伊牟ちゃんの筆箱

 詩 小説 推理 SF

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当ブログを御覧戴き、ありがとうございます。

この言葉も虚しいだけです。
10月中旬以降、当ブログを閲覧された方はおられません。
毎週金曜日に、定期的にアップしていたにも関わらず、この状況でした。
以前、Yahooブログに掲載している時は、少ないなりにアクセスがありましたが、Livedoorブログではアクセスがゼロになりました。私自身にも問題があるはずですが、Livedoorブログ自体も低調と思われます。

連載している沈んだ過去 溺れる未来ですが、先週の23話で終わらせていただきます。
まだ半分程度ですが、この状況では継続しても意味がありません。
Yahooブログの転送サービスも終了していますので、これを機に、他のブログへ引っ越し、改めて最初から再掲載することにします。

なお、引っ越し先は未定です。
また、引っ越し先を記載しても、これを御覧になる方は居られないでしょう。
もし、この記事を御覧になり、続きを見るために引っ越し先を知りたいと思われましたら、コメントを入れておいてください。
お返事をさせて頂きます。

  23

「どうして、ここなのですか!」
 井本は、ヒステリックに叫んだ。
「直ぐに、引渡し地点を変更しなさい。これは命令だ!」と松井。
 防衛省経由で『わだつみ』に打電する数分前、『うりゅう』では、井本と松井が顔を赤くしていた。
 二人が、怒るのも無理はない。
 村岡が『わだつみ』との合流点に選んだのは、例の海底遺跡の真上だった。
「理由は簡単さ。ここが一番水深が浅いからだ」
「それだけの理由ですか!」
「それで充分だ。日本海で、ここが一番浅い。『わだつみ』がミサイルを引き上げる際に、水深は成否を決める重要なファクターだ。今回のミッションを成功させたければ、誰でもここを選ぶさ」
 江坂は、到着前にD1を発進させていた。名目は、ミサイルを置く場所を探すことだが、実際には、海底遺構の詳細な地図を作るためだった。
 そうせいで、江坂が戻るまで、村岡は針のムシロに座っている気分だった。
 ここ二日間は、江坂はほとんど寝ていない。前回の調査で、海底遺構の概略の地図は出来ている。今回は、精度の高い水深測定を行い、遺跡を取り囲む堤防の高さと構造を調べることにある。ただ、通常の音波測深は使えないから、3Dカメラによる撮影だ。同時に、多くの画像データが手に入る。その中に、江坂が知りたいことが写っているはずだ。
 遺跡を取り囲むものが、本当に堤防なら、日本海の真ん中で、海面より低い土地に住んでいたことになる。どんなに優れた堤防を築こうと、堤防内に浸入した海水や雨水は、どこにも逃げることなく溜まっていく。
 このような土地に住むためには、必ず排水装置が必要になる。
 オランダの風車は、干拓地から水を汲み上げて、堤防外に排水するポンプの動力として使われている。海面より低い土地に住むオランダ人の知恵なのだ。
 ここでも、同じようなことが行われていたはずなのだ。
 江坂は、それを見付けたいのだ。
 もし、見つけることが出来れば、人類史は大きく書き換えられる。もちろん、江坂の名まえと一緒に、科学史の一頁を飾るだろう。
 遺跡の真上で、村岡が操る『うりゅう』は、江坂を二時間も待った。
 同行の鮎田がD1をドッキングさせると、江坂は右舷の指令所にやってきた。
「堤防の上に、比較的平坦な場所があります。そこが、最も作業しやすいと思います。座標は、ここです」
「そんなことより、ここから移動しなさい」
 松井は、場所に拘っていた。
「移動先を決めて、移動目的を説明してもらえるのかな。ここが嫌だという理由だけで、どこでもいいから他の場所に移動しろとは、賢い松井さんは言わないよね」
 江坂は、挑発的でさえある。
「時間が無い。江坂さんは、『うりゅう』を目的の場所に誘導してください。左舷を使ってください」
 村岡は、江坂に退席願い、松井の言い分を聞いてやることにした。
「松井さん、なぜここでは駄目なんですか?」
 彼の言いたいことは分かっているが、彼の口から言わせてあげないと、治まらないだろうと、村岡は思っていた。
「こんな場所じゃあ、大事なミサイルの引き上げを疎かにして、遺跡調査に明け暮れるだろう。遺跡調査に心を奪われない場所で、引き揚げ作業に専念するのがいいとは思わないのだろうね」
 村岡は、反論を用意していたわけじゃないが、感情論には対抗できると考えていた。
「成功の鍵を握るのは、全員の意思と方向性の一致です。そして、何より士気の高さです。士気を高く保つのは、全員が納得できる計画にあります。そして、士気を乱すのは、感情論です。松井さん、感情論を、あなたはどう定義しますか」
 松井は、黙っていた。自分の意見を感情論だと言おうとしている村岡の意図には気付いているようだった。
「感情論を振りかざす人物がいると、作戦は失敗するものです。そうは思いませんか」
 松井は、表情を変えなかった。
 正直なところ、怒って立ち去ってくれればよかったのだが、今回は井本バリのポーカーフェイスだ。村岡としては、それでも構わなかった。どっちにしろ、彼の目の前でバースト通信を行うことになるのだから。
 村岡は、人選に苦慮した。正規乗組員ではない江坂には、この作業をさせられない。魚塚は、地中の構造を精査させたいし、その前に引き上げ準備をさせる必要がある。小和田は、遺跡の撮影で忙しくなるだろう。瓜生は、ミサイルを乗せたネットの取り外し作業がある。鮎田は、事実上の謹慎中だが、瓜生のバックアップをさせようと考えている。
「浦橋さん」
 左舷にいる浦橋を呼び出した。
「『わだつみ』への打電を行います。間もなく、情報収集衛星が通信エリア内に入ってくるはずです。半径十五海里以内の船舶を確認してください」
「十五海里以内に漁船が十二隻いますが、十海里以内には二隻だけです」
「ブイを海面下三十メートルまで上げてください」
「了解」
 モニターで、浦橋の作業状況を確認する。
「引き上げ場所を打電します。いいですね」
 松井は、渋々頷いた。
「バースト通信で、漏洩を防げ!」
 村岡は、親指を立てた。
 松井が大人しい間に、既成事実化しておかなければならない。
「鮎田」
 鮎田は、立ち上がり、村岡を見た。
「瓜生のところに行って、バックアップをしろ。ネットの取り外し作業だ。手順は、魚塚が考えているはずだ。二人で説明を聞いて来い」
 鮎田は、立ち上がったままだった。
「鮎田よ。瓜生の命をお前に預けるという意味だ。分かったな」
「はい」
 鮎田の目に、力が戻ってきた。覚悟を決めた目だ。
「すぐに行け」
 鮎田は、右舷制御室を飛び出していった。
「小和田さん。魚塚をバックアップしてくれ。引き上げ準備を完了させておく」
「わかったよ。D1は、いつ使わせてもらえるんだ?」
「今は、許可できない」
「しょうがねえな。魚塚と仲良しになってくるよ」
「スキッパー、ブイが所定の水深になりました」
 浦橋がインカムで割り込んできた。
「周辺の船はどうですか?」
「十五海里以内に漁船も、九隻に減っています。すべて遠ざかりつつあります。十海里以内はありません」
「電文をセットしてあります。最低条件は、十海里以内に船舶がいないことのみとします。後は、浦橋さんの判断で送信してください」
「了解しました。ブイを海面に出します」
 再び、ブイが浮上を始めた。海面すれすれまで浮上した後、波の影響で一瞬だけ海面に飛び出した時に、浦橋は送信ボタンを押した。
「送信完了。ブイを収納します」
 ブイは、どんどん巻き取られていく。
 バースト通信なので、送信は、一瞬で完了する。自衛隊の潜水艦部隊用の通信装置だ。潜水艦の隠密性を維持するために、送信時間が極端に短い。今回は、最小限の電文長にまとめたので、バースト通信の効果は最大限に生かされただろう。
 送信先も、情報収集衛星という名の軍事衛星に向けて送信される。送信経路内にバースト通信の受信機を備えた航空機が無い限り、受信することは出来ない。そんな偶然は、まず有り得ない。
 情報収集衛星の軌道が分かっていて、電子偵察機を飛ばしていたとしても、発信地点が分かっていない限り、傍受は不可能だ。
 但し、問題もある。
 偶然にも電子偵察機がいたとしても、それに気付くことができない。
 ブイには、レーダーが備え付けられているが、これを使うことが出来ない。レーダーは、電波を発射し、その反射波で存在を知る装置だ。しかし、レーダーを使用すれば、電子偵察機にレーダー波を受信され、発信地点を割り出されてしまう。
 隠密行動では、アクティブソナー同様、レーダーは使用できない。
 バースト通信自体も、同様の要因で、通信の成否を確認できない。
 こちらからの送信は、発信地点が分からない限り、傍受される可能性は無いが、情報収集衛星は、軌道が分かっている。そのため、情報収集衛星から電波を発すれば、どの地域に潜水艦が居るのか、大まかな位置の推定が出来るし、通信内容も推察できる可能性がある。
 だから、潜水艦からの発信は出来ても、潜水艦との間で通信回線をリンクさせて使用することは稀である。
 今回も、一方向通信で、情報収集衛星が受信できたかどうかは不明だ。
 G1で作業を始めていた瓜生から、F1経由で通信が入った。
「スキッパー。瓜生」
 瓜生は、最小限のことしか言わない。
「どうした?」
「ネット取り外し完了。引き揚げ用フックを取り付ける」
「了解。『うりゅう』を浮上させる。誘導をしてくれ。浦橋さん、瓜生の誘導で『うりゅう』を浮上させてください。ギアが海底から二メートル浮上したところでホバーリングです」
「了解。瓜生君、準備完了だ。誘導を頼む」
「潮流に注意」
 こんな場所で、潮流があるのは意外だ。
「浦橋さん。潮流確認後に浮上です」
「了解」
 浦橋がキーボードを叩く音が聞こえる。村岡も、艇外の状況確認を始めた。
 三次元操船を行う関係で、『うりゅう』には、船首に二基と船尾に一基の三基の三軸速度計が付いている。これに慣性航法装置の情報を加え、『うりゅう』の姿勢変化を捉えることができる。
 現在は、着底しているので、速度計はそのまま流速計に変わる。その数値に、村岡は見入っていた。
「浦橋さん、瓜生の報告通り、意外に流れがありますね」
「無視できない速さです。ホバリングを長く続けるのは、得策ではないが、流れを利用して移動することも出来ます」
「任せます。瓜生との連携には、細心の注意をお願いします」
「了解」
 浦橋は、瓜生と通話しながら、『うりゅう』をゆっくりと浮上させた。浮上すると同時に、『うりゅう』が流されるのを感じた。
 『うりゅう』がミサイルの上から退いた所で、浦橋は着底させた。
 瓜生が、次の作業に移る許可を取ってきた。
「ミサイルを固定する」
「了解。充分気をつけてくれ」
「了解」
 ここでも、二百メートル以上の水深がある。引き揚げる途中でミサイルがネットから落ちてしまう危険性がある。
 ネットにミサイルを完全に固定するのは、危険を伴う作業だ。幸いにも、弾頭が無いので、起爆装置の取り外しという危険な作業は行わなくて済むが、燃料の一部が残っていれば、海水で温められて爆発的に膨張する危険は残る。
 慎重な作業が要求される。
 現在の『うりゅう』の位置からは、直接、瓜生の作業を見ることはできないが、G1の搭載カメラの映像は、光ファイバーを通して『うりゅう』に送られてきている。その映像を見ながら、瓜生の作業内容を監視する。
 魚塚も、F1で支援を始めている。
 F1からも、映像が届いている。両方の画像を見ながら、事故が起こらないように注意を払う。
 水流があるのは、作業を行う上で、プラスに働いている。
 どんな静かに作業を行っても、海底の沈殿物が舞い上がり、視界を奪ってしまう。しかし、ここは水流があるので、舞い上がった沈殿物は、流れに乗って作業場所から離れていく。
 お陰で、手元は常にクリーンな状態で見ることが出来る。
 瓜生の作業は、実にスムーズだ。手順は、簡単に打ち合わせてあった。その際にも、瓜生の意見は参考になった。
 今の手順は、瓜生が提案した通りだ。村岡は、異常時のバックアップ方法に意見を入れた程度だ。
「ミサイルの固定を完了した。フックの取り付けに入る」
「了解」
 事故が起きるのは、こんなタイミングだ。フックの取り付け自体は、簡単な作業だ。だからこそ油断をしてしまい、考えられないミスをしてしまうものだ。
 しかし、瓜生は心得たものだ。作業スピードを落とし、確認の回数を増やして確実に作業を終わらせていった。
 村岡は、G1から届くバイタルデータにも、注意を払った。瓜生の心拍数、呼吸数、酸素濃度、二酸化炭素濃度の全てが、正常値の範囲内に入っていた。
「完了した。これより、帰還する。通信終わり」
 F1に接続していた光ケーブルを、瓜生は外した。ここから先は、彼の単独行動になる。
「鮎田。瓜生が帰還する。頼むぞ」
「了解しました」
「帰還したら、報告の上、整備に入れ」
「了解」
 G1は、酷使している。整備は重要だ。
 江坂が居れば、飛んでいって整備を手伝うだろう。彼は、遺跡調査に出たくて焦っている。そんな人間に整備をさせれば、ミスをしかねない。瓜生や小和田は、経験から来る用心深さを備えているが、江坂には無い。
 今の鮎田なら、汚名挽回のために必死に整備をするだろう。命令にも忠実に行動するはずだ。
「G1帰還しました。固定に成功。漏水確認、完了。ハッチ内排水、完了。ハッチ開きます」
 G1用のハッチ状況を、モニターした。
「ハッチ開いて良し」
「了解」
 G1用ハッチが開いたことは、右舷の制御室でも確認できた。
 これで、一安心だ。
 各装備の状態を確認する。
 この時、F1の異常に気付いた。

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  22

 予想していない回答だった。
 予想外と言うより、奇想天外な話だ。
 UFO研究家なら「当然だ!」というかもしれないが、まじめな宇宙人探しをしている人たちからすれば、有り得ない位の驚天動地だ。
 宇宙は広い。とてつもなく広い。広さは桁はずれだ。
 歩く速度は、時速四キロ。不眠不休で地球一周を試みれば、四百日かかる。自動車は、一般道で時速六十キロだ。歩く早さの十五倍だ。地球一周は、一ヶ月足らずでできる。飛行機は時速千キロだ。車の十五倍以上。地球一周に二日かからなくなる。
 ISSは、飛行機の二十倍以上早い。地球一周は、一時間半余りだ。地球周回軌道脱出時のアポロ宇宙船は、更に一.五倍早い。仮に、その速度で地球を周回すれば、一時間余りで一周してしまう。
 アポロ宇宙船は、人を乗せて飛んだ最も早い乗り物だった。それでも、月までは、三日かかった。実際のアポロは、地球の引力の影響を受けて飛んだので時間がかかっているが、それを無視した単純計算でも、地球から月までは十時間かかる。
 この速度で、地球から太陽まで行くと、なんと五ヶ月もかかる。海王星までなら十六年だ。隣の恒星系までは、十万年余りかかる。
 人類が作った最も早い無人宇宙船のスイングバイを繰り返して得た最終の速度でも、アポロとの差は一桁だ。十万年単位が一万年単位になるだけだ。人類の技術力を基準にしていては、隣の恒星に行くだけでも万単位の年数がかかるとの結果にしかならない。
 ユーリ・ミルナー氏や故・ホーキング博士らが発表した『ブレイクスルー・スターショット』でさえ、隣の恒星系まで二十年だ。
 知的生命が生きている星は、どのくらいの密度で存在するのか、誰にも分からないが、隣の恒星系に居ることはないだろう。仮に、銀河系内に一万の知的生命が同時に存在しているとしても、平均の距離は、二千光年くらいだ。アポロの速さなら、五千万年も掛かる。一万倍早い宇宙船を作れたとしても、五千年も掛かる。
 文字通りの天文学的な数字だ。
 この数字を知っていれば、知的生命は、生身の体で他の知的生命に会いに行くことは考え難いことを、簡単に理解できる。
 これを浅村に教えてくれた新木が、それを否定するような回答をしたのだ。
 頭が整理されるまで、呆然としていた。
 どれくらいの沈黙が続いたのか、先に口を開いたのは、浅村だった。
「地球上に送信相手がいる根拠は?」
 早く核心を知りたかった。
「推測の域を出ない」
「そんなことはどうでもいい。状況証拠は掴んでいるはずだ。それを聞かせてくれ」
 新木は、黙ってしまった。
 この期に及んで、話すべきか、迷い始めたのだろう。浅村にしてみれば、面白くない。ここまで時間を使って、しかも帰路を絶たれる状況に追い込まれているのだ。全てを聞かずに帰れる気はない。
「こんな山奥まで呼びつけておいて、だんまりはないぞ」
 新木は、視線を合わせてきた。
「そうだな」
 ぽつりと言った。
「スーパーカミオカンデの分解能は知っているか?」
「いや」
「馬鹿みたいに低いが、おおむね、どの方角から来たかは分かる。今回は、目的となるニュートリノが決まるから、そのニュートリノだけ、来た方角を調べていったんだ。当然、赤緯、赤経に変換して方角を調べたんだが、全然ばらばらで、方角を特定できなかったんだ」
 回り持った言い方に辟易としながらも、新木の機嫌を損ねないように、浅村は黙って聞いていた。
「それで、まさかと思ったが、念のためにカミオカンデに対しての絶対的な方向を調べてみたんだが、それがある特定の方向を指していることがわかったんだ」
「それが、地上の仲間への通信だとする根拠なんだな」
「そうだ」
「その場所は、特定できたのか?」
「ああ、それが妙なんだ」
「何が妙なんだよ」
「場所に決まってるだろう」
「だから、どこか教えろよ」
「シベリアだ」
「どこが変なんだ?」
「正確じゃない。ここから北北西に下反角がほとんど無しだ。該当する全てのデータから、統計的に方角を決定した」
「標準偏差は、どれくらい?」
「約〇.〇五ラジアンだ」
「三度弱だな」
「ああ」
「地図はあるか?」
「ちょっと待ってろ」
 新木は、例によって、書類の山を移動させ始めた。
 彼の頭の中には、正確な書類の索引があるらしい。最初に除けた書類の下から、世界地図が出てきた。
 二人は、直ぐに日本周辺の地図を広げた。
「北北西と言ったが、ほとんど真北に近い」
 新木は、指で神岡から北北西に辿っていく。
 日本海の真ん中を横断し、ウラジオストクを通り、中ロ国境線の黒竜江を辿っていく。やがて、中ロ国境を離れ、スタノボイ山脈の辺りで、新木の指は止まった。
「この辺りで、地上に出る」
「つまり、この辺りが発信源と考えられるのか」
 浅村の脳裏を、旧ソビエトの秘密基地という発想が通り抜けた。
 有り得ない。
 当時のソビエトに、ニュートリノ通信の技術があったとは思えない。
「マイクロマシンが動き始めたのは、いつ頃だったんだ?」
 思いがけない質問だったので、浅村は、答を捜して思考を彷徨わせた。
 随分古い話のように感じてしまう。
 一昨日の発電所の事故の時には、マイクロマシンは動いていた。
「思い出した。二日前だ。でも、それは君も知っていただろう」
「僕が求めているのは、もう少し正確な時間だ」
「難しいな」
「ケースに穴を開けたと言っていたな。穴を開けるのに、どれくらい掛かったと思う?」
「実験していないから、分からないな。ただ、気付いたのは、一昨日の九時頃だ。それ以前に穴を開けていたはずだし、前々日の夜には異状が無かったから、その間の一日半の幅の中だ」
 まるで、アリバイ調査か、死亡推定時刻を狭めていく作業のようだ。
「実験すれば、九時より前に遡ることができそうだな」
「実験するのか?」
「もちろんだ」
「反対はしないが、目的を聞かせろ」
「ニュートリノ通信の電文の切り替わった時刻と比較するんだよ」
 思ったよりも単純な話だった。
「分かった。じゃあ、プラスチックケースを探してくれ。厚さは、一ミリ程度だ。概算の時間でいいだろう?」
「データが無いよりマシだ。大まかに、どれくらいの能力があるか、知りたい」
 二人は、乱雑な部屋の中で、目的の品を捜して回った。
 浅村は、大量の書類の下に何があるのか分からず、右往左往したが、新木は次々と目的の品を発掘していく。彼の部屋だからと言えば、確かにその通りなのだが、それにしても、これほど散らかっている部屋の中で、何がどこにあるのかを正確に記憶している新木の頭脳が、不思議でならなかった。
「これで、できるな」
「大丈夫だろう。マイクロマシンをプラスチックケースに入れるから、どれくらいで穴が開くか、時間を計ってくれ」
 時間を計ると言っても、最短でも分オーダーだから、携帯電話の時計表示程度でも十分だった。
 浅村は、慎重にマイクロマシンをプラスチックケースに移し替えた。
 結果は、予想以上だった。
 二分掛かっただろうか。
 マイクロマシンは、あっさりとプラスチックケースを貫通した。
「これじゃあ、時間を遡れないな」
「それより、意外に固くないんだな」
 新木は、鋭い視点で指摘した。
 プラスチックなら簡単に穴が開くのに、ガラスは二日掛けても穴が開かなかった。マイクロマシンは、ガラスより柔らかい物質でできているらしい。
 そう考えるしかないのだ。
「そんなはずは無いだろう。各地で起きている発電所や製鉄所の事故は、金属製のパイプを貫通しているはずだ。相当な硬さがあるはずだ」
「実験結果を踏まえて考えろよ。発電所の事故を踏まえても、金属より硬く、ガラスより柔らかいと考えるだけだ」
 新木に言われるとは思わなかったが、彼の意見は尤もだった。それでも、納得したくなかった。だから、思いついたことを言ってみた。
「他の考えは、回転することが目的ではなく、何かの問題で回転するしかなくなっているって考えもありかな」
「ありだな」
 あっさりと認めてくれた。
 この辺りが、新木の掴みどころの無さだ。
「ただ、この実験からは、ニュートリノ通信が切り替わった時刻、つまり、四日前の夜の十時半頃から動き始めたのか、それとも、たまたま近い時間帯でマイクロマシンが別の要因で暴走を始めたのか、決め手に欠く結果にしかならなかったって事だ」
 あの日の夜は、十時頃までマイクロマシンを見ていた。最後に見てから三十分後には、プラスチックケースを突き破っていたことになる。
「本題に戻ろう。マイクロマシンは、八十万年前の氷床の中にあった。ニュートリノ通信と関係があると思われる。これから推測できるのは、旧ソビエトを含め、人類が関与している可能性は薄いってことだ」
「何が言いたいのか、はっきりしてくれ」
「一言で言えば、地上に拘る必要はないってことだ」
「日本海の下でも、話は通じるはずだ。そう言いたいのか?」
「まあ、そんなところだ」
「いい線だ」
 やはり、掴みどころが無い。
「ただ、日本海の底に届くほど、下の方から出ていない」
「ニュートリノ通信がか?」
「そうだ」
 水平に近い角度から、ニュートリノ通信が届くことになる。
 ふと、新木が言っていたことを思い出した。
「もしかすると、ニュートリノ通信が送られてくる方向に対して、マイクロマシンの回転軸の角度が決まる?」
 新木は、にやりと笑った。
「計ってみるか?」
 わざとマイクロマシンに穴を開けさせ、その穴の向きを測定する方法でやってみた。
「どうやら、重力に垂直な軸らしいな」
 浅村が言うと、新木も渋々認めた。
「そうなると、何のために、垂直軸で回転しているんだろう?」
「簡単だよ」
 新木の天才性なのか。大胆なことを言うが、こんな時は、彼の法螺なのだ。
「考える筋道は、反力だよ」
 いつもと違うのかな。
 答を予想させる「反力」という単語が出てくるとは思ってもいなかった。浅村は、新木の次の言葉を期待した。
「プラスチックを削るには、鋭い歯だけじゃ無理だ。それよりも、切羽から受ける反力を打ち消す方法の方が難しいし、どんな手法を採るかが大事だ」
「反力を打ち消すだけだったら、反動トルクを利用する方法や、どこかに張り付いてもいい。反力を超える摩擦抵抗を作ればいい」
「じゃあ、このマイクロマシンは、どんな方法を採っていると言えるんだい?」
 やはり、答を持っていないのだ。だから、浅村に切り替えしてきたのだろう。
 でも、浅村も答を持ち合わせていなかった。
 答を捜すために空いた間が、乱雑な研究室に静粛をもたらした。
「二重反転方式のヘリコプターって知ってるか?」
 ヘリには、何度も乗った。『しらせ』と昭和基地の間は、ヘリが唯一の交通機関だった。浅村が越冬隊員として南極に行った年は、氷象が悪く、『しらせ』は接岸できなかった。
 機材の全てを、ヘリで空輸したが、浅村もヘリで昭和基地に入った。
 翌年は、『しらせ』が接岸できたので、機材の搬出も搬入も、陸路も使うことができた。接岸できるとこんなに楽なのかと、感心もした。
「ヘリがどうした?」
「ヘリと言っても、一般的なヘリじゃない。二重反転方式だ。おもちゃの電動ラジコンヘリには、二重反転方式を使っているものもあるけど、実用機だとロシアくらいしかないんじゃないかな」
「普通のヘリとどこか違うのか?」
「ヘリのローターを回せが、ローターの空気抵抗で反力が起きるのはわかるな」
「ああ」
「だから、ヘリはタンデム方式か、テールローター方式で、この反力を打ち消していることも知ってるな」
「まあな」
「反力を打ち消す方法は他にもあるが、二重反転方式もある。構造が複雑になるので、採用例が少ないが、ピッチコントロールを省略すれば構造も単純化できるので、おもちゃに採用しているようだね」
 浅村にも、新木が見つけた答が、おぼろげながら見えてきた。
「小さすぎて、しかも高速回転しているから、はっきり見えないけど、マイクロマシンは上下に二分割になっているじゃないかな。そして、上下でプロペラを広げ、逆回転させて飛ぶ仕組みじゃないかな」
 浅村も、同じ答に到達していた。
 問題は、底面で穴を開ける理由だ。それを聞きたい。
「そこまでは分かった。じゃあ、なぜ飛ばないで穴を置けてしまうんだ?」
「飛ばないって事は、故障しているからだ。でも、回転はしているから、故障は動力装置じゃなく、プロペラだろう」
「つまり、下側のプロペラが故障していて、飛ぶ力は出せないけど、下側を削ってしまうのか」
 そこまでは、納得できた。でも新たな疑問が湧いてきた。それがそのまま、口を衝いて出た。
「このマイクロマシンは、地球専用だと言ってるようなものじゃないか」
「そんなことも気付かずに、これを大事にもっていたのか」
 新木は、呆れ顔をした。

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  21

 浅村は、富山まで出たところで、大規模な停電に見舞われた。
 早朝に出たので、北陸新幹線は、富山に着くまで動いていた。大規模な停電で、新幹線が止まったのは、その少し後だった。
 富山駅の構内で、乗換えを待っていると、構内の電気が突然消えた。
「停電?」
 あちこちで、そんな声が上がった。
 外が明るいことに加え、昨日からニュースを賑わせている各地の停電が、「ここもか」と、諦めを早くしたのかもしれない。パニックには程遠く、一度は天井の灯りを見上げた人々も、それまで通りに歩き始めた。
 浅村も、在来線に乗り換えるべく、新幹線ホームから乗り換え改札口へと向かった。彼は、習慣から、エレベータやエスカレータを使わない。いつも階段で下りる。この時も、階段に向かったのだが、途中のエスカレータは止まっていて、途中で止まってしまった人々が、大きな荷物を重そうに引きずりながら、階段状のステップを上り下りしていた。
 階段を下りていくにつれて、人混みが濃くなってきた。
 理由は、想像できた。
 最近の改札は、どこも自動改札が導入されている。特に、新幹線の駅で、自動改札を採用していないところは無いだろう。でも、停電になってしまえば、ただの狭い通路だ。人が抜けるのに、時間が掛かることは想像に難くない。
 階下に下りると、予想したとおり、正面の乗り換え改札口で混み合っていた。
 駅員総出で、小型の切符読み取り器をかざして、乗り継ぎ切符の確認をしていた。
 ふと左を見ると、出札口は、比較的空いていた。見ていると、切符を受け取るだけにしているようだった。
 一旦、外に出よう。
 外に出れば、他の交通手段も見つかるかもしれないと思った。
 しかし、改札の外は、改札の中よりも人混みが酷かった。窓口は、復旧の見込みなどの情報を得ようとする人々で何重もの人垣に囲まれている。そこから溢れた人々は、改札に立つ駅員を問い詰めていた。
 高山線は、非電化区間だから、停電でも走るかもしれないと思ったが、信号システムがダウンしているので、列車を走らせることが出来ないようだ。
 薄暗いコンコースを抜けて駅舎の外に出た。
 駅舎の前のロータリー越しに、立ち往生している路面電車が見えた。それが邪魔なのか、それとも信号が消えてしまったのか、車のクラクションが喧しい。
 浅村は、リュックを背負い直し、歩き出した。
「こうなりゃ、神岡まで歩くだけだ」
 体力には自信がある。方向感覚も。
 歩く装備はしていないが、靴もトレッキングシューズだ。冬山に比べれば、危険性はほとんど無い。食料さえ手に入れれば、何とでもなる。
 唯一の問題が、新木との約束の時間に間に合わないことだ。
 もう一度、携帯電話を取り出してみた。今も圏外になっていた。
 基地局が停電でダウンしているのだろう。それも、停電はかなり広い範囲に広がっているらしい。連絡を取ることは、当分出来そうもない。
 食料と飲料の調達をするために、コンビニを探した。すると、意外なものを見つけた。
 コンビニを見つけても、レジが機能しない可能性がある。レジが麻痺していたら、コンビニを見つけても意味が無い。そんな不安を抱えていたから、これを見つけたのは、幸運だった。
 浅村は、走った。背中で、リュックが揺れるが気にしない。その勢いで飛び乗った。
「平湯温泉行きバスです。お間違えないよう、御注意ください」
 合成音声の車内放送の後、運転手が錆びた声で発車を告げると、バスは動き始めた。
 長い時間、バスに揺られて岐阜県に入った。
 乗った当初は、交通渋滞で身動きできない状態だった。だけど、市街地を抜けてからは、快適だった。県境の山道は揺れたが、『しらせ』で経験した吠える五十度に比べれば、さざ波にしか感じない。
 バスに乗って正解だったと思ったのは、途中から乗ってきた客が、「コンビニで買い物が出来なくなっていた」と話しているのを聞いた時だ。
 歩き切る自信はあったが、食料と水が手に入らなければ無理だ。
 電気が無くなると、こんなにも不便になるものかと、改めて痛感させられた。
 神岡周辺は、険しい山中にある。車窓の風景は、人工物が減り、千年前からほとんど変わっていないだろうと思わせる景色が増えてきた。こんな山中に、スーパーカミオカンデはあるのだ。
 茂住でバスを降りた。
 ここも、停電になっていた。
 でも、誰もその事を気にしていないようだ。
 新木が待つ宿舎に直行した。
「よく来れたな」と、新木は目を丸くした。
 意外に障害も無く来れた事を報告すると、新木も驚いていた。
「運が良かったよ」
「てっきり歩いてくると思っていたよ」
「そのつもりだったよ。でも、コンビニも駄目になっていたらしいし、歩けても飢え死にしていたな」
 歩いてみたかった。でも、歩いてしまったら、休暇は足りなくなってしまっただろう。今回は、停電という言い訳があったので、バスがあったのは残念でもあった。
 いつか、歩いてみよう。
「それより、動いているマイクロマシンを見せてくれ」
「その前に、昼飯を食わせてくれ」
 もう十四時を回っていた。
 新木は、カップラーメンを用意してくれた。
「そろそろ、動いているマイクロマシンを見せてくれ」
 浅村が箸を置くが早いか、新木が要求した。
「ああ、そうだった」
 浅村は、リュックを持ち上げた。
「ちょっと、この辺りを片付けてくれないか」
 浅村は、筑波で見た彼の研究室と同じように、本や書類が巻き散らかされた部屋の床を指差した。
 荒木は、一枚ずつ、一冊ずつ、物を確かめながら片付けていった。おそらく、彼の頭の中にある書類や書籍の配置図を、書き換えているのだろう。
 少し開けた場所が出来たので、リュックをそこに移動し、リュックの下を開いて大きなガラス瓶を取り出した。
 ガラス瓶の底を確かめてから、散らかった床に置いた。
「この中にあるのか?」
 しげしげと覗き込む。
「底に穴が開いていないから、まだ中にあるはずだ」
 浅村は、瓶のガラス製蓋を固定していたガムテープを剥がし、そっと蓋を開けた。
 新木は、直ぐに中を覗き込んだが、その中には、またガラス瓶があった。外側のガラス瓶との間には、クッションの代わりに古新聞が詰められていた。
 中の瓶をそっと取り出し、同じようにガラス製の蓋をテープごと剥がして開けた。
「まさか、その中にも瓶があるわけじゃないよな」
 浅村が、こんな表情を見せることは多くない。彼は、小馬鹿にしたような表情を浮かべながら、焦らすようにゆっくりと作業を進めた。
 待てずに、新木は小瓶の中を覗き込んだ。
 小瓶の中は、最初の大瓶を縮小コピーしたような状態だった。
 小瓶の中には、新聞紙に包まれた陶器製の湯飲みのようなコップが入っていた。湯飲みには、本体と同じ陶器製の蓋が付いていた。その蓋を、テープでがっちりと固定していた。
 蓋が開かないように注意しながら、浅村は、陶器の湯飲みを取り出した。湯飲みは、小瓶の隣に置かれた。
「随分と厳重だな」
「まあな。こいつの実力を見ると、これでも恐ろしいくらいだよ」
 新木は、早く真相に近付きたかった。
「経験から、鉄じゃ持たないだろうと思ったんでね」
「だから、ガラスや陶器を使ったのか?」
 ガラスや陶器は、鉄の十倍くらい硬い。それを知っている彼にとって、こんな風にすれば、簡単には穴が開かないだろうと、思ったのだ。
「まあね」
 最後の湯飲みの蓋を取った。
 新木は、直ぐに中を覗き込んだ。
 白い陶器の湯飲みの底に、一ミリにも満たない小さな黒い点があった。
「この黒いのがそうか?」
 もったいぶったように、ゆっくりと荒木に場所を譲った。
「動いているのが分かるか?」
 新木は、子どものように覗き込んだ。
 虫眼鏡も駆使して、湯飲みの底を真剣に見つめていた
「ああ。動いているみたいだ。だけど、小さいな」
 浅村は、湯飲みを少しだけ傾けた。
 湯飲みの底で回転しているマイクロマシンは、位置を変えた。元々、マイクロマシンがあった場所は、少しだけ白くなっていた。茶渋が削れたのだろう。
「陶器は、思った以上に硬いようだな」
 新木の呟きに、浅村は、むっとした表情を浮かべた。
「俺をこんなところまで呼び出して、どういう用件だ。お陰で、帰れなくなってしまったぞ」
「君の宝物を見せてもらうためさ」
 浅村は、苦笑いを浮かべた。
 新木が、何かを隠していることは分かっていた。だから、大規模な停電になる危険を冒させてまで、ここに呼び付けたのだ。
 マイクロマシンを見ることが目的ではない。
「これは、ずっと回転しているだけなのか?」
「気付いた時からは、ずっと回転している」
「時計方向に回転しているように見えないか?」
 そんなことは気にしていなかったが、じっくり見てみると、新木の言うとおり、時計方向に回転しているようだ。
 突然、新木は湯飲みに蓋をして、蓋ごと逆さまにした。そして、そっと湯飲みを取り上げた。そして、虫眼鏡でしげしげと見ていた。
「見てみな。やっぱり右回転だ」
 言われるまでもなく、右回転だった。
 新木は、逆さまに湯飲みを被せると、元に戻した。そして、蓋を開けた。
「やっぱり、右回転だ。どうしてだと思う?」
「こいつの中にセンサーがあって、回転方向を制御してるんじゃないか?」
「どんなセンサーだ?」
「慣性を検出するセンサーじゃないかな」
「じゃあ、六時間後に見てみよう。地球が自転して、軸が今とは九十度変わるから、その時の回転方向を見れば、慣性センサーか、分かるはずだ」
 新木に言われるまで考えもしなかったが、回転方向を制御するためのセンサーの存在に気が回らなかった。
「六時間待つ必要はないよ。いつ見ても、回転軸は垂直だった」
 思い出したのだ。初めて回転しているところを見た時の事を。
「そうすると、センサーは何だと思う?」
 なぜ、わざわざにそんな質問をしたのか、新木の真意が見えなかった。
「重力センサーしかないだろう?」
「そうかな」
「じゃあ、何を計測するセンサーだと思うんだい?」
 新木は、黙った。
 やはり、何かを隠している。それを引き出すには、ニアピンを打つしかない。
 彼は、マイクロマシンを知った時、彼自身の研究との関連に気付いたのだ。彼自身の研究、つまりニュートリノに関連する何かだ。
「ニュートリノと関係するのか?」
 目を剥いた。
 ニアピンだ。
「俺をわざわざここまで呼んだ理由は、ここから離れる時間が惜しかったからだ。違うか?」
 今度は、それほど変わらなかった。さっきのニアピンが効いているのだ。
「実は、ニュートリノ通信を発見したんだ」
 新木は、話し始めた。
「見つけたのはいいが、決定的におかしな点があるんだ」
「まず、ニュートリノ通信て、どんな仕組みなんだ?」
「一言で言えば、AM放送。ニュートリノの強度を、時間変化させるのさ。ただし、送るデータはデジタルで、短文の繰り返しになる。だから、見つけることができたんだけどね」
「どうやって見つけたんだい?」
「カミオカンデ、スーパーカミオカンデ、カムランドの過去の受信データを集め、時間変化を調べたんだ。量が多いし、時間変化も周期を決めないとできないし、第一、繰り返し同じ文面を送信していると仮定することが、勇気のいる決断だったんだ」
 そんなのは、どうでもいい。
「時間変化があったわけだ」
「見つけるのは大変だったが、時間変化しているのは、確認できた」
 彼が見つけたわけじゃない。彼のプログラムが、PCの中で少しずつ周期を変化させながら、昼夜を分かたずフーリエ変換などを駆使して特徴的なピークを自動的に探したはずだ。
 彼がやったのは、PCが吐き出してくる特徴的なピークが、本当に周期性を持っているか最終判断することだけだ。
「見つけたニュートリノ通信は、解読できたのか?」
 新木は、渋い顔をした。
「それなんだが、なぜか、通信文が変わったんだ。お陰で、通信文が二例、手に入ったよ。これで解読できると思うよ」
 正直なところ、がっかりした。
 新木は、暗号解読の名手だ。趣味で暗号文を作ったり、自分で作った暗号文を解読したり。何が楽しくてそんなことをするのか分からないが、彼は暗号が好きだ。
 その彼が、まだ解読できないとは。
「以前、地球外からの通信は、相手に解読してもらうのが目的で送信してくるから、解読は簡単だと言っていた記憶があるんだけど」
「それなんだが、二つの点で、このニュートリノ通信は、僕が想定していたのと違っているんだ」
「何が違ってるんだよ。解読できない言い訳じゃないのか?」
 軽くプレッシャーをかけてみた。
「前提が崩れたんだよ。ニュートリノ通信の発信者は、他人に読んでもらうことを考えていないんだよ」
「じゃあ、誰に呼んでもらうために、ニュートリノ通信なんて大仰な通信を発信してるんだ?」
「仲間だろう」
「どこにいる仲間にだ」
「地球上だよ」
「え?」

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  20

 恐れていたことは、どんどん広がっていった。
 地上は、大混乱に陥っていた。
 『わだつみ』の船長、榎本萌音は、日本の惨状を伝えるニュースに、心を痛めていた。
 同時に、乗組員の不安の増大と、モチベーションの低下を恐れた。
 幸いなことに、『わだつみ』の乗組員は、七割を海自からの出向か、海自出身者が占めていた。残る三割も、海保からの出向か、海保出身者だったので、こんな状況でも、押さえが効いた。
 今回のミッションに備え、造船所関係者を含む技術者のほとんどを下船させてあったので、その点でもラッキーだった。
 榎本自身、海自の補給艦で鍛えられてきた。防衛大学校を卒業し、キャリアではなく、制服を選んだのは、同じ自衛官で護衛艦の艦長を勤めた父の影響かもしれない。有事には国のため、国民のために命を捧げる自衛官の誇りを胸に、懸命に勤めてきた。
 ただ、男女の体力差を痛感させられるに至り、転身先を考え始めていた時、絶好のタイミングで『うりゅう』と『わだつみ』の募集を見た。船会社に再就職しても、貨物船ばかりじゃつまらないと思っていたところだったので、文字通り、渡りに船の気分だった。
 『うりゅう』は、潜水艦乗りと競争しても勝ち目がないとわかっていた。でも、『わだつみ』は、海自で乗り組んでいた補給艦と構造も役割も似ていた。『わだつみ』で勝負しようと、心に誓った。
 海自を退職して退路を断ち、『うりゅう』についても詳細に調べ上げて、公募に臨んだ。
 費用を削って完成させた『わだつみ』は、目立つ能力が無かった。文科省は、『わだつみ』に華を持たせるために、話題性を探していた。海自では、三佐に昇進し、操艦では一等航海士の役割を担っていた榎本は、女性であることが追い風となり、『わだつみ』の船長として抜擢されたのだ。
 女性だから抜擢されたことを、榎本は自覚していた。しかし、大きなチャンスを得たことも事実だった。
 舞鶴に停泊していた『わだつみ』に、急に水素と酸素の補給が命じられた時、チャンスが膨らんだと直感した。
 女の勘。
 女であることを否定し続けていた自衛官の時代とは違い、肯定的に受け止めるように切り替えた。ただ、日頃の生活では、できるだけ女性の部分を消し去るように努めた。それ自体は、海自時代と同じなので、苦にならなかった。
 榎本は、事実上の日課となったキャッチボールをするために、ヘリポートに上がった。
 ヘリポートには、三メートル四方の木枠に土を盛ったマウンドがあった。本来のヘリポートとしての機能を失わないように、木枠の下には数十個のキャスターを取り付け、移動可能にしてあった。
 ヘリポートには、ヘリコプターを固定できるように、ハードポイントが規則正しく配置されていた。木枠のマウンドは、このハードポイントを利用して固定できるようにしていた。
 ヘリポートを斜めに使い、左舷側の船尾寄りにバッターボックスを置く。船尾寄りと言っても、『わだつみ』のヘリポートは、船橋の真上にあるので、船首の方が近い。
 護衛艦にしても、巡視船にしても、ヘリポートは船尾に置くのが一般的だが、『わだつみ』の場合、船尾には『うりゅう』を吊り上げるための大型クレーンがあり、ヘリポートのスペースが無い。船体中央には、ドリル用の櫓があり、船首よりの右舷には『うりゅう』の緊急脱出球を吊り上げるクレーン、左舷には水中エレベータ、更に両者の中央には船上減圧室を備える。
 ドリル用のパイプストレージや作業スペースも所狭しと配置されているので、ヘリポートは、船橋の上に追いやられた。その結果、ヘリコプターの格納庫は持たない。だから、ヘリコプターは搭載していない。
 『わだつみ』は、洋上の一点に留まり活動する場合が多い。ヘリコプターは、陸から飛び立ち、『わだつみ』に人員を運び、帰りには交替した人員を連れて帰る。物資を輸送する場合もあるが、医療品や薬品、試料等の軽量で急を要するものに限られる。他は、小型の補給船をチャーターして運ぶ。
 だから、ヘリコプターの使用頻度は低く、ヘリが飛び立ってから『わだつみ』に到着するまでの時間もあるので、マウンドは出しっぱなしだ。
 甲板手の一人を相手にキャッチボールを始めた。硬球は、少し重く感じる。ゆっくりと肩慣らしを始めた。
 『わだつみ』は、停泊していた。
 本来の姿だと言ってしまえば、その通りなのだが、技術者も科学者も下船させていたので、実質は何もできなかった。どこから監視されているのか、分からないので、水質調査をしているフリはしている。その役割は、海保の水路部出身の乗組員が果たしていた。
 肩も温もってきたので、キャッチャーを座らせた。
 南か、少し東寄りと思われる風が心地良い。
 『わだつみ』は、船首を波に立てているので、風は、榎本の右後ろから吹いてくる。サイドスローから繰り出す球筋を、ナチュラルシュートさせずに、キャッチャーミットまで真っ直ぐに走らせる。
 五十球ほど投げて、お仕舞いにした。クールダウンを兼ねて、軽いキャッチボールをした後、キャッチャーを務めてくれた甲板手にボールを手渡した。
「船長、オカは大変なことになっていますね」
「大丈夫よ。TVもラジオも、放送を続けているから」
 随分酷い言い方をしてしまったなと、言った後で後悔した。
 遠くに、能登半島が望める。
 この辺りの海流は、能登半島の影響を受けて変化する。その結果、漁獲だけでなく、気候にも大きな影響を与える。
 一昨夜まで見えていた能登半島の街明かりが、昨夜はほとんど見えなくなった。
 二日前から始まった大規模な停電が、夜間の灯火にも影響するようになったということなのだろうか。
 大規模な火力発電所の多くが、原因不明の停止を余儀なくされている。その現象は、日本に限らず、世界中で発生していた。そのお陰で、辛うじて戦争を回避する理性的判断を維持させているように、榎本には思えた。
 もし、限定された地域で発生していれば、発生していない地域や、イデオロギーが異なる地域に対して、破壊工作や謀略であると考え、戦争に発展した可能性がある。
 今回の事件は、石油があっても、それを使用できない状況を生み出した。最大の打撃は、電力だ。電力の決定的な不足は、産業を麻痺させ、家庭でも生活を狂わせた。
 日本では、化石燃料で発電される割合は、およそ五十%だ。電力量でみると、火力発電所の七割以上が停止してしまった。盛夏の今、電力会社が夏季対策期間と位置づける、電力需要が厳しい期間の中にあった。その中で、最大発電力の三分の一を削がれては、一溜まりもなかった。
 政府も、緊急電力使用削減令を出して、電力消費の削減を呼び掛けている。そのお陰で、今日は停電にはなっていない。
 昨日は、関東地方で最高気温が三十五度を超えた。停電は、三十三度に届いた昼前に、東京都心を中心に起こった。一度復旧したが、午後一時過ぎに再び停電になった。午後の停電は、北海道を除く全国で発生した。もっとも深刻だったのは沖縄で、深夜まで停電が続いた。
「ニュースが届くのは、情報が入るだけ安心できますね」
「そうだね。君は、今回の事件の目的は、何だと思うかな」
 榎本は、心に引っかかっていた事を口にした。
「つまり、どこの国が、この事件を起こしたかって事ですか?」
「違う。どこの国かが問題ではない。何を目的にしているかだ」
「今回の事件で被害が無いか、少なかった国が、先進国を崩して勢力を拡大しようとしているとしか、私には分かりません」
 ニュースでも、その観点でしか、論じられていない。犯人さえ見つければ、全てが解決するようなコメントばかりなのだ。
「そうか」
 生返事を返しながら、状況を思い返した。
「今回の事件は、二酸化炭素の排出量を抑えるために実行されたとは思わないか?」
「火力発電所は止まったけれど、原子力発電所は止まらなかったからですか?」
「火力発電所だけじゃなく、溶鉱炉や石油精製施設も、攻撃目標になっている」
「でも、誰がそんなことをするんですか?」
「それは、問題じゃない。この事件の解決の糸口は、二酸化炭素の排出量を減らす努力だ」
「そんなことを言われても、この船だって、二酸化炭素をジャカスカ出すじゃないですか」
「そうだな」
 いずれ、この船も攻撃目標になるのだろうか。
「船長は、この事件の犯人と言うか、謀略をめぐらせている国は、どこだと思いますか?」
「推理小説と同じなら、犯人探しは、一番得をする人物となるわけだが、誰が得をしていると思う?」
「被害が無かった国を調べれば、直ぐに分かりますよ。たぶん、アラブのどこかじゃないですか」
「そうかな。アラブなら、西側諸国以外はターゲットにならない。ロシアや中国、インドまでターゲットにする余力はない。これだけ大規模な事件を起こすには、先進国の技術と国力が必要だが、先進国で被害を免れた国はない。じゃあ、誰が得する?」
「先進国で一番被害が少なかった国じゃないですか? フランスは、大規模な停電は無かったと、ニュースで聞きました」
「一番得をしたのは、地球上に住む全ての生物のように思えないか。二酸化炭素の排出量が減り、温暖化にブレーキがかかれば、人間を含めた全ての生物が得をする」
「荒唐無稽ですよ。生物が、人間に逆襲しているといっているように聞こえますよ」
「そうだな」
 この返事が、決まり文句のようになってきた。
 荒唐無稽。
 その通りだ。
 だから、犯人探しをすることは、問題解決を遅らせることになるのだ。
 二人して、ヘリポートを下りた。甲板手は、「また、やりましょう」と言って、立ち去った。
 船長室に戻り、事務仕事を終わらせた後、ラジオに耳を済ませた。
 放送を聴くと、アジア諸国の中では、日本はマシな方だった。
 もっとも厳しい状況に追い込まれたのは、インドだった。元々、水力発電に適さない地域であり、原子力発電には力を注いできたが、中国を抜く人口に加え、急激な近代化で一般家庭の電力需要が急増し、電力不足による停電が繰り返されてきた。そこへ、この事件が発生したのだ。
 インドよりマシだとは言え、中国も厳しいことには違いなかった。三峡ダムが完成し、電力の供給不安が一段落したように見えたが、一般家庭の電力消費の増加がそれを上回り、供給不安は解消しなかった。
 これに加え、産業振興のために省エネ技術より生産高に重きを置く政策が災いし、生産高に対する消費エネルギーが大きな体質が、電力不足を解消する上で足枷となっていた。結果、比較的建設が簡単な火力発電所を増やし、化石燃料消費でも米国も超えた。
 この状況で、今回の事件が発生した。
 贅沢を覚え、海外の状況を知る者が増えた世論を押さえきれず、産業用の電力を制限し、一般家庭に多く分配せざるを得なかった。
 他の新興国でも、多かれ少なかれ、インドや中国に似た状況だった。
 ヨーロッパでは、脱石油が叫ばれ続けてきたが、二酸化炭素の排出量自体は、それほど減っていなかった。一つには、温室効果ガス削減に、メタンガスを取り込んでいたからだ。しかも、それを牛の数で計算する政略的な計算が、背景にはあったのだ。産業には極力手を入れず、このような政略で計算をあわせようとしてきたのだ。
 今回の事件では、なぜか、二酸化炭素の排出量が多い工場が狙われていて、石油、石炭、天然ガスなどの原料には影響されていなかった。既に、メタンハイドレードの利用が始まっていたヨーロッパでは、これを燃料にした発電所が、最初に停止を余儀なくされた。
 米国とブラジルは、真っ先に穀物輸出を制限した。目的は、エタノールを増産するための準備だった。
 両国とも、発電量の大半を火力に頼っていた。今回の事件では、最大の被害国と言えるかもしれない。停電は全土に及び、暴動が頻発して、軍隊の出動が要請されたほどだ。特に、ブラジルでは、非常事態宣言が発令されるに至っている。
 この二国は、以前から、温室効果ガス削減をエタノールで実現することを目標に置いていた。それは、僅かな改良で、自動車用エンジンがエタノール対応できるからだった。
 彼らの主張では、エタノールを燃焼した排出される二酸化炭素は、植物が大気から吸収した分だけだから、温室効果ガスの排出量は無しとみなせる。だが、彼らは、二酸化炭素吸収力が大きな密林を切り開いて畑に変えたことによる影響を、無視した。
 どの国も、温室効果ガス削減そのものより、温室効果ガス削減を口実にした国益の確保が本心であることは確かだ。だから、あの手この手で、温室効果ガスを削減できたと公表するのだ。
「鍵は、二酸化炭素の排出量を抑えることなのに」
 どこの誰が起こした事件か分からないが、数百年後には、英雄として評価されるかもしれない。破壊活動には違いないが、目的は間違っていないように思える。
 この状況が続けば、合衆国は、犯人を突き止め、若しくはスケープゴートとしての犯人をでっち上げ、掃討作戦に出る危険性がある。有り余る武力を背景に、力で物事を解決する手段を選ぶ危険性が高い。今回の事件で被害を受けた国は、その行為を評価するだろうが、目的は間違っていると言わざるを得ない。
 何が正義なのか、見極めることが難しくなりそうだ。
 榎本は、大学時代を思い出した。
 六大学野球が好きで、よく見に行っていた。伝統の早慶戦は、両校の関係者の盛り上がりに付いて行けなかった。だから、シーズンで一勝を上げられるかどうかという東大の試合を見ることが多かった。
 二年後輩に当たる村岡の勇姿を見たのは、そんな時だった。
 彼の試合は、歯痒い思いで見ることが多かった。ストレートは、軽く百四十キロ台をマークし、スライダーも切れ味鋭いのだが、コントロールが悪く、カウントを悪くすることが多かった。カウントが悪くなると、彼は球を置きにいく。そこを狙い打たれるのだ。
 ただ一度だけ、コントロールが安定し、素晴らしいピッチングをしたことがある。ストレートで押し捲り、高めの釣球で空振りを取ったり、低目への変化球でかわしたりと、バッターを翻弄した。結果、優勝候補チームを散発の三安打で完封し、その日の胴上げを阻止した。
 彼が本気になった時の凄みを、そのピッチングに見た。そして、憧れの存在になった。
 『うりゅう』のスキッパーが発表になった時、プロフィールに東大出身で野球部に所属していたとあったので、あの村岡だと分かった。十数年ぶりに彼の名前を見て、心が踊った。既に、『わだつみ』の船長として竣工間近の『わだつみ』で訓練に明け暮れていた榎本にとって、いつか『うりゅう』の彼と一緒に仕事がするであろうことが、嬉しかった。
 神宮球場以外に、二人の接点はなかった。
 だから、彼が自分のことを知るはずもなかった。
 ところが、何の縁か、今は、彼からの連絡を待つ身になっている。
 一週間前、彼を『うりゅう』に乗り移らせる際には、会うことも、声を掛けることも許されなかった。
 もし、彼が当初の目的を果たした際には、ミサイル引き上げのために、彼から『わだつみ』に対して、連絡が入るはずだ。その時には、運が良ければ、会話できるかもしれない。
 ただ、そう期待したまま、一週間が過ぎた。別府湾に戻る時間を考慮したタイムテーブルでは、三日後には、壱岐の北の海上で、『うりゅう』に燃料補給を行うことになっている。そうなってしまえば、全てが秘密裏に行われるので、彼と話す機会は先延ばしになるだろう。
 三等航海士のお守りを兼ねたパーゼロ勤務を終え、昼食後の報告会で、各部門からの報告を受けた。
 その報告には、期待した便りはなかった。
 当然なのだが、甘い期待は萎んでいった。
「これで、本日の報告会は終わる。オカでは、騒ぎが大きくなっている。情報統制は行うつもりはない。不安なのは、誰も同じだ。不安が任務に影響しないように、各部門とも、課員の相談に乗るように」
 乗組員を信じるしかない。だが、待ちの現状では、不安が増大しがちだ。
「機関部は、総点検をして、機関の保全に注意すること。甲板部は、内火艇や救命艇などの動力を持つ短艇の総点検をすること。以上」
 榎本は立ち上がった。全員がそれに倣った。
 ヘリポートで話した「二酸化炭素を出すところが狙われている」が気になっていた。念のため、総点検を命じたが、意味があるのか、分からなかった。
 オカも気になるが、主機が止まってしまう不安もあった。

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  19

 ミサイル探査は、海底遺跡から遠ざかるにつれ、何も引っかからなくなった。
 沈黙が支配する海底を、『うりゅう』は存在を消したまま、ゆるゆると航行する。左舷三百メートル先には、C1が同じ方向に航行している。
 緊張の日々が続く。進路を一定に保ち、同じ画像を映し続けるモニターを睨む、単調で、変化がない作業だ。探査範囲が外側に広がっていくに連れ、進路変更の回数が減り、進路変更自体が大きな旋回半径となるため、旋回中を意識する事が無くなってきた。
 一日二回の勤務は、昼夜の区別を曖昧にし、今日が何日かさえ、思い出すのに時間が掛かるようになってきた。
 軍用の潜水艦とは異なり、『うりゅう』には窓が備えられている。だが、日本海の形成の特徴から、深海性の魚介類が少ない。だから、窓に生き物を見つけることも稀だ。二百メートルを超える水深では、海上の光は全く届かない。キールから海底まで二十メートルの余裕を確保して航行しているので、外側の照明を消している状態では、海底を見ることもできない。
 暗黒星雲の中を漂う宇宙船のようなものだ。
「公的機関によるシージャック」
 井本が『うりゅう』に乗り込んできた時、村岡は彼女らの行為をそう表現した。
 シージャックを受難し、命じられるままに操船するのは、同じ操船でも通常より疲れるものだ。
 銃を向けられているわけではないが、強いられる行動は、疲れを倍化させる。
 そんな中での海底遺跡の発見は、シージャックからの脱出のチャンスに見えた。乗組員たちに精気が戻り、短時間の内に高い密度の調査を消化した。それを武器に変えられると、大いに期待した。
 しかし、現実は違った。
 スキッパーである村岡が、反逆の狼煙を上げなかったのだ。
 乗組員たちを、失望と諦めが支配してしまった。
 村岡は、責任を感じていた。
 この捜索行は、『うりゅう』乗組員共通の利益に繋がる。
 実は、シージャック犯から逃れるのは簡単なのだ。浮上しても良し。アクティブソナーを発信しても良し。ただ、自分たちの今後の経歴を考えると、これらは自殺行為なのだ。
 乗組員たちにも、それは理解できている。
 だから、彼らも文句を言わずに従ってくれている。
 でも、自分の意思、自分の感情とは違うことを、自分自身に強いることは、容易ではない。
 海上とは違い、高い水圧がかかる環境下での潜水航行は、常に命の危険に晒されている。一瞬の油断や判断ミスが、即、命を奪う。
 海底遺跡の発見に繋がったあの事故も、九名の命が失われていた可能性があり、その事を全ての乗組員が分かっていた。彼らは、必死にモチベーションを維持しようと努力はしている。
 一方で、大見得切って別府湾調査を始めた。取材にも答えた。それだけに、手ぶらでは浮上できない。一日でも早く別府湾に戻り、調査の実績を残したい。
 そんな焦りも、村岡を含めた七名は抱えていた。
 公式の航海日誌には記載できないが、個人的な日誌には、この状況を記録し、暗号化していた。
 時計を見ると、午後十一時五十五分だった。
 村岡は、スキッパー室を出ると、右舷指揮所に向かった。
 鮎田から引き継ぎ、ミサイル捜索を継続した。
 捜索が長引くという事は、推定着水地点から離れていく事を意味する。それだけ、発見の可能性が低くなるということだ。
 今の捜索方法は、精度が高いとは言えない。一回の探査範囲は、当初の方法に比べれば十倍以上もあるが、見落とす危険性もある。
 村岡自身も、その不安に苛まれていた。
 何も起きない四時間が、不安を増大させた。
「スキッパーはネンネの時間だよ」
 交代のため、小和田が来ていた。左舷の指揮所には、浦橋が待機しているはずだ。
 制御権を左舷の浦橋に譲り、早速ソナーを見つめる小和田の脇から覗き込む。その映像には、何も映っていない。
 左上には、時刻と経緯度が表示されている。画面は、ゆっくりと上から下に流れている。ただ、画面の全てがホワイトノイズに覆われているので、流れは見えにくい。僅かな凹凸で、ノイズのような画像にも乱れがあるが、それを見分けるのは難しい。
 魚塚は、一定以上のエコーにマークを付ける改良をしたのだが、見落としを防ぐために、小さめのエコーにもマークを付けたために、大量にマークが付いてしまい、ほとんど進めなくなった。その上、細長いエコーにはマークが付かない問題も見つかり、このマークは、魚塚の当直時間帯だけでやめることになった。
 原始的とも言えるこのやり方は、個人の能力に左右される。それだけに、小和田一人に責任を押し付けたくなかった。
 進路とキール下の水深をチェックしながら、できる限りソナーの映像を覗き込んだ。
「スキッパー」
 急に、顔を上げた小和田と、唇が触れそうになった。
「おいら、そんな趣味はないぜ」
 村岡も、慌てて顔を引いた。
「心配するな。俺にその趣味があったとしても、お前は願い下げだ。それよりどうかしたのか?」
「女なら、おいらをほっとかないぜ。まあ、おいらに興味がないなら、そんな趣味はないってことだな」
「軽口ばかり叩いてないで、何が言いたいのか、早くしろ」
 ソナー画面に向き直った。
「このエコーが気にならないですか?」
「ちょっと待ってろ」
 村岡は、両舷停止と、C1の減速を端末から入力した。『うりゅう』は質量が大きいので直ぐには停止しないが、C1は簡単に速度が落ちる。C1は何段階かに分けて停止させる必要がある。
 見落としを防ぐための時間的余裕を得るために、この処置をした。
 一通りの処置を行い、『うりゅう』がほぼ停船したところで、改めてソナー画面に見入った。
 小和田が指差す場所は、左舷側の一番端にあった。
「動いていないから分かりにくいけど、この部分に『く』の字のエコーがあるでしょう」
 言われてみれば、それらしきエコーがある。しかし、分かりにくい。
「『く』の字のエコーは、不自然ですよね。確認してみる必要は、あると思いませんか?」
 少し考え込んだ。エコーの大きさから、それほど大きな物体ではなさそうなのだ。小和田が主張する不自然さは気になるが、微妙な大きさのエコーだった。
 考えあぐねていると、松井がやってきた。
「停船したようだが、理由は?」
 例によって高圧的だ。
 深夜の四時過ぎなのに、停船には敏感に反応する。海自の潜水艦で、高い地位での経験が長いのかもしてない。
 ただ、彼の出現によって、村岡の迷いは飛んだ。
「不自然なエコーを発見した。これから、D1を出す」
 位置的には、C1の直下で検出したのだが、慣性で通り過ぎている。D1で確認する方が、早いと感じた。
 深夜なので気が引けたが、全員の招集を掛けた。
「浦橋さん、私が当直を変わるので、D1で対象物の確認をしてもらいたいのですが」
「位置を教えてください」
 経緯度を浦橋に伝え、松井と一緒にD1に乗せた。
 浦橋たちが戻ってくるまでの三十分間は、言い訳を考える時間になった。井本は、小和田に詳しい説明を求めた。それが、村岡にはプレッシャーになった。
 三十分後、浦橋より早く、松井が指揮所に戻ってきた。
「発見しました。ミサイルのエンジン部分です」
 一瞬にして、指揮所は色めきたった。
「間違いないの?」
「間違いありません。浦橋さんが、映像を転送したはずです」
「映像を出してちょうだい」
 井本は、鮎田に命じた。
 鮎田は、浦橋が転送した画像を呼び出し、再生を始めた。
 松井の指示で早送りをして、問題の映像になった。
 映像が始まると同時に、金属製の物体が見えてきた。極最近、この場所に落ちてきたことは、金属が輝きを失っていないこと、貝等の生物が全く付着していないこと、マリンスノーを一切被っていない事などで分かる。
 カメラは、この物体に興味を持っていることが、常にフレームの中央に捉えていることで分かる。
 カメラアングルの変化で、エコーに『く』の字に映った理由も明らかになった。
 ミサイルの残骸は、エンジン部分の内、ノズル部分の直ぐ上で、胴体が激しく凹んで折れ曲がっていた。
 固体燃料エンジンと思われる部分の上部は、引きちぎられたようになっていて、迎撃ミサイルとの衝突の激しさが生々しく感じられた。
「ミサイルの回収を行う」
 ミサイルを『わだつみ』に渡す場所は、発見地点から離れた海域とされていた。おそらく、『わだつみ』の行動からミサイルの発見地点を推測できないようにするためなのだろう。
「これより、『うりゅう』はミサイルに近付く。回収作業は、D1、F1、G1の連携で行う。対象物が大きいので、通常のバスケットは使わない。カーゴネットをギアに取り付けて、それに対象物を移す」
 村岡は、運搬準備を命じた。
 松井が、それに被せてきた。
「周辺海域の探査が必要だ。D1で螺旋探査を行う。探査範囲は、半径一海里、螺旋の間隔は十メートルだ」
 松井の独断専行の命令は、思い付きだ。『うりゅう』に慣れていない。
「馬鹿馬鹿しい。D1での実質探査期間が五日になってしまう。充電時間を含めれば、二週間以上もかかる。現実的じゃない。議論しても、時間の無駄だ。鮎田、『うりゅう』をミサイル発見地点に移動させろ。C1との距離には注意しろ」
 C1は、事故以来、収納不可能になっていた。
「村岡さん、あなたの越権行為には辟易しているんですよ。作戦指揮権は、我々にあるんです。ミサイルの一部が見つかった以上、周辺を隈なく捜索するのが常道だということも分からないのですか」
「迎撃ミサイルによる撃墜の場合、単独の墜落と違い、大気圏外で破壊される。当然、破片は広範囲に飛散する。ミサイルの後部がここにあるからといって、他の部分も直ぐ近くにあると考えるのは、素人考えだ」
「あなたは、私の命令に従えばいいんです」
「こちらのアドバイスにも耳を傾けないなら、こちらも協力はしない。最大限の協力をしてきたが、それを評価しないなら、この瞬間から協力関係は破棄する。防衛省の命令は聞かない。本来の文科省の指揮下に戻る。以上だ」
「つまり、私に命令しろというのね」
 それまでは、指揮所の隅でミサイルの映像に見入っていたはずの井本が立ち上がった。
「命令します。第一に、このミサイル残骸の回収をしなさい。第二に、周辺海域についてミサイルの残骸が他にないか、調査を命じます」
 松井は、ざま見ろとでも言いたい顔をしている。
「交渉相手が、こちらに移ったわけだ。さてと、ミサイルの回収は、OKだ。こちらに任せてほしい。周辺の調査方法だが、ミサイルの胴体が引きちぎられているが、ミサイル上部は、弾道軌道上で引きちぎられた可能性が高い。おそらく、推定着水地点とはかなり離れたところに落ちているだろう。捜索地点は、出直して考えることを勧める」
「ミサイルの制御部分が近くに落ちている可能性があります。それも、小さな部品になって。それは、通常の捜索では見つかりにくいわ。だから、目視で探すべきと思うのですが、いかが?」
「そこまで、周辺海域に拘るなら、無駄を承知で承諾しよう。ただし、回収作業に影響が出ないように、探査範囲は、半径四百メートルに限定したい。これなら、D1の一回の出動で探査できる」
「納得できる理由ね。お任せするわ」
 松井は、目を剥いた。
「我々との事前協議を思い出していただきたい。この作戦では、弾頭の発見を第一に、第二に制御部の発見を目的としていたはずです。見つかったのは、ミサイルの後ろ半分、つまりエンジン部分です。作戦の目的は、達せられていない」
「事前協議では、隠密行動と秘密保持についても、話題に上がっていたわ。その時、わたしは、『うりゅう』と『わだつみ』の両船乗組員に秘密保持をさせるのは困難だと言った事を、覚えているかしら。あなたが、当初の目的だけを追求していると、『うりゅう』乗組員の反感を買い、それだけ秘密保持が難しくなるのよ」
「『わだつみ』乗組員の内、海自からの出向組以外は、本件に触れられないようにしてある。秘密保持は、問題ない。『うりゅう』は当初の予定とは違ってしまったが、幸い人数が少ないので、守秘義務を監視すればいい」
「松井さん、分かってないね。瓜生と小和田は公務員じゃないよ。公務員の守秘義務は、関係が無い。それに、ぎりぎりまでミサイル捜索をさせられたら、俺たちの面目は丸つぶれさ。別府湾に潜っていながら、手ぶらで浮上したんじゃあ、格好がつかないよ。報道陣に叩かれたとき、自分たちの責任じゃないことを背負わされることに納得できなくなるかもね」
「心配するな。別府湾では、自衛隊のスキューバチームが、遺物集めをしている。手ぶらにはさせないよ。それより、守秘義務を守らないと、『うりゅう』には二度と乗れなくなるぞ」
「お生憎様。おいら、『うりゅう』で油田調査をさせられるくらいなら、今回の件を公表して、印税生活を選ぶね。この先も、『うりゅう』で未発見の海底遺跡が見られるなら、流石にそっちを選ぶけどね。今回の件の暴露は、金にはなるけど、後世においらの名前が残らない。だけど、未発見の海底遺跡の写真を取れば、少なくとも撮影者の欄には、おいらの名前が残る」
「言い忘れてたわ。文科省は、『うりゅう』の運用費用を国交省に分担してもらう予定だったけど、それができなくなりそうなの。理由は、想像にお任せするけど」
 井本は、皮肉たっぷりに言った。大分での村岡の発言を責めているのだ。だが、ここでの重要性は低い。焦点は・・・
「松井さん。権限を振り回すのは、やめようよ。目的を何も果たせなくなるよ」
 松井は、荒い息を繰り返していた。徐々に呼吸が落ち着いてくると、一言言った。
「発見部分に制御装置が含まれている場合、当初目標を達成したものとみなす」
 村岡は、松井を少し見直した。これまで、一度も譲歩しなかった松井が、初めて譲歩した。
 松井は、井本に声を掛け、連れ立って部屋に戻っていった。
「G1で、破片を精査する。目的は、放射線の計測と制御部分の有無だ。制御部分が見つかった場合、分離し、バスケットに保管する」
 バスケットとは、海底で採取したものを一時的に保管する網状の入れ物だ。カーゴネットと違い、網目が細かいので、小さなものも落とす心配がない。
 放射線は、多少強くても海水を一メートルも透過しない。だが、この先には引き揚げ作業もある。充分に防護できる間に調べておくべきだ。
 村岡は、瓜生をG1に乗せた。制御装置の発見後は、ミサイル本体の回収作業もある。瓜生は、G1を我が身のように操ることができる。細かな作業も、重量物の運搬もこなす必要があるので、この役割は瓜生以外は考えられない。鮎田には、その瓜生のバックアップを任せた。
 D1には、浦橋と江坂を回した。浦橋は、D1の操縦に長けている。江坂は、マジックハンドの操作に慣れている。二人には、ミサイルを乗せるネットを、『うりゅう』のギアに取り付ける作業をやらせた。
 小和田には、F1を任せた。ミサイルをネットに乗せる役割だ。
 魚塚は、ミサイルの制御装置を見極める役割と、ミサイル全体の回収の指示を担う。
 間もなく、G1がF1との回線を開いた。G1には、F1と接続するための有線の回線を備えている。細い光ファイバーで、本来は、G1からF1を操縦するためのものだが、有線で『うりゅう』と繋がっているF1を介して、G1と『うりゅう』も映像回線を開くこともできる。
 瓜生が乗るG1のカメラが、ミサイルを映し出した。G1は、最短コースで、ミサイルの引きちぎられた部分に近付いていく。
 映像は、ミサイルの引きちぎられた場所を拡大していくが、ミサイル外筒がくの字に折れていて、中が見えにくい。
 瓜生は、F1からファイバースコープを引き出した。その先端を、ミサイルの破断面の隙間から中に差し込んだ。
 魚塚は、F1のファイバースコープの映像を隣の端末に呼び出した。
 平坦な金属板が見えた。
 G1でも、ヘルメット内のモニターを見ながらファイバースコープを操作しているらしく、ゆっくりと周囲を探っている。
「間違いないですね。制御装置です。正面が、アクチュエータの電源ユニット。その横が、リレー関係のユニットだと思います。アクチュエータ自体は、ノズルに近い部分にあるはずです。最初に見えたのが、制御部でしょう。軌道要素とかは、ここに入っているはずです」
「無理矢理、これを取り出さないほうがいいと思う」
 瓜生は、制御部の状況から、そう判断したらしい。
「放射線は検出レベル外」
 弾頭は、大気圏再突入前に切り離せるように、ミサイルの先端に近い部分にあるはずだ。仮に、核弾頭でも、エンジン回りには放射性物質が付着している可能性は低い。それが確認できた。
「OK。そのまま、積み込もう」
 村岡も、瓜生の意見を尊重した。映像を見ていた松井と井本も、納得したようだった。
 判断を伝えると、村岡は、自室に籠った。村岡には、アイデアがあったが、それを井本らに見られたくなかった。
 瓜生、小和田、それに魚塚は、一時間以上も掛けて、ミサイルをネットに、そして『うりゅう』のギアに固定した。

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  18

 昨日は、発電所の停止がニュースに流れる程度で終わっていたが、今朝は、日本中で大変な騒ぎになった。
 『うりゅう』の最後の寄港地だった大分の製鉄所で、二基ある溶鉱炉の内、二号炉が止まったのだ。停止の原因は、溶鉱炉内の酸素の吹き込み口が目詰まりしたためだった。
 溶鉱炉は、一度温度が下がってしまうと、内部の銑鉄が固まってしまい、修理さえ効かなくなる。取り壊すしかないのだが、取り壊すこと自体が非常に難しい。
 やむを得ず、全ての銑鉄を捨てる覚悟、一気に取り出していった。その後も大変で、比重が軽い不純物取り除く際に、できる限り鉄も取り除く一方、トピードカーで溶鉱炉から抜いた銑鉄を転炉に運び出した。
 トピードカーで取り出した鉄は、転炉に持っていくしかなく、その後の工程も、連続鋳造ラインに流して、スラブにするまで、抜け道が無い。溶鉱炉にあった時間が短いため、鉄の還元が進んでいない上に、コークスの残りが大量にあり、転炉から連続鋳造ラインで、通常とは比べ物にならない一酸化炭素が発生した。
 従業員の一人に一酸化炭素中毒が発生したが、大事には至らなかったのは、不幸中の幸いだった。
 昼前になると、福島や川崎で、火力発電所が停止し、一部で停電が発生して、操業中止に追い込まれてる工場も出た。
 午後になると、韓国で一箇所、中国でも数箇所の火力発電所と製鉄所が、日本で起こったのとそっくりの現象で、運転が止まった。
 韓国では、ソウル市内が大規模な停電となった。
 中国は、大規模な停電が引き金になり、暴動が発生した。中国政府は、発電所や溶鉱炉の停止は、テロの疑いがあるとして、最初の発生国である日本に捜査協力を要求してきた。
 社会インフラの強化を手抜きし、産業優先の政策を採ってきたため、停止した発電機の電力は、前日の日本での発電所事故より小さいのに、停電規模は非常に大きく、湖北省の三分の二にも及んだ。
 製鉄所でも、一酸化炭素中毒による死者は多数出たようだが、報道管制なのか、正確な情報は日本に伝わってこなかった。

 それ以上の事件が、浅村の研究室で発生した。
 氷床から取り出していたマイクロマシンが、一時的に行方不明になっていたのだ。
 マイクロマシンは、透明なプラスチックケースの中に敷いた綿の上に置いていた。そのプラスチックケースから、マイクロマシンが消えていたのだ。
 プラスチックケースを保管していた資料棚を取り出してみたら、プラスチックケースの底に穴が開いていた。
 慌てて調べたら、プラスチックケースを重ねて置いていたガラスの資料ビンの蓋を貫通し、資料ビンの底に落ちていた。
 拡大鏡でマイクロマシンの様子を見たところ、回転していることが分かった。どうやら、自分自身を回転させて、ドリルのように動いているらしい。
 マイクロマシンにとって予想外だったのは、思いの外、ガラスが硬かったことだろう。ガラス瓶の底は、傷も入っていなかった。
 マイクロマシンを直接触れるのは、危険だと考えた浅村は、大小様々な大きさのガラス瓶を集めてきた。そして、ガラス瓶の中にガラス瓶を入れて、特製のマイクロマシン収納箱を用意した。
 そして、今のガラス瓶の底で回転しているマイクロマシンを、慎重に新しい収納ビンに移し変えた。
 この作業を終えて、もう一度、新木に電話した。
 今回は、なかなか電話に出てくれなかった。前日は早かっただけに、この遅さにイラつきを覚えた。
「すまない。電話が見つからなかったんだ」
 彼の研究室の様子が目に浮かぶ。
「電話に出てくれる前に、電池切れになるかと思ったよ」
 このくらいの皮肉を言わないと、気が済まなかった。
 この停電が、マイクロマシンによるものだとは、まだ新木には伝えていない。それ以上に、新木が言い掛けた事が気になっていた。
「明日は、こっちに来れそうか?」
「今以上に、発電所が止まらなかったらな」
 不気味な予言をしてくれる。
「大停電で、電車が走らないってことかい?」
「君だって、そう思ったから、こうして電話してきたんだろう?」
 恐ろしい予想が、二人の間で一致した。
「でも、どうして今以上に発電所が止まると、君は思うのかい?」
「僕には、君がそう考える理由の方が、不思議でならないよ」
「説得力に欠けるかい?」
「マイクロマシンが動いていなければね」
 彼の洞察力には、驚かされる。
「その通り。マイクロマシンが動いたんだよ」
「どんな風に動いたんだい?」
「その前に、君の解析結果を聞かせてくれないか」
「すまない。まだ、解析が終わっていないんだ。マイクロマシンがどう動いたかが分かれば、解析が進むんだよ」
「え? 君の方も、マイクロマシンに関係するのかい?」
「一言で言えば、マイクロマシンの親玉の声を聞いた・・・というところだな」
「声? ニュートリノと関係あるのか?」
「いい勘をしているね」
 珍しく、褒めてくれた。
「分かった。マイクロマシンの動きを説明する。マイクロマシンは、自ら回転してプラスチックの資料ケースに穴を開け、移動しようとしていた」
「外観上の変化は? 足が出たとか」
「無い。今は・・・かもしれないが」
 新木は、何も言わなかった。
「これは推論だが、火力発電所の集塵装置の故障は、マイクロマシンが入り込んで、目詰まりを起こさせたんだと思う。今日の製鉄所の溶鉱炉は、原因が分からないが、マイクロマシンが関係しているような気がするんだ」
「先を焦るな」
「何か、知っているのか?」
「知っているのではない。ただ、あることに気付いて解析を試みていたんだけど、結果が出る前に、状況が変化してしまった。その直後に、今回の事件さ。君は、今回の事件を、どう考える?」
「誰かが、マイクロマシンを使って破壊活動を始めた。そう言いたいんだろう?」
「近いかな。でもね、マイクロマシンを誰が操っているにしろ、何を目的にしているか、考える必要がある。君なら、目的をどう考える?」
「破壊活動しか思いつかない。ただ、何のための破壊活動か、君に聞かれるなら、分からないと答えるしかない」
「攻撃目標は、今のところ、火力発電所と溶鉱炉だけだ。この二つの共通点は何か。僕は二酸化炭素だと考えたんだよ」
「CO2?」
「温室効果ガスだ。温室効果ガスの削減を狙った攻撃だと思うんだ」
「荒唐無稽だ」
「八十万年前のマイクロマシンの方が、よほど荒唐無稽だとは思わないかい?」
 何も言い返せなかった。
「後は、証明の方法だけど、二つある。一つは、今やっている解析を完成させることだ」
「もう一つは、次のターゲットが、温室効果ガスを大量に出す施設かどうかだ」
「その通り」
 新木は、他人事のように肯定した。何が標的にされるにしても、社会的な影響は大きいだろう。それも、身近なもののような気がした。とても、他人事では済まされないような・・・
「その前に、今回の事件を引き起こしたのがマイクロマシンなのか、確認する必要がある。もう一つ、マイクロマシンは、どうやって指令を受けているかだ」
「調べる方法が無いかな?」
「前者は、事故調査団に紛れ込むしかないだろう。これは、無理だ。後者は、僕がマイクロマシンの実物を君のところに持っていけば、糸口が見つかるかもしれない」
「今から、何かの口実で、動くことはできないかな?」
「古くからの手段を使うしかないだろう」
「古い手?」
「ああ、俺の親族の誰かに死んでもらうんだよ」
「本当に殺すのか?」
「おいおい、俺は殺人鬼じゃないよ。死んだことにして、忌引きを取るんだよ」
「びっくりさせないでくれよ」
 普通、こんなことで、本当に人殺しをすると思う方が、異常だよ。
 そうは思ったが、口にはしなかった。
「今から来るのか?」
「早い方がいい」
「だったら、飛行機は使うな」
 そうか。
 大量の燃料が使われるのは、飛行機も当てはまる。もし、マイクロマシンが飛行機を標的にしたなら、多くの人命が奪われてしまう。
 でも、現時点でそれを航空会社に伝えても、営業妨害で逮捕される。事故後に言い出したなら、殺人犯だろう。
 歯痒いが、事実と推論を整理した後で、証拠と一緒にぶつけるしかない。
「分かった。新幹線にするよ」
 電話を切った後、誰に死んでもらうか、ちょっと頭を悩ました。結局、母方の祖母が危篤になったことに決めた。彼女は、九十歳を過ぎているが、矍鑠としている。四国で伯父夫婦と同居しているが、古希を迎えたばかりの伯父より元気なくらいだ
 でも、年齢的には、急変してもおかしくない。彼女には悪いが、表向きは危篤になってもらうことにした。
 下手な嘘で強引に取った休暇だから、ばれたかもしれない。
 まあいいさ。
 新木は、何かを掴んでいるようだ。それを知るために、マイクロマシンを隠し持って、極地研究所を出た。

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  17

 『うりゅう』は、海底遺跡を跨ぎ越し、通常のミサイル捜索体制に戻っていた。艇内の勤務体制も、通常の態勢に戻し、村岡は自室に引いた。
 後ろ手でドアを閉めた時、村岡は海上の様子を思い描いた。
 水深二百メートルを超える大和堆では、波浪は全く分からない。海上の天候はもちろん、昼なのか、夜なのかさえ、時計を見ない限り分からない。四時間毎の三交替勤務を続けていると、今が午前だろうが、午後だろうが、どうでもよくなってくる。
 余りの仕事量に忙殺され、海上のことまで気が回らない。
 でも、一つだけ希望がかなうなら、日の光を浴びられる広い場所に出て、思い切り体を動かしたい。
 そうだな。キャッチボールができれば、充分だ。
 『わだつみ』なら、日本海の真ん中で、上手い空気を吸いながら、甲板に設けられたジョギング用周回路を走ることもできる。
 今回のミサイル捜索を『わだつみ』の船長として実行しなくてはならなくなったら、どんな感じだろう。
 じれったいだろうか。
 『わだつみ』なら、ミサイルを生で見ることはできない。アクティブソナーで広域を探査するにしても、メインは、無人の探査装置を海底まで降ろして、それを引きずり回しながらの捜索になる。
 乗組員の数には余裕があるが、ミサイルの引き上げが始まらない限り、手が空いている者が多いはずだ。
 昼間は海鳥と戯れ、夜は星空を楽しむ。
 そんな優雅な生活をしている連中が居ると思うと、羨ましくてたまらない。
 こちらは、僅か六名の乗組員と、一名の研究員で航海を続けている。たった七名を苛めるために、二名も煩いのが乗り込んできているからたまらない。
 別府湾に戻っても、帳尻を合わせるべく、徹夜同然で調査を行う羽目になるだろう。無事に浮上した際には、全員に充分な休息を与えられるようにしてやろう。
 その前に、今の状況の中で、みんなの負荷状態を僅かずつでも軽減してやらなければならない。
 ミサイル捜索を再開した時、交代勤務は村岡の担当時間だったが、直ぐに浦橋の担当時間に切り替わった。この時間が短すぎたので、自分の担当時間を三十分延長し、浦橋に食事ができる時間を与えた。
 この航海は、浦橋にとって非情な時間の連続になっているのかなと、同情してしまう。
 『うりゅう』に乗りたい気持ちは、村岡に負けないほど強かった。だから、確実に乗れる副官の地位を選んだのだ。
 そこに、古巣の防衛省からミサイル捜索を依頼されたのだ。
 重心が防衛省へ偏っている浅海が乗り込んでいた二日間に、浦橋は散々吹き込まれていたことは、想像に難くない。浅海が秘密を打ち明けられる『うりゅう』内の唯一の乗組員が、浦橋だ。井本や松井が乗り込んできた時、おそらく松井からも念押しされただろう。
 井本は、手土産を用意している可能性がある。彼への唯一の手土産は、『うりゅう』のスキッパーの地位しかありえない。
「どうやら、俺の首は、風前の灯らしい」
 浦橋がどんな気持ちでいるのか、考えてやらないといけない。
 誰かがドアをノックした。
「どうぞ」
「失礼します」と言って入ってきたのは、魚塚だった。
「どうしたんだ?」
「もう一度、あの遺跡を調査してみたいんです」
 やはり、そのことかと、村岡は思った。
「これを見てください」と言って、USBメモリを差し出した。
「サーバーに入れておくと、ミサイル捜索が終わったときに消される心配があるので、これに入れています」
 受け取ったUSBをタブレットに挿した。
「あの遺跡は、表面を調査しても、何も分からないと思います」
「どうしてだ?」
「地下空洞があるからです」
 遺跡の地下に色々なものが隠されていることは多い。遺跡の多くは、古代の権力者の墓だし、その墓室は、遺跡の地下にある場合も少なくない。
 エジプトのピラミッドは、正八面体ではないかと言われている。地表に見えているのは、上半分だけだというのだ。近年の研究では、未知の空洞も発見されている。
「地下に空洞が見つかったのか?」
 この成果は期待できた。
 元々、ロックエンジニアである魚塚は、最初から遺跡の地下に目を向けていた。だから、F1を持ち出した目的は、F1の底に付いている起震器を使って海底の構造を調べることにあった。
 それが思うような成果を上げられなかったから、岩崩しのような荒業を使うことになったのだ。魚塚にしてみれば、振動の発信源と強さが数値化できる炸薬での起震が望みだっただろうが、窮余の策として岩崩しで代用とした。
「空洞です。それも規模が大きく、おまけに水没していません」
「水没していない?!」
「ええ、水没していません。念のため、データの再確認は行いました」
 村岡は唸った。
「本当に水没していないのか?」
「スキッパーなら、音波が伝わる速さで、空洞が水没しているかどうかが調べられることくらい分かると思っていました」
 水は、空気の五倍近い速さで音を伝える。減衰も小さく、データを見れば見間違う心配は皆無だ。
 にもかかわらず、魚塚に二度も水没していないか確認したのは、何万年のオーダーで空気を維持することの難しさが頭にあったからだ。
 氷河期に、ここが水面に出ていたか、確たる証拠は無いが、遺跡が作られている以上、海面に出ていたと考えるべきだ。周囲を取り巻く堤防が、その証拠と言えなくもない。
 地下空洞の空気は、その時に閉じ込められたものかもしれない。
「空洞空気の成分は、分からないよな」
「残念ながら。ただ、データから読み取れる気圧は高くないようです」
 村岡は、ため息をついた。
「こんなに信じられないことの連続は、生まれて初めてだよ」
「僕もです。日本海の真ん中に海底遺跡があることも、その遺跡の下に空洞があることも、空洞が常圧と思われる空気で満たされていることも、全て夢の中のことのようです。でも、データは真実しか語りません」
 また、誰かがノックした。今度は、魚塚と異なり、ノックが終わると同時に、扉が開いた。
「スキッパー、話があるんだ」
 江坂の声だった。
「先客ですか?」
 先客が誰なのか、顔を覗き込むように入ってきた。そして、魚塚だと分かると、ほっとしたように緊張を解いた。
「用件は?」
「魚塚さんと同じですよ」
「つまり、遺跡の再調査か?」
 江坂は、微笑を浮かべた。
「やっぱり」
「カマを掛けたのか?」と、魚塚は噛み付いた。
「まあいいじゃないですか。あれだけの遺跡を見て、再調査させろと言わない人は、いませんよ」
「一人だけ居るだろ。再調査を言わない奴が」
 魚塚も、納得している。
「浦橋さんのことか。お前たちは気付いていないのか? 彼は、ぎりぎりのところで、俺たちと井本さんたちの間を取り持ったのさ。井本さんらと俺たちが断裂してしまったら、全てが上手く行かなくなる。それを恐れて、憎まれ役になることを覚悟で、両方の間に入ってるんだよ。それも、誰にも言わずにね」
「まさか」
「信じなくても、彼は恨まないよ」
「言い切れるのですか?」
 江坂の突っ込みに、村岡は首をすくめた。
「さあ、江坂さん。本題に入ろうじゃないですか」
「聞いてほしい話は、ちょっと信じがたい内容なんだけど、遺跡内を調査している時に、潮流を感じたんだ」
「こんな深海でか?」
「不思議だろう。G1の足元で舞い上がったマリンスノーが、僕の進行方向について来るんだ」
「後引き流じゃないのか?」
「違うな。後引き流なら、背中側で舞い上がる。僕が経験したのは、足元から前向きに舞い上がるんだ」
「立ち止まったら、どうなったんだ?」
「前側に流れて行ったよ」
 流れがあったことは、確からしい。
「小和田さんも、妙なことに言っていてね。鮎田と一緒に乗っている時に、D1が揺られたんだそうだ」
 D1は、揺れやすい。乗員の体重で浮力を調整するような艇だから、乗員の体重移動が効くのだ。艇体を傾けたいときには、乗組員自身が艇内で体を動かすほどだ。
「鮎田が、ダンスでもしてたんだろ」と魚塚が冗談を言う。
「鮎田と一緒にD1に乗ればわかるが、彼は動かないよ。怖いらしい。わざと揺らすと、血相を変えて怒り出すんだ」
「じゃあ、どうしてD1は揺れたんだよ」
 江坂は、神妙な顔になった。
「熱水源があるらしい」
 村岡は、大和堆の形成を思い出そうとしていたが、魚塚が先に答えた。
「火山性の熱水源は、大和堆にはない。いや、有り得ないんだ」
「水温計の記録は、確認したんだろうな」
「当然ですよ」
 村岡は、サーバーに繋ぎ、D1のデータを集めた。その中には、慣性航法装置の位置情報、時刻、水圧、水温が含まれていた。
 表示された表の上を、視線を滑らせる。
「少し、水温が変化している場所があるな。揺れた場所と一致しているのか?」
「小和田さんの話だと、神殿がありましたよね。あそこの裏辺りだと言っていました」
「だいたい一致するな。何か、目立ったものはあったか?」
「そいつは、浦橋さんに聞いてもらうんですね」
 浦橋は、遺跡上をジグザグに探査しているから、問題の場所にも近付いているはずだ。
 今度は、浦橋が乗った時のデータをかき集めた。
 鮎田たちが乗っていた際に揺れた場所に近い場所で、やはり水温の上昇が見られた。
 普通じゃない。
 大和堆は、海底火山ではない。日本列島がユーラシアプレートと繋がっていた時代の名残なのだ。大陸塊の一部なのだ。
 海底火山のはずがない。
「魚塚。大和堆で、熱源で考えられることは何かあるか?」
「無いです」
「あっさり言ってくれるな」
「スキッパーなら、大和堆の生成過程くらい御存知でしょう。今の時代に、大和堆に熱が残っていたら、修正しないいけない物理定数が、いくつか出てきますよ」
 彼の言うとおりだろう。
 だが、放熱を続けていることも、また事実だ。
「だいたい、あそこの地下は、空洞なんですよ。どうして、熱源になりうるんですか」
「なに、空洞なのか? あの下は!」
「そうさ。完璧に空洞さ」
「どれくらい下に、その空洞は見つかったんだい?」
「直下だ」
「天井の厚さは?」
「まだ、空洞があることしか捕まえていないが、遺跡の直ぐ下に精々、十メートルくらいだろう」
「たったの十メートル?! そんなに薄いのか?」
 村岡も、仰天した。
 世界最長の青函トンネルも、トンネルが走るのは、海底から百メートルも下なのだ。そんな位置にもかかわらず、繰り返し異常出水に見舞われ、建設が長期に渡って中断を余儀なくされたこともあった。
 この海底遺跡は、青函トンネルよりも八十メートルも低い水深二百二十メートルの深さにあるのに、海底の十メートル下には、空洞があるのだ。
 おまけに、海底から熱が立ち上っている。
 どう理解すれば良いのか、村岡にはさっぱりである。
「もう一つ、面白いものを見せよう。これだ」
 江坂は、碑のような石板を見せた。かなりの大きさがあり、ビッシリと文字らしき模様が彫り込まれている。模様がはっきり見えるように、ライティングを調整して複数枚に分けて撮影してあった。
「碑文か? 解読できれば、面白いだろうなれ
 魚塚の言葉に、江坂も頷いた。
「ここで、議論しても、何も解決しない。魚塚は、地下空洞の構造を解析してみてほしい。江坂さんは、熱源を辿ってくれ。それから、石碑の画像を一枚に編集して、送ってくれ。今日のところは、ここで御開きだ。勤務に影響しないように、自室に戻りなさい」
「遺跡の中身は、僕たちが考えますから、スキッパーは、遺跡の調査に戻る口実を考えてください」
「わかったから、出て行きなさい」
 村岡の強い口調に押し出されるように、二人は部屋を出て行った。
 ドアが閉まった時、村岡は呟いた。
「無茶言いやがる」

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  16

 村岡は、不安になった。
 D1の航続時間は、最大で八時間だ。今回の場合、浦橋たちがケーブル調査で使用した後の補給は行っていないし、航路調査のために距離を走っている可能性がある。実質の航続時間は、三時間かそこらだろう。
 確認するため、浦橋をインカムで呼び出した。
「スキッパーの言うとおり、残り三十分から一時間程度の航続距離だと思います」
 浦橋は、村岡の予想を裏打ちした。
 改めて、腕時計に目を落とした。
「D1が、帰還しました」
 端末で外装機器のモニターをしていた魚塚が、報告した。反射的にモニターに目をやった。
 光学式の測位装置が稼動したらしい。この装置で、『うりゅう』とD1の位置決めをして、ハッチを連結する。
 間もなく、コンと音が響き、ハッチが連結されたことが分かった。
 すぐさま、D1用のハッチに向かった。
 村岡が着いた時には、小和田は『うりゅう』の艇内に戻っていた。続いて、鮎田がハッチに顔を出した。
「小和田。江坂さんとどんな相談をしていったか、聞かせろ」
「本人から聞けばいいじゃねえか」
「まだ、戻っていない」
 小和田は、鮎田と目を合わせた。
「何だと! もう酸素の残圧が無いだろう!」
「その通りさ。だから、救出をする必要がある。そのために、どんな計画を立てていたか、君の口から聞きたいんだ」
 肩を竦めた。
「しょうがねえな。計画は簡単さ。俺たちは、遺跡の端まで行った後、遺跡の縁を回って帰ってくるように、江坂の兄ちゃんに言われたのさ。俺にとっても、悪くない提案だ。鮎田にしてみれば、ケーブルを引っ掛ける危険があるか調べられるから、失点を取り返すチャンスになっただろう」
「江坂さんは、周辺を探しているってことだな」
「たぶんな。だけど、分かんないぜ。奴のことだから、ターゲットを見つけたら、ホーミングミサイルみたいにすっ飛んでいくからな」
 確かに、そんな性格だ。だからこそ、危険なのだ。
 極端に興奮状態でなければ、G1の酸素残圧は、残り十五分ほどだ。それを使い果たしても、緊急用ボンベを使えば、十五分だけ呼吸できる。
 G1は、内部の空間は僅かしかない。精々、二、三分で使い果たす。それが尽きれば、命も消える。
 捜索のための時間は、ほとんど残っていない。
「G1の捜索を行う。総員準備に入ってくれ。浦橋さん、聞こえていたら、前部ハッチでD1の整備をやってくれ」
 鮎田は、血相を変えて駆け出した。行き先は、右舷指揮所だ。
 例の事故に端を発しているので、江坂の独断先行であっても、自分の中で許せないのだろう。少しでも、役に立とうと必死なのだ。
 鮎田と入れ替わりに、涼しい顔で浦橋が来た。左舷の指揮所からここまで結構距離があるはずだが、浦橋は歩くのが早い。どうすればこんなに早く移動できるのか教えてほしいくらいだ。
 浦橋は、手順通りに手早く整備を済ませていく。これなら、手順書にある基本整備時間の二時間より遥かに短い時間で整備が終了するだろう。
 鮎田の姿が見えなくなった頃、魚塚からのインカムが鳴った。
「G1、帰還しました。ドッキングモードに入りました」
 インカムを聞いて戻ってきた鮎田は、村岡の顔を見ている。小和田も、ニヤついている。
「聞いての通りだ。G1の捜索は中止」
 ホッとすると同時に、怒りが込み上げてきた。感情を抑えつつ、善後策を考え始めた。
「打ち合わせを行うので、鮎田と小和田は、食堂に来てくれ。魚塚、聞こえてるか?」
「聞こえています」
 インカムから、魚塚の声が跳ね返ってきた。
「江坂さんに、直ぐに食堂に来るように伝えてくれ。直ぐに来ないと、『うりゅう』から降ろすと伝えてくれ」
「了解しました」
 G1がドッキングを完了すると、G1内にもインカムが通じるようになる。ただ、ドッキングが終わったことを知るには、『うりゅう』の監視システムを端末に呼び出す必要がある。この状況では、魚塚か、浦橋が適任だが、浦橋は端末を離れることになるので、魚塚に依頼した。
 鮎田も、小和田も、自室に戻ってパソコンを持ってきた。村岡は、江坂の部屋にも寄って、彼のパソコンを持ってきた。
 江坂が、不満そうな顔で入ってきたところで、打ち合わせを始めた。
「江坂さん、資料を整理したいでしょうが、我慢してください」
 納得いかない様子だったが、魚塚から伝言を聞いたのだろう。『うりゅう』を降ろされたくないのは当然で、しぶしぶ席に着いた。
 テーブルには、付近の海図を広げた。
「まず、鮎田から、この遺跡の全体の大きさを聞かせてもらおう」
「分かりました。この遺跡は、自然にできたものではなく、人工のものでした。『うりゅう』の進行方向には、およそ百メートルほどの距離です。それが、遺跡の北東縁にあたります」
 海図の上に、フリーハンドで遺跡の縁を書き始めた。
「実は、遺跡の境界線は、はっきりしています。この遺跡は、周囲を堤防で囲まれていました。そこが、境界線と見て言いと思います」
「私の立場では、境界線は、もっと外側になる。周囲を堤防で囲まれているのなら、堤防の材料をどこから調達し、そうやって運んだかは、周囲数キロに渡って調査すべきだ」
「江坂さん、遺跡調査の会議ではありません。ミサイル捜索を如何に早く終わらせるかを相談する場です。その点を念頭に置いてください」
「これほどの遺跡だ。しかも、こんな深さに見つかった例は、世界中探したって、ありはしない。こんなところでミサイル探しをして、人殺し予備軍がドンパチの材料にするより、知識と過去の経験を学び取ることの方が、人類全体の利益になる。ミサイル調査は即刻中止して、遺跡調査をするくらいの勇気がほしいね」
「言わんとすることは分かったが、ここはミサイルに専念するんだ」
「ミサイルなんか、公然と探したって、なんの問題もありませんよ。どうせ、どこかで公表するんだから、大っぴらに捜索しても、何が問題になるんですか」
「江坂さん。聞いてください。今回のミサイル捜索は、最後まで『うりゅう』を使ったことは隠されます。ミサイルを発見したことを公表することがあっても、それは、掃海艇か『わだつみ』が発見したことにして、『うりゅう』は別府湾の底に居たことで押し通します。文科省の船を国民まで欺いて軍事目的に使用したことになれば、文科省の大臣や事務次官の首が飛ぶほどの問題に発展するからです。
 今回のミサイル捜索は、我々にとって、大臣の首を押さえるほどの大きな貸しを手に入れることになるのです。だからこそ、ここまで逆らわずに捜索に協力してきたのです。
 今後の『うりゅう』の運用が不透明になっているのに、こんな大きな貸しを作る機会が得られたのは、ラッキーですよ。おまけに、こんな遺跡を見つけたのですから。ミサイル探しをしていなくても、この遺跡を発見できたと、江坂さんは言い切れますか?」
「発見の切っ掛けが問題じゃない。遺跡の調査が必要だということが問題なんだ」
「今以外に調査ができないわけじゃない」
「今しかない。今、ここの調査をしておかないと、文科省は、防衛省の手前、ここに戻ってくることを許さないさ」
「ここで、この遺跡の調査をして、誰が得をして、誰が損をするか、考えてみましょう。まず、ミサイル捜索をしないので、防衛省が損をする。防衛省に貸しを作れない文科省も、予算取りなどで防衛省との調整で不利になるので、損。『うりゅう』乗組員も、文科省や防衛省に貸しを作れないどころか借りを作ってしまうので、損。
 『うりゅう』本来の使用目的で活動できるのは得だが、準備を整えて臨んだ瓜生島調査より場当たり的になるので、得とは言えない。唯一、得するのは、新発見の海底遺跡の調査結果を学会に発表できる江坂さんだが、得と言えるかどうか。
 ミサイル捜索をやめれば、全員が『うりゅう』から降ろされるだろう。江坂さん。『うりゅう』正規乗組員全員まで敵に回し、一回限りの場当たり的な調査を選ぶのか、それとも、文科省に対する貸しを行使して『わだつみ』も用意し、大規模な調査を行うのを選ぶのか、考えるまでもないでしょう」
 江坂は、感情を理性で押さえ込もうとしていた。彼の心は、この海底遺跡で興奮している。その感情を、彼は損得勘定という理性で押さえ込もうとしているのだ。
「それでも、僕が調査をすると言ったら、スキッパーは妨害だってするんでしょう」
「そのつもりだ。そして、二度と『うりゅう』には乗せないと、捨て台詞を吐くことになる」
 江坂は、苦笑いした。
「ソロバンの結果に従いますよ。さ、何から話せばいいですか?」
 彼が納得してくれたので、ほっとした。実は、小和田も得をする人物だ。それも、江坂以上にだ。江坂が納得してくれたので、小和田も落ち着くだろう。
 みんなの顔を見た後、話を本題に戻した。
「まず、遺跡の大きさと形状だ。鮎田。外周を回ったんだろう?」
「『うりゅう』の進行方向は、遺跡の外縁に当たります。直進しても遺跡の上には出ませんが、左舷側に堤防のような構造物を見ながら進むことになります。僕たちは、一旦、堤防の上に出て、堤防の真上を反時計回りに一周しました。D1の慣性航法装置から得た航路を、海図上にプロットしました」
 各自が、自分のタブレットを覗き込んだ。
「水深は、気付いていると思いますが、今まで知られていた二百三十六メートルよりも浅く。堤防の高いところで、約二百二十メートルです。つまり、ここは誰も知らなかった場所といえます」
 航路が描く線は、南西方向に長い綺麗な楕円だ。長軸半径で三百メートルくらいか。短軸半径は百五十メートルくらいだ。C1を使ったパッシブソナーでは、一度で通り過ぎる程度の幅だが、これを学術調査するとなると、何年もかかるだろう。もちろん、それだけの価値はあるわけだが。
「まず、遺跡には高さのある構造物が存在するかだが」
「ありません。航路の続きを表示します。・・・このように、遺跡の上と遺跡の南西側を探査し、海底の状況や障害物を確認しました」
「つまり、障害物は無かったということだね」
「そうです」
 生真面目な態度を取る鮎田が、おかしかった。
 今回の事故は、鮎田を成長させることになりそうだ。
「スキッパー。ここの遺跡は、興味深い。こんな遺跡は、他に知らない」
「江坂さん、ここでの話題に関係あることですか?」
「大有りだ。スキッパーは、今まで通りの調査をこの遺跡でもできるか、心配しているんだろう。その答えです。この遺跡の最も低い位置に、神殿の跡と思われる地盤の盛り上がりがありました。つまり、この遺跡では、低いほど場所ほど神聖らしいのです。言い換えると、高い構造物より、低い構造物を好む民族だったらしいということです」
「遺跡の上をぎりぎりの高さで通しても、問題なさそうだということですね」
「ぎりぎりが好きなら」
「もう一つ問題があるが、この遺跡の中にミサイルが落ちていた場合、ここまで使ってきたパッシブソナーの遣り方で見つけられるのか。構造物の残骸の陰にあれば、ほとんど気付かないだろうということ」
「それは、魚塚君に聞いてもらうしかないでしょう」
「こたえはもちろん、不可能だ」と、指揮所から魚塚の声がした。
 少し前から聞き耳を立ていたようだ。
「アクティブソナーを使っても、そんなに効率は上がらない場所だ。パッシブソナーだと何もできないのに等しいさ」
「分かった。それじゃ、どうやってミサイル探しをするかだ。案は無いか?」
「無い。つまり、地道に目で見て探すって事だ」
「磁力計も持参して」
「もちろん」
「浦橋さんを呼んで、遺跡内のみのミサイル探査計画を立てよう」
 打ち合わせをお開きにし、浦橋の居るD1ハッチに向かった。
 浦橋との打ち合わせは、無駄の全てをそぎ落とした会話になる。
「遺跡の調査を後回しにして、他の調査で見つからなかった時に遺跡内を調査しろ」と言うかと思ったが、素直に受け入れてくれた。お陰で、井本と松井への説明もスムーズに進んだ。二人は渋々承認し、ものの一、二分で遺跡内の調査が始まった。
 『うりゅう』は、C1を左舷三十メートルに出し、堤防を挟むように一周する探査を始めた。同時に、小回りの利くD1は遺跡内を十メートルの幅でジグザグに捜索していく。
 精力的に動き回るD1を他所に、『うりゅう』本体は、F1の回収に手間取った。G1の再整備を急ぎ、C1のマニュピレータも駆使して、ようやく回収が終わった。
 実は、魚塚の提案を受け、遺跡調査のための計画を実行に移したのだ。
 F1を回収するために『うりゅう』を移動させた際に、不安定になるように積み上げた岩を、下げたままにした『うりゅう』のギアで引っ掛けて崩した。この後でF1の回収を始めたのだが、F1と数ヶ所に置いた地震計とのLANケーブルを切り離せず、手間取ったのだ。
 浦橋と松井が乗ったD1を合流点に待たせたまま、堤防を一周し、遺跡内のミサイル捜索は終了した。
 ミサイルは、見つからなかった。
 江坂だけでなく、『うりゅう』の乗組員も後ろ髪を引かれる思いで、遺跡を離れた。

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  15

 頭上には、厚さ二百メートル以上もの水塊が乗っている。その重みを、『うりゅう』はまともに受け止めている。
 『うりゅう』は、内圧を水圧と同等になるまで昇圧して使用するのが基本だ。別府湾に残っていれば、今頃は、ヘリウム分圧四.八の酸素、窒素、ヘリウム混合気で、飽和潜水状態になっていたはずだ。
 『うりゅう』は、内臓タンクにヘリウムを搭載している。これで加圧できるのは、五気圧までだ。最大では、五百メートルでの活動まで想定される『うりゅう』だが、その際に使用するヘリウム分圧五十一.五気圧分のヘリウムは、外部から供給する必要がある。
 ここなら、二十二気圧分くらいのヘリウムが必要になる。必要量の二十三パーセントしか、持ち合わせがない。
 こんな制約が無ければ、村岡は、この場所で飽和潜水への移行を命じていたかもしれない。
 瓜生が撮影してきた映像に映っていたのは、遺跡以外の何物でもなかった。
 水中の透明度は、それほど高くはない。視程は、二十メートル余りでしかない。しかし、俯瞰する位置から撮影された映像は極めて鮮明で、目にしているものが疑いようのない事実であることを教えてくれる。
 水深二百メートル余りの海底に、石造りの街の遺構が横たわっているなんて、予想もしなかった。
 海底に没して遺跡となってしまった後、この存在を知り、実物を初めて目にする人類が我々であるは間違いない。同時に、歴史に残る大発見であることに疑いを挟む余地はない。
 『うりゅう』の前方にある海底遺構は、それだけの意味がある。
 全体の広さは、まだ分からない。D1で出掛けた鮎田と小和田が戻ってくるまで、概要さえ見えてこない。
 魚塚は、F1を独占し、なにやら調査を始めている。
 F1は、完全に自立作業もできるが、通常は有線で使用する。水中での通信手段は音波だが、作業機械であるF1は、自らの騒音で、通信に外乱を与える。だから、有線での使用が多くなると予想されている。念のため、魚塚には、有線で使用するように釘を刺しておいた。
 ロックエンジニアの魚塚のことだから、地質や地下の構造を調べようとしている可能性がある。
 江坂は、A1の使用許可を求めてきた。F1とは異なり、有線での運用が一切できない。基本は、当初のプログラムに従い、自律制御で運用する。但し、帰還時のドッキングでは、『うりゅう』とA1の位置あわせのために、相互にソナーで位置確認を行う。それに、A1は、『うりゅう』が発するトランスポンダーの信号を受け取れなくなった時点で、帰還モードに入る。だから、A1を運用する際は、最初から最後までソナーとトランスポンダーが海中に鳴り響くことになる。
 A1の使用は、流石に許可することはできなかった。
 江坂は、瓜生のサポートでG1を使用することで納得した。限られた時間の中で、彼がどんな仕事をしてくるのか、楽しみだし、期待もできる。彼は、D1に乗り込む直前の小和田を捕まえ、何やら相談をしていた。役割分担を明確にしたかったのだろう。
 彼らの連携作業の結果が待ち遠しい。
 唯一の心配事は、彼らがいつ『うりゅう』に戻ってくる気になるかだ。
 瓜生は、江坂のバックアップが一段落したので、磁気計や重力計のデータを集めたり、一つ前のレーンを航行した際のデータから、海底遺構の兆候を探したりと、彼が苦手とする分野だが、時間を惜しんで作業している。
 海底遺構の調査に奔走する中、浦橋には、鮎田がまとめかけていた事故調査資料の仕上げを命じた。
 村岡は、事故を起こした『うりゅう』の安全確認と、今後の調査方法の検討に、頭を悩ました。


 三十分後、井本がやってきた。
 まだ、鮎田達も、江坂も、戻ってきていない。
 鮎田には、航路の安全確認と言う口実がある。だが、江坂には無い。
 井本にせよ、松井にせよ、江坂が居ないことに気付いたら、色々と言ってくるだろう。その際の言い訳と時間稼ぎには、苦労させられそうだ。
 右舷の指揮所に指揮所に入ってきた井本は、辺りを見回した。
「みんな出払ってるのね」
 嫌味にも取れるが、真っ当に受けることにした。
「それぞれに点検と安全確保に出ている」
 D1とG1が、『うりゅう』を離れていることは、装置管理サーバーに接続さえすれば、艇内のどこからでも確認できる。井本も、D1とG1が出ていることを知っている可能性があるので、無理に隠さなかった。
 右舷の指揮所の中には、村岡以外には魚塚しか居ない。左舷の指揮所がテリトリーの浦橋は、そこにいるはずだった。瓜生は、G1用ハッチの脇で、タブレットを開いているはずだ。
「なぜ、この事故が起こったのか、浦橋さんから見せていただいたわ」
 上手いな。
 浦橋が、井本に通じているなら、上手いタイミングだ。村岡たちにとっては早過ぎず、井本にとっても遅過ぎることはない。
 鮎田のレポートを引き継いで仕上げるためには、一時間くらいかかると思っていたが、浦橋は無駄な部分を思い切り捨ててまとめたのだろう。まとめたレポートを手に、井本に海底神殿の調査を行っていることをちくったのだろう。
 浦橋が、レポートを持って行かずに、かつ、井本ではなく松井に告げていたら、調査に出かける前にストップが掛かっていただろう。
 浦橋は、どちらの側についているのか、村岡にも判断がつかない。三十分という時間は、村岡が最低目標として掲げたものだ。その時間を、浦橋は確保したとも言える。井本にとって、浦橋が内通者だと知られないためには、村岡に会いに来るための口実が必要だ。それが、事故レポートだとすると、どうしても事故レポートを完成させる必要がある。
 こう考えると、驚くべき短時間で事故レポートをまとめた浦橋の行動は、一刻も早く井本にこのことを伝え、ミサイル探査に戻るように促すためとも思える。
 逆に、浦橋が村岡側についているなら、井本を裏切っていないと思わせるための事故レポートであり、ぎりぎりの三十分だ。
「鮎田さんは、航路確認出ているそうね」
「それも、レポートに書いてありましたか?」
「サーバーに保存してあったので、あなたも見たと思っていたわ」
 秒オーダーだが、時間稼ぎになる。そう思って、手近の端末についた。頭の切れる彼女なら、ここで釘を刺すだろうとわかっていたが、慌てずにゆっくり目に座った。
 彼女が一言も発しないのに違和感を感じながら、端末を操作し、レポートのファイルを開いた。
 三十分でまとめたとは思えないほど、ボリュームのあるレポートだった。目を通すだけでも、二、三分かかった。その間も、彼女は黙って待っていた。
 内容的には、事故の直接の原因が、未知の海底遺跡の石垣の崩壊部分にケーブルを引っ掛けたためであることを軸に、物理的要因と心的要因が書かれていた。
 更に、今後の方策では、海底遺跡が今後のミサイル探査に与える影響を推定し、航路選定に時間を取る必要があることと、ミサイル探査そのものも時間的な余裕を確保する必要性を説いていた。
 けちの付け所が無い内容だ。村岡の本音も書き込まれている。
 ここが海底遺構であることは、井本らに伏せてきたが、このレポートを読めば、誰でも明確に理解できる。この点では、浦田に文句を言いたいところだ。
「このレポートには、驚いたわ。まさか、こんな場所に遺跡が眠っているなんて、思いもしなかったわ」
「鮎田と小和田には、航路確認に出てもらっている。この遺跡の規模が分からないので、航路の確認にどれくらいの時間がかかるか分からない」
「その間に、江坂さんを遺跡調査に出したのでしょ」
 逆らっても逆効果だと考え、沈黙で肯定した。
「いつ、再開できるのかしら」
「鮎田が帰還し、その報告を受けて判断する」
「随分、無計画なのね」
「それが、僕の取り柄なのでね」
「直ぐに呼び戻せ」と松井が切れた。
「いいよ。水中電話の許可が出るなら」
 松井が、言い返せなくて、やり場の無い怒りに顔を赤らめた。
「レポートの内容を、もっと正確に読み取ってほしいね。あと、鮎田が戻ってきたら報告するよ。ミサイル探査計画の修正が必要になるだろうからね」
「タイムスケジュールを出しなさい。D1は兎も角、G1の航続時間は、精々四時間よね。まさか、ぎりぎりまで出歩かないでしょ。二時間後には、出発します。それまでに、捜索手法を含めた捜索計画と、発見時の引き上げ計画を策定しなさい」
「井本さん、ここまでは黙って聞いていましたが、二時間も待つなんてできませんよ。直ちに、捜索に戻るべきです」
 三名の乗組員を見捨てて行けと言うのか。
 怒りより、呆れてしまう。こんな無計画無鉄砲だから、過去のミサイル捜索は失敗したのかもと、村岡は思った。
 同時に、こんな考え方しかできない奴は、どうにでも扱えると考えた。
「松井さん、よく言った。鮎田たちを置いていくと、彼らは電力や酸素がなくなる前に浮上して、救難信号を出す。そうすれば、『うりゅう』がここでミサイル捜索をしていることが公になる。その覚悟ができているから、当然、今までのようなパッシブソナー的な捜索をする必要は無くなり、アクティブソナーで大々的に捜索することになる。
 君がそこまでの決断をしてくれたのなら、捜索計画を見直し、あっと言う間にミサイルを見つけることができて、全ては丸く収まる。
 よく決断してくれた」
 アクティブソナーに話が及び、松井は慌てた。助けを求めるように、井本を見た。
「松井さん。直ぐに出発するか、それとも二時間待つか、あなたの決断に従うわ。隠密捜索は、防衛省の要求ですもの。あたしには、決定権の無い部分よ」
 井本は、冷たいことを言う。松井の困った顔は、見物だった。
「分かった。二時間後に出発する。二時間経過後、D1とG1が未帰還の場合、置いて行く。村岡スキッパーは、隠密行動を害さない範囲で、いかなる手段を用いてでも、二時間後の出発を堅守すること。以上だ」
 二時間の時間を確保できたが、逆に、松井の決意を固めさせた。
 二人が立ち去った後の指揮所で頭を抱え込んだのは、村岡だった。
 松井は、二時間後までに鮎田たちが戻らなかったら、そのままミサイル捜索を再開させる覚悟でいる。
 村岡は、瓜生の所に足を運んだ。
「江坂さんは、出て行く時に、小和田と相談していたみたいだが、何の話をしていたんだ?」
「江坂は、小和田にできるだけ時間を稼げと言っていた」
 小和田と鮎田が戻らなければ、『うりゅう』は動けない。時間稼ぎを、小和田に依頼したのだ。
 小和田は、ここまでの探査方法は、遺跡の上ではできないことを口実に、『うりゅう』の航路の左舷側を中心に、ミサイル捜索を口実にした時間稼ぎと写真撮影をしているはずだ。
「G1の残存酸素量は、どれくらいだ?」
「今から、二時間十八分だ」
 瓜生が、先行調査でG1を使っているので、その分は酸素量が少なくなっているのだ。
「出発時の残存酸素量は、江坂さんに伝えてあるな?」
「当たり前だ」
「分かった。江坂さんが戻った際のバックアップを頼むぞ」
 一抹の不安があった。江坂が、瓜生の言葉をちゃんと聞いていたか、怪しいところがある。
 江坂は、自分の調査時間を少しでも長く取りたくて、小和田を巻き込んでいる。江坂の頭の中には、G1の最大潜水時間の四時間しか、頭に無かった可能性がある。
 G1のフード内のディスプレイには、潜水可能時間が表示される。江坂が、その数値を無視して行動する筈がない。ただ、これほどの大発見だ。興奮して、訓練どおりの行動をしない可能性も、捨てきれない。
 右舷指揮所に戻りながら、考えを巡らせた。
「スキッパー、お願いがあるんですが」
 魚塚が、珍しく神妙な物言いをした。
「また、無理難題か。まあいい。言ってみろ」
「地中の音響探査を行いたいんですが」
「君の事だから、地中レーダー探査は終わってるんだよね」
「やりましたが、ここはちょっと変なんだ。海底だから、探査可能深度が浅いのは当然だけど、浅すぎるんだ」
 村岡は、魚塚の言い分は聞いていなかった。ただ、地質の音響探査を、別の目的に利用できないかと、そんな考えが過ぎったのだ。
「今は許可できないが、いつでもできるように、準備をしておけ。炸薬の量は、ぎりぎりと思っている量の半分にしろ」
「え?」
「ここの遺跡を一切傷付けたくないんだ。それと、松井さんを怒らせたくないから」
 首を捻った魚塚だったが、すぐに端末に戻り、準備を始めた。村岡の気が変わらない間に準備を済ませようと、思ったのだろう。
 一段落したところで、一つ前のレーンを航行した際の重力マップをチェックしてみた。その結果、僅かだが、この遺跡の周辺で、重力異常が見られた。誤差と精度の境目くらいの僅かな差だが、この遺跡と関係がありそうな気がした。
 地磁気についても、調べてみた。こちらにも、異状が見られた。この異状は、なぜ見落とされたのか、ちょっと問題になるところだが、変化自体は非常に緩やかなので、引継ぎ時間帯とも関連して、見落とされたのかもしれない。
 二時間近く経過した。
 まだ、鮎田達も、江坂も、戻ってきていない。

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