港に間違いないはずだ。
 福岡県の築城基地の直ぐ近くで、ボートに乗り移った。ボートに乗ると同時に、目隠しをされた。だが、ほんの数分で上陸したことから考えても、直後にヘリに乗せられたことから考えても、築城基地に上陸したことは間違いない。
 築城基地からヘリに揺られること、約二時間で着陸した。気流が乱れていたから、本来より時間が掛かったと思うが、距離にして四百キロから五百キロだ。今は、大型船の船内に居ることは間違いない。航空自衛隊のヘリから目隠しされた男が降り立っても怪しまれないのは、機密の管理がしやすい自衛隊基地、かつ大型船に乗り移れる場所。つまり、海上自衛隊基地に間違いない。
 この条件に合致するのは、舞鶴しかない。
 ところが、この船の作りは、軍艦ではない。
 内装がきちんと施されている。壁紙が張られているのだ。床もカーペットが敷き詰められている。それに、机が大きすぎる。一般商船としても、似合わない大きさなのだ。ベッドは、二段ベッドの上段だけにしたような感じで、下側には、クローゼットや書棚、収納庫、小型の冷蔵庫もある。
「まさか、『わだつみ』かな」
 クローゼットや収納庫は、長期間に渡って乗り組むことを示唆しているし。大きな机や書棚は、研究員が使うと考えれば、頷ける。思い付く船名は、支援船『わだつみ』だ。
 この船が何であれ、村岡をここに監禁する理由は何か。理由も無く、ここまでの費用をかけるはずがない。監禁するだけなら、築城基地内でやれば良い。舞鶴まで連れて来た以上、村岡に何かをやらせたいのだろう。
 村岡の推定が全て正とするなら、ここが舞鶴港に停泊する『わだつみ』なら、日本海の海底で何かを探させる事しか考えられない。自衛隊が関係しているのだから、軍事的な役割を担わされるということだ。
 日本海の海底を探査するだけなら、『わだつみ』でできる。何かを引き上げるとなると、『うりゅう』が欲しいところだ。逆に、『わだつみ』でできることなら、『わだつみ』スタッフだけで充分だ。使い慣れない船で、村岡ができることは、高が知れているし、何かできると思っている者も居ないだろう。
 『うりゅう』は、今、どこに居るのだろうか。まさか、別府湾で瓜生島調査を続けているはずがないだろう。考えられることは、『わだつみ』と帯同すべく、関門海峡を抜け、日本海を東進することだ。
 『うりゅう』を支援する事にかけては、誰にも負けない自信がある。それは、サブのスキッパーの浅海にも、優秀な副官である浦橋にも。
 あの二人は、『うりゅう』を使いこなすことにかけては、村岡以上だ。だが、『うりゅう』の限界は、村岡が一番知っている。限界が近付いた時、何が必要かも。
 村岡には、自分にやらせようとしている内容が見えてきたように思えた。
「どっちにしても、今は出港しないな」
 台風が近付いてきている。今朝の気象情報が最後の情報だが、今頃は東海地方より東のどこかに上陸している可能性もある。この時期の台風にしては、かなり速度が速い。進路も東に傾いているし、勢力も強くないので、通過後の天候の回復は早いだろう。陸上に比べると海象の回復は遅れるだろうが、日本海西部の状態は、それほど酷くなっていないはずだ。
 明日には、出港だろう。
 さあ、寝よう。
 今は、体力を温存する時だ。役回りが来た時には、馬車馬のように働かされるだろう。
 村岡は、湯船にお湯を溜め、リラックスした後、床に就いた。
「何をさせられることやら」
 照明の効果を高めるために白く塗られた天井を見つめ、そう呟いた。

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  5

 未来都市のようだ。
 昔は、そんな風に例えられたが、彼が受ける印象は、「古き良き時代」である。道路網も、ライフラインも、あの時代の理想形であったかもしれないが、未来への提言となるほどの先進性は見られない。
 あの時代の一般的な交通機関、一般的なエネルギ供給方式、一般的な情報伝達方式をベースに、これらを理想的に運用するための組み立てを行い、都市に組み込んだ。
 この街は、そんな感じである。
 無人の輸送システムは見当たらない。ネットワーク社会に乗り遅れてはいないが、特段の先行してもいなかった。
 時代に先んじるものは、何も無かった。
 決して特別な都市ではないはずだが、やはり特別なのだ。
 少なくとも、浅村にとっては。
 一年半に及ぶ長期出張に出ていた。この出張を前にして車を手放していたので、電車でやってきたのだが、目的地にはバスに乗り継ぐ必要がある。全然、近代的ではない交通機関を乗り継ぎ、ようやく正門に着いた。
「それにしても暑いな」
 空を見上げても、雲が厚く、太陽は出ていない。それにしても、蒸し暑い。接近中の台風からの余波で、南からの湿った空気が入り込み、気温も湿度も、高くなっているようだ。風はない。暑さを助長させているようだ。
 構内は、緑が濃い。木陰を選んで歩きたかったが、真上から照らす太陽は、木陰を木の根元にしか作らない。陽炎が立つアスファルトの上を歩くのだから、汗は止まらない。建物の中に入ると、エアコンが効いていて、一心地をついた。面倒なセキュリティを通り抜け、新木の研究室の前までやってきた。室内から最後のセキュリティゲートを解除してもらい、中に足を踏み入れた。
「よく来たな」
 新木は、握手を求めてきた。
「セキュリティが一段と厳しくなったな。古生物学者が、天体物理学者を訪問する理由を説明するのに、四苦八苦したよ」
 事実とは、少し違っていた。正門では、訪問理由の記入を求められたのだが、適当な理由が思いつかず、まごついたのだ。守衛が「新木先生との関係は?」と聞いてきた際、「友人だ」と答えると、守衛はにっこり笑って、記入欄に「表敬訪問」と書いたのだ。
 表敬訪問が訪問理由になるのかと訝しんだが、通してやると言っている間に、この関所を抜けるべきだと思い、何も言わなかった。
「次からは顔パスになるよう、俺が警備にねじ込んでおくよ」
 格好良い台詞だが、若手研究員の一人でしかない新木の力で、警備が動くとは思えなかった。
 ここに来るのは初めてだ。だが、学部生時代の彼の部屋を訪ねた事があった。その時の印象とここの印象は似ている。
 書類が散乱し、床にも二、三枚落ちている。来客用のソファも、書籍が積みあがり、座れない。書棚だけが、綺麗に分類されている。どうやら、自分で書いた物は、全て頭の中にあり、他人が書いた物は、目次だけが入っているのだろう。
「ここは暑いな」
「そりゃそうだろう。君が行っていた南極とは、気温が違うに決まっているだろう」
 浅村は、南極の白い大地を思い出していた。
「新しい『しらせ』の乗り心地は、どうだった?」
「古い『しらせ』を知らないし、晴海から乗船するわけじゃないからね」
「オーストラリアで乗船するんだっけ?」
 浅村は、頷いた。
「それでも、吠える五十度線を船で越えたんだろう?」
 吠える五十度線。
 それは、思い出したくもない数日だった。
 船は、減揺タンクの効果も空しく、激しくローリングを繰り返した。更に、減揺タンクが利かないピッチングも激しく、三角波や横波をくらえばヨーイングも起こした。彼の胃は、ボディブローでKOされたボクサーのように、ボロボロになった。何度も嘔吐を繰り返し、最後には血が混じるほどだった。
 もう一度、南極に行きたいかと聞かれたら、必ず「Yes」と答えるのだが、あの光景が浮かぶと、「No」に変えたくなる。
 南極は、魅力のある大地だ。何年も前から、観測隊への参加希望を出してきた。
 浅村は、南極観測の越冬隊員として、主に『ドームふじ』で一年を過ごしてきた。夏季隊員としてでも参加したかった南極観測に、越冬隊員として参加できたことは、大きな意義があった。
 ただ、この部屋の状態だと、暑苦しく感じる。
「僕の友人は、どうして冷たくて暗い所が好きなんだろうか。君は、南極の真っ暗な冬を希望して行ってきたし、村岡は、移動式海底基地とやらで、今日から真っ暗で冷たい海の底だ。そして、僕は明日から暗い地の底さ」
 浅村も、自宅を出る前に、新聞の片隅に『うりゅう』の記者会見の概要と、今日から別府湾で調査を行う事が載っているのを見てきた。
「明日から、神岡に行くのか」
「ああ、その準備で大忙しさ」
「悪いな。忙しい時に邪魔をして」
「なに、構わないさ。君と会う時間を午後にしたのは、午前中に準備が終わると思ったからさ。ちょっと予定がずれ込んで、残り十分で終わるという時に、君が来てしまったけどね」
 新木は、リュックサックの中に、ぐちゃぐちゃの書類を目いっぱい押し込み、最後にノートPCを詰め込んだ。
「重い物を上に入れるんだったよな」
 一緒に夏山登山をした時のリュックサックだ。浅村は、南極観測の夢を実現するために、冬山登山を繰り返してきた。浅村とは違い、新木も村岡も、冬山には登らない。初心者クラスの楽で安全な登山だけだ。今、書類を詰め込んだリュックサックは、尾瀬に二泊三日で行ったときの物で、内容量が二十五リットルか三十リットルくらいのものだ。ディパックとは、容量がまるで違う。
 まったくの素人だった新木に、リュックへの物の詰め方から教えたのだが、その時の一説を覚えているらしい。
「間違いないよ」とは言ったものの、書類入れにされているリュックが哀れだった。
「それより、妙なものを見つけたというのは何だ。メールには、それ以上の事が書いてなかったから、さっぱりわからん」
 ここまで来ていながら、改めて新木に聞かれると、浅村は逡巡した。
 まさか、新木に馬鹿にされることはないだろうが、ここまで築いてきた関係がおかしな方向に傾いてしまうかもしれないと思うと、彼が発見した内容をそのまま話すべきか、踏ん切りがつかないのだ。
「おい、どうしたんだよ。随分深刻な雰囲気のメールだったのに、相談相手として、僕では不足かい?」
 新木は、本気で気遣ってくれているようだ。このまま話さないでいても、二人の関係にひびを入れることになるだろう。
 退路も立たれた。
 浅村は、天井を見上げた。
 乱雑な室内にあって、天井だけは綺麗だった。真っ白な表面は、南極の大地を思い出させる。そして、氷床コアの白さも。

 数日前、氷床コアを保存する極地研究所の保冷庫の中、息を白くしながらコア内の花粉を調査していた。
 南極では、息が白くなることはない。呼気の水蒸気が凝縮する際の核になるべき塵が、南極の大気中には浮かんでいないのだ。
 目に見えない塵さえ存在しない南極の清浄な大気の下で採取した、貴重な氷床コアだ。日本の空気で汚染されれば、学術的な価値は失われる。繊細で敏感な資料を扱うために、細心の注意と緊張が、外とは七十度以上もの温度差があるこの場所で要求される。
 顕微鏡下で、コア内の花粉を採取する作業は、根気と体力を要する。寒さと流れる時間の中で、コアを汚染しないように、自分に必要な花粉を採取していくのは、技術的にも容易ではない。
 ドームふじでの第三次氷床コア採取で得た試料は、彼が見ている部分が最深部に近い。年代で言えば、八十万年前から八十五万年前と言ったところだ。日本が手に入れた氷床コアでは、最古になる。
 その試料の中で、花粉にしては異様に大きな黒い物体を発見した。
「隕石かな?」と、その時は思った。
 大きさは、一ミリ未満の綺麗な六角形だ。隕石にしては、妙に綺麗な形だ。
 これくらい小さな隕石は、大気中の摩擦で燃え尽きることが多い。その一方で、小さい隕石は、大気との摩擦で直ぐに速度が落ち、ゆっくりと地上に到達する場合もあるので、地上に落ちてこないとも言えない。が、それにしては外観が綺麗すぎる。
 浅村は、その黒い物体を試料から取り上げ、ペレットに移し替えた。
 その翌日から、この物体の正体に近付く度に、浅村の苦悩が深まることになった。

 新木の堅物ぶりを表現しているかのような黒縁の眼鏡と、その奥で一点を見据える瞳を前に、浅村は意を決した。
「実は、マイクロマシンを発見したのだ」
「氷床コアの中で・・・か?」
 新木の視線は、浅村を捕らえたままだ。
「そうだ」
 浅村は、新木が「何をもってマイクロマシンと判断したのか?」と聞いてくるのを待った。
「誰が造ったと思った?」
 予想と違う質問に面食らいながらも、「氷床の中から出てきたから、人類が造ったものじゃないと思う」と答えた。
「宇宙からの飛来物だと思ったのか?」
 狐につままれた気分で、頷いた。
「年代はいつか、同定できたんだろう?」
「ああ、八十一万年前の花粉と同じ深さにあった」
「花粉をC14で年代測定したんだよな」
 C14は、通常の炭素原子の放射性同位体である。半減期は、約十四万年なので、C14が炭素原子の中に占める割合を測定すれば、いつの年代のものか推定できる。
 流石に、花粉のような微量の試料では、その測定は容易ではなく、大掛かりなものとなる。
「一昨日、測定結果が届いたよ」
「話をまとめると、こうだ。八十一万年前にマイクロマシンを製造し、南極にばら撒いたやつがいる」
 浅村は、頷くしかなかった。
「それで、僕に相談することは、これを発表するべきか、時が来るまで伏せておくべきか、話を聞いてほしいと言うことだ」
「何も付け加えることはない。外から傷付けないでできる調査の結果は、これに入れてきた」
 USBメモリを取り出した。
「預かっていいのか?」
「もちろん」
「さっきも言ったが、今は時間を割けない。神岡から戻ってきた時に、こちらから連絡する。それでいいか?」
「いつごろまで、地底生活をするんだい?」
「二週間だ。村岡と同じ頃に、地上に出てくる予定さ。まあ、俺自身が地底に潜るわけじゃないけどね」
 南極観測隊に選ばれるまでの時間は、十年以上だった。それに比べれば、二週間は直ぐだ。
 でも、随分と長い気もした。
「悪いようにはしないつもりだ。僕としては、村岡の鼻を明かしたい気分だ」
 新木が言っている意味がわからない。
 浅村が村岡の鼻を明かすのなら、わからないでもない。だが、新木の言葉は、自らの力でやろうとしているようなニュアンスだ。
「見つけたマイクロマシンは、一つだけかい?」
「一つだけだ」
「他の氷床コアには含まれていないのか?」
「古気象学者が見ていたら、見落とすことはない。でも、今までにマイクロマシンの話は聞いた事がないから、他の試料には無かったんだろうと思う」
「数があれば、それだけ説得力が増えると思っていたけど、そんなに甘くないね。とにかく、今日のところは、これ以上の時間は割けない」
「悪かった。地上に戻ったら、連絡してくれ」
 後ろ髪を引かれる思いだったが、浅村は研究室を後にした。
 セキュリティは、出て行く者には甘い。
 来る時とは比べ物にならない早さで門を出た。何だか、追い出された気分だった。

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  4

 船の勤務は、三組による六交代制で回る。午前零時を起点に、四時間交代で一日二回八時間の勤務となる。『うりゅう』でも、この慣例に倣って勤務が回る。一般商船のゼロヨン、ヨンパー、パーゼロの表現は使わず、一直から六直で表現する。『うりゅう』は、乗組員が少なく、今のような沈底状態での活動が多いために、当直勤務も柔軟にならざるを得ず、このような呼び名にしている。
 昨夜は、漏水確認と生命維持装置の確認他の作業は、午前二時過ぎまで掛かった。村岡は、乗組員全員を休ませるため、午前八時までの当直を買ってでた。各確認項目をまとめ、朝九時の定時報告に間に合わせるための作業が、彼には残っていたからでもある。
 当直を瓜生に引き継ぎ、一人だけで朝食を摂った。他のメンバーは、七時半に食べている。
 『うりゅう』の食事は、朝七時半、正午、夜七時半と決めてあった。直の交代時間に合わせた時間になっている。三食以外に、午後四時と正午前に、軽食を摂れるようにしている。二十四時間体制で、夜勤や潜水等の重労働をこなすための配慮だ。
 『うりゅう』の内規で、最後に食事をした者が、全員の食器の片付けをすることになっている。食事を終えた村岡は、食堂の隣の厨房に入った。
「あいつら」
 ぼそっと、呟いた。
 村岡が片付けるべき食器は、既に片付いていた。
「あっ、スキッパー。食器はそこに置いといてください。やっておきますから」
 村岡の後ろから声を掛けてきたのは、鮎田だった。
「夕べは、徹夜でしょう。お疲れのはずです。ここはやっておきますから、休んでください」
 停船中なので問題はないが、本来なら指揮所に居るべきだ。裏で、瓜生が気を利かしたのだろう。
「そうはいかないさ。示しが付かなくなるから」
「固いこと言わさんな。鮎田がそう言うのだから、甘えなさい」
 鮎田の後ろから声を掛けたのは、副官の浦橋だった。村岡より十以上も年上で、精神的に甘えることのできる唯一の乗組員だった。
「そうですよ。どうせ、食洗器に入れるだけですよ」
 もう、鮎田は村岡の食器を片付け始めていた。
「悪いな。甘えさせてもらうよ」
 台所仕事を鮎田に任せ、村岡は食堂を出た。
 村岡は、部屋には戻らず、食堂の隣の指揮所に入った。ここが、『うりゅう』の心臓部だ。
 魚塚と江坂が、調査用のグリッドを海底に設置する作業を行っていた。
 考古学の調査では、遺物を採集した場所や状態を記録する必要がある。そのために、調査対象範囲を区切るグリッドを設置する。魚塚と江坂は、有線の水中探査機C1を用いて、グリッドの設置を始めていた。
 魚塚が持ち込んだ機器は、要否を無視したかと思うほど、妙な品が多かった。潜水担当の瓜生と揉めたが、いくつかは半ば強引に持ち込んでいる。特に、周囲に評判が悪かったのが、巨大なミミズのような機器だった。村岡と江坂は見覚えがあるので気にならなかったが、瓜生と小和田は気持ち悪がった。
 村岡は、制御室に並ぶ三台ある端末の一つの前に座った。端末のメニュー画面から、左右画面に船内図画面を表示させた。
 『うりゅう』は、二本の耐圧船殻が左右並行に配置されていて、内部も左舷と右舷がほぼ対称になるように設計されている。船内図画面は、左画面に左舷、右画面に右舷が表示される。
 右舷は、船首から、村岡の自室となるスキッパー室、S2からS5の個室、厨房、食堂、指揮所、資料室、シャワー室、エアロックとなっている。
 左舷もほぼ同様で、浦橋の自室となる副官室、P2からP5の個室、厨房、器具倉庫、指揮所、シャワー室、エアロックとなっている。
 左舷と右舷を繋ぐ通路は二本ある。一本は、船体ほぼ中央にあり、中間にブリッジへのハッチと、水中エレベータへのハッチを持つ。もう一本は、船首に近い場所にあり、中間には、水中スクーターへのハッチがある。
 この船内図は、乗組員がどこにいるかを教えてくれる。
 乗組員は、チップの入った認識章を制服に付けている。これを読み取り、乗組員がどこにいるか、知ることができる。例えば、瓜生は左舷の器具倉庫に居ることがわかる。潜水具のチェックを行っているのだろう。鮎田は、もう指揮所に居る。浦橋は、左舷の廊下を移動している。左舷の指揮所に行くはずだ。原則として、彼は左舷に留まり、右舷側の機能がダウンした際に、左舷側からバックアップする役目がある。
 小和田の位置表示は、右舷のS3個室になっている。そこは彼の自室だが、制服を着ようとしない彼のことだから、本人が今どこにいるかは定かではない。
 船内図画面には、位置表示と共に各部の異常を表示する機能があるが、徹夜でチェックをしたのだから、もちろん、全てグリーン表示である。
 その表示に満足した彼は、左画面をブイ操作画面に、右画面をソナー画面に切り替えた。
 『うりゅう』は、一般的な潜水艦のソナーシステムを小型化した装置が装備されている。運用方法も似ていて、通常はパッシブソナーしか使用しない。ただ、隠密性を維持することが理由の潜水艦とは異なり、『うりゅう』の場合は、周辺の漁船の魚群探知機に影響を与えないことが理由となっている。
 ソナー画面には、海象も表示される。海上は、波長の長いうねりが起きている。台風の余波だろう。瀬戸内海の西端に位置する別府湾は、東しか開いていないし、山に囲まれているので、台風の接近具合に比べれば荒れ方は酷くないが、漁船は港に繋がれたままになっているはずだ。
 パッシブソナーで、周囲に漁船やフェリー等が居ないか、確認した。これくらい荒れていれば、停船していても、船縁に当たる波の音を拾える。
 瀬戸内海の海上交通の西の発着点となる別府湾だが、すべての航路で昨夜から欠航している。
 予想通り、周囲に船影は無い。
 ブイ操作画面からのオペレーションで、多機能ブイを海上に向けて伸ばし始めた。
 多機能ブイは、『うりゅう』と細いケーブルで繋がっていて、ケーブルを延ばすと浮上していく。内部には、通信用アンテナ、GPSアンテナ、気象測定器、水深計、音響発信器、カメラが詰まっている。
 浮上時には、このブイを上げて海上を確認する。ブイは、小型ゆえに長波長のレーダーが取り付けられず、短波長のレーダーでは高さが無いので視程が極端に狭く、小型船なら数十メートル先に居ても探知できない場合がある。そのため、レーダーは装備していない。
 ブイが海上に出ると、画面の隅にあるカメラの映像が少し明るくなった。カメラ画像の処理機能には、自動的にブイの揺れを補正する機能があるが、補正しきれずに揺れている。かなり荒れているようだ。
 どんよりとした空を見上げると、魚眼レンズ特有の歪んだ画像でも雲の動きが早いことが見て取れる。水深六十メートルを超える海底では、この海上の荒れようは全くわからない。
 荒れる海上の映像は、現実感が薄い。録画を見ているような気分になる。
 徹夜でまとめた状況報告を暗号化し、バーストモードで送信する。送信時間は、〇.一秒にも満たない。
 通信文は、通信衛星を通じて、文科省に届く。文科省の通信サーバーは、『うりゅう』からの通信文が届いたことで、多機能ブイが海上にあることを知る。直ちに、あらかじめ用意された『うりゅう』宛ての通信文が返信される。
 村岡は、返信が届くまでの数秒を利用し、海象データを取り込んだ。
 文科省からの通信文の受信が完了すると同時に、多機能ブイを収納した。右画面に表示しているソナー画面には、相変わらず船影は見当たらない。
 省との連絡を終えた村岡は、受信した通信文をゆっくり自室で見るため、立ち上がった。
 隣の端末を占有している魚塚は、早くも自律型無人潜水艇を出して、海底の状態の予備調査を始めている。自律型無人潜水艇は、『うりゅう』からの命令を取り込むと、命令に従い、『うりゅう』から完全に独立して動き回る。
 有線の水中探査機と違い、『うりゅう』とのケーブルが無いので、『うりゅう』の船体を外からチェックする際に、『うりゅう』にケーブルが絡まず便利である。また、ケーブル長の制約が無いので、広範囲の調査にも有用である。
 グリッドの設置を江坂に任せ、魚塚は先行して、状況把握の準備に入ったのだろう。
 予想以上に順調なようだ。
 村岡は、指揮所を出て自室に戻った。
 スキッパー室は、通常の商船に比べると問題にならないくらいに狭い。入り口の引き戸を開けると、正面から右寄りに大きな半球形の隔壁が見える。右舷耐圧船殻の先端部分である。この半球形を利用し、ラウンドした事務用デスクと、予備の椅子が設えてある。
 入り口の直ぐ右側は、隣室との境に薄いクローゼットがある。服を縦ではなく、平面に架けるタイプである。その奥には、トイレがある。
 『うりゅう』には、個室が十室あるが、専用のトイレがあるのは、スキッパー室と副官室だけだ。それ以外の個室は、隣の部屋との共用トイレになる。
 ベッドは、入り口からクローゼット、トイレまでの天井裏のロフトにある。
 他の個室も、ベッドは天井裏にある。このため、どの部屋も天井が低い。長身の村岡は、髪の毛が掠るくらいだ。その代わり、ベッドは幅が充分にあり、寝心地も良い。
 自室でタブレットを起動し、省からの通信文を解凍した。
 思っていたより長い文章だったが、仮眠を取るのは、これを見てからだ。昨日のパフォーマンスに対する注意が、書き連ねられているのだろうと容易に想像できた。
 『うりゅう』は文科省の管轄だが、経産省が割いた予算は少なくなく、それを背景にした『うりゅう』の使用要求は、かなりの量に上っている。その量たるや、『うりゅう』をフルに使っても処理しきれないほどなのだ。経産省の考えは、文科省より多くの使用要求を出し、要求比率に応じた使用比率を確保しようとしているのだ。
 村岡が文科省を離れた理由の一つが、この状況から垣間見ることもできる、お役所的発想からの意味も無い利権の奪い合いだった。
 だが、文面を読み始めると、直ぐに村岡の表情は曇った。
 これは、おそらく村岡に対する処分だろう。処分だとすると、予想以上に厳しい内容だ。しかも、瓜生島調査ミッションにも直接影響を与える、頭の痛い内容でもある。
 最後まで読み終えた村岡は、これを乗組員にどう伝えるべきか、頭を抱えた。
 いくら考えても、疲労が溜まった体では良い考えは浮かばず、同じ思考が繰り返されるばかりだった。
 意を決した村岡は、内容をプリントアウトした。紙は、貴重品だ。原則として、プリントアウトはしない。でも、今回は、『うりゅう』に省の命令を残しておく必要があった。
 それを手に指揮所に向かった。
 指揮所に入る前から、江坂の興奮した声が聞こえてきた。
「まだ、予備調査の段階なのに、こんなに良い状態で遺物が見つかるとは、思ってもみなかったよ」
 村岡は、食堂で立ち止まり、指揮所の様子を伺った。
「まだ、食器の欠片らしき物が、映像の中にあっただけじゃないか」
 魚塚が嗜めるように言った。大した価値は無いと、マスコミの前で言い放った江坂が、食器の欠片だけで興奮しているとは、意外だった。
「これは、イスパノ・モレスク陶器の特徴が見て取れるんだよ。スペインのバレンシア地方で作られていたんだ。磁器が発達していた中国から製法は伝えられていたけど、ヨーロッパでは磁器に適した粘土が見つからず、陶器が作られ続けたんだ。この陶器は、イベリア半島で代表的なものさ」
 魚塚は、午後から始めるヘリウム加圧に備え、無人潜水艇に新しいプログラムをインストールする作業を行っている。時々、その手を止めて、江坂の話し相手をしている。
「考古学的検証は、江坂さんに任せるけど、調査期間は長いようで短いから、広く浅く調査をした方がいいと思うよ。小さな遺跡じゃないし、海底に向かって崩落して行ったから、広い範囲に散らばっているはずだ」
「同感だ。ただ、僕としては、あまり広がっていないことを願っているよ。場所毎の出土品の分布を調べることができれば、当時の生活様式や、社会制度もわかるかもしれないからね」
 江坂と違い、魚塚は冷静を装っているが、度々作業を止めてまで江坂の話に乗ってくるところを見ると、彼自身も興奮気味なのかもしれない。
 そんな二人を見ていると、ますます言い出しにくくなってしまった。
「おや、スキッパーさん。そんな場所で、恋人でも見つめるように突っ立ってるなんて、変な趣味でもお有りですかな」
 後ろから声を掛けられて、飛び上がった。
「あれ、小和田さん、お珍しい。スキッパーも一緒なんて、ますます持って珍しい組み合わせですね」
 二人の気配に気付いた江坂も、得意の毒舌を見せた。
 村岡も、今度こそ観念した。
「みんなを集めてくれ」
 村岡の要請に応じ、魚塚が制服に組み込まれている小型のトランシーバーで、残る三人に集合をかけた。
 食堂から顔を出し、指揮所に居る二人を食堂に呼び寄せた。
 食堂は、会議室としても使用する。六人掛けのテーブルが二脚あり、ホワイトボードやタブレット用の大型モニタも備えている。
 二人が食堂に入る頃、背後から、プリントアウトした用紙をさっと奪われた。振り返ると、浦橋が居た。
「これが、問題になってるんですな」
 浦橋は、シートに目を通し始めた。直ぐに、彼の眉間には深い皺が寄った。
 小和田が、浦橋からシートを取り上げる頃には、瓜生も鮎田も食堂に入った。
「命令書? どういうことだ?」
「小和田、声に出して読んでくれないか」
「俺の美声に惚れたのかい?」
「詰まらんことを言うくらいなら、俺が読もう」
 浦橋は、小和田からシートを取り返そうとしたが、さっと指先をかわされた。
「読めばいいんでしょ。聞けよ。
 命令書。
 一.前文
 以下の内容は、最高機密である。よって、今後の『うりゅう』及び『うりゅう』乗組員の動静は、完全に秘匿されなければならない。本命令に対して疑念を挿む事はもちろん、秘匿のため、本省に確認する事も許されない。
 二.瓜生島調査ミッション中止
 『うりゅう』は、直ちに瓜生島調査を中止せよ。瓜生島調査に使用している全ての機材を撤収せよ。
 ヘリウム潜水は中止せよ。艇内の通気は、通常空気による常圧とする。
 三.移動
 日本時間八月二十四日一五〇〇時に、北緯三十三度四十一分三十秒、東経百三十一度三分五十秒で深度二メートルで待機せよ。指定時刻までは、沈底して待機しなければならない。
 移動に際し、浮上してはならない。あらゆる観測機器、探査機器に発見されてはならない。また、『うりゅう』の移動の痕跡を残してはならない。
 四.スキッパーの交代
 日本時間八月二十四日一五〇〇時をもって、村岡はスキッパーの任を解き、下船することを命ずる。
 浅海が、村岡に代わり、スキッパーとして指揮を執る。
 浅海着任後の『うりゅう』の行動は、浅海が把握、命令するものとする。
 五.注意事項
 本件は、日本国の国家機密である。『うりゅう』艇外への情報漏えい、または順ずる行為は、国家公安委員会の調査対象となり、厳重に処分される。
 以上だ」
 沈黙が流れた。
 別府湾底は、海上の荒れ模様とは完全に隔絶されている。補機類の騒音も聞こえず、七人の男達の呼吸音だけが、艇内を漂っていた。
 『うりゅう』プロジェクトには、経産省以外に防衛省も関与している。
 次期AIP型潜水艦のための燃料電池の実証実験が最重要項目だが、それ以外にも、衛星通信システムを含む多機能ブイや新型のソナー等も、提供を受けている。
 国の最高機密となれば、国家間の密約か、国防上の問題のどちらかと決まっている。国家間の密約には、『うりゅう』が関係するとは考えられないので、国防上の問題が残る。必然的に、防衛省の関与が浮かんでくる。
 海上自衛隊に籍を残している浅海がスキッパーとして乗ってくることも、それを裏付けると言えよう。
「スキッパーは、馘なのか?」
「そういうことだ。浅海君が来るということは、そういうことさ」
 憤懣やるかたない魚塚に対し、さも当然とばかりに、浦橋は答えた。
「上からの命令だ。みんな、直ぐに行動に移してくれ。時間が足りない。指定の海域まで、全速でも六時間は掛かる。十五分後に離底する」
 なにやら言いたそうな鮎田の肩をポンと叩くと、瓜生は食堂を出て行った。
 追うように鮎田も身を翻した。
 それを切っ掛けに、他の者も、持ち場に戻っていった。
 村岡も、指揮所に入り、航路の選択と、航海コンピュータへの入力を始めた。左舷でも、浦橋が同じ事を始めていることだろう。
 左舷と右舷で、完全な二重化システムを構成する『うりゅう』であるが、両舷で異なる操作を行った場合は、右舷が優先される。だが、右舷の制御権を左舷が奪うことも可能で、実質的なところでは、左舷が上の立場になる。
 村岡は、船乗りとしては、自分より遥かに経験豊富な浦橋を左舷に配置し、万が一の事故に備えるようにしている。
 『うりゅう』が離底し、目標海域への航行が始まると、浦橋に操船の全てを委ね、自室に戻った。徹夜の体には、事態の進展の速さについていけなくなりそうだった。四時間程度の仮眠を取ることにした。
 子供の頃から、寝つきの良さには自信がある。この時も、先が読めない状況にも関わらず、あっさりと眠りに落ちた。
 夢さえ見ることなく、四時間半後に目が覚めた。
 航海日誌にここまでの記録を残し、身支度をした。
 元々、私物は少ない。艇の電源が落ちた際や、浸水時に備えて、厚手の下着を用意していることを除けば、小和田と違い、服もスエットと制服が二枚ずつあるだけだ。
 本を持ち込むと嵩張るので、何もかも、タブレットに取り込んで持ち込んだ。タブレット以外では、小径のリフティングボールと硬球が全てだ。
 ほとんどを円筒形の防水ザックに入れ終わったところで、リフティングボールだけ手元に残した。
 幼稚園から小学校卒業まで、サッカークラブに所属していた。あの頃は、プロになることを夢見ていた。
 椅子に座ったまま、リフティングを始めてみた。
 子供の頃は、なかなか上手くいかずに悔しい思いもしたが、今では嘘のように思える。サッカーをしていた頃より、今の方が遥かに上手くなっている。
 ある程度の水深を維持して航海している『うりゅう』は、波浪の影響をほとんど受けない。続けようと思えば、疲れて足が上がらなくなるまで終わることはない。
 百回程度で止めて、荷物を持って自室を出た。艇の中央に近い両舷連絡通路に入り、中間にあるブリッジに上がった。
 ブリッジに入ると、下部の二重ハッチを両方とも閉めた。
 『うりゅう』は、内気圧が外の水圧と同等か、上回る状況が多いので、ハッチは内側に向かって開く構造になっている。ただ、外側側にもハッチがあり、外圧に耐えられるようになっている。今は、艇内を常圧に保っているので、外圧が内圧を上回っている。内外圧力差には、外側ハッチが耐えていることになる。
 村岡は、制服に組み込まれたインカムをONにした。
「今、ブリッジに入った。水密確認はグリーンだ」
「アイサー。目標地点まで五分。現在の深度は、二十メートル。キール下が約十メートル」
 ブリッジのモニタでも、それは確認できた。速度は、五ノットまで落としていたが、キール下はどんどん浅くなり、今では五メートル内外になってきている。
 浦橋は、やや上げ舵をとり、キール下の五メートル余裕を維持したまま、予定地点へのアプローチを続けた。
 周囲には、船影は無い。海上はかなり荒れていて、この水深になると、海底部分まで海水が動くので、『うりゅう』もうねりの影響を免れない。ブリッジの小さな窓から外を見ると、海水が濁っているし、泡立っている。
 浦橋は、海底に沿って深度を上げながら、速度は維持していたが、予定地点付近で後進を掛け、一気に船足を落とした。
 船舶は、簡単には停船できないが、質量の割に抵抗が大きい『うりゅう』は、停船までの距離が比較的短い。その特性を知り尽くしている浦橋の操船は鮮やかだった。
「浦橋さん。浮上はぎりぎりまで待とう。素人の命令だ。深度二メートルは、ブリッジ頂部の水深のつもりかもしれない」
 ほんの僅かだが、間が空いた。この時間に、彼は自分の感情をコントロールしてしまう。いつもと変わらない落ち着いた声が返ってくる。
「アイサー。深度八メートルで停船する」
 計器を横目で見ながら、今回の不思議な命令の裏を考えていた。
 自分を左遷するなら、瓜生島調査の後でないとおかしい。このまま、浅海と交代しても、調査が終了して浮上した際にも、記者会見が予定されているはずで、その場でスキッパーが入れ替わっていれば、どこで入れ替わったのか、追及の声が上がるに決まっている。
 省は、隠密行動を取らせて、浅海に何かをさせようとしているのだ。
 それも、自分が居たのでは浅海がやりにくくなるような内容だ。
 オカに上がったら、直ぐにあいつの元に飛んでいって、絞り上げてやる。
「停船。スキッパー、測位のためにブイを上げてもよいですか?」
 考え事をしているうちに、停船していた。二基ある推進用ダクトスクリューの振動は、無くなっていた。計器を見ると、四基の位置調整用スクリューが、現在位置を維持しようと、せわしなく動いている。そのお陰で、海上の時化を考えると、『うりゅう』はほとんどぶれていなかった。
「ブイは駄目だ。浅海さんがどんな方法でやってくるのか分からないが、何の気配も無くやってくるはずがない。位置が少しぐらいずれていても、それで分かるはずだ」
「アイサー」
 村岡の予想は、直ぐに当たった。
 波浪音の中に、真っ直ぐに『うりゅう』に向かってくる船外機と思われるスクリュー音を捕らえたのだ。
 海上が時化ていて、相手の情報を正確に掴めない。偶然、『うりゅう』の真上を通過する進路を取ったプレジャーボートなのか、漁船なのか、それともお迎えなのか。
「スクリュー音が止まりました」
 時計を見ると、ぴったり十五時だ。
 こんな時化ている時に船を出し、待ち合わせ場所で待ち合わせの時刻に停船する確率は、ゼロと考えてよい。お迎えに間違いない。
「露頂深度まで浮上」
「アイサー」
 直ぐに露頂深度になったことは分かった。今までとは比べ物にならないくらいに、『うりゅう』が揺さぶられ始めたからだ。
 村岡は、圧力を確認の上、内側ハッチを開いた。
「ギアを降ろせ。ブリッジ内への浸水に備え、余剰浮力を取れ。ただし、深度は露頂深度のまま」
「アイサー」
 ネガティブブローで余剰浮力を確保し、位置調整スクリューで下向きに推力を与えて浮かび上がらないようにするのだ。その上で、余剰浮力を失って沈降し、着底を余儀なくされた際に、艇体への損傷を防ぐために、ギアを降ろさせた。
 村岡は、内部ハッチを開いた状態で待機した。
 外側ハッチの外から、打音が聞こえた。合図だ。
 外側ハッチを開くと、まず荷物が、続いて男が飛び込んできた。男は、直ぐに外側ハッチを閉めたが、波をかぶり、かなりの浸水があった。
 村岡は、ハッチが閉まっていることを確認し、排水ポンプを稼動させた。
「ようこそ『うりゅう』へ」
 空いた手を差し伸べると、男はがっちりと握り返してきた。
 引き締まった体は、海上自衛隊で潜水艦に乗り続けてきた事を物語るようだ。
 浅海だった。
「これが、航海日誌です。後をよろしく頼みます」
「わかりました。船は、上で待ってます」
 もう一度、握手をして、村岡は外側ハッチを開いた。
 運良く、今度は波をかぶらなかった。村岡が出ると同時に、浅海がハッチの閉鎖手順をすばやく終わらせ、閉じた。
「どうぞ、こちらに」
 ブリッジに乗り上げるように待機していたゾディアックから、村岡に手が差し伸べられた。
 村岡は、私物を入れたザックを手渡した後、飛び移った。
 飛び移る瞬間、足元が沈む感触があった。『うりゅう』は、浅海の命令で動き始めたのだ。
 もう波間に消えていることは分かっていたので、村岡は、振り返って『うりゅう』を見ることはなかった。

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  3

 翌日の午後、燃料の水素も酸素も満タンになった『うりゅう』は、大分港を出航した。
 村岡は、気になっていた。
 本当は、浦田が岸壁で簡単に挨拶するはずだったが、急遽、予定を変更して早朝の飛行機で省に戻っていった。その理由は、分かっていた。昨夕の記者会見を報告するためだ。できれば、彼より早く省に報告を上げておきたいところだが、そんな暇はない。
 浦田が居ないことで、出港のセレモニーはほぼ無くなり、粛々と出港の準備が進んだ。それは良いのだが、浦田が報告する内容が、正確には言いっぷりが気にかかっていた。
 村岡は、頭を振った。
 これから、潜水実験が始まるのだ。余分なことに気を取られていたら、事故に繋がりかねない。頭から、浦田の件を振り払った。

 潜水予定地点は、大分港を出て直ぐ、港の出入り口に近い所だ。
 瓜生島の推定位置は、大分港の出口の東側一帯と考えられている。ただ、瓜生島は、そこから西北西に向かって崩落したと考えられる。船の出入りや漁業権も考え、潜水地点は、大分港の北西二キロメートルに決まっていた。
 甲板上での最終確認を終え、ブリッジに戻った。ブリッジは球状で、しかも上下にしかハッチがない。ブリッジ下側のハッチは、『うりゅう』本体に接続されている。だから、ブリッジ上部のハッチまでよじ登らなければならない。
 ブリッジ側面のラダーを上り、上部のハッチを開いて、下半身をブリッジ内に押し込んだ。ハッチの直ぐ内側にある計器で現在位置を確認すると、特殊な雑巾でハッチの周囲を丹念に拭き取った。
 ここに、髪の毛一本でも残っていると、深刻な漏水に繋がる。繊維が残るのも好ましくない。だから、雑巾も繊維を使わない特殊なものを使う。
 周辺海域とハッチの確認後、村岡は外側ハッチを閉鎖した。ブリッジの床に足を下ろし、手を伸ばして内側ハッチの縁を同じように拭き取ると、内側ハッチを押し上げる。
 内径が僅か二メートル程の空間だが、意外に広く感じる。緊急時は、最大十名の乗組員がここに入り、海上への脱出を行う。広さを確保するため、計器も、補機類の操作も、二面ずつのタッチパネルとモニターで行う。ジョイスティックが二本あり、洋上航行中の操船は、これを使う。緊急脱出に必要な機器だけが、剥き身のバルブやスイッチとして、天井付近にまとめられている。
 そこに瓜生と二人で篭る。残る五人は、艇内の指揮所に詰めている。潜水に関わる操船は、ブリッジではなく指揮所で行う。村岡は、海上の安全確認のためだけにブリッジに残るだけだ。
 ただ、ここからの視界は、大きく制限を受ける。正面、左後方斜め上、右後方斜め上、後方斜め下の四箇所に、直径二十センチの小さな舷窓しかない。この四つの舷窓からの視界だけで、安全確認をしなければならない。
 瓜生が、正面の窓を担当し、残りが村岡の分担となる。
 うねりで、艇が揺れる。ローリングとピッチングが顕著で、素人なら船酔いするかもしれない。
「ギアダウン」
 本来の機能が海底居住基地である『うりゅう』は、着底用の脚(ギア)を持つ。ただ、航海中は、洋上であれ、海中であれ、大きな抵抗源になってしまうので、着底時以外は艇内に収納している。
「ギアダウン。オールグリーン」
 村岡に答えたのは、指揮所の浦橋だ。
「水密確認」
「全ハッチ閉鎖確認OK。洋上換気システム全閉鎖OK。オール・グリーン」
 これも、指揮所から届く。
「慣性航法装置チェック」
 洋上では、精度の高いGPSを使用するが、衛星からの電波が届かない潜航中は、慣性航法装置を使用する。
「誤差修正済み。慣性航法装置グリーン」
 GPSとの誤差は、自動補正するが、自動補正の状況を確認したのだ。
「ブロー。メインタンク、ベント開け。潜航!」
 メインタンクからの排気音が、ブリッジ内でも聞こえる。
「甲板、冠水」
 前後して、排気音が篭った音に変わった。
 村岡は、後方の窓から、甲板の冠水状況を確認した。うねりが出始めている別府湾の海水が、甲板だけでなく舷窓も洗い始めている。
 直ぐに、他の舷窓も水面下に没した。
「トリム確認」
「トリムバランスOK」
 瓜生が、深度を読み始めた。呼応するように、指揮所の魚塚が着底までの残り水深を読む。潜航震度が深くなるにつれ、艇の揺れは収まってきた。波長の二分の一の深さまで潜ると、海上の波の影響は受けなくなる。海上の波長は、二十メートルから三十メートル程度だった。もう少し潜れば、揺れも完全に無くなる筈だ。
 順調に潜航を続ける『うりゅう』の状況に、村岡は満足していた。
 十分余り後、『うりゅう』は、着底した。艇体は、少し傾いたが、ギアの長さの調整可能な範囲に収まっていた。
 浦橋がギアの長さを調整しているようだ。やや右前に傾いていたが、ディスプレイに表示されている水準器の値が水平に近付いていく。エアロック下のクリアランスも充分にある。
 一、二分で水平になった。
 着底作業も、これで一段落である。
 全員総出で水密確認を初めとする確認作業が待っている。夕食を挟んで深夜まで続くだろう。明日から加圧に入る。明後日からは、飽和潜水による十日間の水中調査だ。そして、二日かけて減圧し、今回のミッションのメイン部分が完了する。
「いよいよだ」
 村岡は、期待に胸が膨らむ思いだった。
 ただ、記者会見での出来事を、浦田が省にどう報告しているか、気掛かりではあった。

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  2

 『うりゅう』の大分港入港は、予定よりも七時間も遅れた。
 母港の横須賀を出て以来、接近中の台風の余波で、速力が落ちてしまった。
 公海に出ると同時に潜航し、海上の波浪の影響を受けにくい深度を維持していたが、豊後水道を北上するために四国沖で浮上した途端、速力が大幅に落ちてしまった。
 元々、『うりゅう』は、潜水調査基地としての機能が主で、単に自力で移動できる能力が追加されているだけだ。だから、水中、水上を問わず、大した速力は出ない。潮流が大きい場所では、潮の流れが変わるまで待たなければならない。
 足摺岬を回りこむ所で、風と波に押されて時間が掛かってしまった。そのために、豊後水道の途中で潮流が変わり、豊予海峡を抜けられなくなってしまった。当初は、ここを夜の内に抜け、未明には別府湾に到着する予定だった。大分港への入港は、セレモニーの準備ができた午前十時を目処にしていた。
 豊予海峡は、潮流が荒い所である。この海域で育った魚は、荒い潮に鍛えられて身がしまっている。有名な「関鯖」「関鯵」は、ここで取れる魚のことである。
 速力の無い『うりゅう』は、鯵や鯖のようにはここを抜けることができない。やむを得ず、宇和海で一夜を過ごすことになった。結局、大分港に着いたのは、夕方だった。
 村岡の父は、大分で育った。今も祖父が大分に健在で、何度も訪れた事がある。だが、海から大分を見るのは初めてである。高崎山が、印象的なシルエットを見せている。
 内海にある別府湾でも、台風の余波で時化始めていた。脱出用の水中エレベータも兼ねるブリッジは、狭い上に視界も悪い。狭さゆえに、操船関係の機器はほとんどがブリッジには無い。居住区内にある制御室で操船するのだが、水上航行では、監視が大切なので、スキッパーの村岡は、ここに陣取るのだ。
 村岡の指示に、浦橋がレスポンス良く操船し、『うりゅう』は予定の岸壁に停泊した。
 岸壁には大型のタンクローリーが何台も待機しており、横須賀からの回航で消耗した水素と酸素の充填作業開始を待ち構えている。今夜の作業は深夜にまで及びそうである。
 と言っても、充填作業の大部分は陸上要員が行うので、充填作業後の点検を別にすれば、乗組員は三人いれば何とかなる。村岡は、浦橋と魚塚、鮎田に『うりゅう』を預け、江坂、小和田、瓜生の三人を連れて上陸した。
 市内は、予想外の騒ぎとなっていた。上陸すると、市役所の迎えの車が待っていた。待っていたのは、車だけではなかった。マスコミが大挙して押し寄せていた。野次馬も集まって、警察官が交通整理まで始めていた。七時間も遅れたのに、この騒ぎである。
 フラッシュの中、二台に分乗して市の中心部にある市庁舎に向かったのだが、途中の街路には、所々に幟まで立っていた。
 大分市民は、瓜生島伝説には関心が強い。
 それは、父から聞かされていた。
 瓜生島伝説とは、現在の大分港付近に在ったとされる沈んだ島の伝説である。東洋のアトランティスとして、大分市民のロマンを掻き立ててきた。過去の調査でも、その存在を示唆する証拠も見つかっており、人々は実在したと信じている。
 『うりゅう』は、文部科学省の海底移動調査基地として建造された。その名前は、瓜生島伝説から戴いたものだ。だから、処女航海の目的地は、命名時から瓜生島の海底調査と決まっていた。
 「瓜生島」という名称が古文書に出てくるのは、一六九九年の「豊府聞書」と言われている。実は、瓜生島が沈んでから百年余りも後の時代である。しかし、瓜生島が存在しなかったわけではない。正しい名称は、「沖の浜」である。「沖の浜」には、フランシスコ・ザビエルも寄航しており、宣教師のルイス・フロイスも、九州にある海港が地震によって被害を受けた事を伝えている。
 「沖の浜」は、縄文の海進期に、大分川が運んできた土砂が堆積し、その後の海退期に海面に姿を現したとされている。このような成り立ちであるため、非常に軟弱だったと推定されている。
 一五九六年の閏七月十二日、マグニチュード七.〇の慶長大地震が発生する。
 この時、「沖の浜」は、全域で液状化現象を引き起こし、直後の津波と共に海底に没したと、考えられている。「沖の浜」の西側は、一気に別府湾に沈んだ。別府湾の最深部を、漁師達は「くぼおち」と呼んでいる。「沖の浜」は、この「くぼおち」に向かって地すべりを起こしたらしい。
 別府湾の地質は、複雑である。
 日本最大の断層である中央構造線は、諏訪湖から始まり、渥美半島から、紀伊半島、四国を縦断し、佐賀関で九州に上陸する。諏訪湖から東と、大分から西では、未だに正確な位置は確定されていないが、中央構造線の影響と思われる断層が、別府湾内には非常に多く見られる。
 このような地質なので、別府湾では、断層地震が起きやすい。
 こうした背景と、大分の県民性が、瓜生島伝説を育んできたのだろう。
 市庁舎内の駐車場で、車を降りた。
 赤絨毯こそ無かったが、まるでVIPのような扱いで、大会議室へと通された。
 先に聞かされた話では、記者会見の後で昼食会を行う予定だったが、到着が遅れたので、予定は記者会見だけとなり、会見終了後は簡単なパーティーを開くとの事だった。村岡は、パーティーの類は苦手であり、夕食時間も近いことから、パーティーには出席できないと、予め無線で告げてあった。
 役人が、素直に聞き入れたかどうかは怪しいが、記者会見だけは避けて通れないので、覚悟して会議室に入った。
 大会議室と書かれた会議室に入ると、ここも盛況というべきか、多くのマスコミ関係者が、村岡らを待っていた。
 村岡らが座るべきテーブルの前には、『うりゅう』のスケールモデルが置かれていた。ずんぐりとした外見が、見て取れる。このスケールモデルは、『うりゅう』の製造メーカがおまけで作ったものだが、四十四分の一とは思えないほど精巧にできていて、『うりゅう』が備える多彩な装備品も、精緻に再現されている。
 実は、横須賀を出港する際の記者会見でも、このスケールモデルが置かれていたので、村岡は、会見終了後にしげしげと見てきている。
 テーブルに着くと、会見席の端に座っている浦田が、苛々を隠しきれないでいた。
「いったい、どこで道草を食っていたのですか」
 棘のある言い方だった。
 浦田は、『うりゅう』プロジェクトの責任者だった。正確には、彼にはもう一人、上がいる。『うりゅう』は、単独航行が可能な性能を与えられているが、本来は、多機能支援船である『わだつみ』の支援を受けながら、海底での作業を行う。そのため、『わだつみ』の総括責任者が、『うりゅう』の責任者の上に立つ事になる。
 実は、『わだつみ』の総括責任者は、女性である。村岡は、その女性が苦手であり、嫌いでもあった。だからというわけでもないが、彼女と同じキャリア組の浦田も、村岡には嫌味な相手であり、できるだけ顔を合わせないように努力をしてきた。
 その例の一つとして、浦田が、『うりゅう』に乗り組んで大分までの回航を同行したいと申し出た時、村岡はありとあらゆる理由を並べて、断固として乗船を拒否した。
「私が同乗していたら、こんな遅れは出ませんでしたよ」
 どうやら、『うりゅう』に乗せなかった事を根に持っているようだ。彼を乗せると、指揮系統が乱れると考えた村岡は、敢然と拒否を続けたのだった。
 小型船舶の免許さえ持たないくせに、遅れを出させない技量があるようなことを言うのは腹立たしいが、相手にすると、達者な口先で言い包められそうなので、必殺技の完全無視を決めた。浦田も、村岡の態度を不愉快に思っているようだったが、多くのマスコミの前では慎むしかなかった。
 村岡達が席に着いたところで、記者会見が始まった。
 どういう訳か、市長も列席していて、彼の挨拶から始まった。
「皆様、本日はお集まり戴き、ありがとうございます。市長の首藤でございます」
 まるで、彼のために人が集まったような口ぶりである。このあたりは、政治家の口達者なのだろう。
「我が大分市は、風光明媚な地でございます。北に別府湾、南に霊山、東には九六位山、西には高崎山と、実に変化のある景観が広がっています。これらを生かした観光都市として、市の発展を支えております。
 また、古くは新産業都市、後には地方中核都市として、重厚長大産業だけでなく、シリコンアイランドとも言われるほど、半導体や知識集約型の産業も育ててまいりました」
 市長は、工業生産と観光産業の数値を並べて、如何に大分市が発展してきたかを、力強く演説した。しかし、彼が入れた力ほどは、誰も聴いていなかったと思う。
「このように、観光と工業だけでなく、我が大分市は、文化の面でも多くの歴史が語り継がれています。過去には、フランシスコ・ザビエルが、時の大名、大友宗麟に招かれて、大分の地を訪れております。そのフランシスコ・ザビエルが大分に最初に足跡を記した場所が、瓜生島でございます。
 瓜生島は、別府湾に浮かぶ島でしたが、慶長の大地震で海に沈んでしまいました。その様が、あまりにアトランティス大陸の伝説と類似しておりますため、東洋のアトランティスとして、今や、大分市民だけでなく、日本国民に知れ渡るまでになりました」
 やっと、本題に辿り着いたかといったところである。
「今回、最新鋭の潜水調査船が竣工するにあたり、文部科学省に要請し、その船の処女航海を瓜生島調査に当てて戴いた次第です。同時に、船の名前も『うりゅう』と名付けて頂きました。
 さて、皆様の前に並んでおられる四名の海の男達は、『うりゅう』の乗組員達です。お名前や担当部署は、文部科学省からいらしております浦田課長代理から、この後で説明があると思いますが、是非とも、今回の調査を成功させて頂き、我が大分市の文化と歴史を世界中に広めて頂きたいと思っている次第です」
 やっと、市長の挨拶が終わったと思ったら、彼はつかつかと歩み寄ると、村岡らに握手を求めてきた。彼に一番近い場所に居た浦田が手を伸ばすと、がっちり両手で握手したが、すぐに手を離し、隣の村岡に手を出した。
 村岡も、軽く握り返したが、今度は直ぐには手を離さなかった。それどころか、他の三人も呼び寄せ、手を取って村岡との握手の上に重ねていった。五人の手が重なり合ったところで、彼は満面に笑みを浮かべて、取材陣の方を見た。
 眩い光が、何度も明滅した。
 フラッシュが完全に収まるまで、彼は手を離そうとしなかった。
 村岡は、政治家のデモンストレーションに、最後まで付き合わされた。
 市長は、撮影の終了と共に、すっと消えた。幽霊の如き素早さだった。
「さて、今から『うりゅう』について簡単にお話させて頂いた上で、乗組員の紹介と質疑応答とさせて頂きます。
 申し遅れましたが、私は文部科学省の浦田でございます」
 浦田は、乗組員よりも先に、自分の名前を売り込んだ。
「御存知の通り、我が国は四方を海に囲まれております。海から食料を得、急峻な崖を避けて移動するためにも用い、まさに、我が国の文化は、海に育まれてきたと言っても過言ではありません。しかし、海は、時として我々に牙を剥き、多くの人命や財産を奪うこともありました。
 移動式潜水作業基地『うりゅう』は、こうした我が国の歴史の中で、水中の遺跡や沈船の調査、あるいは海底の様々な資源の開発を行うため、世界で始めて、移動能力を与えられた潜水作業基地として、竣工したのです。
 移動能力は、母港の横須賀港から大分港までの単独航海で、証明されました。潜水作業基地が、一切の支援を受けずに自力で千キロ以上も移動したのは、世界で始めての事なのです。
 『うりゅう』は、移動能力の他に、高い自立活動能力や、最新の燃料電池技術、分散型のコンピュータシステム、高度な自動化システム等、科学の粋を尽くした潜水作業基地なのです。
 これらの装置の機能は、『うりゅう』において性能評価が行われ、『うりゅう』以外の場所、特に一般家庭において応用される事が期待されています。ある意味、海底の未来住宅と言っても良いのではと、私は思っております。
 その『うりゅう』が、名前の由来ともなった瓜生島を、処女航海の中で調査させて頂ける事は、真に光栄であり、同時に御尽力下さった皆様に、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います」
 言葉を切って、浦田は頭を下げた。
「少々、私の前振りが長くなってしまいましたが、『うりゅう』の乗組員を御紹介させて頂きます。まず、私の隣は、『うりゅう』の初代スキッパーの村岡です。続きまして、今回の学術研究員の江坂准教授です。そして、潜水リーダーの瓜生、最後がカメラマンの小和田です。彼ら以外に、『うりゅう』に保安要員として残っており、ここにはおりませんが、航海士の浦橋とエンジニアの魚塚、ダイバー鮎田の三名が、『うりゅう』に乗り組みます。
 『うりゅう』の装備については、スキッパーの村岡が説明します」
 村岡は、マイクを受け取った。
「村岡でございます。『うりゅう』乗組員を代表して、『うりゅう』の機能と装備等を説明させて頂きます。
 まず、潜水作業基地のメリットを御説明します。御存知の方も少なくないと思いますが、潜水作業は、減圧との戦いです。作業を行う深さや作業時間で、減圧時間はどんどん長くなります。しかも、一度浮上すると、次の潜水まで、充分な時間を空ける必要があります。つまり、潜水深度を増すに従って、減圧や待機の時間ばかりが長くなり、実質の作業時間がほとんど無い状態になってしまいます。
 これを改善する方法として、飽和潜水で連続作業を行う事が考えられます。つまり減圧しないのです。
 潜水夫は、常に水圧が掛かった状態で生活を行い、減圧は行いません。この場合、作業初日に加圧し、作業最終日に減圧するだけとなりますので、効率も良いし、減圧時の潜水病羅患のリスクも減らすことができます。
 飽和潜水作業を実現するためには、船上に加圧タンクを設け、水中エレベータで海底と加圧タンクを行き来する方法と、海底に加圧タンクと同じような潜水作業基地を設置し、そこで寝泊りする方法があります。前者は、海象の影響を受けやすい欠点があります。後者は、設置と撤去が面倒な欠点があります。
 両者の利点を生かし、同時に欠点をカバーする手段として、フランスのプレコンチナン計画の時代から提案されていた手法を、この『うりゅう』が初めて実現しました」
 村岡の本心は、『うりゅう』の基本計画を提案し、完成直前まで手塩にかけて事を自慢したかった。
 だが、それをしてしまうと、現時点の責任者の浦田の立場が無くなってしまうし、今後の『うりゅう』の運用に不透明な部分があるだけに、浦田を敵に回さない配慮が必要だった。
「先程、浦田からも説明がありましたように、『うりゅう』には最新の技術が適用されています。そういった技術を生かした装備を紹介したいと思います。
 なんと言っても、最初は、燃料電池でしょう。『うりゅう』成立の鍵は、燃料電池だったと言っても、過言ではなりません。燃料電池は、『うりゅう』の全電源を賄うだけでなく、廃熱は暖房に、生成物の水は飲料にと、余すところなく使っています。
 『うりゅう』が活動する海底は、海水温が低い場合が多いのです。『うりゅう』は、最新の断熱材を使用していますが、暖房は必須です。電源供給で捨てられる熱を暖房や給湯に使うため、燃料電池システムの総合の熱効率は八十%を超えます。これは、現時点では世界最高レベルの高効率なのです。高効率のお陰で、『うりゅう』は、二週間以上も何の支援もなく活動することができます。更に、燃料電池の燃料補給も、水中でも行える機能を備えています。
 この燃料電池からの電源で動作する主な装備品を、紹介します。
 『うりゅう』の主要装備は、AからGまでの頭文字で表されるA1からG1の七種の装備品があります。
 A1は、自律型ロボット潜水調査機です。指定海域の撮影や水質調査、簡単な資料採取を行います。B1は、ブリッジ兼用の緊急脱出用水中エレベータです。水上航行時は船橋ですが、潜水時には、船体からケーブルで海上まで浮上させることもできますし、本体から切り離して緊急浮上させることもできます。C1は、有線の作業ロボットです。A1とは異なり、ケーブルで『うりゅう』と繋がっているので、『うりゅう』のモニターを見ながら細かな作業をさせることができます。
 D1は、二人乗り潜水円盤です。構造が簡単で小型な潜水艇です。E1は、水中エレベータです。『うりゅう』を海上に置いた状態で、深海との行き来をする際に用います。F1は、作業機械の集合体です。G1は、GIMスーツです。『うりゅう』が潜れない深海でも、GIMスーツなら作業ができます。
 これらの装備の内、D1とG1は、常圧のままで作業を行う事ができます。A1とF1は、高度な自律機能を有し、プログラム次第では、有人に匹敵する作業を無人で行える能力を持っています」
 主役の座を奪われる危機感を盛ったらしく、浦田が割り込んできた。
「さて、長々と話して参りましたが、ここからは、質疑応答とさせて頂きます。どうぞ、どなたからでも御質問ください」
 村岡は、簡単な演説を考えてきていたが、浦田は、自分だけしゃべり、村岡には時間を割かなかった。質問の中で、用意してきた事を織り交ぜるしかなさそうだった。
 直ぐに、ほとんどの記者が手を上げた。浦田は、その中の一人を選んだ。
「大分中央新聞の佐々木です。首藤市長が話されたように、大分市民は、瓜生島の存在を疑う者はおりません。そこで、村岡さんと江坂さんにお伺いします。今回の瓜生島調査の目的と抱負をお聞かせください」
 まるで、台本のような質問だった。それに、いち早く反応したのは、江坂だった。
「僕は、今回の調査には、それほどの期待を持っていません。沖の浜の伝承は、過去の調査から見ても、確度の高い内容だと思います。しかし、四百年余り前の出来事ですので、考古学的な価値は、ほとんど無いと思います。もちろん、この地は、南蛮貿易で栄えていましたし、キリシタン大名を拝していたことでも知られています。それらを裏付ける意味の調査価値はあると思います。ただ、『うりゅう』の性能を考えると、あくまでも今後のための予行演習であり、実働時の問題点の叩き出しの意味が大きいと考えてください」
 大分市民の反感を買いそうな江坂の回答に、浦田は心穏やかではなさそうだった。しきりに、村岡を小突くのだった。
「私から、補足を兼ねてお答えします。『うりゅう』の性能は、ここまでの航海でも垣間見せてくれました。しかし、本来の用法では、定点においてダイバーが飽和潜水状態を継続して活動を行うための拠点となることにあります。瓜生島の調査では、深度が大きいために、過去の調査では手が付けられていなかった別府湾最深部を含む海底の調査を行います。当然、新しい発見があると思います。その意味では、今回の調査には大きな意義があると思います。
 ただ、江坂が申しましたように、『うりゅう』の性能は、遥かに高いところにあります。今回の調査を遥かに超える成果を上げていくことが求められており、我々も高い意欲を持って、それに望んでいこうと考えています。そのためには、瓜生島調査での経験が重要であると、私も江坂も、思っています」
 浦田は、満足したらしく、小突くのをやめた。
「タウン大分の田中です。瓜生さんにお伺いします。瓜生さんは、大分の御出身だそうで、船にも同じ名前が付いていますが、御感想をお聞かせください」
 瓜生は、いきなりの指名で驚いたらしく、太短い首を伸ばした。
 実は、村岡も焦っていた。彼を直接指名しての質問があるとは考えていなかった。口数が少なく、同時に口下手でもあった。だから、質問の大部分は、村岡と江坂でカバーするつもりだった。
 本人も、質問を受けるとは思っていなかったらしく、おどおどするだけで、なかなか声が出てこなかった。背丈こそ低いが、筋肉の鎧を着ているような身体つきは、九州男児を絵にしたようなものだが、今の彼は、助けを求めて村岡に視線を送ってきていた。
 村岡は、顎をしゃくって、自分で答えろと合図した。
「以前……じゃなくて子供の頃やから、瓜生島伝説を聞いた時、苗字と同じなんで他人事やない気がしてました。………苗字と同じ名前の船に乗って、瓜生島を調査できて、光栄というか、ああ……いい気分ちゅうか、そんな感じです。……あの、こんなんでいいでしょうか」
「はい、ありがとうございます」
 つかえながらも、無難に答えてくれたので、村岡はほっとした。ただ、スマートな回答を期待していたのか、浦田はため息をついた。
「豊後ラジオの坂下と言います。江坂さんと小和田さんに質問します。今回の調査では、色々な遺物が発見されると思いますが、その保存状態をどんな風に予想されているのでしょうか。また、カメラマンとして、どのように被写体を捉えようと、お考えでしょうか。私は、空気に触れていないので、保存状態は良いと思います。うまく撮影できるかどうかが、勝負ではないでしょうか」
 本当は、瓜生以上に、この男には喋らせたくなかった。それを見透かしたか、江坂が先に話し始めた。
「保存状態は、予想がつきません。素人の方は、空気に触れなければと思われるかもしれませんが、遺物の劣化の原因は、空気だけではありません。周囲の土砂のPHや有機物の影響、それに四十万都市の下水も関係あるでしょう。少々の劣化は、同時代の品が数多く残っているので、それほど問題にはならないでしょう。遺物の価値は、何があるかが大きいと思いますよ」
「あと、撮影技術を心配しているようだが、大当たりだよ。俺は、女の子を綺麗に撮るのは得意だが、四百年以上も前のガラクタとなると、ありのままに写すしかできそうもないな」
 地元民のロマンをガラクタ呼ばわりとは、流石に村岡も慌てた。
 小和田は、こうして敵を作っていくそうだ。
 カメラマンとしての腕も一流だ。戦場カメラマンも経験しているし、雪山登山も、スカイダイビングもやる。それ以上に、ダイバーとしての腕があり、ヘリウム潜水の経験も豊富だ。彼は、地球上のありとあらゆる種類の危険を経験している。
 だから、本来なら引く手数多の筈だが、性格や生活態度、言動、それに高額の報酬を要求するので、実力ほどの仕事は来ない。生きてきた日数分、敵を作ったと本人が言うくらいだから、世界中に敵がうようよ居るのだろう。
 『うりゅう』の乗組員の中で、唯一、村岡自身が口説き落として連れてきた人物だが、なぜ、小額の報酬にもかかわらず、村岡のもとに来たのか、よく分かっていない。
「次の質問をどうぞ」と、村岡が悪い余韻を断ち切った。
 数名が手を上げたので、その一人を指名した。
「中央TV福岡支局の江頭です。二点、お伺いします。一点目は、村岡さんは、元々は文部科学省のキャリア官僚だったそうですが、なぜ『うりゅう』のスキッパーになられたのでしょうか。二点目は、村岡さんが文部科学省におられた時に、『うりゅう』プロジェクトのリーダーとして、経済産業省にも掛け合って予算割合を調整したと伺っております。経済産業省にはどんなメリットがあるとみて、予算調達の調整をとったのでしょうか」
 村岡にとって、微妙な質問内容だ。村岡は、意識してにこやかな表情を作った。
「お答えします。一点目は簡単です。『うりゅう』に乗ってみたかったからです。あなたは、文部科学省の事務所の中で椅子に座るのと、『うりゅう』に乗るのと、どちらをやってみたいですか」
「まあ、『うりゅう』でしょうね」
「私もそうでした。二点目ですが、確かに私は経済産業省と交渉しました。それをまとめたのは、隣に居る浦田君です。その事は置いておくとして、『うりゅう』は、最新の技術をふんだんに取り入れています。
 最大で十人が、狭い船内で一ヶ月以上に渡って生きていかなければなりません。大深度の飽和潜水となると、減圧にかかる日数は、月まで行く時間よりも長くなります。ほんの数百メートルの距離でしかありませんが、数十万キロの距離に匹敵するのです。そんな苛酷な環境ですから、多角的に乗組員の負担を軽減するために、様々な装置が組み込まれています。これらの装置は、民生品への転用が容易ですので、経済産業省というより、国民への還元が見込めるのです。
 経産省も、そのあたりを理解してくれたようです」
 質問者だけでなく、多くの記者が頷いてくれた。
「二豊報道の山本です。村岡さんのお父様は、SF作家の村岡定道氏だそうですが、お父様は、今回の瓜生島調査をどのように話されていたのでしょうか」
 父の出身地ということもあるだろうが、売れない作家である父を知っているとは、驚きである。作家では食べていけず、定年まで勤めていた会社を辞めることもできなかったのだ。姉を知っているなら、分かるのだが……
「あまり話す機会が無かったのですが、私が『うりゅう』に乗ると知って、父は大喜びでした。もちろん、喜んだ理由は、私から小説のネタを仕入れられると考えたからです。今回の調査で、父に親孝行したいと思います」
 父の件が出たから、姉の件も質問されるのかと思ったが、次の質問は違っていた。ただ、姉の件よりも始末が悪かった。
「経済新聞社の越智です。村岡さんにお伺いします。『うりゅう』は、経済産業省からも予算が割かれています。先程来のお話ですと、『うりゅう』に使われている新規技術の間接的な還元しかないように取れますが、本当にそうなのでしょうか」
 村岡の退路を断つために、持って回った言い方を始めていた。好きなだけ話をさせたら、浦田がしゃしゃり出て、始末が悪くなる。村岡は、記者の言葉を切った。
「質問の意図が見えません。背景ではなく、質問内容を具体的に言ってください」
「では、単刀直入に申し上げます。『うりゅう』は、海中の遺跡の調査もさることながら、海底油田の調査や開発にも使用されると聞いていますが、いかがでしょうか」
「その件につきましては、私の……」
 身を乗り出すように、浦田が口を開いたが、素早く村岡が遮った。
「ちょっと待ちなさい。私を指名しての質問ですので、私が答えます」
 筋を通され、浦田は身を引いた。
「六年前、『うりゅう』プロジェクトを立ち上げた際、その最大の目的に、海底遺構の調査を掲げました。その理由は、現在の温暖化現象と関連があります」
 温暖化現象を口にしたところで、場内の雰囲気が変化した。
「温暖化に関係する問題は、環境問題を中心に、様々な問題があります。その中でも、最も象徴的な問題が、海面上昇でしょう。既に、世界中で海面上昇を思わせる現象の報告がなされています。ベネチアの街が大潮の度に冠水している事は、テレビでも繰り返し報道されています。人々は、広場に設けられた木道のようなところを歩き、海水を避けています。ツバルでは、二〇〇二年から海水の異常出水が発生していて、年々酷くなっている状況です。
 今後、百年間に、海面は一メートル程度、上昇すると考えられていますが、最大の二酸化炭素排出国であるアメリカと中国は、自国の目先の利益を優先し、排出量の制限をやろうとしていません。このような状況ですから、海面上昇は、避けがたい問題であり、予想以上に悪化する可能性もあるのです。
 ヨーロッパアルプスでは、氷河の後退が顕著になっていますし、北極海は、夏に氷が消滅する寸前になっています。南極でも、棚氷が次々と流れ出しており、危機的な状況といっても差し支えないでしょう。
 もし、南極大陸の氷が融けた場合、海水面が上がるだけでなく、津波が押し寄せる危険性もあるのです。南極大陸は、三千メートルにもなる氷の重みで、数百メートルも沈んでいます。氷が融けて、その重みから大陸が開放されれば、大陸自体が地震を伴って隆起してくる可能性もあるのです」
 リップサービスである。
 温暖化では、南極大陸の氷は、逆に増えると考えられている。南極大陸は、あまりの寒さで、空気中の水分はダイヤモンドダスト等で吐き出してしまっているので、地球上で最も乾燥している。ところが、温暖化すると、湿った空気が入りやすくなり、降雪量が増えることが考えられている。村岡自身は、この説を信じていなかったが、否定できるだけの証拠も持っていなかった。
 南極大陸の氷が解けないとなると、どうして海面が上昇するのか。要因の一つは、海水温上昇による海水自体の膨張である。
「現在、旧約聖書にあるノアの方舟伝説は、事実だったのではないかと考える学者が増えています。その舞台は、黒海です。黒海は、氷河期には干上がっていたと考えられています。しかし、氷河期の終焉と共に地中海の水位が上昇し、ボスポラス地峡を海水が越えるようになったのです。ボスポラス海峡ができて一年ほどで、黒海は今の水位まで上昇したのです。この大きな変化が、ノアの方舟伝説になったと考える学者が居ます。
 海底遺構を調査する目的は、単に先史時代の遺跡を発掘するという学術的な調査だけでなく、急激に上昇する海面に怯えながら、生き残りの道を模索していた古代人の様子を知る事にも繋がり、温暖化が進む現代において、多くの知識を与えてくれるでしょう。
 特に、二酸化炭素の二大排出国であるアメリカと中国の指導者には、このまま温暖化が進めば、最終的には自分自身の息の根を止めることになる事を知る切っ掛けにもなるでしょう。なぜなら、氷河期文明は、一つとして現代の文明に繋がっていないのです。メソポタミアも、エジプトも、氷河期文明との繋がりは見られません。海面上昇を生き延びた文明は、存在しないのです」
 村岡自身、興奮を感じていた。これこそ、彼が言いたかったことなのだ。
「私達が、海底遺構の調査を重要視するのは、お話したような目的があるからなのです。もちろん、『うりゅう』の潜在能力は、計り知れません。海底油田の開発に用いれば、大いに貢献できるでしょう。しかし、海上からの掘削技術が確立している海底油田開発で『うりゅう』を用いるのと、『うりゅう』でなければ難しい海底遺構の調査に『うりゅう』を用いるのと、どちらがより効果的な使用方法か、皆さんにはお分かりになるでしょう」
 越智は、憮然とした表情で座った。
 隣を見ると、浦田が顔を真っ赤に染め、村岡を睨んでいた。
「次の質問をどうぞ」
 村岡の演説の後だけに、記者達も質問しにくそうだったが、一人が手を上げた。
「毎朝新聞の佐伯です。江坂さんにお伺いします。瓜生島以降の調査は、どこが予定されていますか。また、どのような場所の調査が有効でしょうか」
「その件につきましても、私がお答えします」
「待ちなさい。江坂君への質問です。横槍を入れるのは、ルール違反ですよ」
 浦田が、先程の村岡の回答に修正を入れたがっている事は分かっていた。ここで、修正されては、村岡の演説も無駄になってしまう。「ルール違反」だと、強い態度に出たのは、この場を村岡が仕切る事を、浦田にも、記者達にも、明確にしておくためだった。
「計画があるのは、沖永良部島の海底神殿と言われている場所です。ここは、海上にある間に作られたグスク様の建造物が、地殻変動によって海底に没したと考えられていて、氷河期文明とは異なるようです。しかし、水深が深いために未調査の部分があり、ここの調査を行う事で、今後の調査計画の立案に役に立ちと考えられます。
 これ以降は、個人的な希望となってしまいますが、台湾東岸や、スンダランド、イス文明、黒海等が候補になるでしょう。台湾東岸は、調査範囲が狭く、『うりゅう』の貢献度は大きくならないでしょうが、それ以外の海域は、調査範囲が非常に広く、『うりゅう』無しでは考えられません。調査は、困難を極めるでしょうが、その価値は非常に高く、是が非でも、調査を成功させたいと考えています」
「すみません。スンダランドとか、イスとか言われましても、場所も、特徴も、分かりません。説明をお願いします」
 村岡は、江坂に簡単に答えるように合図を送った。
「どこも、決定的な証拠が見つかっていないので、場所だけの説明とします。まず、スンダランドは、スンダ海に在ったとされる文明です。イス文明は、北海の辺りにあったとされる遺跡です。どちらも、氷河期には海面に出ていたと考えられ、特に、イス文明は、ドーバー海峡付近を流れていたと考えられるヨーロッパ川と呼ばれる大河の周辺に、大きな文明が存在したと思われます。フランスの首都パリの名は、イスに負けないとの意味もあるそうです」
 江坂が回答している間が、村岡にとって最も落ち着いていられる。二人の目的意識は、ほとんど一致している。その対極にいるのが、浦田だ。だが、回答内容が推測できる分、小和田や瓜生より組みしやすいのかもしれない。
「ちょっと訂正がありますので、御紹介します」
 浦田が立ち上がった。
「今後の『うりゅう』の予定ですが、瓜生島調査の後、一度、横須賀に戻して艇体の検査を行った後、尖閣諸島での資源調査が組まれています。ここで、支援船の『わだつみ』との連携も確認することになっています」
 村岡は、驚いた。そんな話は聞いていなかった。浦田を見ると、してやったりとばかりに、胸を張っている。
「待てよ! おい、コラ! 俺様の契約はどうなってるんだ。一年契約だ。海底遺構の撮影ができるから契約したし、契約書にも調査対象箇所が明記されてるんだぞ。契約違反だ!」
 椅子を飛ばして、小和田が立ち上がった。村岡も立ち上がり、小和田を背中で制しながら、浦田からマイクを奪い取った。浦田も抵抗したが、体格差が大きく、村岡の右手一本で払い除けられた。
「みなさん、御静粛に。簡単に説明します」
 村岡が「説明」と言ったので、騒然となりかけた記者会場も、落ち着きを取り戻した。
「文科省と小和田との契約では、今後一年間に、瓜生島調査と沖永良部島海底遺構を行うことが、明記されています。また、一年間に行われる全ての学術調査に随行することも、書かれています。ただし、二つの学術調査は、一年以内に行われれば、契約違反にはなりません。ただ、『うりゅう』の運用には危険が付きまとうため、艇体の検査と整備には、十分な時間を割く必要があります。そのため、どんなに多くても年に三回のミッションとなります。従って、資源調査が計画あったとしても、この一回のみとなるでしょう。
 文科省でも、それを把握した上での日程変更だと思います。この辺りは、後程、浦田から説明があるはずです。
 また、文科省所属の船ですから、文科省としての運用、すなわち学術調査の優先度や目的があるはずです。私が在籍していた時とは、日程が変わっているので、この辺りの内容も、浦田に聞いてもらうしかありません。もちろん、最初から他の省庁の要望が、文科省や大学等の学術調査より優先度が高く設定されることはないと思います。
 色々と申し上げましたが、我々は明日からの調査に備えなければなりませんので、これにて失礼させていただきます」
 江坂は、空気を読んで、先頭に立って会場を出て行った。
 瓜生は、小和田の左腕を脇に抱え込んだ。瓜生は怪力の持ち主である。片腕を取られただけで、小和田の動きは封じられた。村岡もそれに習い、小和田の右腕を抱え込んだ。興奮して浦田に罵声を浴びせ続ける小和田を、二人で抱えあげるように浦田の後ろをすり抜けた。
 記者達から、質問が飛び交ったが、全て笑顔で受け流しながら、騒然となった会場を後にした。

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  1

 ウィングで受ける風は心地良い。
 双眼鏡を手にしているが、ウィングに出る口実のために持っているようなものだ。彼にとってのこの場所は、一人になれる艦長室よりも居心地が良い。
 「数日後には台風が接近する可能性がある」と気象庁から予報が出ている事が信じられないくらい、日本海は穏やかだった。陸は、夏休み最初の週末で、猫も杓子も行楽地へと押し寄せているはずだが、日本海は細波しかなかった。遠くに鳥山が立ち、それを目指して漁船が集まりつつあるのが唯一の賑わいと言えた。
 その漁船群とも十分な距離があり、かつ右舷後方に遠ざかりつつある。それ以外に船影は無く、気分の良い航海だ。だからこそ、乗組員の緊張感が緩まないようにしなければならない。
 もう一度、双眼鏡で周辺を確認する。
 左舷十時の方向から前方へ、更に右舷へと、ゆっくりと双眼鏡を向けていく。右舷二時の方向まで見渡し、双眼鏡を下ろした。
 やはり何も無い。
 水兵の肩をポンと叩き、艦橋に入った。双眼鏡をキャプテンシートの横に固定すると、そこには座らず、階下のCICに下りていった。
 彼が指揮するイージス護衛艦は、十二ノットで舞鶴港に向けて航海を続けた。
 艦橋の左右のウィングにそれぞれ一人の水兵の姿が見えるだけで、二百名を超える自衛官が乗り組んでいるとは思えない。のんびりとしているように見えても、イージス艦の中は、戦時体制と言ってもよかった。
 平時の第三配備から一段上がった第二配備に切り替わっていたのだ。通常の三交代勤務と違い、二交代制となっているせいで艦内はごった返している。
 海上自衛隊の護衛艦もイージス艦への転換が進んできたが、この『さかなみ』は最新鋭である。舞鶴に配備されたのは、今年の初めである。
 『さかなみ』は、建造計画が決まった時点から舞鶴への配備が決定していた。その最大の理由が、単独の弾道ミサイル迎撃能力である。
 これまでのミサイル迎撃システムは、イージス艦の高度なデータリンク能力を生かし、早い段階での迎撃を可能にした。だが、現実には、迎撃ミサイルの性能にも、レーダー追跡と軌道計算能力にも、問題があった。そのどちらもアメリカ側で開発しており、日本は共同開発と言いつつ、システムの中身を見る事はおろか、口出しさえもできなかった。
 これに業を煮やした防衛庁と国内メーカーは、独自の迎撃システムの開発に着手した。ただ、アメリカの手前、大げさな開発はできず、表向きは、対艦ミサイルの迎撃システムという事になっていた。システムの骨子は、遠距離発射の対艦ミサイルを発射時点の軌道から接近経路を予測し、艦の遥か手前で迎撃ミサイルを用いて迎撃する事を目的としていた。
 長距離の対艦ミサイルは、航空機から発射された直後に海面付近までダイブして、艦載レーダーの探知から逃れる。その後、発射時に航空機から得た情報で敵艦の位置を予測し、高速で接近する。敵艦に接近すると、少し上昇して搭載のレーダーで敵艦を索敵する。上昇する事で敵艦のレーダーに見つかってしまうが、充分に接近しているので、迎撃は間に合わない。最後には敵艦の喫水線付近に突っ込んでいく。
 現在では、超水平線レーダーが開発されたが、艦船は発見できても、小さなミサイルは、長波長のレーダー波から漏れてしまい、発見が難しい。だから、長距離の対艦ミサイルは、今でも効率的な対艦攻撃手段なのである。
 防衛庁が開発を進めてきた迎撃システムは、敵の航空機が対艦ミサイルを発射した直後に、迎撃ミサイルを発射する。このミサイルは、自らのレーダーで敵ミサイルを索敵し、その情報をイージス艦に送る。イージス艦では、このミサイルが送ってくる情報を基に、時には複数の標的を追尾し、同時にミサイルを誘導する。ミサイルは、標的を指示されると、高空からほぼ垂直に降下して敵の別のミサイルをピンポイントで撃墜する。
 この技術は、高速で移動するミサイルに直交する軌道から攻撃をするため、精度の高い軌道予測が必要になる。この技術は、弾道ミサイルの迎撃技術にも転用できる。
 防衛庁は、国内メーカー数社と共同開発を行った。索敵能力が高く、かつ高速で迎撃コースを指示する能力を持つレーダーシステム。高い姿勢制御能力と、高度なレーダーホーミング能力を持つミサイル。両者を結ぶ高速で耐ジャミング能力に優れたデータリンク装置。
 最終的には、政情不安が続く朝鮮半島を鑑み、ミサイルの迎撃可能高度を大幅に増大させる事で、第二の弾道ミサイル迎撃システムとしての開発を急いだのである。
 表向きには、対艦ミサイル迎撃システムだが、実際にはほぼ全ての種類のミサイルの迎撃能力を備えていた。
 しかし、同時期に、K国はICBMをロフテッド軌道で打ち上げる実験を始めた。このため、誘導システムを流用し、ロケットモータを大幅に強化してロフテッド軌道に対応できるミサイルシステムを追加開発した。
 ロケットモータが大型化したため、従来のイージス艦に搭載する事は難しく、イージス艦自体も再設計されることになった。『さかなみ』は、このシステムを初めて装備した護衛艦になった。
 艦橋以上の緊張感が支配するCIC室(戦闘指揮所)は、艦橋の斜め下、艦長室の真下にあった。レーダー監視、攻撃管制、防空指揮所等が同室にまとめられ、ソナー室と通信室が隣接していた。ただ、機器の保護と、戦闘時の損傷を防ぐために、窓は全く無く、分厚い防弾壁に囲まれていた。
「どこかの国が、本艦の性能をチェックするために、何か軍事行動を起こさないといいのだが・・・」
 艦長が、ぼそっと防空司令官に漏らした。
 司令室にいた他の兵達に聞かれないように、防空司令官を引き寄せて小さな声でささやいた。司令官も、頭を寄せてきた。
「F35がスクランブル配備になった時も、ロシアも中国も意図的な領空侵犯をやりましたね」
「そうなんだよ。空自からの報告だと、電子警戒機が少し離れた場所に滞空し、後続の編隊が領空を掠めて飛んだらしい。当然、スクランブルが掛かって、F35が全力で現地に向かう事になるから、およその性能が見えてくるのさ」
 副官は、眉間に皺を寄せた。
「そうすると、本艦にもちょっかいを出してくる可能性がありますな。そのための第二配備ですか?」
 艦長は、小さく頷いた。
「問題は、対艦ミサイルの迎撃性能を見ようとするのか、弾道ミサイルの迎撃性能を見ようとするのか」
 渋面を崩さず、副官の顔を見た。
「対艦ミサイルだと見せてやらないでもないが、弾道ミサイルとなると・・・」
「でも、我々が迎撃体制に入るような餌をまかないと」
「違うな。我々が手を出すまで、やる事を段々えげつなくしてくるさ。迎撃せざるを得ない状況を探ってくるさ」
「そうでしょうか。私が、あちらさんの立場なら、いきなり危機的状況を演出して、こちらの指揮命令系統がどの程度機能するかを見ますがね」
「おいおい、そんな事は冗談でもやめてほしいな。特に、ミサイル迎撃は政治家が絡んでしまうから、実際にあった場合には、責任問題とも絡んで対応は不可能だろうな」
「つまり、艦長が乗艦している間には、そんな事は起こってほしくないと」
「当然だね。もちろん、国民のためには、私が乗艦していない時でも決して起きてほしくは無いがね」
「同感です」
 CIC室を副官に任せ、艦長は艦橋に上った。
 『さかなみ』は、十二ノットで日本海中央部から母港の舞鶴港を目指して航海を続けていた。辺りは、夕闇に包まれようとしていた。遠く、西の空の雲の切れ間には夕焼けが残っていたが、雲の流れは速く、台風の接近を予感させた。梅雨明けが遅れているせいか、『さかなみ』の周囲は雲が厚かった。
 台風は、小笠原諸島の西方海上で迷走していて、梅雨前線を刺激して各地で局地的な雷雨が伝えられていた。幸い、『さかなみ』までは距離があるので、風と波は影響を受けていなかった。作戦司令室で見たレーダーには漁船のエコーが数多く映っていたが、まだ漁には支障が無いのだろう。
「私は、艦長室に戻る。舞鶴湾に近付いたら、呼びに来てくれ」
 副官に言い残すと、右舷側のすぐ後ろにある艦長室に戻った。
 艦長は、艦長室で唯一の小窓を覗いた。
 夕闇の中で、漁船は集魚灯を煌々と照らしていた。
「あれでは底にいても目が眩みそうだ」
 窓を離れ、帽子をフックに掛けた。デスクにつくと、航海日誌を取り出した。幸いなことに、今日も何も書くことがなさそうだ。
 そう思った時に、インターフォンが鳴り始めた。
 CIC室からだった。
「どうした?」
 ロシアあたりの国籍不明機だろうと、高をくくっていた。ところが・・・
「弾道ミサイルを補足しました」
「弾道ミサイル? 何だ、それ?」
 予想もしない内容に、面食らっていた。
「だから、弾道ミサイルです!」
 防空訓練の話は聞いていない。
 これは実戦か?
 一気に緊張が高まった。
「発射地点は特定できてるのか?」
「K国の東海岸です」
「ロケットじゃないのか?」
「事前通告はありません。方向も東ではなく、南東を向いています」
 通常のロケットは、地球の自転を利用するために、自転方向である東に向かって打ち上げられる。軍事衛星や測地衛星は、極軌道と呼ばれる南北方向に打ち上げる場合もある。しかし、ロケットを南東方向に打ち上げることは無い。
 艦長は、ミサイルだと確信した。
「すぐに行く。着弾予想地点と時刻を割り出せ。迎撃プログラムをスタートする。プログラム通りに行動するんだ。大丈夫だ。訓練の通りにやればいい」
 インターフォンを切り替え、艦橋を呼び出して停船を命じた。
 掛けたばかりの帽子を再び手に取ると、艦長室から駆け出した。
 つい先程まで居た時とは、CIC室の雰囲気はまるで変わっていた。
「着弾予想地点はまだですが、進路は東京の上を通過します。それも、ど真ん中です」
「ミサイルの準備は?」
「三発が準備できています。いつでもOKです」
「防衛省とは連絡はついているのか?」
「回線は繋がっていますが、応答はありません」
 緊急対処要綱では、首相の承認を得られない場合に、防衛大臣の判断が許されている。ただ、最終判断は、現場の指揮官、つまり艦長に委ねられる。
 仮に、ミサイルだとしても、東京を通過するだけのミサイルであってほしい。通過するだけなら、房総沖に落ちるミサイルなら、迎撃をしなくてもすむ。
 でも、目標が本土となれば、大臣の命令が無くとも迎撃を命じなければならなくなる。迎撃に成功しようが、失敗しようが、艦を降りることになるかもしれない。そんな事態には遭遇したくない。
 マイクを取るなり、「全艦放送に切り替えろ」と命じた。隣に居た水兵が、切り替え操作を行った。それを目で確認し、艦長は話し始めた。
「艦長の久我山である。これより弾道ミサイルの迎撃体制に入る。これは訓練ではない。繰り返す。これより弾道ミサイルの迎撃態勢に入る。これは訓練ではない。諸君らの実力を見せてほしい。以上」
 マイクを置くと同時に、「第一配備に切り替えろ」と命じた。
「今、着弾予想地点が分かりました。東京です。北緯三十五度四十分、東経百三十九度四十分を中心にして、北西から南東へ長い楕円の長径が百キロメートル、短径が二十キロメートルの範囲内に着弾します。予想時刻は、今から八分です」
 艦長の淡い期待は、打ち砕かれた。本土に着弾する。弾頭が付いていなくても、死傷者が出ることは必至だ。
「中心はどこだ?」
「杉並付近ですが、標的が東京の都心であることは、疑う余地がありません」
「私見は慎め!」
「アイ・サー・・・」
 だが、彼の緊張と危機感は分かった。七十五年ぶりに東京が空襲を受けようとしているのだ。黙ってはいられなかったのだろう。ミサイルの着弾予想範囲には、皇居も霞ヶ関も新宿も渋谷も入っているのだから。
「迎撃に残されている時間は?」
「一分十八秒、十六、十五」
 何とかして、大臣の命令が欲しかった。
「大臣とは、連絡はつかないのか?」
「まだです」
 K国軍に試されているような気がした。それならば……
「迎撃を行う。警報を鳴らせ。甲板とウィングの兵に艦内への退避命令を出せ。艦橋にミサイル発射時の防護装備をさせろ」
 けたたましいサイレンが艦内に鳴り響いた。
 艦橋も、ミサイル発射時の音と光に対応すべく、バイザー付きのヘルメットを大慌てで取り出していることだろう。
「迎撃可能時間が、一分を切りました」
「連絡はまだか?」
「まだです!」
 オカのエライサン達は、現場を知らない。
 迎撃の命令は、勇気がいる。自分の進退を賭けて判断することになる。己の保身と野心だけで行動を決める政治家達が、この重大な決断を行うことの危うさは、どう表現すれば良いのだろう。
 K国が、弾道ミサイルに搭載可能な核弾頭の開発に成功したとの話は聞いていない。
 しかし、これが核弾頭を装備していたら、たった一発で政府の指揮命令系統を粉砕し、その後の戦闘は、相手の計画通りに進行することになるだろう。相手が本気なら、この数分で勝負が決まるのだ。保身も野心も関係なく、物事は進む事だってあるのだ。それも、国民を犠牲にしつつ。
 なんだか、無性に腹が立ってきた。
 単独で決断するしかない。自分は、何のために自衛隊に入隊したのか。今こそ、思い出すべき時だ。
「直ちに第一弾を発射しろ」
「データリンク切り離し。発射します」
 ドンと衝撃を感じ、CIC室にまで、ロケットモータの爆音が響いてきた。
「残り何秒だ?」
「四十五秒を切りました」
「第一弾の三十秒遅れで、第二弾を発射しろ」
「第三弾は?」
「残り時間が無い。迎撃コースに乗せられない。この二発のどちらかが命中することを信じよう」
 二発目のミサイルが発射されたのが、軽いショックと爆音で分かった。
 過去の迎撃実験では、1回だけ発射し、成功している。
 今回は、ロフッテッド軌道ではないので、従来のSM3システムでも対応できる。SM3の命中精度は八割程度だから、二弾でも九十六パーセントの確率で撃墜できる。残る四パーセントが気になるが、もう打つ手がない。
「第一弾の命中予想時間まで、一分を切りました。第二弾は一分九秒」
 第二段は、発射が遅い分だけ、より接近した位置で命中する。ほとんど真上だ。だから、発射間隔より命中予想時間は差が少ない。万が一、弾道ミサイルが核弾頭だったなら、二発目では打ち落としたくない。ミサイルの破片は、日本の沿岸に落ちてくるだろう。核ミサイルだったなら、その中には、核物質も含まれることになる。
「第一弾の命中まで十秒、八、七、六、五・・・」
 命中しようが、すまいが、これから忙しくなる。
 久我山は覚悟を決めた。

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別府湾で潜水調査中の移動式潜水基地『うりゅう』に政府の極秘命令が下る。
命令遂行中に『うりゅう』が海底で見つけたものとは・・・
同じ頃、浅村は氷床コアの最下層であるものを発見した。
新木も、地の底で不思議なものを捉えていた。
      
海の底、氷の底、地の底が繋がり、沈んだ過去が暴かれる時、未来が溺れ始める。


 沈んだ過去 溺れる未来  1
 沈んだ過去 溺れる未来  2
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 沈んだ過去 溺れる未来 19
 沈んだ過去 溺れる未来 20


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